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テストは受けるのも出すのも嫌いだ。 03.1.10
パソコンの調子が悪くて修理に出すことになった。二週間かかるという。だから、当分、このホームページ更新はできません。つまりしばらくお休みです。といっても、二週間程じゃ、休むというほどでもないですが。

仕事の方は授業もだいたい終わって、後は、試験だけ。毎年も試験には本当に悩まされる。何のために授業をやっているかというと、自分が学んできたこと、知っていること、考えたこと、そういつたことをできるだけみんなに伝えたくて授業をしている。なにしろ短大の学生に教えるのには、あの手この手の工夫がいる。細かいことはわかんなくてもいいから、この先生いったい何を教えたくてここで必死になっているのか、というように思わせることが出来ればいい。とりあえず大まかでも簡単に言うとこういうことを伝えたかったんだ、ということが伝わればいい。そういう気持ちで授業をやつているのだが、困ったことに、こういう方針でやつていると試験のしようがなくなるのだ。

試験というのは、結局、細かなことを問わざるを得なくなる。大まかなポイントはだいたいしつこく言っているしホームページの講義録に書いてもいる。本当はレポートがベストなのだけれど、受講生が多いとレポートをを読むのも評価も大変だ。客観的に評価出来るのはやはりテストということになる。だが、こつちはあの手この手でポイントを教えている。つまり、なるべく全員に伝わるように工夫している。とすると、試験をする意味というのは、私にとって、全員に自分の言いたいことが伝わったかどうかのアンケートみたいなもので、個々の評価ということと意味合いが違ってしまうのだ。むろん、具体的で細かなことを問う方法もある。でも、何となく、それってつまらない気がするのだ。細かな事って、実は、忘れてもいいのだ。大事なのは、その細かなことを通して、何が見えてくるか、ということで、その何かというのは、言ってしまえばとても短く言えることだ。

さて、試験とは、その細かな部分を出してそこから見えることを述べよ、と出す。でも、細かなところはたいてい忘れているから、出来ない子が多い。でも、その出来ない子でも、こちらのいいたいことは伝わっていたりする。むろん、問題は、そういう細かな事から言いたいことを見出すプロセスにあるのだから、忘れてはいけないということも言える。が、試験というものは、たいていその細かな事を何処まで覚えているか、というようになりがちだ。というのも、個々の評価ということは、学生の差別化であるから、効果的なのは、授業への集中力を試すことで、そうすると、覚えているかいないかというようなことになってしまう。

 私はそういう問題の出し方はしたくない。本当はある細かな事実から抽象的な何かを導くその思考力を試したい。が、そういう試験はきちんとしたレポートにする以外はなかなか困難なのだ。テストという限られた時間や字数の中でそれをやると、質問が高度になりすぎてたいてい誰も出来ないということになり、逆に易しくするとみんな出来るということになる。

 だから試験は受けるのも出すのも嫌いだ。人を評価するのも嫌いだ。でも仕事だからそんなこともいっていられない。私の評価によつて、自分の人生が決まったりする、そういうシステムの中で私も学生も生きているのだからわがままは許されない。が嫌いなモノは嫌いだ。低い点数をつけることは、結局、教えている自分の責任であるような気になる。たしかにこいつは絶対許せんていう学生もたまにはいるが、なるべく、こいつだけは落としてやる、というようなうらみつらみでもって評価なと゜したくない。教員の人格形成にこれはよくない。教員の人格があまりよくないのは点数をつけることでその学生の生殺与奪の権利を握ってしまうからだ。あんまり授業中うるさいと最後に思い知らせてやる、などと私だって思ったりするのだ。

 結局、教員にとって、教えることと試験で評価することとは一つの矛盾ということなのではないだろうか。昔の徒弟制度のもとでは、試験なんてものはなく、それなりに自分の弟子の出来不出来がわかるものだったろう。そのなんとなくという部分が近代の教育からは排除された。そこには平等の原理と競争の原理が働いている。平等と競争、それが試験の思想である。しかし私は平等と競争という原理に基づいて教えていない。頭が良ければその良い程度に、悪ければその程度で、それぞれに、生きかたがあって、自分の教えたいことは、その生き方にとって切実さの度合いが違う、だから差が出てくる。その差を本当は、競争原理の中で評価したくはないのだ。少なくとも、私には、読み書きそろばんのような基礎的な技術を教えているのではないという思いがあるからだ。

 今切実ではないと思うものにはそのうち切実になるよ、といって教える。今効かなくても数十年後に効いてくればいい。むろん、だから、私の授業は私語を許さない。数十年後に効かせるためにはとにかく私語をしていてはだめだからだ。試験はどうしても、頭の回転が速かったり、要領がよかったり、要するにこの現在の社会への適応力の度合いをはかると言う要素が強くなる。だから、短期間でどれだけの適応力がついたか、その具体的な指標をみんな求めたがる。試験はある意味で自分がどれだけの適応力を身につけたかの指標でもある。それはそれでそういうものだと思う。が、やっぱりそういうものでもないんだなあ。

文学は人間の内面を教えることだ。内面の理解とは内面の中の出来事だ。とすれば本当に理解されたかどうかはその学生の内面をのぞき見るしかない。だから内面に届くように授業をする。その結果を外面的な指標ではかる試験で決着をつける。まあ、教育とはこういうもんだとはいえ、試験期間が近づくといつもゆううつになるのだ。

ニワトリはタマゴを生まないのだ  03.1.7
 あけましておめでとうございます。それにしても、この時評まだ続いてます。いい加減に終わりたいのですが、続けて欲しいという声もあって、
なかなか止められません。こうなると一種の中毒みたいなものですね。別に、ホームページを利用してメッセージを発しようなどと言う気もないし、かといって、日記の公開のようなものでもないし、誰に向かって書いているのか分からない、実に中途半端な時評です。続けているのは、ほとんど自分のボケ防止です。考えたことを書いておかないと最近すぐ忘れてしまうものですから。別にホームページでなくてもいいのですが、たまたまこういう形でやり始めたので、惰性で続けています。

 それにしても、ちっとも晴れ晴れしない正月だ。今年はどんな年になるのやら。

 ここのところ悩んでいるのは、進歩という概念に信頼がおけなくなってしまつたことだ。進歩とは何だろう。人間の社会は進歩しているのだろうか。仮にそうだとしたら、犬や猫の社会はと゜うなのか。人間だけが特権的に進歩しているとするなら、その進歩とは何がどうなることだというのだろう。こういう問いは、きわめて宗教的かあるいは哲学の根本命題のようなもので、あまり、考えるものではないが、年の始めだから少しこだわってみる。

 進歩とは、動いていくことだ。とりあえずそう言えるだろう。動くとは変化していくこと。変化していく動きの一つの形容だ。むろん、そうであるとすれば退歩もある。進歩することが、犬や猫に対して人間だけの特権とするなら、変化していくことが人間だけの特権ということになる。つまり、生物の中で人間だけが特権的に進歩し退歩する。むろん、他の生物もそういう動きを持つが人間の動きが異常に早いということだ。

 こういう理論はエントロピーの理論として結構説かれている。つまり、エントロピーの量が生物界の中で人間だけが膨大だということだ。エントロピーがある一定の量に達すれば世界はビックバン以前の状態に戻る。つまり、死を迎える。つまり、人間は世界の死を早めている、ということになる。エントロピーの理論で言うと進歩とはそういうことらしい。つまり、ある物資世界の平衡状態が突然崩れ、不均衡になってしまっているのが、ビックバン以降の現在の状態であり、この不均衡状態は、エネルギーをたくさん放出していくことでやがて元の均衡状態に戻るということだ。とすると、元に戻るのを遅らせるためには、なるべくエネルギーを費やさない方がいい。その費やすエネルギーの残滓の量をエントロピーと言う。だから、生物で言えばなまけものがエントロピーの量が少なく、人間が一番多い。

 ただ、純粋な生物学的な熱量の問題で言えば身体のでかい(生命維持の熱量はその体積に比例して多くなる)象が一番多いのだが、人間は、自分の生活を維持するために、象が自分を維持する以上の数倍の熱量を使っている。むろん、これは、国によってかなり差があって、アメリカ人は、使用する熱量の利用から言えば彼等の体積は恐竜並みだと言われている。貧しい途上国の人たちは、それこそ、象より小さいかも知れない。

 こう考えると、人間が生きているのは一つの矛盾である、というようにさえ感じる。が仕方がない、熱量をたくさん放出して快適な生活を営むことが、われわれにとって生きるということなのであるから。さて進歩とは何だろう。話が広がりすぎて、答えがつまらなくなりそうなので、見方を変えよう。

 動くこと、変化すること、それを宿命づけられたとき、人間は、その宿命が不幸でないことを祈って、その動きや変化を進歩と名付けた。たぶん、そんなとこだろう。進歩というからには、動きや変化の先は幸福がありそうだが、実は、そう簡単じゃ無いこともわかってきた。人類がマンモスを追って生きていたときの社会の幸・不幸の格差は、まちがいなく、今よりは小さかった。ある個人の幸福度は増すが、人類の幸福度は減りつつある、というのがどうやら進歩がもたらしたものだ、といってしまうとあまりに悲観的になるか。

 動いたり変化すれば、たくさんの情報が必要になり、その動きを把握する意識の働きも複雑になる。その意識の働きが自己であり、その自己は、意識の働きが邪魔されることを嫌う。「自由」への渇望はこうして生まれる。動いたり変化すればするほど「自由」は必要になる。「自由」が、人類の動きや変化が急激に拡大した産業革命以降に発達した概念であるのはそのためだ。言い換えれば、動いたり変化しなければ「自由」は必要ではない。意識の働きをそれほど活発にする必要がないからだ。

 ところで、「心の起源」(中公新書)で、鶏が先か卵が先かという問題に対する生物学的な回答が出ていた。生物学的には、タマゴは生殖細胞でニワトリの身体は体細胞。つまり、生殖細胞が体細胞という別種の細胞に包まれている状態がニワトリとタマゴの関係であるという。答えはこうだ。生殖細胞であるタマゴは、本来は生殖細胞であるタマゴを残すものであるそうだ。つまり体細胞であるニワトリの身体は、タマゴにとって、派生的なモノに過ぎない。つまり、タマゴはタマゴを生むのであって、ニワトリは生まないのだ。とするならニワトリつて何だろう。生殖細胞にとっては、ある意味で余分なものにすぎないらしい。理想を言えば無くてもいいものなのだ。が、環境への適応からか、体細胞による重たい体(動く動物)をつくりだしその動物の体を通さないと生殖細胞のタマゴが生まれないようになってしまった。これはニワトリのタマゴが抱え込んだ悲しみである。

 タマゴにとつてニワトリの身体は進化(進歩)した姿ではない。ある意味で余分なものに過ぎない。このことは、生物と人間との関係に置き換えられよう。人間は、原初的な生物から進歩した存在ではない。余分なものなのだ。だから、人間という傲慢な生き物を生み出してしまった生物の悲しみが聞こえてこないか。われわれは余分を生きているということだ。何やら、今すぐにでも出家しなければ行けないような雲行きになってしまった。こんなはずじゃなかったのだが。

 とにかくだ。余分だと思えば幾分楽になって楽しくならないか。進歩しなきゃいけないと思うから、話がややこしくなる。ニワトリはタマゴを生まないのだ。タマゴがタマゴを生むのであって、ニワトリの身体はその都度派生的に生まれる余分なものに過ぎないのだ。つまりわれわれのこと。タマゴをうまなくていいということがわかっただけでも、ほっとした人がいるんじゃないか。まあ、寂しくもあるが。悪くはない話だと思うのだが。
 

人柱と日本の病  02.12.23
 21日・22日は供犠論研究会で、新潟の板倉というところへ行った。直江津のすぐ近くである。そこに人柱供養堂というのがあって、それ見学するというのが、ここで研究会をやる目的の一つである。人柱の伝承は各地にあるが、たとえばその伝承通りに人柱になった人の骨が出てきたなんて話はまずない。が、ここにはあるのである。

 ここの村はかつて地滑りで苦しんでいた。通りかかった僧が災害を防ぐために自ら進んで人柱になったという伝承がこの地にあり、その伝承通りに、瓶に入った遺骨が近年発掘された。調べると、瓶の年代も遺骨の年齢も伝承通りであるということである。そこで、人々は、人柱堂を立てて僧を祀った。人柱堂の中には、祭壇のところに遺骨が展示されている。

 人柱の伝承はいくつかのパターンがある。通りかかった親子を人柱にする、というのは、柳田国男が注目した人柱伝承で、柳田はそこ母子神の面影をみた。供犠論研究会でも、人柱をどう見るか意見が分かれて、竜神への生け贄とする説、人間そのものを土木工事の礎とするという説等、が出された。いずれにしろ、人柱は伝承に過ぎないというのは、この地の人柱の遺骨の発見によって覆されるわけである。むろん、誰かを捕まえてきて無理矢理人柱にしたかどうかは分からない。少なくとも、この地の伝承は僧が自ら人柱になることを望んだというように伝えられているが、実は、本当にのぞんだかどうかは、遺骨がでたからといって証明されたわけではない。無理矢理だったかも知れない。

 実は、最近考えているのは、われわれは、より安定した暮らしを求めて、社会の仕組みやそれこそ政治もしくは儀礼といったものを生み出していくはずなのに、どうして、時に不安定な社会を作ってしまうのだろうか、ということだ。たとえば、それを人柱と考えて見る。ある社会で、社会の安定を神に保証してもらうために、人柱が必要だと考える。その人柱の数も半端じゃないとする。とすれば、その社会はとても不安定になるだろう。むろん、そういう不安定さを避けるために、外部のものや、共同体の特殊な人たちを人柱にしたりするのだが、逆に言えば、それだけ人柱が社会を不安定にしかねないということである。

 文化人類学的の理論で説明してしまえば、答えは簡単で、要するに、内部を外部の力によって一時的に不安定にし、外部を排除することで内部が安定するのだ、という理論である。確かに、そういう理論で説明はつくのだが、しかし、そういう破壊と再生の繰り返し自体は、社会の内部に不審を生まないだろうか。不審を内在させるからこそ、そういう文化自体が、結局は、近代化によって失われていくのではないか。そういう不審を文化人類学は説明しない。

 地滑りは不安だが、実は人柱も不安ではないか。村人にとって自分が人柱にならないとしても、選ばれる可能性がないわけではない。伝承では、村人の誰もなり手がいなかったので、僧が進んでなったとある。つまり、人柱はかなり村人に不安を与えたことがわかる。仮にこれが恒常的に行われる村の儀礼だったら、人々にかなりの不安を与えただろう。仮に毎年何人かの人柱を犠牲にするということが行われたとしたら、この儀礼を村人は止める事が出来たろうか。止めるとしたら、それはどういうきつかけだったか。

 何故、こういうことを考えるかというと、中国少数民族のワ族の首狩り儀礼を彼等は何故止められなかったのか、何故止めることが出来たのか、それを考えているからである。首狩りをするのは、穀物の不作といった不安を取り除くためである。が、一方で、そのことは自分たちの首が狩られるという不安を代償として伴う。その不安が、穀物の実りへの不安よりとてもわずかなものならば、その儀礼はある合理性をもつだろうが、同じほどの不安量だったら、あるいは、首を狩られることの不安の方が大きかったら、その儀礼は不合理である。

 それでも、その儀礼はやめられないものなのか。止めることの恐怖が大きかったと仮にするなら、彼等が人民解放軍に解放されたとき、何故止めたのか。そんなにすぐ止められるものなのか。そこのところが実は知りたいところである。仮に、彼等が首狩りをしていたときからその文化的行為に不審を抱いていたとするなら、実は、とてもわかりやすい。だがそれは、不審を抱いていても自分たちではどうにもできないということでもある。

 今、日本は日本病と言われる病の中にいる。自分たちのシステムが悪いと思いながら、誰も直せないでいる。不審を抱いていながら止められないのだ。自分たちが一度作ったシステムを、それが自分たちをだめにするとわかっていても、なおしたり止めるというのはどうやらとても大変なことらしい。が、考えようによっては、そういう人々(ワ族や日本人)は、外部という、自分たちの意志を越えた何かにいつも身を任せているということなのである。ワ族にとって彼等の首狩りを止めさせた毛沢東は神であった。たぶん、われわれも、日本病を救う外部の力を神を待つように待っているのだ。

 この時評は今年最後になります。みなさんよいお年を。
 
宿命論としての段階論  02.12.9
 今日は関東地方も雪だ。今日は授業がないので、家にいるが、雪がやむまでナナの散歩もしないでいる。ナナは、ストーブの前に寝そべって雪の止むのを待っている。寒い中を散歩するのはいやらしい。玄関から表を覗いて家の中へ引き返した。散歩は後でいいと言う。犬は雪の中を駆け回るのが好きだなんてのは嘘だ。もつとも、山小屋の方へ行くと、鹿や小動物のにおいがいっぱいなので雪の中を興奮して駆け回るが。

  12月は寝ていようと思ったが、そうは行かない。世間は、動いていて、寝させてくれない。クリスマスまで会議が入っている。こんど、今までの論文を集めたものを本にすることにしたので、その校正が今月中にはくるだろう。来年度の授業計画もかんがえなきゃいけないし、上代文学の原稿が来月の10日までだ。21日には、供犠論研究会が新潟である。そこでワ族の首狩り儀礼の話をする予定。それから、私の師である平野仁啓先生が亡くなられて、その遺稿とわれわれ教え子の論を集めた論集の計画もあって、その原稿も書かなきゃいけない。

 吉本隆明の「超戦争論上下」を読み終えた。とっても読みやすい本だったが、久しぶりに吉本の相変わらずの肉声を聞いた感じがした。吉本は、しきりに世界の各文化や文明の流れには「段階」がある、と言う。その「段階」を「アフリカ的段階」「アジア的段階」「西欧的段階」とおおざっぱに整理する。この段階は今の各民族や国家を規定していて、そのどの段階にあるのかを考えて、論理を組み立てないと、問題は解決しないのだと主張する。その主張は以前からのものだが、最近アフリカ的段階が加わったということだ。

 いわゆる左翼の段階論は、われわれにとって批判の対象だった。ヘーゲル的な段階論は、文明は、理想に向かって成熟していくのだから、歴史は、その段階を踏んで進歩していくのだとする。つまり、段階論というのは、歴史は進歩していくのだと、もしくはそのはずだ、そうでなきゃいけない、という認識を前提にしている。そういう認識自体は別に否定はしない。進歩しない未来なんてつまらないから、進歩はあった方がいい。進歩の中身が問題だが、いずりにしろ、今の矛盾や不幸の解決というもののイメージを理想にするのだから、それはそれでいい。

 問題は、その段階の途中に位置するわれわれはどう振る舞うかだろう。唯物主義的段階論は、段階をエスカレーターの段差のようなものとみなした。科学というエンジンによって、人類は理想の世界に運ばれるものだと考えた。だから、科学を絶対化し、エスカレーターにのることを他者に強要した。エスカレーターに乗れないもの、乗りたくないものを粛清までした。ソ連のエスカレーターは昇りでなく悲惨な下りだった。段階論はそういう恐い思想を産んだ。

 吉本の段階とはどうもそのようなものではないようだ。ヘーゲルから借りてはいるが違うとも言っている。歴史とは、ある段階を通らないと前へ進まない、そういうものなのだ、ということをただ強調する、そういう段階論だと理解した。つまり、階上に向かって、どうしても前進しなきゃいけないものとしてより、われわれの社会が抱えた不幸というのは、この段階という階段を一歩一歩登るしか解決のしようがないんだぜ、と言っているのだ。むろん、個別的には、アフリカ段階だってアジア段階だってそれなりに良い社会はあるだろう。問題は、それらが全部ごちゃまぜになってしまうと、つまり、世界にその存在を知られていない孤立した社会などもうこの世に無くて、われわれの社会がそれこそ世界としての全体の一部になってしまうと、世界は段階を踏んで、問題を解決していくように進んでいくもんなんだ、ということだ。

 ただ、世界は均一でないし、一つの社会にいろんな段階があることだつてある。物質的にはみんな西欧的資本主義の豊かさを願望するだろうが、精神的には、アフリカ的段階が良いと思ったりする。けっこうこの段階という奴は込み入っているのだ。でも、吉本に言わせれば、人間は自由という本質を求めるように動いていくものだから、歴史はそういうように動く。ただ、その動き方は不均質だから段階が成立するということになる。段階があるのかどうかよくわからないが、考え方としてはよく分かる。何事もわれわれは段階を踏まないと前へ行けない。そうシンプルに理解すればよくわかる。ただ、大事なのは、そういうものだとして、段階の途中にいることが分かっているとき、必死に上を目指して登らなきゃいけないのか、ということだ。でも、吉本が言っていることは、どんなにがんばったつて、段階を踏まなきゃ前へ行けないよ、ということだ。つまり、アフリカの原住民がいきなり西欧の大学に入って西欧の文明に乗り換えようとしても無理だということだ。どっかにゆがみが出るということだ。

 とすると、われわれがまだまだアフリカかアジアの段階なのだとして、エスカレーターに乗っていりゃそのうち階上に着くのか、あるいは、一歩一歩階段を上がる努力をしなきゃいけないのか、ということを聞いて見たくなる。だが、吉本は上昇志向というものを嫌う。段階があるから、世界の民族や文化は均一ではない。段階を踏まないで一足飛びに上のレベルにはいけない、そういうことだけは言っている。が、どうやって上へ行くのか、つまり革命なのか、資本主義的な動きに身をゆだねるように流れに任せるのか、そういうことは言っていない。むろん、言えないだろうが、それを言わないというところが、吉本の吉本たるゆえんなのだ。

 たぶん、個人個人が理想という普遍性をそれぞれの内部に抱え込んでいけば、おのずと段階は越えられる、ということなのであろう。しかし、おおかたはそういう答えには満足しない。そういう理想を持った奴が人とどう関わればいいのなか。それが聞きたくなる。理想を持たない奴、あるいは理想と反対のことをしている奴とどうつき合うのか。が、その点に関しては、吉本は引きこもり的である。知識人が理想をかざして大衆を引っ張っていくんだという発想を取らない。とすると、知識人は、理想を誰にも言えずに孤立することになる。言ったとしても、その言い方は、俺はこう思う、という以上のことは言えない。

 だから孤高の思想家なのだろう。柄谷行人とはそこが違う。柄谷はもっと啓蒙的で、俺が引っ張っていって世の中を変えていくというところがある。吉本が親鸞を理想的な知識人とみなすのは、親鸞が他者を啓蒙しなかったからだ。だとすると、吉本にとって、段階とは、その段階の階段に位置するものにとって、とても大きな壁になるだろう。それはそう簡単に乗り越えられるものではない。段階の途中に佇むわれわれは、一方で、他者とのコミュニケートがうまくいかないものとなってしまう。とすれば、実質はその段階に閉じられて動けないということになる。だから、その段階とは、宿命のようなものなのだ。

 吉本には普遍的な理念は孤立をいつか乗り越えるんだという思いが強固にある。そういう強固さに、実は、私なども共感したし、多くの孤立した若者が救われてきた。しかし、現実的な場面では、そういう強固さは、独善的で思いこみの激しい性格の強調に終わってしまって、いっそう引きこもり的になつてしまうのが常だったように思う。吉本のように、上昇志向を断念するところに、普遍的な理念の有効性が見えてくるなんていう、禅問答のような論理など、誰にも分かるはずはないからだ。

 結局、世界はこの段階に支配されていて、その段階を意志的に越えることはたいへんなのだということがよく理解できた。生活は一挙に近代化できるが、精神は一つ一つ段階をクリアしていかねばならないのだ。だが、その先に理想があるから、みんなを引っ張っていくなんて考えは、不幸な結果を招くだけなんだ、ということだ。じゃどうしたらいいんだ、というのが結局最後に残った問いだった。

拉致問題と本質的に考えるということ  02.11.26
 そろそろ燃料切れだ。今年分のエネルギーをもう使い果たしたようだ。12月は何も考えずに寝ていよう。といっても仕事はしなきゃいけないが、まあ、後は惰性だ(授業はちゃんとやるので心配なく)。今年はよく仕事をした。もう一年分の仕事をしたから、12月はなくてもいい。私の気分にはもう12月はない。気分は冬休みだ。そういかないことはわかってるけど。

 吉本隆明の「超戦争論」上、を読んだ。吉本もなかなか元気だ。タイトルは小林よしのりの向こうを張っているのだろう。9.11のテロについて、テロリストは旅客機の乗客を降ろしてからつっこむべきだった、という主張が繰り返される。それは、そこに人倫の問題があるからという。つまり、人倫を踏み外すテロと踏み外さないテロとは大きな違いがある、ということだ。戦争が戦争の用意のない市民を巻き込む時代、人倫こそが最低のルールだ、ということなのだろう。吉本さんそんなこと言ったって無理だよ、というのが感想だが、そう思いたい根拠はよくわかる。

 戦争にもルールがある。テロも戦争なら、つまり、それなりの大義名分があるなら、ルールを踏み外すべきではない。確かにそうだろう。アルカイダのテロの背景にはアメリカの大国支配や経済のグローバル化による貧富の差がある。問題は、そういう背景が、そういう背景を理由に起きるテロや犯罪まがいの暴力に対して、どれほど正当化しえるかだ。正当化ということが極端なら、どこまで理屈としてあるいは心情として許容できるかだ。ただし、条件は、その暴力の被害に直接合わない、というのが条件である。

 この判断は難しい。背景の問題が解決されない事を非難すれば、その背景がもたらす暴力を非難することはしづらくなるのか。あるいは、両方非難することは、結局、楽で、とっても都合のいい立場をとっているだけなのか。たとえば今度の北朝鮮の拉致問題もそうだ。北朝鮮の拉致は、人倫の道に外れていて許されるべきではない。が、そういう行為の遠因には日本の植民地政策があり、日本だって朝鮮人を強制連行している。とすると、その背景に重きをおけば、北朝鮮への拉致問題に対してあまり非難出来ないということなのか。むろん、そんなことはないはずだ。が、両方を非難するという立場をどうとるかは、実は、とても難しいのだ。

 今、日本中が、北朝鮮の悪をこれでもかこれでもかと暴き立てるのは、戦争でひどい目にあわせたという、北朝鮮に対する日本の道義的なうしろめたさを払拭しようとする意図が無意識にであれあることは容易に見て取れる。われわれよりも北朝鮮の方が道義的に悪なのだ思えば、われわれは植民地時代の負い目から少しは楽になるのだ。だから、今の日本はとても情けない状態である。かといって、過去のこともあり、北朝鮮にも事情はあるのだから、そんなに騒がなくてもいいじゃないか、などという社会党的日和見も情けない。

 吉本の意見で納得出来るのは、こういうぐちゃぐちゃな時代では、本質的に考えないとだめだということだ。吉本は昔からいつも同じだ。私もそう思う。ただし、本質論というのは、時には一番楽な立場の選択でもある。本質論でいけば、過去の日本の行為も許せないし、北朝鮮の行為も許せないということになる。そういう立場は、実は、過去の左翼の立場と同じになる可能性がある。過去の日本が許せないから、北朝鮮の拉致をそれほど追求するのは避ける、という無意識の配慮が確かにかつての左翼にあった。拉致の事実はだいたいみんなわかっていたことで、悪だとわかっていたが見て見ぬふりをしていた。楽な立場は、無意識に面倒な立場を避ける。つまり、本質論は時に日和見になる。そういう立場をとらない本質論とは何か。つまり、当たり障りのない本質論ではなく、何か、これが肝心なんだといった本質論だ。

 もし日本の過去の問題が原因で、拉致の追求に手ぬるさがあるとしたら、それは許せない。本当は、これが本質論である。一人の人間の生命や自由が、その人間と直接関わらない歴史や政治や国家のために奪われてはならない。それが本質だ。たとえ、日本が罪を犯したとしても、日本という公の罪を個人に勝手に負わせて、それを仕方がないなどと思うべきではない。戦争の反省とは、個の自由を公が勝手に奪ってはならないということでもあったはずだ。今度の問題は、その点だけが本質である。そこからすべてを判断するべきだ。

 だから、日本に一時帰国した被害者の意志をきちんと聴かずに、日本に永住帰国させた措置は、個を公が無視した、という点で疑問が残る。むろん、彼等は今は帰ることを望んでいないかもしれないし、帰れば二度と戻れない可能性もある。返したくない家族の心情も理解できる。重要なのは、彼等本人の意志をきちんと聴いて判断したのか、ということだ。経緯を見ればそうではなかつた。だから、怪文書が出て批判されたりする。理想は確かに、彼等が帰国しないで家族を呼び戻すことだろう。ただ、問題なのはそのやり方なのだ。

 今、大事なことは、個が個として自由に生きることを、政治的な理由や、国民的な感情で奪ってはならないということだ。彼等の個としての意志が帰国を望まないならばそれでいい。が、仮にそうでなく、彼等はまだ洗脳されている状態だから正常な判断は出来ない、だから、周囲で彼等の生き方を判断するしかない、として決めたとするなら、結局、彼等は、北朝鮮と日本との両方に翻弄されているだけではないか。だから、この問題はどうもすっきりしないのだ。彼等が個として本当に自由にふるまっているのか、それが見えないからだ。彼等が個としてもし振る舞っていないのならば、われわれは、過去の日本の振る舞いすら反省していないということになるからだ。洗脳云々は、彼等への冒涜である。生きていくために彼等はいろんな屈辱を受け入れてきた。そういう判断まで洗脳というのは人間いうものを軽くみることだ。

 今大事なことは、彼等を一人の自由な個人としてわれわれがそっと見守り、彼等が自由に判断できる環境を作りその判断した意志を尊重することだ。北朝鮮に戻らず永住の方針を聞いた彼等の一人が記者会見で「国の決めたことだから仕方がない」と語った。国家の暴力にあって「仕方がない」とあきらめて生き延びてきた彼等に、われわれはまた彼等に「仕方がない」と言わせてしまったのだ。このように彼等に言わせてしまったことで、われわれは北朝鮮を非難する資格をかなり失ったことになる。こういう言い方が北朝鮮を利すると批判するものがいるかも知れない。が、それは、個よりも国家を優先する立場である。個を優先することが出来ないなら、われわれは、過去の反省も出来ないし、北朝鮮を非難する資格もない。吉本の本質論を読みながらそんなことを思った。
 
批評と歴史   02.11.18
 16日は上代文学会のシンポジウム。今年の後半はこのシンポジウムのことがずっと頭にあって、終わってやっと解放されたという感じだ。どういうわけか、去年の今頃から、シンポジウムのパネラーばかりやっていて、実に一年に四回もやった。去年の11月に古代文学会の500回例会記念大会で、歌垣のことを話し、今年の春には俳句文学会でシンポジウム。短歌と俳句の連続性のことなどを話した。7月には「口承文藝学会」の大会でやはりシンポジウムのパネラー。これは「口承資料の保存。利用。活用」という不思議なテーマだった。そして11月に上代文学会というわけだ。どうも、私は、ああいう場所で面白い話をするだろうと思われているらしい。確かに、場慣れはしているが、たいして面白い話をするわけではないし、そんなに立派な事を言うわけでもない。まあ、最近の学会は人材不足らしい。でないと私が引っ張り出されるなんてことはそうないはずだからだ。

  私は、無口で余り人と話をしない性質だが、実はそれが逆に出て、おしゃべりになることがある。これは、私が気まずい沈黙に耐えられない性格なので、それに耐えるくらいなら、軽薄な事でもいいからとにかく思いついたことをしゃべって場を盛り上げようとしてしまう。こういう悲しいサービス精神が出てきて、ある人からあいつは軽薄でおしゃべりだと言われる。たぶん、こういう性質だからシンポジウムに呼ばれるのかも知れない。でも、論文書くのと違って、シンポジウムは、恥をさらす度合いが高いので、かなり前から緊張する。正直あんまり出たくはない。

 司会が金井清一、進行役は古橋信孝、パネラーは、私と、歌人の島田修二、それから「万葉集の発明」の著者品田悦一。討論は品田さんの「万葉集の発明」をめぐるもので、役回りとしては、私と島田さんが批判的で、その批判に品田さんがどう答えていくか、というもの。古橋さんは、なるべく議論を本質的なところへ持っていこうと苦心したが、まあ、こういうシンポジウムの常であまり議論というようにはならなかった。というのも、隣に座ってパネラーを批判するというのはなかなか出来にくいものだからだ(その割には私がかなりきついことを言っていたと古橋さんから後で言われた)。

 役回りからすれば品田さんがつらい立場であるだろう。味方はいないからだ。だから本当は、品田さんではなく彼の本を理解する若手を呼ぶべきだつたという反省も聞かれた。が、味方のいないはずの上代文学会から「上代文学賞」をもらい、しかも、その上代文学会で重要な役の人なのだから、これくらいのつらさは耐えるべきなのかも知れない。私の反省は、隣に品田さんがいたせいか、あんまりつっこみが出来なく、批評と歴史というこの本が抱えている問題にまで話を持って行けなかったことだ。というよりも、シンポジウムではなかなか思ったようには話が出ないもので、こういう公開の場で、深いところから問題を冷静に的確に論じてその場の人間を圧倒するということはなかなか出来ないものだといつも感じる。だから、私は朝まで生テレビに出られない(別に呼ばれることなんてないだろうが)。ただ、あの番組では、だいたい人の意見を聞かずにでかい声を張り上げているだけなので、そういうことなら出来ないことはないが、そういう恥もさらしたくはない。

 最後に、私は品田さんに、現代は、万葉が国家によって管理されるのではなく資本主義社会の市場原理の中に投げ込まれ、消えようとしている。それに対して、どういういスタンスをとるのか。たとえば国家にもっと「万葉集」の普及に金を出せ、という人たちに荷担するのか、それとも市場原理に任せる立場なのか、と問うた。彼は、研究者がほとんどいなくなっても仕方がない。細々とやっていくだけだ、と答えた。実は、それにつっこみを入れるべきだつたけれど、そこまで頭が回らなかった。後で後悔した。

