エアロビクス


 これはいかんな、運動不足だ、こんなことぐらいで息がはずむなんて、少し体をきたえなければ、でも帰宅時間は不規則だし、何か適当なスポーツはないものか・・・・。JR稲毛駅の階段を昇りながら思いました。まだ開業医になる前の勤務医時代のことです。勤務先が千葉から東京の病院になったために、今までの車通勤から電車に切り替えたばかりでした。

 元来体を動かすのはきらいではないので、以前もテニスやゴルフスクールなどに週1回程のペースで通ったことはありましたが、レッスン日時が決まっているため、仕事が長引くと行けないことが多く、幽霊会員になってしまうのがお決まりのコースでした。そう考えていたところ、駅のそばの某スポーツジムの看板が目にとまりました。そうだ、これなら時間のあいた時に1人で行ける。さっそく入会することにしました。

 トレーニングスタジオ内に初めて足を踏み入れたとたんに、まず熱気に包まれた湿度の高い空気に全身が覆われ、次には備え付けのマシーンで体を鍛えている人々が目に飛び込んできました。さらにあちこちのマシーンから放たれるきしむような金属音や、人々の息をととのえる呼吸音がこだましあって、まるで協奏曲のようにジムの中に響きわたっています。女性も多く参加しているためか、エレガントであまやかな香りさえ漂ってきます。熱い空気のせいか、あるいはジム全体を包む統一された意思のようなものが会員たちをよりエキサイトさせるのか、どの人もひたすら体を動かしています。

 それは私にあたかも禅の修行僧のようなイメージを思い起こさせ、そうか、世の中にはこんなに一生懸命に体を鍛えている人がいるのだ、ひとつ頑張ってみるか、とさらにやる気になったのでした。

 幸いジムは夜の10時まで営業していたので、3日に1回程は仕事帰りに立ち寄り、エクササイズマシンや水泳などで体力増進につとめました。その上日常生活も、電車では座席が空いていても立ち、病院ではエレベーターを使わず階段をかけ昇り、自宅から駅までバスをやめて歩くというように徹底しました。まるで24時間、巨人の星のテーマソングがBGMで流れているかの様でした。そのため効果は徐々にあらわれ、体重は5ヶ月間で5キロ減少し、駅の階段も息を切らすことなく昇れるようになりました。

 しかし、単調なトレーニングに飽きは必ず来ます。ジムで重いバーベルを持ち上げている人々を冷ややかに眺めながら、このエネルギーを特殊な自家発電装置(仮にそんな物があるならば)につないで電力を生み出せば、月会費ももう少し安くなるのではないか、などという妄想がふと湧いてくる倦怠期を迎えた、そんなある日のことでした。

 体重もすっかり元に戻り、徒然なるままにエアロバイクをこいでいると、ジムの一角のエアロビクス教室が目に入りました。今までエアロビクスは、男として恥ずかしいとか自分にはできそうもないとかで抵抗感があり、まったく気にも留めていなかったのでした。しかしよく観察してみると、部屋は防音ガラスでさえぎられているために音声を消したテレビ画面をみているようではありますが、大勢の女性に混じって踊る男性の姿もチラホラとみられるではありませんか。

 こんなに楽しそうにフィットネスをしている人々を眺めているうちに、エアロビに対する偏見は雪のようにゆっくりと融けていきました。そうだ、このマンネリ状態を打破するのは、個人の情念を超越した精神的ビッグバンが必要なのだ、ここはひとつトライしてみよう。いよいよエアロビクスへの挑戦が始まったのでした。

 エアロビクスはその強度によってクラス分けされており、初心者用のビギナー、多少のステップを覚えた人のためのベーシックなど比較的簡単とされているものの他に、ランニングやジャンプ中心の激しいものや、まるでダンサーの様な複雑な動きを要求されるものまで、なかなか奥が深そうでした。初めはビギナークラスで練習したかったのですが、時間割が合わないため、しかたなくベーシッククラスの方へ恐る恐る参加してみました。

 スタジオには全部で30人ぐらいの参加者が集まっていましたが、インストラクター嬢の「今回エアロビが初めての人はいますか?」と言う質問に、手をあげたのは私のみでした。不安感にさらに拍車をかけたのは、スピーカーから流れ始めたそのあまりにも大きな音楽でした。インストラクターの声は大音響にかき消されてしまい、何かを指示しているようなのですが、まったく聞き取れません。インストラクター自身もそのことは承知しているらしく(それなら少し音をしぼったらどうかと思うんですが)、踊りながら手でいろいろなサインを出して次の動作を伝えていますが、初めての私にはまるで手話のようで何のことかまったくわかりません。

 しかし他の参加者はその意味を十分理解しているようで、軍隊のごとく一糸乱れぬ動きを見せています。これではレオタードの女性たちに、のほほんとみとれている暇はまったくありません。なんとか周りの人たちに動きを合わせようとするのですが、ただでさえ素早さに問題があるところに息切れが重なって、手足の動きはにぶり、体は小脳失調症のようにフラフラとなり、他の参加者の動作と時間差が生じた結果、衝突してしまうという惨状が繰り返されることになったのです。

 誰かに追われている夢の中で、足が重たくてどうしてもスローモーションのような動きしかできないことが、皆さん経験ないでしょうか。私は今それが現実となっていることに気づいたのでした。いつしかスタジオ内の参加者は、激しいビートのリズムに乗り、飛び散った汗が蒸発した熱気にあおられて、ハイな状態になっているようで、嵐の小舟のように翻弄されている私のことなど意に介さず、ひたすら盛り上がっているようです(しくしく)。

 けれども、ここまできたら途中でリタイアは意地にかけてもできません。なんとか頑張って終わりまでついていきましたが、最後までやり遂げた満足感と共に、合唱で1人だけ音をはずして歌ってしまった時のようなバツの悪さも多少残っていました。

 しかし、シャワーを浴びてジムから出て帰路についたときに、初冬のひんやりとした夜風が少しも肌寒くないことに気づきました。そして驚くべきことにそれは返って心地よいほどで、きっと体がまだアイドリング状態になっているからに違いないと思いました。筋肉の疲労感はすでに頂点に達していましたが、体の細胞という細胞に刻み込まれためくるめくような充実感の前には、たいして気になるものではありませんでした。それはいつの間にか私に、忘れていた登山の時の遠い記憶−長い昇りの後に山頂で味わえる究極の爽やかさ、あるいは厚い霧のカーテンに隠されていた周囲の展望が急に開けてくる時の浮き立つような気持ち−を思い起こさせていました。

 しかし夢見るように帰宅して、当時小学校と幼稚園の息子たちにエアロビクスとはこういう動きをするんだぞと、習ったばかりのステップを自慢げに披露したところ、あっという間にマスターしてしまいました。今まで子供に負けたことはなかったのに、こうして子供は親を越えてゆくのだ(少し大げさか)と悟ったのでした。

 それから3年、故郷の高崎で医院を開業してからもフィットネスジム通いは続けています。もちろんエアロビクスもしていますが、最近はさすがに慣れてきて、インストラクター嬢の「イエ〜イ!」というかけ声に、太い

イエエエエイ!

という声で恥ずかしくもなく返事ができるような余裕もできました。
(別にたいして自慢できるほどのことじゃないけど・・・)。


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