奇跡の生還

■SF商法に遭遇した、サラさんから貴重な体験談を提供していただきました。(文中の文字強調効果は、とおみが追加しました)
■エッセイとして某所で発表済みの文章だそうです。当然ながら著作権は放棄なさっておられませんので、引用や転載は慎重にお願いします。


 ぶらっと駅まで買い物に出かけたところ、商店街のアーケード入り口付近で、箱入りティッシュと何やらサービス券のようなものを配っている五、六人の男女に出くわした。 近寄ってみると、肘や膝用サポーターとソックスの無料お試し引換券で、遠赤外線を放出するセラミックスを組み込んだ製品なのだそうだ。 五、六十代の女の人達を選んで、しかも、忙しそうな人を避けて配っているようだったが、私はつい手を出して、どちらも受け取ってしまった。
 四十人ほどが集まった時、ベテランらしい人が「サポーターの当て方を説明したいと思いますが、ここでは通行人に迷惑になりますので、別の場所で説明します」と言って歩き出した。 狭い路地をぞろぞろと、傘も充分ひろげられず、肩が雨に濡れるのを気にしながら、後についていくと、裏通りにある某ビルの前に来た。  この四階で配ると聞き、「靴を脱いで部屋に上がるの?」と誰かが言った。十人ほどが帰っていった。顔見知りが一人いたが、その人も帰ってしまった。
 何かうさん臭い気はしたが、ここまで来たのだからサポーターは貰いたいと、エレベーターに乗った。
 
 八畳ほどの広さの部屋に入ると、長机があり、くだんの遠赤外線商品が山積みされていた。
 三十代と見える男の人が、先ず「口コミで友人などに宣伝してください。それでこそ無料で配る意味があります。 これらの製品を大勢の人に配ってきたと、メーカーさんに伝えるためにこの場を録音します。ですから、元気な声で返事や答をお願いします」と言った。そんなことぐらいおやすいご用だよ。
 さらに「雨で集まりが少なかった分、品物を余分に配れますよ。元気よく、気持ちよく受け答えしている人に配ってくださいね」と、助手のお姉さんに言った。 すると、おばさん達の、まあ、元気のいいこと、「はーい、わかりました」大きな声を張り上げた。もちろん私も叫んでいた。
 サポーターの当て方の注意点は簡単なことだったが、サポーターやソックスなどに使われた新素材なるものが、温かく肌触りが快く、いかに身体に良いものであるかを、くどくどと説明された。
 そのあと、三、四人の男の人達が部屋の窓や扉を白い幕で覆い始めた。我々は少しずつ間を詰め、部屋の中の方にかたまった。 とても窮屈で、不平の一つも言いたいところだが、沢山欲しい一心で、にこにこ顔で聞いているものの、不安な気持になった。
「話はもういいから、早うくれんかなあと思っておられるでしょう。心配しないで、必ず差し上げます」
 こちらの思いを察して気を惹きながら、
「皆さんが健康で快適に暮らしたいとお思いなら、もう少し話を聞いてください。この品物を使っただけで健康な生活が送れるというものではないのですよ。日ごろの食生活、運動や休養なども大切なことなのです」と、図表を示して健康についての講釈が続く。
 
 時刻が気になりはじめた。袖をめくって、時計を見ている人に、
「興味のない人は、いますぐ退室して下さい」
 なんとも失礼な態度である。何も貰わずに三人が出ていった。人の陰でそっと腕時計を見ると、もう三十分も経っていた。
 やっと、肘用サポーターが一個配られた。箱を見ると、定価二千五百円とある。
「欲しい人、真っ直ぐ手は挙がっているかなあ、元気なさそうだなあ」と言われて、子供のように、サッと姿勢を正して元気よく返事していた。
 次に、定価三千円の膝用サポーターを戴いた。みんな満足げで、その場はますます熱気を帯び、盛り上がってきた。
 磁気と遠赤を併せ持つ腹巻が出てきた。これは一万八千円もするという。
「本当に必要とする人にお配りしたい。時々腰の痛む人は?」
 あれ! 腹巻は数が少なそうだ。全員に行き渡らないかも知れない。みんな負けじと、指先をぴーんと伸ばした腕をつき出して、「はーい」と黄色い声で返事した。
 身体のツボに磁気をあてて治療するという腹巻の効能についても、ふんふんと頷きながら真剣に聞き入っていた。磁気も身体にとてもいいらしい。腹巻の前側に付いた大きい磁石は一個一万円するという。
 