 つまり彼は、消えようとしている万葉集を何とかよみがえらそうとする努力はしないと言ったのだ。ど゜ういうことかと言えば新しい時代に適応した「万葉集」を発明するつもりはないということだろう。まずそれを確認する必要があった。問題はここからだ。彼の本は歴史と批評の両方の性格がある。それはカルスタの性格でもある。歴史は、そのままでは批評ではない。ある時代の解き明かしである。が、批評というのは、今の時代への批評である。たとえば「発明」という言葉は、歴史の用語ではなく、批評の用語である。つまり、現代への批判を意図した用語である。

 このことの何が問題かと言えば、「万葉集の発明」が批評なら、何故、百年前に書かれなかったのか、ということになる。つまり、品田さん何故あなたは百年前にこれを書かなかったのか、ということである。それは無理だとしても、批評とはこの本が扱っている時代のその現在に書かれるべきものである。だからこういう批判がでる。いや、今の時代を批判している、とするなら、今度は、本当に今の時代を分析しているのか、という批判に曝される。今の時代、万葉集は国家に管理されるどころか、市場に丸投げされて、教科書にものらず、金も出ない。ノーベル賞がもらえないような研究や教養には今、国は関与しないのだ。こういう状況にあるとき、国民国家として発明された万葉集の歴史を暴くということにどんな意味があるのか、という批判に曝されるということだ。

 「万葉集」にかかわって生活している人たちは、この時代を生きるためには、市場原理の競争に勝ち抜く「万葉集」を作り上げなければならない。品田さんの言い方で言えば「発明」しなきゃいけない。たぶん、今、みんなが必死になって発明しようとがんばっている。それに対して、品田さんは、そういう発明はしないということを言った。本当かどうかはともかく、この発明に対して、どう考えるのか、実は、それを批評しなくては、この本の批評性は嘘になる。21世紀の始めに市場原理にのっかる形で万葉集は発明されたと、今から百年後に言われても、われわれには遅いのだ。今どうしたらいいのか、それを言ってくれなくては批評じゃないのだ。

 そういう点からすれば、「万葉集の発明」は歴史の本であり、批評の本ではない。だが、品田さんは批評の本だと思っている。その矛盾をつくつもりでいたが、突きききれなかったのは、人とあまりけんかしない私の穏健な(日和見的な)性格のためでもある。こういう、論争しなきゃいけない場には正直出たくはないのだ。それにしても、ほとんど上代文学会批判ともとれる本を書いても学会の人に嫌われないというのは、品田さんは、かなり人柄がいいのかなと思ったりした。 

ローポジションとハイテンション  02.11.10
 たぶん、今の時期が一年でもっとも忙しい時期なのだと思う。といってもいつも忙しいので実感はないのだが。ここのところ休みがない。組合をやっているから、今はボーナス交渉で週一日は団交や会議。それから各種の委員会に、昨日は推薦入試。今日はアジア民族文化学会の秋季大会。今週も同じだ。16日の土曜は上代文学会の大会で、私はシンポジウムのパネラーだ。日曜は指定校推薦の面接とスケジュールはぎっしりである。これだけ忙しいと、いろんな事を忘れる。普段からよく忘れるのだが、最近それがひどくなった。

 最悪だったのが、奥さんの外泊旅行のこと。金曜の夜奥さんが帰ってこなかった。友達と食事でもしていて、そのまま友達の家で泊まったのかな、と思ったが、何故連絡してこないのかとは思った。次の日、仕事で職場に行き、気になって家に電話したらまだ帰っていない、さすがに心配になって奥さんの友達に連絡したら、あちこち調べてもらって、箱根に職場の友達と一泊の旅行をしている、とわかった。その話を聞いたとき、突然、自分がそのことを忘れていたことに気づいた。やばい。前から何度も旅行に行くとそういえば言っていた。ただ、その期日はうろ覚えで、たまたま金曜の夜はいないと前の日に念を押されても、遅くなるくらいだと思いこんでいた。運悪く、奥さんが携帯を忘れていったものだから連絡が取れなかったので、事が大げさになった。私が、奥さんの旅行の事を忘れてあわてふためいていたことが奥さんの友達に知れわたったのだ。

 普段から、奥さんの言っていることを聞く振りをしていて聞いていないと怒られている。そんなことはないと反論しているのだが、やっぱりまともに聞いていないことが実証されたわけだ。もちろん、奥さんが帰ってきてから怒られた。とまあこんな風で、最近もの忘れが激しい。職場でも、助手さんが気遣ってくれて、大事なことは忘れていないか確認してくれる。私は一人では生きていけないことが最近つくづくと感じる。これからもみんなに迷惑を掛けてこうやって生きていく。それもよしだ。周りは迷惑でも惚けた人間が一番幸せなのだ。

 昨日は、佐藤和喜さんを偲ぶ会が学士会館であった。佐藤さんは、私と同じ歳だ。残念だが亡くなられた。学会でのつきあいだったが、とても面白い人で、みんなからすかれていた人だった。彼のいろんな面が友人や職場の同僚によって語られ、彼がとてもロマンチストで、純情で、しかも激情型のエネルギッシュな人であることがよくわかった。故人を語る言葉は故人を美しくする。それは、われわれの社会のとてもいいところだと思う。そうやって、佐藤さんはわれわれの中に生き続けるのだから。

 佐藤さんに関して一つ自慢するところがあれば、彼の和歌論の転機になった、「転位」や「激情」という概念は、私の短歌論の「ローポジションとハイテンション」という考え方を参考にしたということだ。彼が私の考え方は面白いから使わしてもらうと私に言った。むろん、彼は彼独自の概念として和歌論を組み立てていったのだが、そんなかたちでも彼と関わりをもてたことはよかったと思っている。

 この「ローポジションとハイテンション」は土曜に上代文学会のシンポジウムで話す私のテーマの一つになっている。私の興味は、短歌文化は何故万葉以来連続しているのか、その連続をどう語るのか、ということだ。その一つの答えが「ローポジションとハイテンション」なのだ。短歌は、歴史を持たない詩形である。なぜなら、短歌は、社会を見渡すようなまなざしは苦手で、恋や、生老病死のような、自分の意志ではどうにもならない事態に揺れ動く心を歌う、という詩形だからだ。ある意味では、社会から見れば自閉的な詩形である。だが、自閉的でありながら、社会に開かれている。これは恋愛と同じである。

 恋愛も実は、その当事者達は社会から見れば自閉的な関係そのものである。しかし、その恋愛は社会に共有される。閉じられているが閉じられていない。考えてみれば不思議である。恋歌もそうなのだ。歌垣の歌は恋歌だが、恋歌は、社会からは閉じられているが、閉じられていることで開かれている。恋歌自体は、社会など関係ないという立場をとる。が、社会は恋歌を閉じられたままに許容する。恋愛の当事者の中に介入しないが、その恋愛自体はみんなが知っている。恋歌は、社会がどうのこうのと冷静に議論するような表現ではない。恋の当事者のような立場に歌い手を固定する。だから、「ローポジションとハイテンション」なのだ。

 今の時代こういう表現が実は求められている、と思う。それは、何故詩の表現がわれわれに必要なのか、本当のところ誰もわからなくなっているからだ。分からないときは、とにかく無意識に詩的な言葉を紡ぎ出さなくてはならない。そうすると、詩の言葉は短歌的になる。まず、「ローポジション」になる。何を表現するのか分からないから、俯瞰的な立場に立てないし、世界を抽象化して何かを訴えるようにもなりにくい。とすれば、自分の日常の中の世界を言葉に置き換えて、そこに「何か」を見出すしかない。自分の世界は自分を超えた何かに与えられたもののように、心動かされる。そう思うとちょつとしたハイテンションになる。もう短歌である。

 だから短歌はだめなのだと言う論理をとらない。むしろ逆だ。だから今短歌は元気なのだ。社会がどうあろうと短歌はうたうべき対象を無限に持っている。社会がよくみえなくなったからこそ、短歌が何でも詩にしてしまうのだ。恋愛という関係が成立していればどんな言葉でも詩になってしまうようにだ。
中国映画に思わず涙する 02.10.28
 持病の通風の薬をもらいに久しぶりに川越の診療所に行ったら、ものすごく混んでいた。風邪のシーズンだからだろうか。もう数年通っているが、こんなに患者がいるのは初めて。この診療所はいつきても人が少ないので気に入っているのだ。どうせ、血液検査を定期的にやってもらって痛風の薬をもらうだけだから、名医である必要はない。人がいないとすぐに帰れる。いつもは30分もたたないで終わるのに今日は2時間もかかった。こんなに混み始めると、別の病院を探さなくては。でもたまたま今日だけだとは思うのだが。

 先週の金曜は将来構想の委員会だったのだが、手帳にメモしておくのを忘れてすっぽかしてしまった。夕方家にいると I さんから電話がかかってきて、先生今委員会やっているんですけど、と言う。しまった、ごめんと言って謝った。みんなに悪いことをした。こういうことはめったにないのだが(これは見方の問題で私は時々会議の期日を忘れるという人もいるが、それも正しい)、まあ、たまにはいいだろう。でも、おかげで週末は久しぶりにゆっくり出来た。今、とりかかっている論文集の原稿もすすんだし、睡眠時間もとれた。ビデオも久しぶりに二本見た。

 ビデオは前々から見ようと思っていた中国映画二本「山の郵便配達」と「初恋の来た道」である。どちらも、昔の日本映画を思わせる佳品といったところ。「山の郵便配達」は、トン族の娘と主人公がちょっといい仲になる。トン族のあの巨大な木造建築も歌も踊りも出てきて、少数民族文化を研究している身としてはそれだけでも面白かった。それに、主人公の郵便配達夫を先導する犬がよかった。この犬は、シェパードと中国犬の雑種なのだが、モソ族の研究者である遠藤君が、雲南に滞在していたとき、子犬をもらって今日本で育てている犬と同じだ。彼の犬は名前がニーチェと言う。すごい名前だが、うちの家にも来たことがあり、映画に犬が出てくるたびにうちの奥さんとニーチェは頭がいいと言い合って、いつのまにか、映画の犬はニーチェになっていた。

 そういった私的な興味はともかくとして、両方ともよく出来ていて、中国の農村にあんな都会的に洗練された可愛い子は絶対にいない、という点を除けば(まあ映画だから仕方がないにしても、農村には本当に農村の娘らしい可愛い子はいくらでもいるのに)、中国の農村の人情味あふれる世界をよく伝えていたと思う。こういう、人と人との触れ合いを牧歌的に描くのは、昔の日本映画で言えば「二十四の瞳」みたいな映画といったところか。それなりに胸が熱くなるシーンはあった。

 「初恋の来た道」では、40年間村で教師をしていた父親が死に、年老いたその妻は、父の遺体のある町から歩いて村の家まで棺を担ぐと、言い出す。それが伝統であり、死者に家に還る路を見させるためである。村長は、今はそんなことは迷信だし、村の若者は働きに出ていて棺の担ぎ手もいない、トラクターで運べばいいじゃないかと言う。しかし妻は頑としてきかない。実は、その路は、その老妻がかつて夫を待ち続けた初恋の路でもある、ということがわかるのだが、結局、都会で成功した息子が大金(5千元)をだして担ぎ手を雇うことで、棺を担いで村に行くことに決まる。

 ところが、当日、教師の教え子達が百人以上も集まり、みんな代わる代わる棺を担いで吹雪の中を葬列が進んで行く。教師の死の知らせを聞いて各地から集まってきたということなのだ。雇われた担ぎ手も金を受け取らない。私ははからずもこのシーンには思わず涙が出そうになった。別に私が教師だからということではなく、村で四十年も教師をしていて、学校の立て替えの金の工面で疲労がたまり死んでしまったこの教師が、いくら何でも金で雇った担ぎ手で村へ運ばれたんじゃやるせないよなあ、と思っていたので、こんな風に担がれたことで、思わずよかったよかったと胸が熱くなったのだ。人と人とが金やルールでないところで繋がっていることをこれほど鮮やかに伝える場面はない。なかなか演出がうまい。

 「山の郵便配達」もそうなのだが、結局、この二本の映画は、中国の近代化の中で、失われていく人と人との人情味あふれるかかわり合いを、惜しむ作品なのだ。老いた山の郵便配達夫は、その仕事を息子に譲るが、息子は、車の通る路もあるのにどうして山道を歩くのか、と父に問う。父は、歩くのが一番いい、としか答えない。しかし、山の郵便配達は、ただ郵便物を届けるだけでなく、山で様々な事情を抱えて暮らす人たちの生活の中に入り込んで、時には彼等を元気づけたりすることもしているのだ。歩いて配達しないと、道路もないところで暮らしている村人の生活の中に入っていけないのだ。息子はそれをやがて悟り、この仕事の大切さに気づいていく。まったくよく出来た話ではないか。昔、こういう似た話は日本のあちこちにあったと思う。しかし、今の日本にはなくなった。だから、もうこういう映画は作れないのだ。

 むろん、まだ、日本の村々に行けばこういう人情味あふれる世界はまだある。だが、それを映画にする、というものではすでにない。というのも、村には若者がいないのだ。日本の過疎の村はすでにほとんどが老人共同体になっている。その人情味の世界には、若者の内面にきざすような葛藤がない。が、中国には、農村には若者がたくさんいて、その人情味の世界と、都市へ出て行って成功したいという野望とが心の中でせめぎあっている。このせめぎ合いはわれわれにとって未だ普遍的なテーマなのである。だから、中国ではこういう映画が作れる。

 「初恋の来た道」では、父の葬儀も終わったとき、師範大学を出ていながら父を裏切って教師にならなかった息子が、父が40年間教えた村の学校で一時間だけ、村の子供相手に授業をする。父の40年間を知るためと語られたが、村を捨てたことへのせめてもの償いだったのだろう。息子は終われば都会へ帰って行くのだ。「山の郵便配達」では、息子は山に住む村人のために生きる決意をする。両者両様だが、中国の若者の置かれた現実とその豊かな心の世界をよく伝えている映画であった。

人は何故誕生日を祝うのか  02.10.18
 昨日、学園祭の準備で休講。だからゆっくり起きて朝食を食べ、ナナの散歩をしていながら、ふと気づいた。そうか今日は俺の誕生日なのだ。今日から年齢の欄に53歳と書かなくてはいけないのだ。覚えておかなくては。たぶんこの俺が53になったことなど誰も気づいていないだろう。自分ですら気づかなかったのだから。それにしても昨日まで52だったわけだが、52と53の違いがよくわからない。まあ、どうでもいいや。ただ歳をとったというわけで、それ以上の何ものでもない、ということだ。

 少数民族の老人の中には自分の年齢がわからない人が多い。彼等には年齢を細かく区切る必要がないのだ。自分の年齢を書類に書くそういう必要がないからだ。村の中で、自分が誰々り先に生まれたとか後で生まれたということがわかっていれば、年齢がわからなくても人間関係に差し障りはないだろう。運転免許証があるわけではないし、たぶん年金だってもらっているかどうかあやしい。仮にもらっているとしたら、適当に年齢を書けばいいだけの話だ。作物の生産の繰り返しと自然の循環とに応じて生きてきただけで、時々、人生儀礼を何度かやって以前とは違う人間になったことを確認する。それ以外に、自分がどの程度歳をとったかについて意識することはない。たぶん、こういうのが、普通なのだ。

 そう考えると、実に細かく自分の年齢や他人の年齢にこだわるわれわれの生き方は面倒くさいという気がする。何故こんなにも年齢のチェックが必要なのだろう。歳より若いとか歳より老けているとか言えなくなるのがいやなのか。年齢が正確にわからないと結婚するときに不安だからか。どうも、これは身分証明書のようなものらしい。われわれの社会では、年齢不詳は、住所不定、無職、性別不能、名前不詳と同じような響きを持つのだ。つまり、この社会の一員である基準を満たさないのだ。われわれがこの社会を生きていくために必要な膨大な書類には必ず年齢欄がある。そこに年齢を書けなければわれわれは人間とはみなされない。

 ということは、年齢を絶えず知らされることでわれわれは管理されているということにもなる。そうか、誕生日を祝う習慣は、人間を管理するための深謀遠慮だったのだ。子供の頃から誕生日など祝ったこともない私は、正解だったのだ。年齢が気になるから死が恐くなる。死の訪れはその人にとっての個性のようなものだ。人はみな違う。が、年齢という基準が出来ると、平均年齢に比べて自分は長生きだとかそうでないとか思わざるを得なくなる。全員が平均年齢より長生きしないと幸福な人生を送ったことにならないと考える。おかしな話だ。

 うちのナナの年齢なんて実にいい加減だ。拾ってから10年になるから10歳を超えているのは確かだ。成犬で拾われたから正確な年齢はわからない。が、別にかまわない。年金の申請をするわけではないし、まあ目安としてあと5・6年生きればいいのかなと思うくらいだ。ドックフードの分類も、子犬用、成犬用、老犬用、と実におおざっぱである。まあそんなもんだ。

 別に人間の年齢を犬並みにいい加減に数えろと言いたいわけではない。われわの社会は、高度になればなるほど、人間という存在を細かく細かく分節化し、分類し、整理していく。年齢はそういった人間管理の重要な手段であるということだ。そしてそのことは、われわれの生そのものにけっこう影響を与えている、ということくらいは知っておいたほうがいい。仮にだ、正確な年齢がわからなくても、あなたはもう働くことが無理そうだからと年金を支給する社会と、どんなに困っていても一定の年齢に達しないから年金はあげられない、という社会とがあって、どちらに住みたいか、と問われれば前者の方が良いに決まっている。

 むろん、前者は社会の規模が小さいから成り立つ。社会の規模が大きくなると、効率性や公正性が要求され、前者のような仕組みはかえって社会を混乱させると考える。だから、規模の大きな社会では人間を名前、性別、年齢、住所等の分類項目に分類できるモノとして扱うのである。それはそれで仕方がないとあきらめる前に、これだけ分類性能の高度に発達した高度な社会で、人間をモノとして項目別に処理するしか扱う方法がないのか、考える必要がある。コンピューターは何のためにこれだけ発達したのか。人間をモノとして扱うためなのか。番号つければ便利でいいという発想もそこから来ている。コンピューターが発達したのは、人間をよりおおざっぱに扱うようになるためだ、たとえば、自分の年齢を知らなくても普通に生きていけるような社会のように、と、そういう発想があってもいいのではないか。どうも、われわれの社会は逆に進んでいる。と、ナナと散歩しながら、あれこれと考え、次第に憂鬱になってきた。

心を金で買うのは悪いのか   02.10.9  
今世の中では竹中ショックによって株価が低迷し日本の経済が沈没するなどと騒いでいる。確かに、あの坊ちゃん顔した学者に、資本主義社会のルールに沿って普通のことをするだけですよ、と学生に言うように言われると、てめえ失業者の身になってみろ、と言いたくなるのはよくわかる。幸運にも私は失業者じゃないので平静でいられるが、不安に思っている人は多いのだろうなとは思う。

 ここまで消費が落ち込むと、国民に100万円配って頼むから何か買ってくれといわないとだめかも知れない。いや、それだって効果があるかどうかあやしいものだ。日本の消費社会というのは、基本的に生活のインフラの充実ではなく、欲望の充足を満足させる商品の消費と生産の構造になっている。だから、いったん欲望が落ち込むと、買わなくてもがまんできてしまうのだ。むしろ、教育や住宅などといった生活そのものに直接関わる消費については、効率的に安く供給されるシステムがないので、一部の富裕層を除いては買いたくても手が出なくなってしまう。

 吉本隆明は日本は消費社会だから、不況を打開するのは公共事業をやってもだめで、国民に金を配る方がよいといつだか言っていたが、たぶんもうそれもだめなのじゃないのか。消費欲望のその欲望の質を問わないといけないところへきているのではないか。女子高生に受ければヒツトするような商品作りや、裸のお姉ちゃんを見せて商品を売ろうなどというそういう消費欲望に見合う商品自体がもうだめなのじゃないのかと思う。
安いから買う、というのももう限界に来ている。

 どうしたら景気がよくなるのか。そんなことわかるはずもないが、結局今の不況という考え方自体が、われわれの飽くことなき消費欲望を前提とした言い方になっている。その飽くことなき消費欲望が復活しないと景気がよくならないのだとしたら、もうそれは無理だよ、としか言えない。だいたいこれから消費するお金を一番もっているのは老人にさしかかっている団塊の世代なのだ。さすがに、もう女子高生に対抗できるほどの欲望は持ち合わせていないだろう。

 必要なものって必要だと思う状況にならないと見えてこない。結局、われわれはまだ何が本当に買いたい物なのかよくわからないでいる状態なのだ。わたしが今興味があるのは、人と人とがうまくつきあえる関係や、内面の心地よさといったものが、金で買えるのかどうかということである。消費社会の行き着く先はたぶんそういうところだ。都会の消費者は孤独をまぎらすために金をつかいまくる。しかし、いくら使っても孤独は消えない。そういう消費じゃなくて、人と人とのほどよい関係といったもの自体が消費の対象になるはずだ。というのは、今それが一番この世の中に欠けているからだ。

 消費社会は人と人との助け合うような関係を嫌う。なぜなら、それは消費を抑制する関係だからだ。だから、消費社会は共同体を嫌い家族を嫌い、人を孤立させる。孤立した人間が一番無駄に金を使う。誰も心当たりがあるだろう。つまり、今の消費構造は、そういう人間の孤立のシステムの上になりたっているところがあって、今、われわれは、そういうのじゃない消費のあり方というものを模索し始めているのだと思う。

 とすると、人と人とが助け合うような関係をどう作るか、と言うのが消費の対象になったりする、ということも起き得る。たとえば金で解決する介護だってそういうようなものだ。近代は、貨幣というものを冷たいものとして基本的にはとらえた。だから、貨幣によって換算されたら、それは全部非人間的なのだ、と考え、市場主義の貨幣を排除する共産主義的な理想をつくった。その発想 はまだ続いている。が、もうそろそろ、そういう発想を転換してもいい頃だ。心を金で買う、ということが非人間的でない、ということが実はあるということを、われわれはもっと考えた方がいい。

 実は、貨幣が介在していなかつたような、共同体社会では、徹底した互恵主義が貫かれていて、たとえば義理を欠くかどうかというのは、見えない貨幣による、関係の売買だった。関係は売られたり買われたりしていた。そうやって、一種の義理のやりとりという消費社会が日本にはあった。贈答文化はそういう構造を基盤にしている。おそらく、そういう、関係を貨幣で作り上げて行かざるをえないところまでわれわれは来ている。つまり助け合わなくては生きられないところまで来ていて、その助け合うと言うのが金の問題にならざるを得ないということだ。とすれば、それを消費社会の消費として進めていくという方向によってしか、消費は増えないということではないか。

 そう考えれば、この分野はまだ未開拓だから、いろいろな商品開発が可能だ。実は、地域通貨という最近流行の貨幣も、こういった考え方から自然に出てきたものだ。貨幣は非人間的という罪悪感を払拭するために、貨幣の代わりにある地域だけで通用するクーポン券を使っているだけである。この地域を日本全体に広げればいいわけである。ただ、これは、今の不況の打開策にはならないとは思うが、不況でも何とか生きていくための有効な方法ではあるだろう。

可愛がられることと食べられることとの間  02.9.29
 中国から帰ってきて、また忙しい日々が始まった。正直帰りたくはなかった。帰った次の日に、組合と経営側との労使協議会。副委員長としての私は出なくてはいけない。あまりかかわりたくはないのだが、経営側があんまりいいかげんなので、つい「それはおかしいでしょう」と言ってしまう。私は普段は引っ込み思案で無口なのだけれど(誰もそう思ってはいないが)、おかしいと思うと黙ってられなくて、相手がどんなに偉い人であろうと物怖じせずにずけずけものを言う癖があって、だから時にとても生意気な人間だと言われる。

 どうもこれは全共闘時代に鍛えられた性格のようで、なるべく抑えようと思っているのだが、どうしても直らない。そんなに積極的に人のために働く人間ではないのに、ついよけいなことを言ってしまうために、人に頼られ、また断れない性格なので、余分な仕事を引き受ける。こういう性格の人間て、そういえばいるよな、と思うが、正直しんどい。

 帰ってきてから武蔵野書院の目録雑誌「武蔵野文学」の原稿(この企画者は私なので)20枚を何とか書き上げた。これもしんどかった。題名はオノマトペ論。もっとも、だいたいの内容はもう頭の中で出来ていたので、ただ書くだけだったが。それから中国へ行く前に書き上げた「古代文学会叢書U」の原稿(これは80枚)の初稿校正が送られてきたのでそれをすませ、さて、後は、短歌時評を一週間で書き上げれば、まあたまっていた仕事の大半は片づく。ただ、授業が始まったのでその準備も大変。といっても、こっちはベテラン教員だから、何とかなってしまう。まあ最初は中国の話でもすりゃあいいんだ。

 明治の授業で、イ族の松明祭りのビデオをみせた。その中に鶏を神に供える場面があった。つまり鶏を殺すシーンだ。こういう場面は中国で何度も見ていて私は別になんにも思わなかったのだが、これを見た学生が吐き気がしたとか言って不評だった。まあ確かに配慮が足りなかったとは思うが、ただ、いろいろ考えさせられた。雲南省では鶏の肉は売っていない。鶏そのものを売っている。だから人々は生きた鶏を買ってきて、家庭で殺して食べる。それが当たり前の習慣になっている。かつて日本でも鶏を自分の家で殺していたと思うが、ただ、食肉用の家畜文化を持たないわれわれには、やはりなじめないということだろう。

 それから首狩りをしているワ族の話をした。こっちはけっこうみんな興味を持ったようだ。なにせ首狩りだから。鶏を殺す話とからめて、雲南省の思茅という都市の市場で、犬の上半身が売られているのを見たことを語った。愛犬ナナを何よりも慈しんでいる私(中国で奥さんのことはあんまり思い出さなかったがナナのことは今頃何をやっているだろうとけっこう思い出していた)はかなりショックで、思わず写真にとってしまったが。鶏を殺す場面はなれたがやはり犬は私も嫌だ。

 そこで学生に質問。何故、鶏はよくて犬はだめなのか。つまり、家畜の死は耐えられるが、ペットの犬の死は何故耐えられないのか。同じ生き物ではないのか。犬を食べる漢族は実はペットとして犬を飼っている。ペットの犬を飼っている奴が平気で犬の肉を食べられるのだろうか。どうも食べられるらしい。確かめてはいないが、そういう気はする。カレン族は食べる犬には名前をつけないと誰かが言っていた。名前を付けると食べられなくなる。そういうことだ。名前をつけると、その存在は個として、自分という存在と重なってしまう。つまり、情というものを相手に移入してしまう。逆に言えば、名前がなく、あくまで類として存在していると認識されている家畜は、情を移せないのだ。だからその死に耐えられる。犬をペットとして飼いながら、犬を食べる漢族は(私はこういう漢族は嫌いだが)犬を食べる時は名前のない犬を食べている。だから名前のある自分の飼い犬とは区別出来ている。たぶんそういうことだ。

 さて、話はワ族の首狩りに及ぶ。彼等は、同じ民族同士で殺し合いをやっていた。彼等にとって人間の死とはどういうように感じられているのだろう。確かに家族を殺された彼等は嘆き悲しみ復讐をする。だが、その悲しみは自分が復讐する相手の家族の悲しみにまでは及ばない。むろん、人間なんてたいていそんなもんだが、そのうち、だれかとても立派な人があらわれて、こんな悲しみだけが残る殺し合いの文化は止めようよ、とみんなを説得するのも、たいていの人間の社会にはあったりする。どうもワ族は、そういう人があらわれなかったらしい。何故だろう。

 どうやら、それは、自分たち人間の存在をどちらかと言えば類として見ていたからではないか。つまり、家畜という存在と同じものとしてだ。これは彼等が劣っているという意味で言っているのではない。ひょつとすると、これは人間への認識にとってとても高度なことなのかも知れない。人間をかけがえのない個としてとらえるから、殺し合いはやめようということになるが、一方で、この個という意識は人間の様々な苦悩の原因でもある。家畜のように、あんまり難しいことを考えずに、ただ生きて死んでいくそういう存在であったらどんなにいいか、と宗教者は考えて悟りなどというものを考えたのだ。ひょっとすると、ワ族は生まれながらに悟っていた民族で、どうせ人間はただ生きて死んでいくそういう類としての存在だから、誰かが犠牲となって死んでもそのことはその場では悲しいことでも、すぐにその悲しみは乗り越えられてこんなものだとみんな納得して生きている、ということなのかも知れない。

 たくさん死ねばたくさん生まれる、そういう生と死の繰り返しの中をただ彼等は生きているだけなのかも知れない。そういう生死観を彼等に聞いて見たかったが、そこまでの余裕はなかった。ただ、孟蓮という都市でわれわれを案内してくれたタイ族の民族宗教局の人は、彼等は、生と死をそういうように考えているから首狩りをやつているんだ、だから彼等はあれでいいんだ、われわれにまで害を及ばさなければいいんだ、と語っていた。その言葉が印象的だった。

 ワ族は、1958年に首狩りを止めた。人民解放軍に説得されたことによるが、実は、彼等は、自分たちに名前をつけ始めたと言うことではないか。一人一人がそれぞれに個としてかけがえのない存在としてあらわれ始めたということだ。だから首狩りを止めた。だが、個になった彼等は、個であるが故の別の苦しみを味わい始めたに違いない。今われわれが苦しんでいるような。でも、それでも首狩りよりはましだ。そう思う。ついでに漢族は犬を食うのも止めてほしいね。あんまり他人の文化に口出しをするのがよくないが、一方でペットとしてかわいがっていて、一方で食べるのは、犬もとまどうばかりでどっちかにしてくれってきっと叫んでいるだろう。

首狩り文化と北朝鮮  02.9.18
 今日中国から戻ってきた。8月26日に出発、24日間の調査旅行であったが、何とか無事に戻ったというところか。といっても、別に危険なことはなにもなく、中国のあの油まみれの食事をずっと食べ続ける苦行に何とか耐えるくらいがつらいと言えばつらいだけなのだが。が、食事というのは、案外に重要で、この食事でかなりの人が中国にあたってしまう。つまり下痢をするということだ。今回私はそこまでいかなかったので、まあ、だいぶなれてきたというところか。

 昨日、今日と、昆明やバンコクのホテルで北朝鮮に関する日本のニュースを見ていた。といっても衛星で送られるNHKの外国向け放送はそれしかやっていなかったから他に見る番組はなかったのだが。拉致された人は6名死亡ということに、やはりという思いがあった。今日帰ってきたら拉致された人は8名死亡となっていた。気分の暗くなるニュースであった。

 調査旅行の後半は、首狩りでよく知られたワ族の調査であった。ワ族はミャンマーの国境沿いの山岳地帯に住む少数民族である。雲南の少数民族の中では、昔からの土着の民族と言われている。同行の工藤さんはすでに6年前に調査に入っていて、私は二度目の調査に同行させて頂いたというところだが、前回では首狩りの話はほとんど聞けなかったと言う。ところが、今回は違って、村に入って1958年まで行われていた首狩りの話を聞いてまわったところ、村人は実によく話してくれた。最初は、聞くこちらも興奮した。語るワ族の村人も首狩りの話になると声が大きくなる。さすがに、自分がやったという人はいないが目撃したと言う人は何人かいた。50から70代は、目撃したかあるいは参加している。それはまちがいない。

 ワ族は、一年に一度、陸稲の豊饒を祈って神に祈る。その神を彼等の祭祀施設である、木鼓(もっこ)小屋にいただく。木鼓は、3メートルほどの太い樹木を山から引いてきて真ん中をくりぬき太鼓にした彼等の神聖な楽器である。穀物の豊かな実りへの祈願として神をこの世に顕しその神に祈ることはどの民族でもやっていることだが、ワ族が他の民族と違うのはこの世にあらわすその神が人間の生首であるということである。

 神を木鼓にいただくためにワ族の各村々は一年に一つの首を必要とする。だから、そのためにかれらは祭りが近くなると首狩りに出かける。誰の首を狩るかというと、基本的には人間の首ならいいそうだ。動物の首でもたとえば虎ならいいのだが、虎は簡単には取れないのでやはり人間がいいということだ(ある老人が首狩りの話をしていた時突然私の顔を指して、こういう首がいい首なんだと言った。つまり、私の頭のような首が理想らしい。それ以来、私はみんなに理想の首を持つ男とからかわれた。50年前に私が調査に行っていたら、まちがいなく私は首を狩られていたろう)。彼等は原則的には他の民族の人間の首はとらない。むろん、例外的に他の民族の村をおそうことはあったようだが。ほとんどは同じワ族の村同士で、首の狩りあいをやっている。

 畑仕事をしている村人を襲うのが一般的だが、村を襲うこともある。だから、ワ族の村はかつて堀をめぐらし警備を厳重にしていた。ルールはあるようで、一年に一つの首しかとらない。が、実は、村を全滅させて64人の首を狩ったという話を聞いた。しかもそれを目撃したという老人から。1940年代のことである。たくさん狩ったときは、首を貯蔵しておいて、来年再来年と使つたり、他の村に売るということだ(すごい話でしょ、聞き書きしていて気分が暗くなってきました)。

 自分の村の村人の首を狩る敵の村はだいたいわかっているらしい。だから狩られると復讐にその村人の首を狩りに行く。ただしその村が強い村だと復讐が恐いので手を出せない場合もある。一方で、徹底して復讐して(相手の村を全滅させる)二度と自分の村人が襲われないようにする、という場合もある。そういう評判が立つと襲われないらしい。

 弱い村や首狩りを好まない村は、死体の首を使う。つまりよその村の墓の死体から首をとってくるのだ。だからワ族の墓はみな自分の家の敷地の近くの野菜畑にある。墓荒らしを防ぐためである。あるいは、奴隷の首を狩ることもある。彼等には債務奴隷という制度があって、借金をして返せなくなると奴隷にされる。その奴隷を買ってきて首を供えることらしい。ある報告によると、首を狩られる奴隷は村の一番美しい乙女と一晩を過ごし、ごちそうをたくさん食べ、そして神になったという。その首は、その首の持ち主と寝た女の家にまず供えられたということだ。

