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01.06.20

日本語の歴史を歪曲?

 韓国や中国から「歴史を歪曲しているのではないか」と批判の強い中学校教科書『新しい歴史教科書』(扶桑社)の市販本が売れているそうです。僕も、どれどれ、と思って買い求めました。
 一読しての感想は、「これはまた、ずいぶん自国に自信のない人が書いているらしいなあ」ということでした。そのことは、あとがきの「歴史を学んで」に端的に表れています。
 「戦後,日本人は,努力して経済復興を成し遂げ世界有数の地位を築いたが,どこか自信をもてないでいる。」「残念ながら戦争に敗北した傷跡がまだ癒えない。」そして「自分をもつこと」が大切だといいます(p.319)
 しかし、「戦争に敗北した傷跡」といわれても、日本とアメリカが戦争をしたこともよく知らない中学生にとってはピンと来ないでしょう。「日本人は自信を失っている」といったセンチメンタリズムは、むしろ、おじさん世代特有のものではありますまいか。
 自信がないのはあなたがた(著者)であって、われわれ(読者)の多くはあなたがたよりは自信を持って生活していますよ、そうかといって、自信を持ちすぎて周りが見えなくなるほどでもありませんがね。そのように、ぶつぶつ言いながら読んでいました。

 著者は、海外の文化が日本より優っているのではないかと常に劣等感に悩んでいるようです。たとえば、唐の律令制度がすぐれていたという部分で、当時の日本の官僚たちは「これに圧倒されながらも,徹底してここから学ぶという姿勢を基本方針とせざるをえなかった。」と書きます。この「せざるをえなかった」はよけいだなあ、単に「徹底してここから学ぶという姿勢を基本方針とした。」でよくはありませんか。
 口絵でも、日本文化を西洋の文化と比較しています。「興福寺の将軍万福,東大寺の国中連公麻呂などは,イタリアの大彫刻家ドナテルロやミケランジェロに匹敵するほどである。」「(鎌倉美術は)17世紀ヨーロッパのバロック美術にも匹敵する表現力をもっている。」とあります。
 「匹敵する」といわれると、僕なぞはかえって「じゃあ、少しは劣っていたのかな」と怪しみます。「匹敵」というのは、僕の語感では「事実上は互角と言ってよいが、ある面ではやや負ける」という感じがあります。たとえば「プロに匹敵する腕前」というと、「本質的にはアマチュアだが」という但し書きがつきます。日本文化は、西洋に匹敵どころか、西洋の尺度では計れない飛び抜けたものがあると思っている僕にとっては、このような書き方はかえって卑屈に思われます。

 筆先だけの姑息な書き方も目につきます。たとえば「戦争の惨禍」(p.284)では、「中国の兵士や民衆には,日本軍の進攻により,おびただしい犠牲が出た。」「日本軍によって抗日ゲリラや一般市民に多数の死者が出た。」とあります。自然災害じゃあるまいし、ふつうに書けば、「日本軍は中国への進攻(侵攻)により、兵士や民衆におびただしい犠牲を出した。」「日本軍は抗日ゲリラや一般市民を多数殺害した。」となるのではありませんか。なぜ受身表現にして、「日本軍は」と行為者(題目語)を示すことを避けなければならないのか?
 読んでいると、どうも著者の意図に反して、だんだん「日本人は卑屈で卑怯な国民であるなあ」という感想が強くなったというのが正直なところです。

 このコラムは日本語がテーマなので、この教科書に書かれている日本語について、ちょっとあげつらってみたいと思います。
 まず、著者は仮名遣いの知識が怪しいようです。

あおによし 奈良の都は 咲く花の にほふがごとく 今さかりなり(p.54)

とありますが、この枕詞は「あをによし」と書くべきところ。現代仮名遣いに直したのかとも思いましたが、後半で「にほふがごとく」とあり、「ほふ」に「おう」とルビがついているので、姿勢としては歴史的仮名遣いで書こうとしているのでしょう。
 また、

爆撃にたふれゆく民の上をおもひいくさとめけり身はいかならむとも(p.307)

