2001年2月中国貴州省の旅


2月15/16日(水/木)
 
 
貴陽から広州へ、そして旅の終わり



残り時間後少し、貴陽

10日間の旅もいよいよ残す所この日と帰国の途につく
明日一日となった。

今日は、貴陽の町のシンボルともいうべき
「甲秀楼」と、市場を見学してから、貴陽空港に向かい、
広州へと戻る予定である。


甲秀楼

ここは、明の時代に科挙の試験場として使われていた
場所とのこと。「明清時代」の
面影を残している建物、ということになるのだそうだ。




貴陽市を南北に二分するように流れている川の
中洲にある。すっかり市民の生活に溶け込んでいる
という感じがする。
建物が建てられたこの場所の自然の美しさから
「甲秀楼」と名づけられたのだそうだ。






細工の綺麗ないかにも中国という感じの窓


そして、次は、中国らしい彩色の天井。




(このページの壁紙の模様は、この中から取りました。)



バスの窓から見た貴陽の町




市場







中国に来て、たくさん市場を覗いたけれど、
さすが大都市ともなると、その規模も大きくて、活気がある。
市場での昔ながらの天秤棒に野菜を下げての
搬入や野菜売り、篭を背にした光景も随分と見なれてきた。


そんな光景を見ていると、いかにも
畑から直接新鮮な野菜が、届けられているというのが
実感されていいなぁと、思う。






でも、もうこの風景ともお別れかぁ。全部しっかり
目に焼き付けなきゃ、そんな気持ちで、キヨロキョロしながら歩く。




白い木綿に包まれたままで並べられている
お豆腐製品。



(頂いた写真)
奥さんから御土産として香辛料を頼まれたくまさんこと、Fさん。
「香辛料言うても、何が何やらわかりませんがな。
こんなんで、ええんやろか。」私と、Nさんが、頼りなく、
一応、付き添う。
「ここで買わんと、もうないんと、違いまっか。後が、おまへん。」



「香辛料」とか「漢方薬」など、
すぐ買えそうな気がするけれど、実際は、日常生活の中にあるものは、
そうはうまく買えないものだと、つくづく思う。
観光客用の御土産がメインの「香港」のような所であれば、
たやすいのだろうけれど。



帰りがけ、皆で、写真のモデルになってもらった野菜売りのおばあさん。
何と言う野菜なのだろう。根のある細い葉を何本か束ねで
一束ずつ糸で、縛ってある。それを通りすがりのお勤め途中(?)の
ような女性が手馴れた様子で、下から、すっと、抜いて、お金を
おばあさんに渡して行く。

*写真をクリックしてみてください。







広州(グアンジョウ)



人口は、400万人位。町の様子もグーンと、都会的である。
というより、都会そのものだ。


ホテル着が夕方、4時近くなので、
今日の予定、メインは、月餅で有名な、「蓮香楼」で
一流料理人が作るという本場の「広東料理」である。



ホテルは、「中国大酒店」。
エレベーターが階ごとに分かれており、一階には、ブランド・ショップ
地下にもバーや高級店があるという大きなホテルだ。




部屋に落ち着いてから、夕食までの時間を利用して、少し、
ホテルの周辺をぶらついてみるようかと、階下に行く。
と、そこへもうすでに周辺を一回りしてきたという
「おかあさん」に出会う。1時間近く、歩いて来たのだとのこと。
さすがに、「おかあさん」は、することが早い。



ホテルの隣には、確か、ケンタッキー?があったと思う。
ここには、(少なくともこの周辺には)昨日までの中国の雰囲気は、
まったくない。方向音痴の私は、しっかり、ケンタッキー?と、
ホテルの位置関係を確かめて、歩き出す。交通量が、すごい。
信号はもあるけれど、ないところは、そこに中国テイストが
入るので、おちおち渡っていられない危うさがある。



ここで、事故にあってはいけない、などと心に言い聞かせて、
「田舎のねずみ」のような気分で、道路を渡る。
お店にも何件か入ってみる。
華やかな若者のファッションに、溢れていた。





フィルムがあと数枚なので、写真は、これ一枚に。

ホテルを離れると、心細くなって来たので、結局私は、
20分ほどで引き返した。
しかも、私の探検は、曲がると、戻れなくなると思い、
ただ一直線に進んだだけのお粗末な散策である。
小路を巡り歩いて来たという「おかあさん」とは、大違いである。