1958年に人民解放軍によって首狩りは止めさせられた。だから、どの村でも1958年まではやっていたがそれ以降はやっていないと語る。だが、ミャンマーのワ族は別で、ある報告では1970年代までやっていた村もあるという。実際に、今度の聞き書きでも、ミャンマーで1960年代に首狩りの現場を目撃した人の話を聞いた。それはそれは生々しかった。1958年まで中国のワ族は、いつも首をかられないか戦々恐々として暮らしていたのだ。祭りの時期は村によってまちまちなので、ワ族に安泰な日々はなかったと思われる。穀物の豊饒の代償に彼等は平和をあきらめたのだ。

 むろん、彼等なりに首狩りの理屈はあり、安寧の日々を過ごすすべも身につけていたろう。彼等の伝えた歌には、神のために自分の首をよろこんでささげます、という内容の歌がある。首を狩られることを彼等はわれわれが考えるようには恐怖していなかったのかも知れない。が、そうとばかりも言えない。復讐の話を彼等はよくする。娘の首を狩られた父は怒り、相手の村を全滅させた、という話も聞いた。家族の首をとられることに怒る普遍的な感情を彼等は失っているわけではない。彼等の首狩りへの防御は、首を狩られることへの恐怖を物語っている。そこには、首を狩ることへの肯定と、狩られることへの拒絶がやはり入り交じっているのだ。

 ワ族がこの首狩りという文化システムを負担に思っていたのは確かだろう。毛沢東に説得されてらしいのだが、首の代わりに芭蕉の根っこで首の形を作りそれを供えたという例も聞いた。彼等が首狩りを止めたのは、人民解放軍の弾圧によるのではない。説得されたのである。つまり、彼等は説得を受け入れた。歴史という時間の中に自分たちがいることに気づいたということだ。それまで、彼等に歴史はなかった。彼等は自分たちの作り上げた歴史という蓄積の欠落した文化システムから、それが負担であると気づいても自力では抜け出せなかった。そこに毛沢東が現れたというわけだ。ある村の老人は、毛沢東は神以上の神だと語っていた。何となくわかる気がする。毛沢東は彼等を彼等の作りあげた文化システムから解放したのだ。その意味で、彼等は、生首以上の神を見いだしたのだ。

 ワ族は、他の首狩りの民族のように閉じられた未開の民族なのではない。彼等は英国と戦争をし、日本と戦争をし、国民党と戦争もしている。彼等の地域が戦場だったのだ。驚くべきことに、その戦争のさなかに彼等は近代的な武器を持って闘いながら、一方で、首狩りを続けていたのである。ある村では、戦闘で殺した国民党の首を供えた、という話も聞いた。これが物語るのは、ワ族の文化システムの頑迷さである。その中で生きていればそこから抜け出すのは容易ではない。

 文化調査とは、どんな文化にも特殊なものはないという普遍性を見いだすことである。その意味で言えば、この首狩りの文化も、われわれの中にある、ある一様相なのである。ただ、文化は常に変化していく。その変化もまた一つの普遍的な様相だ。その変化が何かの事情で拒まれたとき、時にそれは人間を苦しめる。ワ族の首狩りもまたそういうように思えないこともない。

 北朝鮮を思うと、彼等もまた変化の機会を失って頑迷になってしまったシステムそのものだと思われる。そのシステムを守るために数え切れない自国の人々が死んでいるはずだ。その規模と悲惨さはワ族を越えるだろう。拉致でなくなった人もその犠牲である。北朝鮮は今そのシステムから抜け出ようとしているように思えるが、そう簡単ではないだろう。むろん、似た問題はわれわれだって十分に抱えているのだ。
 
松明祭りと金、金、金……  02.8.20
 先月の31日に中国へ出発、8日に無事帰国。いやはやハードな取材であった。場所は雲南省の昆明市からくるまで4・5時間というところで、道路も去年整備されたので、それほど遠いところではないが、何せ山ばかりのところだから、道路から外れればとても不便なところである。取材したイ族の大・小花青村は電線はあるが電気が半年ほど来ていないとのことで、電気のない生活を不自由もなく送っていた。

 1日に村の近くの郷(街)に宿を取った。キノコの行商人相手の粗末な宿でこれ以外にここに宿はない。8畳ほどの部屋に簡易ベッドが三つあるだけで、テレビも一応ある。それ以外には何にもない。むろんシャワーも洗面台もそんなものはない。水道は外に一つあるだけ、トイレも外にあるがただ穴が二つあいただけの中国式トイレだ。間にしきりもない。ここで6日間くらすことになる、と思うと先が思いやられた。昆明から祭りを取材に来た中国人がこの宿を見て昆明に帰ってしまつた。それくらいの宿である。

 まず、郷の書記長に挨拶。この挨拶が大事だ。この祭りは今回かなり役所が力を入れている。そこで、寄付金を渡すことにした。この祭りは金がかかると聞いていた。村人は貧しくて祭りを開けないと知っていたので、かなりの寄付金を書記長に渡した。村人のために思い切って2千元だした。以前からこの祭りは金がかかると聞いていたので奮発した。書記長は大変喜んだ。ところが渡してから後悔した。この金は村人の祭りのための寄付金だが、村人に渡るかどうか不安になったからだ。さまか、彼等の懐にということはないだろう。中国ではこういう話はよくあるが、ここの書記長はそんな人ではないだろう。むしろ、問題は、この金が、郷の役所が企画した祭りのイベントの費用に回されるということだ。

 今回の松明祭りは村でやる伝統的なものと、役所が企画したイベントと二本立てになっていて、イベントの方に多額の費用がかかっている。たぶんそっちにまわされるだろう。イベントには歌舞団の演技や有名な歌手を招いたり、4日には闘牛が行われる(人集めのために行われるので祭りとは直接関係ない)。この闘牛の費用は2千元とのこと。何のことはない闘牛の費用を寄付したようなものだ。われわれは伝統的な祭りを取材にきたのに、何のための寄付だったか後で後悔するはめになった。だが、役所や書記長をさしおいて村に直接寄付をしたらわれわれが役所からにらまれる。にらまれたら取材は出来ない。だから、半額を役所に半額を村に渡せばよかったのだ。後でそう気づいた。来年行く機会があればそうしよう。

 村の神社にあたる土主廟は屋根に穴があき土壁も崩れている。ひどい状態だ。直さないのかと村人に聞くと、役所が援助してくれないといい、役所の郷長に聞くと、補助金を与えて役所に頼るようになっては困る、村人の自発的な意志を期待している、という答えだ。なにやら日本と似ている。結局、資本主義の時代になって、共同体が弱くなり、祭りのためにみんな金を出さなくなった。だから大規模なこの村の祭りもだんだんとやりづらくなってきたということだ。今回開かれたのは、この祭りを観光化して村おこしに利用しようという役所の思惑がある。

 郷から村まではジープで15分ほど近いところだ。むろん、舗装はされていない。ジープでなくてはいけないところだ。文化局の役人が来てわれわれを案内するという。彼は、この祭りの総責任者ということらしい。彼は最初われわれを疑っていた。この祭りを取材して金儲けをしようというのではないかと思ったらしい。実際、中国のテレビ局もやってきていて、映像を商品にして日本のテレビ局などに売っているらしい。多額の寄付をして疑われちゃ割りがあわない。説明して納得はしてもらった。

 祭りは3・4・5の三日間だが、われわれは1日から取材をした。まず、ビモの家に行って、仮面を作るところを再現してもらった。ここの松明祭りは、神の仮面を三体作り、祭りの間はこの紙の仮面が神そのものとなる。再現といつても石で出来た型に紙を貼るところまでだが。2日は、祭りの前日で村人の家の祭り。村日の魂を呼び戻す儀礼を各家でする。先祖を呼び戻すのではなく、生きている人間の魂を呼び戻す。これが面白い。彼等は魂はいつも遊離していて戻ってこないと病気になると思っている。この考えは白族も持っている。土主廟に行って線香をたき、鶏をころして、その羽を土主廟の神につける。その後、家に戻り、今度は卵をもつてきて、魂を宿し家につれて帰る。

 3日は神で作った仮面に神を宿す儀礼だ。「開眼式」である。土主廟の裏の山でやるのだが、終わると山の上まで儀礼の一行が走り出す。途中仮面をかざして踊ったりするが、また走り出す。それを追いかけて行くのでかなり息が上がった。ここは標高2200メートルはある。とにかく疲れた。山の上で天の神への儀礼を終わると、村の各家々を、神の仮面を掲げた一行がまわって、その家の鬼払いをする。これが5日の午前中まで続く。5日の午後いよいよ神送りの準備だ。3日の夜には、イベント会場で、仮面を掲げた村人の一行が刀の舞をする。なかなか壮観であった。

 神送りをする村人の若者は顔に模様を描く。精霊の顔になる。仮面を掲げて山の上に隊列を組んで進んでいく。軍隊の演習のような感じだ。山の上には何千人もの群衆が待ちかまえている。山の上に行くと激しく踊り始める。そして、仮面をずだたたにして、仮面に火をつける人々が殺到し仮面の灰を持っていこうとする。私は張先生と木の上に登ってビデオを回し続けた。

 この祭りの報告はいずれするのでこうご期待。私は5日にひどい下痢と体のだるさに見舞われ体が動かなくなった。5日目に疲れがどっと出たのだ。しかし神送りを取材しないわけにはいかない。ここは根性である。何とか這うように取材をしているうちに体が元に戻ってくる。たいしたものだ。我ながら感心した。あの穴のトイレでうずくまっていたときはどうなるかと思ったのだが。

 4日の夜ビモの息子の家で食事をした。奥さんが娘の時作った民族衣装を買わないか、と言ってきた。買う約束をしてその日は引き上げた。いくらかは向こうも言わなかった。さていくらだろう。張先生が街で民族衣装を着ている娘に声をかけていくらなら売るかと聞くと、最低5百元と答えた。最低5百元なら7・8百元くらいかなとだいたい値踏みをした。次の日行くと、奥さんは去年千元で売ったから千元だという。ちょつと待てよ、娘時代に作ったのではないのか。何で去年売ったものがここにあるのか。どうもこの人毎年売っているらしい。張先生は今そんな金を持っていない、8百元ならあるといって結局、8百元で買った。高いのか安いのか。街の市の出店で民族衣装を売っている店があり、そこでは千2百元で売っていた。と゜うも、8百元あたりで仕入れて千二百元で売っているということではないかと推測。結局まあまあの値段で買ったということだ。奥さんにも損をさせなかったということで一件落着。

 ちなみに、この村の小学校の先生の月の給料が200元である。これは中国でもかなり安い。今中国では一日の収入が1ドル以下を貧困層と位置づけている。1ドルは8元くらい。月にすれば200元をやや越えるくらいだから、この先生は貧しい。農家の収入もそんなもんだろう。ただ彼等は自給自足だからやっていける。とすれば、民族衣装の800元はかなりの高額だ。郷では松茸の取引が盛んであった。農民が取ってきて街で仲買人が買う。だいたい相場は1キロ百元であった。日本円で千五百円である。一本や二本だけ取ってきて売る農民もいる。それしか取れなかったのだろう。

 宿代は一人一日15元ほど。5泊して百元かかっていない。夕食は郷の食堂で三人でこれも一日15元ほど、朝食は5元。昆明に帰って、高級日本料理店に行って、張先生と日本食とワインを堪能した。その値段が二人で四百元(日本円で6千円)。六日間の取材の生活費をレストランの食事代が越えてしまった。村の小学校の先生の二月分の給料を一晩で飲み食いしたことになる。これが世の中なのだ。今の中国はこういう現状である。

 最近昆明に30階立ての一番高いビルが建った。高級ホテルだそうで、経営者は、昆明前市長の愛人だということだ。この前市長は賄賂をもらって捕まった。その賄賂の額はなんと二億元だそうである。この市長、雲南では立志伝中の人物で、雲南で初めて北京の精華大学に入った秀才である。大学に初めて登校したとき、貧しくて履いていく靴がなく裸足で行ったということで有名らしい。悲しい話である。

 二億元の賄賂をもらう市長と月二百元の給料で働く小学校の教師。この格差をめぐって今の中国は揺れ動いている。松明祭りも面白かったが、今回の取材はお金のいろんな額について考えさせられた旅であった。

 26日からまた中国へ調査に行く。今度は三週間ほど行ってくる。この時評も当分お休みです。
                          
イ族の松明祭りへ行くことに  02.7.24
昨日、雲南大学の張先生から電話がかかってきて、高峰郷のイ族のたいまつ祭りが8月の3・4日に行われることに決まったという。実は、3年前、この祭りを見に行こうとして準備していたが突然中止になってしまって(理由は村人が松茸狩りで忙しいから)ついに行けなかったという因縁の祭りだ。今年はほとんどあきらめかけていた。たぶんもう二度と行われないだろうと張さんも話していた。ところが、突然やるという。それも、つい最近ビモが占いで決めたということらしく、今回は郷の役所が援助もするらしい。

張さんの電話は調査にくるかどうかという確認であった。ちょっとまてよ。来週じゃないか。行くとしたら昆明への直行便は31日になる。あと一週間で、チケットとビザの手配と、それから、当日予定していたこっちの約束のキャンセルとか、簡単には決められない。少し待ってくれと言って電話を切った。さてどうしたものか。今年はもう祭りはないだろうと思って予定を入れてしまった。かといって、この祭りはこの後行われる保証はない。4年前に行われたっきりの祭りだ。ここで無理してでも行かないと後で後悔する。こういう時は不義理をしてでもとにかく行くしかない。そう決めて、旅行社に電話したら何とか切符が取れた。ビザもまにあうそうだ。それで一週間の予定で行くことにした。

実は、8月26日から三週間ほど行く予定なのだが、とにかくこの夏は中国に二度行く羽目になってしまったわけである。問題なのは、3日に予定していた、上代文学会のシンポジウムの打ち合わせだ。せっかくみんなの都合を合わせてこの日を決めたのに、私が出られなくなってこの日の打ち合わせの意味が無くなってしまう。みんなに恨まれるだろうなあ。早速企画者のTさんに電話したら、やはり困っていた。でも、わたしだったらやっぱり調査に行くとも言ってくれた。さすが。そういってくれるだけでありがたい。とにかく謝って何とか了解してもらった。

この祭りは、よく知られた松明祭りなのだが、かなり古代的な要素を残した祭りで、まず、石に彫られた神の顔を紙で型どり神の仮面を作る。それを神様として村の家々をまわって祓いをする。祭りの最後には、神は山頂で燃やされ神送りされる。私などにはこれだけ聞いただけでわくわくする。張先生は4年前に調査に行っていて、その様子を話してくれたときから、私は行きたくてうずうずしていたのだ。

が、行くと決めてからが大変だった。勤め先の雑務を一応終えておかなくてはならない。たとえば前期試験の成績をつけることとか。委員会もある。何よりも、原稿を書き終えて行かなくてはならない。80枚ほど原稿を書いてから行かないと工藤さんに怒られる。(これは何とかなりそうだが)。とにかく、忙しい。私の場合いつも忙しいのだが、夏休みはいつもこんなだ。

というわけで、イ族の松明祭りを来週に見に行ってきます。次回の時評はその報告になるとおもいますが、お楽しみに。
 
批判的に見るか素直に見るか 02.7.15
 台風と台風の合間に時評を書いている。明日午前中、関東に7号が直撃らしいのだが、明日は前期最後で試験の予定。大丈夫だろうか。二週間時評をを書かなかったが、まあこんなもんです。いつもながら忙しい日々でした。短歌時評も何とか書き上げ、工藤さん編集の古代叢書の原稿も書き始め(これは今月中)たのはいいが、先週は風邪を引いて何日か仕事を休まざるを得なかった。これが痛かった。授業にしわ寄せが来て、今週が忙しい。それなのに台風で休講になりそう。補講はしたくないんだよなあ。

 それと先週の土日このホームページの掲示板が2チャンネル化し、それの対応に時間を取られてしまった。といっても楽しんだところもあったが、まあ、大学教員として失格だとか、欠陥人間とかいろいろ悪口を書き込まれた。それもこれもあのヒキルナ君の私の文章が2チャンネルに引用され、それでこっちに飛び火したというわけだ。ほとんど忘れて興味もない文章だったので、こっちも驚いた(時評の文はたいした文章でもないのでいろいろ言われるのも面倒だから削除しておきました)。大学の教師たるものがいい加減な文章書くなといろいろ言われたが、この時評は、原則として、論証抜きの思いつきで成り立っているので、そう言われても困るのである。

 大学教師がこんなにも批判の対象になるなんて、思ってもみなかった。昔、大学の教師の権威をあれだけ下げておいたので、今は、誰も権威などとおもっていないだろうと思っていたのだが、まだまだ世の中には権威だと思っている人がいるらしい。ことわっておくが、大学の教師なんてたいしたことないですよ。リストラにあいそうになりながら必死に働いている人の方がよっぽどえらい。自分のことを含めてそう言えます。

 それにしても、最初からいちゃもんをつけようとしている匿名の人たちと言葉を交わしたことは大変だったが貴重な体験でもあった。中には、冷静に分析をするさすがの意見もあって、そういう意見には感心もした。ヒキルナ君の問題については今もそれほどの関心はない。本人が読んだかどうかは別にして、周囲がたくさんの本を読ませたのも本当だろうし、ルナ君がそれなりに反応したのも本当だろう。だが、その反応がどの程度のものなのかは実は誰も分からない。むろん、母親がその反応を頭脳明晰な頭脳による反応として装う可能性は十分にある。が、善意に解釈すれば、母親は息子の反応を神の啓示のように受け取り、必死に言葉を与えようとしたとも言える。そういう意見も寄せられた。私は、最初半信半疑だったが、とりあえず母親が翻訳するその言葉をルナ君のものだと考えて文を書いた(こういう時私は批判的な立場より素直な立場をとる)。それが原因で総攻撃にあったというわけだ。

 ただ、私は、奇跡ということよりもその言葉とルナ君の関係に宗教的な世界の始まりを見たように思って、そのことにこだわった。でも、ルナ君の言葉という前提をとる限りそんな論は成立しないと反撃された。つまり、世間の関心は、あれがルナ君の言葉であると信じることは罪悪であるということらしい。私は何もルナ君の言葉であるなどと確信を持っていたわけでもないし、彼の本を立ち読みして、なんてつまんない文章なんだろうと、がっかりしたこともあって(母親に翻訳されると奇跡のように見えて活字になるとつまらないというところにどうもポイントがありそうだ)、このことをについて論争する気など最初からなかった。私が間違っているのなら、別にそれを認めることにやぶさかではない。ただ、欠陥人間などと言われっぱなしもなんだから、はいはいわかりました、という程度の反論はしたが。

 ただ、興味を引かれたのは、そこまで何でみんな興奮するんだろうということであった。意見の中には、あの番組への攻撃はカルトみたいなものだというのもあった。そうか、世の中には私が興味を失っていた話題に、カルト的に執着していた人たちが大勢いたわけだ。ある意味では、そういう人たちこそが、あの番組に深刻な影響を受けてしまったということなのだろう。そういう心理はわかりそうな気がする。その意味で確かにあの番組は危ない番組だったのかも知れない。そう考えると、私はむしろ鈍感だった。ルナ君が言葉を発している、ということを認めても別にそれがどうしたのと言うような気持ちだったし、それが、医学や科学を否定するほどの、あるいはある人々にとっては自分の存在を否定するほどの大問題などとも思わなかった。私はそういうことってあり得るかも知れないなどといった感覚だった。つまり、あの番組が孕む問題への想像力を確かに欠いていた。あの番組の内容に宗教性を感じたが、あの番組自体が宗教的な意味合いを持つということにまったく思い及ばなかったのである。そこは反省点である。(この問題についての掲示板への書き込みはお断りしますのでよろしく。)

 私は人から批評家と実は呼ばれていたりもするのだが、どういう批評家であるかが、だいたい見えてくるだろう。私は、基本的に人を批判的に見ない批評家なのだ。とりあえず相手を信じる。信じた上で自分の中での違和感を探る。違和感があれば、その違和感が生じる理由について考え、そこから何かが分析できたり生産的なことが言えたらよしとする。だから、あまり批判をしない批評家である。それでいつも優しい批評家と言われるのだが、時に、人の心をぐさっと刺す人だと言われることもある。それはおそらく、稀だが、違和感の分析があまりにうまくいってしまったケースだろう。が、やはり私は信じるタイプなので、批評家としてはたいしたことはないと思っている。

カーンのその後とカルスタのその後 02.7.1
ワールドカップがようやく終わった。まあ、私も人並みにサッカーのことを話題にした典型的な日本人だったことを確認した。ドイツ対ブラジルの決勝戦は、試合としてはそれほど緊張した高いレベルでのものではなかったと思うが、まあブラジルが勝ってめでたしめでたしと言ったところか。ブラジルの選手の明るい笑顔を見る方が、ドイツ人の笑顔を見るよりは数倍気持ちがいい。サッカー以外に元気になる方法のない国が勝つのはある意味で天の配剤か。

それにしても、試合が終わったとき、自分のミスでブラジルに敗れたカーンが、ゴールポストにもたれたまま動けなかったのが印象的だった。ブラジルの選手の喜びに満ちた顔よりもかっこよかった。人間というものの美しい姿を深く感じさせた(敗れたときに人間の深さが出る)。ブラジルの3Rを止めて見せると豪語していたが、結局、最後の最後でミスをした。ゴールポストにしゃがみ込んだカーンは、自分を許せなかったのだろうか。雪辱を誓ったのだろうか。サッカーはこんなもんだと自らを慰めていたのだろうか。たぶん、放心状態だったのだろうが、ドイツに帰っても、彼は悔やみ続けるだろう。完璧を目指していればそれは当然だ。

33歳の彼は次のドイツ大会には出られない可能性が高い。彼はこれからどうやって自分と折り合っていくのか。あるいは、リベンジを果たすのか。周囲は彼をどう扱うだろう。すでに彼のミスを責める記事も出ているという。が、考えて見れば、ロナウドも前の大会では決勝戦で体調不良というミスを犯して責められた。完璧なものなどいないのに、完璧であるような幻想を作り上げたスポーツ選手には必ず、こういう失墜の危機が伴う。
それをどうやって克服するのか。実は、そのことが一番気にかかる。私には一番縁のないことではあるが、時に、強靱な精神で克服していく選手を見るとすごいなと率直に思う。

三浦祐之氏から『口語訳古事記』(文藝春秋社刊)が届いた。古事記を徹底した語りの文体で訳した本だ。きっと話題になるだろう。それから手塚恵子さんから『中国広西壮族歌垣調査全記録』(大修館書店)が届いた。一昨年、アジア民族文化学会の前身である少数民族文化公開研究発表で発表したものがようやく本になった。ビデオ版もある。体裁は、私と工藤さんが出した「中国少数民族歌垣調査全記録1988」と同じで、大修館は中国少数民族の資料をこの体裁でシリーズ化していくようだ。この本も歌垣調査の本としてはかなりすごい。なにしろ壮族の歌の掛け合いはかなり高度だ。声による歌の掛け合いで、これだけ高度なテクニックを駆使する人々の存在に皆驚くだろう。それから、社会学的な調査資料もあるので、歌を掛け合う人たちの社会的な関係がよくわかる。これもまた大きな成果であると思う。

私の方は29日に図書新聞から頼まれた書評を書き上げた。安田敏朗著『国文学の時空 久松潜一と日本文化論』(三元社刊)の書評である。戦前の久松潜一の「日本文化論」いかに時局迎合的であったか、そして、その「日本文化論」が敗戦に傷つかずに何故生き延びたのかを、明らかにした本だ。いわゆるカルチュラルスタディーズ系の本だが、ありきたりのカルスタ的結論を回避して、文学や文化を論じる主体はどうあるべきかという真剣な問いを発している。好感のもてる本であった。たぶん、来週あたりの図書新聞に掲載されるので読んでほしい。

カルスタ的結論とは、近代の知識人の言説そのものを「国民国家」によつて作られた言説とみなすことで、その言説が作り出した、たとえば古代文化何とかいうのは、近代の国民国家が作ったものだと暴く、ということだ。この金太郎飴みたいな結論にさすがにみんな飽きて来たのだな、ということがこの本を読むとわかる。たとえば、品田悦一に「万葉集の発明」というカルスタ本がある。結論はいわゆる金太郎飴である。確かに読んで面白いのだが、結論が最初からわかっているので最後まで読む気がなくなるというのが欠点だ。

安田敏朗は、文学作品への「実感」というものをどうとらえるのか、という問いを提起している。この提起は重要だろう。国民国家的言説によって確かに「万葉集」は発見されたのかも知れない。が、たとえば、映画の話として考えてみよう。宮崎駿の映画という言説がある。この言説によって宮崎駿的映画という幻想が日本国民に作られている。映画会社は何億もの宣伝費をかけてこの言説を作り出している。そこへ「千と千尋の神隠し」が登場し、ヒットする。後の世、あの映画がヒットしたのは、宮崎駿的言説が当時作られていて、その言説によってあの映画はヒットしたにすぎない。日本国民はあの映画を見ていたのではなくて、言説によって作られた映画を見ていたにすぎない、という評価が、カルスタ系の評論家によってなされるだろう。そしてみんななるほどと納得する。

が、本当に、宮崎駿的言説があったから「千と千尋」の映画はヒットしたのだろうか。ごく素朴に映画がつまらなかったらヒットはしなかったのではないか。つまり、現実には、いくら宣伝に金をかけてある言説を流行させその言説に支配されるように操作しても、ヒットしない映画などたくさんあったのではないか。つまり、映画を見て面白いという「実感」があったから、「千と千尋」はヒツトした、と考えるのがごく順当な結論ではないか。

これは「万葉集」にだって言えることだ。確かに「万葉集」論はある万葉集像を発見したかも知れない。その発見には「国民国家」的言説が影響を与えていただろう。が、それは「万葉集」についてのメタ言説であって、メタ言説というのは当時のごく常識的普遍的言説に影響されやすいのだ。が、面白い、面白くないという実感は、それほど影響されない面を持つ(評論家的体質で本を読んだり映画を見たりする奴は影響されるが)。そういう実感が発見した「万葉集」をどう論じるのか、これがカルスタ以降のわれわれに課せられた課題だと思う。

イチローより新庄  02.6.24
 ワールドカップの日本戦も、残念だったけど、まあまあのところで終わったし、よかったのじゃないか。二度目の出場でベスト16はできすぎだと思う。たぶんトルシェはベスト8に本気になっていなかった。彼は前にフランスの記者に日本のサッカーはベスト4に入る資格はないと語っていたそうだ。失礼な話しだが、ただ、他の国のあの必死なえぐいサッカーを見ていると、それもそうかな、という気はする。なんて言うか、共同体を背負っていないというところかな。イギリスの田舎でサッカーが始まったとき、それは村と村とのボールを奪い合う戦争だったということだ。まだまだ日本のサッカーはかっこいい個人のスポーツだということだ。共同体のオーラのようなものを背負っていない。だから、本能のような闘争心が出ていない気がする。アフリカのほとんどサッカーしか国を救えないような貧しい国でサッカーを教えていたトルシェには、そこが物足りなかったのだろう。韓国のサッカーもほとんど民族のオーラを背負っている。ベスト4までいったのはすごいと思うが、あの民族大フィーバーはいいかげんにしてほしい。

 相変わらず私は忙しい。それでも、先週、柳田国男論70枚を脱稿。私が企画した本の原稿だから、とにかく書けてよかった。これから、まだ原稿書いてない人に催促しなきゃならない。短歌時評を土日に何とか書き上げた。今週中に図書新聞から頼まれた書評を一本。それが終わったら、工藤さん編集の古代文学会叢書の原稿を書かなくてはいけない。それが終わったら、武蔵野文学の原稿を書いて、そして中国雲南省へと調査に出かける。だから、夏休みなどというものは私にはない。

 今日工藤さんから武井政弘さんが癌で亡くなられたということを聞いた。すでに葬儀は終わっていて、ごく近い身内の間での葬儀だったそうだ。私は、霜月祭や花祭りでいつも世話になっていた。私のフィールドワークの師のような人である。最近は、諏訪神社で、神社の古文書を読んで資料集の編纂をなさっていた。もともとは研究者ではなく、谷川健一と同じく編集者だったが、花祭りに惹かれて研究者となった人だ。私が武井さんから教わったことはたくさんある。特に、武井さんは、地元の人たちと幅広い交流をした。地元の研究者を育てたり、地場産業の育成にかかわったり、単なる研究だけではなく、地域の社会のためになることを積極的に行う人だった。それは私にはまねの出来ないことだった。

 私はいつも中途半端なフィールドワークしかしてこなかったが、武井さんの疲れを知らない調査ぶりや、徹底した資料の渉猟、細かいところまで行き届いた精緻な研究論文には、いつも感心させられていた。なんて言うか、調査のためなら自分の体のことなど厭わない人だった。何日も平気で徹夜をしていた。若くて体力のある私がついていけなかったくらいなのだ。私は、今までの人生で出会った人で、この人はすごいと思った人が何人かいるが、武井さんはその数少ない中の一人である。ご冥福をお祈りします。

 私の身近で、亡くなられる人が最近増えて来ている気がする。それだけ私も年を取ってきたということなのだろう。未だに年を取ることがどういうことなのかよくわからない。老人になるということが、体力の衰えや記憶力の減退以外にどういうものがあるのかよくわからない。まあ、それだけで十分だということかも知れないが。ただ、死と言う事柄が自分にとってだんだん身近になってくる感覚はある。たとえば、今死が訪れたとして、無念という受け入れ方はおそらくしないだろうという気はする。まだ死ぬには早い年だが、でも、早すぎるとは言えない年だ。やりたいことはまだ何にもやっていないが、かといってやりたいことがなんなのかまだよくわかっていない。まあ、こんな調子で最後までいくんだろうという気はする。

 私は武井さんのように、人からすごい人だと言われることはないが、どちらかと言えばイチローよりは新庄タイプなのだろう。とりあえず打率は気にせず楽しく生きられればいい。でも、そのためには、メジャーから落とされないように努力はしなきゃ。しかし、新庄はよくやっていると思う。もうだめかと思うとちゃんと打つからたいしたものだ。そしてすぐ打てなくなるのも楽しい。イチローは大記録を残して早死にするかも知れない。新庄はしぶとく生きるだろうな。やはり私は新庄がいい。
サッカーの勝利をどう祝うかそれが問題だ 02.6.10
ロシア戦に勝ってほんとによかった。負けると思ってたんで、こういう予想が覆されるのはうれしい。普段はあまりサッカーを見ないが、こういう時はやはり気になる。まあ、お祭りだからみんなと一緒に楽しむに限る。でも、サッカーというスポーツにフーリガンが何故発生するのかわかるような気がする。野球じゃサポーターはあんなに暴れないだろうなと思う。

このスポーツは、運の支配する要素が大きすぎる。かといって技術がなければ勝てない。足だけを使うのは、結局、脳のコントロールのしにくい部位でそれぞれが戦うということだから、ある意味では、本能に近い身体の動きだけで選手はゲームをする。別な角度から見れば、球を自在にコントロールできる選手は、うまくコントロールできない身体(自然)をコントロールしているわけだから、神の領域に近づいているように見えてしまうのだ。シュートが感動的なのは、本来滅多に入らないものだからだろう。シュートの感動は、自然を克服した美しさというよりは、自然に一体化したような感動なのだろうと思う。

こういうスポーツは、脳を使った緻密な計算の部分が少ないから、とてもわかりやすいし、感情移入もしやすい。あのように身体を動かせたら、という誰もが持つ願望をそれこそ目の前でかなえてくれるというわけだ。自在にコントロールできない球を、チームプレーでコントロールするというところも、とても象徴的だ。個人技か組織力か、それぞれの共同性の文化がここ試される。むろん、どちらが欠けてもサッカーでは勝てない。ただ、この共同性はやはり狩猟の共同性だという気はする。少なくとも、農業の共同性ではない。東アジアがサッカーに弱いのはその意味でよくわかる。

シュートがあたかも神の技のようだからこそ観衆は一体化できるのだろう。だから、フラストレーションを一気に解消できる。点の取り合いのルールも、考えてみれば、ごくシンプルな戦争のシュミレーションだから、人を闘争的にする。日頃の鬱憤をここで爆発させるには格好のスポーツなのだ。ロシアに勝利したときの日本人の騒ぎ方は、何となく様になっていない気がした。優勝したときの阪神ファンの騒ぎ方とそんなに変わらない。たぶん、サッカーで発散させるほどの鬱屈がそんなにないのだと思う。というより、サッカーに一体化できるほどサッカーが好きではないということか。

テレビで、外国人が、こんなに騒ぐ日本人を初めて見た、たまにはいいんじゃない、と言っていたが、どうも私には、外国の騒ぎ方をまねて日本人はただ騒いでいるような気がした。自然発生の騒ぎじゃなくて、まあ、学園祭ののりみたいなもんだ。韓国対アメリカ戦で、ソウルの広場を韓国人が何万人を埋め尽くした光景を見たとき、サッカーを通してアイデンティティを確認することのすごさを感じた。民族というもののエネルギーがこういう光景にあらわれる。前回の大会でフランスが優勝したとき、パリでは百万以上の群衆が通りを埋め尽くしたが、日本人はそこまでやるだろうか。

たぶん、道頓堀に飛び込む人数がちょっと増えるくらいなのではないか。こういうアイデンティティの確認は、あんまりない方がいいとは思う。何百万人が東京を埋め尽くすなんてことがあれば、それはそれで革命みたいで楽しいが、しかし、実態は戦争に勝利したときの提灯行列みたいなもんになるだけだ。やっぱり、道頓堀に飛び込むぐらいの騒ぎ方でいいのだ日本は。勝利を祝って何百万もの日本人が歓喜するなんて光景は、まあ、実際はないだろうが、あったとしたら、どうも誰かにコントロールされているのではないかと疑ってしまう。

サッカーがここまで民族のアイデンティティと結びつくものなのだと韓国を見ていて強く感じた。アメリカ戦でゴールを決めた韓国選手が、スケートのまねのパフォーマンスをしていたが、あれは不快だった。民族の怨念みたいなものを、サッカーに露骨に持ち込んでいて、こういうサッカーは見ていて疲れる。ロシアの若い女性が、負けたロシアの選手に「恥を知れ」と言っていたのをテレビで見て、やはり不快だった。みんな自分の民族や国の優越性を、サッカーが強いという事実にあまりにゆだねすぎているようだ。

