現在への時評   
                       
                       
  このページは、現在に対して、私が感じたことをホームページを通して表現していこうとするものです。映画や本の感想、あるいは、社会についてなどなるべく固い内容にならないように書いていくつもりでいます。ご期待ください


感じる宗教
 07.1.11
 今日は地域文化論の授業があったが、大涼山のイ族のビデオを見せ、宗教と自然の話をした。自然にあの世を見いだし、神の領域と考える、対称的な世界観では、あの世とこの世の媒介こそが重要な文化になる。それが、シャーマンであり、あるいは供犠であるという話をした。また、自然への感受性というのは、恐れや神秘感であり、見えない世界への感受性でもある。そういう感受性によって対称的な世界観は支えられている。つまり、それは感じるという感受性だ。信じるではない。

 宗教には感じる宗教と信じる宗教がある。自然を神とする宗教は感じる宗教であり、それを否定してあらわれたのが所謂普遍宗教、仏教やキリスト教だ。感じる宗教とは、見えない世界への恐れや神秘感に根ざす宗教だから、おそらくは、人類の発生以来の古さを持つ。その意味では、われわれの身体や無意識やあるいはDNAに深く刻まれているものだ。神を信じなくても、われわれは見えないものを恐がり神秘を感じ取ることは出来るしそれを疑わない。お化けを信じなくても夜のお墓は怖いのである。霊的な世界を信じなくても、「オーラの泉」はとても気になる。そういうものなのだ。感じることを私たちは止めることが出来ないのである。

 日本の文化とも言える宗教感覚は、この感じるところにあると言っていい。だから、教義や神の教えに従った生き方の問題にならずに、見えない世界への感受性にゆだねたものになる。ケガレを忌避し、占いを頼りにし、どんな神でもとりあえずは手を合わせる。無宗教だけれども信心深いのである。

 そういう感じる感性の宗教を生活の規範としていくと、それは少数民族の文化になる。そういうところでは、あの世との媒介者である宗教者が力を持つ。イ族ではビモである。

 日本では江原啓之か?日本の社会はすでに自然を失ったのに、日本人が自然への感じる感性を失っていないのは驚きである。そうでなければ「オーラの泉」が視聴率をとれるわけがないのだ。呪術を信じはしないがとても気になるのがわたしたちの感性なのだ。それは、自然を神としていた時代の精神世界の名残である、というよりは、そこに実は人間というものの本質があるのだと言ってもいい。

 自然への感受性、それは、見えない世界への恐れや神秘感といったもの、それがあるからこそ、言葉が生まれ、人間はこころを豊に複雑にしてきたのだ。文学の源もそういう感受性にある。

 そう考えれば、ああいう番組も馬鹿には出来ない。少数民族文化の呪術的な宗教世界も、現代のわたしたちとそんなに違いはないということなのだ。それを知ること、それが大事である。とまあ、そんなことをしゃべったのだが、何処まで伝わったかは分からない。

 家に帰ったら、BSで大涼山に住むナシ族の村、ウォーヤ村を紹介する番組をやっていた。近くの町から歩いて二日かかるというこの村は周囲と隔絶し、今でも、一妻多夫の婚姻制度がある。これは、男の兄弟が一人の妻を所有するというもので、チベット族にあることが知られている。

 貧しい社会では、大家族は労働力をプールするという意味で保持しなければならない。子どもがそれぞれ結婚し分家すると、労働力が失われ、財産も分割せざるを得ない。それを防ぐために考え出されたのがこのような婚姻制度である。男の兄弟は妻を共同で所有すれば親の家を離れなくてすむのである。

 雲南省電視台の作った番組だったが、けっこう面白かった。まだこういう村が中国にはあるんだなあと思った次第だ。中国のテレビ局も、NHKの作るような番組を作るようになったのである。そのことも感心した。

 町に出て外の世界を知った者は、一人の夫と結婚しその兄弟との結婚は拒否するという。が、外の世界を知らない村ではそれが幸福だったのだとナレーションは語る。この番組の題は「幸福山谷」である。なかなか微妙な面白いタイトルであった。

 ちなみに、ナシ族の葬式と結婚式の場面があった。映像で見られたのは収穫であった。


保守主義革命
とは… 07.1.9
 ワーキングプアという言葉がかなり有名になった。仕事を持っていても生活保護以下の収入しかない層のことである。この層が、バブルの崩壊した頃から社会に出て行った30歳前後に集中していて、その層をロストジェネレーションというらしい。

 NHKで先日特集番組をやっていたが、今週の週刊朝日で、小倉千加子が、ここに出演してもっともらしいことを言っていた大学教授を批判していた。どうやら、ワーキングプアを生み出している側に大学教授は属しているらしく、お前にワーキングプアについて語る資格はない、ということらしい。それならあんたにあるのか、ということになるが、それはおいといて、大学に属している私としても、こころ穏やかならざる文章ではあった。

 こういう社会的な貧困や格差を論じる時に、論じる個人の置かれた立場を問題にするのは間違ってはいない。だが、論理というのは発せられた立場がどうあろうと、正しいか違うかという判断が出来るものだ。だから論理なのであるし、だから、人は論理に従うことができるのだ。ただ、問題はその論理が脳天気なときにその脳天気さの原因として、その論理の発する場所が踏まえられていないというこはよくあることである。そういうことで大学教授が批判されるなら、それは正しい。ただ、大学教授が属している場ゆえに発言の資格を最初から持たないというのは、間違いである。

 別にたいした文章じゃないのであまりこだわることはないのであるが、ただ、気になったのは、大学という産業が資格を乱発して若者に必要のない金を使わせて儲けているという批判だった。この批判は当たっている面もあるし当たっていない面もある。ただ、大学に幻想を抱きすぎてるが故の批判である。成熟した資本主義は、モノではなくサービスを売る。それは大学だって同じなのである。ものつくりの知識ではなく、サービスのための知識を売る。サービスには物としての製品と違って品質の基準がない。だから、その基準を社会の側で作ろうとする。それが資格である。

 言い換えれば、無形のサービスがモノ化してきたということである。大学がその資格を獲得する場になってきているのは、社会人として必要な知識を獲得する場所として当然のことで、そのことをもって大学を批判するのは、どこかに大学というのは高尚な教養を学ぶべきだという幻想があるからである。その資格が役にたっているかどうかは、市場原理が決める。役に立っていなければ大学は潰れる。そういうことである。つまり、大学も必死なのである。だから、大学教授が偉そうなことをいったからといって、偉いわけじゃない。当たり障りのない見解を述べただけである。

 大学が潰れたら、教員はほとんど潰しがきかないから再就職は無理である。とすれば、大学教授だって、路上生活者に絶対ならないという保証なんてないのである。そういう時代になりつつあるのである。それを誰もいい社会と思わないのは当然で、何とかしろよといいたくなるのは、大学教授であろうと、魚屋のにいちゃんであろうと同じだろう。

 それにしても格差社会には困ったものである。原因は明確である。グローバリズム資本主義の流れによって、安い労働力が日本の労働市場に流入したからである。むろん、それは労働移民だけをさすわけではない。労働市場自体が国内に限定されなくなることで、埼玉県の川越で働く人間と、インドで働く人間とが仕事の取り合いをしているということが現実に起こっているということである。

 それなら解決策はあるのか。基本的にはこのグローバリズムとは違う原理の経済構造にしない限りは無理である。が、現実には、国家や地域や生活というのは、グローバリズムではない。だから、ある程度の抑制は働いている。国家は税制によって、世界化した企業の利益を国民に再分配することが可能だ。その税金によってセーフティネットを作ることも出来る。

 地域経済は、相互扶助的な循環構造を持つ。地域が地元の生産物を消費することで地域循環型のささやかではあるが地域経済が成り立つだろう。生活という領域もまた、相互扶助的なネットワークを作り、仕事のない人を面倒見るシステムを作ることが出来るし、また実際に作られている。

 経済界は、法人税を増やすなら企業が日本から逃げ出し、国内産業は空洞化すると脅す。が、実際はそうはならないはずだ。地域や生活領域のない企業などないからで、それを捨てることは、何故企業で経済活動をするのかということ自身の根拠を崩すことになる。そこまで徹底して虚無的に経済活動できる企業はないであろうし、あるのなら早くこの世から出て行ったほうがよい。

 要するに、経済的な領域では意識的に保守的にならざるを得ない、というのが、格差社会への対応策である。それは、地域や生活領域にある、相互扶助的な仕組みを見直すことであり、その仕組みを生かした税制などの国家の仕組みを作ることだ。

 安倍首相は、理念は保守的なのに、経済政策は保守的ではない。むしろ、個人よりも企業の利益を優先させている。その意味では、現代の革命は、グローバリズムに立ち向かう保守主義ということになろう。何とも時代は変わったということか。

 安藤礼二「神々の闘争 折口信夫論」で、イスラム思想や、戦前の北一輝らの右翼革命に注目するのも、中沢新一が、反資本主義としてやはりイスラムやアニミズムに力を入れるのも、それなりの必然性はあるということである。

教員を目指しますか
 06.11.21
 今日(21日)は朝10時半から夕方6時まで会議の連続。いつもながらだが、今日実は、非常勤講師労働組合との団交というものを経験した。むろん私は経営側。まさか経営側に坐るとは思っていなかった(ちなみに数年前私は労働組合の副委員長でした)。これも仕事だ。組合に入ってたときは組合も仕事だと真面目にやった。経営側にいるから真面目にやらないというわけにはいかない。これが社会というものだ。どっちに坐ろうと、私の属す側のためを考えて行動する。そこに権力側だとか反権力だとか変なイデオロギーは介在させない。別に政治活動をやっているわけではない。労働側も、学校側も、それなりにこの厳しい社会を乗り切るのに必死なのだ。イデオロギーで乗り切れるわけではない。

 かつて某予備校にいたときに、講師たちが組合を作った。私は反対した。少なくとも私を含めて本当に生活のために予備校講師をやっているような連中にはとても思えなかったからだ。私の知る範囲の講師は普通に働くのが嫌で講師をしている者ばかりで、しかも、プロ野球選手のような個人営業主だから、所謂労働組合には相応しくないと考えたからだ。むしろ、過酷な労働を強いられている予備校の職員が組合を作るべきで、それをさしおいて、けっこういい給料をもらっている講師が組合を作るのはなんだかおかしいと考えたのだ。

 非常勤講師が安い給料で働いている現状は私も非常勤歴が長いから理解できる。雇用も安定しているわけではない。何とか解決できればいいなと思う。その意味で労働組合に入ることも理解できる。が、個別の事情になると問題は複雑になる。非常勤講師をなるべく安定して雇用したいという大学側の思いが、改組やカリキュラム変更等でだめになる場合がある。今、何処の大学でも起きている問題だ。少子化で大学も生き残りをかけてカリキュラムを変更し、無駄な科目を省こうとしている。そのとき、真っ先に割を食うのは非常勤講師だ。

 解決策は、結局、全国の大学の教員を任期制にして、雇用を流動化する以外にはない。専任と非常勤の雇用形態を近づけていくしか根本的な解決はないのだ。最近、東大から大学院生を非常勤として採用してほしいという手紙が来た。ところが、何処の大学でも、教員歴のない教員は採用しない傾向にある。矛盾しているのだ。まして、労働組合などが出来ると、大学側は専任校を持っている教員を非常勤に雇おうとする。非常勤だけで喰っている者の雇用はますます遠のいていく。厳しいがこれが現状である。とにかく今日本の大学全体が斜陽産業なのである。かつての銀行と同じで、かなりの大学が潰れ、合併・吸収が盛んになり、リストラもあるだろう。専任だからといって安泰ではない。

 これから教員になりたいという人に言っておくが、昔の大学の先生のイメージで考えたら大間違いです。一日でも休んだら補講をしなきゃならない。雑務は多い。研究だって科研で外部から研究費をとってこなきゃ肩身が狭くなる。授業だって、予備校並みにアンケートとられて、順位をつけられる。給与だって、かつてほど高いわけじゃない。休みだって、昔のように長くはないし、研究をまともにやれば休みなんてないも同じだ。そして、何よりも職がない。
これでも大学の教員目指しますか?


抒情の巣
  06.11.8
 今日は電車の中で少しは本が読めた。折口信夫の「歌の円寂する時」を読み、それに関連して富岡多恵子「釈超空ノート」の「ノート10」を読む。改めて「歌の円寂する時」を読むと、「抒情」という概念が案外にあやふやであることに気付く。折口は、どうも、性愛を主題するような歌垣の掛け合い歌を前提にしている。それもありだと思うが、それだけではないだろう。万葉の相聞歌はむしろ掛け合いというシチュエーションを失ったところで成立しているはずだ。やはり、抒情という概念は万葉のところで鍛え直される必要がありそうだ。

 富岡多恵子は、短歌の滅亡を説きながらも、骨の髄まで短歌的抒情そのものである釈超空と、短歌を「奴隷の韻律」と批判する詩人小野十三郎とを対比させる、なかなか面白い文章である。小野は短歌に批判的だが、詩の将来は短歌が左右すると述べる。たぶん「抒情」抜きに日本の詩が成立しないことへの言葉だろうか。

 明治以降、多くの者が短歌はそのうち滅びるだろうと語った。近代という時代に合わない詩型だと考えたからだ。それは、折口信夫も小野十三郎も同じであるが、彼等は、短歌がなかなか滅びないことにむしろやや自虐的になって日本の詩の本質を探ろうとした。それが、「歌の円寂する時」であり小野の詩論であると言っていいのだろう。その前提には、短歌的な抒情は近代には合わないという前提が確固としてある。 が、どうやらそうではない。彼等は近代を誤解したのだ。彼等が思う程以上に近代は近代以前を抱え込んでいる。言うなら、古代と近代は見分けがつかぬほどぐじゃぐじゃと液状化している。折口信夫という存在そのものがそうではないか。そのぐじゃぐじゃに「抒情」の巣がある。そう思う。

 富岡多恵子ははっきりと述べてはいないが、どうもそういうことを言いたいらしいと読んだ。むろん、それは私の読みかたなのであるが。

 さてさて、今日は二部の授業があり帰ってきたのは夜の十時半。今日は車でなく電車だ。夜10時から「その時歴史が動いた」で「遠野物語」の成立をやっていて、ビデオに予約を入れておいたが、今日の「遠野物語」ゼミで学生に今日番組を見ろと言うのを忘れてしまった。絶対に言わなくちゃと思っていたのに、最近こういうのが多すぎる。情けない。


文化は文化に  
 06.10.24
 
最近、津田君からミクシィに誘われたのをきっかけに、俳句日誌をつけることにした。ミクシィは会員しかのぞけないから、ブログの方にそれを載せることにした。こういうのは思いついた当初は面白いのだが、そのうちつらくなる。まあ今のところ何とか持っているが何処まで続くか。下手な俳句は何とか日々生産できている。これも、通勤の長い時間に耐える一つの工夫なのだ。

 時評は、だから時々、真面目に社会的なテーマを書こうとは思うが、なかなか気力が…… 23日の朝日にでていた山崎正和のインタヴュー記事はおもしろかった。この人の良さはもつれている思想の光景に対してとても明解な口調で、実は単純なことなんだと言い切るところだ。

 要するに、美しい国とかいう保守的な主張は、あくまで文化の問題であって政治的な主張そのものにはならないというものだ。近代以降、日本を戦争に導いた国家主義的な思想は当時の進歩思想だった。保守思想ではないというのだ。つまり、文化概念と政治概念を混同すると、冷戦構造の時の、自由主義を保守、社会主義を革新というような分類概念に振り回されて、混乱するだけだというのである。山崎正和の言っていることはその通りだと思った。

 つまり、安倍首相は文化概念と政治概念を混同しているということだ。混同しているから、自分の中の矛盾に気付かない。つまり、政治概念には保守も革新もない。自由主義経済をとるか社会主義経済をとるかといった対立があるだけだ。それを日本の思想は保守革新の対立構造にスライドさせてしまった。そこからややこしくなったというのだ。社会主義が革新だったが、ソ連が崩壊したときから社会主義が保守になった。現在は自由主義経済一色だから、保守対革新の対立構造も成立しないというわけである。

 文化概念の保守性は伝統的な文化への執着になる。そのこと自体、だれにもある感性であり、政治的概念にはなり得ない。なったら、自由主義経済やグローバリズムを否定せざるを得なくなる。とすれば、現在の保守的な傾向とは、保守対革新という対立構造を作り出せないジレンマの一つの解決として、文化概念を無理矢理政治概念にして、一つのイデオロギーにまで仕立てようとしている、と見ることができる。

 つまり本気ではないということである。かつての対立勢力であった社会主義イデオロギーのシンパたちに欠落しているのは、保守的な文化概念であり、それを政治化すれば、いわゆる日本の保守勢力にとって鮮明な対立軸を作れるということだろう。が、もし、本気で美しい国を作りたいのなら、鎖国政策を取るべきである。徹底した自給自足経済をとり、外部の情報を遮断して、自分たちの世界のみが豊であるという幻想を抱かせることだ。何処かの国のようにだ。

 むろん、そんなこと出来やしない。たちまち人口の半分は飢餓で死んでしまうだろう。もし「美しい国」に別の政治的意図があるとすれば、自由主義経済がもたらす悲惨な光景を国民に見させないようにするヴェールの役目か。しかし、今の時代、そんなこと出来はしない。むしろ自分が見たくないから「美しい」というフレーズに酔っていると見ることもできる。

 いずれにしろ、安倍首相も大変だと思う。教育再生を言っているそばからいじめで子どもが自殺し、世界史を勉強しない高校生が大量にあふれかえる。愛国心でいじめが消えるわけでもないし、世界史を勉強しない奴がいなくなるわけでもない。そこには日本という社会の構造的な問題があり、そのことは誰もが知っていることであり、愛国心を言えばいうほど、愛国心が空疎に聞こえることもまた誰もがわかることだ。早く文化概念は文化に戻して、従来の自民党政治家らしい現実主義者になることをすすめる。


ちょっと真面目に考えた
  06.10.13
 どうも毎日通勤していると、教員という感じがしなくなる。授業するのではなく、学校へ行って会議と書類作りばかりだからだ。ようやく秋らしく空気はひんやりとしてきたのに、ちょっとこれは違うなあと思う毎日だ。

 秋はイベントの続く日々で、川越祭りは明日から、共立では学園祭。供犠論の研究会が日曜にあって仙台に出かける。28日はアジア民族文化学会の秋の大会。今年は、長野県富士見町の井戸尻考古館で縄文の文様についてのシンポジウムを開く。懇親会は泊まりがけだ。

 締め切りの原稿は、三浦さんの幻冬舎から出た本の書評を東京新聞に書くことになっている。これ位で、少し気が楽だ。

 世間の話題は北朝鮮の核実験でほぼ埋め尽くされている。将軍様の狂気沙汰という論調だがよく考えれば将軍様は極めて冷静だということがわかるはずだ。北朝鮮のねらいは自国の安全保障だ。国民を餓えさせても体制を保持したいのが独裁国家の思考パターンだ。戦後の歴史を見ればわかるが、核保有国がテロ以外に他国から攻め込まれたことはない。核を持てば少なくともどんな悪さをしようと他国からは攻め込まれない、というのは冷厳な事実だ。

 逆に言えば、核を持たなければ、攻められる危険がある。特にならずもの国家はそうだ。良い例がイラクである。ならずもの国家イラクは核を持っていなかったが故にありもしない嫌疑をかけられて攻め込まれフセイン体制は崩壊した。この出来事を見て、肝を冷やした不良国家は北朝鮮だけではないだろう。そして不良国家はみな共通の思いを抱いたはずだ。やばい!核を持たないといつかやられる、と。

 イラク戦争はその意味で核拡散のきっかけを作った記念碑的な戦争になるだろう。イランも北朝鮮も核開発の動きがイラク戦争をキッカケにしていることは明白だ。考えてみればこれは皮肉な話なのだ。本来イラク攻撃は、大量破壊兵器を所有していることを名目としていた。つまり、核や生物化学兵器の保有を疑いその拡散を防ぐという目的の戦争だった。それが逆に大量破壊兵器を拡散させることにつながったのだ。

 でも冷静に考えれば、現実をきちんと分析せずに、イデオロギーや思い込みで動けば大抵うまくいかないというこれは見本である。ブッシュやネオコン達のイデオローグは、イラクの現状やテロが発生する理由をきちんと分析せずに、武力でひと思いにやっつければ問題は解決すると信じ込んだ。そう信じ込ませた理由が、彼等のイデオロギーへの過信と、武力そのものへの過信であったことは間違いないだろう。

 彼等のお蔭で、イラク戦争は泥沼化し、核は拡散し始めた。20世紀的イデオロギー過信がまだ続いている、ということだ。その実現の方法によっては自らを否定しかねないという法則を含まない理想主義は危険である、というのが、20世紀の教訓だった。その教訓がいかされずアメリカの大統領によって最悪な形で実践されてしまったことが今の世界の不幸なのだ。

 軍事力の脅威を背景に理想主義を押しつけていく戦略がなりたたないことはすでに自明であろう。国連はとりあえず何でも話し合いに持ち込み曖昧な決着をはかることで武力衝突を回避を模索してきた。だがその枠組みを否定したアメリカ方式は、結局、北朝鮮の核実験を準備させたのである。そして、イラク戦争に、何の注文もつけず唯々諾々と従った日本もその責任を担う。

 そう考えていったとき、北朝鮮をそのように追い込んでいったことについての反省が日本に一つもないというのは、おかしなことである。日本が世界から与えられている期待は、武力の脅しに頼らない問題解決の枠組みの提示であろう。少なくとも国連重視の日本はそういう政策で一貫して来たのだが、小泉首相から変わってしまった。

 世界は今日本がいつ自らの核武装を言い出すか注視している。安倍首相は日本の非核三原則は見直すこともあり得ると以前発言している。北朝鮮の核実験を喜んでいる日本のタカ派は多いはずだ。北朝鮮の脅威を利用すれば日本は軍事的にも独立出来ることになるからだ。

 北朝鮮の核実験は、一つのゲームの始まりにすぎない。中国ですら評価は二つに割れている。北朝鮮の核保有はアメリカへの防波堤になるとする考えと、逆に北朝鮮は核を楯に中国に無理難題を押しつけ脅してくるに違いないとする考えだ。つまり、北朝鮮は核を落とす相手を中国にする可能性は充分にある。

 武力に頼る秩序維持はゲームをより複雑化する。対岸で見ているのは面白いが自分の問題となるとそうもいかない。日本はこのゲームに参加して振り回されるのか、それとも、別のゲームを用意するのかそれが今問われている。その時、役立つのが、憲法九条になるかも知れない。


『憲法九条を世界遺産に』を読んだ
  06.10.5
 ある雑誌を読んでいたら、企業で出世するための条件としてストレス耐性があるかどうかだということが書いてあった。つまり、仕事で失敗をした後にそれに落ち込んで立ち直れない奴は企業社会では生きていけないということだ。なるほどと思ったが、ストレス耐性があるかどうかは企業だけではなく現代社会ではあらゆる場面で必要とされる資質だろう。

 この私にストレス耐性があるのかどうか。あんまりないという気はする。失敗したときはけっこう落ち込むし、元気に立ち直ったという記憶はあんまりない。ただ、あんまり引きずった記憶もない。私の場合、ひどく落ち込むがだいたい三日経つとそのことを忘れるように出来ている。これもストレス耐性なのだろうか。だから、落ち込んだときはまあ三日我慢すれば何とかなるだろうと思うことにしている。むろん、三日経って忘れないときも多いのだが。

 ただ失敗は多い。いつも失敗ばかりしている気がする。これは、たぶんに反省というものをきちんとしないからだ。自分の嫌な部分を直視したくないのは誰でも同じで、私の場合忘れるのは得意だが、それに向き合って克服するなんていう前向きの対処は不得意だ。その意味で不経済な生き方をしている。最初失敗したときにちゃんと学習しておけばこんなに同じ失敗を繰り返さなくてもすむのに、と思いつつ、いつもまたそのままほうっておく。

 まあ人生そんなもので、「しょうがない」のだ。「しょうがない」は私の口癖で、とりあえずしょうがねえなあとつぶやきながら自分の失敗や他人の失敗をやり過ごす。怒ったりはしない。とりあえずこんなやり方で何とかうまくはいっている。

 中沢新一と太田光の『憲法九条を世界遺産に』(集英社新書)はけっこう面白かった。確かに憲法九条は思想信条によって護る対象ではなく保護もしくは保存の対象なのだ。九条を消去した憲法改正はバーミヤンの遺跡をダイナマイトで爆破するようなものなのだ。その後にくる精神の荒廃に日本人は耐えられるのか?とこの本は問うている。耐えられるとは思うがやはり空虚感が漂うだろうなあ。

 その空虚感の由来を中沢新一は近代が切り捨ててきた生命原理のような古代性の喪失に求める。憲法九条は純粋であるが故に神話であり、神話であるが故に、発展していく世界の欲望の対極にある本質なのだと言うのだ。そこまで言うか、という感じだが、分からないことはない。太田光の方は、理想と現実のせめぎ合いの中で身動きの出来ない良心の、いわば、捨て身の戦略といったらいいか。どうせ神話なら、もうすでに日本人のアイデンティティそのものと化したバイブルなんだと神話を徹底化し、しかもその日本人はドンキホーテみたいなもんで、このドンキホーテを笑う奴はいても馬鹿には出来ないんだと言っているのだ。

 さてこの憲法九条、わたしたちはこれを保持していくしか「しょうがない」んじゃないか。九条は、戦後のどさくさに奇跡のようにして出来た条項だが、この奇跡には、世界戦争で何千万と死なせてしまったことに後ろめたさを持つ世界の人々の無意識のバックアップがあったろう。そして、解釈改憲の侵略に耐えながら生きながらえてきたのは、やはり、荒唐無稽な神話を憲法に持つ国が一つくらいあってもいいという世界の国々の暗黙の了解がある、と考えてもいい。

 とすれば、この九条の破棄はなかなか勇気がいることだ。ドンキホーテが幻想を失ったら、普通の人になるのではなく廃人になるしかない。だから本の中でも触れられていたが、冷静なサンチョパンサとともにドンキホーテ日本人はこの憲法を、世界遺産として守っていくしかないのだ。憲法九条が無くなると世界が悲しむだろうし、日本人自身が廃人になる危険もある。

