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第10回
小説 紅白の夢

 凍み通る寒さも感じないかのように、殺風景に暗い広場でそこだけ期待に華やいでいる老若の人々。その行列に自分も加わりながら、私は、前方に迫った褐色の堅牢な建物の外壁を恍惚感に浸りながら見上げている。建物の上部に取り付けられて照明に浮かび上がっているのは、卵を三つ並べたような形の金属板で、そこが放送局の音楽ホールであることを示すものだ。私はこのホールの中に入ることに久しい以前から憧れていた。

 大晦日の夜だ。現在のわが国を代表する大勢の歌手たちが会し、一年に一度行う盛大な歌番組の開演まであと三十分ほどを残すだけになった。間もなく開場のようだ。オーバーコートの左ポケットに手を突っ込み、そこにしまってある入場券代わりの葉書をあらためて撫でて確かめる。列が動き出すのを待ちながら、ふと私の頭には不安な閃きが起った。アパートを出るときにビデオデッキのタイマーをセットして来なかったことに気がついたのだ。

 瞬間、驚愕のあまり凝然として倒れそうになるのを、私は辛うじて持ち堪えた。何ということだ。生まれて初めて「紅白歌合戦」の舞台を見られることへの昂奮に、その番組を録画するという毎年の習慣をまるきり閑却してしまっていた。信じ難く、有りうべからざることだった。しかし、録画予約のボタンを押していないことは、どう記憶を辿ってみても否定しようがない事実だった。

 ではどうするのか。今年は録画のことは諦めるべきか。毎年継続してきた「紅白」の記録のうち、今年の分だけがビデオラックから欠落するとすれば、その空虚に自分は堪えられるだろうか。じかに舞台を見る楽しみと引き替えに、ビデオテープで繰り返しそれを再生する楽しみを犠牲にすることが、はたして自分にできるものだろうか。いや、そのような選択を受け容れることはできない。

 電話をして、誰かに代わりに録画を頼むという手はある。しかし、私は携帯電話を持っていないし、今行列を離れて遠くの公衆電話を探しに行けば、戻って来て再び元の列に割り込むことは許されない。

 万やむを得ない事態となった。私は、ビデオ録画をするために直ちに帰宅することにし、生のステージを見ることを断念した。私は比較的恬淡としてそれを決断した。ここにはまたいつか来る機会があるかもしれないが、ビデオの録画は、今日を逃せば二度と無理だ。遠い将来の再放送に期待するわけにもゆくまい。世の中には、私以外にもこの番組を録画している人があるかもしれないが、そのような人に頼んでコピーをしてもらうことはためらわれるし、ダビングを重ねれば画質も劣化してしまう。自らの手で録画するしかない。

 不意に列から離れた私を、前後の人々は一瞬不審そうに見た。その視線を撥ねのけるようにして、私はJRの駅に向かって、なぜか普段より人通りの多い公園通りを足早に歩き始めた。

 番組開始まであと三十分弱であったが、帰宅までにはほぼ同じ時間を要するだろうと思われた。たよりない脚力で駅まで行くのももどかしかった。私はじきにタクシーを呼び止めた。「あの、そこの渋谷駅まで」

 私が乗り込むや否や、運転手は無言で発車した。自分の動悸の音が聞こえた。わけもなく貧乏揺すりをした。運転席の前にある時計の秒針の進み具合がいやに速いのが心もとなかった。

 もう駅に着くかと思う頃、臆病に目を瞠きながら窓外の風景を見回すと、車は私が乗り込んだ場所からほとんど進んでいなかった。渋滞が前方から長く続いていた。歩道では、せわしなく駅の方向に流れる人の波が、私の乗ったタクシーを次々に追い越して行っていた。

 小さな恐慌を来しそうになりながら、私は叫ぶように言った。「ええと、あとどれぐらいかかりますかね?」「さあ。今頃、こう渋滞するのは珍しいな。渋谷駅までならあと十分もすれば着くでしょうがね」運転手は信じがたいほど悠長な口ぶりで言った。「冗談じゃない。それでは歩いたほうが速いではありませんか。すみませんが、降ろしてくれませんか」

*     *     *

 私は駆け出していた。呼吸もできないほど急いで山手線のホームまで上りつめた。帰りの方向の電車が来るまでには随分待たされ、発車してからも車速は堪えがたいほど遅かった。電車は途中の駅に停まると、私を嘲弄するようにいつまでも発車しないのだった。それでも、私が当初見込んだ所要時間を大きく遅れてはいないようだった。

 苛立ちつつ新宿から中央線に乗り換え、自宅への最寄りの駅で降りたときには、「紅白」の放送開始まで二、三分を切っていた。私はアパートに向かって全速力で走りながら、「初めの五分ほどは切れてしまうことになりそうだ」と、焦慮の一方でどこか冷静に諦観してもいた。

 街灯の少ない暗い路地を走っている間に、暑くなってオーバーコートもその下のシャツも脱いでしまった。汗が額から鼻に流れ、顔から血の気が失せて吐き気がした。

 住宅街に入り、コンビニエンスストアの角を曲がったところで、不意に私は看過しがたい事実を思い出した。「そういえば、うちには新品のビデオテープを用意していなかったのではないか?」番組全部を切れ目なく録画するためには、百六十分テープを二本用意しておかなければならない。そのことは予め分っていることなのに、前もってテープを準備しておかなかった。それは、自分の正気を疑うしかない遺漏だった。私はここ数日、テープを買うことも忘れて何をしていたのか思い出そうとしたが、判然しなかった。

