98.10.22
「ようやっと」を尋ねて
前回「気づかずに使っている方言」のことを書きましたが、ある人から「あなたは『ようやっと』ということばを使っているが、それは西の方言ではないのか」という指摘をうけました。
何だって?! そ、そうとは思わなかったけれど……。
指摘されてみると、たしかに自分で書いた文章などには、
ようやっと、万葉語彙の原稿を書きはじめる。午後ずっとかかり、原稿用紙三、四枚である。(1991年)
ピアノは、腕前が拙劣なので何度も失敗した末、ようやっと一定水準以上のものが出来、満足して何度も聴く。(1992年)
このところ、斯く学問以外の雑務で苦しんでいたが、ようやっと区切りが付いた。(1993年)
などのように続々と出てきますから、まあ僕の愛用語なのかもしれません。
「ようやっと」というのは、「ようやく」ということで、たいていの辞書には載っています。『日本国語大辞典』によれば「「ようやく」と「やっと」の合成語」とあり、俳人野坡や芭蕉の句が用例に掲げてあります。江戸では使われていたと考えていいでしょうね。
現代では、どうなんでしょう。江戸で使われていたとしても、今ではもしかすると地方で勢力がある場合も考えられます。
「朝日新聞」での状況を見てみると、1984年以降のデータベースを調べても、たった6件しか出てきません。2年に1回使うかどうかという頻度です。少ないですね。くだけたことばなので、新聞では使いにくいのだろうか。
小説では、壺井栄・北杜夫・野坂昭如作品に出てきます。
マッちゃん、おいおい泣いてみんなが弱っとった。よろずやのばあやんが、ようやっとすかして、得心さしたけんど、みんなもらい泣きしよった。(壺井栄『二十四の瞳』角川文庫 p.109)
医者は――幸い医師の数には事欠かなかった――ようやっと自動車の屋根からおろされて昂奮のあまり手足をばたばたやっている男をその場に寝かせ、(北杜夫『楡家の人びと(上)』新潮文庫 p.100)
「お父ちゃんとお母ちゃんの、ここが墓場や、ようやっと一緒になれたやんか」土くれすくって穴をおおい、(野坂昭如「焦土層」『アメリカひじき・火垂るの墓』新潮文庫 p.116)
壺井栄のは方言(香川県小豆郡)の会話ですね。また野坂氏も関西の作家です。北氏は東京の作家ですが、「よう食べる気がしなくなった」(『母の影』新潮文庫 p.42)とか、関西ふうのことばも頓着せず使う人なので、やや不安を残します。
戦前の小説はどうでしょう。堀辰雄の「かげろふの日記」(1937年発表)に「私はようやっとの思いで口を開きながら」とあります。堀辰雄は東京生まれです。ただ、それ以前の夏目漱石・森鴎外・芥川龍之介・太宰治・志賀直哉らの作品に、「ようやっと」は使われていないのです(索引で確認できる範囲では)。もし漱石あたりの人が使っていてくれれば、僕も心丈夫なのですが、これでは不安が募るばかりです。
ここで、『日本方言大辞典』(小学館)を参照してみます。「ヨーヨト」(岡山・岐阜)、「ヤーヤット・ヤーヤト」(島根)、「ヨーヤラサット・ヨーヤラヤット」(岩手)などの語形が全国で観察されるようですが、詳しいことは依然不明。
井上史雄監修『埼玉県方言辞典』(おうふう)では、埼玉県入間郡で「ヨーヤット」を使っているということです。しかし、埼玉の独特な方言というほどでもないようです。
母が埼玉県児玉郡出身であるため、「ようやっと」を使っていたかと思い、電話で確認したところ、「聞いて分かるが、自分は使わない」ということでした。残りの家族(みな香川県出身)も使わないようです。
いろいろ考えているうち、中学ぐらいの時、北杜夫氏の小説で覚えたのが最初かもかもしれないと思い始めました。『楡家の人びと』に出ていることは上述のとおりですが、北氏はほかにも「けしくりからぬ」とか、「いかなるわけの訳柄か」とか、面白いことばをたくさん使っているのです。暇があれば、もう一度北氏のことばを検討してみたいものです。
追記 おりしも翌日(1998.10.23 8:15)放送のNHK連続テレビ小説「やんちゃくれ」では、祖母役の八千草薫のせりふで
「勝手に学校やめた挙句、人があちこち頭下げて、ようやっと見つけてきた編入試験まですっぽかした子にうちのこと言う資格おません」
というのがありました。関西弁(大阪弁)のせりふなのは偶然だろうか。
追記2 ずいぶん経ってからの追記ですが……。「ようやっと」を使うブログの筆者を、出身地別に分けてみることを試みました。Googleで「ようやっと」「出身地」で検索し、出てきたサイトで「筆者が『ようやっと』を使い、かつ『出身地』が記載されている」ことを確認します。資料となりうると判断した50のサイトの内訳は以下のとおりです。
東京 8(サイトの個数)/北海道 7/千葉 4/広島 4/岩手 3/埼玉 3/秋田 2/新潟 2/神奈川 2/福岡 2/長野 1/福井 1/愛知 1/京都 1/大阪 1/奈良 1/兵庫 1/鳥取 1/香川 1/徳島 1/山口 1/宮崎 1/沖縄 1(本文冒頭の地図参照)
これで見ると、数の上では、東日本:西日本=33:17で、東日本が多いと言えます。上記の文章では「関西」に注目していましたが、むしろ東のほうの使用者が多い。ただ、筆者の出身地は全国にばらけていて、必ずしも東日本方言とは言えない状況です。(2014.09.18)
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