 世界が憲法九条のあまりにお人好しな荒唐無稽さを日本に託してるかぎり日本の安全保障は保証されると思われる。無防備でありたいと宣言する国を侵略する勇気を持つ国は、今の世界にはいない。ドンキホーテと本気になって喧嘩する奴がいないようにだ。

 現代世界のように、核のバランスによって先進国の国家間の均衡が成り立つ限り、先進国への武力侵略は起こり得ない。もし起こったらそれが世界戦争になりそれが引き起こす結果(最終戦争)を誰もが知っているからだ。言い換えれば、そのような戦争の不可能さの上に、この九条は起き上がりこぼしのように生きているのである。アフリカの血で血を洗う国家間抗争のただ中にあるような国には九条は成立しないのである。

 つまりドンキホーテが幻想を追いながら生きていられる根拠はそれなりにあるということだ。言い換えれば、日本が世界の核の均衡の一部に組み込まれているからこそ、九条は輝きを帯びているのだ。核を否定する平和思想ということではなく、核という絶望によってしか平和を保持出来ない人間のだめさかげんを、あるいはそこからもたらされる不安を時に癒してくれる象徴として、憲法九条はあるのである。この癒しを失った人間は荒廃していくしかない。武力による均衡によって平和というものは成り立つ、それがリアリズムなのだとうそぶいていられるほど人間は強くはないのだ。

 だから、わたしたちは「しょうがなく」憲法九条を世界遺産のように保護していくしかないだろう。九条があることによって引き起こされる不安より、それを無くすことによって引き起こされる不安の方が遙かに大きいからだ。

人間はほんとうにわからない  06.9.28
 後期の授業も始まり、またあわただしく時が過ぎていく。風邪の後遺症はなかなか抜けず体調は万全とは言い難い。が、それでも仕事は山のようにある。こうやってあっというまに年をとっていくらしい。たぶんあと10年くらいでまともな仕事はできなくなるだろう。10年は早い。10年前に今の職場に勤めたが、あっという間だった。この10年、どんな10年だったのだろう。いろいろあったとも言えるし何も無かったとも言える。鮮やかなのは、ナナを飼い始めて最後を見届ける10年だったということだ。それだけは鮮やかである。

 テレビでアザラシのロボット「パロ」を映画にとっているヨーロッパの監督のインタビューをやっていた。パロは世界一の癒しロボットとして世界の注目を集めている。特に老人へのセラピー効果はたいしたものらしく、その効果は日本だけでなくヨーロッパの老人ホームでも顕著であるという。

 監督はヨーロッパではロボットに人間が癒しの感情を持つこと自体考えられないことであり、この現象は人間というものを考えるうえで重要だと哲学的なテーマをそこに見いだしていた。別に不思議でもなんでもない。かつて予備校で小論文を教えていたとき、こういうテーマの文章を扱い何度も受験生に小論を書かせた。

 われわれにとって他者は本質的にはロボットと変わりがない。たとえそれが家族であろうと。なぜなら、われわれは他者と隔絶している以上、他者の感情や気持ちを本質的には理解できていない。それなのに他者の感情や気持ちが「わかる」のは自分の感情や心を他者に投影するからだ。とすれば、その投影の対象はモノでもありなのである。アニミズムは自然に人間が自分の畏怖の心を投影したものだ。だとすれば、心をもっているかのように動く「パロ」やそれこそぬいぐるみに感情を投影することは基本的には自然な人間の行為なのである。

 60歳くらいの子どものいない夫婦が「パロ」を子どものようにかわいがり、話しかけている映像があった。要するにペットと同じである。相手がロボットであろうと犬であろうと感情を投影できる対象であればそれほどの違いはなくなる。私は、その映像をみながらナナとの10年を思い出した。そして、今はチビに感情を投影している。チビはまだ私になつかないが、しかし、そのなつかないしぐさに可愛らしさを感じる。人間の心の持ち方で感情はどのようにも投影できるのである。

 モノに命を認めない一神教のヨーロッパの人間ですら、ロボット「パロ」に感情を投影しなければ生きにくいほど、現代の人々の心は繋がりを失いつつあるということらしい。やはりアニミズムを殺してしまった文化は、心にとってきついと思う。アニミズムをぬぐいきれない私たちの文化の良さは、一神教のような殺伐さをもたないことだ。自然との互酬的な関係をどこかに保っている。つまり、われわれはモノに感情や心を投影しやすい文化を持つ。言い換えれば偶像を崇拝しやすいし、どんなモノにも神を感じやすい。

 『夜露死苦現代詩』都築響一(新潮社)はおすすめの本である。この中に死刑囚が執行の日に詠んだ句がいくつか出ている。その一つ
      綱
      よごすまじく首拭く
      寒の水
綱とは首にまくロープのこと。ここまで達観できるのは、俳句を通してモノにほとんど存在を投影できるからだ。思想というよりは、アニミズムの徹底した境地といえないか。
      房の蠅
      いっしょにいのって
      くれました
というのもある。宗教的な境地というほど大げさではない。モノとの互酬的な関係といえば別な意味でおおげさかも知れないが、蠅と自分が一体化できる境地には、ロボット「パロ」に癒される老人と同じこころの動きがある、と考えてもいい。モノに自分の感情や心を投影する働きである。

 こういう人間というモノが、哀しい存在なのか、幸せな存在なのかはわからない。感情を移入する対象は、それ自体抽象的な観念ではなく、視覚や聴覚などの五感に反応するモノであることが大事だ。モノやペットで癒される辛さなどたいしたことはないという考えもあろう。が、どんなにすさまじい辛さも他愛のないモノで癒されることもある。人間というのはほんとうによくわからない。


そんなこんなで夏休みが終わり年をとる
  06.9.13
 中国から帰った後、30日から9月1日まで、遠野へと学生を連れて合宿に出かけた。学生の人数は6人ほど。10人以上の予定だったが数が減ってこれだけになったが、おかげで、トヨタのイプサムの新車をレンタカーで借りて行くことができた。8人乗りなので窮屈でもなく、東京から岩手まで、なかなか快適なドライブが楽しめた。去年はハイエースで、ディーゼルだったせいか、振動がひどくスピードも出ない、さすがに疲れた。

 最近の車は、キーを差し込んでまわす必要がない。キーをもっていさえすればボタンを押せばエンジンがかかる。しかし、慣れないととまどうもので、どうしてもエンジンがかからないことがあった。さすがにあわてたが、ただ、ブレーキを踏んでボタンを押さないとエンジンがかからないという、きちんとした手順が必要だということがわかった。

 遠野は学生のフィールドワークとしてはなかなかいいところだ。「遠野物語」の舞台となる地勢、山や川、お寺や神社、歴史、物語の舞台、すべてが何らかの形で残っていて、しかも、案内板も整備されている。語り部のおばあさん達もいる。あんまり整いすぎて、便利すぎて、フィールドワークなのか観光なのかわからなくなってしまう。さすがに、ほとんど知られていない「母也神社」は誰もいかない山の険しい道を上った藪の中にあった。るんるん気分で来ていた学生達を全員引き連れて登っていったら、さすがに、露出した生足を草で切ったり、靴を泥だらけにして、顔を引きつらせていた。この旅行はフィールドワークなんだから、そんな格好でどうすんだと、言いたいのを我慢していたのだが、これでフィールドワークの厳しさがわかったろう。

 この人数だと、二泊三日で交通費込みで、遠野旅行が一人2万5千円でなんとか治まる(といっても運転手としての私の労働代は入っていないが)。学生の中には、これでも高くて参加できないというものもいる。強制ではないので仕方がないが、毎年の悩みである。最近、特に金銭的に余裕のない学生が増えてきた。格差社会という言葉がひょっとしたら、私の受け持つ演習ゼミにも忍び寄っているのかも知れない。

 参加学生が10人を超えると、マイクロバスを借りなくてはいけないが私は大型の免許を持っていないので、運転手付きで借りると高くつく。かといって新幹線で往復すると、5万はかかる。今の情勢だと、5万の出費を学生に強いるのは厳しい雰囲気だ。なら大型免許をとってやろうかと一時真剣に考えた。マイクロバスだけ借りるとかなり安くなる。教員を首になってもそれで食っていけそうだしと思ったが、奥さんにいまさら取ってどうすんのと一喝され、すぐにあきらめた。

 こういうことで、学生を引き連れての遠野合宿もそろそろ出来なくなりそうだ。そもそも、演習で「遠野物語」をやることに少し飽きてきた。これはよくないことだと思っている。あんなに面白い読み物はそうはない。学問の対象としても、文化論から民俗学、歴史、宗教学、文学等といろいろ多様にアプローチできる。が、あんまり整理されすぎて、未知の部分をみつけるのが大変なのも確かだ。

 ともかくも、もう少し遠野に付き合ってみようとは思っている。帰りに花巻の「宮沢賢治資料館」に寄った。これもいつものコース。今年の夏、宮沢賢治学会で発表しませんかという誘いがあった。しかし、その日が中国から帰ってくる日で断った。発表してみたかった。

 遠野から戻り、4日に医者へ行っていつもの血液検査。それから、学校へ行き雑務をこなして、そのままこれで休養ができると山荘に行った。5日に天気がいいので、権兵衛トンネルとやらを通って奈良井宿へ観光に行き、奥さんはなかなか良い塗りの漆器のお椀を買った。ところが、私はたんだんと身体の調子がおかしくなり、次の日、38度5分の熱を出した。風邪を引いたらしい。そのまま、寝込んだ。38度の熱は3日間続いた。こういう経験はめったにない。私はあまり熱を出して寝込んだ経験がないのだ。さすがに、体中が痛み、起きていられない(当たり前だ)。尖石診療所というログハウス風の洒落た診療所に行って薬をもらったがききやしない。

 それでも永遠に風邪は引かないもので土曜あたりから熱が下がり、日曜にはほぼ回復。私は回復が早い。月曜からは仕事である。要するに休みに倒れて強制的に身体を休め、仕事が近づくと身体が元通りになるという、企業にとって模範的な身体にいつのまにか改造されてしまったのだ、この私の身体は。月曜はさすがに休んだが、火曜からは学校に出かけた。まだ夏休みだが私には結構雑務がある。

 そんなこんなで夏休みは終わる。夏休みが終わると私と奥さんは一つ年をとる(誕生日は10月で一日違いなもんで)。また忙しい日々が始まる。慰めは、チビがようやく逃げなくなってきたことか。チビといる時とのささやかな幸福感とかいうと侘びしい人生のようだが、そんなものだ。幸福感は細部に宿る。

 ついでだが、「さよなら絶望先生」(講談社コミック 久米田康治)は笑える。おすすめである。


観光へのエネルギー爆発現場に遭遇
 06.8.29
 27日に雲南より帰国。今回は、歌垣調査というよりは、大理学院との白族文化シンポジウムが主であった。昨年の夏に私と大理学院との人々間でまとめたシンポジウムだが、結構向こう側では力が入っていた。当初心配されていた小泉首相の靖国参拝も問題にならなかった。

 当初、21日シンポジウム、22日・23日歌垣見学という予定だったが、突然歌垣の日程が違っていて、19日からという連絡が入り、シンポジウムを19日にやりたいと言ってきた。われわれは19日成田発、昆明着だからそれは無理である。現地にいた工藤さん達が交渉し、何とかシンポジウムを22日と23日に繰り下げ、20日に歌垣見学とした。

 20日は歌垣二日目のはずだが、行ってみると20日が一日目で、何が正しいのかよくわからなくなった。いったい日程の把握はどうなっているのか、まったく振り回され右往左往の連続であった。

 行きの飛行機も、成田から広州までは日航、広州から昆明までは中国東方航空だが、一日前にその便がキャンセルになったとので後の便に振り返ると、旅行社から連絡。結局、広州では6時間近く待機させられた。広州の搭乗手続きのカウンターに行ってチケットを出すと、これは失効した言うばかりで、その後の説明がない。えっそんなばかな、後の便に乗れるはずだと言うと、これでは乗れないという。メンバーに台湾出身の人がいたので、聞いてもらうと、つまり、別のカウンターに行ってチケットを修正してくればいいらしい。それならそうと最初から言ってくれればいいのだが、言葉が通じないのと、余計なことは言わない無愛想さで、いったんは途方にくれた。これも中国である。

 シンポジウムはうまくいった。アジア民族文化学会との共催だが、一応、国際シンポジウムと銘打っている。日本側は15名参加で、発表者は4名。私は今年から代表なので、最初に挨拶させられた。白族文化研究の初めての国際学会ということで、大理学院の力のいれようはたいしたもので、藍染めのバックに、大理石の壁掛け、それに発表者のぶ厚い資料論文集が配られた。大理石の壁掛けはみな困り果てた。こんなに重くてかさばるものをどうやって持って帰るのか。私は張先生にあげた。中には捨てた人もいる。中国のお土産は、大きければ大きい方がいいという発想があって、しかも、何処の土産物屋でも売っているありきたりのものばかりだ。日本へ持って帰るわれわれの事を少しも考えない。これも昔から変わっていない。今まで、もらったお土産をいくつ中国に置いてきたことか。

 しかし、シンポジウム、特に、白族の研究者の発表はけっこう多様で面白かった。水準も高く、何よりも、外側からでは知り得ない白族文化の奥行きがよく理解出来た。やはり、こういう研究会特に、地元の自民族の研究者が、自分たちの文化研究をするということが必要だなということを身にしみて感じた。このシンポジウムの成果は本にする予定である。それが楽しみである。それにしても、歌垣の会場にある石宝山賓館はひどかった。まず夜は寒く来て眠れなかった。トイレは壊れていて修理しないと使えない。お湯も満足に出ない。辺境の中国をメンバーともども堪能した。

 最後の二日間は麗江での観光であった。行って見て驚いた。まず観光客の多さ。観光街全体の騒音。古城の街のあらゆる通路がおみやげ物屋に変身していた。大理でもおなじだった。要するに、大勢の中国人達が観光にと、世界遺産である麗江にやってきたのだ。これほどのすごさは今年が初めてだ。

 特に中国の若者達が目立つ。古城街では水路を挟んでレストランが並んでいるが、ナシ族やモソ族の衣装を着た従業員とともに、若者達が、店の中から水路の反対側の店の異性の客達に向かって、歌を合唱すると、相手も歌い返してくる。その歌声で街は興奮状態になっていた。さながら、歌垣のようである。ほとんど渋谷で歌の掛け合いをしているようなもので、これも文化である。それにしてもこのエネルギーは凄い。中国社会の内部に溜まっていた観光へのエネルギーが爆発した感じだ。特に、沿海部の中国は夏が暑いので、沿海部の金持の中国人にとって涼しい雲南は避暑地として理想的な観光地なのだろう。日本で言えばアウトレットが出来て始終混雑している今の軽井沢か。

 ともあれ、10名の会員を引き連れ、シンポジウムの計画と発表と参加人員の募集、ツァーコンダクター、観光案内、ほとんど一人でやったこの夏の学会の仕事は無事に終わりとなった。

 毎回行くたびに、いろんなところで中国の人々の欲望が爆発している現場に出会う。今回は麗江だった。それはいいことだと思う。日本もそうやって欲望を爆発させながら、現在の社会を作り上げてきたのだ。いい社会を作ったとは思わないが、欲望を抑えつけられたりあるいは掻きたてられない社会よりはいい。ただし、我々が研究している文化は、この欲望の爆発によって失われるような性格のものだ。だが、麗江の古城で歌を掛け合う若者達を見ると、消費文化の欲望は伝統的な文化の中に無いわけではないことがよくわかる。文化というものは、時代時代によって形を変えるものであることも確かだ。そのことを確認した旅でもあった。 


嫌な雰囲気の夏に心の整理を
 06.8.17
 今年の夏はいやはや暑い。8月の前半は山荘にいたが、オープンキャンパスやらAO入試やらで何度も勤め先に出かけた。信州からの出勤で交通費はかさんだが、暑いよりはましだ。しかし、19日から雲南省に行く予定なので、その準備もあって、15日には自宅に戻り暑い最中にいろいろと準備に追われている。それでも原稿は二本書いた。といっても短歌関係の論で、正岡子規についてと、癌で亡くなられた短歌評論家小笠原賢二についての文章である。だから相変わらず忙しかった

 長野では田中康夫が選挙で負けた。勝った村井仁は、あの村井紀氏のお兄さんだ。もと国家公安委員長である。田中康夫は面白いが何考えてんだかよくわからないところがあるし、思いつきで行動するタイプ。根回しがないとスムーズに動かない日本の組織には合わない。それが期待されたわけだが結局だめだった。小泉と同じで世の中パフォーマンスではうまくいかないというところか。政治は人を動かすところ。自分だけで動いても政治は出来ない。

 私など人を動かすのが苦手だから頼みづらいときは自分でやってしまう。だから私は政治家にはなれない。田中康夫も人を動かすのが苦手なタイプのようだ。こういうタイプは権力に頼るようになる。それが裏目に出たということだ。小泉政治もそうだが、成功したのは、それなりの経験があって、そして組織があって、うまく人を動かしたからだろう。一匹狼の田中康夫とはそこが違う。

 長野で福祉のボランティアをやっている人と話す機会があったが、長野は、住民の自主的な福祉活動に融資する制度がきめ細かいらしく、田中県政のいい所だと言っていた。たぶん、これからこういうところの予算が削られて行くに違いない。果たして長野はこれからどうなるのか。

 15日にやはり小泉首相は靖国に参拝した。総理候補の安部と福田がもっと競っていれば参拝はなかったかもしれないが、福田が降りてしまったので、行きやすくなったのは確かだ。問題は中国の反応だ。22日に雲南でシンポジウムを予定しているので、もし反日機運が盛り上がれば中止ということもあり得る。今の状況ではそうはならないようで胸をなでおろしている。

 最近のマスコミに登場する靖国参拝賛成派の頻度が著しい。これを契機にナショナリズムの攻勢を掛けてきているようだ。その流れにのって、加藤紘一の実家を焼くという右翼テロまでいってしまった。私などは、このようなナショナリズムの攻勢は、つかの間の夢の様な具合に終わるのではないかと思ってはいるが、多少不安なところもある。

 日本が多少保守的になって中国や韓国の反感を買っているとしても、そのことがアメリカのアジア戦略の重荷になり、しかも世界での平和国家日本のイメージにマイナスとなるという意味で、それ以上の保守化は現実的には困難だ。孤立を避けるのが日本の生きる道であるなら、極度の保守化は避けざるを得ないし、憲法改正も難しい。憲法改正の条件は、日本が戦争責任を認める歴史認識を明確にし、軍事国家にならない保証を与えることだ。それなしにやれば日本はアジアで孤立する。保守勢力はそれができないから憲法改正も出来ないというジレンマにある。

 靖国参拝賛成派の主張の根っこには日本の戦争そのものが欧米によってしかけられたものであり、仕方がないものであって日本にそれほどの責任はないという考えがある。アジアへの侵略も、欧米の植民地化をまねただけであり、日本だけが責任を負うというのはおかしいというもので、また東京裁判についても、戦勝国が裁判官として裁くのはフェアでなくおかしいというものだ。

 日本が、江戸末期の開国時に欧米に結ばされた不平等条約を改正させるために富国強兵政策を取り、利権の獲得のためにその同じ不平等条約を韓国や中国に押しつけていった。欧米との生き残りサバイバルゲームに参加したというのは確かだ。欧米の植民地主義は批判されるべきだが、だからといって、侵略や戦争をしかけて何千万の死者をアジアに出した日本の責任が無くなるわけではない。侵略された側にとって、そこにどんな言い訳があろうと侵略は侵略であり破壊され殺されたものの痛みが消えるわけではない。その痛みへの想像力がなければこの問題はいつまでたっても解決しはしない。

 もし欧米の侵略にアジアを守るというのなら、欧米的植民地政策ではないどういう方法が可能だったのか、日本は考えるべきだった。安易に欧米的富国強兵政策を選択した。それは本当に仕方がないことだったのか。実はこの問題は今でも尾を引きずっている。日本は将来アジアとの共同体化なしにはやっていけない。その方法を欧米的な、例えばブッシュの武力民主主義覇権主義に乗っかる形で行うのか、あるいは、EUをまねるのか。今日本はそのイメージを何も出せないでいる。とりあえずはアメリカ方式に従うだけだ。

 欧米方式による植民地化によって始まったアジアのグローバル化は、経済が先行したグローバル化をどのように国家間のネットワーク化として着地させるかそのやり方を見いだせないでいる。明確なのは、欧米方式は簡単には通用しないということだけだ。その答えを出せるのはたぶん日本である。なぜならアジアで日本が一番切実に他国との関係無しには生きていけないからである。中国は自国に膨大な低賃金労働者と、将来有望な消費者を抱えている。とりあえず自国の経済成長で当分はやっていける。その意味では日本が中国を必要としているほどには中国は日本を必要としていない。皮肉にも、一番孤立できない日本が靖国問題で孤立もやむを得ないという方向に向かっているわけだ。

 民主主義と自由経済というグローバルスタンダードを持つ日本が、アジアネットワークの中心になるのは当然だとして、だが、かつての戦争を欧米の植民地主義に従っただけだといっているような責任転嫁や非自立志向ではだめだということだ。欧米がイスラムでやっているようなことではない他国との関係構築のモデルをどう打ち出すか、それは、中・韓との関係構築の問題として最初に問われる。逆に言えばここさえ突破出来れば、日本は世界に欧米方式ではないモデルを提示出来る。

 中国との戦争を当初日本は戦争と認めなかった。戦争とみなしてしまうと、アメリカは戦争当事国への輸出を禁ずる国内法によって日本への輸出をストップするからだ。だから、戦域を拡大しない方針を立てて、日中戦争といわば日支事変と呼んでいた。だが、軍部の暴走で一挙に戦線が拡大し、当時の首都南京攻略にまで突き進んだ。南京にいた国民党軍は軍服を脱ぎ捨てて逃走したため、日本軍は市民を大勢殺した。それを目撃した外国人がその映像をアメリカで流し、アメリカ政府は日本に対する制裁を決断する。先日NHKでやっていた戦争関連番組ではそういう経過だと語っていた。

 要するに、日本は孤立化を避ける方法を知っていたのだが、軍部の中国侵略独走によってそれが出来なかったということになる。軍部は、中国はすぐにでもつぶせると戦線を拡大したが、実は、日本の友好国であったドイツから中国国民党は新兵器を買っていた。日本はそれを知らなかった。情報を軽んじ、客観的な判断の出来ない軍部の言い分を誰も止められず、数百万の命を失うはめになった。東京大空襲は十万人以上の市民が亡くなったが、軍部はNHKに対して空襲警報や敵機来襲の情報をラジオで流すことを禁じた。大阪や名古屋ではラジオで今敵機がこちらに向かっていることをラジオで放送していたという。

 何故、東京で禁じたかというと、天皇にいちいち防空壕に入ってもらうのは気の毒だからということらしい。こういうばかげた事で人の命が失われる。これは今の靖国問題だって同じだろう。冷静で客観的に判断すれば、憲法違反との判断が出ていて、しかも、国益を損なうのが誰を見ても明らかであり、天皇も行けない参拝に固執する意味など何処にもない。魂を祭るなら家でも祭れるし、キリスト教の教会でもお寺でも何処でも祭れる。あるいは、シンボリックにやるならそれこそ宗教色を抜いた施設を作ればいい。かつての軍部のように自分たちの内部の論理だけで他人の意見に耳をかさない今の保守勢力は、どうも危なっかしい。

 東京裁判批判もそうだ。確かに、戦勝国が裁くという問題や、BC級戦犯をあんなに処刑することはないじゃないかという疑問はある。が、それじゃ、当時第三者に任せた公平な裁判が出来たのかというと、それは無理だろう。結局フェアじゃないという批判は、いくらでもフェアに出来たのにそれをしなかったという場合に説得力を持つが、ほぼ世界が二つに分かれて戦争した世界戦争で、第三者によるフェアな裁判は無理だろう。その意味で、東京裁判がフェアじゃないという批判はあまり説得力を持たない。仮に、日本が勝利したら敗者を裁判というやり方で裁いただろうか。たぶんやらなかっただろう。一方的に負けた側を殺していたはずだ。

 もし戦勝国の連合国側が東京裁判をせずに、これは復讐である宣言し敗戦国である日本の主導者や兵隊を銃殺にしていったらどうだろう。ある意味でフェアではないか。やられたらやり返す。戦争とはそういうものだ。文句が言えるだろうか。日本の戦国時代はそうやっていたではないか。ようするに、確かに東京裁判はまともではなかったかも知れないが、当時の状況ではむしろ、裁判という形式がかろうじて成立したことは、復讐の論理で徹底して殺されるよりは少しはましなことだった、と思うしかないということだ。

 15日に戦争を振り返る番組をやつていて、それを見ているうちにいろいろと言いたいことが出てきたので書いてみた。こういうのを書く場所ではないが、たまにはいいではないか。今の日本はあまりいい状況とも思えないし、その意味で心にたまったもやもやを整理してみた。


正岡子規と引きこもりのチビ
  06.7.25
 それにしてもだいぶこの時評の間隔もあいてしまった。一月ぶりというのは久しぶりだ。理由はいつもと同じ忙しい。文科長という仕事は、一応管理職だが、実態は苦情受付係であり、伝達係であり、よろずや相談係である。確かに真面目にやると身が持たない。これでも真面目だからそろそろ身が持たなくなってきている。

 そのせいか夏風邪を引いた。長梅雨で寒さが続いたのと、夏雲南の白族シンポジウムで発表する原稿を書いていたためだ。原稿を書き始めると睡眠時間が短くなるので体調を壊す。冬はたいした風を引かずに乗り切ったのだが、夏に引くとは、しかも、これからようやく夏休みだというのに。

 この一月世の中いろいろあった。レバノンでは戦争だし、北朝鮮はテポドンだし、相変わらず日本では人が殺されているし、安部総理大臣になりそうだし、そして、うちのチビはいまだに何を考えているのかよくわからない。

 人の側に全く近寄らないときもあればすり寄ってくることもある。何かの拍子に心が閉じこもってしまうのか、そうなると、部屋の暗がりに引っ込んでいつまでもじっとしている。心が見えない犬も困ったものだ。だから他の犬なら甘やかしすぎだと言われそうだが、食事の時は食べものを見せて呼ぶのだが、来るには来るが、だから甘えるようになるかというとそうでもない。わがままでいいから傍若無人に振る舞ってほしいと思うが、そんなにはしゃぎもしない。こんなに気を遣うなんて思っても見なかった。