日本人の良さは、まだサッカーにそれほど思い入れていないということだろう。その意味で、ゲームをゲームとして純粋に楽しむ余裕がある。サッカーで勝つことに自分たちのアイデンティティを賭ける、なんてことにならない方がいい。アメリカではほとんどサッカーに興味がないようだが、これは、イレギュラーが支配するスポーツを嫌うアメリカのスポーツ文化がサッカーを嫌うからだ。まあ、アメリカにならなくても、日本は、日本流に、サッカーに勝っても、クールに祝うくらいに成熟したいものだ。

研究とビデオ映像と肖像権  02.6.3
 土、日、口承文藝学会の大会が学芸大学であった。私は一日目は司会。二日目はシンポジウムのパネラーとして発表、けっこう忙しかった。とても疲れた。とにかく、五月六月の土日は必ず何らかの研究会や行事がある。授業のない平日には会議がある。よく体がもつもんだと我ながら感心する。家に帰って原稿を書かなきゃと思いつつ、ついワールドカップのサッカーを見てしまう。やっぱり世界のサッカーはすごいななどと感心している。

特に、個人とチームの力のバランスに魅入る。チームが個人の力を殺さない。個人は個人の個性的なプレーを思う存分発揮し、かといってそれぞれが自分勝手に動かない。このバランスは、アジアのサッカーにはないものだ。ただ最近の日本にようやくそういう感じは出てきたかと思う。個人のスタンドプレーか(卓越した個人などいなかつたが)、個人の埋没した集団戦か、というのがこれまでの日本のサッカーだったが、最近、少しは、個人でありながらチームの一員であるというスタンスで個性が発揮出来るようになったのではないか。ただ、サッカー先進国の選手の技術を見ていると、狩猟と稲作をやってきた民族の身体の違いというものを思い知らされる。日本人は田圃のぬかるみで体を動かしてきた。柔道は得意でもやっぱりサッカーはハンディがあるなあ、と思ってしまう。

 それにしても学芸大学のあの広さは何なんだ。いつも思うが国立大学のあのキャンパスの広さは、都心の狭い敷地の私立大学にいる身にとっては犯罪的ですらある。とにかく、キャンパス内の会場の教室を探すだけでくたびれてしまった。独立法人化するという話しだが、人気が落ちて学校がたちゆかなくなったら土地を売るんだろうか。そのくらいはやりそうだな。でも、土地をたくさんもっている国立の大学はうらやましい。不動産屋としてやっていけるから。

 シンポジウムの私の発表は、民族文化の記録調査におけるビデオ映像の持つ意味。今や、民族文化調査においてビデオ映像の持つ意味はとても大きい。ビデオ映像のそのリアリティは、たとえば
瀋陽の日本総領事館の事件はビデオが決めてだったように、現場の再現力は、従来の文字資料とは格段の差がある。ビデオ映像としての一次資料はこれからも広がるだろう。

私の発表の趣旨は、ビデオ映像は、一次資料が自立してしまうという問題だということだ。本来、一次資料は調査者が秘匿し、記録者が整理分類した上で論文として発表するというものだった。ところが、ビデオになると、その一次資料自体をちょっと編集しただけで公開出来るようになってしまう。とするとも公開への社会的な要請は高まる。つまり、ビデオ映像は、公開を要請される資料でもあるということになる。

ビデオ機材の発達によって、誰もが記録できるという点も重要な点だ。専門家だけが映像として記録するという時代はもう終わった。民族文化を記録するのは、ひよっとしてもう研究者という名が付かなくてもできるということなのだ。むろん、対象に対する関心の持ち方やそれなりの知識は必要なのだとしても、それは専門家と呼ばれるほどのものである必要はない。それは、結局、記録者・研究者の相対的低下をもたらすだろう。

ある意味でそれはいいことである。研究者の特権性など無くなった方がいいのだ。過激に言えばみんなが研究者であればいい。ある山の中の歌垣を調査したとき、子供がうまい歌い手の歌を小さな録音機で録音していた。録音機がここまで浸透していることに驚いたが、自分の歌の練習のために録音していたと思うのだが、ある意味ではこれも研究である。学問というアカデミズムのために研究があってそこに属していることを証明するために研究するなんてことより、歌をうまく歌うために研究するなんて事の方がまっとうである。ビデオ映像の普及がこういうまっとうな研究動機を増やすのならそれはとてもいいことだと思う。

本当は、研究とは、最後に、自分が自分を研究するということに行き着くのではないかと思う。研究とは他者との差異を理解し埋めていく作業だ。だから、まずは、異文化の研究から始まる。が、究極は、自分にとって自分が最大の差異の対象であることに気づくだろう。そいう時、自分が自分をビデオ映像に記録するということになる。実は、研究とは、その代替え行為として異文化の人たちを調査しているのだということでもある。ということは、みんながそれぞれを研究する、ということになればいいのだ。そして。研究の成果をみんなで共有しあう、なんてことになれば、おもしろい社会になるのではないかと思う。

ところで、シンポジウムの最後にSさんから(この人とは親しくてとてもいい人なのだが質問はいつもきつい)、ビデオ映像の場合うつされた人の肖像権はどうなのか、という質問が出た。思わずうなってしまった。まったく予想外の質問だつたからだ。あんまり自覚が無かったので自覚の無いことを謝るしかなかったが、よく考えてみれば、祭りの映像の場合、祭りの参加者に肖像権はあるのだろうか、という疑問を持った。つまり、個人の取材と、祭りのような集団での公的な行事の取材では、肖像権の扱いに違いはあるはすだ。Sさんは個人の家の取材が多い人なのでそういう質問をしたと思う。

歌垣の場合歌の掛け合い自体は、公開が原則だ。不特定多数の人に見られ聞かれることを目的にしている。従って、彼等に肖像権をいちいち確認する必要は無いだろう。だが、葬式のような場合は当然必要だ。むろん、それくらいの配慮はしているが、その問題を肖像権や人権などという概念で意識したことがなかったので、その場ではうまく答えられなかった。ただ、ビデオ映像での取材が多くなると当然こういう問題は発生してくる。これから考えておかねばならない課題であることは確かだ。

縄文遺跡と殺人鬼 02.5.27
5月25日・26日の土日は、供犠論研究会があり、滋賀県の八日市に行った。琵琶湖の東岸にある町で、あの万葉集「紫のにほへる妹を憎くあらば
」で有名な蒲生野の地である。木地師の里と言われる蛭谷を訪れた。蛭谷は鈴鹿山系にあり、山を越えると三重県になる。ここは全国の木地師の総元締めの村で、木地師の通行手形や、全国に存在する木地師へ公認料を取り立ててまわった帳面が残っている。どうやら、木地師の組織は家元制度のようで、家元にけっこう上納金を払っていたようだ。木地師は割合自由な人たちと思っていたが、そんなことはなかったということか。それなりに元締めに管理されていたということだ。彼等は非定住というイメージがあったが、住所はそれなりにあつたということだろう。そうでなければ、上納金の取り立てにはいけないし帳面も残っていないだろうから。

八日市のホテルに一泊し、そこで民博の研究者や動物の骨を考古学的に研究している松井章さんの話しなどがあった。かなり刺激的でおもしろかった。この研究会は、名前からしてきわどい話しが多い。食や死にかかわる文化の表に出ない文化を掘り起こそうとしているからだろう。前回から参加しているが、けっこうおもしろがって参加している。それにしても、松井さんによる最近高知県の縄文晩期の居徳遺跡から出てきた骨の話しは凄惨なものだった。この遺跡は日本にはない木製漆器などが出土したことから明らかに渡来系のものだという。そのゴミ捨て場のような場所から出てきた人間のいくつかの骨は、縄文系の人の骨で処刑されバラバラにされて棄てられたもであるという。おそらく、縄文系の人たちが襲われ捕虜としてつれてこられ処刑されたのではないかと見る。時代が縄文晩期であることから、縄文時代には戦争はなかったとする従来の学説が少しゆらいできているという。

縄文期の頃に、春秋戦国時代の中国から日本に難民?が渡来したであろうという説は、前にNHKの「日本人はるかな旅」で言われていた。たぶん強力な武器を持ってきたのだろう。彼等はやがて縄文人と次第に融合していくのだが、その過程で、かなり衝突があつて、今、その証拠がいろいろと出てきているということか。民博の研究員による台湾の原住民による狩猟の話しも興味深かった。戦前原住民が部族間の抗争で首狩りを行いその首をぶら下げて警察に出頭してきた記念写真を見せてくれた。今年の夏は私も中国の少数民族ワ族の調査に行くのだが、ワ族も解放前までは首狩りをやっていたという人たちだ。こういう文化は正直好きではないが、しかし、一方で人間というものを考えさせる文化であると思う。

ローレンツは、「攻撃」で、同種同士が殺し合うのは人間だけだという。(ただし、この説は同種を殺す猿の例などが報告され批判を受けている)。だから人間は殺してはいけないというルールを作るのだというのがローレンツの見解だったと思うが、岸田秀的に言えば本能が壊れてしまっているから人を殺すということだということか。本能が壊れているから人は倫理的になる。それは、ワ族でも台湾の原住民でも同じ事だ。彼等は、家族を殺さないし、同じ共同体の人間を殺さない。彼等が殺すのは、共同体の外の人間であり、殺す理由は共同体を守るためだ。そういう意味では、彼等の文化は野蛮なのではない。アメリカが自分たちの正義と利権を守るために、ミサイルを撃ち込み多くの人間を殺すのと大差はないのだ。

問題は、彼等の殺す対象、あるいは殺す行為そのものが、彼等の共同体に対する行為として近似してしまうということにある。言い換えれば、身内を殺してはいけない倫理は、外部の敵を殺すということには適応されない。当たり前のことだが、われわれが首狩りという行為を見ると、この当たり前のことが揺らぎはじめるのだ。その暴力性は、ひよっとして彼等自身にも向かうのではないか。とすると、彼等は何のために生きているのか、という根本的な疑問をわれわれは抱く。われわれも人を殺すが、実は、倫理から脱がれるために様々な工夫をしている。アメリカがなるべく戦争を飛び道具でするのは、直接殺す相手を見ないですむことで、殺す事の罪悪感から免れるからだ。

たとえば、法律でも、残酷な殺し方は刑罰が重い。殺した行為ではなくその殺し方で倫理が実は問われる。それは、われわれが殺すという行為の積み重ねの中で、なるべく倫理を問われない工夫をしてきた歴史があるからだ。だから、死刑になりたければ首を切ればいい。この殺し方はもっとも倫理に外れる殺し方なのである。人間はこういう殺し方からなるべく遠ざかろうとしてきた。が、遠ざかることで大量の人間を殺し始めた。倫理から免除されることで殺すことが機械的になつたのである。それが文化というものの正体だ。

首狩り族の首狩りは、殺すことを機械的に行うことをしないためにおそらく首を切り取る。部族間の抗争では日本の戦国時代と同じで勲章のようなものだが、一方でやはり魂の宿る首を刈るのは生き返ることを恐れる呪術的な行為だろう。殺す相手の霊魂を信じるシンプルな精神がそこにはある。彼等はそのこと自体を感染力のある暴力性とは認識していないだろう。だから、その暴力は身内に向かわない。問題はわれわれの方である。われわれの殺人は多くは身内から始まる。それは、暴力を生み出す理由が、身内の裏切りによる孤立にあると、暴力の当事者が信じるからだ。最初から暴力の対象が狂っているのだ。

現代のジェノサイドを見ると、首狩りの方がましなのではないかとおもってしまう。むろん、首狩りなどない方がいいにきまっている。だが、われわれは、潜在的にこういう殺人の話しが好きなのである。殺人鬼の映画は何本も作られている。倫理を作ったわれわれはどこかで倫理を負担に思っている。だから、逆に何のためらいもなくこの倫理を踏み外す殺人鬼をヒーローにしてしまう。言い換えれば、殺人鬼は首狩りを身内に対して行う存在なのだ。むろん、殺人鬼は外部的存在に設定されるが、それは共同体内部のわれわれのもう一つの姿である。首狩り族は共同体の内部と外部の区別を厳しく守っている。だから、殺人鬼にはならない。が、文明社会に住むわれわれは、実はこの区別を無くしているのだ。首狩りの話しや、人を殺した縄文期の遺跡に戦慄するのは、たぶんに彼等のその殺人と平和な生活とのバランス感覚がわからないからだ。

われわれは、殺すという行為そのものをなるべく見ないように社会の片隅に隠しながら、均質に平和であると思いこんで生活している。たとえば、それは、食文化においてもそうであるだろう。肉を食べながら、そこに殺す行為がついてまわることを皆見ないようにしている。そんなもの見たくないという気持ちはわかる。私だって正直そうなのだが、しかし、本物の殺人鬼が現れる昨今、そういうものなど見たくはないというわれわれの心のゆがみが、殺人鬼を生み出しているということではないのだろうか。

 中国瀋陽での日本総領事館事件とナショナリズム  02.5.18
昨日、私のインターネットはやっとADSLになった。従って、パソコンの電源が入っているときは常時接続という状態になっている。別に常時接続でなくてもいいのだが、料金は同じだと思うといちいち切断はしなくなる。常時接続する理由がわかった気がする。別に、インターネットを常時使うわけでもない。インターネットで情報を調べる機会なんてそうあるわけではない。人のホームページを見るのもそんなにない。それならADSLにする必要もないのだが、これは「新しさ」への好奇心に負けてしまう私の性格だから仕方がない。ただ、ダウンロードやアップロードは確かに早い。この早さに技術革新というものの手触りを感じる。ホームページの更新もあっというまに終わる。みんながADSLなら、ホームページの画面の情報量を多くしても大丈夫かなという誘惑にかられる。つまり、私はますます忙しくなるというわけだ。

忙しいせいかまた風邪を引いた。明日は、学生を連れて国立歴史博物館に行かなくてはならないというのに。どうもここのところの天候不順のせいでやっとなおりかけていた風邪がぶり返した。原稿も書けない。(これは決して原稿が書けないことのいいわけではありません。)ところで、赤坂憲雄編集の「東北学6号」に私の論文が出ている。題は「中国少数民族イ族の祓い儀礼と日本の祓いとの比較考察」。それから「国文学」の6月号の「短歌の争点」という特集号に「羇旅歌と相聞歌ー古典和歌の切断と連続ー」という短い論を書いている。もし興味がおありでしたら読んでください。

来月の1日、2日に学芸大学で口承文藝学会の大会があり、二日目のシンポジウムのテーマは「資料の保存と活用」で私がパネラーの一人になっている。ビデオを使った中国少数民族調査について話す予定。どうも今年はシンポジウムのパネラー役が回ってきて、この間の俳句学会について二度目だが、秋の上代文学会のシンポジウムのパネラーの打診があり引き受けた。テーマは確か万葉集の現在というようなものだった。たいした研究者ではない私などでは役不足でしょうとは言ったのだが、短歌評論やっている人だからということだった。ひよっとして私は少しは売れっ子になったのだろうか。いやいやそういうことではないようだ。今、アカデミズムの世界では、学問の展望にみんなとまどっていて、発言がきわめて慎重になってきている。こういう時は、発言が慎重でもなく、たいした研究者でもないが新しいことをやってそうな私などが重宝されるらしい。私のこの世界でのスタンスは、みなさんのお役に立てるならなんでもしますというものだから、原則的に断らない。だからいつも忙しい。

今、ニュースで気になるのは、やはり瀋陽の日本領事館で北朝鮮からの亡命者を中国の武装警察に領事館内に踏み込まれつれていかれたということであろう。ナショナリズムを刺激する事件であり、しかも、戦後の日本の平和ぼけを象徴する事件として結構扱いが派手だ。私の感想だとどう考えても日本の副領事は武装警察の立ち入りに、相手にそれとなくわかるように暗黙の同意をしていると思う。むろん、中国はこうかつな国だから本当のことを言っているとは思わないが、亡命者を拒否する合意が出来ていた日本側の当時の状況と、踏み込んだ警察官に積極的に抗議しなかったことは確認されているのだから、黙認に近い同意を与えていたのは間違いないだろう。

母子を取り押さえる中国の警察官と彼らの帽子を拾う日本人の映像は、この二つの国のぶざまさを世界に晒したという意味でいい教訓だったのではないか。二つの国に共通するのは、北朝鮮の難民に対する命への配慮などみじんもないということだ。世界に映像をさらされてから人道的な配慮と言うだけの情けない国だ。まったく、日本に住んで中国に調査に行っている私としても、いやな気分になる。日本のニューナショナリストたちは、日本の主権を侵された重大な事態だといって、さかんに日本人の平和ぼけを警告し、国家を強化せよという。テレビにでるコメンテーターの意見もだいたい同じだ。

教訓の受け取り方がまったく違っている。この場合の国家への侵犯とはどういうことなのかそれを考えなければならない。彼らの認識は国家の縄張りが犯されたというつまらない国家認識でしかない。本質は、人命を守り自由を守るという、現代の国家が自覚しなければならない価値意識そのものが犯されたということなのだ。欧米の大使館が亡命者を保護し中国の警察の進入に毅然とした態度をとるのは、少なくとも縄張り内への侵犯は人権や人命への侵犯になり得るとまで踏み込んで意識するから、対応が毅然とする。が、われわれは、ただ境界ラインの問題にすぎないから、解釈しだいではいった入らないという水掛論になるのだ。侵犯されたものはただの威信のような張り子の虎にすぎないのだ。だから、中国もどうせ張り子の虎なのだからあんまり大げさにするなと日本に言っているのだ。

張り子の虎のようなナショナリズムをここで回復しようなんて辞めた方がいい。百戦錬磨の中国にかなうわけがない。向こうは世論を気にしない国だから、国家の威信を守るためには何でもする。多数の意見を無視出来ないそれなりの民主主義国家日本は、国家威信の競争では勝てないのだ。むろん勝つ方法はある。それは、中国に無いものにおいて優位に立つことだ。それは人権意識である。個人の生命や自由への権利を、国家の体面を捨てても大事にする意識だ。具体的には、中国の東北部にいる北朝鮮の難民を積極的に支援していく姿勢を中国に打ち出すことだ。今、中国が一番言われたくないことはそれである。人道、人権を、日本は国家の価値とすることをそういう形で宣言すれば、日本は張り子の虎ではない国家の威信を回復できる。が、それが出来ないのは、国家の威信を縄張りを守るような狭い了見で考えているからだ。今は、もうそういう時代ではないのだ。どうもそういうように発想しない日本の今の若いニューナショナリストはレベルが低い。

人間であることとはどういうことか 02.5.13
 昨日、アジア民族文化学会の春季大会が共立で開かれ無事終了。事務局代表としてはほっとした。とにかく発足したばかりの学会だから、いろいろ問題山積で、気が抜けない。一番の問題はお金である。機関誌を発刊したのはいいが会員から会費が払い込まれないと機関誌の印刷代が払えない。でも、何とか、機関誌もトラブルはあったが創刊できたし、会費も何とか集まっている。それなりに認知をうけてきたのかと思う。

昨日の発表は、樊秀麗、遠藤耕太朗によるイ族の葬送儀礼の発表だ。樊さんはイ族の葬儀儀礼からイ族の霊魂観やその民族性をみようとするやや抽象度を高くした発表で、遠藤氏は、イ族の葬儀を実際に克明に取材し、そこで歌われている歌や神話あるいはここの儀礼の意味等についてほとんど翻訳し、その言語表現の実際を再現してみせた。それもビデオを交えてのもので、イ族の葬儀がこれだけビデオで克明に記録されたのは世界で初めてではないか。彼の取材には最初だけ私も加わったが、とにかく葬儀の取材というのはかなり難しい。こちらの都合に合わせて死者がでるわけではないし、あったとしても取材を許可してくれるということはほとんど希なケースである。その意味では、彼の取材記録はとても貴重なものだ。

 人間が人間であることのひとつの根拠は死をおそれたことだ。人間の文化はネアンデルタール人から始まるとされる。それは彼らが墓を作り花を供えたことがわかっているからだ。死はひとつの物理的現象だが、死者の世界は物理的空間ではなく、生者にとって見えない世界として存在する。その世界は決して親和的世界でないからこそ埋葬という方法が行われ花を供えるという行為が成立した。死は、見えない世界を作り出す。その見えない世界を見いだしたとき人間は誕生したのだ。見えない世界をおそれあるいはあこがれるから、文化的行為もしくは表現がそこに生まれる。見えない世界があるのだと思うとき、われわれはその見えない世界との関係の中で生が成り立つと思い始める。だから、見えない世界との接触を作り出したりあるいは拒絶したりするいろんな儀礼や行為や言葉等の表現が生まれた。それらが凝縮されたいるのが葬儀なのだ。葬儀は、人間が人間として出発した最初のきっかけを留めている儀礼なのである。

 イ族の葬儀の儀礼は、人間が人間として誕生した原初的な記憶を内在させていると思われる。遠藤君の取材したビデオをみながらそのように感じた。彼らは死をおそれる。だから、死者と一緒に向こう側につれていかれないように実に様々な儀礼を行う。それはしつこいくらいだ。一方では、死者に対し、あの世への道を教え、道案内する。死者に彼らの幻想上の故郷に行ってもらうためだが、一方ではこの世にとどまることをふせぐためでもあろう。それと同時に、生者は、葬儀の現場で、生者の側の起源を様々に問う。神話が歌われ氏族の自慢話が語られる。死はこの世に不安をもたらす。その不安にたいする対処として、生者はおそらく自分たちの起源を確認するのだ。これから行く世界が身近に近づいたその現場で、その世界への対抗として自分たちが生まれた見えない世界を再現させるということなのに違いない。

イザナキが黄泉の国から脱出したとき、イザナキは、死者であるイザナミと問答をする。千人の死者を出すというイザナミに対しイザナキは千五百の産屋をたてるという。つまり、生の起源をここでイザナミは死の世界に対し語るのだ。これと同じことを、自分たちの自慢話や起源神話を語るというやり方でイ族の人たちは葬儀の場面で語っていたのだ。生は死と対立する。死が日常的にあるからこそ、この対立は、いつでも意識せざるを得ない。そういう精神性が彼らの文化にはある。

 生と死の問題は難しい。現代人のわれわれを批判する言い方の一つとして、生の中に死を組み込めという言い方がある。死を排除しそれを考えない生は豊かではないというこだ。わかる気はする。が、イ族の生き方を見ると、そういう言い方もまた甘いと言わざるを得ない。彼らは、たとえば動物の死を日常的に作り出す。しかし、自分たちの死をおそれる。死者の世界に近づくことをとても怖がる。死者をあの世に送るプロセスを徹底して考えぬくが、死後の世界のイメージはあまり考えない。どうやらどうでもいいらしい。遠藤君の説明だと死後の霊魂は虫になると言う人もいるということだ。彼らは死を組み込んでなんかいない。あまりに死が身近だから、死をさける方法をいつも考えているのだ。生きているときは死は避けるものなのだ。この実に本能的な感情を彼らは文化の根幹に据える。

 死後の世界を夢見るような宗教や幻想を作り出すわれわれは、ある意味で、死から離れてしまって、死後の世界をもてあそんでいるということなのかもしれない。死は避けるべきだという本能が働かなくなってしまつたのだ。だから、生きている時から死を意識しろなんて甘えた言い方が、われわれには通用してしまうのだ。同じ言い方をイ族の人にしたら、とんでもないそれは勘弁してくれと言うに決まっている。だっていやでも死は身近にあるのだから、むしろ、避ける方法を考えることが生きることであるからだ。死をおそれる彼らは、死者が生者の側を道連れにしないで死後の世界へ行くプロセスを徹底して考え抜く。が、われわれは、死後の世界を過剰に思い描きながら、そこへ行くプロセスにはあまりこだわらない。というよりそういう想像力を失ってしまった。ただ意識がなくなるとい程度のことしか考えていない。

 現代のわれわれにとって死を考えることはある意味で「いやし」でさえすらある。イ族にとってはそれもとんでもないことであろう。死がいやしだなんて、それは、生を普通に生きていないことを意味するだろう。そう、われわれは普通に生きていないのだ。だから、生の中に「いやし」はなく死に癒しがあるようにさえ感じるのだ。われわれは死にまつわる見えない世界を豊饒にふくらませ、その結果、死にまつわる儀礼をほとんど失ってしまった。イ族は、死にまつわる見えない世界を、彼らの生に関わる部分だけに限定し、想像力をいたずらに広げなかった。そういう彼らは我らから見ると少々野蛮に見える。が、死という人間の起源の問題を本当に考えているのは、むしろ、彼らのほうかも知れない。その意味で、彼らの方がシンプルな意味で人間的なのかも知れない。

壮族の歌垣と連歌とグローバリズム 02.4.21
 新学期が始まって一週間、もう疲れました。教師としてはもうプロと思っていて、まあ、場数を踏んだ余裕みたいなものはないことはないのだが、やはり、たくさんの学生を相手にしゃべるというのは相当のエネルギーを使うみたいだ。だんだんと体力がなくなっていくことが、こういう時期になるとわかる。

 アジア民族文化学会の機関誌の発送と春の大会の案内の準備、発送と、とにかく忙しかった。なにしろ、事務局代表といってもほとんど事務局一人だから、何からなにまで、封筒の袋詰まで私と学会代表の工藤さんと二人でやる。何しろ、何百という封筒を折ったりしていて指の皮がむけてしまった。とりあえずこの仕事は一段落ついたが、実は、昨日は、俳句文学会のシンポジウムに、壮族の歌垣研究者手塚恵子さんと、どういうわけか私が招かれ私は私で和歌の形成史の話を頼まれた。その準備でさらに忙しかった。

 シンポジウムの題は、連歌・歌垣・和歌というもので、最初、歌垣調査をしている私のところに話が来たのだが、私の調査している白族の歌垣は、とても連歌のような詩の掛け合いのようではないので、手塚さんを紹介したのだが、私も招かれてしまったというわけだ。俳諧や連歌研究者が、中国少数民族壮(チュアン)族の歌垣をどう聞くのか、とても興味があった。

 とにかく、壮族の歌の掛け合いはすごい。何がすごいかというと、彼らは、歌で詩の腕をまさに競い合っているからだ。例えば、女と男のグループで掛け合いをするのだが、まず、言葉の表面上の意味と、歌としての意味とでは実は違っていて、その違いを、その場で、お互いが察知しながら、その違いを楽しむように掛け合う。むろん、隠れた意味にある決まったルールはないので、その場の流れや雰囲気で察知するしかない、まさに言葉への集中力が試される掛け合いなのだ。

 しかも、もっと高度な掛け合いになると、それぞれのグループの内部で、自分たちの歌を、二つの組みに別れて、歌を付けあう。どういうことかというと、例えば女のグループなら、グループ内の先発組が、男のグループの歌に掛け合うように、四句の歌を歌うと、後発組が、その最初の二句に反応してそれに続く歌を二句歌い、その歌に先発組は最初の二句を繰り返す。次にまた後発組が、先発組の最初の歌の四句の後半の二句につながる二句を歌い、先発組みは後発組の二句の後に、最初の後半の二句を繰り返す。そうやって全部で、12句の歌が、先発組みと、後発組の共同作業で歌われる。むろん、それぞれ決まった韻を踏んでいる。そして、今度は、男のグループが全く同じやりかたをするのである。

 たぶんややこしくて理解出来ないと思うが、私も理解するのに時間がかかった。つまり、壮族の歌い手は、歌の掛け合いで、異性の相手と二重の意味を含みこんだ歌をかけあい、同時に同じグループで歌の付けあいをする。この複雑な歌の技を駆使した歌の掛け合いは、なんと夕方から次の日の朝まで延々と続けられのだと言う。

 これはほとんど連歌ではないか。わたしはそう感じた。以前、手塚さんの発表を聞いた私はそう思ったので、俳句学会に紹介したのだ。こんな高度な歌の掛け合いと付け合いが、文字を持たない(壮後の表記文字はあるが日常的に使われる文字ではない)人々によって日常的に楽しまれているのだ。日本の連歌研究者はこのことにきっと驚くはずだ。

 残念ながら、驚いてくれたのは、このシンポジウムを企画した宮脇さんやパネラーの人など一部だけで、後は、ほとんど面白がってはくれたが、連歌とのかかわりのなかで驚いてくれなかった。むしろ、こういう歌の祭りは世界的にやられているんでしょう、とか、日本の歌と直接どうかかわるのかという貧しい質問がでるばかりだった。

 考えてみてほしい。短歌や俳句に親しむ人口が日本ではとても多い。こういう文芸をこんなに親しむ人の多い国は世界でも稀であるはずだ。だが、壮族は、たぶん日本の比ではない。彼らは、文字の文芸ではなく、歌で、しかも、文字による文芸よりももっと技術レベルの高い表現を、日常的に楽しむことが出来る人達なのだ。短詩をかけあったりつけあったりすることが、隣の国では、教養人のすさびではなく、普通の人々の楽しみとして行われている。いわば連歌が日常化しているのだ。

 これに驚かなくて連歌や俳句の研究者と言えるのだろうか。シンポジウムに参加してそういう感想を持った。確かに壮族の歌垣は日本の文芸と直接関係ないから、日本の連歌研究の参考にはならないかもしれない。しかし、短詩の歌を掛け合ったり付け合ったりする、その本質的なところは共通するはずだ。付けあいの呼吸や、評価の仕方など、宮脇さんはほとんど連歌の世界と同じだと言っていた。

 日本の連歌研究者も中国の少数民族の歌の技を研究するくらいにならないと、連歌研究自体が滅ぶんじゃないかと失礼ながら感じたが、むろん、それは、古代文学研究のわれわれにも言えることだ。結局、今、異分野のなかにあるいは、異文化の中に、われわれの研究の本質があるのだ、といった発想を持たないとだめなのかも知れない。異なるものとの普遍的なつながりは、今までは、文化人類学者の論文の博物館の中にしまい込れていた。が、今は、自分とのつながりとしてだれもが考えなければならない時代なのだ、と思う。

 グローバリズムの時代とはそういうことなのだ。つまり、自分と無関係な異なる分野は原則としてないということなのだ。その関係づけに、その人の思想のようなものが現れる。それは、外国語が出来たり、積極的に外国に行ったり、あるいは、外国の文化を理解しているということとは違う。自分の中に相手と同じ何かを見いだす、洞察力なのだと思う。相手に自分と同じものを見いだすのではない。それは同じようだが同じではない。だから、正確には、壮族の中に日本の連歌を見いだすのではない。連歌の中に壮族の歌の掛け合いを見いだすのだ。われわれはそういうように発想すべきなのだ。そうすることで、両方の文化は対等になれる。

相手に自分と同じモノを見いだすとき、そういうまなざし自体が自分の保身である場合が多いし、自分しか見ていないということにもなる。自分が再生産され自分を傷つけなくてすむ。しかし、自分の中に相手を見いだすのは、自分を否定しかねないリスクがある。が、そうしないと、自分は変わらないし、相手との普遍的なつながりを見いだせない。そうじて、日本の研究者は自分を傷つけるのを怖がっている。
 
生活を「知る」こと・議員給与疑惑 02.4.12
 4月に入りいよいよ新学期。やっとガイダンスが終わったところ。来週から授業である。国文学の和歌の原稿は脱稿。さあ柳田論を書かなくては。柳田は近代をどうとらえていたのか、がテーマ。一言で言えば「晴と褻の混乱」。つまり、日常生活の秩序そのものであった「晴と褻」がメリハリを失い、ほとんど晴化していくのが、近代化なのだと言っていいだろう。言い換えれば、これは資本主義化ということである。生活の価値が、商品の価値によって支配されること。つまり消費社会の現象が、伝統的な生活を解体していくということだ。そのとき、日本人は生活のレベルでその近代化をどう担いどういう犠牲を払ったのか。柳田は「明治大正史世相編」で具体的に展開していく。

 この本の面白さは、近代化が単に産業革命のような生産の革命によって生活が変化していくという唯物論的視点を持たずに、近代化を述べるところだ。近代化は実は村落の生活のエネルギーそのものがすすめていったものであもある、ということを明らかにする。近代化とはある意味では伝統的な晴の恒常化なのであって、その意味では、伝統的な生活をひっくり返しているわけではない。人々の晴の世界にかけたエネルギーを恒常的に引き出したからこそ、近代化はすすんだということである。

 日常は粗末に晴の日は贅沢に、が以前の人々のメリハリだったのが、技術革新によって贅沢が日常化していくことで、人々は粗末な生活を捨てるが、実は、そこにあった自然性も失っていく。着物で言えば麻という日常の着物は、絹(晴の衣装)の光沢に似た木綿の普及によって、次第に日本人の生活から消滅していった。つまり、日本人は木綿を着ることでそこに晴の快適さを幻想したということだ。しかし、高温多湿なこの国ではごわごわするが風通しのよい麻を着ることはそれなりに利にかなっていた。従って、木綿の普及によって健康を損ねるということも起こってきた。そういうようなことは、実に、生活の様々な面において起こっている。柳田はそういう混乱を丁寧に描いていくのである。

 私の考えでは、そういう混乱はいまだに続いているのではないかと思っている。少なくとも無意識のレベルではまだ解決はしていない。確かに表層の生活では、われわれは消費生活を楽しんでモダンな生活を享受している。が、無意識の中ではどうか。おそらく、この晴と褻の混乱に対処出来ていないのではないか。ボードリヤール的に言えば、現在の晴の世界である消費生活のその先は「死」でしかない。実は、われわれの無意識はこのことを知っている。が、表層では知らない。このギャップが、実は、今のわれわれの一つの不安を構成している、と見ていいと思う。

 この問題をどう解決するべきなのかはわからない。柳田は自分たちの歴史を「知る」ことだと言う。つまり、「知る」とは、英雄の歴史ではなく、記述された歴史でもなく、生活というレベルで歴史がどう動くのかそれを生活者が「知る」ことだというのだ。その意味でいえば知ることは反省することである。観念的なものを理解するのではなく、実は、自分たちの無意識が作ってきたものを知ることだというのだ。それによって何が得られるのだろう。ここは難しい問題なのだが、避け得ることと避け得ないことの区別が付く。歴史の流れそのものは誰も避け得ないが、その中で、避け得ることはある。そのことで悲惨な境遇を免れることが出来る、と柳田は考えている。

