令和6年8月10日、詩人の新川和江が亡くなった。
多くの詩作を残し、中でも教科書にも載った「わたしを束ねないで」という詩が有名だが、
私には忘れられないある一編の詩がある。
こころよ 自由に
なぜだろう
ときどき 人がうとましく
ひとりになれば
そういう自分が うとましく
世界のはずれの
そのまたはずれの場所にきて
こっそりくさりをほどいてやる
子犬のジョニーのするように
こころよ 自由に
空の野原をかけまわっておいで
ひかりの骨を見つけたら
くわえて 元気にかけ戻っておいで
ぼくは待っていよう
砂丘に
主のいないカヌーのように身を横たえて
海鳴りをききながら
この詩人を知ったのは私が中学3年生のときだ。
学生向けの雑誌の詩のコーナーで出会った。
その頃は楽しかった部活動も終わり高校受験の勉強に入った時期であるうえ、
さらに思春期特有の悩みも重なって、毎日うつうつとしていた。
だがこの詩を読んだ瞬間、そんな混沌とした心の中に爽やかな風が吹き抜け、気持ちが晴れ晴れとなった。
分かりやすい言い回しと、心を子犬に自分自身をカヌーに例えた比喩が、なんとも愉快でチャーミングだ。
早速試したくなり、自宅の屋根の上に布団を敷いて寝転んで、
青い空や流れる白雲を眺めながら詩の余韻を味わった。
それ以来心が疲れた時などに、さあて、そろそろ鎖をほどき、
子犬のように心を自由に遊ばせよう、とイメージすることでうまく気分転換できるようになった。
ちなみに新川和江の詩は多くの作曲家によって歌曲にもされていて、
この「こころよ自由に」も鈴木輝明という作曲家により混声合唱曲となっている。
新川和江の作品には他にも、
子を持つことの喜びと不安を描いた「某月某日」、「ドレミの歌」、
悲しみや辛さからの再生を願う「春」、「それでも花は咲いている」、
若い人たちに向けた「わたしの中にも」、「名づけられた葉」、
愛の切なさを詠った「比喩でなく」、「雪の蝶」、「ふゆのさくら」、
ちょっとユーモアのある「除夜」、「お返し」など、その詩作はバラエティーに富んでいる。
まだまだ心惹かれる詩はあまたあり、ここではとても紹介しきれない。
平易な言い回しで分かりやすいものが多いが、奥が深くて
これはどんな意味なのかと思わず考えさせられるものもある。
そしてなんといっても比喩の巧みさには本当に感服してしまう。
・・・95歳の旅立ちだった。合掌
エッセイ集に