 けれども、小さい生き物だからそこが面白いといえば言える。何を考えてんだかか分からないか弱い存在が側にいるのもいいものかも知れない。それが熊のような生き物だったらただ怖いだけだが。とにかく、わたしたち夫婦はチビの気持ちが今どうなっているかを気にしながら腫れ物を障るように接している。奥さんは、あなたはがさつだからチビの前では静かに歩けだとか、近づくときは背を低くして近づけとかいろいろうるさい。近づいていって逃げ出さなかったときはほんとにほっとする。

「月光」に正岡子規の原稿を書いて送った。書くことないので、その文章を以下に掲載。

 柄谷行人は『世界共和国へ』(岩波新書)で、明治の国民国家成立の必要条件として、互酬的交換(共同体)の世界が想像的に回復されなければならなかったと述べている。市場原理に基づく交換経済の拡大が近代の国民国家を成立させたとは自明なことだが、国民国家というシステムをより互酬的システム(古代的なシステムといってもよい)なしには成立しないと強調したところがポイントだ。

 むろん、互酬交換は古代的なものであるというよりは、それが想像的に回復されるという意味で新しいのであるという含みもある。つまり、現代を覆う世界資本主義といった交換経済の果てしない欲望の追求に歯止めを掛けるこれからの世界のあり方として「互酬的」な世界(世界共和国)が改めて問われなければならないという、それは含みでもあろう。

 国家はそれ自体、自身を維持するための暴力装置を本質として持つにしろ、共同体という、人々の社会生活の相互互助的な仕組み無しにはまた成立しない。近代国家は、より資本主義的交換経済の拡大に見合ったものとしてであるにしろ、絶えず、資本主義とは矛盾した側面を抱え込む。それが、時には、ナショナリズムとして、あるいは、伝統的な美へ
回帰する傾向を生むわけである。

 つまりこういうことかも知れない。資本主義の先にある、というよりは資本主義の限界の先にある社会のイメージが互酬交換的なネットワーク(柄谷の言う『世界共和国』)であるとするなら、それは、それこそナショナリズムや伝統を生み続ける想像力とすれすれのところで構築されるものである、ということである。

 互酬的世界観は、また中沢新一が述べているところの対称的世界観でもある(『カイエ・ソバージュ』のシリーズ)。世界を彼此の二つに分け、神の世として幻想する向こう側との互酬的な関係を、何万年もの間人類は哲学として持ち続けてきたのに、この互酬的関係を壊し、此岸を絶対化することで、この世の欲望を追求し続ける資本主義的世界が成立した。中沢新一はこのようにとらえて、対称的世界観の想像的な回復を説く。

 どうもこのように、「互酬」や「対称」というタームが流行しているのだが、かつてのポストモダニズムがようやく一周して、また、新しい装いのもとで元に戻ったというところだろうか。もともと、ポストモダンの流れの中で古代文学研究や短歌評論を手がけた私には、こういう最近の思想の光景は受け容れやすい。

 実は、このような論理は、和歌の問題としても語れるのではないかと思っている。明治初期に和歌は旧詩型として攻撃されたが、革新運動によって生き残る。和歌という伝統が何故近代国家として出発した日本で継承されなければならないのか。たぶん、和歌が、詩のことばを生成させるそのところで、互酬性もしくは対称的な関係を失っていないからではないか。
 
 最近、正岡子規を読み始めているのだが、この正岡子規の短歌には、新しい時代における詩の表現と、同時にそれだけでは捉えきれない、表現の古代性、言い換えれば互酬性があるのではないかと思っている。
 俳句の革新をだいたいやり終えた正岡子規は明治31年に「歌よみに与ふる書」で和歌革新運動にのめり込んでいく。

 正岡子規の短歌論が、ある特定の閉鎖的な文化空間であった歌壇を打破しようとする気概に満ちたものであったことは言うまでもなく、その閉鎖的で旧弊な和歌を古今集に象徴させ、万葉集を、新しい時代に相応しい和歌として褒めていった。が、何故「万葉集」なのかを子規はそれほど語るわけではない。有名なのは「写生」だが、アララギ派によって観念的な意味づけを与えられるまでの子規の写生は、それほど深い意味内容を持っていたわけではない。ただ、子規は、見たままに見たことを裏切らない描写にこだわった。

 子規は古今的な和歌の欠点を饒舌に指摘していったのだが、それは、「理屈」の歌、すなわちいかにも修飾語然とした修飾によって作られた歌である。いかにも分かってしまう意味としての虚構を嫌い、和歌から、修飾語のあるいは意味の、自己言及的で過剰すぎる虚構空間を拒否したのである。それらは全部あざといものであり、そのあざとさをあざといと思わない感覚の麻痺に、旧弊な時代を見出したのである。

 その思いは、与謝野鉄幹もまた同じだったろう。が正岡子規が与謝野鉄幹等の明星派と違ったのは、修飾や意味のあざとさあるいは過剰さをそぎ落とす方向で、和歌のあり方を考えたことである。与謝野鉄幹や晶子は、鬱屈した恋愛感情を、象徴的な表現手法を駆使しながらむしろ過剰なほどに解放し、新しい時代の精神を示したが、それは、過剰な意味のそぎ落とし出はなく、その時代を生きる精神または感情の型にあう喩や象徴的なイメージの獲得であった。与謝野晶子の歌は、その生き方の能動的な心が修飾的な言葉に勝っているときは、新鮮で感動的であったが、その能動性が失われれば、修飾する言葉のあざとさに主体が負けてしまう。後期の与謝野晶子の歌が修飾のための修飾だとして批判されるのはそういった理由による。

 一方で子規は、技巧的であざとい虚構をそぎ落とすことに表現の価値を置いた。だから子規の短歌観が、ごくシンプルな描写を価値とすることに行き着くのは自然であった。子規は西欧の遠近法の新しさを強調し、日本の絵画における距離感のだめさを指摘しているが、これは彼の俳句や短歌に於ける考えと一致している。「理屈」を排除した、見たままに近い描写を描くことは方法としては新しいのだと考えたのである。

 むろん、子規は和歌表現の価値を「写生」に一元化したわけではない。万葉の歌の本歌取りを積極的に行った源実朝の歌、例えば「大海のいそもとゝろによする波われてくだけてさけて散るかも」を激賞する。この歌は写生ではない。それなりに大仰な修飾がないわけではないが、子規はここに「理屈」はないと読んだのである。このように読めるということが大事なのであって、そこに率直な真情が意味を超えて感じ取れるということを子規は評価している。そこには歌の評価を、言葉の技巧だけで論じるのではなく、表現の向こう側にある存在というものにまで届かそうとする意識があろう。歌の評価も、絵画や文学と同じように普遍的で無ければならぬと考えた、ということである。

 その意味では、子規の和歌革新の方法は、新しい時代の人間の感性に響きあうものであって、その新しい時代の人間の心を動じさせて初めて短歌は表現として自覚され、子規はその自覚による短歌の理想的なあり方を、「理屈」を排除した「写生」にあると考えたわけである。

 ただし、「六たび歌よみに与ふる書」(明治31年)で、文学は合理非合理を論じるものではなく、神や妖怪を描くのにも写生で描くことはあるのだ述べるように、写生とは、何を描くかではなく、そのように描くことの価値であると言うような言い方をする。つまり、写生とは、あくまで方法の問題であった、ということなのだ。
 だが、子規が結核でついに寝たきりの状態に陥り、その「病牀六尺」の世界に閉じられ(明治34・35年)、そこで見た光景を「写生」として歌に読み始めると、方法論であったこの写実の論理は、にわかに、別の様相を帯びてくるように思われる。

瓶にさす藤の花ぶさみじかければたゝみの上にとどかざりけり
瓶にさす藤の花ぶさ一ふさはかさねし書の上に垂れたり
瓶にさす藤の花ぶさ花垂れて病の床に春暮れんとす
  
 これらの傑作とも絶唱とも評価される歌には、明らかに、描写の対象であるささやかな自然と歌い手との間に互酬的な関係が成立している。斎藤茂吉が「写生」を「実相観入」と評したように対象に本質を見る方法とか、あるいは、対象のみを通してこちら側の心を伝えることとかいろいろと言われるが、ここで生起したのは、言葉によって、歌い手と表現された対象とが、此岸の歌い手と彼岸の対象という対称的な世界もしくは互酬的な関係に別けられたということである。

 別な言い方をすれば、歌い手にとって「藤の花」はあの世(神の世)としての自然なのであり、その自然にある意味では選ばれた自分とが、その自然との対称的な関係以外の世界を消去し得たということである。その消去は、「理屈」を排除してシンプルな描写にこだわる「写生」の方法が可能にしたものだが、この「写生」はいつのまにか、子規の歌において、対象としての小さな自然(だがそれは宇宙とも言える)との互酬的、もしくは対称的な世界を構築してしまったのである。

 ここで言う互酬的とか対称的というのは、自然を外部として畏怖する共同体的な生活形態の中で形成されたものだが、和歌(俳句)はこのような世界観を伝統としてかかえこんでいたのであって、その意味では、その伝統が、子規の病床の短歌において「写生」の装いのもとに想像的に回復されたのだと言ってよい。

 その意味において近代短歌が、子規の「写生」を一つの起点として出発したのは当然だった。近代国家は互酬性を必要としたのであり、「写生」は、方法としては革新的でありながら、その本質において互酬的な世界を人々に与える方法として広がって行ったのである。

「海を飛ぶ夢」と正岡子規
 06.6.25
 最近チビと顔を会わせる時間がすくないものだから、チビはまだ私に慣れない。ナナと違ってチビは雷や花火の音には無反応なのだが、私が何かを床に落としたりするとその音に驚いて逃げ出す。雷などには驚かないのに日常のちょっとした音に敏感なのだ。どういう基準なのかよくわからん。今朝財布を床に落としたものだから、一日チビは私を警戒し寄りつかなかった。夕方散歩にいったが、並んで歩こうとすると、必死になって私から遠ざかろうと身をよじる。私が二階にいると一階に行き、一階に行くと二階に行く。まったく悲しい話だ。

 通風の腫れはようやく治まった。先々週の月曜に大腸の検査に行ったのだが、その折り医者が特効薬だと言ってくれた薬がさすがに効いた。大腸の検査とは前々から受けなくてはと思っていたのだが、ようやく重い腰をあげたというわけだ。内視鏡の検査だが、麻酔を使うのでほとんど苦痛はない。最近は進歩したものだ。だが、ポリープがあると言われた。組織検査の結果は来週ということで、その次の週までの一週間はなかなか落ち着かなかった。医者は良性だろうと言うが、結果が出るまでは落ち着くものではない。特に、私などはいつも最悪を考える習慣が身に付いているから、気分の優れない一週間だった。結果は良性で、時々検査の要ありということで一段落したが、いろいろと考えた一週間だった。

 正岡子規の「病床六尺」を読んでいたのも良くなかったかも知れない。この随筆を書いている子規は、次の年に自分は生きていないであろうことを知っている。そして次のように書く。「死生の問題は大問題ではあるが、それは極単純なことであるので、一旦あきらめてしまえば、直に解決されてしまふ」。なかなかこう言えるものではない。むろん子規があきらめていたとは思えない。あるいはこうも言う「余は今まで禅宗のいはゆる悟りといふ事を誤解していた。悟りといふ事は如何なる場合にも平気で死ぬる事かと思っていたのは間違ひで、悟りといふ事は如何なる場合にも平気で生きて居る事であった」。

 子規が病床で平気で生きていたわけではない。毎日患部の包帯を取り替えるたびに痛みで絶叫し倍ものモルヒネを飲む。が、そうでも精神の落としどころを揺るぎなく持っていたとは言えるだろう。それがあきらめなのか悟りなのかはよくわからない。どっちでも同じ事かも知れないが、ただ、苦痛に絶叫しなければ居られないような生の中で、社会や日常の生活世界への関心あるいは好奇心を最後まで失わなかったのは、精神は前向きであったからで、むしろこの方が凄い。

 最近見た映画で「海を飛ぶ夢」というのがある。スペイン映画で、いろんな賞を取った映画だ。事故で寝たきりになってしまつた主人公が、家族の暖かい看護に支えられながらも、尊厳死を訴え、ついに周囲の助けを借りて自殺するというものだ。生と死を考えさせる感動の映画だという評判だが、確かにいい映画だとは思うが、私にはあまり納得の出来ない映画ではあった。兄や義姉、両親や弟の手厚い看護を受けながら、尊厳死を認めさせる裁判を起こし、世間からは、看護が悪いのではないかと家族が疑われる。

 家族は嘆き悲しむ。それはそうだろう。世間からは誤解されるしたとえ寝たきりでも生きていることの重さに誰も逆らえないから看護しているのに、本人は生きている意味はないと言うのだ。この場合、大事なのは、自分にはもう生きる意味はないと言っているのではなく、こういう状態の人間には生きる意味はないから死を認めろと言っていることで、つまり、生きるのが嫌になったからではなく人間性の尊重という理屈で自殺を主張する。自分を、普遍的な人間とみなしているのだ。だからボランティア団体が人間性を守ために彼の自殺を助けるのだ。が、家族にとっては、彼は普遍的な人間ではなくただの家族に過ぎない。そのギャップを誰も埋めようとしないし気づきもしない。この映画の投げかける問題の本質はそこにあるのだが、この映画は残念ながらそのことに気づいていない。

 兄がお前は自分勝手だと主人公に怒る場面がある。この怒りは重い。介護をするのは理念でも何でもなく、身内にそういうものがいたらそうせざるを得ないからだ。そこに関係というものの重さがある。少なくとも主人公は、この関係の重さの側から自分の生を見つめているとは思われない。もし、家族の負担を思いやるための死の決意なら、そう言えばよい。が主人公の死の決意は、自分の力で生きられない人間は生きる価値がないというところにあるとしか見えない。その意味で、この映画は、尊厳死に焦点を当てすぎている。その発想は、どこかで自立していない人間は生きる価値がないという西欧の危うい思想を思わせる。

 正岡子規は、生死の問題はあきらめれば直に解決がついてしまうと言ったその後で、自分を看護する妹律の悪口を書き連ねている。この文章も凄い。よくやってくれるけれど律は教養がないから話相手にならなくてつまらない、これからはこういう時のために女子教育が必要だなどと書く。フェミニストが読んだら怒りそうな文章だが(実際に渡辺澄子氏がかなり怒った子規批判の文章を書いている)。看護するものに感謝の念など書こうともしない。

 死ぬことがわかっている人間の苦痛に満ちた生活の中での発言だが、しかし、精神の冷静な子規にしては言い過ぎだろうと誰もが思う文章だ。むろん子規を弁護する気はないにしても、本心はわからないにしても言ってはいけないことを言っているこの文は、子規の弱さを示してはいよう。が、たとえ家族であっても、死にかかっている人間を看護することとは、人間の優しさや尊厳、あるいは看護するものとされるものとの愛情などというきれい事ではない問題があるというリアリズムを読み取ることができる。少なくとも、子規は、この期に及んで自分と家族との関係の複雑さ重さをそのまま描こうとしている。これもまた凄い。

 子規は余りの苦痛に自殺しかかったことはあるにしても、限られた生という宿命を受け容れ、看護するものの悪口を言いながらもその生を平気を装いながら懸命に生きる。一方、「海を飛ぶ夢」の主人公は、家族の暖かい愛情に包まれた看護を受けながら、人間の尊厳のために自殺させろと訴える。このよう比較すると、「海を飛ぶ夢」の主人公はいい気なもんだと思ってしまうのは私だけだろうか。

サッカーは負け司会も失敗 06.6.13
 サッカーはオランダに負けて当然だった。日本の一点だって、あれは反則だろう。なんて言うか、日本代表はかっこよくサッカーをやろうとしすぎる気がする。ワンタッチでパスして前線にまわすのは確かにかっこいいが、最後に相手にパスしてどうするんだ、というような場面が何度かあった。オーストラリアの方が泥臭く試合していた。最後の運動量は相手が勝っていた。スポーツというものの基本のところで負けていた気がする。

 相変わらず通風の腫れは引かない。もう三週間になる。どうやら一ヶ月はかかりそうだ。足を引きずりながら仕事をしている。人に通風で足が痛いというたびに贅沢病だと判を押した様な答え。いったいこの反応は何なんだ。今時、贅沢病はないだろう。贅沢な奴は、値段の高い魚や無農薬野菜を食べて健康に気を遣う。貧乏な奴や忙しい奴は、コンビニでカロリーの高いファストフードや弁当で食事をすませる。今は、貧しいか忙しくてストレスの高いものが通風になる。

 だからこの一ヶ月はほとんど鬱状態だ。6月3日は古代文学会の例会で「環境論」のシンポジウム。私は司会だったが、ほとんど司会としての役を果たさなかった。発表者のお二人に迷惑を掛けた。ただ、発表者の話はとても面白く、資料も充実していたので、会場の参加者は満足しただろうと思う。問題なのは話をきちんと整理しきれなかった私である。

 問題点の整理はそんなに難しいとは思っていなかったのだが、両者の話、特に北条氏の話を聞いて、いろいろと考えてしまったので、司会としての頭にとっさに切り替えられなかったのが原因である。北条氏の出した、「伐採抵抗伝承」とも言える「木鎮め」や「木霊婚姻譚」が、中沢新一が言う人間と神(自然)との対称的な関係とは違う、それを超えうる可能性を孕むという解説を聞いて、それはどういうことなんだろう、と考えながら司会をしたもんだから、司会にならなかった。ただ、質問者がそこはフォローしてくれたので、何とかシンポジウムとしてうまくいったように思う。

 互酬的な関係を欺瞞として退けることは、ある意味では、開発を支えるこちら側の欲望の肯定につながる。だが、北条氏は、樹木の立場を思いやるような心性がそこにある限り、そこに互酬性でもないかといってこちら側の一元的な欲望の肯定でもない、可能性があり得るのだと、そういうことらしい。当初のそのイメージ上手くつかめなかったのだが、最近何となく分かってきた。なんだそれって和歌の心性じゃないかということだ。

 私は、短歌を、ローポジションでハイテンションの詩型だと常々言っている。超越的な高みに立たないで、地上的な位置から「情」のたかぶりを表現の力としていく。「情」とは、他者による憑依、もしくは他者への憑依の心の動きである。とすれば、「伐採抵抗伝承」は「情」によって関係づけられる他者としての「樹木」との物語ということになる。一見互酬的に見えるが互酬的でないのは、詩の表現とは、互酬的な世界を前提としつつも、その行為自身は、互酬的な関係にある他者の喪失の上に成立するものだからだ。別のいい方をすれば、互酬性を失ったからこそ、互酬性を想像的に回復する(柄谷行人の言い方)行為として、詩の表現が成立するということだ。

 最近、清水正之『国学の他者像』(ぺりかん社)を読んでいるのだが、本居宣長もまた、同じ問題につきあたっていることがよく理解できた。宣長がすなおさとしての「情」を価値化していくのは、唐才としての超越性とは違うところで、私の言い方でいえば、地上的な位置からでも可能な普遍性の有りどころを探っていくと古代的な「もののあはれ」としてのハイテンションで素直な「情」に行き着くしかなかつたのだ。だが、それは、超越的な高みに立たないから理想とされたのに、唐才に対抗させた途端に高みにたつイデオロギーになる。そこにジレンマがある。

 たぶん北条氏は高みに(私の言い方で言えばハイポジションに)立たない普遍性を探している。そのことはよく理解できた。ただ、互酬的な関係それ自体を全部欺瞞といいきってしまうことはどうか。人間は失われた互酬的関係を想像的な回復しないと生きていけないという面もある。そこまで否定してしまうと、いつたん人間の欲望を全部肯定しないと(悪人正機説みたいに)救われないなんてことにならないか。

 そこはなかなか難しいところである。彼岸と此岸との二項対立を幻想しないと生きていけない人間を、この世の生産関係によって観念は変わると唯物論的に処理するのではなく、この世の側の問題であるにしろ、この世の側での問題としては処理できないという自明なこと、それはこの世に抱え込んだ異和そのものでもあるが、それを、ニヒリズムに陥らない方法でどう対象化し、どう表現し、そして、どう共有していくのか、そういう試みの中にしか解決はないだろう。

 解決の無いことを共有することによる解決、というようなこと。なんだか悪人正機説に近くなってきた気がするが、たぶん、北条氏の言わんとしていることを、私の側に引きつけて読み替えてしまえば以上のようなことになろうか。

交換経済のストレス 06.5.28
 連休が終わって、一日のんびり家で過ごしたことがない。平日はほとんどサラリーマンのように(サラリーマンにはちがいないが)学校へ出かけ、土日は学会等でまた出かける。5月13日(土)はアジア民族文化学会の11回大会。自分たちが作った学会だが、よく11回までもったと感心する。6年目にはいったわけだ。それなりに需要があり、また質の高い研究や資料を提供してきた成果だと思う。ただ、参加者がすくなかったのは反省すべき点。広報を考えなくては。特に、鹿児島県博物館黎明館の川野和昭さんのラオス稲作神話の発表は好評だった。もっと大勢の人に聞かせたかった。

 14日は、恒例の、ゼミの学生を連れての歴博訪問。14名の参加だった。民俗学コーナーを見学し、夕方は食事会。どうもまだ始まったばかりの授業でお互い会話が弾まない。こんなに寂しい食事会は初めてだった。未成年もいるということで酒は飲まないのだが、やっぱりアルコールがないとだめなのか。といって酒を飲ますわけにもいかんし、いろいろと疲れる。

 次の土日は、高岡での上代文学会の大会。実は、前日に通風の発作が出て、足が腫れてしまった。我慢できる程度の痛さなので、何とか鎮痛剤をのみながら出かけた。毎年一度、一日か二日ほど軽く腫れる程度に出るくらいだったので、油断してしばらく薬を飲まなかったのがよくなかったのか。医者に言わせるとストレスが引き金になるという。まあ生きていることがストレスだと思っている私にとって、特に何がストレスなんてことはわからないが、やはり文科長になって休みなく働いているのはストレスのようだ。足を引きずりながら高岡に出かけた。

 一応私も理事だし、こういう機会でもないと顔をださないのでなるべく上代の大会には参加しようと思っているのだが、やはり、行けばいろいろな人と会えるし、夏のアジア民族文化学会企画の旅行とか、古代文学会の企画のこととか、情報交換が出来た。人と会うということがいかに大事かということよく分かる。通風をおして出かけてきてよかった。

 次の土日は実は、かつての仲間との旅行があって、石和温泉に行く予定だったが、27日は大学での高校教員への進学説明会が入って出席せざるをえなくなったのでキャンセル。さらに、6月3日土曜に行われる古代文学会のシンポジウムのプレ発表をやるということで、27日仕事が終わったあと北条さん達の研究会に出かけた。実は、まだ通風の痛みは治っていない。上代の大会から帰ってから一週間足を引きずりながら毎日仕事をしていた。

 歩けないのでこの週は車で通勤していた。一日二千円の駐車場に車を入れて高速を使ってかなりの出費だが、休むほどの病状もないので仕方がない。金曜日、川越のインターを出ようとしら、いきなり軽い接触事故を起こしてしまった。相手が降りてきてがなり立てるものだから、思わず頭に来てこちらも怒鳴り返した。こういうときは冷静にならなければならないのだが、私もまだ若い。

 私がちょっと左に寄ったら、後ろから猛スピードで来た車の後ろのドアに接触してこすった程度の話で、保険会社を介せばすぐに決着する話なのだが、これが長引いた。事情はいろいろあるが、後から感じたことは、相手がけんか腰に来たときには結構私も同じようにけんか腰で対応するということ。私は元過激派だから、若いときはそうだったけれど、まだそういう反射神経が残っていたことに、感心するというか、いい年をして情けないというか、まあ複雑なところだった。

 ふだん、人は私のことを怒ったことがないでしょうと言う。穏やかな人間に見られている。実は違う。告白すると昔小さな塾で言うことを聞かないで騒いでいる中学生を殴ったことがある。ただし、そのとき、その子に塾の教師を選ぶのはお前の権利だから、俺に教わるのがいやなら経営者にそう言えと言い渡した。その結果、私はその授業を外された。その後その子と会ったとき、笑ったら、笑い返してきたので、まあ良かったなとは思ったのだが、どうも私は我慢するのが嫌いな人間であることは確かなようだ。

 今正岡子規を読んでいる。万葉集の近代受容が、国民国家形成の必然的な流れだった、というような最近の近代万葉論に対して、違う見方があってもいいだろうと思って、それならまずは正岡子規あたりから読み直さなくてはと思っている。例えば正岡子規の写生とは何だったのか、万葉から何故写生が出てきたのか、正岡子規にとっての自然とは何だったのか。そういう検証も必要だろう。

 柄谷行人の『世界共和国へ』(岩波新書)を読んでいるが、ここで柄谷は国民国家としてのネーションは、「情」の共有が大事だったと言っている。つまりネーションは商品経済によって解体されていった共同体(互酬的交換)の想像的な回復なのだということだ。そこを見誤ると、近代以降の不合理なナショナリズム感情の起源が見えなくなる。

 互酬的交換を想像的に残すことによって国民国家は成立するということだ。おそらく正岡子規の短歌革新の運動と自然と自分とを対峙させたあげくの写生は、こういった国民国家の把握のし方と響きあっているに違いない。短歌革新は、旧来の共同体の解体だが、写生は、自然との互酬的な関係の想像的な回復である。そういっていいように思う。

 正岡子規の互酬性には彼の病という問題が深く作用している。さて、私もまた自然との互酬的関係を想像的に回復しようとしているところだ。山小屋に時々行くのもその試みだ。一方で、交換経済を果敢に生きている。私が今穏やかに見えるのは、交換経済の側で生きることに価値を置いていないからであるが、むろん、それはストレスとなって返ってきている。当面、通風は治りそうにもないということだ。薬を飲み続けるしかないか。

連休に、人と自然の関わりを考える。  06.5.15
 今年の連休は久しぶりに休暇という感じだった。最近、血圧が上がり気味で、体調に気を遣っているせいか、今年は風邪を引かずに連休に入れた。山小屋で薪割りなどをしようと計画をたてたが、友人達が今年は大勢やってきてにぎやかな連休とあいなった。5月の3、4、5日は天気もよく、春の日々を楽しんだ。山小屋には5組の夫婦が来て、10名が泊まり、私はこういう時は民宿の主人といったところである。

