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00.03.04

「行かれる」はヘンか?

 ある学生がFM放送を聴いて、「行かれる」という言い方に疑問を呈しました。ディスクジョッキーというのか、その種の番組だと思います。引用が正確かどうか分かりませんが、こう言っていたということです。

旅行に行かれる時間が欲しい(Tokyo FM「FMソフィア」岩瀬恵子 1999.09.29 02:00)

 「これは『旅行に行ける時間』の間違いではないでしょうか」と報告者は言うのですが、いや、「行かれる」でいいんです。「行く」に可能を表す助動詞「れる」が付いているわけだから、昔からある伝統的な言い方。
 もちろん、「行ける」でもよろしい。「行かれる」とはちょっと成り立ちが違うけれど、同じように可能を表します。「行かれる」はまあざっと千ウン百年以上前に祖形をもつ言い方、「行ける」は江戸時代ごろからの言い方、と考えてよいでしょう。
 今では、「旅行に行ける」のほうが一般的になっていますから、歴史の古い「行かれる」のほうが、かえって「誤りではないか」と思われるらしい。ちょっと面白いことです。でも、方言では「行ける」よりも「行かれる」をよく使うところもあるでしょう。
 「行ける」は可能動詞と呼ばれるものです。「買える」「飛べる」なども可能動詞。「これだけの金があれば本を買われる」というより、今では可能動詞を使って「本を買える」と言うのがふつうでしょう。それに比べれば、「行く」の場合、可能動詞「行ける」だけでなく、「行かれる」もまだわりと多く使われるように思います。
 いくつか実例を示しましょう。

 また、イスラム教徒にとって宗教的行事の最中に死ねば、良い日に神に召されたこととなり、“この世の悪魔”と戦う聖戦(ジハード)に参加しているときに死ぬのは最良の日の死で、直接天国に行かれる、と教えられる。(毎日新聞 1996.06.05 p.2)

 十五年前、横浜市の主婦、有原節子さん(六二)は、朝日新聞の「談話室」という欄で、こんな見出しの投書を読み、こころ引かれた。〔……〕住む家があり、食べていかれるだけの収入があれば、女は一人にこしたことはない」
 投書の主は、「東京都練馬区、三津田富左子、七十一歳」と紹介されてあった。(朝日新聞 1999.12.12 p.35)

同じ事を繰り返して言ってぼける前に早くおいでよ(笑い)。こっちは好きな時代を選んで生きていかれるんだよ。この間、渥美清は奈良時代に行くと言っていたよ。淡谷さんは三内丸山が賑やかな時代に帰るって……。(週刊朝日 1999.12.24 p.59〔永六輔・三途の川辺で〕)

「でも、今年は二の酉の日にパーティがあって、行かれなくなりそうだから」(小林信彦『ムーン・リヴァーの向こう側』新潮文庫 1998.09.01初版 p.106)

 注意していると、わりと目にする。「〜て行かれる」という言い方が補助動詞として熟していて、そう簡単に「行ける」に地位を譲らないのかもしれません。
 とはいえ、上記のFM放送を聴いて「これはへんだ」と思う人もいるのですから、次第に「行かれる」も可能の意味では使われなくなるかもしれません。
 これとはちょっと違いますが、今、「(テレビを)見れる、(ピーマンを)食べれる」というような言い方が「ら抜きことば」として嫌われています。これに対しても、何の違和感もない世代が多くなってきた。これからは、逆に「(テレビを)見られる、(ピーマンを)食べられる」という言い方のほうが不自然に感じるという人が多くなるでしょう。

●この文章は、大幅に加筆訂正して拙著『遊ぶ日本語 不思議な日本語』(岩波アクティブ新書 2003.06)に収録しました。そちらもどうぞご覧ください。

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