倉庫の中の時評   
                       
                       

ロボットと熊と神様  00.10.17
 先日、NHKでロボットがどこまで進化したかという番組をやっていた。その技術の進歩に驚かされたが、興味を引いたのは、アメリカでは、ロボットが病気の子供や障害者をいやす存在として、実際に使われている例が紹介されていたことだ。ロボットが子供にしゃべりかけると、子供は、大変喜ぶ。ぬいぐるみの人形がしゃべりかけているということと同じなのかどうかよく分からない。ただ、人間の大人がいくら同じようにしゃべりかけても効果はないだろう、ということは分かる。
 今、授業で、川上弘美の小説をみんなで読んでいる。川上弘美のデビュー作に「神様」という短編がある。インターネットの文学賞で新人賞をもらったというやつだ。この小説は、主人公の女性が住むアパートの隣の部屋に熊が引っ越してくるというもの『』だ。この熊は本物のクマである。クマは挨拶にくる。人間のように口をきき、周囲に気を遣う気のいい熊さんなのだ。主人公は熊と親しくなり、一緒にハイキングに行くことになる。熊は、川で魚を捕まえて主人公にふるまったりと、主人公は熊さんと楽しいハイキングの時間を過ごす、というただそれだけの内容である。これを読んでみんなはなんとなく気分がよくなると感想を述べた。
 確かに、「蛇を踏む」などの小説とは違って、これは癒しの小説であるが、しかし、学生は、一様にこの小説の解読になると難しくて悩んでしまう。何故、熊なのか。何故、心休まるのか。何故、熊なのに人間なのか。何故熊なのに誰も驚かないのか。何故題が「神様」なのか。何人もの学生がこの熊はテディベアだと言った。なるほど、そう思わなければこの短編のほんわかした雰囲気は説明できないだろう。
 もし、若い女性の住む部屋の隣におじさんが引っ越してきて、若い女性とハイキングにいったとしたら、どうだろうか、と聞くと、みなそれは気持ち悪いと答える。そうだろう。若い男ならどうか、そうなると、ほんわかした雰囲気はなくなる。人間というのは、とても複雑だ。その複雑な人間とハイキングに行くと、それだけで複雑なことになりかねない。だとしたら、ハイキングに行くだけであったかくなる小説を書くなら、相手は人間でない方がいい。だから、熊が選ばれたんだ、と説明をする。むろん、この熊は、人間の複雑さを切り捨ててもらった人間的な存在でもある。だいたいこの説明で納得してもらえる。
 この説明でいけば熊はロボットでもいい。たぶん、「神様」という小説と、アメリカでロボットが障害児のためのボランティアをしているのとは、ほとんど同じ問題を照らし出していると思う。
 それは、われわれは、人間という他者を介しては、心休まるような関係を作れないということだ。人間を装う熊や人間を装うロボットであれば、そういう関係が作れる。実は、神との関係もそのようなものなのではないか。「神様」という題名について、そのようにも説明できる。人間でないものが、人間を装ってくれると、われわれはそこにいわゆる人間的なものを感じて、心休まる。この原理は、今、現代を生きる個々の人間にとって切実なものになっているのではないか。

現代人は何故『死者の書』を読むのか  00.10.12
 最近必要があってチベット仏教の「死者の書」を読んでいる。オウムの連中がやたらと使っていた言葉がたくさん出てきて、どうも読んでいて変な具合だった。例えばボアなる言葉は、死という過程を経ないで、修行による鍛錬によって、浄土へと転移することだ、ということを知った。オウムのボアとは違っていた。むろん、オウムの使う言葉が、ほとんどパロディーだということは承知のうえだったが、それにしても、オウムはチベット仏教ごっこだったのだと思う。
 オウムに意味があったとするなら、現代人の、死後の世界への探求心を、戯画化してみせたことだろう。オウムはチベット仏教の戯画だが、戯画も立派な宗教だとすれば、むろん、オウムは立派な宗教だった。
 中沢新一は、「死者の書」には、人類の三万年に渡る宗教的な「知」があると言う。三万年、人類は、自己の死を何とか超越しようと瞑想してきた。「死者の書」はその一つの成果であると言うことだろう。その意味で言えば、オウムも三万年の「知」の成果だ。これは、中沢をからかっているのではない。
 死ぬことは徹底して個人的な出来事なのに「死」は共同幻想であると説いたのは吉本隆明である。共同幻想であるから、われわれは死を期待する。「死者の書」は死は喜びであるという。死によって、真性の自己を把握し、輪廻のない浄土に行けるからだ。が、問題が一つある。死ぬということは、個人の問題であることだ。こう考えてもいい。みんなが一斉に一緒に死ぬわけではない。ということは、「死者の書」にかかれてあるような、真性の自己に触れ、輪廻から脱する、光あふれる導きがあるのだとして、この自分にそれは本当に訪れるのか、と誰もが不安を感じるだろう。死ぬ前が孤独であるなら、死んでからも孤独ではないかとやはり思うだろう。仮に、死後の真性の世界への導きを真理だと信じたとして、その真実らしさを、自分がただ納得するということに、どんな意味があるのか、どこかで不安を感じるはずだ。
 例えば、誰々は本当にそのことを納得しているのか、と考える。それは分からない。自分は自分の分の真実めいたものを信じるしかない。とすれば、死後の世界の信憑性は、共同幻想といったって、結局、自分の信の強さに頼るしかない、ということになる。
 共同で生き、共同で死ぬ、というような、生のありかたであれば、自分の個別性と、他人の個別性に垣根を設定しなくてもすむ。が、現代のわれわれには、共同幻想なるものがあるとしても、それを保証するのは、自分の信の強さでしかない、という弱さを抱えている。つまり、どこかで、自分の信は妄想ではないか、という疑問を払拭できない。
 三万年の「知」がこういう問題に解答を与えていたのかどうかは分からない。現代において言えることは、人は誰も自分の信の強さに自身を失っている、ということだ。誰かが、自分の信を評価してくれたとき、ものすごく喜ぶ。その時、妄想は確信に変わる。今にして思えば、そういう現代人の弱さをアサハラはよく知っていたな、と思う。アサハラのやったことは、個人個人の妄想を確信に変えてやることだった。そのやり方は簡単で、自分も同じ妄想を抱いていることを自信を持って語ることだ。弟子は、師匠のその信の強さにただひれ伏する。
 オウムはめちゃくちゃな宗教だったが、「死者の書」のような究極の共同幻想を、現代人が受容する、一つの道筋を示したとは言えるだろう。教義の内容はそれらしければいい。大事なのは、他者の信の世界を巻き込む信の強さなのだ。現代的用語で言えばカリスマというのだろうか。
 現代人が、この難解なチベット仏教の「死者の書」をよく読む理由が何となくわかる。みんな、この書を通して、自分の信の強さを推し量ろうとしているのだ。それは、誰も、信というものを失ってしまったからだし、信の強さが、けっこう大きな発言力を持つことを、普段に目にしているからである。そして、「信」というところによってしか、自分というものと向き合えない気がするからである。 
  