 今の、このわれわれの不安に満ちた生活は「知る」ことで避け得ることなのか、実は、これが今私が考えていることのテーマである。まだ書いてもいないのだが、書きたいことはこういうことである。私以外の執筆担当のみなさん、頑張ってください。

 ところで、最近の秘書給与疑惑の問題で、私は人間の信頼性ということを考えています。辻本議員にしても田中真紀子にしても、あれは内部からの告発であろう。つまり、そういう人間関係を作ってきたということではないか。鈴木宗男にしても今になってあれだけリークがでるのは、この人の人間関係の作り方の貧しさを感じさせる。

 辻本議員は嫌いではなかったが、でも、あのように目立つ振る舞いの影には誰かが辛い思いをしているはすだ。その人を気遣うことなかったということが、こういう時にリークされることになる。ただ、人間は完全じゃないから、どんなに気遣ってもだめな場合がある。そういう時は、周囲がどれだけ辻本を守ろうとするか、だ。それがこれから問われるだろう。誰も守ろうとなかつたら、辻本の作ってきた人間関係の浅さが知れることになる。

 この問題は構造的な問題でそれこそ鈴木宗男と同じだ。みんな「何で俺だけが悪者になる」と反論しているのはまったく同じだ。それならどうして彼らがスケープゴートにされるのか。一つ考えられることとして、信頼関係をつくってこなかったところから犠牲にされていっているということではないか。議員と秘書の関係は主人と奴隷の関係とさえ言われている。人間的な信頼関係がなければそれこそ汚れた世界なのだ。政治の世界は、基本的にはボランティアの世界である。働いた分だけ給与をよこせということが言いにくい世界である。そのことが逆に悪用されたり、また金にルーズになったりする。

 社民党のあの建前的なリベラリズムは否定はしないが、実は、金という生活の問題を見ないふりしているところがある。これは、戦後、護憲平和を主張しながら、実は、その平和が、日米安保による政治的安定のもとでの金(経済)によって成立していることにあまりに無頓着だった、そのだめな社会党的体質が、今現れているということだろう。つまり、金を見ないふりをしてかっこいいことだけ言っていると、やっぱりだめなんだということなのだ。

 だから金のことだけを考えろということではない。それじゃ鈴木宗男になっちまう。金がないならないなりに工夫してふるまえばいい。それがボランティアってものだ。金がなきゃ政治ができないなんて誰が決めたんだ。それは、金で人が動く世界で政治をやつているからに過ぎない。金が必要ならどうどうと献金を頼めばいい。要するに、自分の金について見ないふりをして、他人の金の使い道を攻撃するのは、やっぱりおかしい。そういうことです、辻本さん。
中沢新一はイスラームの過激派を論じられるか 02.4.1
 今日で新年度に入った。3月の後半はほとんど山小屋にいた。本当は論文を書く予定でいたが、なかなかすすまず、ベランダのえさ台にやってくる野鳥の観察と、物置の制作に明け暮れた。昼は大工、夜は読書という理想的な生活を送ろうとしたが、昼の大工で疲れ果て、夜はただただ眠り呆けてだらだらと過ごした。慣れない力仕事で、毎日筋肉痛。だが、4月からの激務を思うと、これは野球選手のキャンプみたいなものかとも思う。とりあえず、体力は作ったという感じだ。ちなみに、物置は完成した。ほとんど素人の大工仕事だったが、試行錯誤でそれらしきものが出来た。この分でいくと、そのうち家一軒くらい建てられそうだと、馬鹿なことを考えている。

 国文学の和歌についての原稿が10日締め切り。これは何とかなりそうだ。本当は3月末に柳田の論を書かなきゃいけなかったのだが、なかなかうまくいかない。だが4月中には書けるだろう(のつもり)。大工仕事の傍ら、和歌についての論や、柳田の「明治大正世相史」を読んでいた。それから、そのあいまに、「すばる」4月号に掲載されている、中沢新一の「緑の資本論―イスラームのために―」を読んだ。

「緑の資本論」はとても面白かった。中沢新一の良さと欠点とがよく現れていて、勉強にもなったし、考えさせられもした。この論を一言で言うのはなかなか難しいのだが、要するに、今の資本主義の論理は、一神教であるキリスト教が、その一神教の原理を変形し増殖させたような三位一体の思想によって準備されたものであるということであり、同じ一神教のイスラームの思想は、その原理を純粋に守りその逸脱を許さない立場をとるために資本主義に批判的なのだ、ということである。

マルクスが資本の貨幣と商品の論理をキリスト教の三位一体の考え方を比喩として用いているが、中沢新一は、何故三位一体の思想が貨幣と商品の論理になり得るのかをとても分かりやすく解説してくれている。それがとても勉強になった。三位一体とは、神である父と子であるキリストは一体であり、同時にそれをつなぐものとしての聖霊も一体のものであると説くものである。むろん、この考え方は、キリスト教が普及した後の時代に生まれた考え方だ。

 父と子の一体とは、父と同一のものが子に継承されるということで、それは、貨幣という等価性をあらわし、その同一性は実は聖霊という愛と意志の力によって生産されるものである。従って、この聖霊こそが、増殖性というエネルギーに満ちた力そのものであり、それは過剰なシニフィアンあるいは浮遊するシニフィアンとして絶えず価値を生み続ける源泉になるというのだ。

われわれはある商品を、それを生産するにかかった費用以上の価値として何故認識するのか。例えば大地から農作物を生産するのは、自然の増殖力という神秘的な力によっていると幻想するが、実は、商品が何故価値を帯びるかの説明というのはなかなか難しく、例えば、かつて柄谷はこの価値化を「命懸けの飛躍」と形容した。つまり、それが価値を帯びるのは、自己増殖していくような機能を商品自体が帯びるに他ならない。それを中沢は自己増殖するシニフィアンというのである。

実は、その自己増殖するシニフィアンは、聖霊という、それ自体絶対的な神ではなく、ただ人間の幻想に働きかけ愛もしくは信を産み続けていく力そのものの一つの展開だとする。つまり、やはり、大地が豊穣な生産物を生み出すように、価値を次々と増殖していく資本主義の基本的な論理そのものも、神秘的な宗教上の幻想によって説明がつくというわけである。

イスラーム教は、この三位一体を、神という一なる存在を冒涜する考えだとして拒絶する。神という一なる存在は、子という等価的存在も、聖霊というそのエネルギー的分身も存在するわけはないとするのだ。とすれば、イスラームは最初から反資本主義なのである。イスラームにとって、経済は、神の意志が現実に反映する一つの現象であるに過ぎない。だが、キリスト教の世界では、神の等価物である子や、そのエネルギーである聖霊が、それ自体神の原理に違反する現実の人間の様々な欲望を神の世界にうまく適応させるように肯定していくのである。この肯定の論理を三位一体の思想が担い、その結果として人間の欲望を増殖させる資本主義がキリスト教世界において発展するというわけである。

さて、この論はグローバル化した資本主義が何故キリスト教世界において発展したのか、何故、イスラームの世界は、資本主義のグローバリズム化に反対するのか、その原理的な問題を実に分かりやすく解明してくれる。だが、一つ問題が発生する。それは、資本主義のグローバリズム化は、キリスト教やイスラーム圏だけでなく、他の宗教圏の地域、例えば仏教や多神教のアジア地域にも広まっている。何故、キリスト教圏以外にも資本主義は広がるのか。何故、アジアでは反資本主義にならないのか。

中沢氏はさすがにこのことにも言及する。それは、三位一体の聖霊という増殖するエネルギーがキリスト教以前の原始宗教においてすでにあったものであり、それをキリスト教が受け継いだにすぎないとする。例えばそれは贈与の時に行き交う霊的なマナという観念である。とすれば、アジアにおいてもこの聖霊は原始宗教として存在するのであり、アジアが資本主義的な、価値の自己増殖を肯定していくのは当然というわけである。

ここはなるほどと思ったが、疑問もある。それじゃ、要するに自然宗教(アニミズム)の霊は、この資本主義の増殖する価値という観念と同じものということになってしまうではないか。要するに、霊的なものへと、意識が飛躍していくこと(例えば魔術などがそう言う飛躍にあたる)が、実は、歴史を貫いて、社会それ自体を作り上げたのだと言うことになる。ほんまかいな。それってちょっと飛躍しすぎていませんか。

ここは中沢新一の欠点。彼の欠点は、原始宗教の何万年かの蓄積が、西欧的な知の原理の根幹にあるということを、何の切断線も設けずにあっさりと語ることにある。何万年前からの魔術と、資本増殖の論理が、ほとんど区別無く論じられてしまうことに対する慎重さに欠けるのだ。この論でもそうだ。ここのところが実にあっさりとしている。

三位一体の聖霊と原始宗教の聖霊はかなり違っているのではないか。その違いは、原始宗教の聖霊が共同体の内部に閉じられ気味であることに対し、キリスト教の聖霊は、共同体内に閉じられない、かなり抽象化され、普遍化されたものである、ということだ。この差は大きいと思う。つまり、この差についての言及がこの論にはない。それがこの論の説得力を殺いでいる。

例えば、中沢は、イスラームの商取引を、普遍化された貨幣にゆだねられない、イスラームの原理に基づいた取引であると語る。イスラームの商取引の実態は、商人による駆け引きによって値が決まる。その取引形態は、反資本主義的だということだ。だが、こういう商人による駆け引きで値が決まるのは、多神教の地域やそれこそ増殖の原理を信じる原始宗教の地域ではよく見られることだ。つまり、この問題、つまり、商取引において、貨幣という普遍的な交換物に頼るか頼らないかという問題は、聖霊という神秘的な自己増殖原理があるかないかと説明するよりも、共同体内に閉じられた原始的聖霊を、共同体外に開かれた抽象的な聖霊に飛躍させるかさせないか、そのことにあると考えた方が良いような気がする。

イスラームの人達が、原始的な聖霊を信じてはいなくても感じていないとは思わない。いいかえれば、イスラームの商取引は、聖霊を否定するイスラームの原理に忠実であるよりは、彼らが、商取引の段階では、まだ聖霊を感じる程度の段階であり、それを否定したり抽象的なものとして信じる段階にないということをあらわしているということである。その意味では、例えば聖霊を感じる段階にあるアジアの少数民族の市でよく見られる値段の交渉とそれほど変わらないとも言える。

その意味では、イスラームにもキリスト教世界と同じような分裂があるのではないか。彼らの生活では、ほとんどの人々は聖霊を感じる段階にあるのではないか。聖霊というような原始宗教的段階を拒絶する一神教の原理そのものに意識的なのは、実は、一部の宗教者、知識人なのである。実態は、一神教の原理に従いながら自然の聖霊も感じている人達が多数なのだ。実は、このことが、イスラーム教が過激派を生んでいく原因になっているのだと思われる。

自爆テロのメッセージは、実は、内なるアラブ社会に向けられたものだ。自爆した18歳の少女のメッセージは「眠れるアラブ兵の代わりに行う」というものだった。実は、アラブ人の身体は、一神教の観念にそれほど忠実に従っているわけではないのだ。イスラームの文化は、あのベリーダンスやハーレムを作りだした文化でもある。十分増殖的な文化を持っている。

むしろ、イスラームは、原始宗教的な神観念と一神教的な神観念とが、信仰という次元では融合しているのではないか。ただ原理という面でこの宗教はとても観念的で厳格である。だが、その抽象性が、生活の信仰の形態の中に必ずしも降りていっていないのだ。とすれば、現実の生活を否定し、原理的に、観念的に生きることに過剰な価値を見いだすという運動が起きやすい。それが、原理主義運動になる。

キリスト教は、自らの神そのものを抽象的に把握することに成功した。つまり、原理という次元でも、信仰という次元でも、神と一定の距離を取り、逆に、人間の自立(自由)という課題を引き受けたのである。

アジアはどうなのだろうか。アジアにおいて資本主義は外からやってきた。イスラームとの違いは、原理と身体が分裂していなかつたということだ。言い換えれば、原始宗教が強すぎて、それを拒絶し、抽象化するほどの原理などなかったのである。むろん、だからこそ、西欧の原理に触れた知識人が、分裂し、そして過激派になった。アジアの過激派は、いずれも、西欧的な原理によってアジア的共同体を破壊するものだった。しかし、イスラームの過激派は、西欧を否定し、自らの内なる分裂の中で、原理に従わない自らの身体を傷つけるものだ。だから、彼らの行為は、あまりに痛ましさがつきまとう。 

中沢の論は、結局、何故、イスラームの人達が自爆テロに走るのか、ただ彼らが反資本主義的だという以上の説明はない。イスラームの原理が資本主義批判である、ということは理解できるが、実は、ここで述べられているほどイスラームの人達は単純じゃないことは、中沢自身がよく知っていることだと思う。原理と現実とのすりあわせの難しさがそこにはある。むろん、ほとんどの人はそんなにすりあわせなどにとらわれずに生きている。そのことの評価ということが、この手の論にとってはいつもアポリアになっている。
 
 
大競争の時代は面白いか 02.3.19
 昨日、大塚の筑波大校舎に行って来た。筑波大教育研究部主宰の教育公開研究会というのに参加した。テーマは「大競争時代の大学」。150名ほど入る教室が満杯になるほどの盛況であった。文部科学省の官僚や、私大振興財団の人とか、大学関係者の講演があったが、最近出た、小泉内閣のもとでの教育の構造改革に向けた審議会答申が話題の中心であった。

 その答申の内容は、大学教育も市場原理に任せるべきで、国の規制はなるべく無くすということである。つまり、小泉内閣のもとでの構造改革は大学教育の規制緩和というところまで来ているわけである。これは、これからの大学経営は大学の自己責任において行われるべきで、競争の結果として潰れる大学が出てもかまわないという方針である。

 具体的には、工場等規制法の撤廃が、今度の国会で成立する。これは、大学教育に対する国土交通省の規制で、都市への人口集中化を防ぐために、都心の大学の定員増を認めないというものだが、都市の再生という観点からこの法律が無くなる。それから、校舎と校地との比率も緩和され、都心でキャンパスがなくても校舎さえ確保出来れば大学の進出が可能になるということだ。従って、郊外に大学を移転していた都心の大学は都心に帰ってこれるし、都心に校舎を持っていない大学も高層ビルなどを建てて大学を作ることが出来るようになる。

 それから、定員枠への規制が緩くなる。この規制緩和は14年度中には実現の方向であるという。この規制が緩くなると、大学側が自分の自己責任において定員を増やすことが出来るようになる。さらに、外国の大学が日本に進出する場合の規制も緩くなるということだ。例えば、アメリカンスクールは今日本では正式な学校とは認められていないが、この規制も無くなる。むろん、アメリカの一流大学が東京に分校を建てることも可能になる。

 学生にとってはとてもいいことずくめであろうと思う。だが、大学の関係者諸君、これはとてつもなく大変なことですよ。ある講演者はこう言った。アメリカの一流大学に日本で入れるようになれば、東大に入るような学生はそっちへ行く。日本の優秀な学生の5パーセントは持っていかれるだろう。さらに、定員の規制が緩くなれば、一流私立大は、経営改善のため今より一割は多く学生を取るだろう。と同時に、日本全体の学生の数は減っていっている。とどうなるかというと、後数年の内に日本の私立大学の200校は潰れる、と言う。

 特に、東京やその周辺の大学は大変だろう。外資系ならぬ外国の有名大学が進出し、日本の有名大学校が定員を増やせば、定員を確保するのにあっぷあっぷの二流大学はほとんどたちゆかなくなる。定員の6割に学生数が落ち込んだら財政的に破綻するそうだ。200は潰れるという話も現実味を帯びる。

 つまり、競争力の強い大学だけが生き残り、競争力のない大学は淘汰されるということが確実に起こるということだ。今、日本の社会で起こっていることが市場原理とは無縁でいられた聖域でも起こるということなのだ。財務省がだめな銀行はつぶし、大きな銀行については公的資金を導入して残すというようなことが大学でも起ころうとしているわけである。

 この講演を聴いて、私が所属する大学は間違いなく潰れる側であることを確信した。寂しいがそれが大競争時代の現実だ。むろん、教育という、市場原理の原則だけで動いているわけではないシステムを企業の倒産のようには簡単につぶすわけにはいかないだろう。しかし、役人は市場原理に任せた方が質の高い教育は確保できるとまで言った。

 私はこういう時代の要求は決して悪くはないと思っている。これだけ厳しい競争原理にみんなが耐えて生きているのに教育関係者だけ無縁でいるというのはよくない。むろん、今の時代の競争原理そのものを肯定するつもりはないにしても、少なくとも、今の構造改革は、日本の社会の硬直化し錆び付いてしまった様々なシステムの改革であるという、それなりの合理的な面を持つ。避けるわけにはいかないのだ。

 実は、私はこういう時代向きの人間である。もともと破壊が好きだし、競争は嫌いだとしてもだいたい競争の中で生きてきてそれなりに生き延びてきた。新しいことを始めるのは何よりも好きだ。ただ、最近体力がなくなってきたので、嫌だなあと思うところはあるが。

 こういう時代はそれぞれが創意工夫を持たないと生きられない時代だ。創意工夫を怠る大学は退場を迫られる。実は、われわれの研究だって同じことなのだと思う。まだまだ破壊が足りないし改革が足りない。創意工夫の余地はたくさんある。大学も同じことなのだが、残念ながら、その創意工夫を国なんかに促されているのが現実だ。これが一番情けない。

 会場から、自由競争というのは一部の富めるものに有利に出来ている、その不公正な原理を公的な教育機関にあてはめるのはいかがなものかという批判も出た。たぶん潰れる側の人の意見だ。正論だが、この場では自己保身の発言としてしか伝わらない。まず大事なことは、今のわれわれのさしせまった競争のことと、経済の論理として定義される競争原理とを区別することだ。

 今、われわれが競争せざるを得ないのは、今まであまりに競争しないで生きてきたその代償である、と考えた方がいい。あるいは、公正な競争を行っていなかったその報いなのだ、と考えた方がいい。特に、大学教育の関係者はそうだ。市場経済の原理に社会をゆだねることの是非のように問題をあまりに一般化すべきではない。それはそれで別個に論じたほうがいい。今その問題を持ち出す動機は、だいたい競争したくない心持ちにあるのは見え見えだからだ。

 たぶんこういう競争の時代というのは面白い時代なのだと思う。私みたいに、正規のコースから外れて教育の場に紛れ込んだ人間が、割合自由にやりたいことのやれる時代なのだ。その意味で私などはいい時代を生きているとさえ思う。私のいる大学は今とても厳しいのだが、この大学をどうやって建て直そうかと考えている時は、案外に楽しいものだ。この大競争時代をみなさんはどうお思いだろうか。

国益と生活者益 02.3.12
 昨日は、鈴木宗男の証人尋問があつたが、思わず見てしまった。辻本議員のうそつき呼ばわりにかなり怒っていたが、まあ、この人、もう政治生命は終わりなのかなあ、という気はする。ただ、私はちょっと天の邪鬼なので、鈴木宗男にやや同情的でもある。今回の問題は、鈴木宗男の病ではなく、日本の政治システムの病であって、それは拝金的民主主義もしくは拝金的平和主義という病であるが、少なくとも、それは共産党や社会党の病よりはましだったから、戦後このシステムを日本人は支えてきたのだ。

 ただ、さすがに、もうこういうシステムは機能不全に陥りつつあるので、その象徴として鈴木宗男が葬られようとしている。それなら、その跡にどういうシステムが来るのか。拝金的平和主義の後に来るのは、恐らくは、グローバリズムの時代に対応した新しい富国強兵策での国家の構築ということになるのだろう。石原慎太郎的ナショナリズムが台頭してくる感じはある。石原慎太郎はかなり時代錯誤的だが、今の日本では、グローバリズムの流れには、時代錯誤的ナショナリズムでしか応じきれないのだ。

 鈴木宗男を見直したのは、北方四島返還は国家のメンツで言っているだけで、返還してもらっても、何の利益にもならない。それよりは経済交流が大事だ、と外務省内で発言していることだ。いわば、鈴木宗男を葬りたい外務官僚のリークによる暴露だが、私などは、これは一つの見識だと思う。国境という概念の強度が低くなっていくこの時代、国境にこだわって経済的な利益を失っていくのは、時代の流れとはあわない。国益という名の下に返還を実現し、莫大な投資をして島の環境を整備しそこで産業を興すよりは、むしろ、ロシア人の安い労働力を使って産業を起こしあるいはその地の資源を輸入した方が、経済的にはかなり効率的だ。税金も使わなくて済む。メンツより金だという鈴木的発想は、それほどおかしくはない。

 世界中で領土問題があり、それが戦争の原因にもなっているが、実は、鈴木宗男の発想は一つの解決策でもある。労働単価の低い貧しい国に領土を帰属させ、豊かな国の側が資本投下して開発しその安い労働力を利用して利益を得る、という方法にすれば、お互いに利益を得られるのだから、うまくいく。ただ、領土はナショナリズムの象徴だから、なかなかそうはいかないのが実情なのだ。いいかえれば、ナショナリズムというメンツを越えた経済的利益優先というのは、こういうナショナリズムや民族主義の抗争における一つの解決方法なのである。

 社民党や共産党が、北方四島問題に関して国益に反するという批判をするのは、何となくおかしいと感じた。ほとんど石原慎太郎と同じ発想ではないか。この問題に関して、彼らはいつから保守政党になってしまったのか。確かに北方四島は日本の領土だろう。しかし、この問題を日本のナショナリズムの踏み絵のように使うことには不快感がある。実際に、この四島返還問題はそのように一種の踏み絵として一人歩きしているのである。自民党議員が鈴木宗男に怒っていたのは、彼が北方四島の日本への返還運動に妨害となっているからである。つまり、鈴木宗男は石原慎太郎的ナショナリズムに抵触したのだ。

この証人喚問で国益という言葉が何度も出てくる。いったい国益とは何だろう。国益に反することが、われわれが幸福にもしくは安全に生きるその条件を不当に奪うことだとするなら、この間の経済政策は本当に国益に反している。むろん、外交問題での国益には領土問題といった別の基準はあるだろうが、ただ、不愉快なのは、国益という錦の御旗の様な言葉を無神経に使うことへの鈍感さだ。鈴木宗男が葬られるのは当然だとしても、その後に、やたらに国益を主張するような風潮になるのも不快だ。国益ではなく、国民益もしくは生活者益というものであるべきなのだ。国益といったとき、実は、どこかで生活者益を犠牲にするニュアンスが含まれる。国益のために生活を犠牲にする、というのは戦争の時に必ず言われることではないか。生活者の立場に立つと言ってきた、社民党や共産党がやたらに国益という言葉を使うのは、彼らの底の浅さを物語っている。

 それなら生活者益とは誰が保証すべきなのか。実はここからがやっかいなのだ。例えば、食肉偽装問題にしてもそうだが、この問題で試されているのは、国家の規制ではなくて、消費者の程度である。食肉の表示に国家がどこまで責任を負うべきかという問題に関しては、冷静に見れば、国家が責任を負うのは、安全基準であって、外国産か国内産かということではない。それは一種のブランド表示てあるから、そこまで国家が介入することはない。それはそれこそ市場の論理に任せればいい。

 今問題になっている食肉偽装は、どちらかといえば、自由競争経済の中での、自由競争が正常に機能していないことの現れに過ぎない。ただこの異常は、消費者の根拠のないブランドへのこだわりから来ている面がある。鹿児島産の黒豚や松坂牛にこだわる高級志向への市場の側からのしっぺ返しでもある。確かに、品質はいいのかも知れないが、鹿児島産や松坂牛というブランドが記号化され、それが、マルクスの言い方から言えば物神化され一人歩き始めた結果、その品質以上の価値化が生じる。つまり、内容よりもその記号自体が価値であるという転倒が生まれる。とすれば、表示を偽装するという発想はごく自然に出てくるだろう。中身ではなく、イメージを売るのは、この消費社会の極めて自然な動きであるからだ。

 つまり、消費者は実は、内容の質よりも表示の記号を重視しているということの底の浅さが、供給の側に見抜かれていたというわけだ。記号よりも中身だというまっとうな消費者が多くなれば、こういう問題はそんなに起こらないのだ。しかし、高度資本主義と言われる時代では、消費者は記号化された商品のイメージに乗せられやすい。自由競争にはいつも不当性が混じる。とすれば、その中で生活者が身を守るには、自分の力によってでしかない。国家は、原則的にはこの市場原理には不正な競争を取り締まる以外には介入できないのだ。

 国家の安全基準が信用出来ないのなら、生産者と直接取引すればいい。とりあえず安全基準を信用するなら、せめて、ブランドに踊らされないことだ。国産であろうと外国産であろうと、ある程度うまけりゃいいのだ。商品の記号の幻想に簡単には踊らされないこと、それが生活者益を守ることであり、それは、自分で守るしかないことだ。ジー・オーグループの大神とかいうナルシストの詐欺師が数百億の金を集めて捕まったが、こういうのに投資をしないこと。

 考えてみれば、国家の公共工事も詐欺みたいなものだ。みんなの生活を豊かにするためだと言って、税金を湯水のように使って、結局何の役にも立たない道路や橋や箱物を作って膨大な借金を残す。その象徴的な詐欺師の一人が鈴木宗男だったのだが、とにかくこういう詐欺にだまされないこと。でも、人間というのはだまされてひどい目に遭わないとだまされていることに気付かないものだ。そろそろ日本人もだまされていることに気付きはじめているのではないかと思うのだが。

鈴木宗男は悪いのか? 02.2.25
 この時評、だいぶ間があいてしまった。早く更新しろという声があちこちから寄せられ、こりゃなまけていられないなあと、痛感してます。というのも、この間、「東北学」に載せる原稿と、短歌誌「月光」の時評の方の合わせて50枚ほどの原稿を書いていたので、こっちの時評はお休みでした。すいません。おかげさまで、何とか50枚ほど書き上げました。

 昨日、昔の仲間と北海道へ流氷ツアーなるものに行って帰ってきた。息抜きの楽しい旅行で、ホタテと蟹とばかり食べて、飲んで、おかげで2・3キロ体重を増やして帰ってきた。すでに成人病にかかっている身なのに、これはやばい。かなりダイエットしないといけない。ところで、このコースは北海道の道東、つまり、あの鈴木宗男の地盤である。旅行中この話題でかなり盛り上がっていた。

 私は、鈴木宗男を見ると、ほとんどもの悲しい気分になる。彼にとっては、今の事態は失脚の危機だが、自業自得なのだとしても、何となく哀れという気がする。というのも、彼の生き方は、日本の立身出世物語の見本の様な生き方で、知性のない人間が、貧しさをバネにはい上がるには彼のように、権力者にすり寄り、その権力を利用しながら恫喝と義理人情ではい上がるしかない。昔「赤いダイヤ」というテレビドラマがあった。貧しい男が相場師として出世していく物語だった。あのドラマを彷彿とさせる。確か、あの主人公を演じた俳優は自殺してしまった。

 この前近代的な関係の構築が、日本の政治を含めた社会を腐敗させた面は当然ある。しかし、一方で、その前近代性が官僚のあの日本のトップクラスの知を奴隷のように従えさせてしまったのは、日本の知の底の浅さを物語ること以上に、われわれの関係のあり方が、近代的な知ではまだまだ扱えるものではないことを物語ってもいるのだ。自民党は、この前近代的(この言い方はやや単純な形容過ぎるがとりあえずこのように規定しておく)なわれわれの関係のあり方の上に成り立った政党である。東大でのエリートが田舎のおばさんおじさんの前で土下座したり、宴会でお酒をつぎまわるなんてことが、結局は、その政治生命の基盤になっている。

 鈴木宗男は、たぶん、土下座することや酒をつぎまわることに何の恥ずかしさも自尊心を傷つけられることも全く感じなかった政治家だ。みればわかる。一方、二世議員やエリート官僚は、どこかちゅうちょしながらそういうことをやる。この差が、鈴木宗男が今の地位に出世した理由だろう。鈴木のように徹底して地元の利益のために働くと公言すこともまたある意味では本音を徹底しているという意味で強いのだ。

 彼は、自民党というより日本の政治が実は、高邁な理念に基づいているものでないことを見抜き、政治というものがそれぞれの地元の利権の奪い合いであり、それの調整であって、そのためには、東大法学部の知など何の役にも立たないことをしっかりと見抜いたのだ。外交に彼が向かったといっても、外交もまたこの利権とその利権の調整が役に立つ土壌と見たからで、むろん、だから彼は、利権がからまない先進国との外交には口を出さなかった。

 本当は日本人は鈴木宗男を批判できない。彼は鏡に映ったわれわれの姿みたいなものだからだ。多くの日本人がその自分の姿に嫌気がさしたから、鈴木宗男は今葬られようとしているのだが、それなら、そういうわれわれの姿は消えたのか、というとそうでもない。

 鈴木宗男は必ずしも悪かったわけではないと、あえて言っておく必要があるかも知れない。彼がわるいとすれば、品性がなくせこすぎるということだろう。こんな政治家がわれわれの代表だなんて恥ずかしいという声を聞く。が、あの程度の品性のなさ、せこさは、例えば、私の職場の大学教授にだって時々見られる。そんなものだ。彼は、場をわきまえることをしないだけだ。

 問題は、鈴木宗男的方法は本当に間違っていることなのか、ということだ。日本の戦後民主主義というのは、国民の多様な意見を吸い上げる民主主義ではなく、様々な利害ををくみ上げて調整する民主主義で、それが、実は、割合うまく機能した面を持つ。日本は商人国家だという評論家もいるが、要するに、戦後の日本人を支えた一つの価値観は、生活を物質的に豊かにすることで、そのためには平和であることと、世界に責任を持つようなややこしい理念は必要ないということだった。

 この拝金主義的民主主義を支えた利害は、個人の利害である前に、地域共同体の利害であったから、地域共同体を支えていた古い人間関係が力を持った。だから、民主主義という近代性と古い人間関係が融合するという独特の民主主義が成立したというわけだ。個人が政治主体になるまでには時間がかかる。だから、これはある意味で過度期の現象とも言える。ということは、つまり、鈴木宗男が失脚するということは、日本でもようやく、個人が政治主体になってきて、古い人間関係による調整型政治は解体し始めたということか。

 たぶん現象としてはそう言えるだろう。だが、そう単純に言えないのは、日本ではその個人なるもののイメージが恐ろしいほど希薄であるということだ。これは私の実感だが、日本人は個人であることにすぐ挫折する。欧米が作り出した個人は、個人を守るためには武器をとって戦う位の戦闘性すらある。すさまじい孤独に耐える。こういうしんどさにわれわれはついていけないはずだ。孤立した個人という基盤があって初めて、個人の持つ理念によって関係を構築するという共同性の作り方が成立するが、日本の個人は孤立していないから、あるいは孤立を極度に畏れるから、理念でつながる前に、友情や愛情や仲間意識でつながってしまう。そのつながり方を理念でつながっているように表面的には繕う。

 こういうつながり方は、例えば野党やあるいは左翼の党派を含めてみんなそうなのだ。むろん、こういうつながり方を一概に全部だめだというつもりはない。確かに、全体的な視点の欠如、情報の不透明性や、意志決定の不明朗、無責任体制等、問題はある。こういう問題だけでアウトなのだが、それでも、やはり、われわれは個人にはなれない。なれない以上、その個人を前提としたシステムを理想とするのは、どこかに歪みが生じ、その歪みを恒常化させるだけだ。

 戦後日本の民主主義を腐敗させたのは、地域共同体が、国家なる全体性に対して、予算を分配させる代わりに、その自立性を捨ててしまったことだ。日本はそれほど均一的な国ではない、地方の文化的な違いはわれわれの想像を超える。これだけ狭い国なのにこれほど文化が違うのは驚くべきことだというのは柳田国男も言っている。つまり、地方で自立していく条件を捨てずに、いろんな意味で自立していくことをしなかったつけが今まわってきているのだ。

 言い換えれば、鈴木宗男というのは、その象徴である。彼は、根室の地域共同体の切実な願いに応えて国家に食い込んだが、その結果、根室は、国家という中央の公共事業なくしては経済基盤が成り立たなくなり、今衰退している。こういう現象は日本の各地に起こっている。つまり、古い人間関係が、近代的な国家に対して、一つの自立できるような新しい関係を内部で構築さえ出来れば、日本はもっと違った姿になっていたのだ。今、こんなに悲惨にはならなかったのだ。それは、古い人間関係を壊して個人になれというのではない。個人に成りきれないもの同士での、それほど大きくないコミュニティの自立をどう構築できるかなのだ。むろん、個人であることが出来てそういうコミュニティができればそれが理想だ。だが、人間はそれほど強くない。

 鈴木宗男はあまりにわれわれの戦後日本の無意識の部分を見せつけた。彼は失脚するだろうが、表面的に繕っているだけの鈴木宗男型政治家は、与党にも野党にもたくさんいる。そういう意味では、問題は解決しないだろう。小泉とか田中真紀子とか、地域共同体とは無縁な政治家の登場は、時代の流れとしては当然だ。だが、彼らは結局、自由競争型、つまり、孤立する個人を前提とする、グローバリズム型社会を生み出すことしか出来ない。過疎の村や都市の中で、例えば最低の人間関係さえも持てないでいる人達を救うには、小泉ではなく、実は、地域のコミュニティを作り得る鈴木宗男型政治家のはずなのだ。ところが、彼らは、そういうことはしない。あまりに利害にとらわれているために、票と金にならないことには目が向かないからだ。

 鈴木宗男を全部否定することはできない。これがこの問題の結論である。彼の地元に旅行に行ったが、地元の人は、東京から来たわれわれの鈴木宗男批判を黙って聞いていた。かれらはその時何を思っていたろう。鈴木宗男に頼らなくても、彼らが、自立できていけばそれが一番いいのだが。

