洪水体験 


 東京から千葉に向かう総武線沿線に点在する駅のひとつに津田沼がある。
もう20年近く前になるが、その地に結婚後の新居を求めたのは、市川の小学校教諭として
電車通勤する妻と、千葉市内の病院に自動車通勤する私にとって、どちらへもちょうど
中間の地点だったからだ。総武線の各駅停車、快速とも津田沼までならば本数も多く
(2本に1本が津田沼止まりだった)、交通の便がすこぶるよかった。さらに駅前には
ダイエー、イトーヨーカ堂、マルイ、パルコなどの大型商業施設が林立していたので、
仕事帰りの買い物にも大変便利だった。ちょうど駅から徒歩10数分に2DKの賃貸
マンションも見つかった。辺りはまだ緑が豊かで、駅近くとは思えない自然に恵まれた
またとない環境である。何もかもが申し分のない状況だった。

 しかし、好事魔多し。「津」と「田」と「沼」────いずれも水を連想させる
この三文字の意味する真実に、まだその時は気づいていなかった……
 
 
 住み始めて2年ほど。その日は折からの台風の接近で暴風雨となっていたが、仕事が長び
いて帰宅は夜遅くになってしまった。国道16号線は冠水していたが車は走行可能であり、
なんとか自宅近くまで戻って来た。しかし幹線道路をはずれると、家へと通じる道には
街路灯が十分整備されていなかったため、薄暗くて道路状況がよく分からない。車のライトに
浮かび上がった路面は、一見水平に続いているように見えたので、なんの躊躇もなく
車を進めてしまった(後になって水の反射による目の錯覚だったことが判明したのだが)。

 前進するに従い、しだいにタイヤが水の抵抗を受けていることに気づいた。どうやら水が
少し深いらしい。本来ならば車をバックさせ、引き返すべきときである。しかし家まで
あと300mもない。まだ風雨も強いのでここで車から降りてしまえば、自宅へ着くまでに
びしょ濡れになってしまう。もう少し進めばまた水深は浅くなって走りきれるのではないか。
そんな甘い期待を抱いてさらに前進した。しかしやがて水面が窓のすぐ下にひたひたと
見えるようになったと思ったとたん、車は突然エンストしてしまった。

 な、何が起こったのか? 予期せぬ事態にしかたなくドアを開けて外に出ようとしたところ、
水がザーと車の中へ流れ込んでくるではないか! ここに至って初めて事の重大性を自覚した。
暗くてよくわからないが、この辺りの道路は窪んでいて、そこに大量の水が溜まっており、
私は今そのただ中に車と共に取り残されているのだ。まるで大海の無人島にいるみたいに。
このまま水かさがどんどん増していったら、車は修理不能になってしまうかもしれない。
それでなくてもお金がかかりそうだ。ううう、何という判断ミス!
悔やんでも悔やみきれない。

                

 けれども途方にくれていると、地獄に仏とはこのことで、近所の人が雨合羽を着て助けに
来てくれた。一緒に車を押してもらい、ようやく水のない高い地点まで車を移動させた。
今夜はとりあえずここに車を残し、歩いて家に帰るしかない。助けてくれた人に御礼を言い、
濡れ鼠となりながら自宅へ向かった。その先の道は足首くらいまで水があるものの
歩けないほどではなかった。しかし、最後に自宅前の道路を目前にしたとき、私は呆然と
してしまった。

 自宅までの残り50mに及ぶ道はまたしても水没し、あたかも湖のように、とうとうと水を
湛えている。濁った水は渦を巻き、薄暗い中では深さも正確にはわからない。
でも家に帰るためには、どうしてもこの道を渡らなければならない。部屋では暖かい食事と
風呂が待っているに違いない。もう、ここは行くしかないのだ。意を決して私は道路へ
飛び込んだ。前進すると水かさはぐんぐん増して、すぐに胸の高さまで達してきた。
両手で水を後方へとかきながら、水の抵抗に逆らって必死で足を前へと進めた。
いま流行りの水中ウオーキングと同じことだ。

 だが、ひとつ心配なことがある。ここへ来る途中、マンホールのふたが外れ、泥水が
噴き出している場面を目撃していた。もしもこの水面下に運悪く開いているマンホールがあり、
誤って足を踏み入れてしまえば、冗談ではなく溺れてしまうかもしれない。そうしたら翌日の
新聞に、『帰宅途中の医師、道路で溺死』とでも載るのだろう。でも道路で溺れるなんて少し
恥ずかしい、などと思いながら水中歩行をひたすら続けた。こんなことなら着衣水泳を習って
おくのだった。水に浮かんだゴミや木の枝などが体に触って気持ち悪いが、そんなことに
かまってはいられない。

 悪戦苦闘の末、幸いマンホールに落ちるもことなく、無事に家にたどり着くことができた。
自宅マンションは、道路よりも少し高い土地に建てられていたため、浸水はしていなかった。
玄関を開けると、遅い帰宅を心配していたらしく、妻が迎えに出てきた。彼女のほうは
帰宅時間が早く、水の出る前に部屋に帰っていたので、難を免れたとのことだった。
ずぶ濡れになった服を片づけていた妻が、「シャツの胸ポケットにタニシが入っている!」と、
驚嘆の声をあげた。こうして今迄で最もハードな帰宅は終わった。やれやれ。

 翌朝になっても水はまだ引けず、近所の子供たちは地元消防団が用意したボートに乗って
通学していた。また、会社へ通勤するサラリーマンたちは、脱いだズボンや背広を頭の上に
載せて道路を渡渉していた。まるで江戸時代の大井川の渡し状態だ。なお、心配していた車は、
エンジンルームへの浸水がなかったので、修理費用は低額ですんだ。
 
 
 ところで、このお話はまだ続きがあり、後年になってもっとインパクトのある洪水体験も
しているのだが、またの機会にさせてもらって、今回はここまでといたします。

                  

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