想い出の香り  


 高崎に開業してから数年後、恩師である教授の退官記念式典に出るため、久し
ぶりに母校のある千葉へ行きました。場所は千葉みなと駅の近くのホテルでし
た。千葉へと向かう京葉線の車窓には、初夏の強い日差しに照りかえる青い
海原が、眩しく煌めいては手前に現れるビルの陰に遮られる光景が、何度も繰
り返されていました。鉄橋の下の川幅も広く、流れもゆったりとしていて、群
馬の急流とはずいぶんと違っています。ああ、千葉に来たのだと、しみじみ感
じていました。
 
 そして、千葉みなと駅のホームに降り立った瞬間、もわっという湿った空気と
いっしょに、とても懐かしくて心温まる香りに体全体が包まれたのを覚え、
はっとするような強い衝撃を受けました。なぜならその香りは、心の奥深いと
ころに眠っていた何か濃厚な感情を、強制的にぐいぐいと揺さぶり起こしてき
たからなのです。訳が分からないまま、しばらく私はホームに佇んで、いった
いそれが何であるのか、自分の記憶の断片を必死に思い返していましたが、そ
れらしい答えは一向に見つかりません。ふと気がつくと、いっしょに下車した
乗客たちの姿は、すっかりホームから消えていました。

 しかたなく改札口へと続く階段を降り始めたところ、さらに一段と強い香りが
漂ってきました。その時ようやく、「あ、これは潮の香りだ!」と気づきました。
今日は海から陸に向かって風が吹いているのでしょう。珍しいことに、千葉み
なと駅まで潮の香りが届いていたのです。でも、なぜ潮の香りが不思議な感情
を呼び起こさせたのでしょうか?

 駅を出て少し歩くと公園がありました。夾竹桃が暑さをものともせず、生命力
を謳歌するかのように、紅と白の花を咲かせています。まだ記念式典には時間
の余裕があったので、緑に囲まれた公園のベンチに座って、風に吹かれながら
香りを胸いっぱい吸ってみました。すると当時の情景が、インターネットのス
トリーミング動画を見るときのように次々と、鮮やかに浮かんできたので
す・・・・・・
 
 かつて私の住んでいた稲毛地区は、バブル期の都市開発の影響で、元の海岸線
はすっかり埋め立てられ、新興住宅街が立ち並んでいました。でも、その代わ
りに人工海浜の公園ができ、市民の憩いの場になっていました。マンション暮
らしだった私は、休日といえば、当時幼かった子供がのびのびと遊べる場所を
求めて、よく海浜公園へ行きました。公園内は同じような家族連れで賑わって
いて、潮騒を聴きながら散歩をしたり、砂浜でボール遊びをしたりしました。
稲毛の海はウインドサーフィンのメッカで、色とりどりの帆が波の上を滑り、
とても華やかでした。はるか水平線に目を移せば貨物船の影が浮かび、天気の
よい日は遠く三浦半島まで臨めました。そしてお弁当を広げて一家で昼食をと
っていると、そこにはいつもほのかに潮の香りがしていました。

 海まで車で10数分の環境にいたときは、すぐそこに海があるのを普通のよう
に考えていましたが、群馬に戻ってからはそんな感覚はしだいに失われてしま
いました。それと同じように子供といっしょに過ごした時間というのも--------
そのときはそれが当たり前に思えていましたが--------子供が成長して親から少
しずつ離れ始めた今となっては、かけがえのない濃密な時間でもあったのです。
九十九里浜、犬吠崎、館山なども、千葉にいたときに訪れた代表的な海岸です
が、自分の潜在意識の中に最も強くインプットされていたのは、実は何の変哲
もない稲毛海岸だったのです。潮の香りが数年の時を経て、懐かしさや温かさ
を含んだ不思議な感情を私に甦らせたのは、潜在意識の片隅にあった子育ての
想い出とリンクしていたためだったのでしょう。

 そのとき、乳母車を押して散歩する親子連れが、たまたま公園内を通り過ぎて
いきました。瞬間、当時の自分たちの姿が、昔撮ったビデオを見ているように
重なり合い、その親子が視界から消えるまで、いつまでも見詰めていました。
時が過ぎて家族の状況は変わっても、あの頃の想い出は私の瞼の中で、いまだ
に輝きを放っているのです。
 
 ふと気がつくと、記念式典が始まる時間が迫ってきていました。もう一度潮の
香りを深く吸って名残を惜しんでから、私はベンチから立ち上がり、目指すホ
テルへゆっくりと歩を向けました。

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