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03.02.15

そんな返答

 前回に引き続き、僕にとって読みとりにくかった文章についての話です。こんどは、子供の文章ではなく、元新聞記者で辞典編纂者の方の文章から、一部分を抜き出します。

ひところ、「公害」が流行語になってしまって、何でも公害の時代があった。当時私は職掌柄、新入社試験の面接を仰せつかり、若い志願者にいろいろ質問を試みる役をした。
 「あなたは、入社後、どういう仕事をしたいと思いますか?」
 「あのー、たとえば『公害問題』などを、徹底的にえぐり……」
 私の内心は、「もう、ご免だ」という気持ちだった。「公害」はいいことではないが、やむを得ないことでもある。多分そんな返答をした志願者は落としたと思うが、「公害」が流行語になっては困るのである。(奥山益朗『現代流行語辞典』東京堂出版、p.15)

 ここに出てくる「そんな返答」が、どんな返答か、よく分かりません。現代文の試験問題でよくある指示語の問題、というやつです。試験の問題文ならば、「『そんな返答』が具体的に書かれている部分を30字以内で抜き出せ」ということになるでしょうか。

 「それぐらいのことも分からないのかね」と、ある人は言うでしょう。「答えは、〈「公害」はいいことではないが、やむを得ないことでもある。〉これに決まっているじゃないか」と。
 しかし、別のある人は、こう言うかもしれません。「答えは〈あのー、たとえば『公害問題』などを、徹底的にえぐり……〉ではないのか?」と。

 順序立てて考えてみましょう。筆者の言おうとしていることを、僕なりにまとめ直してみます。

 公害問題がさかんに叫ばれていたころ、筆者は新聞社で新入社員の面接を担当した。ところが、志願者たちはみんな、異口同音に「公害問題を追及したい」と言う。新聞記者を志しているくせに、この個性のなさはどうだ。筆者はうんざりして、以下のように考えた――。
 1 彼ら志願者は、「公害を糾弾しよう」という世間の流行に追随して、多数派の意見をなぞっているにすぎない。独自の考えがない。
 2 しかし、仮に公害を引き起こした当事者の側に立てば、「公害はやむを得ない」という独特な論理も成り立つのではないか。
 3 もっとも、実際に2のような答えをした志願者は不採用だ。
 4 2のように答えるのは極端だとしても、単に流行に乗ろうとする態度で公害問題を表層的にあつかってもらっては困る。(独自の視点を持ち、腰を落ち着けて取材する姿勢が記者には求められる。)

とまあ、筆者の思いを推測して、いろいろ補ってみたわけですが、誤って解釈しているでしょうか。もし、以上のような趣旨の文章だとすると、「そんな返答」とは、〈「公害」はいいことではないが、やむを得ないことでもある。〉が正解ということになります。

 しかし、原文では、上の「2」の部分が、「可能性としてそのような論理もありうる」という書き方ではなく、「『公害』はいいことではないが、やむを得ないことでもある」と、筆者の持論のように書いてあるので、わけが分からなくなります。その結果、

 1 志願者たちは、公害問題をえぐりたいと言うが、
 2 公害はやむを得ないことでもあると、私は考える。
 3 だから、公害問題をえぐりたい、などと浅薄な返答をした志願者は落としてやったと記憶する

 というふうにも読みとる余地が生まれてしまうのです。かくして、「そんな返答」の意味があいまいになります。
 しかし、これでは、あまりに非常識な考え方になってしまいます。筆者が本気で「公害はやむを得ないことでもある」と考えているとは信じられません。水俣病、イタイイタイ病に始まる戦後の公害病の患者となった人たちがどれほど苦しんでいるかに思いを致せば、「公害はやむを得ない」という意見は(新聞記者の口からは)まず出てこないはずです。
 そんなわけで、ここの部分は「ものの考え方として、公害を追及する側以外の側に立つという視点設定もありうる」という意味だと考えられます。しかし、原文ではそうは読めず、そのまま読めば「私は公害はやむを得ないことでもあると考える」と解釈されてしまいます。
 ここまでを踏まえて、原文を僕の納得のゆくように書き直せば、次のようになります。

 「あなたは、入社後、どういう仕事をしたいと思いますか?」
 「あのー、たとえば『公害問題』などを、徹底的にえぐり……」
 私の内心は、「もう、ご免だ」という気持ちだった。〔だれもが口をそろえてそのような受け答えをするのを聞いていると、うんざりする。「『公害』はいいことではないが、やむを得ない面がある」というような極論を言う志願者が一人ぐらいいないのか、とまで思ってしまう。もちろん、実際に〕そんな返答をした志願者は落としたと思うが、〔人と同じ目で物事を表層的に見ていては新聞記者は勤まらない。〕「公害」が〔一時の流行語として消費されてしまって〕は困るのである。

 これなら誤解がなく、僕もすっきりします。でも、原文を僕のいいようにねじ曲げてしまったのではないかというおそれは、相変わらずつきまとっています。

関連文章=「女子中学生の作文」・「彼等とは

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