 今年は、桜が遅くまで咲いていたこともあり、桜がきれいだった。高遠に出かけたが、城址公園の桜はもう散っていた。高遠に行く途中の山にある山桜がとてもいい。近くの村の道祖神際にある桜もなかなかよい(写真)。ああ日本の風景だと思うが、私の行っている中国雲南省にもこういった風景はある。花も道祖神も人間の側の自然へのささやかな加工だが、そのささやかさこそが、一つの文化的風景ということか。このささやかさの意味をどう見いだすのか、最近、どうもそういうことを考えざるを得なくなった。

 6日・7日は、古代文学会のシンポジウムと勉強会だ。6日は、「霊性論」がテーマで、パネリストは安藤礼二氏と津田君。安藤氏はかなり私の関心領域と重なるところの仕事をしていて、いささか驚いた。けっこう人が集まっていて、今年から始まった古代文学会の企画も結構上手くいっているという印象だ。来月は私が司会で「動植物の命と人のこころ」というテーマである。パネリストの中澤克昭氏と北條勝貴氏も来ていて、終了後打ち合わせをした。次の日は、来月のシンポジウムの勉強会。

 このシンポジウムに合わせて北条勝貴氏らの編集になる「環境と心性の文化史」(勉誠社)の下巻を読んだ。難しいテーマの本だがなかなか面白かった。特に、北条氏の意気込みがよく伝わってくる。簡単に言えば人は自然に負荷を掛けなければ生きていけない、だからその自然との緊張関係そのものが、歴史や伝承に照射されているはずでそれを見いだして行こうという趣旨である。序は、こういう試みは、従来の歴史学や思想史にありがちな人間と自然といった二項対立を超えた、新しい切り口なのだと意気込む。

 環境が最近学問のテーマとして脚光を浴びているが、その流れの中にあるとしても、北条氏の環境へのこだわりは、そういう流行とは一線を画したこだわりがあって、なかなか面白い。彼は人間が生きる時の根源まで環境との関わりを問うて行かなければならないと説く。そこまで行くと、環境保護といったある種のイデオロギー的な視点は背景に押しやられる。人が抱え込んだ宿命のようなものに付き当たってしまうだろう。たぶんそこまで徹底してつきつめたうえで、環境破壊の伝承のような古代の伝承記事を読み込んでいくということになる。

 中澤氏は、自然への破壊に人間の快楽があることを排除するべきではないという立場だが、快楽もある意味では自然との緊張関係が生み出す人間の反応の一つだろう。北条氏は古代の伐採抵抗伝承を取り上げる。あるいは開発伝承としての風土記の「夜刀神」伝承を取り上げ、根底に伐採への抵抗を読み取る。安易に取れば、自然保護というイデオロギーを当てはめた読み込みだが、人と自然の根底の関わりの中でこういう伝承が存立する理由があるのだと、問いつめれば、北条氏のような読みもありだと思わされる。

 こういうことだ、自然破壊はわれわれの特権的なテーマなのではない。人類の歴史の最初からあったテーマなのだ。ただ、最初はそれが人と神との関わりとして切り取られていたに過ぎない。そして、イデオロギーなどという効率的で暴力的な思考様式を持っていなかったから、その表象は多様だったのだ。さらに、人間というものは、自然との緊張関係の中で心を醸成させた。その心は一様ではない。たぶんそこにこの問題のやっかいさはある。

 心は自然破壊に胸を痛めながら同時に破壊に喜びを感じる。こういう心の問題を一方に抱え込んで、環境破壊への危機感をテーマに託していくことになりがちなこういう問題意識の設定はなかなか困難である。それを、恐れずにやり抜く北条氏に感服すると同時に、司会としてついて行けるか、不安な気持ちにさせられた、連休の後半であった。

 
菜の花と家持と「海行かば」  06.4.26
 久しぶりに自宅の近くの新河岸河畔を遠征し、川越美術館まで歩いていった。今、新河岸の土手は菜の花で満開である(写真)。これは絶景である。本当はチビの散歩でいつも通るコースなのだが、いつも散歩する時間もなく歩いてないので、天気のいい休みということもあって、美術館まで歩くことにした。

 古代文学会の呉さんの紹介で呉さんの友人でもあるという、齋藤研の回顧展を今やっている。券をいただいたので、奥さんと行くことにした。私は普段の運動不足の解消のため歩いて行き、奥さんは車。歩いて30分ほどで着いた。

 齋藤研の絵は以前にも見たことがある。確か呉さんの紹介だったと思う。リアルな描写を断片的にコラージュ風につなぎながら、シュールな光景を描く。あるいは、博物誌的なコラージュの背景に人物や物や風景をパッチワークのように貼り合わせて描いていく。細部の描写がリアルだから、不思議な感覚にとらわれる。なかなか見応えのある絵であった。多くの人物像の顔はかなり暗く硬いものであった。それが印象的である。現代の顔の一つの象徴なのだろうと思った。

 絵を見るのは久しぶりだ。次の日は月光の会で万葉の講義。家持の「陸奥の国に金を出しし詔書を賀し歌」を扱った。この歌の中の言葉「海行かば、水漬く屍(かばね)、山行かば、草むす屍、顧みはせじ」は、戦争中、「海行かば」の歌として、うたわれたものである。最近、丸山隆司がこの戦争中にどのように「海行かば」が歌われたかを検証している(「藤女子大学国文」)。

 「海行かば」は当初武士道的心を歌うものとして戦意高揚の意図を持たせられたが、次第に戦死者の鎮魂の際に流れる音楽になっていったという。その荘重な音楽を聴けば確かにこれは鎮魂歌だろう。

 それはともかく、何故、この言葉が近代に発見されたのか、どうして家持はこの言葉を歌の中に入れたのか。聖武天皇の詔書に大伴家の栄誉をたたえる言葉として大伴家の伝承とも言えるこのフレーズを用いたことに対して、家持が感激し、そのフレーズを用いて長歌を作ったらしいということだが、多田一臣によると、どうも、家持はこの詔書で初めて大伴家に伝わるこのフレーズを知ったのではないかという。

 しかも、家持は、すでに大伴家では傍系で族長の立場ではない。国守として赴任した越中で、公的な目的を持たずに、いわば誰に向かってという明確な目的を持たずに作っている。当時の大仏鋳造という一大事業は、律令の中央集権国家完成を目的にするものであり、氏族的意識を打破する目的がある。それを推進したのは、大伴家と敵対した藤原家である。この歌はそういう時代の流れとずれているのである。

 多田一臣は、家持のこの長歌は大いなる錯誤によって成り立っているというのである。つまり、この詩人は現実とずれてしまっていた。別な言い方をすれば現実とずれてしまったから、このフレーズを詩の言葉として発見しえたのだ。家持は、現実とずれることによって、このフレーズにいかにも詩人的なしかも自分のアイデンティティを発見したかのような過剰な反応をしたのだ。そうして詔書に書かれた海行かばのフレーズを、詩の言葉として捉え返したのだ。その詩の言葉は、妙な力を持ってしまったらしい。

 日本の近代もまた、現実とずれた連中が戦争をやっていたが、彼等は、この詩の言葉に感動した。おそらくは、家持は大伴家という氏族の中の自分をこのフレーズによって発見したが、そのたかぶりを近代になって引き継いだ連中は、国民が自分を発見すべきフレーズとしてとらえるべきだと考えたのだ。

 だが、日本の国民は、このフレーズを戦争で死んでいくもの達を送る言葉として捉え返した。ひょっとすると、このフレーズは案外そういう言葉だったのかも知れない。それを聖武天皇も大伴家も近代の国家も勘違いで用いていたのかも知れない。

 そんなようなことをしゃべっていたが、一人の年配の聴き手が、いろいろと私の万葉観にいちゃもんをつけてきた。最初から攻撃的な質問に私も上手く答えられなく消耗したが、まあこういうときはままある。その人は、万葉学者のある先生を信奉しているらしく、私が違う万葉をかたったものだから腹を立てたらしい。

 自分が信じている世界と違う話を聞いたとき、人はどうふるまうか。その一つの典型的な例に私は巻き込まれたのだが、残念ながら、そういうときに上手く振る舞えないのは、私の性格である。理論武装はいつもことが終わってからで、いつも遅いのだ。まあだいたいいつもそんなものだ。でも、だから私はだめだとは思っていない。もしその場で相手を論破する反射神経と明晰さがあったら、私は研究者や文学にかかわることはやっていなかった。何をやつていたかは分からないが、神経をぼろぼろにして人を攻撃する辛い人生を送っていたろう。こんなところでいいのだと思う。

雨にもマケル文科長  06.4.20
 文科長とやらになってから三週間が過ぎた。今のところ月曜から土曜日まで毎日出勤だ。といっても、全部が全部仕事というわけではなく、学会の発送事務とかもあったりして、いろいろと仕事が多い。アジア民族文化学会の春の大会が5月13日土曜日。共立で行われる。ポスター印刷と、学会誌、案内の発送と、いつものように一人でだいたい準備して、先週の土曜日に四人で何とか発送作業を終えた。

 毎日会議の連続だ。雑務も多い。これじゃ研究は無理だとすぐに悟った。どうやら、ここは頭の切り替え時らしい。管理職を適当にやって研究をしっかりやるか、研究をあきらめて職をこなすか。とにかく、今頭の中が研究の方に切り替わらない。自分の頭をどのように作るのか、どうもせまられているらしい。が、こういう二者択一の時は、私は両方こなすという方針で突っ走る。いままでそうやってきた。これからだってできないことはない。

 こつは、なるべくみんなに頼ること。仕事をいつも失敗ばかりしている印象を与えること。それでいてそれなりに信頼されること。変なプライドをもたないこと。威張らないこと。難しいが、人は自分が思うよりも親切だと思うことだ。私はそうやってみんなに何とか助けてもらい、いろんな場面を切りぬけてきた。感謝!感謝!である。ただ、どうも私は人見知りで、会議では言いたいことを言ってしまうし、時に生意気である。そろそろ謙虚にとは思うが、身に染みついたものはなかなかとれやしない。

 ただ、仕事の半分はボランティアだと思っている。つまり給料をもらっているからその分だけの仕事をしているなどという労働観は持っていない。そんな考えだけで時間を過ごすなんて耐えられない。給料をもらっているいないにかかわらず、快適に時間を過ごしたい。一日の大半を過ごす職場で快適に過ごせないとしたらそれは悲劇だ。だから、職場で快適に過ごすためには、人との関係をうまくやっていくことであり、職場が倒れないように努力することだ。そういう努力は、たぶんに給与分の仕事量を超えるからボランティアなのだ。

 人を蹴落とすのではなく身近な人が幸福な方がこちらも快適になれる。だから宮沢賢治じゃないけれど、ちょっとは「雨ニモマケズ」になる。それから、これは、論理の問題なのだが、私は論理を信じている。こうすればこういうように現実は動くという論理を思いついたら、実行したくなる。これは、知というものにかかわったものの宿命だろう。こう改革すれば教育は良くなるとか、学校は良くなるとか、思いつけばやってみたくなる。いいアイデアをおもいついたら論文を書きたくなるのとある意味では同じだ。

 ただ、現実の職場での仕事は、論文を書くのと違って内面的に熟成させるプロセスがない。常にすぐ先にタイムリミットがあり、反射神経的に判断が求められる。だからこれは能力の問題がかかわる。論文を書く能力と、会社の仕事のような業務をこなす人の能力はやはり違う。その意味では、私は。他の研究者より論文を書く能力のないぶん、実務の能力は長けているが、プロの実業家にくらべれば能力はない。つまり、所詮中途半端というところだろうか。

 とすればやはり宮沢賢治になるしかないのか、と思う。宮沢賢治に実務の能力があったと思われない。だが、彼は、童話や詩を書くことより、実務の方で人を幸福にしようとしたのは確かだ。それは上手くいかなかったとしても、たいてい人は能力のないところに、自分の使命を見いだすのだ。私に使命なんてものはないと思うが、能力のないところで頑張るしかないことは確かだ。私は今生きていることがボランティアなのだと思っている。あえてするボランティアは苦手だが、自分が快適に生きることは人のために少しは努力するという不得手なことをすること、それが人とかかわって生きるために費やされる私の労働なのだ。だから、私の労働にはボランティアの要素がある。

 その意味では、私の文科長の仕事は、私にとってはボランティアなのだろうと思うが、それで給料をもらうのは悪い気もする。でも、立場上、責任取らされたり、神経を磨り減らしたりするから、そういう手当だと思えばいいか。

 ただ時々私は、雨ニマケル。風ニモマケル。それは許してもらいたいと思う。

 


チビは偉い! 06.4.5
 中国の取材から帰って、撮影したビデオを見ようと、デジタルビデオカメラで再生したら、何と、映ってない。一瞬青くなった。そんな馬鹿な。しかし、なんどやっても映ってない。出てくる映像は2年前に取材した韓国の済州島の祭りである。嘘!、とよく調べると、何と、テープに録画防止のツメが解除になっていない。つまりこういうことだ。一度使ったデジタルテープをまた使おうとしたのだが、そのテープを以前にダビングしたときに録画防止のツメをオンにしておいて解除するのを忘れていたのだ。だから、録画されていなかったのだ。

 ただ不幸中の幸いだったのは、二日目の祭りの火祭り儀礼だけは、新しいテープで撮影していたので、それは映っていた。一日目のしかも豚の供犠儀礼が映っていない。一時間半も撮影したのに。あの寒い中を苦労して撮っていたあの努力は何だったのか。泣くに泣けない。新しいテープを買ってもっていったのに、ケチったのがいけなかった。まあ、こういうミスはときどきやるから慣れてはいるが、このショックから立ち直るのに三日かかった。私の場合、いつも三日かかる。逆に言えばどんなショックでも三日で立ち直る。いいのか悪いのか。

 チビは相変わらずだ。まだ、近寄ると後ずさりする。食事の時や留守にして帰ってきたときなどは喜んでよってくるが、おい散歩!と近づくと反射的に逃げる。どうも、身体に触れるような態度で近づくと反射的に逃げるようだ。たぶん、トラウマがあるのだろう。保健所から救い出された犬だから、大人に捕まえられてひどい目にあったという記憶がしみついているのかも知れない。あとずさりしなくなるまでどのくらいかかるものやら。

 前のナナは散歩と言うと目を輝かしてとんできた。留守!と言うと、しゅんとしてテーブルの下に隠れた。それがおかしいものだから、時々留守!と言ってからかっては、よく奥さんに叱られた。ナナは言葉が少しはわかった。だが、チビはほとんど分からない。人間とのコミュニケーションがあまりない犬なのだ。言葉のわかるナナもかわいかったが、言葉の分からないチビもまた別のかわいさがある。

 ナナの顔は表情があり、人間に何かを訴えようとしているときはだいたい察することができた。ところがチビにはそういう表情がない。物足りないのだが、考えようでは、犬とはそういうものであろう。ある意味ではまっとうな動物なのだ。チビは犬の王道を生きているとも言える。かつて猟犬として生きていた祖先の遺伝子を潜ませながら、その遺伝子の適応できない世界を静かに受け入れているのかも知れない。それが自分の宿命だし、保健所で殺されるのも、私みたいな大甘な飼い主に飼われることもあまり差はないのかも知れない。そう勝手に推測すると、チビの顔も立派に見えてくる。

 誰かに甘えたり、怒ったり、頼ったりしなければならない人間の方がやっかいなのだ。チビの偉いのは、吠えないところだ。時々何にむかってだか吠えることがあるが、それもたまにである。とても静かな犬なのだ。自分の世界を大事にしているように見える。親バカな言い方だが、そこはなかなかの犬なのである。といってもまだ三ヶ月しか飼っていないので、私たちがしつけたわけではないけれど。

 いよいよ、新しい年度が始まり、ガイダンスが始まった。いろんな意味で私にとっては新しいことばかりである。どうなることやら、だが、まあなんとかなるだろう。


京都で文章表現について考えた  06.4.1
 4月になった。われわれの業界ではこの日が正月である。というより、だいたい日本では年度とは桜の咲く四月からとなってはいるが。温暖化のせいか桜はすでに咲いているが、ここ数日寒い。忙しいせいもあるが春という感じをまだ味わっていない。

 3月26日から29日まで、京都へ行ってきた。といっても仕事である。27日、28日、京都大学での教育フォーラムに参加し、29日には梅花女子大訪問。相互に教育やカリキュラムなどで意見交換を行った。教育フォーラムでは、FD(要するに授業改革の運動で主にアンケート等を通して授業改善を行う活動)や、様々な教育改善の試みの発表を聞いた。多くの大学でもこういう活動を熱心にやっている。大学も変わりつつある、というのがいつもながらの実感。

 26日は早めに京都に行き、数時間の自由時間を作って、花でも見に行こうとしたのだが、桜はまだ咲いていなかった。どうしようかと考えたが、久しぶりに嵐山から嵯峨野を歩いた。三十数年ぶりである。泥道だった嵯峨野の小道は皆舗装され、沿道には洒落た店があり、こういうのは何処へ行っても同じだなと思ったこと以外、何にも記憶に残らなかった。ただ、運動不足の解消には少しは役だった。別のところへ行けばよかったというのが正直な感想。

 授業改善運動の起源はアメリカである。教育も競争原理のなかでレベルが上がるというアメリカ的市場主義的原理がそこにあるが、もう一つ重要なのが、プラグマティズムの伝統である。現実をどのように効率的に改善していくか、という課題と理念とは一致しなくてはならないとする考えがそこにはある。現実の改革のプロセスや結果は、数値化され、その数値を指標にしながら現実を変えていくというものである。別の言い方で言えば、数値化出来ない現実の動きそのものは改革の対象にならないということでもある。

 この考え方に基づいて、実は、文科省の大学への研究費の補助や教育改革取組の補助などが行われている。例えば特色GPという教育改革への評価制度の選定基準も、効果が数値的に現れているかどうかが重要な要素になっている。つまり、従来と違う授業の進め方やカリキュラム改革を行ったとして、その効果を数値的に計り、その結果を証明しなければだいたい選定はされない。授業改善の効果を数値的に計るといったってどうするのか、結局、学生にアンケートをとり、その結果が数値的によかったとか悪かったとかし計るしかない。だから、今、大学では、アンケート流行りなのである。

 日本の大学で教えているアメリカ人の発表を聞いたが、その発表の中で、彼は、アメリカでは今若者が一生読書に費やす時間の総計は5000時間以内で、ゲームに費やす時間は10000時間以内だと、数字をあげていた。だれかが試算したのだろうが、だれが考えても読書をする時間よりゲームをする時間の方が多くなっていることは分かるが、このように数値化してしまうところが、さすがアメリカなのだ。

 京都の教育フォーラムの期間に、京都精華大の教員で、かつて駿大論文科の同僚である哲学者の西研と久しぶりにあった。精華大の文章表現のユニークな教育は割合知られている。教育フォーラムでも発表がある。ユニークといっても、新入生全員に文章表現授業を必修とし、しかも、レベル分けにして、一年間きめこまかな指導を行うというもので、目新しいというものではない。注目されているのはそのやり方である。

 普通、文章表現の授業は、国語学の教員か、日本文学の教員が行い、特別の組織を持たないが、ここでは、4人の専属の教員と8人のチューターが文章表現の授業のためだけに雇われている。しかも、組織は学長に直属で教授会とはべつにの組織である。従って、教授会を通さないで意志決定ができるので、動きが迅速である。当然、人件費もかかるし、教授会との関係もぎくしゃくするだろうし、相当の準備と意識改革が無ければ、こういう体制は、普通の大学では出来ないだろう。それを実践しているだけでたいしたものである。

 テーマを出し、講義、討論、書く、添削を繰り返す。これをどれだけ丁寧にしかもきめ細かにやるかが文章表現の生命線で、たいてい面倒で時間がないので指導はいい加減になつてしまう。だから、文章表現の授業はどこの大学でもおざなりなものになってしまう。精華大は、組織や授業のシステムから構築していったのが成功した理由だろう。西さんの話を聞いていると、実際成功しつつあることがよくわかった。共立でもやりたいがたぶん無理だろう。

 もうだいぶ前になるが、一度、全員必修の文章表現をやろうと提案したことがあった。そうしたら、かなり反撥をくらった。文章表現を学問として専攻している教員がいないとか、教員の負担を減らすため添削を外部に託すと提案していたのだが、それは何事かと叱られた。要するに、手間のかかる専門外のことは誰もやりたくないので、いろいろと理由をつけて反対されたのである。

 大学は綴り方教室ではない、高度な知識を教える場所であるという意識がどの教員にもある。だが、現実問題として、本を読まない学生、レポートの書けない学生が増えている。だが、彼等は文章が書けないわけではない。たぶんブログのような文章を書かせたら、この私のように自在にいくらでも書くだろう。ただ、論理的な思考に基づく、あるいは、そういう思考を鍛える書き方を知らないのである。だから教えれば飛躍的に文章力はあがる。これは経験的に言える。

 偏差値の高い学生を集められない短大や大学では文章表現教育は今や必須の課題になっている。それなのになかなか取組が進まないのは、時代の変化に大学や教員が追いついていないからである。西さんと話をしながらそういう実感を強く持った。それにしても、京都は大学の教育改革の活動が盛んである。それだけ、競争が激しく生き残りに必死ということだろう。京都にはたくさんの大学がひしめいている。京都に限らず日本の西のほうからだいたい大学の改革の動きは始まる。大学の危機は西の方が深刻だからである。

 京都から帰って、すぐに、19年度から教養科目の共通化についての全学的な会議があった。私に春休みはないのである。この共通化には私は最初から関わっていて、いろんな提案をしてきた。この共通化にはかなり面白い試みも含まれていて、実現すれば全国的に話題になるだろうが、実際具体的な実施段階に近づくと、何となくそういうものは実現が危うくなる。旧来と違うことをやろうとすると、面倒だし、リスクもあるし、ということで無難な方向へだいたい向いてしまう。そう成らないように願うばかりである。

中国人によって撮られる祭り 06.3.9
 先週一週間中国雲南省の弥勒県イ族の火祭りを見てきた。祭りは、3月1日・2日。昆明から半日で行ける所である。紅万村という村の祭祀で、火の神を祭る祭祀である。1日は、密枝山という近くの聖なる山で、神樹を祭る儀礼が行われた。豚を神樹に供える儀礼だが、よく太った豚が選ばれ、神樹のもとに運ばれると、ビモのお経の後、精霊に扮した若者、というよりは先祖の姿を擬しているといってもいいのだろうが、裸の身体にペインティングをした若者が五・六人現れ、豚を責め立てて殺す。

 その豚を今度は丁寧に解体し、頭と足を尾を切り離しそれを神樹の前に供える。また肩胛骨を松の枝とともに神樹に結びつける。解体された豚は、大きな鍋に煮込まれ、会場に集まった村人らの会食に出される。次の日は、火祭りの行事で、われわれは県都のホテルから朝早く食事もせずに村に向かった。混雑が予想されたからである。

 確かに、バスが何台も入ってきていて、と゜うもこの祭りはかなり観光化されているなあと嫌な予感がしたが、その予感は的中した。実際、カメラやテレビの撮影やで、村は溢れんばかりになった。この祭りは先祖が初めて火を起こして、村に文明をもたらしたという神話を再現するものだが、それとは別に、火を神として、旧年の旧火を新年の新しい火に変えるという祭りでもある。つまり、これは正月儀礼だと考えてもいいようだ。

 この祭りが有名なのは、村の若者がほとんど裸同然で身体にペインティングをしたり、葉っぱで身体を覆ったりと、森の精霊のような扮装をして、火の神の人形を先頭に気勢をあげながら行進する、そのカーニバル的な祭りだからだろう。それと、村の道路に松の葉を敷いて、村人や村を訪れる客に食事を振る舞う「長宴」もまた有名らしい。

 確かになかなか楽しい祭りだった。1日・2日の昼頃までこの時期には珍しい寒波のせいでとにかく寒かった。だが、2日の午後には太陽が顔を出し、気温も上がり祭りらしくなってきた。とにかく人が多くて、まともな取材が出来なかった。ほとんどの人が仮装大会みたいなパレードに殺到し、人にもまれてただただ疲れた。ただ、ビモへのインタビューが出来たのは収穫だったし、何よりも、鶏を殺してその首や足を縄に結ぶ結界の儀礼を取材できたのが、最大の収穫だった。これを取材できたのはわれわれだけで、他の連中はカーニバルに夢中になっていて、村のはずれでひっそりと大事な儀礼が行われていることに気づかなかった。

 それにしても、中国ではついに、このような祭りに対して、一般の人たちまでが関心を持ち始めたのだ、と改めて中国の変化を感じ取った。この祭りに来ていた多くの人々は、研究者というよりは、自分たちの国の辺境で昔から続いている不思議な祭りを見てみようと言う好奇心によってやってきた中国の普通の人たちである。みんなカメラを持っていたが、驚くことに、かなりの人がデジカメの一眼レフを持っていた。私だって買いたいと思っているがまだ高いのでためらっているカメラだ。要するに、中国の富裕層がこの祭りを見に来ているということだ。

 中国は、かつて西欧がアジアアフリカの中にエキゾチズムを発見したように、自分たちの国の少数民族の中にエキゾチズムを発見したのだ。私は、仕事柄日本であっちこっちの祭りを見て歩いているが、いつもすごいカメラマンの数に驚きながら、なんでこんなに暇な奴が日本には多いんだ(私もその暇な部類に入るのだとしても)、と半ばあきれていたものだが、同じ状況が中国にも起こっているのだ。カメラマンたちは、赤ん坊を背負った老婆や、農家の庭先でいかにも古そうな道具を使って仕事をしている村人を熱心に撮っている。かつては貧しさの象徴として見向きもしなかった対象を熱心に撮影している。これもいつか見た光景だ。

 これらは、失われつつある、懐かしい絵なのである。10年前は、中国ではこういう農村の光景を被写体として価値があるなんて思っていなかったろう。だが、今は違う。映画もそうだが、現在の中国の大きなテーマは、失われつつあるものへの懐古であり、同時に、内なる辺境の発見なのである。だからこのような祭りに中国人が殺到する。祭りを行う側も、その価値に気づき観光資源として売り出し、役所も支援する。他の村でひっそりと行われていたような祭りは、担い手を失い、すぐに消えてしまう。上手く観光化出来たところだけが、祭りを維持できる。これも、どこかで見た光景である。