「千と千尋」とNGO  02.2.3
今日、入試が終わった。受験生はかなり減っている。まあ、これは予測の範囲ないだが。

遅ればせながら映画「千と千尋の神隠し」を見ました。けっこう感動しました。分かりやすくてよかった。そのわかりやすさにいろんな批判があるようですが、まあ、こんなものでは。「もののけ姫」の方がメッセージ性があっていいという意見には納得しません。少なくとも「もののけ姫」よりこっちの方が数段いい映画です。

「油屋」という湯屋の設定が抜群にいい。八百万の神の保養所なのだが、よくまあこんなにグロテスクでいかにも日本というよりアジア的なイメージを思いついたもんだと感心した。本筋としては、少女の通過儀礼譚だが、そんな成長譚より、この湯屋のイメージの圧倒的な豊かさだけでこの映画は成功している。

 湯屋のイメージに懲りすぎて、異界に迷い込んだ少女が、この迷宮から両親を助け自力で抜け出すという、本筋のストーリーはやや散漫になったが、それはそれでいい。もし本格的な成長譚にしたいなら、西洋の昔話のように、絶対的な悪を設定しなくては無理だ。宮崎駿はその悪が描けないのだから、きちんとした成長譚は描けないのだ。

異界にとらわれた千尋は何と戦ったのか。悪と戦ったのではない、実は、この湯屋のグロテスクさそのものと戦ったのだ。だから、愛によって悪に勝つという西欧的なストーリーは不発に終わる。この少女にまだ愛は早すぎる。むしろ、「くされ」のグロテスクさ汚さ、つまり「ケガレ」にまみれながら、そこから抜け出した少女の物語なのだ。

私は、この映画をみながら、やはり、われわれの無意識にあるのは善と悪の対立よりは、グロテスクさとの対立なのだなあ、ということを改めて感じた。ハクは「ニギハヤミコハクのミコト」という川の神。つまり、ケガレをながす神だ。だがグロテスクで圧倒的な生命力に満ちた神々の中ではハクも存在が薄い。この映画の面白さは、実は、千尋が異界から抜け出す必然を持たなかったことだ。死のケガレから必死に抜け出そうとしたイザナキのようには、異界から抜け出す必然を持たなかった。だつて、みんなちょっと気持ち悪いけどいい神達だったではないか。戻った日常の世界が、異界より面白いとは言えないはずだ。

トンネルから抜け出した千尋はふりかえらなかったこと後悔したに違いない。あまり晴れ晴れとした顔でなかった。この異界は、子どもの無意識の象徴だとするなら、成長の代償としてその無意識の豊かさを失っていく、寂しい成長譚とも言えるだろう。そういう意味では、この映画は、成長とは大事なものを失っていくという意味を持たせてもいて、よく出来ているのである。

 最近の出来事。田中真紀子の更迭。小泉の支持率の急落。当たり前だろ。それにしてもだ、田中真紀子というのは、実に面白い。こういうのを横紙破りというんだろう。体制内にいながらすぐに秩序からはみ出てしまう。神話でいうとスサノオの役どころだろう。でも、スサノオは追放されて高天原は再生するが、こっちは、逆に政権が危うくなっている。まだきちんと暴れていないうちに追放したから、小泉は天照大神になれなかったのだ。

この出来事の教訓。やっぱり体制内順応の改革は無理だということか。外務省の改革が役人と喧嘩することだったのだから、外交なんてうまくいくわけがない。役人は重要な情報を隠したり、私的な会話をマスコミにリークしたりするんだから緒方さんがやったって同じだったろう。外交もうまくやって改革もしてそして役人をうまく使えというような要求自体が最初から無理なのに、その無理が出来ないから更迭じゃ、やっぱり支持率は落ちるのは当たり前。役人とうまくやりながら改革はできないということだ。その意味で、田中真紀子はもっとスサノオになるべきだった。

ついでだが、あのNGOの大西さんというのも何となく信用出来ない。今度の出来事で一番政治的に巧みに振る舞ったのは彼だろう。彼のおかげでNGOは国民的に認知された。けっこう政治家していた。NGOはえらいとは思うが、ただ今のNGOは、ボランティアなのか、政治的な市民活動なのかほとんど境が無くなってきている。イタリアのジェノバでは、NGOは反グローバリズムで街にバリケードいて暴れた。あのグリーンピースのような政治団体になりつつあるのが世界の流れだろう。

つまり、NGOが大きな社会的役割を占めれば、鈴木宗男もかなわない影響力を持つに至る。言い換えればそれは一つの権力でもあるということだ。それならそれなりの思想というものが必要になる。ボランティアという無垢な装いのもとで振るわれる権力が一番恐い。その意味では、NGOはちゃんと思想を持つべきだ。

反グローバリズムなら反グローバリズムと言うべきだし、もっと自己主張があってもいい。国家から距離をとるならとるという姿勢をもっと持つべきだ。批判するなら、国は信用できないなんて幼稚な批判じゃなく、何故、今、国家が無力になりつつあるのか論じるべきだ。それが代表ってもんだろう。官僚とうまくやって支援の金を都合するのが代表じゃないはずだ。鈴木宗男が怒ったのもわかる気がする。ボランティアという、政治に無垢の姿勢をとりながら税金の再分配(政治)に関わってくるのだ。むろん、難民支援に国家が無力だからそうならざるを得ないのだとしても、恐らく、鈴木宗男は大西さんに思想ではなく、自分と同類の政治の匂いをかぎつけたのではないか。それで烈火のごとく怒ったのではないか。

これからの時代、恐らく、戦争を除いて、外国との交渉や支援は民間で出来るようになるだろう。NGOが大きくなればそれだけ政治の力は相対的に低下する。それはいいことだ。鈴木宗男のような政治家はもう出番のないほうがいい。だが、NGOの力が大きくなれば、国家に代わって税金の再分配にもかかわってくるし、金と権力に近づくことになる。

国家は、NGOを巧みに下請けとして使って、安上がりに様々な政策の実現を図るだろう。何しろ、みんなボランティアだから、人件費はかからないのだから。つまりそこに思想が無ければただの国家の下請けになるということだ。今の日本のNGOを見ていると、どうもそのようになってしまうのではないかという危惧がある。ただし、思想といっても左翼のようなイデオロギーを意味しているのではない。人々の善意を組織するその組織の方法論こそが思想なのであるが、重要なのはその方法論を常に公開し、強制しないことだ。善意を組織すること自体は政治である。だからこそ、その組織の性格は秘匿されてはいけないし、組織の維持が優先されてはいけない。こういったことは、左翼の組織運動の失敗から学んだことだ。

政治というグロテスクさにまみれながらNGOはどのように成長していくのだろう。この場合は、グロテスクさの方が懐かしくて良かったなんてことのないようにしてほしいものだ。

途上の大学は可能か  02.1.18
 今年度の授業が終了した。これでまた一年が終わったなという感じだ。こうやって一つの時間を繰り返し年老いていく、ということか。昨日、文科長の中里先生の最終講義があった。この三月で定年退職である。(定年の70歳をすでに過ぎているが、年度末までは勤められる)。聞くと、共立短大に40年勤めたという。すげえ。言葉も出ない。40年前と言えば私がまだ小学生のときじゃないか。それにしても中里先生は元気だ。退職記念に子どもでもつくろうかなと冗談で女房に言ったら張り倒されたよ、と豪快に笑っていた。ちなみに奥さんはセルビア人で画家である。パリにアトリエを持っている。

 今、65歳定年にする計画があるが、でも望めば一応70歳までは働ける。が、私はそれまで生きられるのか、どうもこころもとない。いや、それまでこの大学が持つのか……。新年そうそう暗い話になってきた。ここでやめよう。

 しかし、どうしても勤め先の方に話題が言ってしまうのは、そこにはまさに今の時代を映し出す人達がたくさんいるからだ。正直言って、他人事のように見ていると面白い。短大の学生達は、年々、元気がなくなり、化粧は派手になり、自己中心的になっていく。まさに、今の時代を映し出している。ある学生は、後期試験の一時間前に私の所にやってきて、授業中に配った資料余っていないか、余っていたら欲しい、と言ってきた。持ち込み可のテストなのだが、ほとんど授業を休んでいた学生だ。馬鹿野郎、今頃渡せると思うか、と怒鳴りたかったが、余ってないよと思わず弱気に答えてしまった。こういう常識の欠落した学生が増えているのだ。

 一週間後に、実は、この大学のあるべき姿について、委員会で何かをしゃべらなくてはいけない。いろいろ考えたけど、どうも空しくなってしまう。大学のあるべき姿というのは、だいたい、あるべき学生の姿を前提にする。だが、あるべき姿の学生なんて何処にいるんだ。われわれの期待の中にしかいない。現実は、自分の夢も将来像もよくわからないまま、何となく入ってきた学生がほとんどなのだ。残念だが、意欲のある学生が入ってくる大学でなくなってしまった。私の勤め先は。 でも、それはひょっとして悪いことではないかも知れない。真剣に答案を書いている学生達を見ながらそんなことを考えていた。

 今日本の大学の教員は、学生にほとんど同じ認識を抱いている。学力が落ちてきた。自立していないと。私もどちらかというと同じだ。立花隆が「東大生はバカになったか」という本を書いていて、東大生すらバカになったという認識なのだから、ましてや程度の落ちる私立の学生への認識だって同じものだ。でも、考えてみるとそれっておかしいのじゃないか。つまりは、期待の中の学生像と現実の学生とのずれを、われわれは、学生の程度が落ちたという共通の認識で解決しているだけであって、現実を見た上での結論とは思えないのだ。というより、ほとんど全員が同じ認識であること自体疑う必要がある。

 期待と現実のずれは、実は、われわれの社会が成熟してしまつたために、自立の年齢が高齢化してきたこと、それから、勉強する明確な目的意識を社会が与えられないことに起因する。今のわれわれの社会では、大学生の年齢はまだ自立の年齢ではない。それから、学問の目的はつきつめれば、人のために生きるというようなものであろう。しかし、われわれの社会は、人のために生きるというような目的を語らない社会だ。どちらかといえば、自分が社会で落ちこぼれないための勉強である。がそういう勉強というのは、いわゆる読み書き算盤であって、技術に過ぎない。つまり、極めて高度でしかも普遍的な教養を、現実は読み書き算盤的な思想でしか供給出来ていない。誰かの役に立つんだという恥ずかしくなるような動機で勉強する奴が結局は一番勉強する。そういう恥ずかしい奴がいなくなってしまったということが実は問題なのだ。われわれの社会は、誰かのために、というその誰かを見いだす思想そのものがないのだ。

 言い換えれば、今の時代、二〇歳前後で、自立していなくて、何のために勉強するのかよくわからない、という曖昧に生きている若者こそ正常なのである。つまり、大学の求めている期待の学生など、そんなにいやしない。それを踏まえて、大学の改革はあるべきなのに、だれもそう言う風には考えない。立花隆もこのままでは日本は先進国としてだめになると嘆く。考えればそれは現代版富国強兵的な発想だ。今の若者は日本を強くするために勉強なんかしやしない。それじゃどうしたらいいか。

 われわれの世界は、二つの動き方がある。一つは、境界線を明確化しようとする動き。もう一つは、境界線を曖昧にしようとする動き。この二つの動きは相反するが実際は、連続した動きでもある。例えば、従来の男女の境界線は新しい時代の流れの中で曖昧になってきたが、同時にそれは、個人という境界の明確化でもある。つまり、曖昧化によって古い境界線が壊れ、新しい境界線が再構成されるというわけだ。

 境界線の再構築は、今流行の構造改革と言っていいだろう。旧来の硬直化した境界線を壊し、新しい時代のとりとめない流動的な社会を出来るだけ効率的に把捉する境界線を引くこと。それが構造改革だろう。その意味で、境界線の確定化は、システムの完成そのものだ。一方、曖昧化は、確定化した境界線から逸脱かもしくはその未完成な状態である。

 大学で言えば、境界線の明確化は完成した大学ということになる。何を考えているんだかわからない若者を、効率的に把捉できるシステムの構築そのものが、まさに、境界線の明確化という仕事の結果になる。そのシステムに把捉された若者は、自分の将来をそのシステムにとらわれることで自覚する。むろん、ごく一部は、自分の将来像に合わせて大学を選ぶが、ほとんどは、たまたま入ったかもしくはそこにしか入れなかったそういう大学のシステムに合わせて自分の将来像を選ぶ。だから、大学は、エリート系の大学を除いてだいたい活気がない。

 そういう活気のないところに私は勤めている。だが、ここで考え方を変えれば、学生達は、境界線の曖昧な世界にただいるだけなのだ。ということは、大学のシステムをそれにあったものに変えていけばいいのではないか。つまりだ、彼女たちは、逸脱しているか、まだ自分の基準でシステムを見付けるほどには完成されていないのだ。しかし、それは、別な見方では、新しい境界線を生み出す運動そのものでもある。だったら、そういう未完成の状態そのものに対応する大学があってもいいのではないか。

 そういう大学を発展途上国にちなんで途上の大学と呼ぼう。大学が効率化が要請される一つのシステムである以上、境界線の曖昧な動き自体は、排除される。が、その曖昧な動きをうまく組みこむことが今の大学には必要なのではないか。例えば、それはバリアフリーの時間や空間(場所)等を作り、境界線の明確なシステムの中に組みこむこと。学部、学科にとらわれない授業や、学生の発表の場や、イベント空間があってもいい。

 日本の社会は確実に子どもの社会的自立の完成が高年齢化している。少なくとも、大学生程度で自立した大人とは言えないのは確かな時代になってきた。しかし、一方で、親の方も子どもを抱え込む体力が無くなってきている。とすれば、今の若者は自立しないままに、就職口のない社会に放り出される運命にある。
 
 こういう時代を乗り切るたくましさは、自分で自分の楽しいことを発見できるかどうかにかかっている。今の時代に仕事がないと嘆く若者は、仕事以外に楽しいことが見いだせていないからだ。選ばなければ仕事はないわけではない。日本にいる多数の外国人労働者は仕事を選んでいないから、何とか路上生活者にならずに生きていられるのだ。彼らのような必死さのないわれわれの武器は、楽しんで生きようとする余裕だ。そういう余裕があれば、どんな辛い仕事でも出来るものだ。

 途上の大学の意義は、自分にとっての楽しいことを自分で発見するところにある。それは何も学問でなくてもいい。その意味で、学問の専門性に縛られてしまうと楽しさは発見できない。学生時代、私が発見した楽しさは、バリケードでありデモだった。学問ではなかったし長続きもしなかったが、今考えればそれはそれでプラスになっている。

 いろんな意味でもっと遊べる大学が理想である。遊んでいるのか学問しているのかその境界線を曖昧にすること。それが途上の大学のイメージなのだ。そういう大学であったら、楽しい人生を送れるのに。

「花祭り」の少年達 02.1.6
 今年の正月は風邪は引かなかったが、神事や祭りの見学で忙しかった。正月に中国雲南大学の張先生と諏訪神社(上社本宮)の蛙狩り神事を見に行った。1日の朝8時に神官達が本宮の脇を流れる水路みたいな川で蛙を二匹つかまえるのだ。毎年必ず蛙が二匹水路の泥の中から出てくる。どうやら、何匹かの蛙を前もって仕込んでおくらしい。以前は、たくさんの蛙がいたので必ず出てきたそうだ。捕まえられた蛙は、二枚の板に挟まれそのまま神殿の前に置かれ、そこで弓矢を持った二人の神官が出てきて、矢を蛙に突き立てる。そうやって、生贄としての蛙が神に供えられる。蛙はその後どうなるかが知りたかったのだが、かつては神官が食べたそうである。これで疑問が氷解した。まさに神人共食である。

 2日に奥三河の「花祭り」をやはり見に行った。諏訪インターを4時頃出て飯田で降り、新野の峠を越えて降りたところが「花祭り」の行われる東栄町だ。だいたい諏訪から3時間でつくはずだったが、Uターンのラッシュと雪による規制によって中央道が大渋滞し、30分でいつもは飯田につくのになんと5時間もかかってしまった。新野の峠は夜中の10時を過ぎていて、雪はかなり降っている。峠の上は除雪もされていなくて、車高の低い私の車では、かなり危ない雪の量だ。雪道を走ることは何ともないが、雪が高く積もると、車の底が乗り上げタイヤが空転する。そうなると万事休すである。峠の上で一晩すごすはめになる。そんなふうに心配になるくらい雪は降り積もっていた。

 昔、トラックの運転手をしていた腕の見せ所で雪の峠道を、けっこうスピードを出しながらひたすら走り続け、何とか峠を抜けた。「花祭り」の会場(東栄町古戸)についたのは11時頃。すでに「山見鬼」は出てしまっていて、小さな子ども達の「花の舞」が終わったところらしい。小学生の子ども達の「三ツ舞」が舞われていた。

 古戸に来るのは二度目である。ここは相変わらず舞がすごい。特に高校生くらいの男の子が舞う四ツ舞は、かなりの運動量だろう。はねる動きと回転する動きとが混じり合った激しい舞だが、その動きが40分は連続する。特に、低くしゃがみ込むような姿勢から一気に飛び跳ねるような動作が途中に入るが、あれは足腰が相当強くないとできない。舞い終わると彼らは汗だくでへとへとになっている。それを一晩に何番も舞うのである。

 「花の舞」が小学生以下、「三ツ舞」が小学生くらい、「四ツ舞」が中学生から高校生くらいだろう。これらの舞がこの村の子ども達が共同体の一員になつていくための通過儀礼になっていることよく分かる。とにかく大人の花太夫が舞う神事の舞とはその激しさが違う。少年達の舞は、恐らく、神と一体化していく舞であったと思われる。激しい所作は神懸かりの所作であろうが、とにかく、その激しい動きを何度も繰り返す中で、少年達には神が降り彼らは神と一体化した瞬間を味わったに違いない。

 もう舞うことの出来ない村の大人達は、舞う少年達の周囲で体を一緒に動かしている。彼らにはもうこれだけの激しい動きはできないだろうが、体は舞の動きを覚えていて一緒に動いてしまうのである。この大人達もまた子どものときにこれらの舞を舞ったのである。中には、こらえきれずに少年達の中に混じって一緒に舞う大人もいた。

 大人になるために、こんな激しい舞を身体に覚えさせしかも神と一体化するような体験を持つということは、とてもすごいことなのではないだろうか。すごいというのは、それは一生身体に刻み込まれて忘れないだろうという意味でも凄いし、その舞の場で、舞うことの出来ない大人達の暑いまなざしをあびて少なくともそこで中心的な存在として生きたということの充実感は、なにごとにも代えがたいものとして少年達の中に生きつづけるという意味でもすごいだろう。

 茶髪のお兄ちゃんがもうろうとなりながら激しく四ツ舞を舞っている姿は感動的ですらあった。過疎の村の共同体の文化を守るために大人達にいやいやらされているのかも知れないが、しかし、舞っている時に、たぶんそういうことは全部消えてしまって、身体の動きで世界を全て消せるような不思議な充実感を確実に得たはずだ。そういう経験を身体に刻み込んで大人になるというのはすやはりごいことだと思うのだ。

 彼はたぶん、こういう充実感が、厳しい自然の中で生み出された生活文化であり、相互扶助な村の人達の関わり合いが凝縮された非日常的な空間でこそ成立するものであることを、たぶん知るはずだ。その記憶は、恐らく、この過疎の村を離れ、都会に出ていってこそ、より彼の無意識の中に確かな核として存在し、時には、その記憶が彼を救うに違いない。少なくとも彼はいつでも舞が舞える。舞を舞うことで、彼は、その舞を生み出した自然や文化のそのシステム全体を生きられる。それは、映画や本やそういうもので得られる充実感よりはるかに優れたものだと思う。

 朝の7時半まで見ていたが、どうも帰りのことも心配になり、祭りは夕方までやっているのだが、最後まで見るわけにも行かず、早々に切り上げた。久しぶりの「花祭り」であったが、今回は、中国の張先生と一緒と言うこともあり、また自分自身、中国の少数民族文化をそれなりに見たということもあって、以前とはまた違う見方が出来たような気がした。

 帰ったら「東北学」から原稿依頼。今年もまたたくさんの原稿を書くことになりそうだ。本当はもう少しじっくりと勉強して書きたいとは思うのだけれど、生来なまけもので「じっくり勉強」ができない。でも書くことは私にとつては舞のようなものだ。ただ、「花祭り」の少年達のような、すごい通過儀礼とは言えないが、そこそこ充実感は味わっている。

 みなさん本年もよろしく。

アメリカ帝国の時代に考えること
 01.12.22
 ようやく仕事が終わって、後は年を越すだけになった。古代文学の論文も書き上げ、今年の正月は久しぶりに原稿の締め切りに追いつめられない正月になる。でも、毎年恒例のように仕事が終わると風邪を引く。今年はまだひいてはいないが予感はしている。どうなることやら。それにしても、今年もよく原稿を書いた。まあ量を書けばいいというわけでもないが、二冊の共著を出し、三本の論文を書いた。それに時評の原稿が毎月10数枚(さすがに時々休んだが)。予定では来年も同じくらい書かなきゃいけない。人から「物書き」と皮肉られているが、まあそんなところだ。

 今年は、雲南大学の張先生が来ているので、諏訪神社の蛙狩り神事や花祭りを案内しようと思っている。張先生には、短大の僕の「地域文化論」の授業で講義をしてもらった。テーマは中国の結婚制度についてで、みんにけっこう熱心に聞いていた。講義が終わって、少数民族の衣装を学生に着せてファッションショーをする。雲南省で買ってきた衣装である。役に立った。

 昨日は将来構想の会議と課外講習講座の会議。学長の肝いりで始まった将来構想は、阿部謹也学長が辞表を出したのでどうなることかと思ったが、まあ、学長が辞めるから将来構想も辞めるとは行かないだろう。そういうことで、続くことになる。うちの大学もどうなることやら。

 今年はどんな一年だったのだろう。個人的には相変わらず忙しい一年だったが、まあ元気でまだ働けた年だった。世界は、アメリカ帝国が完成した記念すべき年ではなかったか。とりあえず21世紀の幕開けは、アメリカ帝国の始まりの年となった。ローマ帝国、モンゴル帝国、大英帝国と並ぶ、世界史の中の巨大帝国時代の幕開けとなったということだ。後は、いつアメリカ帝国が没落するのか、それが世界史的な興味となろう。

 貿易センタービルテロは、アメリカ帝国誕生の証しであろう。アフガン空爆は、実態は、アメリカ帝国内の内乱を鎮める戦争であった。だから多国籍軍はアメリカ帝国の治安部隊と化した。つまり、世界がアメリカの支配下に置かれたことを印象づけた戦争だった。世界史的に見れば、グローバリズムの時代とは、いつも巨大帝国の支配の時代だった。それがまた繰り返されるのだ。

アメリカの敵は、たぶん経済だけになる。アメリカに集中している富が途絶えたとき、アメリカ帝国は終わる。それがいつのことかは分からないが、現在の資本主義のセンター化しているアメリカの衰退が、資本主義の衰退であることは確かだ。もし衰退するとすれば、一つは、環境問題だろうと思う。

 資本主義が環境を悪化させ人間を快適に生きさせない元凶であることが世界的に認識されたとき、資本主義は衰退すると思う。むろん、思うとしか言えない。仮に、資本主義的な原理の枠内で環境悪化がくい止められるのなら、資本主義は相当に生き延びるだろう。そういう可能性もないわけではない。が、ほとんど無理ではないか。

 世界のほとんどの貧困国が、アメリカ型の社会を目指す限りはアメリカ帝国は続くということでもある。柄谷行人のような協同組合型コミュニティのような別の価値観が出てきて、アメリカ型でない社会を目指せば、世界はまた多極化していくだろう。しかし、それは難しい。

 イスラム型宗教共同体国家主義も、結局過派の思想でしか無かった。資本主義を乗り越えようとする価値観を追求する過激派はほとんどが欧米の知識を身につけた知識人である。ビンラディンもテロのリーダーだつたアタもそうだ。彼らは自国の遅れた民主主義に絶望して理想化されたイスラム主義にのめり込んでいったことが指摘されているが、そんなことは昔から変わっていない。ポルポトもフランス帰りの知識人だったし、連合赤軍だってみんにそれなりの高い教育を受けたものたちだ。みんな資本主義と自由な民主主義の恩恵を特権的に享受したものたちなのだ。つまり、過激派の限界は、民主主義や資本主義の恩恵を特権的に受けたことでその民主主義や資本主義の憎悪に走り、民主主義や資本主義の恩恵を受けられないものたちにその憎悪を強制することにある。かつて過激派の一人だった私はそのことがよくわかる。

 民主主義と資本主義の恩恵を享受したものたちがいくらその限界や矛盾を指摘しても、まだ享受していない人達には説得力はない。説得力に不安が生じれば過激になる。20世紀はそういうことの繰り返しだった。そうやってしか新しい価値観というものを現実化できないと考えた。

 われわれは自分の属していてる国や、生活している位置や、どこかに属している立場というものを選択することは出来ない。が、思想などというものを立てるときには、そういう条件からはフリーハンドになっている立場をとる。が、実は、拘束されているのだ。20世紀の思想は、その拘束を結局乗り越えられないことを示したのではないか。カルチュラルスタディーズが流行るのは、そのことの自虐的な確認作業であろう。

 選ぶ事ができないわれわれの宿命的な位置を、思想がどう乗り越えるのかということは、実は、最貧国の人達が、アメリカ帝国の恩恵を享受しない前に、その矛盾やそれほど人間を幸福にするものでないことをいかに知るか、ということと実はパラレルであると思うのだ。それは、過激に走らないで、新しい価値観をどう作るのかということでもある。

 過激に走らないで新しい価値観を生み出せる可能性があるなら、まだ私には出番があるとは思う。かつて過激だったが、今は体力も気力もないし、いやなによりもそういう過激な自分を相対化する眼を持ってしまった。その意味では余生なのだ。だが、余生の範囲でアメリカ帝国に一泡吹かせる方法がないわけでもないというのなら、のってもいい。

 実は、今少数民族文化の調査をしているが、多少は、彼らの文化のあり方に、希望がないわけではない。むろん、それは簡単には言えないことだ。彼らは、今、アメリカ型の生活を目指して自分の文化を捨てようとしているからだ。それを止める権利など私にはないし、新しい価値観など持ち合わせてもいない。だが、彼らの誰か一人くらい、アメリカ型の生活を享受する前にあるいは享受したとしても、その問題点を冷静に把握し、自分たちの文化の優位さとその新しいあり方を、アメリカ型を憎悪しない方法で見いだすものが現れるに違いない。私はそういう人が現れると信じているし、現れたら、余生の範囲内で協力を惜しまない。そう思っている。

 それではみなさんよいお年を。

今ここにいる理由 01.12.7
 バッドトランスBというウィルスに感染しみなさんに迷惑をかけました。といっても、僕も誰かから送られてきたメールに感染したのだが。このウィルスの特徴は、パソコン内部を壊さずに、ただ、自分を自動転送させてネットワーク内に増殖させていくというだけのもので、かんがえてみれば不思議なウィルスだ。かかった方は、とりあえずは機械に損傷がないが、自動的に他人に送信してしまうので、ほうっておくと人間関係を悪くする。

 実体を作らないで、ウィルスにかかったという情報だけが一人歩きするようにプログラムされているのだ。考えてみれば、情報社会のお化けのようなものだ。実体なんてなくても噂のような言葉が実体のようにイメージ化され人々の間に飛び交い社会を恐怖に陥れる。このウィルスは中身の添付ファイルを開かなくてもプレビュー画面を見ただけでかかるから、まさに噂を聞いただけでその噂に感染してしまうようなものなのだ。

 おかげでウィルス対策に詳しくなった。自分だけはかからないと思っていたが、そういう楽観主義がこれでなくなった。ちょっとは、危機管理能力が育ったみたいだ。

 最近、生涯教育講座があちこちの大学で開かれていて、私も、そういった講座の一つを受け持っている。30名くらいの社会人の方が受講しているが、平均年齢は総じて高い。60代、70代の方が半数をしめるのではないだろうか。とにかくみなさん熱心である。いい加減な講義は許されない。

 実は、この講座は万葉集の講義なのだが、同じ講義を明治の3・4年の学生にも教えている。ところが、彼らは熱心ではない。教え方はほとんど同じなのだが、社会人の人は熱心に聞いてくれていて、学生の方は半分は寝ている。まあ、教え方の問題もあるのだが、それにしても、この差は、教え方の問題だけではないような気がする。どうも、好奇心という根本的な何かが違っているとしか思えない。

 先日、私は、思い切って授業中に学生に向かって、君たちがここに居る明確な理由はあるのだろうか、と問いかけてしまった。生涯講座の老人達を引き合いに出し、彼らはとても明確な理由を持っていると語った。そして、私の教えている短大生もまた明確な理由があると語った。短大生の場合は、別にここにいたくているんじゃない、というのが明確な理由である。本当は別の大学に行きたかったし、そんなに勉強ができるわけでもないからここにいる、と自分を見切っている。

 こういう明確な理由を持つ短大生を教えるのはそれなりに大変である。まず彼女たちを楽しませなくてはならない。「知識」を与えるだけで触発され勉強することの面白さに目覚めて行くなんてことはまずない。だから、ここにいることはそれなりに楽しいということをまず分からせるしかない。だから授業は悪戦苦闘だ。でもそれはそれで彼女たちとの関係は明確だから、肉体的には疲れても精神的に疲れることはあまりない。

 明治の学生にはそういう授業はしない。少なくとも短大生よりはそれなりの自覚を持っているだろうと信頼しているからだ。だが、最近疑問に思い始めてきて、どうもこの連中は、あの社会人よりも、短大生よりも、今ここに自分がいる理由が分かっていないのではないか、と思うようになった。全くと言っていいほど好奇心のオーラが感じられないのだ。反応もない。彼らは何を求めているのだろう。時々わからなくなる。やはり短大生のように面白がらせなくてはならないのか。いや、それは彼らに失礼だろう。そうやっていつも悩むのだ。だから問いかけてみた。

 熱心に聞いていたようだが、反応はあまりなかった。こうも言った。好奇心というのは、未知の世界へ踏み出そうとする前向きさだ。言い換えれば未来という時間を抱え込んだから好奇心が必要になった。未来がなければ好奇心は必要ではない。そうだとすれば、学生より未来をあまり持っていない老人達の好奇心が旺盛で、未来をたっぷり持っている君たち学生の好奇心が希薄なのは矛盾していないだろうか。君たちには未来がないのだろうか。

 いや未来があるのだとすれば、つまり、本当は好奇心をたくさん持っているのだとすれば、、今、それが現れていないのは(私のせいということもあるが)、今いる場所とミスマッチになっているのではないか。つまり、大学には来ない方がよかったのではないか。

 ここまで言った。教師としての自分が言ってはならないことなのだが、つい言ってしまった。大学なんてただ通過すればいいんだという考え方も許容する私としては、別にミスマッチでもいいとは思うのだが、元気がないのはつまらないと思うのだ。これでも、授業がただつまらないだけなのか、今生きていることがつまらないのか、それを見分ける目は持っているつもりだ。総じて彼らは楽しそうに生きていないし、緊張して生きていない。授業がただつまらないだけの不機嫌さでないことは確かだ。

 たぶん、近くに緊張して生きている奴がいないことが問題なのだと思う。同じ環境の中で、違う生き方をしている奴に会う機会が少ないのは不幸なことだ。世の中の裏も表も知ってしまったような金髪のお姉ちゃんのいる短大の学生と一緒に勉強するのもいいかもしれない。あるいは、物理的な未来はたくさんなくても、そのわずかの未来を担保に好奇心を満たそうとする老人達と一緒に勉強するのもいいだろう。

 説教くさい話をして自分でしらけてしまったが、人を批判する言葉は自分に向かう。この私は好奇心を持っているのか。持ちすぎていると思っているのだが、あれもこれもと手を出すのはもっていないことと同じではないか、と最近思うようになった。好奇心のない状態をただ防ごうとしているだけではないのか。う〜ん、そう言えばこのわたしもあまり楽しそうに生きていないなあ。
知のバリアフリー 01.11.26
私の勤める短大の将来は決して明るいものではない。少子化の影響で、定員割れはすぐそこまできている。統計的には、平成10年には短大は全入の時代に入り、大学は平成22年に入ると言われている。18歳年齢層の減少は、平成22年で底を打ちそれ以降は横ばいだから、大学・短大は、平成22年までに、健全とはいえないまでもそこそこの経営基盤を確保できていれば、その後生き延びられるということになる。だから、後7〜8年が勝負なのだ。それまでに、銀行と同じように潰れる私大は当然出てくるだろう。

 こういう時代どの大学でも、将来構想委員会なるものが設置され、大学の改革案が検討されている。私の勤める短大・大学もやはりその委員会があり、私も委員の一人だ。この種の委員会に私はずっとかかわってきて、いろんな企画を考えたりしたのだが、だいたい実らなかった。こういう委員会は、経営側や学長サイドの思いつきもしくはアリバイづくりに設置されることが多く、それほど真剣でないだけに、改革案が俎上に登ると、利害がからむからだいたい反対にあって潰れてしまう。

 たぶんどの大学でも同じであろうと思う。こういう改革は、今小泉首相が断行しようとしている構造改革と同で、相当の危機意識と強いリーダーシップがないと、抵抗勢力の反対にあってなかなか先へ進まない。今私が参加している委員会が果たして、どこまで真剣に改革案を出せるのか、まだわからない。私自身はそれなりの危機意識を持っているつもりだが、他の人はどうかわからない。ただ、勝負は後7〜8年なのだから、今改革案を策定して、数年後に実施ということにしないと間に合わない。どうも、職場全体の雰囲気として、ここで働いている人達はみんなそんなに危機感は持っていないようだ。

 こういう委員会に出て、自分の勤める職場の経営改善や、社会的な意義の確認や、その抜本的な改革について考えるのは、それほどつまらないことではない。少なくとも、今の社会を知る手がかりにはなり、大学の将来像は、われわれの「知」の将来像に重なるから、自分の生き方の問題として考えさせられることになる。もっとも、私などはあまり責任のない地位にいるので、こういう委員会で責任を負うほどに提言するよりは、自分が社会にどうかかわるのかということをクリアにする一助として利用としている方が強いのだが。