 それから、この狭い部屋にでーんと持ち込まれたのが、磁気治療器である。これには、腹巻に使われているのと同じパワーを持つという磁石が、六十個も付いている。ということは、磁石だけでも六十万円以上するわけだ。
「これは何に見えますか」
「蒲団でーす」
「磁気は五時間当てていてこそ効果があるのです。人が五時間じっとしていられる姿勢は横になることですから、この治療器は蒲団の形状をしています」
 なるほどと納得し、勧められるままに蒲団に足を入れた。温かい、気持ちいい、磁石がついてても軽いねえなど、まわりは賞賛の声。
「これは定価約五十万円ですが、三割引ぐらいの値段でお分けしますよ。高いか安いかは皆さんそれぞれ自分で判断して下さい。 この磁気治療器で快適に暮らすか、一生お医者さんの世話になるか・・・一日四百十円を、二年半節約すればいいんですよ。へそくりの範囲でしょう」
 そういう計算になるのかなあとぼんやりと聞いていた。
高いですか、安いですか」の問いかけに、「安いでーす」みんな躊躇無く答えた。
 今回は限定割引販売をやっていますから、この割引価格の特典を受けられるのはごく一部の人です」と言って、名刺を配りながら、 「皆さんがこの名刺の住所にハガキを送って下さると、厳正な抽選を行い、当選者が決まるというわけです。もし抽選に当たったら嬉しいですか?」の問いに「嬉しい!」と全員真っ直ぐに手を挙げた。
「全員ですか、本当に?」
 頷いているみんなをぐるっと見まわし、少し間をおいてから、
「よし、今日は雨の中を来ていただいたということで、ハガキを出さないでよし、抽選もなし、今、皆さん全員に割引価格でお分けすることにしましょう。腹巻もお付けしますよ。そのまま手を挙げていて下さい」
 と言って、一人一人に確認をとってきた。
 
 ここで、はっと、三十数万円もどこから出したらいいのか、預金の額を計算しているうちに、つぎつぎと四人が買うことに同意し、例の腹巻を手渡された。
 「どうですか」と訊かれて、私が「三十万円はちょっと・・・」と言いよどむと、今まで穏やかに話していたその人は、むっとした顔つきになった。私の意見に引きずられるように、続いてみんな手を下ろした。
「さあさあ、要らない人はお帰りください」と、追い立てられながらも「ソックスは?」と思わず声が出ると、出口で強面の男二人が「はいはい、ソックスとカタログ」と投げるように配り、あれよあれよと思う間に、気が付けばエレベーターの中だった。
「あの四人、もう逃げられないよ。私ね、前にあんな風に高い蒲団を買わされたんよ。二回は騙されへんわ。それにしても、今日は意外と仰山もらったなあ」
 ざっと二時間、狭い部屋で一緒にいた一人が、話しかけてきた。
 そうか。これが密室で高い買い物を強いられたとよく取り沙汰される商法か。初めて気が付いたのだった。
 
 一部始終を聞いた夫は、まだ興奮ぎみの私に
「よう呪縛から逃れたね。君はどうみても従順そうで、その連中、君は絶対に落ちるとふんでたと思うよ。「しまった。金のない奴だったか」と、今頃自分達の誤算に悔しがっていることだろう。 密室で酸欠状態になると、正しい判断ができなくなるというし、時には炭酸ガスを使うこともあると聞いたことがある。よう帰れたな、沢山ただで貰って。 彼らも生活がかかっているから、後をつけられて報復される事もある。ほんまに君は危機感がない」
「お金が無くて助かった。五万円位だったら買ってたかもしれん。断りにくい雰囲気だった。ずっと手を挙げてたし、三十万円は安いと叫んでたし、抽選に当たったら嬉しいと答えたし、ほんま、振り切って帰るのには勇気がいった」
「さくらはいなかったか」
「えっ、さくら? そういえば、初めに買うと言った人がさくら臭いな、人一倍元気で目立っていたから。私も相当張り切っていたけどね。今思うと恥ずかしい。欲に目が眩んで、ああ、恥ずかし!」
「奇跡の生還やな。とにかく、おめでとう」
 
 二、三日後のことだ。車が激しく行き交う道路の向うで、大きな声で呼びかける人がいる。
「奥さーん、この前どうやった? ちゃんと貰えた?」
 あの日、ビルの入り口で帰った、顔見知りのひとりだった。
<終>      
 
(2001.12.3)