 私は毎年中国に行くが行くたびに中国の変化を肌で感じる。その変化はすでに取材対象であった少数民族の祭りにまで及んでいた。それは、中国人の精神の変化を物語る。かつて撮られる対象だった彼等は、撮る側にもまわりはじめた。われわれと同じようにだ。それは、彼等が民俗学や文化人類学を必要とし始めたということでもある。

 祭りの会場には、祭りの出店が沢山出ていてにぎやかだったが、参ったのは、犬の肉をあっちこっちでたくさん売っていたことである。村には犬がたくさん放し飼いになっている。どの犬も大事にされていてむやみに吠えたりしない。でも、屋台には犬の顔のついた肉が所狭しと並んでいる。慣れているとは言え、見たくない光景ではあった。私は、二日間の取材で疲れ昆明に帰って熱を出した。寒さと疲労が原因だ。だが、帰国の日には治った。よかった。熱を出したまま帰ると、検疫で鳥インフルエンザに間違えられる。かなりのハードな旅だったが、何とか日本に戻ってきた。途中広州のターミナルで乗り換えたが、広州のターミナルのばかでかさに驚いた。
 
 帰ってから、雲南省の怒江に巨大なダム計画があり、環境問題等で反対運動があり計画がなかなか進まないという朝日新聞の記事を読んだ。怒江は二度も行った地域である。そうかあの怒江までダムが出来るのか。でも、この地域の貧しさを考えたらダムもやむを得ないのかなとも思う。ここは中国でももっとも貧しい地域である。貧しさを克服する開発の動きは止められない。環境との調和、文化の継承をどのようにするのかそれが問われるが、それを担うのは学問でもある。今中国の変化は、この学問にこそ起きていなくてはならない。が、中国では経済や理系のような金になる学問に人気が集中しているそうだ。これも日本と同じだ。中国の若者も日本の若者も、経済の勉強も、開発対象の地元の住民が豊かになる経済学ならいいが、大都市の住民ばかりが豊になる経済学を学ぶのである。ダムに沈む人々を豊にする経済学や文化学や環境学が必要なのだ。撮る側でなく撮られる側に立ってものを考える学問が必要だと言うことだ。残念ながらそういう学問は少数派だ。私はどちらなのだろう。たぶん、撮る側にいるが、志は撮られる側に位置しているつもりだ。願望だけかも知れないが。

チビの脱走と、中国の悲劇 06.2.19
 2月なんて一番暇な月だと思ってたが、とんでもない。確かに授業はないが、雑務は多い。原稿だってある。16日に日本文学5月号の特集原稿を脱稿。締め切りは20日だが、20日まで書いている暇はない。「アジアの中の古代文学」がテーマ。歌垣研究について書いてみた。それから授業テキストに作った冊子の校正を仕上げる。冊子と言っても原稿用紙350枚分有る。一冊の単行本の分量だ。この校正も結構大変だった。12日には、歌誌「月光」の時評の原稿脱稿。

 それから、私の所属する文科では「千字エッセイコンテスト」というのをやっていて、その優秀作品をこれも冊子にして出版している。この企画、運営、冊子の編集、校正、すべて私がやっている。この校正も16日に校了。一年に二回、優秀作品を表彰している。実は、この表彰状は私がパソコンで作って印刷している。最近は、インクジェット用の表彰状用紙というのを売っている。表彰状の文面なんか、インターネットで探すと結構模範文例が出で来る。何かと便利になったものだ。

 仕事と仕事のつかの間の隙間を利用して山小屋に行った。といっても、27日から中国雲南省へイ族の火祭り調査に一週間ほど行くので、その中国語資料を、辞書を片手に読むのが山小屋での仕事。もっと真面目に中国語勉強しておけばよかったとおもう。

 山小屋の近くのレストランに立ち寄ったとき、駐車場に車を止め、奥さんが後ろの車のドアを開けたら、乗っていたチビが突然飛び降り、走り出した。追いかけたが捕まらない。国道を横切ろうとして道路に飛び出した。そこへ一台の車、危ないと思ったとき、車は上手くよけてくれた。チビは、そのまま道路を横切り、一目散に道路の向こうの山に駆け込んだ。あわてて奥さんと私は、後を追いかけた。道路に面した山道を駆け上がり、山の藪の中をチビは駆け上がっていく。必死で追いかけたが、離されてしまって見失った。呼んでもこない。なにしろ、飼ってまだ一月である。お手も待ても出来ない犬だ。さらに悪いことには、チビが駆け込んだ山は、奥が深く迷い込んだらもう見つからない。

 これは、もうだめかなと青ざめたとき、上の山の斜面からざわざわと音を立ててチビが降りてきた。チビは私の前まで来て止まった。私はチビ!と呼んで捕まえようとしたが、引き綱のない犬を捕まえるのは至難の業である。さっと私の手をよけるとチビはまた駈けだしてしまう。これを二度ほど繰り返して、チビは、今度は下の国道の方に駆け下りていく。道路に出たら危ないと思いつつ、追いかけると、コンクリートのフェンスがあって道路に降りられない。チビは、そのフェンス沿いに走り、コンクリートのブロックで作られた崩れ止めに遮られて前へ行けなくなった。追いついた私は何とか引き綱をつけてチビを抱き上げた。一瞬のチビの脱走劇だった。それにしても、奥さんも私も真っ青になり、チビを追いかけて手足はがたがたになった。

 ナナはこんなことはなかった。綱をつけなくても決して私たちのもとから離れようとはしなかった。時々、鹿を追いかけて迷子になっても、ちゃんと戻ってきた。でもチビはまだ子供子供しているし、頭も悪そうだし、絶対戻ってこないな、と思う。レストランの奥さんに夜でなくてよかった、チビは黒いから、夜だとほんとにわからなくなる、と言われた。そのとおりだ。チビを捕まえて抱き上げたとき、きつい獣臭い臭いがした。そうかチビは野生に戻ったんだ。柴犬は猟犬として生きてきた犬種だから、一応本能は残っているのだろう。が、人間と暮らすには、我慢してもらわなきゃ。それにしても、戻ってきてよかった。チビはどうして戻ってきたんだろう、やっぱに不安になったんだろうか、と奥さんと話したが、よくは分からない。チビはチビなりに暴走したわけでなく楽しんで遊んでいただけなのかも知れない。
 
 最近呼んだ本、読みかけ中の本、読みかけて止めてしまった本と何冊かあるのだが、ユン・チュアンの「マオ」上下巻は、評判だったので読んでみた。「誰も知らなかった毛沢東」というサブタイトルのこの本は確かに毛沢東を英雄だと思っていた人たちには衝撃的な本だろう。この本を読むと、スターリンやヒットラーなんか、まだまだ甘いと思うくらい、毛沢東の残酷さ非情さは群を抜いている。

 かなりの資料を駆使しているのでそれほど間違ってはいないと思うが、ただ、全編、毛沢東に中国共産党の影の部分をすべて負わせているので、読んでいて途中から飽きてしまった。要するに書いてある内容は、毛沢東の罪をこれでもかと暴いていくことだけに集中しているので、後半はほとんど飛ばし読みして読んだ。

 ここまで徹底して毛沢東が情報を操作し、粛正をしていたということは知らなかった。ある程度は知ってはいたが、さすがに話半分にしても、ここで描かれた毛沢東はすごい。この本によると毛沢東は中国人を7千万人殺しているという。この数字は、第二次世界大戦でドイツとの戦争で死んだ死者の数に匹敵するのではないか。読んでいて、中国人が可哀想になってきた。共産党の理想を信じたたくさんの若者や農民が、粛正によって殺されていく。

 この本を読んで理解出来たのは、毛沢東はイデオロギーを信じていなかった、ということだ。イデオロギーは人を理想主義者にする。理想主義者は少なくとも、自分よりも理想を優先させるから、理想に弱い。が、ここで描かれる毛沢東は、権力を握るためには、イデオロギーも一つの道具に過ぎないと考える、徹底した現実主義者であるということだ。本当にここまで徹底した冷酷な現実主義者でいられたのか、分からないが、言えることは、理想主義者じゃないことは確かだということぐらいだ。

 情報を操作して、共産党を神話化したのも毛沢東の功績だとするこの本の見解は正しい。共産党は抗日戦争勝利の歴史を教えているが、実は、日本と闘ったのはほとんど国民党であり、共産党はゲリラ戦は得意だったが、部隊同士がぶつかる近代戦はそれまでやったことがなかった。毛沢東は、国民党に日本軍と闘わせ。漁夫の利を得る戦法をとった。そのため、日本軍とはあまり闘っていないのである。実は、このことは今の中国人はほとんど知らない。というより教えられていない。

 最近、中国の知識人が、中国政府は自分たちの歴史を歪曲するべきではないと言いだし始めた。八路軍が日本軍に最初に勝利した戦いは、国民党軍と一緒に闘ったもので八路軍だけで勝ったのではないという論文まで現れた。これはいいことだと思う。自分たちのマイナスを隠すことでしかない神話を暴くことはいいことだ。共産党政府はこのような意見を弾圧しているが、無理だろう。ただ、権力に都合良く作られた神話は彼等が自分たちで暴くしかない。それみたことかと日本の保守派は、中国の歴史教科書問題を言い立てるが、侵略の歴史を教えたくない日本の連中と、中国共産党は同じだと言うことだ。中国を批判する前に、都合の悪いことを言わない日本の戦争責任回避思考を反省すべきだろう。

 さて、「マオ」は読む者の気分を暗くさせる本である。何億という人間の住む国家を、ある権力のもとに束ねていくという行為は、こんなものなのか。そこには、理想や理念のひとかけらもないのか、ということに暗然とする。歴史はそれなりにある合理的なプロセスの上にあるのではなかったのか。ヘーゲルだって、マルクスだって、歴史にある必然を認識したからこそその必然を論理的に説明したのではなかったか。が、ここで描かれた歴史には、そういう必然がまったくない。一人の権力欲に取り憑かれた男の、非情な国盗りゲームでしかないのである。

 これじゃ、中国に救いはない。が、実は、歴史とはそんなものなのかも知れないとも思う。この本の毛沢東が見せつけたのは、われわれの歴史とは、どんな手段を使ってもあがるしかないゲームの歴史だということだ。もう一つ教えたのは、権力を握った一人の理不尽な人間に対して、人々は無力だということだ。毛沢東が人より優れていたのは、彼が誰も適わないほどわがままで理不尽な人間であったということ。その理不尽さが合理性を持っていないことがわかっていても、人々は従う。それを認めることは空しい。

 たとえ毛沢東がどんなに中国人を殺したとしても、そこには歴史の必然があり、あるいは、毛沢東が権力者となって人々を組織したのは彼に人を納得させる理念や、どこかしら人間的魅力があったからだと思いたいだろう。が、この悪意に満ちた本に書かれたとおりなら、何のために中国人は死んでいったのか、それこそ絶望的になる。この本を何処まで受け入れていいのか、正直私だって戸惑っている。10億の人間を従えさせた権力者に、それなりの必然性を見いだしたいのは、それがせめてものこの世を生きるものの希望だし、理不尽な世の中の現実を自らに納得させる理屈だからだ。この本に描かれたような人間が、つまり、理念のかけらもない、巧みな権謀術数と非情さだけでのし上がる毛沢東のような人間が、世の中を支配できるとすれば、この世は闇だと思うしかない。その意味では、この本は歴史は進歩しないということをつきつけた本である。

 ただ、毛沢東をかなり希釈したような人間は現代にもいるし、私の周囲にもいる。みんなが迷惑しているが、誰も何も言えない。理想主義者ならまだ対処のしかたも分かるが、そうでないと、どう対応していいか分からない。それこそ、相手の弱みをいかに握るかといった、現実的な駆け引きの世界になり、品性がちょっとでもある奴は脱落していく。が、そういう奴が、10憶もの人間を率いるとまでは信じられない。その意味で、「マオ」に描かれた毛沢東は信じがたい。「マオ」に描かれなかった毛沢東があるはずで、それも読んでみないと、この本をそのまま受け入れるわけにはいかない。

 話が脱線したが、中国が今共産党政権のもとで資本主義化できたのは、毛沢東が理想主義者ではなく、徹底した現実主義者だったからだろう。それが中国共産党の根っこにある。毛沢東が感謝されるとすればそういう素地を作ったことだろう。いずれにしろ、この本で描かれた毛沢東は、卑小な人間すぎるが、逆にそう描かれることで、毛沢東の怪物ぶりが際だつのである。この本はすべての責任を毛沢東に帰しているので、中国の悲劇の毛沢東の責任は、半分くらいだとしても、それでも十分だろう。いずれにしろ、共産党によって引き起こされた悲劇は、中国人が自らの歴史として負わなければならない問題だ。
 
インターネットは誰が俯瞰するのか  06.2.6
 チビがだんだんとナナに似てきた。要するに、少しずつ甘えるようになってきた。ただ、ナナはやせ細った状態で拾われたので、チビよりも食べものにたいする執着が強く、人間が何かを食べているといつも側に寄ってきて大きな目をうるうるさせる。それに負けてつい食べものをあげてしまう。チビも少しそんな感じになってきたが、ナナと違って食べものにあまり執着がなく、こちらがあげないとすぐにあきらめて自分の世界に戻る。

 このクールさがチビの面白いところ。岩合光昭の写真集『日本の犬』(平凡社)にチビとそっくりの黒の柴犬が出ていた。それで思わず買ってしまった。黒い顔には左右対称の白の隈取りがある。しっぽは上に巻きあがって、裏側が足の下まで白い線のようになっている。この種類はこの模様がみな同じなのだ。だから、黒の柴犬にチビがまぎれこんだらどれがチビだかほんとに分からなくなると奥さんが心配していた。首の下の白い部分の面積が大きいとかやや小さいとか、それが個性のようなものなのだ。それくらいそっくりなのだ。何でも純血の柴犬は今天然記念物に指定されているらしい。そうかチビは天然記念物なのか。

 忙しい1月が過ぎて忙しい2月に入った。人から全力疾走で仕事しているね、うらやましい。こっちは仕事がなくて年収が減ったと言われる。そうかその分こっちに仕事が回ってきているのかと思わないこともない。われわれの業種も今は競争が激しく、しかも少子化で斜陽産業だ。人件費を削るという方針もあって、教員が辞めても後任をとってくれない。ということは、一人の仕事量が確実に増えるわけで、私が忙しいのは、別に私が頑張ってるからでも何でもなく、こういう時代を生きているからに過ぎない。

 ただ、何か自分にとって生産的な事をしないとだめな性分なので、それが自分を忙しくしている面はある。授業はなくなってしまったが、授業のテキスト用原稿を何とか書き終えた。原稿用紙で350枚分になってしまった。タイトルは「万葉集講義・なぜ歌うのか」にした。予算執行の関係で2月末には完成させないといけない。私のホームページの授業風景に載せていた文章をふくらませたものである。

 三浦佑之さんのホームページを覗いたら、最近の学生は、レポートにホームページから引用した文章を自分の文章にして平気で書いてくる。怪しい文章があったら、その出もとを検索する方法を知っているので教えます、と載っていた。確かに、突然学生から今こういう卒論書いているのだが、参考文献でいいのがあったら教えて欲しいとメールが来る。自分の教えている学生がメールするならわかるのだが、なぜ見ず知らずの学生に教えなくてはならないのか。授業料を払っている学校があって、そこに指導教官がいるだろう。その人に教わらなければ高い授業料は無駄になってしまうではないか。それに、知らない人に参考文献を教えてもらうまでには、いくつかの手続き(普通はそれを礼儀と言うが)が必要だろう。いきなり教えてくれはないだろう。だから、基本的には、答えないことにしているが、中には、ホームページで公開している文章を勝手に使う奴もいるだろうなあとは思う。私の文章だって、使われているかも知れない。まあ、公開している以上仕方がないとは思うが、インターネットというのは、こういう色々な問題を生んでいるのだと言うことがよくわかる。

 ある地方の新聞社から、少数民族の歌の祭りを取材したいのだが、どの少数民族が歌の祭りをやっていて、祭りの時期、村の名前を教えてくれと、これもメールでいきなり尋ねられた。おいおい、学生ならまだしも、立派な社会人がそんなにいきなりメールで自分の仕事を全部済ませてしまおうなんて、いくら何でもそれはないだろう。それくらいの情報は、刊行されている本を何冊か読めば分かることだし、そういう努力の後でどうしてもわからないというのなら分かるが。せめて、研究室に足を運んでもらって話を聞く位の努力をしてくれれば知っていることは教えるが、歌の祭りをしている少数民族の名前も自力で調べず、いきなり村の名前まで教えろはないだろう。愛知万博の文化欄の記事を担当していた読売新聞の記者は、ちゃんと研究室に来てくれたので、ビデオを見せ、いろいろ調査の仕事の話をした。それなりに礼を尽くせば応えるのは当たり前で、インターネットは、その「礼」という何か基本的な手続きの部分をほんとに省略し始めた。自分もひょっとすると誰かに省略しているかも知れないと反省はしているが、時々腹立つこともある。
 
 中国とアメリカの大手の検索会社、ヤフーかグーグルのどっちかだろうが、検索エンジンの設置で合意したとの報道が最近あった。ただ問題は、その検索は中国政府ににとって都合の悪い情報はあらかじめ排除するシステムにすることが合意されているということだ。実は、日本の検索システムにもすでにこのような検閲機能はすでについているらしい。

 インターネットの検索は、今や情報を集めるのに、欠かせないツールだが、実は、その検索の仕方はバイアスがかかっている。つまり、ある種の検閲が入り、客観性が担保されているわけではない。日本の検索エンジンも、日本でタブーしされているようなテーマについて検索をかけると、過激な内容のホームページは検索に引っかからないようになっているらしい。全部がそうではないが、各検索エンジンにばらつきがあっても多かれ少なかれそういった排除システムはあるのだという。

 膨大な情報の氾濫は、情報の整理を必然化するが、その過程で必ず何らかの恣意性が働く。当然、その恣意性は権力の意志として機能するのが普通だ。情報の独占は権力そのものだからである。ただ、やっかいなのは、そういった情報の独占化と、情報の合理的な整理とが区別しずらい形で行われることだ。検索エンジンの検閲システムはその良い例だろう。合理性というのは、誰かに全てを俯瞰する位置を与える。その位置がただ、ソフト開発者の特権的な位置であったうちはいいが、その位置が別な目的に支配されるとやっかいなことになる。

 BSでナチスの宣伝担当だったゲッペルスの特集をやっていたが、ゲッペルスが、国民を支配するのに当時普及し始めたラジオを用いたことはよく知られている。今、インターネットの世界は、情報を俯瞰する位置の奪い合いといった観を呈している。検索ソフトの開発のことだが、韓国では、すでに個人の名前を打ちこむとそのその情報が瞬時に分かるようなシステムになっていて、むろん、そういう個人情報をあらかじめ登録するシステムが存在するのだが、結婚や就職、その他様々な分野で使われているという。インターネットに氾濫する情報の俯瞰的な位置が無秩序であるうちは、つまり、優れたソフトを開発したものの権利であるうちはまだいいが、そこに、権力の欲望が入り込めば、息苦しい社会になる。一方でアナーキーなのがインターネットの特徴なのだとしても、注意は必要だろう。特に、メールで見知らぬ他人に平気で何でもものを頼む時代だ。相手が何を思うか気にしない感覚を培養するこのインターネットが悪意に使われないように祈るばかりだ。

面白いけどうさんくさい 06.1.24
 チビは相変わらずチビのままだ。もう少しまともな名前をつけたらと言われるが、いいのが思い浮かばない。だいぶ慣れてきて、いたずらもするようになった。だが、私には慣れない。抱こうと近寄ると後ずさりする。体が大きい人や突然の動作に警戒してしまうらしい。体の小さい犬なのでその分臆病らしい。今のところ、奥さんだけが飼い主で私はその他大勢らしい。情けない。

 どうも純血の豆柴らしく、散歩で会う何人かの人にこれはいい犬だと言われたそうだ。ペットショップでもこれほどの犬はいない、スーパーでつないでおいて目を離したら誰かに持って行かれますよ、と何人かに言われたらしい。そう言われても、別にこっちで選んだわけじゃないし、そんなにいい犬を飼うつもりはなかったのにと、やや当惑気味である。

 でもやはり家に生き物が増えるとなんとなく気分が違う。原稿を書いて疲れると、チビのところへ行って撫でてやる。それで気分転換になる。ただ、近づくと逃げるので、そこが今のところ悲しい。

 正月は、古代文学会の発表準備、2月には「日本文学」の原稿の締め切り。そして、2月中に、授業用のテキストの原稿250枚ほど書いて出さないとまずいことになっている。後100枚残っている。今まで授業の度にプリント配ってしゃべっていたので、大学から予算をとって、テキストを作ると申請したら通ってしまった。その期限が2月いっぱいで、ださないとまずいのだ。ところがだ、4月から文科長になって授業が減り、万葉の授業はなくなってしまった。非常勤で行っていた明治の授業も辞めざるを得なくなった。結局、使わないテキストになってしまつたのだが、それでも作った方がいい。だから、今必死に原稿書いている。こんな時評書いている場合じゃないのだ。

 でも、原稿書いている場合でもない。先週同僚が愛知県の方の大学に移ることになったと言ってきた。日本語・日本文学専攻に衝撃が走った。ここ3年ほど毎年一人ずつ辞めていき、後任は一人しか取ってくれていない。時節柄人件費削減や、文学関係の教員を減らす流れがあって、たぶん次の後任も難しい。わが専攻はどうなることやら。いずれにしろ、残ったスタッフで何とかやっていくしかない。それにしても大変な時に私は科長になってしまった。

 というわけで、成績をつけなきゃいけない、原稿も書かなきゃいけない、来年の教員どうするんだと、いろいろある中でホリエモン逮捕のニュースが飛び込んできた。こういうこともあるんだと、ライブドアの家宅捜索の時に思ったが、あれだけもてはやされている時代の寵児をしっかりとマークして捕まえようとしていた連中がいたことに、この世の中、それほど悪くはないとも思った次第だが、あんなに大げさな捜査は、検察が一罰百戒
で世直しをしようなんて思ってのパフォーマンスだとしたら、よけいなお世話であまりいただけない。

 ただ、私だってミーハー的にホリエモンはたいしたもんだとおもっこともなかったわけではない。こういう時代の人物評価は相対的なもので、比較できる誰かと対照的な時は、評価は鮮やかなものになる。例えば、フジテレビの日枝会長とか、亀井議員とか、楽天の三木谷やらのああいうもっとうさんくさそうな連中との比較で登場してきたときには、誰だってホリエモンの肩をもったろう。

 その意味で、うさんくさいとは思いつつも、こういうのがいたほうが世の中面白いよな、くらいのノリで見ていたのだが、さすがに、逮捕まで行くとは、驚いた。コメンテーターのいろんな評も面白かったが、一番いいと思ったのが、作家の石田衣良の言葉。「ホリエモンは渋滞している高速道路の路肩を平気で飛ばして走っていく奴で、路肩を走れないみんなが、かっこいいとか許せないとかいろいろ言っていたようなものだ」というコメント。なるほど、私も若いときには路肩を走ったことがあるが、さすがに今は走らない。あれもめったにつかまらない。けれど、時々捕まる。猪口新人議員のことば、「スピードあってよかったがスピード違反で捕まってしまった」。ちょっと違うとは思うが、そんな感じか。ちなみに私は飛ばす方だが、スピード違反で捕まったことは一度もない。

 「ものづくりに帰れ」とか、「世の中金でかえないものもある」、ということばが新聞の見出しやコメンテーターが口を揃えて言っているが、つまらない。何をいまさら、ていう感じだろう。そんなことわかっていてみんなホリエモンをもてはやしたのでは。ものつくりの大切さを大事にする社会を壊してしまっておいて今更何を言う、その恩恵をお前達が一番受けているだろう、というのと、金で買えないものがあるなんて言うやつも、だいたい金は持っている、ということがみんなわかっている。

 「世の中金がすべてだ」というホリエモンのことばを、そういう言い方もありだ、そんなに上手くはいかないが、くらいの感じでみんな受け止めていた、ということを理解しない奴がこんなにたくさんいたとは驚きだ。金がすべてでないことは誰だってわかっている。が、もうちょっと金があれば解決できることがたくさんあるということも誰も切実に分かっている。時には、それで死ななきゃならない理不尽さがあるということもだ。

 そういう苦労を知っているものが「世の中金じゃない」なんて、人に向かってなかなかいえるもんじゃない。ほとんど宗教と間違えられるんじゃないかと思ってしまうだろう。だとしたら「世の中金だよなあ」ととりあえず言っておく方が無難だというものだ。そういうニュアンスが分からないで(ホリエモンがどこまでそういうニュアンスを持っていたかはわからないが)、今頃「世の中金じゃない」という言葉がまことしやかに言われるのは、情けない。

 8世紀に書かれた「日本霊異記」をつい持ち出したくなるのだか、説話の中に「スタラクの銭」というのが出てくる。お寺の基金で、寺はこれを運用して利益を出し、仏教を広める資金に使っていたらしい。運用とは要するに貸し出して利息を取ることである。だから、この銭を借りたが返さなかったために、仏罰が下るという話がある。あるいは、信心深い人には、この銭が突如現れる。考えてみれば、仏教も金貸しをして、つまり、ファンドを運用していたわけで、その運用に差し障りがあれば仏罰といように倫理を定めているのだ。「日本霊異記」では、金の貸し借りは悪ではない。過剰に取り立てたり、返さない奴は悪である。この基準から言えば、ホリエモンは8世紀でも仏罰が下るだろうと思う。何事もやりすぎはいけないのだ。

 要するにそういうことなのだ。ホリエモンは過剰すぎただけなのだ。しかし、実は、われわれの社会のモラルは、この過剰になってしまうかならないかの微妙なところで、かろうじて成り立っているのである。きちんとした普遍的な基準があって、モラルが成立しているわけではない。少なくとも、経済的な行為に関してはそうである。だから、モラルの基準は時代によって動いていく。それは、今あるモラルなど古びるから信用しないというホリエモンのような若者をたえず生んでいく。それをいい社会とは思わないが、しかしそういう社会を受け入れて生きているという事実から出発しないと、どんな立派な事を言っても、何も言ったことにならない。

