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02.10.13

青の洞窟

青の洞窟  前回は、「青い空」と「青空」などの意味が違うという話をしました。しかし、それは「青い」と「青」との意味の違いによるものではなく、「青い・空」と、「青空」という、熟合度、つまりことばが一体化しているかどうかというところから来る違いとも考えられました。
 2単位である「青い・空」と比べるべきなのは、「青空」ではなく、むしろ同じく2単位の「青の・空」かもしれません。ただ、「青の空」という言い方はないので、もう少し比較しやすい適当なペアを探してみましょう。

 イタリアのカプリ島にある鍾乳洞に「青の洞窟」というのがあります。光の加減か何かで洞内が青色に輝くのだそうです。べつに素直に「青い洞窟」と言ってもよさそうなところです。カッコつけてるのかな?
 また、モスクワの「赤の広場」は、ロシア語を直訳したらしいのですが、実際に、その広場にある建物は赤い色をしています。この場所は、「赤い広場」と言われることもあります。
 「赤の広場」と「赤い広場」は、形は違っても同じものを指しています。そこにニュアンスの違いはないのでしょうか。

 「男と女の間には 深くて暗い川がある……」で始まる「黒の舟唄(作詞・能吉利人)は、歌詞そのものには「黒」ということばは出てきません。しかし、曲全体の雰囲気は暗く、たしかに「黒」の色彩がイメージされる歌ではあります。ここでの「黒」は、「陰鬱な気分」といったようなイメージをこめて使われていることばです。
 もし、これを「黒い舟唄」とすると、歌そのものの色彩が黒いという、ちょっと理解しがたい意味になってしまいます。「黒い舟唄」という言い方はできないけれども、「黒を思わせる歌である」という含意で「黒の舟唄」と名づけることはできるのです。

 「○○の」と「○○い」とのペアではありませんが、「豊かの海」と「豊かな海」という対立もあります。「豊かな海」は、魚のよく取れるよい漁場である海です。これに対し、「豊かの海」は、月のクレーターの名前です。後者はもとはラテン語なのでしょうが、日本語訳では「黒の舟唄」に似て、「豊かという概念をイメージして名づけた海」であると思います。
 月の表面は荒涼としていて、水産資源も何もあったものではないでしょう。しかし、望遠鏡で観測したとき、そこに命名者は「豊か」というイメージを感じたのでしょう。「豊かな海」は、実際に豊かでなければなりませんが、「豊かの海」は、実際に豊かであろうがなかろうが、関係ないわけです。

 このあたり、奥津敬一郎氏の文章に示唆を得ています。奥津氏は『「ボクハ ウナギダ」の文法』(くろしお出版)の中で、a「自由な女神」とb「自由の女神」の例を出しています。

a文はウーマンリブの女神たちのごとく,彼女たち自身が「自由」なのであるが,「自由ノ女神」の方はきわめて「不自由ナ女神」であって,マンハッタンの端に立ったまま,200年も動けずに居る。前者は形容動詞,後者は「自由ヲ 象徴スル 女神」の意味で,この「自由」は名詞である。(p.119)

 ここでもやはり、「自由な女神」は実際上自由なのですが、「自由の女神」は、それ自身が自由かどうかはどうでもよく、あくまで「自由という概念をイメージして名づけた女神像」です。

 ここで「青の洞窟」に戻ってみると、おそらくこれも「青をイメージさせる洞窟」というふうに捉えてよいのではないかという考えが起こってきます。「青い洞窟」は、洞窟それ自体が青色であるようなニュアンスがありますが、本来の洞窟そのものの色は黒褐色でしょう。中の水が青色に光るので、それに照らされて洞窟内が青みがかって見えるのだろうと推測します。
 「赤の広場」も、広場の建物が赤いということを重視すれば「赤い広場」ですが、敷地が赤く塗られているわけではない、あくまで周りの建物から「赤」というイメージが喚起される広場であると考えると、「赤の広場」となるのでしょう。

 形容詞「青い」は、それだけでは使うことができず、何か青い対象物がなければなりません。「青い空」「青い海」「青い屋根」というと、その対象物である「空」「海」「屋根」は必ず青いのです。
 それに対して、名詞「青」はそれだけで完結した概念をもっています。そこで「私は青が好きです」というような言い方が可能になります。「私は青いが好きです」というと、「えっ、青い何が好きなの?」と問い返されます。
 「青の洞窟」という場合、極端に言えば、その洞窟は青くなくてもかまいません。名詞「青」は、洞窟と何らかの関係をもっていればよく、洞窟そのものの属性を示す必要はないのです。

 ちなみに、「赤の他人」と「赤い他人」はまったく意味が違いますが、「赤の他人」の「赤の」は色彩ではなく、「まったくの」という意味なので、今回の考察からは省いておきます。
 また、「懐かしいわが家」と「懐かしのわが家」は、前者はふつうの言い方、後者は詠嘆形であると考えられます。「懐かしい」も「懐かし(の)」も形容詞です。


関連文章=「青い空と青空」「「川の魚」と「川魚」

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