  この間、大学の将来や大学教育のあり方に関して数冊の本を読んだが、どの本も言っていることは同じである。グローパリズムの中での大学に求められている項目は次のようなものだろう。国際化、学際化、競争主義、研究より教育、学生もしくは同僚による授業評価、教員の任期制、生涯教育、産学協同、大学のIT化等々。ここにあげたのは、要するに、日本の従来の大学教育になかったものもしくはなじまなかったものである。要点は競争しろということだ。今の職場を半ば余生を過ごす場所と思っている私には、これらの流れはきつい。むろん、予備校でさんざん競争させられ、人よりも仕事をしていると思っている私には、ある意味で歓迎すべき流れではあるのだが、しかし、もういいだろうという気はしている。死ぬまで何かを追い求め、「知」を鍛えなくちゃいけないのかと弱音を吐きたくなる。が、こういう世界に足をつっこんでしまつた以上、愚痴を言っても始まらない。世間では、リストラにあって辛い思いをしている人はたくさんいるのだから。

 大学論・教育論でおもしろかったのは山口昌男の「独断的大学論」(ジーオー企画出版)であった。札幌大学の学長になった山口昌男の教育論なのだが、札幌大学というあまりぱっとしない大学で、いかに、学生を元気づけるか、そのことの創意工夫と努力の物語で、同じようなぱっとしない大学・短大に身を置いている私には参考になった。この本の面白さは、大学の役割を、学生を面白がらせること、元気づけること、という点にあると居直ってしまうところだ。学長室をギャラリーにしたり、いろんなイベントを絶えず考えながら学生を飽きさせない。

 日本の大学は、エリート型とマス型に分類され、前者が1・2割、残りは後者である。つまり、ほとんどの大学がいわゆる大衆化された大学であって、将来への明確な目的を持たずそれほど勉強もしないで入学してくる学生を、厳しく選抜せずに入学させる大学である。私のいる短大もそういうところだ。こういう大学・短大では、その将来の目的に適うような専門性をより高めるような教育は無理である。まず、「知」というのは面白いものだ、ということを気付かせるところから始め、たぶん、そのことだけでほとんどの教育の労力を費やす。まさに、面白がらせ、元気づけなければ、大学の教育自体が成立しない、という大学なのだ。いわゆるこういう大学での教養教育とは、「知」の基礎を教えるのではなく、「知」の感触を味わってもらうというのが正しい。その意味で、これらの大学を刺激型大学と呼ぶことにしたい。

 刺激型大学に属する私の職場はもうエリート型の大学になることはないだろう。とすれば、この刺激型において特化し、他の大学との差別化を図らないと生き延びることができない。そのためにどうするか。教えられる側と、教える側のそれぞれをバリアフリーにすることが効果的だと思っている。教えられる側に、早急に専門性を要求しない。文学部に入ったが家政学のほうが面白くなったということで移ってもいいし、逆があってもいい。つまり、こちらから専門へと誘導するのではなく自分で自分の専門を見いだす手助けをするくらいにする。教える側も自分の専門性の枠を取り払う。専門以外のことを教えるというのではなく、自分の「知」のあり方を専門という視点を外してとらえかえしてみるということだ。そうすれば、実は、かなり面白いことを自分はやっているということに気付くはずだ。そういう自分の「知」のとらえかえしが、教える側のバリアフリーである。

 山口昌男は「知」の行き詰まりを打開するのはノマド(移動)である、と言う。いかにもいかにも文化人類学者らしい言い方だが、ここで私のいうバリアフリーとはノマドのことだ。私の属す大学・短大は実は、大変非効率的な人事構成になっている。例えば、仏文・仏語の教員は全体で11名いるが、学生は恐らく50名に満たない。国際文化では、米国文化を教える教員が13名もいる。しかし、この非効率性は、専門という枠から見るからだ。その枠を外せばかならずしも非効率的ではない。バリアフリーに「知」を鍛えれば、学生の多様な関心を引き出せるはずだ。だからリストラの必要もない。

 何処の大学でも、余剰教員を抱えて、リストラもできずに困っている。が、その余剰というのは専門性という枠にとらわれていることで発生している場合が多い。学部学科の垣根はとりあえずの形式的なものにし、学生も教員も自在に移動できるシステムを作ることで、刺激型大学はその効力を発揮するはずだ。そういったことを、私は将来構想委員の一人として提案するつもりなのだが、たぶん、誰も聞いてくれはしないと思うが。
 
 
文体とおしゃべり、どっちが勝ちか 01.11.12
昨日、アジア民族文化学会の秋季大会が共立短大で開かれ、無事終了。これで、私の荷が下りた。10月の古代文学会のシンポジウムとこの大会と、二つのイベントを請け負った私としては、やはり、終わるまで気が抜けないし、何とか盛況に終わってよかったというところ。

 11月はとにかく忙しい。一昨日の土曜は公募制推薦の入試。昨日の日曜は大会。今日は、短協主催のセンター入試の説明会。16年度からセンター試験に短大も参加できるということらしいので、私がその説明会に行かされた。とにかく、今週は授業の他に全部に会議の日がある。ついでに土曜は、インプラントの治療(骨にネジ穴をあける)が終わったら、麻酔の覚めぬうちに研究会に出て、次の日の日曜は、指定校推薦の面接がある。とういうことで11月はほとんど休みナシ。

 こういう中で、11月中に古代文学の原稿(30枚)を書かなきゃいけないのと、佐々木六戈からこんど俳句や他の詩形などを含めた雑誌を作るので俳句を一首作れと言われている。実は、これが一番頭がいたい。長い文章を書くのは何でもないが、俳句はそうはいかない。一ヶ月うんうんうなってその一首をひねりだせるかどうか。むろん。そんなに苦労して作るモノでもないだろうと思うが、経験のない私としては、気苦労だ。 木枯らしの一寸先をひた走り

 先日ある予備校の講師から、今年の東大入試の国語に出された私の文章がとても難解で、解答に自信がないので、書いた解答を見てくれとメールが来た。どうやら、各予備校の解説でも、答えは二分していて私の文章は難解ということになつているらしい。うーん、と私は考え込んでしまった。

 確かに、私は、あれこれグジャグジャ考え込む人間だから、時に分かりずらい文章を書く。しかし、あの文章はそんなに難解じゃないぞ(評論の部屋の「独り言の詩形」)。だいたい、東大の先生が出題したのだから難解な筈はない、こともないのか。難解だとしたら、論理的に難しいのではなく、エッセイの文章だから、言葉の使い方のおおざっぱさにあるのだろう。厳密な定義をして書いているわけではないから。

 予備校の先生とメールのやりとりをしながら、だいたい難解さの原因がと戸惑いの原因が分かってきた。入試に出された文章の主旨とは、最近携帯やインターネットのおしゃべりでカワされている会話は、文体というものがない。あれは独り言を交わしている。しかし、逆に、その存在の孤独感というものがより直接的に伝わってくる。一方、内面の孤独を伝える工夫として文体があるが、その文体を使って孤独を伝えるのはとても大変だ。文体は書き手を拘束し不自由にさえする。そうであれば、孤独感を伝えることとしておしゃべりの方が文体よりも優れているということになりはしないか、というようなことだ。

 むろん、エッセイだから、それほど厳密に書いたわけではない。ただ、文体を例えば小説の言葉、思想の言葉だとすると、今、他愛もないおしゃべりが伝えてしまう孤独感よりも深くそういった孤独感を伝えられるのか、という疑問があった。ひょっとすると負けているのではないか、というようなことを言いたい文章だった。むろん、文体はもうだめだなどと一言も言ってはいない。

 だが、この主旨が多くの予備校講師には伝わらなかった。半分は、文体は普遍的な文章で、おしゃべりはその場限りの刹那的な感情なだから、結局、文体だけが人間の孤独感を伝えるのだ、ということを言いたい文章だと解説しているのだ。私は、その解説文を本屋で読んでがっかりした。やっぱり文体は人にうまく伝わらないものだと感じた。拙いしゃべり方でも、携帯でくどくどおしゃべりすればもっと伝わるのかも知れない。むろんそういう問題ではない。

 どうやら、分かってきたのだが、多くの予備校の講師には、おしゃべりの方が伝える孤独感が、文体という普遍性を持つ文章のはたらきよりも優れているかも知れない、などという発想それ自体がどうやら最初から浮かんでこないということらしいのだ。その原因は、私の文体の定義がとても広くてそれを定義することに手一杯で、全体の理解は、文体はやはりおしゃべりより優れているということなのだろうと、楽に結論付けているということもあるだろうが、私の疑問それ自体がうけいれられないものだったらしい。

 メールを送ってきた講師はさすがにきちんと理解していたが、だが、その理解に自信がないので問い合わせてきた。私が主旨を言うと、やはり、文体の普遍性はおしゃべりの刹那性とは違うと念を押した。私その時、東大を受ける学生におしゃべりの方が、普遍的な文章を作る文体より上かも知れないなどとは教えられないのだろうなと、感じた。つまり、私の文章は、十分、東大を受ける受験生に対して挑戦的だったわけであり、私の文章が何故東大の国語問題に選ばれたのか得心がいった。

 しかしだ、文体の普遍性って何だろう。神のような絶対的な存在が保証してくれるものでないとすれば、それは、多くの人に正確に理解され、長い時間繰り返されることで残っていくもの、と答えたらいいか。しかし、こういう定義だと、携帯やインターネットを介したおしゃべりだって、ハイテクやメディアの力で普遍性は獲得できる。だいたい、文字や難しい文章を一部の人間が特権的に覚えていったのは、当時、だれもが使える携帯もインターネットもなかったからなのだ。

 そう考えれば、携帯やインターネットを駆使し、おしゃべりを垂れ流すことでコミュニケーションする人間は、メディアやIT技術を使えば、世界中に自分のおしゃべりが伝わり、記録される。つまり、十分普遍性を持っていて、難しい文体で自分を表現する特権的な人に対抗し得ると言えるではないか。今まての普遍性の基準など、メディアやITの発達で、文体を特権的なものとして保証しないのだ。

 だから、文体がだめだと言ったつもりはない。あの文章に続編があるとすれは、今、どういう普遍性が文体を文体たらしめるのか、それを考えることが課題なのだということだろう。少なくとも、情報という視点からは文体に力はない。実際、今、文学部は情報学部に負けている。がそんなことはどうでもいい。文学の文体は情報とは別な価値を持つ。

 それは深さだ。情報が広がりだとすれば、文体は深さなのだ。メディアは人を無防備にする。だから、メディアは広がりを持つ。が、同時に人を孤独にする。メディアの発達がなければ、引きこもりは成立しないだろう。部屋に閉じこもっても、メディアがあるから閉じこもれる。メディアが広がりを作り、その広がりを殺す。メディアのない時代、人は閉じこもれなかった。病棟以外に閉じこもれる場所など存在しなかった。メディアが引きこもりの空間を用意した。

 文体は逆だ。文体は擬似的な引きこもりの状態を作る。しかし、その深さを体験させることで広がりを作る。こういう文体の力が今ないと思っている。だからあの文章を書いた。だから簡単に文体がやはり優れているなどと読んで欲しくなかった。文体の普遍性をわれわれが信じるようになるまでには、まだ時間がかかる。少なくとも、大学の情報学部が潰れて、文学部の価値が見直されるくらいにならないとだめだ。それがかなり遠い先であることは、皆分かっていることと思う。
 
グローバリズム化の中での生き方 01.10.29
『神の言葉・人の言葉―〈あわい〉の言葉の生態学―』古代文学会叢書T 武蔵野書院刊(岡部隆志・丸山隆司編)が出ました。なかなか力作の論の揃った本ですので、みなさん、買ってください。でも、この題名、いい題だと思ったのだけど、電車の中でこの本を開くのには抵抗があるとの指摘があった。なにやら宗教団体の本だと思われやしないかということらしい。うーん、そこまでは考えなかった。

アフガンでは相変わらず爆撃が続き人が死んでいく。この戦争はこれまでになく宗教がからんでいる。今日、パキスタンでキリスト教会が襲撃されてかなりの死者が出たというニュースが流れている。近代国家も近代の思想も、宗教をどう乗り越えるかという試みであったと思う。つまり、宗教は個人の心の問題で、公的な社会を作る論理に宗教を介在させないという原則を作ってきたが、公的な社会が破壊されれば結局、宗教で社会を作らざるを得ない、ということなのだろう。日本では、公的な社会が壊れると信じたオウムが自分たちの王国を作ろうとし、それこそ戦争で公的な社会を破壊されたアフガンではタリバンが宗教の社会を作った。

たぶん、これからもこういう動きは続くのではないか。経済的グローバリズムは、国家という公的なシステムを衰弱させていくだろう。国家とは、人々の生産活動による利益を税金として吸い上げ、それを再分配するシステムそのものだ。この再分配システムによって生産活動に参加できない弱者も社会の一員として生きていける。が、経済グローバリズム化は、企業の経済活動が国家というシステムから外に出てしまうことを意味する。グローバリズムの中での利益きは、国家のシステムに吸い上げられずに、さらなるグローバルな経済活動の投資とマネーゲームに費やされるだけだ。 

こういう時代での国家の役割は従来のように税金を公共事業に投下して失業を減らしたり、大企業から税金をとって福祉に回したりするような役割ではなくなる。グローバリズムの動きを邪魔しないこと、そして、国民がグローバリズムに乗れるように応援するだけだ。小泉のあの元気な声で「頑張れ」と言われて国民は頑張るしかないのだ。それは、グローバリズムに乗れなかったら、アウト、ということだ。アウトになったものを救うほど、グローバリズム化の中での国家は余裕がないし、そういう役割を持たなくなる。公共事業に国家の役割を見いだす橋本派と大企業から税金を取り立てる共産党と社民党は旧来の国家主義で、これからは、グローバリズム化を推進する小泉自民党と民主党が中心になるだろう。だが、そうなれば、個人が個人の責任で生きていくしかない社会になって、実は、個人で生きられる奴はかなり恵まれていてほとんどは誰かに頼らないと生きられない弱者であることに気付き、アウトになる奴が増えるのだ。

こういう厳しい時代を生き抜く最善の手段は相互扶助的な共同体を作ることである。少ない生産物を効率的に再分配するのは、個人のわがままを抑えた共同体である。とすれば、それは宗教団体が適任ということになる。イスラム原理主義がもともと生活の相互扶助組織から出発したものであることはよく知られている。経済グローバリズム化は経済弱者を生み、国家が弱者を救えないほど衰弱したところでは、宗教共同体が弱者をささえるしかない。こういう構図はこれからも広がるだろう。

 だが、宗教共同体が個人の心の問題から上昇し、国家の代わりを担うことは問題がある。日本のオウムも失敗したように、タリバンだって失敗だろう。タリバンは最初女性の教育を認めていたが、狂信的になってから禁止した。今は反米で持っているが、平和になれば抑圧組織となって瓦解することは目に見えている。つまり、共同体維持のために個人を抑圧し始めたらまず失敗するということだ。

人間は複雑である。個人では生きられないが、個人であることを抑圧されたくはない。この人間の複雑さを許容する共同体を作れない限り、国家に代わる共同体など成立しやししない。グローバリズム化は、外側に開かれていきたいという人間の欲求が生み出してもので、それは止められないだろう。とすれば、その欲求を最大限に発揮する個人と、その個人の欲望を抑制しながら、弱者を生まない、共同体的な人と人との関係をどう作るのか、こういうところにこれからの社会の落としどころはある。人が宗教に頼るのは、とりあえず、宗教共同体が、そのような問題の解決に見えるからだ。
狂牛病とテロと国家  01.10.12
この時評、だいぶ休みました。後期の授業が始まって、しかも、古代文学会例会500回記念シンポジウムでの発表があり、私と丸山君共編の『神の言葉・人の言葉』(武蔵野書院刊)が出たこともあって、また、アジア民族文化学会の秋季大会の準備と、とにかく忙しい日々でした。でも休んだといっても20日ほどだから、これからはこれくらいのペースで行きたいですね。

 相変わらず、テレビではアメリカのアフガニスタン空爆のことばかり。それと狂牛病のニュース。吉野屋は潰れないかとか、マクドナルドは大丈夫だろうか、と別に心配はしていないが、デフレの外食産業にとっては狂牛病はこたえているだろう。それにしても、日本の官僚というのは、こういう時は本当にあわてふためいて、対策が後手後手にまわって、必ず恥をさらす。

 ただ、同情すべき点があるとすれば、日本の官僚システムは、基本的に第一次産業と第二次産業育成のシステムであって、生産者の目先の利益追求路線に基本的に弱いということがある。牛のことだって、生産農家や流通業者の声に遠慮して、徹底した対策をとれなかったというのが本当のことだろう。疑わしくても後がどうなろうと売ってしまった方が勝ち、という考えは、目先の利益追求の日本人はみな持っている。そういう連中が、官僚を支え、結果的に失敗すれば、官僚のせいにする。官僚も気の毒と言えば気の毒だが、世の中が、消費者中心の社会になってきているのに、それに合わせて、自分たちのシステムをかえられなかったのだから、官僚もやはり悪い。

 今は、消費者が牛を食いたくないと思えば、徹底して牛を食わなくてもすむ時代だということが、理解できていないのだ。食品の安全が重要な記号的価値になっていることへの鈍感さがある。それにしても、安全性というのは実にはかないものだということが、最近の実感だ。(個人的には、自分の安全性などもうとっくになくなってしまったことは承知のうえだが)、これを逆に考えれば、安全性を支えていた、国家なるものの価値が衰退した、ということにそれは見合うのだと思う。

 牛を人間が食べるために大量に飼育し、その牛に自分(牛)たちの肉骨粉を食わせて育てる、というこの不条理に対する牛たちの自爆テロなのだ、たぶん狂牛病というのは。ニューヨークのテロが、世界の人口の4分の1を餓死寸前の貧困にあわせておいて自由や人間の権利を謳歌する不条理への人間の自爆テロだったように。

 こういう不条理を徹底して無視することしか自らを成り立たせられなくなっているのが、今の国家のあり方だ。国家なるものが、文明の矛盾におののき、貧困に涙するのを見たことも聞いたこともない。ヘーゲルの理想とした国家なるものは、こんなものだったのだろうか。天下国家の国家とは、こんなものなのだろうか。

 もしあなだが、国家を優先させる職業に運良く就いていないならば、国家を優先させるような考えはしない方がいい。人格が悪くなる。今の国家は、自分の足下がどうなっているか見ることができないほど肥大して腐りかけているからだ。国家を倒せなどと革命的なことを言うつもりなどない。国家に頼るなと言いたいだけだ。

個人であることに頼れというつもりもない。個人は弱いものだから、必ず個人は国家に頼る。近代国家が強くなっていったのは、そういう理由もある。個人でも国家でもない、人と人との関わり合いに頼れ、というしかない。今のところは。

日本のジレンマ 01.9.24
 夏休みも終わって明日から後期が始まる。今年の夏の後半はさんざんだった。体調不良で、中国行きは中止。まあ、今回はスケジュール的にきつかったので、むしろ行かない方が良かったのかも知れない。その前に、沖縄の古宇利島に海神まつりを見に行ってきた。台風15号と16号に挟まれて、祭りの日は運良く晴れたが、行きも帰りもはらはらしどおしだった。

 帰ったら、アメリカでのテロ事件。これは衝撃だった。それから二週間、うんざりするほど毎日そのニュースばかりだ。むろん、まだ倒壊したがれきのなかには6千もの遺体が埋もれている。今、アメリカ人は頭に血が上っていて、戦争だ、戦争だと叫んでいる。気持ちはわかるが、何でこういうテロがおきたのか、少しは冷静になって考えたら、と言いたくもなる。

 アフガニスタンのタリバンのような、過激なイスラム主義者は好きではない。少なくとも、女性の教育を禁止したり、家庭に閉じこめたり、その徹底した時代錯誤的な教条主義は、人間を不幸にするに決まっている。それが通用しているのは、戦争と貧困というもっと悲惨な事態があるからだが、しかし、教条主義はそういった悲惨さに耐える方法であっても解決する方法ではない。

 タリバンはカンボジアのポルポト政権とそう大差ないと思っている。かといって、大国アメリカがテロの報復としてアフガンに戦争を仕掛けるとなると、ちょっとまてよと言いたくなる。アフガンの悲惨な民衆はタリバンに押さえつけられ、その上、アメリカの爆弾にひどい目に遭うのだ。いくらなんでも可哀想ではないか。犠牲になったアメリカ人も気の毒だが、戦争や飢えで死んでいくアフガンの人々の方がもっと気の毒だ。アメリカ人は少なくともあの世界で最も豊かなビルの中で人生の快楽をめいっぱい楽しんでテロにあったが、アフガンの人たちは、生まれてから、恐らく一度もいい思いをせずに死んで行かなくてはならないのだ。どっちが可哀想かは、明らかだろう。

 今度の事件ではいろんなことを考えさせられたが、一つ理解できたことは、結局、誰が見ても理不尽だと思う事態が解決されずに放置されれば、その理不尽さは、いつかきっと、ねじれたバネの歪みのエネルギーが突如解放されてはねるように、歴史の表に登場するということだ。パレスチナの人たちの味わっている理不尽さは、今度のテロに結果していることは、誰もが認めるところだ。ラディンが、無差別にアメリカ人を殺す理由について、アメリカは広島と長崎に原爆を落として無差別に殺しているではないか、と語ったらしい。考えてみれば、アメリカは、落とす必要がなかったと後世評価された、その原爆を落とした理不尽さを、反省することもなくそのまま放置した。その結果、そのことがアメリカ人への無差別テロの理由付けに使われている。何とも皮肉な話ではある。因果はめぐるのだ。

 つまり、ここで得られる教訓は、理不尽なことはしないということである。あるいはしてしまったら、それなりに決着をつけるということである。決着をつけないとかならずどこかでその落とし前をつけられる。そういうものなのだ。テロも理不尽だが、報復がそれを上回るほど理不尽だったら、いつかアメリカの方が落とし前をつけられる。

 ところで、日本は今度のアメリカの報復戦争にどう貢献するか悩んでいる。アメリカの一国支配で世界が成り立つ以上、アメリカに協力するのはやむを得ないとしても、憲法の制約によって、戦争そのものへの荷担はできない。それで、今、憲法に抵触しない範囲で、どこまで戦争に協力できるか湾岸戦争の時と同じような論議が起こっている。

 私の結論は明快で、世界が何を言おうと、金だけ出して貢献すればいいということだ。それは、貢献にならないし世界から非難されることだと皆言うが、だいたい、日本には世界の平和を守るために軍事面で貢献する資格はない。軍事的な貢献ができない理由を憲法の制約というが、本当はそうではない。憲法が仮になくても軍事面での貢献はできない。それは、日本が軍事面で戦争に荷担すれば、アジアの安定にとって脅威になるからだ。つまり、アジアでの戦争責任を曖昧にし、韓国や中国と平和な関係を築けない以上、日本の軍事面での世界貢献は、逆に、アジアにとっての平和をと安定を脅かす、というジレンマを抱えている。そのジレンマを解決できない以上、日本は憲法があろうとなかろうと軍事的貢献はできない。アジアの安定を脅かしてまで、世界は日本に軍事貢献を求めないからだ。ドイツが軍事貢献できるのは、ヨーロッパでの戦争責任を明らかにして、ヨーロッパ内での信頼を得たからだ。日本にはそれができていない。

 小泉首相は、靖国問題や教科書問題で、アジア軽視の姿勢を示したが、実は、そのことが日本の軍事面での世界貢献を不可能にしている、ということに気付いていない。だが、これは、実に、皮肉な話で、日本が憲法に呪縛され、世界に軍事面で協力できないことは、ある意味で、日本をアメリカスタンダードのグローバリズムから距離を置かせ、こういった紛争に対してとりあえず関わらなくてもいい位置にいられるということでもある。つまりだ、アジア軽視が日本をとりあえずの平和国家にしている、ということになる。

 仮に、日本が徹底してアジアに戦争責任を明確にしてアジアでの信頼を得れば、憲法の改正もしやすくなり、いよいよ、軍事面での世界貢献に乗り出せるだろう。が、それは、アメリカが踏み込んでしまったような、危うい路に入り込むということである。だから日本はとてもねじれている。アジア軽視の保守右翼は、結果的に、日本の軍事貢献を困難にし、平和主義的な社民のようにアジアに対して戦争責任を明確にする勢力は、力学としては、日本を軍事貢献のほうに近づける役割を果たすのだ。つまり、日本の左翼的平和勢力は、アジア軽視の右翼のおかげで軍事的世界貢献を免れられているから、軍事貢献反対という主張が可能になっている。これも皮肉な話なのだ。

 このジレンマを抜け出すのは、アジアでの戦争責任を明確にしてアジアでの信頼を得、しかも、軍事貢献以外の貢献の方法を主張できる国家になることでしかないだろう。それができるか。それにかなうような理念をわれわれが持ち得るとすれば、憲法9条をどれだけ世界の普遍的な理念として鍛えられるかだろう。が、実は、憲法9条が効力を発揮しているのは、日本が危ない国だとアジアで警戒されているからで、その警戒が解けたら、憲法9条は、世界の中で真の意味で孤立し、その普遍的な意味が問われるのだ。それは、日本が戦争責任を明確にし、自立した国家となったとき、つまり、世界平和のために軍事貢献を拒否する理由のなくなったとき、さあ、日本はどうするのか、と問われることと同じことだ。

 それに答える準備はまだわれわれにはできていない。だから、今、われわれができるのは、やっぱり金を出すくらいのことではないか。世界への軍事的な貢献とは、結局、戦争するということである。われわれは、正義といううよな理念を守るために戦争できるほど、自分を信頼していないし、信頼されてもいない。がそれでいいのだと思う。正義のために戦争するという、十字軍的発想がかつてどんな罪を犯したかをよく考えれば、ここは、金だけ出して遠巻きに眺めるしかない。情けないとは思うがそういう情けなさが賢明であるという場合もあるのだ。

21世紀と柳田民俗学  01.9.5
 2日に、遠野から帰ってきた。「遠野物語」の演習の学生を八名連れて、遠野常民大学が主催する、遠野ゼミナールに参加したのだ。交通費も参加費もちょっと高かったけれど、内容は充実していた。短大の学生にはちょっとむずかしいかなと思ったが、まあ、こんな風に「遠野物語」を地元であるいは全国で勉強しているひとがいるんだということを知っただけでもよかっただろう。参加した人は、ほとんどが主婦や働いている人や定年を迎えたような、つまり、研究者じゃない人だ。こういうふうに生活をしていても充実して勉強している社会人と話し合えたことは、学生にとってよかったと思う。

 最近、この現代の社会において、柳田国男をどう読むべきか、ということを考えている。例えば、後藤総一郎さんの主催する常民大学というのが、全国に十いくつあって、郷土の資料や柳田国男を読んでいる。また、赤坂憲雄も東北で積極的に柳田民俗学の読みを行っている。後藤さんの常民大学は、柳田が主張するような、民俗学は、常民が自らを知る学問だ、ということの実践である。赤坂憲雄は、柳田を通して、多様な日本というものを掘り起こそうとしている。

 こういう立派な読み方は私にはとてもできそうにはない。日本とか、常民という視座は、私には、大きすぎる。私は、むしろ、いじめのこととか、孤独や、家族の崩壊とか、神経症のこととか、そういう、今の社会を生きることが背負うストレスみたいなものに、柳田はどう役立つのだろうか、などと考えてしまう。

 今「病としての日本人と柳田国男」という本の企画を考えている。21世紀に柳田はどう読まれるべきか、という試みの企画だ。民俗学とはどういう学問なのだろう。もし、伝統文化としての生活文化を掘り起こすだけなら、それは、学問を通して博物館の陳列品を収集しているようなものだ。むろん、われわれ自身の生活や歴史を知る、という目的はある。が、それを知ることの目的とは何か。特に、柳田の民俗学は、単なる歴史や文化という問題を越えて、われわれの「生」そのものの膨大なありようの検討だった面がある。

 何故、検討せざるを得なかったのか。急激な近代化の中で、われわれの「生」そのものが崩壊し始めた、と実感したからだ。柳田民俗学は、その近代化の危機に、伝統文化の回復を示すことで解決しようとしたなどということは決してない。少なくとも、人々は、時代の危機的な状況の中で、無意識に(生活文化とは無意識なのだ)ある文化的な仕組みを作って対処してきた。そういう、無意識の文化的な仕組みそのものを作るその合理的とも言える生活文化の力を、柳田は掘り起こそうとしたのだ。言い換えれば、近代化の中でその力こそが衰弱していると映ったからだ。

 そういう力を伝統などというあてはめで理解してはならないだろう。むしろ、それらは、ある意味で近代が価値とする合理性そのものであつたりする。だが、それは、無無意識の生活文化として形成されるから、その合理性が見えないのだ。こういう比喩が適当かどうかわからないが、外科手術で危機に対処するのではなく、自然治癒力を利用したとても体にやさしい療法みたいなものかも知れない。

 むろん、それらの療法が、日本人にいつもプラスであったわけではない。が、プラスであったことも確かだ。今、われわれは、いろんな意味で過度のストレスを負って生きている。恐らく、このストレスに対しては、ストレスに負けない、強い個人であろうとする、ということでしか対処の方法を見いだせないでいる。なだいなだのエッセイにこういうのがあった。ある老人が夜眠れない、精神的に病んでいるから治してくれと精神科医に相談にくる。原因を聞くと、交通量の多い道に面した家に住んでいて、車が家に飛び込んでくることがあり、心配で眠れないという。何回飛び込まれたのかというと、ここ数年で7回飛び込まれたという。精神科医は驚いて、あなたは病気じゃない、夜眠れないのは当たり前だ、車が飛び込んでくることが異常なんだから。と言うと、老人は、いや、私がおかしいんだ、という。個人として強く生きる、というのは、この老人が自分を強くすることで現実を耐えようとすることと同じだ。

 つまり、それは、この個人を中心とした競争社会で勝者になれということでしかない。かといって、コミュニズムのように全員が救済される方法が簡単にみいだせるわけではない。このストレスを軽減するような人と人との関わり合いや関係の仕組みのようなもの、むろん、それは国家のような大規模のようなものではなく、小さなコミュニティの様な範囲でいいだろうが、そういう無意識に作られるような仕組みが、今の社会は必要としている気がする。車が飛び込むような現実を解決するような人と人との関わり合いがないから、老人は、個人の心の病の問題として、精神科医に相談にいかねばならないのだ。

 たぶん、柳田民俗学は、そういう、人と人との関わり合いの仕組みについて語っていたのではなかったか。とすれば、柳田民俗学は、21世紀にもまだ通用する学問であると思うのだ。
 
哲学と研究 今年の夏季セミナーを終えて 01.8.23
 だらだらと夏休みを過ごしています。そろそろ、後期の準備とか、いろいろ書かなきゃいけない論文の勉強とかしなきゃいけないのだけど、子供の頃から、夏休みは終わる直前にならないと宿題をしなかったので、この癖がいまでも続いている。

 昨日、古代文学会の夏季セミナーから帰ってきた。台風11号の中を帰らざるを得なかったので、いろいろ大変だった。われわれは車で帰ったのでトラブルはなかったが、電車で帰る連中は、箱根湯本から小田原まで歩いたとか。お疲れさまでした。

 古代文学会のセミナーは、私は、もう15年ほど参加しているのではないだろうか。去年、中国への調査で休んだが毎年参加している。今年のテーマは、「まなざされる境位」。正直難しいテーマで参加者も少なかった。テーマの設定というのは難しい。今回のテーマは、どちらかというと、宗教的な言葉なんだろうと思う。最近、古代文学会の若手は8世紀の宗教的な言説を問題にしているから、そういう言説への接近がこんなテーマになったんだろう。

 人が宗教的な言説に惹かれるのは、その言説がある信の世界の中で流通すると、言葉の極めて一般的な意味の世界の範囲を超えて、とめどなく奥深い意味を越えた意味を表現するように感じられるからである。むろん、宗教とはそういうものだが、ただ、客観的な論理の言語を唯一の根拠に研究する研究者がそういう言説に惹かれるのは、それなりの理由がある。

 一つは、客観的な論理への信が揺らいでいるということ。このことはすでにポストモダン以来ずっと言われてきていることだ。まだ、信は揺らいでいる。このことは確認しておいていい。もう一つは、宗教的な言説への研究が進んできて、その言説固有の論理性(ある意味で荒唐無稽に見える理屈だが)が、いわゆるわれわれの論理性の側に開かれ始め、それをこちらの論理性で受け入れるのにそれほどの違和感がなくなってきたこと。さらには、現代の研究者自身が若干引きこもり的になり、引きこもり的な自分の状況をどこかで説明するような言説にどうしても惹かれてしまうという現象。

 以上が、今古代文学会で宗教的な言説が大きなテーマになっている理由である。考えてみれば、宗教的な言説はある意味で研究者にとって今の生き方の悩みを解決する哲学の言説でもある。そういう悩みを引き受ける論理が、8世紀の宗教的な言説にあると何となくみんな感じているのだ。これは悪いことではない。こうやってある時代の言説がわれわれに開かれ、その普遍性が見いだされるからだ。

 が、まだ、その普遍性が見いだされるまではいっていない。例えば「まなざされる境位」というわけのわからん、別の言い方をすれば、どんな風にも言い換えられる言葉というものは、実は、まだこのテーマが対象とするある時代の言説の固有さを捉えているとは思えないし、とらえていないければ当然、普遍的なものも出てこない。

 つまり、まだ自分たちの哲学を語る言葉なのだ。だから、こういう言い方は、8世紀の言説でなくても、11世紀でも18世紀でも20世紀でも通用してしまう。むろん、それならそれで、つまり、自分たちの哲学であることを自覚し、そういう方法で徹底して8世紀の言説を読んでいけばそれはそれでいいのだが、何となく、そこに曖昧さがあった。テーマとは、対象を客観的に把握する一つの見方であるという研究の基本みたいなものを捨て切れてはいなかった。