 ホリエモンの悪は、ほとんどのものが専門家から解説されないと理解できないルールを破ったことにあるらしい。自分(会社)の価値は他者との関係で決まるが、それを自分たちだけで勝手に決めて、つまり自己増殖させて、株を高く売り金を儲けていたということらしい。でも、資本主義社会の価値の増やし方は、自己増殖的な面がある。だから常にバブルが起こる。みんなが一斉にやればバブルとなり、一人だけ突出すると違反になる。世の中そういうものだ。とりあえずはルールがあるわけで、ルールがあるということは、それが破られれば被害者が出るわけで、その意味では、逮捕は当然なのだろう。ホリエモン、そんなに世の中甘くはないよ、というところだろうか。「ホリエモンは面白いけどうさんくさい」というのは倉田真由美のコメントだった。その面白さに期待していた分だけ、やはり今度のことは驚いた。
 
比較を超えられる比較 06.1.9
 年末年始はは例会発表の準備で、疲れてしまった。そのためか、年賀状もなるべく手間を掛けないでやろうとパソコンで作ったのだが、印刷の時、レイアウトを少しいじったのがいけなかった。どういうわけか名前が消えてしまった。私は名前を入れたつもりでいたから、そのつもりで印刷し、そのまま出してしまった。気が付いたのは、正月をだいぶ過ぎてから。例会発表のとき、岡部さんの年賀状名前がありませんでしたよね、みんなから言われた。正月からとんだマヌケな話である。名前は入っていると思いこんでいるから、刷り上がった賀状を見ても気づかない。私は校正ミスが多いが、そういう抜けたところがある。今年もまた思いやられる。名前のない年賀状をもらった関係者のみなさん、その年賀状は私のです。すみません。

 犬の里親に登録して、黒の柴犬を飼うことにしたが、6日の日に家にやってきた。大きさは6キロでナナの半分くらい、小型犬である。ハスキー犬を小さくした感じの犬だ。かなり緊張していて、慣れさせるのに苦労している。半年前は保健所で殺されかかった犬である。そう考えると哀れで、何とかなじんでもらおうと思うのだが、ナナよりも、マイペースの犬で、というより犬らしいと言えばいいのか、そう簡単にわれわれを飼い主と認めない。甘えることもしない。まあ仕方がない。仲良くなるのは時間がかかる。名前はミミちゃんと呼んでいたらしいが、呼びづらいので、今のところチビと呼んでいる。そのうちいい名前があれば変えようと思っている。写真はこちらです

 新聞によれば、今日本ではペットの数が3000万匹いるという。人間の子供の数より多いそうだ。わかる気はする。うちは子供がほしかったが、めぐまれなかった。そういう家族もいるし、あるいは、子供が大きくなって手を離れ、ペットを飼う年配夫婦も多い。人間の最大の敵は孤独である。孤独に勝てる人間は、救済者か超人である。つまり人間じゃない。話し相手がいなきゃ人間は生きていけない。

 ペットは他者になり得る。だからペットを飼う。しゃべらなくても、他者で有りさえすればいいのだ。生き物であるということだけで十分他者だし、いや生き物でなくても、生き物のように振る舞えばアイボのようなロボットでも他者になりえるのだ。他者さえ確認できれば、われわれは話しかけ、自分の情を他者に投げかけることができる。そのことが大事なのだ。この3000万匹のペットがどれだけ日本人の孤独を救っていることやら。お前達は偉い。

 例会発表は無事に終わった。一月の例会発表はやるもんじゃない。正月がなくなってしまう。テーマは持続する問答。歌垣の歌は本来掛け合いでありその掛け合いが何時間も持続するものだった。そのような掛け合いは、問答として記紀歌謡や万葉に記載されるが、何時間も掛け合うということがあまり出てこないし、掛け合いが持続するということが歌にとってどういうことなのか、あまり考えられてこなかった。少数民族の歌垣の事例などを分析しながら、歌にとって掛け合いが持続することはどういうことなのか、考えてみようというのが今回の発表の趣旨であった。

 少数民族の事例は調査記録があるからいいのだが、記紀歌謡や万葉の問題として語ろうとすると、資料がないぶんだけ、論理を作らなければならない。そうすると、言葉の概念規定やら、いろいろと面倒である。そこがなかなかうまくいかなかった。ただ問題意識が伝わればいいかな、というくらいで発表にのぞんだが、それは伝わったのではないかと思う。

 例会の質問で、呉さんから、少数民族との比較で、違いというものがでてこないのは何故か、という質問があった。なかなか面白い質問である。これはある意味での少数民族と日本の古代とを比較研究しているわれわれへの批判である。歴史という観点から見れば違いなど当然である。その違いを強調することで何が生まれるのか、結局は比較は不可能ではないか、というところに落ち着く。それはそれでいいのだとしても、当然、そういう結論の出し方は、普遍的であろうとする、学問そのものとどこか背馳することになる。

 一方、比較という行為そのものの傲慢さに気づけという批判でもあり得る。比較する方は大抵、先進国であり、そういう強い側から弱い側に対するまなざしが比較には含まれているというものだ。この視点は最近流行のように文学研究を覆ったが、大事な視点だとしても、時には、強者の側のアリバイ作りであったり、比較は不可能だとするニヒリズムを生み出し、自国に閉じこもる言説を間接的に支える結果になった。

 かつて弱者であった側(例えば中国)は、今は国家の論理を利用して、文化交流する強者の側の学者に、過去の戦争についてどう考えるのかといった踏み絵を課したり、強者の論理の側であろうとしている面があるからだ。現実はかなりねじれている。それは日本も同じで、歴史が、近代国家のイデオロギーによって作られたものにすぎないとするなら、日本を美化する歴史をつくることに何の問題があろうか、という主張も出てくる。

 強者としての自分への反省という自己批判的なまなざしは必要だとしても、どんなにいやなやつでもつきあわなくちゃいけないという、国際社会の宿命的なあり方を拒否出来ないとすれば、その自己批判的まなざしだけで、それなら他者とつきあえるかというと、そうではないから話はややこしくなる。実際に異文化に触れている私が感じたことは、必要以上に自分を強者として反省するものも、あるいは小泉首相のように、自分の心の問題や価値観を普遍的な心や価値観に単純にすり替えて他者につきつけるものも、実際に他者とつきあったことがないか、どこかでつきあうことを拒否している人たちだと思わざるをえない。

 他者とつきあうことは、歴史という問題意識へのこだわりとはどこか違うところで実際はつきあうことである。それは、観念を相対化してしまう生活であったり、無意識まで踏み込んだり、身体感覚であったりする。あるいは極めて世俗的な欲望の共有であったり、伝統的な感情の共有であったりする。そこまで踏み込むと、比較という視点そのものが消えてしまう。違いも共通もないのだ。箸をつかうもフォークも使うも食うことは同じじゃないか、といったことにそれは近い。

 グローバリズムの時代とは、ある意味で、比較における、同じや違いという視点を失わせる時代である。それはそれでわれわれのあり方の普遍的な問題を照らし出す。いや、まだまだ強者と弱者があり民族問題があるという区別を前提としたまなざしもまた大事だが、それだけではいろんな捻れのなかに回収されてしまうだけである。同じだというのではなく、同じように生きているあるいは生成される、生活や文化のあり方をようやく、考えられる時代になったのかなとも思う。宗教は違っても、神にを必要とする生活は同じなのだ。あるいは歌を必要とする心は同じなのだ。そこまで降りたって、比較すれば比較そのものを超えられるのではないか。そう考えている。その意味で、上手くは答えられなかったが、いろいろと考えさせられる質問であった。

「グッバイレーニン」よいお年を。 05.12.23
 どうも風邪が完全に抜けない。この歳になると治りが遅い。ようやく授業も終わったのでゆっくり治すしかないが、いろいろとやらなきゃいけにないことはある。1月7日は、古代文学会の例会でので発表である。その準備もしなきゃいけない。正月は今年も休めそうにはない。

 ナナが死んで一年が経ち、うちでもようやく犬を飼おうということになって、犬の里親を捜しているボランティアの会のつてがあり、こちらの条件に見合う犬がいたら飼いたいと言っておいたところ、先日連絡がきて、見に行くことになった。雌犬で2歳くらい、おとなしい性格、という条件だった。紹介されたのはリンダちゃんという雌犬で3歳ぐらい。甘えん坊の毛の長い雑種。奥さんはどんな犬でもかまわないといっていたので、その気になったが、私の方はややためらった。寒いのが嫌いで家にいるのが好きな性格という。とてもナナのように雪の野原で元気に駆け回りそうにない。

 奥さんが言うには、犬の里親の会で紹介する犬は、捨て犬のように事情のある犬だから、こっちの希望通りの理想の犬なんていない。そんな犬はまず捨てられないのだそうだ。しょうがない、寒いと散歩を嫌がる犬を拾ったと思って飼うか、とあきらめていたら、ボランティアのおばさんが連絡してきて、あの犬は山小屋へ行ってあまり散歩しないかも知れない、それじゃ困るだろうからと、別の犬を紹介するといって、連れてきた。

 私はいなかったのだが、黒の柴犬の純血種で、雌の2歳。飼いたいという希望者は多いのだが、マンションやアパート住まいの人ばっかりで、私の家ならいいのでないかという。奥さんの話によると、とにかく散歩は元気で、大好きらしい。ただ、家の中に入ると固まってしまって、愛想はなかったという。柴犬は、だいたい愛想がないもので、洋犬のようにあんまり甘えたりしない。茨城の保健所にいたのを救い出されたらしい。

 つい、贅沢になって、あんまり甘えないのもなんだなと思ったが、散歩はできそうだ。ということで飼うことになった。家に来るのは正月明けだが、何となく不安ではある。どうもナナと比較してしまいそうで、言うことを聞かなかったり、かわいくないと思ったりしたら、すぐナナはいい犬だった、それにしてもお前は…とつい言ってしまいそうだ。

 最近、体調のせいもあって、仕事が出来ず、DVDばかり見ていたが、その中で面白かったのが、「グッバイレーニン」だった。ベルリンの壁が壊れる数ヶ月前の東ドイツが舞台。母と子供二人の家族の物語。母は、西に亡命した夫の反動からか熱心な社会主義者になる。ところが、大学生になった息子が政府批判のデモに参加しているのを見て倒れ、意識不明になってしまった。そのまま昏睡を続け、意識が戻ったのは、ベルリンの壁が崩壊し、ドイツが統一された頃だった。医者は、心臓がわるいのでもう一度倒れたら命はないと言う。意識の戻った母親は、ベルリンの壁崩壊を知らないのである。

 子供達は、みんなで母親からベルリンの壁崩壊の事実を隠して、東ドイツがまだ健在であると母親に信じ込ませるため、あらゆる努力をする。テレビを見たがる母親に、息子は、東ドイツがまだ存在していることを演出したニュース番組を友人と作り、そのビデオを、現在のニュースだと言って母親に見せる。

 ところが、ある時、母親は、家の外に出て、資本主義社会の広告や、ヘリコプターに吊され運ばれるレーニン像を見てしまう。あわてた息子は、母親に、実は、ベルリンの壁が崩壊し、資本主義に絶望した西側の人々が東の社会主義の側に亡命してきたのだと嘘をつく。そして、息子は、そのことを示すニュース番組を作り始める。が、作っていくうちに、息子は、その構想に夢中になっていく。

 母親は息子の嘘をどうやら知ったらしいがそのことを顔には出さない。息子は、資本主義と社会主義が融合し、ここに理想的な社会が実現したとアナウンサーが語る、そういう自分の作ったニュース番組を母親にみせながら、夢中になってそのテレビに見入っている。母親はじっと息子の顔を見て、「すばらしい」とつぶやき、やがて、亡くなる。

 よく出来た映画だった。資本主義の過酷な世界に放り込まれた社会主義の若者が、新しい世界に魅惑されながらも、社会主義でもない資本主義でもない理想の世界を母親に見せて、映画は終わるのだ。強度偽装とか、子供の殺害とか、資本主義社会の行き着いた姿を目の当たりにしているわれわれにとって、この結末は、身につまされる。

 今の資本主義が続く限り、強度偽装のような事件は何度も起こるだろう。人をだまして被害者にしなければ自分の方が被害者になってしまう、と選択がせまられる、そういう社会である。今年は、そういう資本主義社会の嫌な面をたくさん見せられた一年であった。捨てられた犬や保健所に持ち込まれた犬を助けて、別の飼い主を捜すようなことが、社会主義的な制度としてでなく、ボランティアというものでもなく、われわれの生活に組み込まれた日常の仕組みになって、犬ではなく、人間であるわれわれ自身を思いやる仕組みが行き渡る時、「グッバイレーニン」の最後に母親に見せた世界は実現するのだろう。それは何時のことになるかわからないが。

品位の問題だ 05.12.12
 先週の教授会で来年度の学科長に選ばれてしまった。ひょつとしたらと思ってはいたが、やっぱり決まってしまった。学科長とは、要するに管理職だから、今までとは違う役割を期待される。忙しいのはいままでとは変わらないだろうが、何よりも責任を持たされる。責任などというものとは縁もなく過ごしてきた私にとってこれは重荷である。が仕方がない。誰かがやらなきゃいけないし、順番が回ってきたということだ。

 年末というのはどうしてか嫌な二ユースが多いように思う。子供が立て続けに殺された事件はテレビでニュースを見るのが辛くなる。構造計算書偽造マンション問題も、みずほ証券の入力ミスでの問題でもそうだが、どうもわれわれは品位が無くなってきているようだ。私はもともと品位が
あるほうじゃないから人のことをあれこれ言う資格は無いのだが、せめて、自分はともかくも品位のある人たちの中で生きていたいのは誰しも共通の願いだろう。

 ヒューザーの小嶋社長は品位のない人間の典型的な姿を全国民にさらした。こういう人は高度成長期の日本では珍しくなかったし、中国に行けば今はこんな人ばっかりだが、建築関係の企業では今でもやはりこういう人がのしあがっていけるのだ、ということがよくわかった。少なくとも、IT企業のいかがわしい青年実業家よりは人間の弱さをさらしていて、被害者でないから言えるのだが、見ていて面白かった。この人がしゃべればしゃべる程自分の立場をまずくしていく。あのイーホームズとかの社長のように慎重にしゃべればここまでたたかれることはないのにと、気の毒に思ったくらいだ。

 みずほ証券の入力ミスで大もうけした連中もまた品位のないことをさらしたようなものだ。私が仮に何らかのミスでが原因でたまたま大もうけしたら、それじゃ金を返すかと言われたら、返すとは簡単には答えられないが、そういう無責任さを承知で言うなら、正常じゃない取引だと言うことを承知で数分で一千万もの金を稼ぎ心が痛んだ人は返しておいた方がいいのじゃないか。

 日本霊異記を読むと、金利をあくどく取り立てたり、借りた金を返さない奴はひどい目にあっている。面白いのは、ここでの仏教の倫理では、金の貸し借りを罪悪視していないことだ。ただ、取り立ても借りる行為も過剰になったらそれは悪だと言っている。それと同じことで、株だって、大もうけすることはいくらでもある。それは悪いことではない。ただ問題は常にある一線を越えると悪になるという基準がこういうところには必ずあるということだ。それを見極めることが最低の品位ということになるだろう。

 その基準はケースバイケースだろうから簡単には言えないことにしても、われわれが生きているこの世界は、いつもこの一線を越えると悪になるという危ういバランスの上にある。むろん法律というルールがこのバランスを支えてはいるが、法律などあてにならないことは今度の建築確認偽装問題で明らかになったろう。どんなに基準を厳しくしても、それをすり抜けようとする奴が出てくる。そういうものなのだ。

 品位というのは、例えば自分が被害者のような立場に立ったときに、自分よりひどい目に遭っている人のことを推し量れるかとか、被害者じゃ無いときは、一番ひどい目に遭っている人の立場に立って言えるか、とかそういう簡単なことなのだと思う。殺人マンションをなけなしの金を出して買った住人に罪はないだろうに、買った方も悪いとか、責任追及が先だとか、税金をつぎ込むのはどうかとか、要するに、制度とか秩序を守ることを優先して発言する人もまた品位があるとは思えない。

 一級建築士が見抜けなかった違法をわれわれが見抜ける筈もないし、何よりも、安全という保証を国の代用機関が与えているのだ。これで被害に遭った人を仕方がないと放置するなら、たぶんもうマンションを買う奴はいなくなるだろうし、何よりも、我々自身が品位のなさを互いに確認するようなもので、このことの影響は小さくはない。

 話は変わるが、今日本はアジアの側に位置するか、アメリカの側に位置するかの岐路に立たされている。アジア共同体の一員になるか、欧米の一員としてアジアと距離を取るかだ。アジアの一員になるには中国との関係改善が必至だ。そこで、中国と仲が悪い今はアメリカに傾斜しかかっている。この問題を品位で考えるなら、どうしたら品位を保てるかだ。

 結局、どっちにも足場を築くというの立場を取らざるを得ないが、その基準を品位におけということになる。品位とは、貧しい国や社会の弱者を推し量る力だとすれば、そのスタンスをアジア共同体に持ち込むべきだし、欧米に突きつけるべきだ。今、中国もアメリカも品位に欠けている。日本もそうなりつつある。が、そうならないようにすることが、日本に求められているのだ。

風邪でダウンしました 05.12.3
 先週風邪でダウン。まだ回復せず。年をとると治りが遅い。寝込んだのは二日だけだったが、夜咳が止まらない状態が続いている。今日あたりだいぶ良くなったが、家でじっとしているしかない。ここでこじらせると12月が全部潰れてしまう。

 去年は休講なしだったが、今年はついに休講してしまった。残念。無理をするなということか。家でじっとしているとやることがないので本を読んだり、借りてきたDVDを見たりと、時間を潰している。原稿を書いたり勉強したりとするべきこところだが、風邪引いてまでやりたかないという拒否反応があるのか、どうも後回しになってしまう。後でまた辛い思いをするのだが。

 本は久しぶりに柄谷行人の『近代文学の終わり』を読んだ。それから村上春樹の『東京奇譚集』。『近代文学の終わり』は、まず、もう文学は終わったしまったと言う宣言から始まる。文学といっても、近代の小説のこと。確かに、終わりだというのはわからないではない。これは一つの時代わ評する譬喩なのだから。

 つまり、近代の小説が成立したとき、その形式に期待しされた役割が終焉したということだ。その役割が詩歌の役割と違うことは確かだ。その役割は、あるときは、リアリズムであり、イデオロギーであり、あるいは、もっと観念的な真理といったものであったりしたが、そういう超越的なものへ向かう役割自体がもう成り立たないということだ。

 近代文学は、最近「国民国家」論によってずたずたに解体された。いわば、近代文学の目指した役割は所詮「国民国家」のイデオロギーでしかなかったというとらえ方である。柄谷の近代文学終焉説の根拠は、こういう解体の仕方の先に、何も見えてこないということにあるようだ。それは、ある意味で、資本主義の先に何も見えてこない、ということと対応しているようだ。

 最近の近代文学研究が、すでに「文学批判」に飽きて、社会学や文化論や歴史へと逃げ道を探しているのは、国民国家論や植民地文学の先に、批判すべき文学という対象そのものを見いだせないと言うことだろう。世界はどの国もまずは国民国家をめざす。そういう国家の歴史的形態の中で成立する文学自体の、その起源を明らかにすることの熱気が一段落した今、だからどうなの、という問いかけに誰も答えられていないというわけだ。

 だからどうなんだ。新しい文学の形態はそういう批評的な作業の中で見つかったのだろうか。それは、資本主義を分析尽くせば、資本主義を越えうる何かが自ずとあらわれるといった、マルクス主義者の期待に似ていると言う気もする。さすがに、柄谷はそういうことにすでに気づき、新しい形式を見つけるのは、もう近代文学は終わった、というところしか始まらないとだめだということなのだ。むろん、「文学」が終わったわけではない。資本主義が終わったわけではないように。

 柄谷は新しい超越性を示す概念をとりあえずXと述べる。どうも、このXは、宗教といった領域を含むものとして論じている。この本を読んだ私の理解では、柄谷は、無意識もしくは感情といった領域にまで、抱え込まなくては、国家を越えうるような、あるいは資本主義を克服できるような運動は成立しないと言っているようだ。

 原理主義ではないとことわっているが、確かに、生活している存在を、他者を想像する共同的な存在にするには、権力としての国家でも、イデオロギーでも簡単にいかないことは近代の歴史が証明した。かといって、無意識や感情に作用する宗教、あるいは、あるいは伝統的な地域共同体は、狭い範囲で機能はするが、資本主義的な世界の中では力を持たない。

 だから権力運動としてのイデオロギーと、反資本主義的な宗教運動とが結びついて原理主義が生まれる。その意味では、原理主義は、近代の理念が排除してきた人間の生活を互助会的に組織し、かつ宗教という無意識の領域に届く理念の設定で、近代国家と資本主義とが作り上げたシステムに対抗する必然的な動きだった。たいていの原理主義運動の指導者は、欧米の高い教育を受けた知識人である。彼等は、ある意味では、欧米のイデオロギー型思考に、自分たちの故国の宗教を融合させて、資本主義の恩恵にあずからない人々を、反資本主義に組織しようとしている、と見ていい。

 柄谷のやろうとしていることは、どうやら、消費者というような普遍的な立場での、反資本主義的運動の構築であるようだ。これは潰れたしまったNAMの理念と変わっていないようだが、以前読んだ時と違うのは、人間の無意識の世界に配慮しようとしているということか。例えば、憲法九条は、日本の国民の「超自我」が守っているので、そう簡単には変えられない、というように。でも、まだ、どのような新しい運動の形態があらわれるかは、明確には語られない。

 柄谷は村上春樹が嫌いだが、でも、両者は何となく近づいているのではないか、というのが、今回両人の本を読んだ印象だ。というより、柄谷の思考が、世の中を少しも変えようとせずにただ生きている、国民というよりわれわれのあり方のその見えない部分を何とか説明づけようとしている、ということだ。村上春樹はある意味で独特の物語の文体でそれを最初から語り続けている。つまり、柄谷の方が村上春樹に近づいていると言うことだ。柄谷は反撥するだろうが。
 
天使の分け前と大学「起こし」 05.11.14
 11月5日は「アジア民族文化学会」の秋の大会で、何とか無事に終わった。同じ日に古代文学会の例会があって、多田さんの発表、呉さんの司会だつたが、残念ながら行けなかった。どうも学会にいろいろかかわっていると、こうやって重なってしまうときが多い。

 昨日は組合の旅行で、足利のココファームのワイナリーにワインを飲みに行ってきた。天気もよく楽しい一日を過ごせた。ココファームは、「こころみ学園」という知的障害者の厚生施設が実質的に経営するワイン醸造場である。この「こころみ学園」についてはだいぶ前にこの時評で書いたが、ワインの醸造と知的障害者の仕事とがうまく組み合わされていて、話を聞いてとても感心した。

 園長の川田氏は、当初、園生の厚生のために葡萄を植え、その葡萄を生かす工夫としてワイン作りを思いついたのだそうだが、ワイン製造の工程は、プロにゆだねる部分と、園生が担当する細かな作業の部分で成り立っている。つまり園生の仕事を作り出すものとしてワイン作りは最適であったということらしい。知的障害者といっても、ある部分の能力は並はずれている人もいる。例えば、品質検査などの作業は、集中力を持続させるのに人並み外れた力を持つ園生が担当したり、あるいは、計算なども計算機など使わないでこれも人並み外れた計算力を持つ園生がする、というように、能力に応じて、園生が活躍しているということだ。

 ワインのテイスティングがあり、講釈も聞いた。タンクで発酵させて製品にするものの、タンクから樽に移して樽で二次発酵させるもの、最初から樽で発酵させ熟成させるものとだいたい三種類の作り方があり、値段もこの三種類で違ってくるということだ。当然、樽の中でじっくりと発酵させるものが時間もかかり値段も高いということらしい。樽に入れておくと、中身は少しずつ減るのだという。一月で一本ぷんが減ると聞いた。それで常にワインを足していくのだそうだが、自然に減っていくワインを「天使の分け前」というそうだ。

 スパークワインの作り方もなかなか面白い。高気圧に絶えられるビンにワインをつめ、熟成させると二酸化炭素が充満しスパークワインになるそうなのだが、製品にするには、中に出来た澱を除かなくてはならない。まずビンを口を下に傾け、一回45度(確か)まわす。それを毎日繰り返す(100日かかると言っていたよう思う)と、だんだんビンの口に澱が溜まっていき、溜まったところで口の部分だけを急速冷凍すると、その部分だけが氷り、ビンの中の気圧によって外に押し出される。その後、味の調整をして蓋を閉めるのだそうだ。

 このワイナリーも行くのは三回目なのだが、行くたびに規模が大きくなっている。それだけ有名になり訪れる人も多いということだ。われわれだって、団体(といっても13名だが)で行ったくらいだから。とにかく大きくなってたくさん儲けて、「こころみ学園」が元気になればいいと思う。肝心のワインの味だが、昼食に出された「2004」はまあまあおいしかった。土産で買って帰ってきた「いまここ」という相田みつおの書のなまえのワイン(赤)は、とてもおいしい。これはおすすめ。家に帰って飲んだが、味が濃くて注文して取り寄せたくなったくらいだ。テイスティングに出てきた値段の高いワインはあまりいいとは思わなかったが、でも、そうじておいしいワインを作っていると思う。田崎ソムリエが推奨したというのは嘘ではないと思った。

 組合の企画として初めての旅行である。提案者の一人に私も入っている。組合も、役員になって会議をしたり団交したりするだけじゃ面白くない。組合員相互の親睦もやろうよということで今回の旅行を企画した。たいていは温泉旅行みたいになってしまうが、こういう、ワイナリー見学とテイスティングや、障害施設のあり方を学ぶというのも、なかなかいいのではないか。途中、足利学校によったが、周囲がかなり観光的な町並みになっていて驚いた。実は私は20代の頃、宇都宮の文具卸屋で商品の配送の仕事をしていて、足利には毎週来ていた。30年前の話だ。その頃、足利学校なんて復元もされていなかったし、寂れた町という印象しかなかったが、さすがに、金をかけて足利学校を復元し、私の住む川越のように町並みを観光化していったということだ。あっちこっちで生き残ろうとみんな必死なのだということが伝わってきた。

 実は、私の勤め先の大学も今将来構想に大変で、生き残りに必死なのである。八王子キャンパスから撤退を決め、来年度からは、神田に学生を集中させる。いろいろと混乱があるが、時代の流れから見ればやむを得ない選択である。ただ、問題はそのような必死さを、大学の教員がどれだけ共有しているかだが、どうもそんなに危機意識を持っているようには思えない。私は短大で、生き残りに必死な側である。短大は、全国で消えつつあるからだ。自分の職場が簡単に消えてもらっては困るから、何とか日本で最後の短大にしようと頑張っている。だから、いろいろと改革したり、さまざまな試みをしている。

