訪問診療外伝

私が訪問診療している患者さんは、長年当院へ通院されていたが
加齢や病気による体力の低下などが原因となり、来院できない状態となった方がほとんどだ。

午後休診の日や昼休みの時間などを利用して出かけているのだが、実際にご自宅に伺ってみると、
外来診療だけでは得られない経験をしたり、思いもかけないお話をしてもらったりもする。

ここでは訪問診療の医学的内容ではなく、今でも印象に強く残っているところの
スピンオフとしてのエピソードをいくつかご紹介したい。

 【症例1】
何度も体調を崩して入退院を繰り返している高齢のKさん。
退院したので訪問診療に行くと、「あたしゃ入院しているとき、焼かれてたまるか!って
気合を毎日入れていた」と私に言い放つ。

「そのかいあって、今回もまた我が家に戻ってきたんだよ」

歩いてトイレに行くだけでも一苦労なのに、さすがいつも明るく元気に振る舞うKさんらしい物言いだ。

それからは診療終了後に「焼かれてたまるか!」と、二人で拳を上げて唱和するのがお約束となった。

 【症例2】
百歳を超えているHさんは、戦時中に東京で敵戦闘機の機銃掃射を受け、
幼かった娘を抱いて必死に逃げて九死に一生を得たそうだ。

この話は結構えんえんと続いたのだが、外来診療と違って訪問診療では時間的余裕があるので、
じっくりと本人の言いたいことを聞くことができる。

しゃべり終えてHさんも満足げだ。

また別の日の訪問では、「昨日の夕食は大好きなとんかつ一人前をペロリとたいらげた」と誇らしげに言う。

そういえば以前に肉好きを宣言していたことがあった。

少し認知症があるので、念のため同居している娘さんに確認したが本当とのこと。

激しい戦火をかいくぐり、肉をがっつり食して生き延びてきたのだから、やっぱり百歳長寿は半端ないって。

 【症例3】
平成11年夏、癌のエンドステージで寝たきりになったMさんを訪問したところ、
布団から起き上がって大声まであげている。

前回の訪問時では体力が低下して上半身を起こすことさえできず、寝たままで診察していた患者さんだ。

これは夢か幻かと思ったところ、ちょうど地元代表の桐生第一高校が
甲子園大会の決勝戦を戦っているテレビ中継の最中だった。

実はこのときまで群馬県勢は一度も甲子園で優勝したことがなかったので、
野球好きのMさんは応援に気合が入り過ぎて、いつの間にか起き上がっていたのだった。

人間の精神力にbravo!

 数々の修羅場を経験しながら、在宅医療に積極的に従事されている医療関係者の方々に比べると、
なんともゆる~い訪問診療なのだが、とりあえず患者さんも喜んでくれるのでこれはこれでいいのだろう。

今後も自分自身の年齢や体力なども考慮して、持続可能な範囲で在宅医療を行っていこうと思っている。

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