ボウリングにまつわるエトセトラ

 最近、就寝前のひとときに聴く音楽があります。

 その曲の名は「ピアノ、クラリネットとヴィオラのための三重奏曲 変ホ長調 K.498」。モーツァルトによって1786年にウィーンで作られたもので、限りなく美しい調べに心が癒され、体も軽くなっていきます。

 特に気に入っているのは第3楽章で、一定したリズムの流れが実に心地よいのです。

 この曲には、ケーゲルシュタット・トリオ(Kegelstatt Trio)というニックネームがつけられています・・・と、ここまで読んで、これはボウリングの話ではなかったのか?音楽エッセイなのか?と疑問を抱いている方もおられることでしょう。

 でもこのニックネームは、モーツァルトがボウリングの前身である「ケーゲルシュタット(九柱戯)」に興じながら作曲した、という逸話に由来していると聞けば、納得していただけますか。

 第3楽章の心地よく感じられるリズムは、ボウリング投球時のそれに似ているのかもしれません。

 現代のボウリングは10本のピンが正三角形に配列されていますが、モーツァルトの時代にはピンは9本で、しかもダイヤモンド型に並べられたので、九柱戯と呼ばれていました。

 そもそも中世のヨーロッパでは、木柱を邪悪なものとみなして球を転がして倒すことで、悪を退治する意味合いを持たせた宗教的な儀式があり、それが九柱戯へと発展したということです。

 宗教改革で有名なマルティン・ルターが、九柱戯のルールを作ったとされていることからも、その宗教的背景がうかがい知れます。

 多くのピンを倒した人は信仰心が厚いと考えられていたようで、現代でもメンタル的要素の多いボウリングだけに、当時の儀式を行う人にはさぞやプレッシャーがかかっただろうなと思います。

 ちなみにモーツァルトの「ホルンのための12の二重奏曲 K.487」の楽譜にも、「九柱戯をしながら」という書き込みがあるそうです。

 モーツァルトもボウリングに、結構はまっていたのかもしれませんね。

 でも実はボウリングの歴史は驚くなかれ、もっと古いのです。

 紀元前5000年のエジプト貴族の子供の墳墓から、英国の考古学者 フリンダース・ペトリ教授が発掘した石のボールとピンは、ボウリングの原形としてロンドン博物館に展示されています。

 もしも古代のアレクサンドリア図書館が焼けずに残っていれば、「ボウリングがうまくなるコツ」なんて解説本があったかもしれません(^_^;)

 というわけでボウリングは、かれこれ7000年の歴史を持つことになります。
 こんな伝統的?スポーツは他にないのではないでしょうか。

  さて、日本最初のボウリング場は、1861(文久元)年6月22日、オランダ人によって長崎に作られました。

 現在、6月22日が「ボウリングの日」とされているのはそのためです。

 しかし実際に日本人が投げるようになったのは、1952(昭和27)年、東京青山に「東京ボウリングセンター」がオープンしてからのことです。

 当時はまだ自動のピンセッターはなく、ピンボーイと呼ばれていた人が控えていて、投球ごとにピンを並べるという仕組みでした。

 医師会のM先生はこの初期の頃のボウリング場で投げた経験があるとのことで、そのときは人の手をこれほど借りて投げるなんて、ずいぶんと贅沢な遊びだと思ったそうです。

 もちろんスコアも手書きだったことは言うまでもありません。

 現在は自動ピンセッターが備えられ、スコアもコンピュータが計算してくれ、冷暖房の効いた快適なボウリング場で、マイボール、マイシューズを揃えて、朝から夜までいつでも時間の空いたときに、エジプトの貴族でなくてもボウリングができます。本当に幸せなことだと思います。

 少しくらい成績が振るわなくても、許しちゃおうという気持ちにもなるというものです

 結局はいつもの言い訳でした・・・
  

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