 それに比べて四大の学部の方は気楽なものだが、今度の神田集中化で一応は人気を取り戻すだろう。でも、これはかえって危機を深刻にするだけだと思っている。神田集中効果は2年で終わるだろう。後はまたじり貧が続く。神田集中化で現状に満足してしまうと、次の危機に対処できない。一度定員割れを起こすと、あっという間に財政危機に陥り、潰れかねない。今全国のどこの大学も危うい綱渡りをしているのが現状だ。町おこし、大学起こし、自分「起こし」と、とにかくいつも何かを「起こし」て行かなきゃならない面倒な時代を生きているのだ。「こころみ学園」もまたワイン「起こし」で元気になっている。何かを「起こす」のはつらいけど気分は悪くない。願わくば私のいる大学も何か「起こし」てくれないかと祈るばかりだ。私は自分でいつも何かを「起こし」ているが、孤立無縁でというよりやり方もうまくないのだとおもうが、なかなか広がっていかない。もう疲れたので、人が「起こす」のを今は眺めていたい気分である。


「遠野物語パネル展」はうまくいきました。 05.10.21
 学園祭が、15・16日に行われ。私の演習のゼミの「遠野物語のパネル展」も参加した。とりあえず成功したと言えるだろう。見学者も多かったし、アンケートの評判も良かった。ほんとに忙しく準備したかいがあった。パネルは学生の作ったものが18枚、私が作ったのが6枚、まあまあの枚数だったのではないか。写真と解説、インクジェットのカラー印刷だし、けっこうきれいに仕上がっている。

 会場には、「遠野物語」関連の本と、ここ何年かのレポート集を並べておいた。特にこのレポート集の評判が良かった。私は演習の授業の最後に必ずレポートをパソコンで一定の書式に打たせて提出させる。字数も4千字と以上と決めてある。全員のレポートを印刷して、小冊子にまとめ、レポート集として全員に最後に配るのだ。これを毎年やっている。みんな自分のレポートが他人の目にさらされることになるから、いい加減なレポートは書けない。短大生のレポートにしては出来はよい。そういうところが評判の良さになったようだ。

 トラブルもあった。学園側から借りたパネルボードは、何の役にも立たなかった。パネルを学園指定のテープで貼るがみんな落ちてしまった。結局使うのをあきらめた。こっちで用意したボードはそんなことはなくむしろ、バックが黒なのでパネルが目立ち、評判も良かった。学生がというより、私が個人的に楽しんだ学園祭だった。でも、学生も、自分のパネルを作り、それを大勢の人に見てもらって、楽しかったのではなかろうか。作ったパネルは持ってかえってもらう。いい記念になると思う。

 忙しいのはあいも変わらず。でも、学園祭が終わって、何か体に力が入らず、しばらくリハビリの日々だ。気分転換に古川日出男『アラビアの夜の種族』を読んだ。物語の面白さを凝縮したような本だということで読んでみたが、確かに、途中までは時間を忘れるほどだったが、途中から読むのが苦痛になってきた。最初は結末が未知であるからわくわくするが、途中から、最後がどうであろうとたいしたことはないなと思うようになってからは、読むのが辛くなった。要するに、途中でストーリーの内部にいることができなくなって、ストーリーの外部に出ざるをえなくなったのだ。この本は、結局、日本のアニメ界の想像力が生み出した、異界の魔神や悪霊ものだというように全体を了解してしまってからはストーリーの内部にもどれなくなってしまったのである。細部の想像力は感心できても、全体の想像力は驚くには値しない。そこに、こういった読み物が抱える困難さがあるだろう。おそらくは、こういう物語を書く情熱は、細部を構想する想像力の楽しさであって、全体の想像力ではないからだ。仮に全体の想像力に情熱が注がれれば、こんな物語は誰も書かない。とすれば、私は、いつもないものねだりをしながら本を読んでいることになる。やっぱり、気分転換に本を読むなんてことは出来ない性質なのだちよくわかった。

 10月17日は私の56回目の誕生日だ。よりによってその日に小泉首相が靖国参拝をした。まったく迷惑な話だ。別に靖国に行くなとは言わないから、首相を辞めて好きなだけ行けばいいだろうに。靖国については何回も書いてきたのでもう書く気もないが、アメリカにあれだけ遠慮して、イラク派兵までして(かつて小泉さんは自衛隊の海外派遣反対派だったのに)、志を曲げているのなら、何も中国や韓国にだけ志を貫かなくったっていいだろうに、と思うのは私だけではないだろう。

 外交とは交渉だが、その交渉に、思想の自由だとか、心の問題だとか、持ち出したって意味もないことは誰だってわかる。靖国問題が、外交でマイナスのカードであって、日本の世界的な地位を低め、一方国内的には、ナショナリズムを高めて、外の批判に耳を閉ざす力になる、ということである。外交は、経済の安定や安全保障に深くかかわる。いったい何を考えているのか。たぶん、戦略があってやっているのではなくて、頑固にやれば相手(中国・韓国)も折れてくるだろうぐらいの気持ちだったが、案外に強硬なので、こっちも引くに引けなくなった。こうなりゃ最後までやるしかない、というのがほんとのとこだろう。

 たぶん、中国だってそのくらいのことは分かっていて、小泉は靖国に必ず行くから、それを外交カードとしてうまく使い、ガス田問題や、国連問題、アジアの主導権争いに優位に立とうと、逆に参拝反対と強硬に主張している(言えば言うほど靖国参拝するから)、というわけだ。つまり、靖国に行くたびに、日本は外向的に不利になり、安全保障や経済の面でよけいな出費を強いられ、アジアでの地位を失っていく、という構造になっているというわけだ。アメリカも、いい加減にしろと、日本に不快感を持っているらしいことは、ニューヨークタイムズに靖国参拝批判の記事が出ていたことでわかる。どうやら、この問題で、日本に味方する国は世界にはいない。

 内向きでどんなに正しいと思ってもそれが外側に通用しないことはいくらでもある。特に宗教が絡めば当然の如くに起きる。イスラム社会と欧米の衝突は、イスラム内部の正義が欧米社会で通用せず、欧米社会の正義がイスラムで通用しないという面が一つの原因であり、また事態を複雑にしている。この衝突は、簡単な外交ではかたが付かないから、時には戦争もしくはテロまで行く。日本の内側で正しいと思っていることが、外側でそうでないとき、(むろん、靖国問題は内側でも正しくないという意見はあるが、それはそれとして)、どうするのか。戦争(戦争がおおげさならテロでもいい)まで覚悟して主張を貫くのか。

 戦略とはここまで考えるということだ。相手がそのうち分かってくれるなんていうのは、戦略でないし、相手に手玉に取られるだけである。かつての日本の戦争は、明らかに外交の失敗であり、戦略なき内向きの主張の結果であったことは、多く指摘されている。GNPが日本の10倍もあるアメリカに戦争を仕掛けたとき、誰も勝てるとは思っていなかつたらしい。ただ、負けるという言葉を口に出せなかったのと、そのうちなんとかなるという程度の戦略なき決断で戦争に踏み込んだと言うことだ。その結果、3百万もの命が失われた。

 世界は今、ひょつとしてガス田開発の地域で、中国と日本が偶然にしろ武力衝突して戦争になるのではないかと注目している。そうならないとは思うが誰も断定はできない。そうなったら、今の内向きの日本はまた馬鹿なことをしでかすかも知れない。それが心配だ。そういう外交のリアリズムから言えば、日本がどうしなければならないかは明瞭だろう。だが、そういう冷静さが声として力を持たない今の状況は健全ではない。困ったことだと思う。

学園祭で「遠野物語」のパネル展をやります  05.10.10
 昨日、山形へ日帰り。芸術工科大学で、雲南映像フォーラムが開かれ、工藤さんと見に行った。ワ族の文革前の映像資料が上映された。日本での上映は初めてだと言っていた。共産党が、少数民族政策の一環として作ったフィルムだが、なかなかよくできていた。ドキュメンタリーであるが、かなりの演出が入っていて、思わず笑ってしまう部分もあったが、その演出は、ワ族文化を忠実に再現したものであることはわかるので、資料としては貴重である。特に、首狩りに集団で行くシーンなどは、やらせと言っても、撮影当時ほとんどの村人は首狩りを直前までやっていたはずだから、その雰囲気や熱気は本当のものに近いと見ていて思った。

 この映像を持って来たのは、雲南民族大学(かつては民族学院と言っていたが大学に格上げされた)の映像学科の教員達で、中国の大学でも、映画や映像を大学で教える時代になったのだと改めて感じた次第である。民族資料等の映像を撮影する問題点などで、シンポジウムがあり、中国の人たちの話は、新しいことをやっているというような意気込みや無垢さを感じたが、それに対して、日本側の発言は、やや、映像を記録する側が抱える矛盾やジレンマを指摘していくものだった。つまり、反省的なまなざしであるが、これは先進国のアカデミズムの一つのスタイルである。

 そういう反省的な意見に、中国の人たちが、必ずだれにも理解される普遍性があるはずだと答えていたのは、印象的だった。無垢といえば無垢なのだが、この無垢さはやはり大事なのではないかと思った次第だ。彼等の映像の普遍性を信じる無垢さは、彼等が属する中国という国家や社会に属している自分の位置を問わないことで成り立つ面がある。従って、いずれ、そういう無垢さが色あせてきたり、否定され始めたときが、かれらの映像文化にとってのターニングポイントになるだろう。それは学問も思想も文学も同じ事だ。ただ、普遍性を信じる、という無垢さだけは、ほんとうは色あせないものだろうし、色褪せてはならないものだと思う。むろん、普遍性とは何か問うこと抜きにこのことは語れないにしても、それがなきゃこんなことやっている意味がないという、普遍性とはそういうものであることは確かだ。

 そのことを印象深く思ったのは、いまだ、普遍性のイメージが明確に見えてこないということがある。あることは確かなのに、それが見えないのはつらいことだ。いまだやみくもに仕事をしているのは、たぶん私を無垢にさせる普遍性が見えていないためだ。ただ、だから私はだめなのだとは思わない。映像や文学や学問を根拠づける普遍性がないからだめだと言うのもまた言い過ぎだろう。ひとそれぞれ身の丈に合う普遍性をそれなりに目指していきているのもまた確かだし、私もきっとそうなのだ。

 そんなことをふと考えたのも、映像は20分足らずに終わったのに、シンポジウムがえんえんと3時間半も続いたためだ。映像を取る側の悩みをいろい3時間以上も聞かせられて正直疲れた。が、ワ族の映像は、それに見合うとても貴重なものだったので、わざわざ山形まで行った甲斐はあった。

 5日に紀要の原稿を提出。「繞る歌がけ」という題で、2000年に小石宝山の歌垣を調査した際の2時間47分の歌の掛け合いを翻訳した資料を載せた。男女会わせて300首。日本語訳のみの掲載だが、それでも、原稿用紙で180枚はあった。工藤さんは、4時間を越える掛け合いの記録を、国際音声記号と中国語と日本語とで記して、来年本に出す予定。わたしはとてもそこまではできないが、でも、それなりに長い歌垣なので、白族歌垣研究にとって重要な参考資料になるとは思う。

 先週から、15・16日に行われる学園祭に展示するためのパネル作りで毎日忙しい。テーマは「遠野物語の世界」。2年生の演習で、今年は学園祭にみんなで参加するぞと、最初に宣言してしまったために、やらざるを得なかった。どうやって参加するか。いろいろ悩んだのだが、一人一枚ずつ、遠野物語をテーマにしたパネルを作ってもらって、それを展示しようと決めた。パネルは、A2の糊付きのもので、A3を2枚プリンターで印刷して貼り合わせて作る。展示パネルなので、写真と文字との組み合わせで、なるべく見てわかりやすくきれいなものを作る。

 写真は、遠野物語の文献からとる。むろん、出典明記で使う。夏休みに、自分のデジカメでとった遠野風景や、参考文献の写真をスキャナーで取り込みデータベースを作り、学生達に配った。学生は、自分のテーマに会った写真(むろん自分で撮ったものやさがしてきたものでもよい)と自分の文章を組み合わせ、パソコンでデザインし、プリンターで印刷する。パソコンとプリンターは私の研究室のを使うので、私は学生がパネルを作る時はほとんどつきっきりになる。ただでさえ忙しいのに、先週から目が回っている。でもこういうのはやっていて楽しい。なんせ、初めての試みなので、どうなるかみものである。

 いろいろとトラブルがあって、例えば、パネルを貼りつけて展示する、移動式のボード(大きなパネル)がないと実行委員会の方で言ってきた。それで、展示用のボードは自分で作ることにした。ホームセンターに行って、木材とプラスチック系素材の軽いパネルを買い、当日組み立て、展示用のボードパネルにする。こんな調子でいろいろと遊んでいる。学園祭の日は是非、岡部ゼミ有志の「遠野物語の世界」のコーナーにおいで下さい。13階の教室で展示しているはずです。このままうまくいけば。
 
時々選挙に行かない理由 05.9.22 
 後期が始まり、いよいよまた仕事の季節になった。夏休みの間授業の準備をしようと毎年思うが出来たためしはない。だから、授業が始まると途端に忙しくなる。もっとも、そうでなくても、毎年会議やらAO入試やらオープンキャンパスやらで夏休みなどというものは名ばかりのことになってきている。要するに、授業がないだけましだ、という程度だ。
 
 今回の選挙には家にいなかったので行けなかった。もっとも、全共闘世代で、かつて若いときに革命だとか欺瞞的な戦後民主主義打倒とかを唱えていた身としては、選挙に行くという行為にいまだにうしろめたさがある。かといって、行くものかというほどのこだわりを持っているわけでもない。私のかつての仲間にはいまだに死ぬまで選挙には行かないと決めているものもいる。彼は、NHKも絶対払わない主義だったが、ハイビジョンの見れる大きな薄型テレビを買って、受信料を払わないと画面に受信料催促の文字がいつまでも出るのを知って、払うと言い出した。

 今時快楽を我慢して思想を貫くなんてことは、よほどのことでない限り誰にも起こらない。個人的にはあってもみんなに起こるとしたら、それは社会自体が崩壊か革命か、要するにひっくり返るような時だ。それはそれでいいのだと思う。今快楽を我慢しないと、いざというとき、つまり世の中を変革するような時で誰もが変革の主体になれるような時、そういう時にかっこよく動けないから、今から快楽を我慢して思想を鍛えようなんて発想は、連合赤軍が示したように、悲惨な結果を生むだけなのだ。

 何も快楽優先ということではない。快楽は適度に抑制した方が何事もうまくいくのは、昔からある知恵のようなものだ。話がそれたが、要するに、選挙に行かない理由などというのは、全共闘世代のこだわりやプライドみたいなもので、たいしたものではないが、でも、その気持ちはよくわかる。私もしばらくは選挙に行かなかったが、外野から選挙結果をあれこれ批評したりするのもつまらない気がして、どうせその結果が少しは気になり、その結果にあれこれといちゃもんをつけるなら、やっぱり参加しないと面白みがないと、選挙に行きだした。ゲームに参加しないとそのゲームを楽しめないということだ。

 当初は自民党でも野党でも同じ体制だと思って、どっちでもいいやと思っていたが、やはり変化というのは魅力的で、日本の野党は実は自民党より保守的だと言うことはわかっていたが(革新を標榜する左派の保守性はすでに明らかになっている)、政権交代くらいしたっていいだろうと野党に入れていた。そんな感じだから、用事があったり、気が乗らないときは、選挙には行かなかった。

今回も、家にいないということもあったが選挙には行かなかった。小泉の圧勝という予想もあって結果が見えているのでいいやという気になったのもあったが、それより、選挙よりたのしいことがその日にはあって、そっちをためらわずに優先したということだ。

 選挙結果には確かに驚いた。政権交代くらいしろよというのが正直な気分だから、民主党の惨敗は残念だし、また靖国問題が出てきて中国で仕事がしづらくなると、気が滅入ったのも確かだ。この選挙結果にいろんな論評が出ていたが、週刊朝日にでていた小倉千賀子の評が的確だったように思う。要するに、民主党は労働貴族の党なんだ、ということだ。本来、今の社会で憂うべきは、正社員になれない派遣やパートの人たちの給与の低さと待遇の悪さだ。

 この人たちの割合が確実に多くなってきていて、大量の社会弱者を生んでいる。この人たちの抱える問題の解決がなければ、少子化も、年金問題も何も解決しない。日本は、発展途上国並の社会矛盾を抱えた国になるしかない。この解決は、国家のシステムとか構造の変革まで踏み込まないと無理だろう。ところが民主党は明らかに正社員の側の利益代表になっている。確かに年金の最低保障は良い案だが、そういった弱者のセーフティネット自体の構築は、実は今のままのシステムの日本では、ほとんど無理だということが本能的にわかっている多くの若者が、暴走気味の小泉に希望を託したということだ。正社員の組合員の立場に遠慮した民主党は、このやや自暴自棄気味の層を鼓舞する元気も説得力も確かになかった。

 介護保険自体がすでにアメリカ型の小さい政府とは相容れないという指摘がある。つまり、日本はそんなに簡単に小さい政府にはなれない。ヨーロッパ型のシステムをいずれは取らざるをえないだろう。ただ、効率的で経済的でしかも手厚いセーフティネットを作る、理念もノウハウもあるいはそういう思想もないことが問題なのだ。官僚国家が税金をとって福祉に予算をばらまき、その予算で福祉関係の法人に勤める者が豊かな暮らしを享受する。そういう構造が問題であり、たとえ小泉でもこの構造は壊せないだろうと思う。むろん、ほとんど国家官僚か組合官僚出身者の民主党だって無理だとは思う。が、政権は交代しないとつまらないから民主党なのだ今のところは。

 今の政権選択のキーワードとなっている大きい政府と小さい政府のどちらを選ぶかという二項対立にだまされてはいけない。政府や国家は小さい方がいいに決まっている。小さくても、社会福祉が行き届いた社会をどう作るかというのが、本当に問われるべきことなのだ。今のままだと増税をして福祉予算をたっぷりすいあげて社会福祉官僚を大量に生産するばかげた社会になるか、自助努力だと言って福祉予算を削り弱者に冷たい情けない社会かのどちらかになるに決まっている。どうしらいいかというと、これもすでに語られていることだろうが、国家に頼らない相互扶助的な共同体的ネットワークの構築を、地域の底辺から構築して行くしかないだろう。そういうネットワークにすくわれない人たちを国家が助けていく、ということだ。地域共同体が崩壊した現在、自分が自分を助けるのでなく、われわれがわれわれを助ける社会を、宗教や高尚な理念の助けなしにどう構築できるか、それが問われている。

 先に国家ありき、ではこれからの我々の抱える問題は解決出来ない。たぶん、マルクスが描いた国家の死滅は、資本主義の矛盾的展開の果ての革命という予想とは違った方向で進んでいる。社会の生活者の一人一人が、老いや、孤独や、病や、あるいは、精神的な落ち込みや、寝たきりになることや、引きこもりなどや、登校拒否や、あるいは失業や、正社員になれないことや、そういう、大きく言えば資本主義の矛盾であるにしても、だからといって資本主義体制を否定するという単純な理念ではどうにもならない課題に、知恵を働かしながら相互扶助的な関係の中で一つ一つ解決を見いだしていくとき、国家は超えられ、その役割を小さくしていくのだと思う。共産主義や社会民主主義のだめなところは、国家を大きくしたまま、その役割の縮小へと舵をきらなかったことだ。

 国家が作る官僚的な福祉システムより、資本主義の苛烈な競争環境の中で助け合って生きないとだめだと気づいた人たちが、伝統やさまざまな知恵を動員して作る相互扶助的なネットワークの方がはるかに効率的で、希望がもてる。国家から権力や予算を引き出して解決しようなどと発想したとたんに、問題の解決は遠のく。そろそろそういうことがだんだんとわかりかけてきた、今そういう時代でもある。私が選挙にあまり乗り気でないのは、そういう時代にふさわしいことを言う政治家が見あたらないというのも一つの理由である。

 
相手の建国神話を許容する品性  05.9.6
 29日から31日までの遠野ゼミ旅行も終わり、4日ほど休んで、さてこれから、紀要論文の執筆にとりかからなくてはならない。数年前に取材した小石宝山の歌垣の3時間半の歌の掛け合いの翻訳を、テープ起こしし、それを分析するというものだ。白族の長い歌の掛け合いについてはすでに工藤さんが原稿化し、単行本で出版予定なので、こちらとしては、きままに感じたことを分析すればよい。

 遠野には、10人乗りのトヨタハイエースワゴンをレンタカーで借りて、学生8人を乗せて、私が運転して東京から遠野まで行った。レンタカー代、ガソリン代、高速料金含めて、総額10万円弱。一人1万円強で、2泊3日分の遠野までの交通費がすむ。とても安い。民宿は一泊6500円。総計、一人2万4000円程度ですんだ。一応フィールドワークという目的の合宿であったが、学生等にとってのいい想い出になればいい。ただ、学生達は夜お喋りしすぎて、民宿から苦情が出た。注意を怠った教員の私が「おとなしい先生ですね」とやんわりと嫌みを言われた。壁の薄い民宿ではマナーが必要。わかっていたが、みんながやや興奮気味でおしゃべりするまたとない機会、少し大目に見て上げようと思った私のミス。私の予想より、学生の声は民宿中に響き渡っていたらしい。やはり、6500円の民宿だ。壁の薄さは半端ではなかった。

 日本では選挙の真っ盛り。自民党の圧勝という予想だ。20代・30代の無党派層が自民党支持だという。若者は、かつては与党は応援しなかつたものだが、最近は違うらしい。むろん、自民党が勝とうと民主党が勝とうと、現在の日本が劇的に変わらないことくらいは分かるし、今や、何が保守で何が革新か分からない時代だから、ひよっとすれば、小泉の方が革新に見えるのだろう。

 小泉の弱点は外交問題であるが、それが争点にならないことが今度の選挙では小泉に優位になっているのだろう。年金問題は、770兆もの借金がある財政赤字への解決策がない状態では、どんな解決策もリアリティがない。ただ、最低年金保証を打ち出している民主党の方が、政策としてはポリシーがあり、よりましだということだろう。

 むしろ、私は仕事上、中国との関係をどうするのかということの方が気になる。テレビ等で、保守系の論客や政治家の意見が今はとても優勢だ。それは、靖国問題で中国はけしからん、中国は信用できない、中国とは友好は無理だから距離を置け、というものだ。確かに、共産党の独裁という政治体制や、あの反日的な教育やプロパガンダを見ると、そういいたくなるのもわかる気はする。中国好きな連中も、一応、そういう中国批判をしておかないと気まずい雰囲気が今の日本にはある。一億総中国嫌いという雰囲気になってきている。

 が、こういうのを私は信用していないし、重大視もしていない。なぜ、今みな中国バッシングになってきているのか。話は簡単だ。日本が中国なしにはやっていけなくなってきているからである。中国の経済発展抜きに、今の日本の好景気は語れない。つまり、中国の経済発展におんぶにだっこの形で、日本は自らの経済を支えて行かざるを得ないのである。中国の影響力はすでにアメリカを抜いている。日本の膨大な財政赤字は、中国のあの貪欲な消費欲望によってしか解消されないことは、本当は誰もわかっていることである。つまり、中国の経済と消費力に頼らなくては、日本は生きていけないということだ。

 そのことの認識と、中国バッシングが連動するように起きている、ということに注目すべきであろう。つまり、どうあがいても中国なしには日本はやっていけない。その苛立ちのあらわれが中国バッシングであり、歴史の見直し問題であるということだ。言い換えれば、これは、自分へのやるせなさの極めて内向きの苛立ちであって、一種の負け犬の遠吠えのようなものである。つまり、そのような意見が、世界の外交や、アジアの外交の意見として堂々と通用するかどうか考えれば、通用すると言える者は、ほとんどいないことがわかるはずだ。この苛立ちは、かつて日本は近代で中国をリードしたのに、何で民主国家でない中国に頭を下げなきゃかんのかといった微妙なプライドの問題がかかわっていよう。その意識に、中国を自分より下に見たいという意識がないとは言えない。

 中国嫌いな小泉も安部も、中国に余り行ったことはないし中国人の友人もいないし、中国と取引しなければやっていけないという条件もない、つまり、中国との関係を回避出来ないというリアリティからもっとも遠い所にいる政治家である。テレビ等で中国バッシングをやっている連中もおしなべてそうだ。そういうリアリティなしに日本国内で悠々と生きていける脳天気さと、中国バッシングは連動しているのである。

 問題は、そういう流行とも言える雰囲気が、日本をミスリードするかどうかだが、それは心配はいらない。圧倒的に、多くの日本人は、実は、経済や生活のレベルで中国と深く関わってしまっているからである。中国嫌いの政治家や論客に、このリアリティを無視できるほどの気概があるとは思えない。むしろ、どう悪口言っても中国との関係は動じそうにもないから、それなら不満を言いたいだけ言おうというようなところだろう。生産的ではないが、その気持ちは分からないではない。それが案外中国との関係に良い効果をもたらすことだってあり得よう。ただ、重要なのは、それはあくまで周辺的な、遠吠えのようなものであるということを理解するかどうかである。

 日本の不幸は、与党の政治家が、内向きで、遠吠え的な、発言しかできないということである。中国へ乗り込んで堂々と喧嘩する気が最初からあるわけではない。むろん、喧嘩して、日本が政治的に孤立し経済的な損失を覚悟することまで引き受けることなど誰だって出来ない。言い換えれば、どんな中国嫌いの政治家が、首相になろうと、対外的には、謝罪を繰り返し、内向きには、中国バッシングを繰り返す、ということを、またまた繰り返すだけであるということだ。それを全くだめだいういうつもりはない。不幸ではあるがまあまあ妥当なところだろう。良くも悪しくも、徹底して対外的にも自らにも過去を曖昧にしながら、生活や経済優先で生きてきたわれわれの姿そのものだからだ。

