北八ヶ岳山行とキャンディーズ

 最近テレビで懐かしの昭和歌謡曲の番組があり、キャンディーズの映像が流れた。
キャンディーズは1970年代の超人気アイドルグループで、ちょうど自分の青春時代と
一致していたこともあり、ご多分に漏れず私もファンの一人だった。

だがそれとは別にキャンディーズには、今でも忘れ得ぬ特別な思い入れがある。
それを語るには時空を越えて、1977年3月の北八ヶ岳にまで遡らなければならない。

 大学生だった私はキャンピングツアーというサークルに入って、
テントを背負って山へよく行っていた。
主に活動するのは春から秋にかけての登山がしやすい季節であり、
冬山へは登っていなかった。
冬は雪崩や凍傷などの恐れがあって危険を伴うこともあり、
あえてそこまで本格的にやろうとは思っていなかったからだ。
そこで冬の間はせいぜい、奥多摩や丹沢などの雪のない1000m級の山に出かけて、
山歩きを楽しんでいる程度だった。

しかし大学2年の春休みに、2000m級の北八ヶ岳に登る計画が持ち上がった。
これは3月下旬に同じサークルの部員たちが、北八ヶ岳縦走を予定していたので、
食料デポを行うべく、あえて冬の北八ヶ岳へ行くことになったのだ。
デポとは長期に渡る冬山登山などを行う場合、少しでも本番の山行の助けになるように、
あらかじめ食料や装備などを山小屋などに運んでストックしておくことを言う。

 メンバーはリーダーの3年生が1人と、私を含む2年生が4人という編成だった。
山行は3月7日から2泊3日で、坪庭の北西にある北横岳ヒュッテと、白駒池ほとりの
青苔荘の2カ所に、事前の許可をもらって食料をデポすることになっていた。
現在はいずれの山小屋とも管理人がいて、暖房が備わり食事なども給され、
快適に宿泊できる体制が整っている。

しかし当時は冬期の営業はしていなかったので、
本来ならば山小屋も施錠されるところだが、
冬山登山者の緊急避難のために、無人解放されていたのだ。
北八ヶ岳はどちらかというと太平洋側に位置しているために、北アルプスや谷川岳などの
山々と違って、冬の間は晴天率が高く、冬山の初心者向きとされていた。
しかし3月になると却って積雪量が増すので、登山道の凍結も予想されたため、
ピッケルやアイゼンなどの冬山装備も携行して臨んだ。

 初日は曇りながらも雪は降っていなかったが、前日までの積雪で出発地の坪庭から
向かう北横岳への登山道は、完全に雪で埋まっていた。
参考となるべきトレースもかき消されていて、どこが道なのかもはっきりとしなかった。
コンパスを見て方向を確認しながら、木の枝に結ばれている積雪期の道案内用の
赤い布を目印に、なんとかルートを探した。

デポ用食料を入れたザックはずっしりと肩にのしかかり、
重さに耐えながらひたすら雪道をたどった。
しかし誤って少しでも道を外すと、ずぼっと太ももまで雪に埋まってしまう。
疲れを防ぐためパーティの先頭を交代しながら、足元を踏み固めつつ登った。
なんとか樹林帯を抜け、北横岳ヒュッテにたどり着いたときは、
心底ほっとした気持ちになった。
この日の山小屋は他に登山者もなく、ひっそりと静まりかえっていた。

 初日の目的地に着いて安心したのも束の間、その日のラジオから流れる
全国の気象概況に基づいて書かれた天気図を見て、我々は思わず首を振った。
日本海側にはかなり発達した低気圧が、前線を伴って東に移動してきていた。
明日は西高東低の安定した冬型気圧配置がくずれ、
ここ北八ヶ岳でも大荒れの天気になりそうだった。
安全のためテントに泊まるのは止め、山小屋で過ごすことにした。

案の定、夜になってから外は猛吹雪となり、翌朝になっても治まる気配はなかった。
激しく小屋を揺さぶるような強風が吹き荒れ、
止めどもなく降る雪は視界をホワイトアウトさせていた。
小屋の外でちょっとトイレをすませるだけで、雪だるまのようになってしまう。
ついにリーダーが、今日1日はこのまま山小屋で停滞することを決断した。

 ところで、停滞と言っても決して楽なものではない。
電気や火の気のまったくない薄暗い山小屋で、着られるだけ着こんでシュラフにくるまり、
いつ果てるともなく続く吹雪を恨めしく思いながら、零下の寒さに震えて過ごしているだけだ。
幸いなことに食料は十分に持ってきていたので(いざとなったらデポ用の食料だってある)、
数日間は持ちこたえられる余裕はあった。

 やることもないので天気予報でも聴こうかとラジオをつけてみたところ、ちょうど音楽番組を
やっていて、ディスクジョッキーがキャンディーズの「春一番」という曲を、
まさにかけるところだった。
今日の下界は朝から春一番が吹き荒れていて、
風は強いけれど春の兆しも感じられるとのこと。

山の上は厳冬期のような寒さなのに、町はもう春なのか・・・妙に里心が芽生える。
ああ、どうして自分は好きこのんで、こんな寒くてつらい思いをしに、
わざわざ北八ヶ岳まで来てしまったのか。
もう、帰れるものならすぐに帰りたい。
こたつに入ってぬくぬくしたり、暖かい風呂につかったりしたい。
そんなふうに心が折れそうになったとき、春一番のメロディーが流れ始めた・・・
 
    もうすぐ春ですね。ちょっと気取ってみませんか
    もうすぐ春ですね。恋をしてみませんか
    
 不思議なことにこの歌を聴いているうちに、
体は寒いのに心はしだいに温かくなってきた。
曲の明るさの為せる技なのかもしれない。
今は確かにつらくて苦しいけれど、吹雪は永久に続くものではない。
じっと耐えていればどうにかなるだろう。
なんとなく楽観的になった。

ラジオ番組はキャンディーズの特集だったので、この後も数々のヒット曲を流し続けた。
こうして我々はキャンディーズを聴きながら、吹雪の1日をなんとかやり過ごした。
翌日は低気圧が本州を完全に通り抜けてしまい、寒かったけれど快晴となった。
モルゲンロートに染まる山々に見送られ、次のデポ地点である青苔荘に向けて、
元気に出発することができた。

 毎年、春一番のニュースを聴くたびに、今でも吹雪に閉ざされた山小屋を
ありありと思い出す。
風の咆吼や、凍てつく寒さや、舞い飛ぶ雪を思い出す。
そしてそんな暗い状況の中で、灯火のように心を明るく照らしてくれた
キャンディーズの「春一番」のことも・・・

 メンバーだったスーちゃんこと田中好子さんが亡くなったのは、2011年で享年55歳だった。
合掌

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