 ビデオテープの買い置きがない以上、目の前のストアでテープを買って帰るしかなかった。とはいえ、今やレジを打ってもらう時間も惜しいのだ。そのまま自宅に駆けて帰り、録画済みで不要のどれかのビデオテープに上書きしたほうがよいのではないか――私は子どものように途方に暮れた。「路頭に迷う」とはこういう場合にも使えることばだろうか、などと無意味なことをふと考えて、そのためにさらに思考が混乱した。

 すぐに家に帰っても、不要な百六十分テープがすぐに選び出せるかどうかは保証のかぎりではなかった。しかも、もしそれが見つかっても、そのテープはすぐ録画できるようにきちんと巻き戻しをしてあるだろうか?

 不確定な要素が多すぎた。私は観念して、新品のテープを買うべくストアに入った。店の奥の時計はちょうど番組開始時刻を指していた。万事休すだ。耳の奥で「紅白歌合戦」のファンファーレが鳴った。私は感情の麻痺しかかった重苦しい表情で丸い時計を眺めた。

*     *     *

 ストアを出て夜道を走りつつ、頭の中で、今しもかの渋谷のホールで行われているであろう賑やかなやりとりを、悔しく苦々しく想像していた。「第五十一回紅白歌がっせーん」「さーあ、今年は紅白どちらの頭上に栄冠が輝きますか」アナウンサーや出場歌手の架空のやりとりが耳にこだました。彼らの豪華な衣装、背後の舞台装置が目の前に幻のように浮かんだ。新たに汗が吹き出し、喉が無性に渇いた。

 アパートに着いたのは、放送開始後十分経った頃だった。「早くしないと!」玄関の鍵を焦燥のため何度も合わせ損なった末にようやく開け、靴を乱雑に脱ぎ散らかしながら、ストアの白いポリエチレンの袋から二本のビデオテープを取り出し、上がり口の照明で確認した。すると、それはなぜか両方とも百二十分テープなのだった。「しまった。間違えた」思わず目を疑ったが、もう、取り替えに店に戻るわけには行かなかった。

 部屋の隅に置かれた小さなTVの前に滑り込み、モニターのスイッチを入れると、不自然なほど肌を露出させた衣裳の女性歌手が歌っているのが映った。いうまでもなく「紅白」は始まっていた。しかもそれは新聞の番組表に紅組一番手として名前が載っている歌手ではなく、紅組三番手の歌手だった。すでにオープニングのみならず四人の歌手の舞台を見逃したことになる。

 疲労でどんよりと濁り始めた意識の中で思い当たったのは、今年は放送時間が十分早まっていたはずだということだった。先ほどコンビニエンスストアで時計を見たときに、実はすでに放送開始後十分が経っていたわけだ。私は逆上していて、迂濶なことに、放送開始時間さえも勘違いしていたのだ。つまり、今はもう二十分程度を見逃している計算になる。

 急いでビデオテープの包装フィルムを開けようとするが、開け口がなかなか分からない。フィルムのあちこちに爪を立てて苦闘することで、また一、二分ほどを浪費した。女性歌手は歌い終わってしまった。ようやくのことでビデオデッキにテープを挿入し、録画ボタンを押したのは、放送開始から二十何分後のことであった。

 こと「紅白」に関しては完全主義者の私にとって、冒頭の二十何分を録画し損ねただけで、そのビデオは記録的価値が半減したと言わざるを得ないのだった。私は自暴自棄となり、感情がなくなっていた。

 ところが、よくよくテレビ画面を見ると、この番組は「紅白歌合戦」ではないのではないかという気がしてきた。というのも、画面では見なれた顔の歌手が歌ってはいるものの、どうも大きなホールではなく、TVスタジオから放送しているような印象を受けるのだ。背後の壁面には「2001こんにちは」という投げやりな文字だけがデザインされているのも異様だ。

 「紅白」はどうなってしまったのか? まさか放送中止でもあるまい。先ほど渋谷のホール前に並んでいた人々は、皆「紅白」を見に来たものと思っていたが、あの行列は何だったのか? 別の番組の公開録画のために集まっていたとでもいうわけだろうか?

 私は、今日が大晦日であるかどうかにも急に自信がなくなってきた。それほどしばしばではないが、私はカレンダーを見誤って、一日二日、日付を勘違いすることがある。もしかすると、実は、もう年が明けているのではないだろうか。私はついに今度の「紅白」を見逃してしまったのではないだろうか。その想像は恐ろしいことだった。それとも、まだ「紅白」の放送日である大晦日までには日数があるのだろうか。

 私は的確な判断能力をもたなかった。ブラウン管の中では、ちょうど今、金色の猿のような衣裳を着た奇怪な少年たちがかげろうのように踊っていた。その姿を、私は不吉な寒さに襲われながら、茫然と眺めているしかなかった。

(2000.12.19)


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