 ただ、膨大な借金(国債)を早く返して、年金や社会保障を健全なものにするためには、中国との関係改善は必須だということだ。中国バッシングの感情はわからないこともない。中国へ行っていたとき、抗日戦争勝利で60周年記念の国民的行事のまっただ中で、あのナチスと同じ日本人が中国の貧しい農民をいじめ、そして、人民解放軍にやっつけられる映画を、イヤになるほど見せられた。こりゃたまらんなというのが正直な気持ちだったが、冷静に考えれば、この抗日戦争勝利の物語は、中国の建国神話なのだ。神話だから事実と違ったりするのもありなわけで、例えば、日本は直接的には人民解放軍に負けたわけではなく、アメリカに負けたわけだが、この神話にはそのことは触れられていない。現に、日本が太平洋戦争をしていたことを知らない中国の若者がけっこういるという話だ。

 つまり、抗日戦争勝利が中国のアイデンティティになってしまっているのだということがよくわかった。欧米の自由と民主主義が、対ナチズムへの勝利によって確立されたという神話があるから、欧米では対ナチ戦争勝利の映画が延々と作られ、ドイツ人はそれをイヤでも見なくてはならない。それと同じなのだ。仮に、日本が中国のアイデンティティである建国神話を批判するなら、日本は、自分の神話をも批判しなくてはならないだろう。例えば、日本は侵略などしていないなんていう方向へ歴史を見直すのも一種の神話作りだし、一方で、原爆被害を過剰に語りすぎるのも神話作りだ。自分の神話を批判せずに相手の神話だけを批判するのは説得力がないし、フェアではない。

 それなら神話は批判できないのか。そんなことはないだろう。お互いつきあわなくてはならない以上、不快に思うことは言い合うほうがよい。問題は、神話を国家の教育や対外政治の駆け引きに利用することだ。そういったことを抑えれば、その神話がおもしろくないものであっても、許容は出来るだろう。そのような神話無しには、その国は自分たちの精神性をまだ作れないらしい、と思うぐらいの気遣いがあれば、そんなに腹立たしく思わなくてすむ。今、欠けているのは、そういう許容力であるのは確かだし、また、神話に頼らない、国と国との付き合いだ。

 日本の中国への優位さは、そのような神話なしに、自立した国家を作り得たというところだったように思うが、最近、それも幻想だったのかと思うようになった。結局、あんまりかわらんのか。アメリカだって、民主主義という神話に縛られて、戦争を繰り返す。民主主義を錦の御旗にして国家や企業の利益を露骨なまでに追求する。相手の国の神話などおかまいなしに踏みにじる。アメリカはともかくも、せめて日本くらいは、多少不快に思っても相手の建国神話をある程度許容する度量があってもいい。あんまり不快なら、それはそれで文句を言えばいいが、そのためには、自分達の作った神話への批判的認識も必要だ。そういった一種の品性を持つことが、たぶん今の日本には必要なのだと、中国から帰って強く思ったことだった。

信心深い中国人たちを見る  05.8.28
 21日夜に中国から帰国。22日には古代文学会の夏期セミナーで箱根に出かける。その晩4時近くまでしゃべっていて、5時半に起きて、というよりほとんど夜明かしして、箱根登山鉄道を6時に乗り小田原に向かう。小田原から新幹線で名古屋、名古屋から高山本線で高山へ。12時に高山駅で、供犠論の人たちと待ち合わせして会議。次の日に、午後2時のバスで松本へ。安房トンネルを抜けると2時間ちよっとだ。特急梓で茅野へ。茅野では奥さんが迎えに来ていて山小屋に一泊。次の日、梓で東京の学校へ。AO入試の面接だ。26日、27日はオープンキャンパスで仕事。「千と千尋の神隠しの文化論」という模擬授業をやる。この授業はいつも好評。ただ、いつまでやれるか。来年くらいが限度かな。今日日曜がつかの間の休みだが、明日から、2泊3日で学生を遠野につれて行く。私がレンタカーを借りて運転していく。交通費を安くあげるためだ。

 というわけで、相変わらずだ。さすがに今回は人からタフですね、と何回も言われた。確かに。中国から帰ってから、永藤靖編『法華験記の世界』(三弥生書店)を読む。この書評を今日中に書かなくては。

 中国の取材は何とかうまくいった。大理(下関)に行ってみたら、案の定、話がだいぶ違っていた。村人は来ることになっていない。どういうことかというと、どうも村から道路までは村人は出てくるが、道路へ我々が迎えに行くことになっているという。それは話が違う、と思ったが、まあこういうことはよくあることなので、それならとタクシーをチャーターして、村人が待っている道路まで迎えに行かせることにした。往復5時間のところだ。でも、この程度のトラブルですんでよかった。

 村人は四人来てもらった。村人は、村からジープで道路まで出て、待っていたらしい。どうやら村の役所のジープらしいが、ジープで村までいけることは確認。それなら、何でジープでこの町まで来なかったのだと聞くと、ジープの運転手は免許を持っていないからだという。つまり、村から幹線道路までは無免許でもいいというわけだ。納得。一人は村の書記長、歌は歌えない。後の三人が歌を歌えるのだが、歌王ではない。これもまたわれわれの期待とは違ったのだが、文句は言えない。歌王に会いたけりゃ村に行くしかないのだ。打歌をホテルの庭で歌ってもらった。ゆっくりとしたリズムで、スローに歩きながら歌う。ところが創世記の歌は、一時間ほどの歌だと言うが30分も経たないで終わってしまう。全部歌ったというが、どうも略しているらしい。長く歌ってほしいと言ったが、雰囲気が出ないのでだめだという。確かに、そうだ。でも、白語で歌った歌を記録は出来た。これは収穫だろう。それ以外にもいくつか歌ってもらった。

 収穫は、西山調という掛け合いの歌を収録できたことだ。打歌は儀礼歌で男だけが歌うものだが、西山調は、男女の掛け合い歌である。これを一部収録できた。西山地区の人たちは、石宝山の歌垣には参加しないという。割合近いのだが、彼等と歌のメロディが違うのだ。言い換えれば、同じ民族で同じ言語であっても、地区がちょっと違うと歌文化が違ってしまうのである。この発見は大きかった。例えば歌文化が違うとどういう事が起きるかというと、男女の歌の掛け合いが出来ないということになる。大理地区の白族と西山地区の白族のもの同士の結婚式は、新郎新婦の歌文化が違うので、客同士が歌を掛け合うことが出来ない。だからみんな麻雀をやっている。つまらない結婚式になると言っていた。

 大理に雲南大理民族学院という新しい大学が出来て、そこの研究所の所長と会った。来年、われわれの学会で石宝山の歌垣を見に行く計画を告げたら、来年その日程にあわせて白族文化の研究シンポジウムを大理民族学院と共同で開こうと提案された。こちらとしても、賛成で実現するよう努力しますと答えておいた。ということで、来年中国でシンポジウムを開くことになってしまった。まだどうなるかわからないが、日本側の責任者になりそうな私の責任の重いことは確かだ。また忙しくなりそうだ。

 今年の中国は、ホテルにほとんどこもりきりだったが、最後の日が一日空いたので、西湖という湖の村に行ってみた。灯籠流しをやっているかどうか調べに行ったのだが、やっていなかった。が、たまたま中元節つまりお盆で、家々で先祖(死者)の送り火をやっていた。ある家におじゃましてそれを見せてもらった。その家は新盆で、親類が集まってそれはにぎやかだった。先祖に着せる着物や紙銭もそれから先祖の乗り物である輿を紙で丁寧に作って、それを庭の真ん中で燃やす。別の家では、自動車と馬を紙で見事に作り上げて飾っていた。それを燃やすのだという。40代の死者で、現代風に車であの世に帰るのだということらしい。そこまで、死者の帰る手段を想像する彼等の死者への思いに正直心打たれた。

 昆明に帰ると、大都市である街中の、ちょっと裏に入った道路の歩道では、あちこちでやはり先祖を送る送り火が行われていた。街中で一抱えもあるような大きな紙の袋を持ってきてそれを燃やすのである。危険と言えば危険だが、石塀の下で燃やすのでそれなりに安全なようにはしている。中国人の信心深さを垣間見た思いだ。燃やす場所には必ずチョークで丸い円が描かれている。その中で燃やすのだが、なぜ円を描くのだと聞くと、無縁仏にお金を持って行かれないようにするためだという。要するに結界だ。ある家族は、最初に円を描かないで燃やしていたので、どうしてかと聞くと、無縁仏を最初に送ってしまうのだという。灰は、本来は川に流す。かつてはみんな近くの川に流していたが、今は環境問題で、川に流すのを禁止されている。ゴミ捨て場に持っていく。中国も時代はやはり変わってきている。

 中国への行きの飛行機と帰国の帰りの飛行機で、偶然同じ女性が隣の席に座った。それが縁ではなしをしたら、何と、理科大の川野さんの知りあいで、つまり共通の知人をもっているということで話が盛り上がった。彼女は昆明出身の優秀な女性。上海の大学では英語を学び、日本の国立大学に留学。都立大学で博士課程に進み、今は日本の企業で働いているキャリアウーマンの中国人だ。川野さんは都立大学で助手をしていたので、よくしっているらしい。縁とはおもしろいものだ。英語と日本語が堪能なその中国の女性の話によると、中国の日本企業は給料が安くて就職できないので、上海の外資系で働きたい、そのキャリア作りに今日本の企業(といっても超有名企業)で働いているらしい。なんかすごいなあ、というのが感想だった。彼女もお盆を故郷で過ごすために昆明に帰っていたそうだ。送り火をしたのかと聞くと、やはり歩道に円を描いて紙銭やら着物やらを燃やしたと答えた。

久しぶりに長編を読む 05.8.12
 中国への出発はいよいよ明後日になった。小泉首相は15日前後の靖国参拝を見送る方針という。ほっとした、というところだ。だがこの問題のとばっちりは、やはり調査研究に及んでいる。やはりこの夏、雲南に民族文化調査にはいることにしていたK氏から調査を断念するとの連絡が入った。調査地の役人が、調査に来る日本人を逆に調査する必要があるといいだしたらしい。どうも、靖国問題以来、辺境の地でも役人や共産党の幹部はかなり反日的になっていて、日本人を簡単には入れないということらしい。それで、調査を断念したということだ。

 幸い、私の場合は、役人を通さずに、長年一緒に白族の歌垣調査に協力してくれた民間の研究者の助けを借りて、山奥の奥地の村人を町に招いて歌をうたってもらい、記録するという調査なので、そういう面倒なことは起こりそうにはない。ただ、村人が日本人に反感を抱いていたらそれはわからない。何せ、中国だ。何が起こるか分からない国だ。ただ、今度招く村人の地域は、かなり孤立した地域で、人々は、かつてほとんど村を出て町に出たことはなく、戦後、共産党の宣伝隊がこの地域に入ったとき、この地域のほとんどの村人が、8年続いた日中戦争のことを知らなかったという報告がある。

 本当は、私が村に入らないといけないのだが、夏はその地域には車が入らず、馬で行かなければならない。予算と日程が限られている身としては、とてもそんな余裕はない。そこで、町へきてもらうことにしたのだが、それもこれも、私の力ではなく、地元の研究者の力による。ありがたいことだ。

 西山という地域なのだが。白族の歌の聖地とも言われている。打歌と呼ばれる歌がこの地域にはあり、今回はこの打歌の調査だ。特に、創世神話を問答形式で歌い伝承している。これはとても特異で、あまり例がない。この創世神話の記録が今回の目的だが、上手く行くかどうか行ってみなければわからない。今まで、こちらが想定したように調査が完璧に首尾良くいった経験は一例もない。突然、思いがけないことが必ず起こる。例えば、町へやってきた村人が実は歌が歌えない連中だった、なんて事があり得る。当然、歌王と呼ばれる歌い手に来てもらえるように頼んであるが、向こうは、誰でも行けばいいんだ、なんて調子で来ることもある。行ってからのお楽しみだ。むろん、そうなったら、これまで準備してきた苦労は水の泡だが、そんなに悲観していないのは、そういう時はそれはそれで別の思いがけない発見があるからである。

調査は思い通りに行かない、行かないから、逆に思いがけない発見がある。そのことの繰り返しなのだ。そう思うしかない。まったく人生みたいだ。

8月に入り、少し本が読める余裕が出来、三冊ほど読んだ。工藤さんから薦められた、篠田節子の『弥勒』と、それから、新聞の書評欄で興味を持った高田理恵子『グロテスクな教養』、それから、村上龍『半島を出でよ』の三冊である。

 篠田節子の『弥勒』は数年前の本ですでに文庫化されている。チベットのある小国(架空)が舞台だが、仏教王国とも言うべき理想郷(外国人から見た)の小国が、革命軍に制圧されてしまう。その王国の仏教美術に魅入られた日本の新聞記者が革命軍に支配されたその国に潜入するが捉えられ、革命軍の理想国家建設の悲惨な現実を目の当たりにする、という筋書きだ。その悲劇とは、あのポルポトによるカンボジアの虐殺とと考えればいい。「キリングフィールド」という映画があったが、設定はあの映画とよく似ている。要するに、合理性を根拠にした理想主義が、行きすぎると、合理性からもっともほど遠くなり、最悪の事態をもたらすということだが、何か読んでいて辛い小説だった。

 この小説の面白さは、ディティールがしっかりしているので、読み手が理想主義者、つまりポルポトの側に感情移入できることだ。読みながら、何人死んでもいいから理想郷を実現すべきではないか、と思わせるように誘導していく迫力がある。しかし、理想主義は何でうまくいかないのか。その答えは、例えばこの小説では、少数民族の文化が持っていた知恵を迷信として排除したからだというようにも語られる。むろん、人間の欲望をまったく否定したら、理想主義などすぐ破綻する。ある意味では、革命軍の理想主義は定石通りに破綻していくのだが、この小説では、ある人数を養える食料の生産量を超えた数の人間が村落に強制的に移住させられた結果、その社会は破綻するしかないと割合冷静に分析しながら筋を展開する。言い換えれば、少ない生産量に見合う人口に人間が減れば(死ねば)理想主義は現実化する、と語るのだ。

 結局理想主義は自然の摂理にやはりかなわないということだ。この論理を推し進めれば、アフリカの飢餓も、その少ない生産量に見合う程度の数にまで人間が死ねば解決するということだ。その意味では、大変空しい原理を描いている小説である。このようなむなしさこそがこの小説の魅力であるが、なぜそこまで空しくなれるかというと、この小国は、外界と隔絶し、外部の視線が注がないからである。つまり引きこもりの世界では、自然の摂理を超えたことによる矛盾は、そもそも解決不可能になる。ポルポトの理想主義は、本来外部の思想だが、それが引きこもりの思想に変わったとき、自然の摂理まで戻さないと(つまり理想主義を掲げるのがばからしくなるくらい人の数が減っていかないと)問題は解決しなくなる。

 理想主義は本来生産性を上げて、自然の摂理を超えた人数を養える様にする思想だが、引きこもりの思想になると、逆に、生産力を衰えさせ人間の数を減らし(殺し)自然の摂理にまで退行していく思想となる。考えて見ればソ連もそうやった崩壊したのではなかったか。その意味で、20世紀の理想主義の悲劇を象徴的に描いた面白くも読んでいて辛い物語であった。

 『グロテスクな教養』は面白いと言えば面白いが、結局、何が言いたいのかよく分からない教養書であった。著者は、男の教養を徹底的にこき下ろす。なるほどと思うとろはたくさんある。私は男だが、男らしいエリート主義に辟易している人間なので、こういうこき下ろし方は読んでいて面白いし、日本的エリート主義の矛盾の指摘も納得だ。だが、教養とは何なのだ。その定義を最後まで避けてしまった事が、この本の印象をいまいちにしている。著者は男の教養を価値として疑わなかった人たちを「いやな気分」にさせるのが目的だったと書いているが、それはそれとして、やはり教養は必要だとも最後にちょこっと語る。むろん、その教養は女が担うなどとは言っていないが、もっとはっきり言って、フェミニズムの本にしたほうがすっきりした気はする。あるいは、この世に教養なんてものは必要はないとニヒリズムの立場に立つのもよい。結局どの立場にも立てず、教養をあいまいなままにして終わった。まあ定義の難しいことはわかるにしても、何とか定義するくらいの努力はするべきだろう。そう思った。

村上龍『半島を出でよ』は読み物として大変面白かったが、読後感があまり残らない小説である。要するに、世界の中の引きこもりである北朝鮮が、よく分からない動機で、日本の福岡を占拠するという話だが、この国家テロを防ぐのが日本国内の引きこもり系オタク集団であるというのが、この小説のポイントである。つまり、国家秩序は、引きこもり国家のオタクテロに対抗できず、日本国内で疎外されているオタクテロ集団にすくわれるという話なのだ。それにしても、「昭和歌謡大全集」では、杉並区だったか世田谷区だったかを小型核で壊滅させた連中の末裔が、何で日本をすくわねばならんのか、よくわからなかった。

 病系の人間を描かせたらそれなりの迫力を持つ村上龍が、その病系のものたちを、最後に国家をすくう英雄にしてしまった話を、おもしろがれといっても、ちょつとなあ、というのが正直なところだ。そう言えばエヴァンゲリオンも病系じゃないけどキレる少年が敵と戦うという話だったが、社会の危機を救うのは、こうい病い系のもの達でしかないという、一種の新しいヒューマニズムがそこにはあるのだろうか。村上龍は、新しい時代の流行を読み取るのがうまいから、案外、この作品はそういうヒューマニズムを描いているのかとも思ったが、考えすぎか。

 久しぶりに長編の小説を二冊読んだ。いずれも一日か二日で読んだ。まだまだ集中して読む気力があることを確認できた。以上の本はあまり積極的に人に薦められるような本ではないが、本を読む自分を確認したという意味で、良い本であった。


以下の時評は倉庫4に納めました。→ 倉庫の中の時評4へ
 どうなることやら 05.7.28
 現代は古代にもある。  05.7.7
 靖国問題について考えた  05.6.25
 気分が落ち込んだら病気? 05.6.10
 場違いなところで生きている気がする  05.5.26
 「こころみ学園」に感動する  05.5.16
 中国の若者に明るい未来はあるのか 05.4.22
 ナショナリズムをどうやって超えたらいいのか 005.4.11
 鹿児島・寧波・上海  05.4.2
 すさまじい孤独   05.3.21
 「振り込め詐欺」とホリエモン  05.3.13
 快適な生き方を求めて  05.2.23
 ゆがみはよくない   05.1.23
 妄想の私と微生物の私  04.12.28 
 授業評価と文学過程説 04.12.10
 言葉の世界を耕して「笑み」を  04.11.22
 ナナのお葬式がすんで 04.11.14 
 ここしばらく厳粛です 04.10.30 
 声とネットの幸不幸 04.10.19
 幸不幸の基準で比較することとは  04.10.9
 不合理な人間のあり方について考える 04.9.25
 神懸かるタイプとそうでないタイプ 04.9.13
 中国から無事帰国  04.9.6
 問題はサッカーを見に行けない中国の若者の側にある  04.8.12
 中国とプロ野球問題 04.7.25
 機会の均等と品性の問題  04.7.2
 宮沢賢治と幼児の自己嫌悪  04.6.8
 新しいプロレタリア文学と抑制の美学  04.5.31
 漁師がおまえの魚の取り方は国家に批判的でないからだめだと言う時代に  04.5.19
 情の国日本の行く末 04.5.1
 情緒的なときは判断を誤る 04.4.19
 「悩ましい」でなく「悩む」問題  04.4.11
 プロレタリア文学とパレスチナ 04.3.30
 短大復活か? 04.3.14
 ノスタルジーの向こう側 04.2.25
 ナナの病  04.1.27
 曙とホームレス 04.1.13
 今年最後の時評 03.12.17
 人を扶養するってどんな気分?  03.11.14
 日本最後のトキは何を夢見て激突死したのか   03.10.27
 誰かが誰かにあなたは要らないという時代に  03.10.9
 何故自分をかっこよく語らないのか 03.9.21
 明るい革命家なんているのか  03.9.5
 残暑お見舞い申し上げます 03.8.22
 12歳の少年と「海辺のカフカ」  03.7.17
 楽しんでいることを教えられるか 03.6.23
 風邪を引いた日本  03.6.11
 温泉で考えた  03.5.31
 移動するリスク  03.5.12
 戦争は文化なのか 03.4.21
 アメリカはトロッキストになった  03.4.7
 戦争と市民 03.3.31
 過激派ブッシュ  03.3.25
 面従腹背について考える  03.3.13
 すぐに謝るか謝らないか  03.2.28
 象を選ぶかネズミを選ぶか 03.2.9
 パソコンの故障とクローン人間  03.1.27

以下の時評は倉庫3に納めました。→ 倉庫の中の時評3へ
 テストは受けるのも出すのも嫌いだ。 03.1.10
 ニワトリはタマゴを生まないのだ  03.1.7
 人柱と日本の病  02.12.23
 宿命論としての段階論  02.12.9
 拉致問題と本質的に考えるということ  02.11.26
 批評と歴史   02.11.18
 ローポジションとハイテンション  02.11.10
 中国映画に思わず涙する 02.10.28
 人は何故誕生日を祝うのか  02.10.18
 心を金で買うのは悪いのか   02.10.9 
 可愛がられることと食べられることとの間  02.9.29
 首狩り文化と北朝鮮  02.9.18
 松明祭りと金、金、金……  02.8.20
 イ族の松明祭りへ行くことに  02.7.24
 批判的に見るか素直に見るか 02.7.15
 カーンのその後とカルスタのその後 02.7.1
 イチローより新庄  02.6.24
 サッカーの勝利をどう祝うかそれが問題だ 02.6.10
 研究とビデオ映像と肖像権  02.6.3
 縄文遺跡と殺人鬼 02.5.27
 中国瀋陽での日本総領事館事件とナショナリズム  02.5.18
  人間であることとはどういうことか 02.5.13
 壮族の歌垣と連歌とグローバリズム 02.4.21
 生活を「知る」こと・議員給与疑惑 02.4.12
 中沢新一はイスラームの過激派を論じられるか 02.4.1
 大競争の時代は面白いか 02.3.19
 国益と生活者益 02.3.12
 鈴木宗男は悪いのか? 02.2.25
 「千と千尋」とNGO  02.2.3
 途上の大学は可能か  02.1.18
 「花祭り」の少年達 02.1.6
 アメリカ帝国の時代に考えること 01.12.22
 今ここにいる理由 01.12.7
 知のバリアフリー 01.11.26 
 文体とおしゃべり、どっちが勝ちか 01.11.12
 グローバリズム化の中での生き方 01.10.29
 狂牛病とテロと国家  01.10.12
 日本のジレンマ 01.9.24
 21世紀と柳田民俗学  01.9.5
 哲学と研究 今年の夏季セミナーを終えて 01.8.23
 8月15日の過ごし方  01.8.7
 構造改革の次はどういう社会か  01.7.31
 アバウトになれるか・「オールアバウトマイマザー」の教訓  01.7.25
 イチローと小泉総理と教科書問題  01.7.16
 朗読バトルと心の闇 01.7.2
 正常と異常と病 01.6.18

以下の時評は倉庫2に納めました。→ 倉庫の中の時評2へ
 HSPな人達の時代    01.6.10
 「本当に書きたいことはあるのか」  01.6.1
 出会い系サイトは「寂しさ共同体」   01.5.22
 評論は「芸」である。 01.5.14
 自分はかけがえのないものなのか。  01.5.8
「病系」の歌い手たち  01.4.27
 「働くことがイヤな人のための本」の憂鬱 01.4.20
 「新しい歴史教科書を作る会」のイロニー 01.4.9
 帰農者の悲哀  01.3.30
 ホームページ開設一周年  01.3.19
 内面は研究できないのだろうか。 01.3.7
 引きこもる人の言語論   01.2.28
 能動的でないから文化なのだ  01.2.18
 女のオヤジ化  01.2.9
 「もてない男」へのまなざし   01.2.6 
 シャーマニズムの社会性 意味づけられない生を生きる  01.1.29
 「複雑系」を読む ベータの悲哀 01.1.23
 プロセスのない共同体  01.1.17
 明るさを捨てた少女達 01.1.11
 発展途上国とアニメ 2001.1.4
 遊びでやれよ!NAM  00.12.25
 明るい鬱  00.12.19
 何のために書くのか  00.12.11
 「何を」でなく「いかに」の大学 00.12.5
 母のパラドックス 00.11.30
 日本的なるもの 00.11.22
 教養って何だろう。 00.11.15
 石器ねつぞう事件で失われたものとは何だろう  00.11.7
 「リバーズエッジ」とイ族の供犠の儀礼  00.10.30
 村の外か中か  00.10.22                               

以下の時評は倉庫1に収めました。→ 倉庫の中の時評1へ 
ロボットと熊と神様  00.10.17
現代人は何故『死者の書』を読むのか  00.10.12
篠原は何故「めちゃ悔しい」と言えないのか  00.10.5
回転寿司的リアリティ 00.10.1
感情的であるということ  00.9.25
歌の力 00.9.21
プロレスとアマレス 00.9.17
神経症にかかった縄文人  00.9.13
中国帰国報告 その2  シャーマンに会ってきた 00.9.10
中国帰国報告 その1 民俗調査の難しさ 2000.9.5
何故「死者」の声を生者は聞くのか。  00.8.7
「文学」はどうなるのだろう? 00.7.31
自分探しの果てに現れる神
      田口ランディ「コンセント」を読む
  00.7.27
境界領域に立てこもるという戦略 00.7.24
こっこの歌詞は……… 00.7.18
椎名林檎の歌詞がおもしろい 00.7.16
誰もその言葉を聞いてくれないシャーマン 00.7.8
隙間だらけの言葉 007.3
関係の自給自足 00.6.27
パラパラと少数民族的文化 00.6.21
人はどういう姿勢で働くべきか 00.6.16
「自由に生きる」とはどういうことなのか 00.6.10
「神話」解釈と「死」への誘惑  00.6.4
陰陽道は好きですか   00.5.31
テクノロジーと非テクノロジー  2000年5月28日
「神の国」発言と「古事記」  2000.5.23
映画「ワンダフルライフ」とバスジャックの少年 00.5.15
人間の壊れやすい時代 2000.5.8(5.10)加筆
寺山修司とアニミズム 00.4.14
認識することとふるまうこと  00.4.2
   柄谷行人 『倫理21』(2000.2.23 平凡社)を読む
人間を優しく肯定する村上春樹 00.3.19
   村上春樹『神の子どもたちはみな踊る』(新潮社 2000.2.15)を読む
公的な生き方と私的な生き方 00.3.29
閉じられることと、開かれること 00.3.25

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