蓮香楼



前から、「おかあさん」や、前にここの会社のツアーに参加したことがある
人達が、口々にこの日の食事の楽しさについて言っていた。
特におかあさんは、力説していたものだ。
「ほぉーら、あんた。おもろいでぇー。皆して、笑って、笑って、
料理もどこに入ったかわからん位や。」
「Eさんも、今日は、赤い顔して、踊りよるでぇ。ほら、
怪我してるよって、片手やけどな。」



そんなわけで、そのことでも内心うきうきして
出かけて行った私だった。



料理は、私は、もちろんおいしかった。
食べたことがないものもあり、それは、皆が説明してくれた。
でも、旅なれた人達、中国だけでも何回も来ている人によると、
「うーん、まぁ、今イチやねぇー。ホントにおいしいのは、
こんなモンやない。○○も○○もないしねぇー。」
何しろ、そう数多く食べた事がない私には、わからない。
レストランの人が、一回ずつ丁寧に取り分けてくれる
料理を舌鼓を打って食べた。





出てくるお料理を全部写真に撮りたい位だったけれど、
何しろフィルムが・・・。
これは、あり難いことに、Eさんが、ちょうど送ってくださった
写真からのもの。豚の丸焼きである。広東料理を代表するものなのだそうだ。
子豚の皮に水あめを塗って、あぶり焼きにしているとのこと。
お店の女性達が、その皮を上手にはがして、皆に均等に
分けてくれる。カリカリしていておいしい。
もちろん後でお肉の方も切り分けてくれた。

目のところにワザワザ赤いゼリーの粒二つを入れてあるのが何とも中国的というべきか。
「いやー、こっち向けないでェー。気持ち悪いわぁー。」とNさん。
歌や踊りはなかったけれど、食事は、まあまあ和やかに進んでいた。



その話の流れの中で、
私は、初めて、「奉天」というのが、今の「審陽市」の
ことだとわかる。「へぇー、そうなんですか?」と感心する私に、Fさんが、言う。
「ほら、あんた、手帳は? 書いといた方が、いいんと
違いまっか?」「そやそやあのメモ帳や・・・」と、誰かも合いの手を入れる。
「あれは、あんたの大事な手帳やろ。なぁんでも、書いてたよってな。
これも忘れずに書いとかんと。」
ドギマギ・・・
その手帳は、確かに、この日記の大事なネタ帳なのだ。

「明日、神戸の空港で買う御土産は、『赤福』でっせ。さ、これも
書いときなはれ。」


食事後、「おかあさん」の推薦で、私達は、大挙して、
下のお店で、元祖という「月餅」を買い込んだ。
重いし、トランクにも入らないけれど、もういいや。後は、帰るだけだもの。
月餅は、本当にずっしりと重かった。でも、おいしかった。



「蓮香楼」を出て、バスまでの道を歩く道すがら、「おかあさん」が言う。
「今回は、散々やがな。」
「社長のあの黒眼鏡のおかげで、盛り上がるものも
盛り上げられんかったワケや。」
すると、Nさんも言う。「ホンマやねぇ。何で、食事の席まであんな黒い
眼鏡して来はるのやろう? おかしぃねぇ・・・。」
「そや、ヘンな人や。おかげで、楽しいモンも楽しい出来んかった。」
「へぇー、おかあさんでも、コワイものあるんですねぇ。」と私。
「ちゃう、ちゃう。コワイこと、おまへん。ただ、あんた、食事中まで、
黒っろい眼鏡かけて、ニラみきかせて、得体が知れんやないか。」

私は、普段のその旅の最後の食事の盛り上がりというものを
知らないので、そんなには、感じなかったのだけれど、
確かに、食事中のあのサングラス、そして横柄な態度は、慣れた
とは言え、感じはよくなかった。
そして、「おかあさん」の言うその盛り上がりを経験したかった
とも思う。


ついでに、と、
私は、思いついて口に出してみる。
「私、なんか、あの社長に嫌われてるらしいんですよね。
・・・何だか、わからないんですけれど、話かけても、
返事してもらえないんです。最初の頃に言った冗談が、
悪かったのかしらねぇーー。」すると、Nさんが、言う。
「ああ、○○さん(私のこと)もそうなん。良かったぁ。私も私だけかと、
思ってたわぁ。」
「エレベーターに乗り合わせて、挨拶しても、
社長、そっぽ向くンょぉ。何か、私、悪い事したんかしらんて、
思ってたんよ。」 「そうですか、
 あぁ、良かったあ、私も気にしないようには、してましたけど、
気にしてたんですぅ」と、私。 「それにしても、変な、人やねぇ・・・」
ほっとして、三人で、社長の悪口を言いながら、
裏通りを歩いた。