 だから、このセミナーは、一方で研究者の哲学が論じられ、一方で、基本的な研究が論じられという、雑然としたものになった。だが、最近のセミナーはいつもそうだったように思う。一昨年のセミナーの発表を元にした古代文学会叢書T「神の言葉・人の言葉」(私と丸山隆司の共編著)も、評論と研究がごちゃ混ぜに入っている。「普遍性」への信が揺らいでいる時代は、われわれの論のあり方も揺れるのだ。とすれば、その揺れの中で、自分の言説をどう自覚し、その説得性をどう得ていくのか、それぞれの固有性の中で鍛えていくしかない。その意味で、共同研究というのはやりづらい時代なのだ。共同研究がそういう説得性を与えてくれると甘えた瞬間、その人は魅力を失ってしまう。

 今回の夏季セミナーに限らず、そういう甘えはどうしてもあるのではないかと思う。たぶん私にもある。が、そうなら一人でやるべきなのかというとそうは思わない。というのは、論をぶつけ合う共同研究の場をもたない場合、だいたい、世間や全体の研究動向という別の規範に甘えて余計につまらなくなるというケースの方が圧倒的に多いと思うからだ。

 その意味では、われわれの共同研究というのはとても困難な時代になってきていると思う。だが、新しい発想や研究テーマというのは、いつも漠然としていて、自信がないから、同じような問題意識を持った人と共有することで、それを形にする必要がある。そういうやり方はとても効率的で、世界のどこでも当たり前のことだ。「複雑系」のあの有名なサンタフェ研究所だつて、一人では不安な研究者が集まって作った共同研究の組織なのだ。

 古代文学会の夏季セミナーもサンタフェ研究所のようになって優れた研究者を輩出するようになればいいなと思う。ただ、もう私などが出る幕もないので、みなさん頑張ってください。

 私は、月末に遠野ゼミナールに学生を垂れて参加。帰ったら、古宇利のウンジャミを観に沖縄に行って、帰ったら、中国の雲南省に歌垣調査に行く予定。後期の準備はもうできないな。学生のみなさん、心配なく、毎年こんな感じですがいつもうまくやってますので。

8月15日の過ごし方  01.8.7
 最近、やたらとナショナリズムのこととか、靖国問題とか、戦争責任の問題とか、かまびすしい。どうもこの季節、こういう話題が自ずと出てくるということか。あまり、考えないで過ごしたいのだが、うるさいので、自分なりに処方箋をいつも考える。

 昨日、ニュースステーションに、野中元幹事長が出ていて、靖国神社は勝者のための招魂社であると力説していた。だから、官軍に破れた兵士は祀られていない。つまり、遠回しに、靖国神社は今国民的な鎮魂の象徴としてはふさわしくないと言っているのだろう。それなりに納得できる見解だった。コメンテーターが、A級戦犯が合祀された1975年以降、天皇が靖国に参拝しなくなったことを語っていたが、これは知らなかった。

 しかし、実は、靖国はもぬけの殻であるというのが私の見解だ。ここは、柳田国男の説に頼る。柳田国男が敗戦の年に書いた「先祖の話」で、柳田は、異国で死んで行く兵士たちの魂が何処に帰るのか、そのことにこだわり、帰るのは、自分の故郷であり、そこで先祖になるのが本来の日本人の信仰だと説いたのである。つまり、国家の神社には誰も帰らないのだ。柳田の説ではそうなる。ただ、都市社会の住民にとって、故郷の共同体に帰って、先祖になるなどというイメージは、ほとんどないだろうが、逆に、個人意識の強い都市社会の人は、死んだ魂までも国家に管理されたくはないと考えるだろう。だから、そこには帰らないと考えられる。とすれば、やはり、靖国神社は空っぽということになる。

 たかだか明治以降にできた神社に日本人の魂が帰るなんていう、にわかづくりの幻想などすぐに色あせてしまうものだ。それを知っているから、神社側は必死に靖国をまもろうとしている。その土地土地の産土の神になるという柳田の考えの方が、宗教的な意味での戦争の鎮魂としては、私には、いいと思えるのだ。国家政策でやるなら、それこそ、国立墓地でもつくればいい。

 桝添が、靖国問題をテレビで語っていたが、そこで、東京裁判はおかしい、勝者は敗者を裁けないなどと語っていた。この問題に一言。じゃ、勝者は敗者にどうするべきなんだろう。寛容に負けた奴を許すべきだったんだろうか。それとも裁判なしに、勝ったものの権利で負けた奴を片っ端から殺すべきなんだろうか。答えて欲しいね。

 戦争は殺しあいだ。ルールはあってなきがごとくだ。その殺し合いに勝った勝者が、負けた相手を憎しみ、その相手に何をしようと、負けた側は本来なら何の文句も言えないはずだ。近代以前の戦争はそうだった。勝った側が、負けた側に残酷な程の報復をした。それは、戦争の伝統的な終わり方というものだ。東京裁判を批判するものは、どうせならそうされた方がすっきりしたとでもいうのだろうか。それとも、全員許されるべきだなどと甘いことを考えているのだろうか。

 裁判というのは、裁く側が、当事者ではなく、正義を客観的に下せる普遍的な位置に立つ第三者であることが必要だ。しかし、世界大戦というのは、そういう第三者がいないということだ。みんな、どっちかについた当事者であったからだ。とすれば、公平なと言われる裁判は本来不可能である。その意味で、勝者が敗者を裁判で裁くというのは公平ではない、という主張は合理性を持つ。だが、その主張は、公平な立場に立つ第三者がいるのに、その第三者に頼まないときに成立するものだ。その第三者がいないとき、それじゃ、裁判はやらないべきなのか。

 やらなければ、戦争の事後処理は復讐になり、結果的に世界の安定を崩す。それは従来の戦争の歴史の中で、世界が学んだことだ。それなら、なるべく、戦後処理を、普遍的な基準でやるしかない。だが、その基準とは何か。例えば、それは、人道上許されるべきかどうかというようなとても曖昧なモラルでしかない。が、ないよりはましだ。勝者の裁判であっても、裁判という体裁がある以上は、公平性に疑問はのこるとしても、ある程度の情報は公開され、前近代的な復讐は防げられる。そういう判断が働いて裁判は行われた。だから、少なくとも、それだけでも東京裁判をやる価値はあったのだ。

 仮に、日本が戦争に勝ったら、裁判をやって敗者を裁いただろうか。たぶん、裁判をやらずに徹底した復讐でかなりの指導者を殺したろう。そういうことを考えたら、簡単に、東京裁判はおかしいなどと言えないはずだ。

 8月15日は今のところ、私にとってはただの一日に過ぎない。が、いろいろと考える一日ではある。ナショナリズムという問題はなかなかやっかいである。小泉や石原に代表される資本主義の厳しい競争原理を肯定する構造改革主義者が、ナショナリズムを唱え、野中のような共同体の利益を守ろうとする守旧派は、アジアとの関係を重視し、平和主義であろうとする。このねじれは、われわれがナショナリズムを例えばサッカーの応援で発揮できる程度に穏やかに肯定できないことによる。ナショナリズムへの過剰な否定や肯定の言説は、他国との関係の中で実はそういう穏やかさを身につけていくものだという歴史の教訓をまだ味わっていないということだろう。それは、日本は、ことナショナリズムに関しては発途上国である、ということである。

構造改革の次はどういう社会か  01.7.31
 今度の選挙の結果は順当なものだろう。こういうのを流れというのであって、流れというのは止められないとつくづく思う。流れとは構造改革のこと。とにかく、今度の選挙は構造改革が勝利した選挙だった。棄権が多かったのは、構造改革が必要らしいとは分かっていても、正体がよくわからず、あまり歓迎できない人たちが多いということだろう。

 構造改革は、いわば、高度消費社会の仕上げみたいなことであって、国家の市場への規制を最低限にして、消費欲望と、その欲望を引き出すビジネスチャンスを効率的に機能させる市場原理を徹底させようとすることだ。こういう発想は、一方で、市場原理の中で個を実現しようとする個の権利を尊重するから、税金の再分配について、それなりの公平性と合理性を追求せざるを得ない。それは必然的に小さな国家をもたらす。つまり、個が稼いだ金を、その個の老後と安心できる社会の保証のために使う以外の使い道に対して、厳しい視線が注がれ、ただ国のために税金払うという発想が無くなっていく。

 構造改革が税金の使い道を合理的なものにしていくという点については評価できる。その意味で、税金をただただ食いつぶすだけの役人や特殊法人などの整理は歓迎すべきことだろう。一方で、不良債権等などの整理によって倒産が起こるという「痛み」のことなどは、市場原理を徹底すれば、いずれ起きる現象であって、それをうまくやるかやらないかの問題に過ぎない。むしろ、経済活動をしなくても、既得権益で金を稼げるような仕組みを早く無くしていかないと、経済活動それ自体が衰退する、という構造改革論者の主張はそれなりに納得でき、その意味では、構造改革は、やらざるを得ない。

 ただ、このような改革を進めていけば、当然、市場原理の敗者や、経済活動それ自体から疎外された弱者の生きる権利を、どう保証するか、という点が問題となる。個の稼いだ金を税金で取り立て彼等に分配することを、国家の一つの存在理由とするなら、その国家が小くなっていくことは、その分配そのものを無くしていくか、その分配に何らかの理由付けが必要となっていく。

 例えば、アメリカの共和党は個人の金を稼ぐ欲望を優先してそういった分配を少なくする主義であり、民主党は、分配を増やすために個のモラリティの高い社会を作ろうとする。共和党型は、勝者の精神的な支えとしてのモラリティでいいから、そのモラリティは伝統的な価値観になる。しかし、民主党のようなめぐまれないものへの再分配というモラリティは、当然、リベラルなものになる。アメリカの民主党のように、モラリティを高めるような社会を作らなければ、逆に、敗者や弱者の再分配は難しくなる、ということだ。

 日本の自民党や民主党の主張は、まだそういう対立にまで分岐していない。その意味でアメリカ型的二大政党制はまだ先だろう。日本での対立は、敗者や弱者への税金の再分配を、官僚の作り上げた発展途上国型の仕組みで保証しようとするのか(橋本派)、労働階級のように別の官僚機構のイデオロギーのもとで保証しようとするのか(共産党あるいは社民党)の旧来型と、だただ個の経済活動を優先させ、それに障害のある邪魔な仕組みだけを取り除こうとしている、初期構造改革との対立であるから、とてもその対立がややこしいのだ。

 それなら、いずれ日本もそういうアメリカ型の二大政党制になるのか、というと、そういう流れで動くのは間違いない。だが、そう簡単でないと思うのは、実は、橋本派の存在、特に亀井静香や鈴木宗男等の存在意義というのもの案外にバカにできないからだ。彼等は族議員の代表で、利益誘導型と批判されるが、その批判はあまり正確ではない。彼等が依拠しているのは、生涯雇用を前提にした会社共同体と、地域から脱落者を出さない地域共同体なのだ。これらの共同体は、ある意味では、敗者や弱者の受け皿である。そこにモラリティはないとしても、身内の敗者や弱者を許容する優しさのような情はある。亀井や、鈴木が情で訴える政治家であるのはそのためだ。

 旧来の自民党政治は、これらの地域共同体に税金を注ぎ込み、規制で保護してきた。今、個を中心とした経済活動にとってそのことが非効率的となってきて批判されているわけだ。確かに、経済的に豊になってもそれらの共同体に金を注ぎ込んだ罪は大きい。それらの共同体の存在意義を欲望肯定の利益共同体に堕落させた罪は大きいだろう。

 だが、見方を変えれば、実は、それらの共同体重視の主義主張は、サミットで暴れた反グローバリズムの主義とそう変わらないのである。橋本派が頭が良ければ、自らの族議員の立場を、巨大化した資本主義に取り残され、食い物にされる、地域共同体の利益をまもる、とする反グローバリズムに転換できるだろう。そうなれば、これに、社民の一部が同調して、大きな勢力になる。が、そこまで頭が良くないので、どうなるか分からない。

 個の活動がグローバル化したということは、個が、グローバル化の動きの中で、限りなく卑小な存在になり得る可能性があるということでもある。グローバル化のなかでの個の孤立は、たぶんに歴史的に経験がないだけにとてつもなく恐ろしいものの筈だ。その意味で言えば、グローバル化から取り残された地域経済の悲惨さもたぶん類をみないものになる。これらを高いモラリティは救えないとすれば、従来の国家主義とは違う、再分配システムへの模索が始まる。実は、日本の守旧派が依拠する共同体重視のシステムは、案外に、これらの模索にとって可能性のあるシステムなのである。

 ただ、従来のままでは、新しい時代のコミュニティとして機能しないのは確かだ。その意味での、変革は必要だ。アメリカは悲惨な個人や地域を救う地域コミュニティは、実は、けっこう充実している。利益共同体ではないコミュニティが、教会などを基盤に伝統的に整えられていたからだ。たぶん、日本に必要なのは、そういうコミュニティであって、教会のようなコミュニティのない日本では、自民党を支えていた地域共同体が、その役割を果たすことが効率的なのだが、なかなか困難だ。利益誘導の記憶を払拭することが難しいからだ。その意味では、構造改革によって、徹底してたたかれる必要はある。

 私は、ボランティアなどの市民のコミュニティ活動をあまり信用していない。それよりは、旧来の地域の老人達が主導権を握るコミュニティが、利権を離れて、それこそ、地域の助け合いのシステムに変化していくことの方が、より効率的にコミュニティを作る方法だと思う。個人の善意によるボランティア型のコミュニティは、教会コミュニティの伝統のない日本ではまだリベラルな特権的運動であって、そう簡単には広がらない。そういう意味で、橋本派の議員達は、利権を離れた地域コミュニティの代表者になっていけばいいのだ。彼等が一定の発言権を持てば、アメリカ型の二大政党とは別の三番目の勢力として存在意義を積極的に主張できるだろう。当然、資本主義的な競争社会に批判的な社民党も同調するはずだ。

 構造改革は、やらざるを得ないが、次の社会をどう考えるかは案外に難しい。個人中心の経済活動を肯定しつつも、敗者や弱者を相互補助しあう地域コミュニティとしての共同体の機能も維持したい。たぶん、大筋では、みんなそんな風に考えるのではないか。私とても同じだ。とすれば、そういうこみいった社会に見合うように、政治勢力も別れる。そういうように考えれば、だいたい、構造改革の先の見通しはつく。

アバウトになれるか・「オールアバウトマイマザー」の教訓  01.7.25
 先日、やっと、アブモドバル監督の「オールアバウトマイマザー」のビデオを観る。評判の高い映画だったが見逃していたので、やっと観たというところだ。この監督の作品では、前に「ライブ、フレッシュ」を観ている。これも面白かった。

 全世界の女性に捧げる映画だとか紹介にあったが、確かに、ここには、女性があふれていた。これは息子を失った母親の、自立のストーリーだが、そう単純でもない。息子は父親を知らすに事故死する。母は、その父親を捜しにマドリッドまでやってくる。父親は、実はおかまなのだが、母は夫の友達のおかまを助け、またその友達の修道女を助け、そして、舞台大女優を助けと、息子を失った悲しみに浸る余裕もなくみんなを助けるはめになる。

 実は、修道女は、おかまの夫の子供を孕み、しかもエイズに感染しているということがわかる。夫はエイズに感染しているのだ。この強引なストーリーもまあ許せるのは、この若い女優の無垢な魅力だろう。修道女は子供を生んで死ぬが、その葬儀におかまの夫が現れる。夫に母は、息子が自殺したこと、赤ん坊が生まれたことを告げる。夫は息子に会いたかったと泣く。

なんともはやすごいストーリーなのだが、私が気になったのは、息子に会いたいと言って泣く女装した夫、そして、修道女に生ませた自分の子供を抱くこのおかまの愛情は、父性的なものか、母性的なものか、それとも、そういう範疇にははいらないものなのか、どれなのか、ということであった。たぶん、父性的なものでないことは確かだ。そうであればおかまになることはないはずだからだ。

 父性でもない母性でもないそんなものがまだないとすれば、母性なのだろう。とすれば、この映画は全く父性が排除された映画ということになる。父親を探したいといって死んだ息子の父親とは、母性を発揮する父親だったのだ。いったいこれはなにを物語るのだろう。

 「父性復権」などという本が日本では売れたらしいが、この映画を観ると、父性復権なんてギャグみたいなものだ。父と子との関係とは、財産とか権力とかそういうものを継承するような関係であって、だからその関係に他者が入り込むのを警戒する。つまり、父性は父と子の関係を他者の介在しない絶対的なものにしようとする。アバウトでないのだ。しかし、それを言い換えれば、父性とは、父と子の関係以外では役立たずなのだ。母性は他人の子にも、動物の子供にだって反応するが、父性は反応しない。例えば、私の飼い犬のナナへの感情は父性的ではない。どちらかと言えば母性的だ。母性はかなりアバウトなのだ。

 母は、子との関係以外でも、いろんな関係を作るアバウトさがある、というのがこの映画の教訓か。夫がもう一人の母になっても、母はそれを許容するのだ。これが逆だったらと考えたらどうか。つまり、母が父になって父が二人になったら、父性は、たぶんその正当性を争うのではないか。つまり、アバウトになれないのだ。

 このアバウトさが今大事なのだ、ということがよく分かる。この映画の登場人物は、いろんな意味で、世間とはずれてしまった者達だ。彼等が共同体(なんと古い言い方なのだろう)を作れるのは、アバウトに女であること、そして、母であることだからだ。
アバウトであるからこそ、ずれてしまった者達との関係が作れる。そのことはおそらく、こんな時代だからこそ救いなのだ。

が、実はそのことは、自分たちの負の部分をどこかで肯定してしまうことにもなる。この映画の暗さはそこにある。女や母が今の社会でマイナスであるからこそ、実は、アバウトさが効力を発揮する。マイナスを肯定することで作られる関係であることの、哀しさというものがこの映画にはある。その哀しさを引き受けようとする逆説的な自由さに満ちた、そのアバウトな人たちの物語なのだ、この映画は。

 その意味では、この映画は、女や母であることのマイナスを克服せずに、引き受ける。それでいて、自由であるのは、父性とか男とかが彼女たちに対立項としてあらわれないからだろう。これからの時代、他者とうまくやっていくにはみんな女になるしかないよ、と言ってもいるようだ。女じゃないとアバウトになれないから。

 私は男だが、生来アバウトである。むろん、それは私が女性的だからということではないと思っているが。理由は、私の家は貧しくて、父からなにも継承されなかった、ということがあると思う。母が働いていて母中心の家庭だった。だから、他者を排除するということの感覚があまり分からない。これは、自分にとってはよかったと思っている。

イチローと小泉総理と教科書問題  01.7.16
 最近気になるのは、イチローの打率とか、参院選とか、教科書問題とか、古代文学会叢書の原稿がまだそろわないこととか、とにかくめちゃ暑いこととか、前期試験のこととか、いろいろある。イチローを見ていると、精密機械のバッティングのようで、今不調で打率を下げているのだが、その理由は、とても微妙なポイントのずれにあるらしい。たぶん、そのずれといのは何センチくらいのずれなのだろうが、そわずかのずれで物事がうまくいかなくなるのは、精密機械の宿命みたいなものだろう。

 基本のしっかりしたおおざっぱなバッティングであれば、バッティングが狂ったって、足の位置をちょっと変えるくらいで調整しやすいのだろうが、精密機械だと、ほとんど身体感覚の中の微妙な調整だろうから、これは大変だろうなという気はする。佐々木もだんだんとコントロール重視の精密機械のような投球になってきた。ワンバンドのフォークを空振りさせる豪快さはほとんどなくなった。やはり、日本人が大リーグに行くと、それなりに得意分野に特化してしまうものなのだな、ということを感じる。

参院選は正直あまり関心はない。ただ、小泉人気というのは、やはりおかしい気はするが、だからといって、一部で騒いでいるように、これをファシズムのように騒ぐのもやはりおかしい。政治が個人の人気やムードで左右されることを危惧するのはわかるが、現実をみれば、民主主義の時代の政治は、メディアを使ってムードや人気をいかに作るかが重要なことくらいは常識で、与野党問わずみんなそうやってきたのだから、それがいきなり自民党に過剰に現象したからといって、それを批判するのは、おかしいではないか。

 これを個人の未成熟な社会の現象だと危惧する声がある。それもわからないではないが、そんなことを言えば、湾岸戦争の時のブッシュの支持率が90パーセントを越えたアメリカだって同じだろう。アメリカ人が日本人より政治において個人として成熟しているなんてとても思えない。大事なのは、そのブッシュが選挙で負けることがあり得る、という仕組みがあるということだ。

 日本はこの仕組みはあるのだが、有効に機能していない、というところに問題はあろう。これは、イチローとどっか似ている気がする。日本の民主主義の仕組みも精密機械であって、微妙な内部調整でいつもうまくやってきたのだ。だから官僚というエンジニアがいて、いつも高度な微調整をしていたのだが、どうやら、今、微調整では、追いつかなくなってきた、というところだろう。基本的な仕組みが常に原則的にしっかりしていて、後は、多少おおざっぱでも、けっこうそのほうがうまくいくということだ。

 人々の感情的な反応は、民主主義にとって重要な要素だ。仮に、人々の感情的な反応を抑制し、理性的な人間だけに、政治的な発言の権利を与える社会があったとしたら、それは、とんでもない抑圧社会になる。人が政治的な事柄において感情的になるのは、生活の実感と、社会全体のあり方を性急に結びつけるからだが、その性急さを無知だといって批判するのは、間違いだ。人は社会全体を常に見渡してものを言うことは出来ない。とすれば、確実なのは、自分の生活の実感と、今の社会のあり方とを結びつけて、おかしいならばおかしいと言うしかない。

 少なくとも、小泉は、みんなが思っている生活実感の不満と社会全体のあり方とを結びつける合理的な説明をしている。だから、人気があるわけで、人々の反応は感情的だとしてもそれほどわけのわからぬものではないと思う。その感情的反応が、例えば仮想敵を作り上げて、そのはけ口を用意するような姑息な政治手法にたやすくのってしまうのでは、と危惧するのは、むしろ、大衆を冷静に見ていない感情的はんのうだ。ただ、人々の感情的な反応を、社会の多様な反応の一つに変換する仕組みがまだ不十分だという気はする。日本人は、一面確かに情緒的であるが、(世界的にみて日本人だけが突出して情緒的とはおもわないが)、その情緒を利用しながら、都合が悪くなると感情的だといって感情を排除する、政治家も思想家もとても多い。われれは、自分たちの感情をうまく使いこなせていないという気がする。

 それから、気になるのは教科書問題だが、民主党の管幹事長が、西尾幹二等の教科書運動が、教科書を利用した政治活動だと言って批判したのは正しいだろう。ただ、われわれの表現の自由や多様な意見を許す民主主義というのは、彼等の活動を保証するものだということを忘れてはならない。つまり、この問題に、最終的に決着をつけるのは、この教科書を読む一人一人であって、それ以外は、われわれの社会が作り上げた、イヤな奴でも排除しないという原則を守ることだ。

 ただ、この問題への個人的な感想を言わしてもらえば、「教科書を作る会」の言っているのは、被虐史観からの自立であって、つまり、われわれがいじめた相手(アジア)に謝りすぎた、ということの心の傷からの自立ということだ。自立の問題とすれば何とも情けない自立だ。どうせ自立するなら強者のアメリカからの自立を一方に置かなければなんともバランスのとれないみっともない自立だろう。つまりだ、アメリカから自立出来ないから、自分たちより弱いアジアから自立しようとしている、としか思えないのだ。

 アメリカ映画「パールハーバー」を観て、日本の若い女の子が涙している。アメリカでは不人気だが日本では上々らしい。愛国心を若者に訴えたいなら、この映画の上映禁止運動でもやったらどうだと言いたくなる。言っておくが、「王様と私」はタイでは上映禁止だ。私は別に反米主義者ではないし、アメリカ文化は好きだが、普通自立というのは、強者からの自立を言うもので、その意味では、アメリカからの自立は、日本を問わず世界の国に突きつけられた課題だろう。侵略した相手に謝りすぎたからといって自立しようなどという論理は、聞いたことがないし何とも情けない。

 さてさてイチローの打率はどうなるだろう。佐々木は、微妙なコントロールで勝負していくのだろうか。野茂は、フォークという基本原則だけで勝負している。日本的じゃない。ついでに新庄も日本人的じゃない。野茂と同じで微調整で勝負するタイプじゃないからだ。イチローと佐々木の今後は、その意味でとても気になることではある。

朗読バトルと心の闇 01.7.2
 昨日、辰巳泰子と藤原龍一郎の朗読バトルなる催しを観に行った。沢口芙美さんと一緒になり、いろいろと話をした。岡井隆も来ていた。なかなか盛況であった。辰巳泰子の存在感はたいしたもので、当然藤原龍一郎を圧倒していた。関西弁で語る、歌集「恐山からの手紙」の祭文のような言葉が実にはまっていて、東北の爺様や婆様が聞いたら涙を流すのではないかと思うほどだ。ただ、東京の若い人たちには、その土俗的な言葉の世界はどう聞こえたのだろう。

 藤原龍一郎は、東電OL殺人事件の被害者の女性を題材に「慈悲」という歌を朗読した。この人の声はアナウンサーのようなとても聞きやすくいい声だ。少なくとも、辰巳泰子と藤原龍一郎は声がその歌風をあらわしている。声にその存在が見えてしまっている。声とは考えてみればたいしたものだ。

 「慈悲」の歌はなかなかよかった。
窒息死するほどの愛さもなくば顔に唾吐きかける救済
東京を憎み愛して「内なる闇」「性の荒野」と陳腐な比喩も
孤絶している拒絶しているゆえにこの現在の世界は浄土

 佐野慎一のノンフィクション「東電OL殺人事件」は買ってあるがまだ読んでいない。とても気になる事件だったが、けっこうみんな(歌人や詩人が)気にしていることがよくわかった。この事件は、ただ記号で語られる東電OLにも、その客であった男たちにも、自分ではないかと感情移入ができる。みんな心の闇を持っていた。藤原龍一郎は、犯人ではないが、被害者の彼女と週二回何年にもわたって関係をもっていた初老の男と自分を重ねる。

 拒食症で痩せていた彼女と何故それほど一回四万円もの金を払って関係を続けたのか。彼は今、裁判で何度も証言させられ、その結果家庭を失っているはずだという。いや最初から失っていたのだろうと言う。たぶん心の闇を共有したのだろう、その心の闇は自分にもあると語る。

 この社会を生きる者達の割合共通して持つ心の闇はたぶん私にもあるだろう。むろん、闇の深さというものが問題で、私の心の闇など、犬と遊んでいると無くなってしまう程度のものだ。無意識にであれ、闇の奥深くに入り込んで出られなくなったものを病気というなら(これは最近の私のテーマだが)、東電OLの彼女は病気だった。

 さて、私は、辰巳泰子もどちらかといえば病気系だと思っている。だが、彼女の面白さは、心の闇を語る技術を持っていることだ。例えばそれは「恐山からの手紙」のように、遍路という物語にしてその闇を語ろうとする。闇を語る一つの文法である「モノガタリ」の力をうまく利用して、自分の病を、自分の表現のポテンシャルにしている。

 東電OLの女性は、売春というモノガタリでしか闇を生きることができなかった。この生きられなかったことを積極的に肯定してしまえば、これは、田口ランディの「コンセント」のテーマになる。女性が自分の心の闇に深く立てこもったときの、そのすごさは、例えば、私の授業で扱っている異類婚の系譜で言えば、道成寺縁起の蛇に変身する女だし、雨月物語の「蛇性の婬」の真名児である。藤原龍一郎の「慈悲」にこういう歌があった。

転生はレプリカントのゾーラぞと決めて大蛇と婚う快美

ゾーラが誰のことかわからないが、霊異記の説話を思わせるような歌だ。蛇に変身する、あるいは蛇とまぐわう。そういう情念の顕在化の方法というものを、女は持っていた。この女のモノガタリ的情念は、かつてほど抑圧されているわけではない現代の女性にとって、テーマであることを失っていないのは何故か。いや、もう性差の問題ではなく、本当は誰もの心の闇の問題なのに、ただ、女性の感性がそれを早く捉えているのに過ぎないのか。

 上の歌は、未来の心の闇は、レブリカントとなって顕在化するということか。そういえば映画「AI」というのも、レブリカントと愛の映画だ。「ブレードランナー」の世界もまた、レブリカントの愛と自分探しがテーマだった。でも、やはり、大蛇と婚うのは日本的なモノガタリだ。

 話題は変わるがやっと「シャーマニズムの文化学」(森話社刊)が出た。古代文学会の連中との共著であるが、今、シャーマニズムは、人間が自分の心の闇を語る時の一つの文法足り得るだろうと思っている。むろん、神の声を聞くことが大事だということではない。少なくとも、心の闇を闇としない文化を持っていたということがシャーマニズムから引き出せればいいのだ。神の声を聞くことは、神の声を他者に話すことであり、それは、心の闇にとじられるものが他者と交通する一つの方法であったのだ。それを許容し大事にする文化があったし、いまでも歪んだ形ではあるがその文化は続いている。

 さてさて、昨日の朗読会は、コント風ではあったが、中城ふみ子や寺山修司の架空対談もあったし(辰巳泰子の中城ふみ子はさすがだった)、めちゃくちゃ暗い世界だったが、それなりに楽しめた。

正常と異常と病 01.6.18
 事件も一週間経ってくるといろいろと見えてくる。宅間容疑者の児童殺傷事件もそうだ。どうやら、宅間容疑者は、精神病をかなり装うとしたことがわかってきた。むろん、こういう情報は、意図的に流されている場合が多いから、簡単には信じてはならない。が、様々なメディアから発信される情報を総合すれば、彼がほとんど心神喪失で起こした事件とは言えないようだ。

 ということは彼が望んだ通りに死刑になるしかないのだろう。しかし、刑罰は刑罰として、この事件はどうもすっきりしない。このすっきりしなさは何だろう。恐らく、一つの理由は、あんまりにも、この宅間容疑者の内面が表に出てきてしまったためではないか。警察による意図的な公開もあるだろうが、どうもこの宅間容疑者が自分の内面を語ることが好きだったこともあるようだ。

 今日、テレビでは、宅間容疑者の20年前のノートに書かれた反省文なるものが取り上げられていた。17歳で書かれたその文章には、いかに自分がだめな人間かがしつこく書かれていた。小学校から夢を抱いては努力が足りなくて挫折を繰りかえし、あげくは暴力に走ってしまう自分を責めていた。そして、もう生きるのがイヤだ、死にたいと書いていた。ほとんど今度の事件の時に語った動機が17歳のノートに書かれていたので、マスコミが取り上げているのである。

 ここから分かるのは、彼の内省的な面であり、同時に、その内省という理性が制御できない彼の暴力的なエネルギーである。そして、この内省が語る一人の人間の姿は、特異なものではなく、本当に誰もにあり得る敗者の人間の姿であるということだ。一人の敗者の物語を語り出すことに、この容疑者は実に長けている。それは本当であるにしても、その語り方は、聞き手を戸惑わせずにはおかないという面で、この容疑者は特異である。

 死刑にしてくれ、という一人の敗者の叫びに、日本人は、犠牲者への同情と同じくらいに、この男の内面に注がれてしまつただろう。それは、日本人にとって自分の内面をのぞき込むことと同じだったからだ。マスコミも同じように一人の敗者の内面を語ることに熱中した。いつのまにか、この男の憎悪というより、誰もが、われわれが作り出してしまった社会の歪みこそがこの男の背後にあることを感じ、この男を憎悪することにとまどいを感じ始めることになってしまった。どうもそう思う。その意味で、この男の語りは功を奏している。

 一人の犯罪者の内面とその背景に誘導されることはそんなに悪いことではない。それは一つの冷静さでもあるとは思うからだ。だが、問題がそう簡単に見えてくるわけではない。同じような挫折や内面を誰もが抱えているのに、ほとんどの人々は、彼のように子供を殺したりはしない。最後の一線を越えるのは何故なのか。そこは実は少しも見えてはいない。そこが見えなくては、この事件のことは何も分からない。

 彼が病でないとすれば、実は、問題はもっと混迷してくる。今言われているのは異常者という言い方だ。しかし、この言い方は、結果から見て判断する言い方で、特異な行動を起こすか起こさないかという点に限らなければ、正常と異常の区別はつけられない。一方で、病と異常の境界もまた曖昧である。この男は精神病でないにしても、何とか症候群という病名は付けられていた。異常者であっても病名はつく。病名がつけばそれは病気ではないのか、ということになるが、法律的には責任能力があるかどうかなので、病気であっても責任能力があれば、正常な人間と同じ扱いを受ける。また。精神病であっても、実は、境界領域の人が多く、正常と病気の区別もまた曖昧なのである。

 正常と異常と病気、この三つのそれぞれの境界があいまいであることが、今度の事件で浮き彫りになったように思う。彼は、正常とも言えるし異常とも言えるし病気とも言える。そのそれぞれの境界の画定によって、法律が整備され医療の基準があり、われわれの他者への気遣い程度が決まり、われわれの社会への反省の度合いも決まる。今、それぞれの境界が曖昧だから、法律が機能せず、医療が遅れ、われわれの他者を見る目が貧しくなっている、ということだろう。

 この事件がもたらした衝撃は、どんなに歪んだ内面を持っていても、われわれは、子供を無意味に殺したりするようにはキレないという、人間というものへの最低の信頼が揺らいでしまったことだろう。彼が内面を語らなければ、あいつは最初から人間じゃなかったというように思うことができた。そうやってわれわれは犯罪者と自分とを区別してきたのだ。ところが、あれほどの残虐な事件の内面がオカルト教団に入ってマインドコントロールされたからではなく、誰にもあるコンプレックスに満ちた内面にあるらしいと知ってしまったのだ。ひょつとして彼は自分じゃないのか、と日本人はおもったことだろう。

 彼は死刑になるだろうが、確実に日本人にトラウマを残すに違いない。私の感じるすっきりとしないというのは、どうもこういうことであるようだ。

ちょうどニュースで西日本の新幹線のコンクリートが落下したことを放送していた。宅間容疑者が生まれたのは、東京オリンピックの頃、日本が高度成長時代に入った時期だ。その頃から建てられた始めた様々なものが今壊れ始めているのだ。高速道路も、トンネルも、建物も、政治制度も、大学も、人間だって例外ではない。その頃作られ始めた心もまた壊れ始めたのだ。

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