という昭和天皇の歌を紹介したところで、「たふれ」の「ふ」に「」とルビを振ってあるのは間違い。「たふれる」は現代仮名遣いで書けば「たおれる」だから、「お」と振るべきでした。「たうれる」では意味が通じず、ひいては、昭和天皇の意図も読者に伝わらないことになります(ほかにも仮名遣いの誤りがありました。追記参照)

 これらは誤植ということで許容するとしても(しかし、教科書にしては誤植が多い)、見過ごせないのは、「日本語の確立」(p.58〜59)の項の記述です。これでは、中学生に大きな誤解を与えてしまいます。

 この項、まず前半は「万葉仮名」についての説明。いわく――7世紀末の木簡には「伊加(イカ)」「須々支(スズキ)」などの音仮名の例がある。奈良時代になると、「古事記」「万葉集」などで「古比(コヒ=恋)」「乙呂母(コロモ=衣。これも「己呂母」の間違い)」などの「万葉仮名とよばれる音仮名」が出てくる。さらに平安時代になると、万葉仮名のくずし字が発展して「平仮名」が誕生した――
 これは間違いです。まず「音仮名」というのは「訓仮名」に対する概念です。漢字の音を用いて日本語の発音を示せば音仮名(例、「奈久母(ナクモ=鳴くも)」)、訓を用いて日本語の発音を示せば訓仮名(例、「名雲(なくも=鳴くも)」)となります。これらを総称して万葉仮名というのであって、「音仮名」から「万葉仮名」になったわけではありません。万葉仮名とは「「万葉集」に使われている方式の仮名」ということですから、「万葉集」成立以前に使われた同様の仮名も「万葉仮名」というのです。
 ここまでのことを、この教科書よりも正確に書くならばこうなるでしょうか。

7世紀の木簡には漢字の音を用いて日本語の発音を写した例が少なからずみられる。また、訓を用いて日本語の発音を写した例も徐々に混ざりはじめる。8世紀にはこれらの方式で日本語を発音のままに記すことが多くなり、特に「万葉集」などで顕著だった。そこで、これらの方式による仮名を「万葉仮名」と呼んでいる。

 万葉仮名のくずし字が発展してひらがなになったというのは正しい。しかし、ひらがなには訓仮名由来のものもあるので(へ←部、め←女)、「日本人は漢字の音を借りて日本語を表記する方法を確立した」というのは不正確でしょう。

 この部分に続き、後半は「訓読みの登場」について。何かと思えば、どうやら「漢文訓読(くんどく)」のことを「訓読み」と言っているようなのです。「学而時習之」を「学びて時に之を習ふ」と読むのは「訓読」であり「訓読み」ではありません。「訓読み」は、「山」を「やま」、「川」を「かわ」と読む読み方のことで、「サン」「セン」と読む「音読み」に対する概念です。
 「いわゆる訓読みという読み方」「訓読みの例」と、何度も使っていますが、すべて「訓読」のこと。「訓読」の意味で「訓読み」ということばを使っている例は、僕は寡聞にしてほかに知りません。

 そもそも、これらの言語史的事実によって日本語が「確立」したといえるのでしょうか。「日本語表記の確立」「漢文訓読法の確立」ならば分かるけれど、「日本語の確立」とはどういう意味でしょうか。21世紀の今でさえ、日本語は流動しているのではありませんか。また「日本語の成立」ということならば、それは有史以前の話でしょう。

 少なくともこの教科書において、日本語の歴史については「歪曲」されていると考えます。僕は自分の分かる分野について批判をしてみたのですが、他の部分については何とも判定のしようがありません。ただ、上に見たような結果から推測して、この本の他の部分もあまり信用できないのではなかろうかと思います。


追記 この教科書のp.235に与謝野晶子の生涯について触れてあり、そこにまた仮名遣いの誤りがあります。夫・鉄幹の死を歌った歌として

平{たい}らかに今{いま}三{み}とせほど十{とう}とせほど二十年{はたとせ}ほどもいまさましかば

を挙げています。「十とせ」の「十」は、歴史的仮名遣いならば「とを」、現代仮名遣いならば「とお」とすべきところ。「ととせ」の可能性もありますね。
 後輩Sさんが見つけた誤りです。(2001.08.15)

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