ホテルに着いて、ロビーにいると、
くまさんが、来て教えてくれる。
「ちょっと、地下のお店に行ってみなはれ。し刺繍の店。ありまっせぇ。」
「あ、Fさん、又、買ったんですかぁ?」すると、くまさんは、大きく首を横に振って言う。
「高い。高い・・・。ま、眼の保養でンな。」
それで、そばにいた、Nさんと、Eさんを誘うともなく、誘い合って
地下に行ってみる。
もう、時間も遅かったため、閉まっているお店もある中で、
数件のお店と、高級なバー(?というのだろうか)が開いていた。

その一つにくまさんが教えてくれたお店があった。
そこで,一足先に来ていたカメラの紳士、Fさんに会う。
刺繍を含めた、骨董関係の品物が、お店一杯にあった。
刺繍は、、、、それは、それは、欲しくなる物が一杯だった。
古い良いものばかりだ。でも、金額は、忘れたけれど、高かった。


その中に、確か、Fさんが、凱里のホテルの御土産店で買ったのと
同じ種類の多分剣河のミャオ族の刺繍も。
それは、額に入って綺麗に装丁されていたし、
時代も違うと思うので一概には、言えないけれど、
えっと、驚く値だったと思う。Fさんに、「ここのは、スゴイ値段ですね。」
と、言うと、Fさんは、嬉しそうに頷いて、
ニコッと笑った。
私達は、くまさんのアドバイス通り、目の保養だけして、
部屋に帰った。



私達の部屋の階のエレベーター・ホールに飾られていた
刺繍の作品。多分、現代作家の漢刺繍なのだろう。でも、
それは、それは、見事なものだった。私達の階には、
これと、もう一枚が。でも、とうとうフィルムが無くなり、
こちらだけを撮る。もし、各階に作品があったとしたら、
他の階も見に行けばよかったとは、後で気づいたことだ。



*写真をクリック




明日は、早朝にホテルを出て、帰国の途につく。
私は、部屋に入り、ドアのそばで、荷物のまとめにかかっていた。
と、隣の部屋のドアが開く音が。隣は、今回は、Eさんである。

お行儀が悪いとは、思ったけれど、ドアの覗き窓から、
ちょっと、覗いてみる。
と、やはりEさんだった。ちゃんと、上着を着込んでいる。
そうか、ホテルの地下のバーが、まだ開いていたもの。

Eさんは、どこのホテルに泊っても、夜一人、フラリと、
近所に飲みに出かけていたらしい。軽ーく一杯ひっかけて
気持ちよく、床につく、というのが、彼のいつものライフスタイル
なのだろう。そして、今日は、ホテルのバーなので、ちゃんと、
上着を取りに戻ったのだ。ドアの覗き窓の前を通り抜けていく
Eさんの後姿が、何か、ほほえましかった。



16日 関西空港で



私の初めてのアジアの旅は、終わった。
たくさんの感動と良い出会いに満ちていて、本当に決心して
出かけて良かったと思う旅だった。


空港で、最後のミーティングをした。
そして、さようなら。
特に「おかあさん」には、伝えたいお礼の思いが
たくさんあったのだけれど、皆と同じように、、、というより、
「おかあさん」とのお別れは、誰とよりも、いともあっさりしたものだった
気がする。最後の最後の別れ際、
「おかあさん」は、「はい、お嬢ちゃん、元気で。」後も振り返らずに
軽く、手を上げて、それだけで、スタスタと去って行った。
ポツンと残された私は、そうか、
「おかあさん」は、こう言う風にさり気ないのが、好きなんだ。
ベタベタしたのは、嫌なんだ。それが、「おかあさん」らしいのかもね。
敢えて、自分にそう言い聞かせながら、立っていた。
もう、これで本当に「さよなら」なのだろうか・・・?


でも、それが、「旅の写真」を通じて、こんな素敵なお付き合いが出来るように
なるなんてね。おかげで、私の旅のいい思い出は、まだ続いている。




この旅をきっかけに次の活動を始めました。
貴州省の刺繍応援サイト