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 ことばをめぐるひとりごと  その3

叱られて

 いわゆる受身形というんでしょうか、「殴られる」「蹴られる」「締め上げられる」というような、外部から何かをされることを表す動詞の姿があります。ふつう、このような動詞は、「殴る」「蹴る」「締め上げる」というふうに能動形に直すことができます。ところが、中には受身だけでしか使われないものがあります。

ただの勘だけど、今頃ユウはあたしに会うのが気が進まなくて、約束したのを後悔して、作りかけのビルの一室で溜め息をついているのではないだろうか。間で卓治がとりもったから、ユウはついずるずると情にほだされて、頷いてしまったのかもしれない。(増田みず子「風草」)

 この「ほだされる」は受身形ですから、もとの形は「ほだす」であるはずです。しかし、「あの子の情が私をほだした」なんていう言い方はありません。どうやら、受身専門のことばといえるようです。
 もっとも、古いことばで「ほだす」というのはあって、「絆す」と書きました。これは、引き留めるということです。「ほだし」と名詞になれば、引き留めるものを指します。出家をするときなどに、子どものことが心にかかって果たせない場合、子がほだしになる、などと言いました。
 似た意味のことばで「情に引かされる」というのもありますが、これもどうやら受身形だけで、「引かす」の形はないようです。
 「うなされる」も、受身形だけしかありません。

帰還した兵士たちは夢にうなされ、酒びたりになる者もいれば、麻薬中毒になる者もいるという。(「朝日新聞」1988.2.10)

 「熱にうなされる」などとも言いますが、「うなす」はないんですね。「夢が私をうなす」とは言うことができません。「(熱に)浮かされる」も似ていて、「浮かす」とすると、「水に浮かす」など別の意味になってしまいます。
 調べてみると、こういう例はいくらもあって、「気圧(お)される」「焼け出される」「(身に)つまされる」などがそうです。「(雪に)泣かされる」「恵まれた(境遇)」なども、見方によってはそうでしょう。
 方言では、「叱られる」という意味のことばが、受身形しかない場合があります。群馬県北部で「ヤレル」、千葉県市原市で「コゴチャレル」、君津市で「ヨンマレル」などというのは、いずれも受身形です。香川県高松市では「オッカレル」が「叱られる」の意味ですが、現在は「オック」の形はありません。
 「万葉集」でも、「叱られる」の意味で「嘖(こ)らる」があります。これも「嘖(こ)る」という形では文献に残っていないようです。なぜ、叱られる側からしか言えない動詞が生まれるのか、考えてみると不思議ではあります。

(1997年記)

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