篠原は何故「めちゃ悔しい」と言えないのか  00.10.5
 私と丸山氏が企画している、古代文学叢書「あわいの言葉の生態学」(という題にしようかと思っているのだが)についてい、出版社の方からOKが出た。何とか、出版できることになった。原稿を依頼しているみなさんがんばりましょう。もっとも、一番頑張らなくてはならないのは、この私なのではあるが。
 仕事が山積すると何もやる気がなくなってテレビばかり見ている。テレビは、まだオリンピックのその後を特集している。特に、目立つのは、柔道で、審判の誤審によって金メダル逃した篠原選手のことだ。ほとんどのテレビが、篠原選手に同情し、誤審したニュージーランドの審判の技術を批判している。私も、確かに、誤審だとは思うのだが、私が気にかかっているのは、誤審かどうかではなく、試合の終わった後の篠原選手の声である。彼はインタビューに答えて「自分が弱いから負けた」と語った。そして、悔し涙を流した。(そういうように見えた)。それを見た日本人は、彼のことを潔いと評価した。そして、多くの日本人は、審判に怒り向け、脅迫まがいのメールを続々とニュージーランドに送りつけているという。
 今、冷静に考えるに、彼は本当に潔いのだろうか。潔いというのはどういうことなのか。彼の「弱いから負けた」は、負けを認めたのではなく、弱いから誤審されるような試合をしてしまった、だから、こういう事態になったのは自分の責任だ、という意味であろう。その心情は確かによくわかる。しかし、別な視点から見れば、彼は自分で負けを認めたとも見える。少なくとも、外国のメディアはそう聞いたはずだ。誤審かどうかは試合をしている当人が一番の証人だ。その当人が「負けた」と言っているのだ。少なくとも、本人は抗議はしていない。とすれば、周囲がいくら誤審だといって騒ごうと、負けたことをひっくり返すのはおかしいということになろう。本当に誤審だと思うのなら、その場で、自分は勝ったと抗議すべきであろうし、直接抗議出来ないのなら、インタビューできちんと自分が金メダルだと言えばいい。こういう考え方は、とても合理的で、当然だと思う。
 が、篠原選手はそうしなかった。その心情は、同じ日本人としてよくわかる。しかし、よく分かるから何となくすっきりとしないのだ。彼は、自分が勝ったということを言うのをためらった。それは、日本的な論理では美徳でないと思ったからである。が、問題は、そこからである。彼は、密かに自分の悔しい心情をおもんばかってほしいと、日本人に向けて発信しなかったか。いやしたはずだ。彼は、その悔しい感情を、美徳という名の下に自分の胸に封印した。それは、封印された感情を思いやる周囲の人々との一種の連携プレーである。封印された激しい感情は危険である。それを鎮めなければならない。多くの日本人はそう感じたのだ。だから、彼に同情し、その心をおもんばかり、誤審した審判に怒りのメールを送りつけ、篠原選手を潔いと褒めそやすのだ。日本人の論理としてそうせざるをえないのだ。
 なんだか、このやりかたは陰湿だと思う。私は、情というものを肯定する方だが、こういうのは好きではない。女子水泳で最初に銀メダルをとった田島選手が「金メダルがとれなくて「めちゃくやしい」と叫んだが、こっちのほうがいい。篠原選手は、インタビューに「めちゃくやしい!俺が勝ったんだ。審判は何見てるんだ、あのアホ」と言えば良かったのだ。そうすれば、われわれ日本人はかなり楽になったはずだ。誤審に怒ったとは思うが、少なくとも、彼の悔しい心情をおもんぱかるという負担は背負わないですむからだ。
 しかし、篠原選手には「めちゃくやしい」とは言えないだろうな。そこには男と女の差というものがあるだろうし、水泳と柔道という競技の違いというものもある気がする。

回転寿司的リアリティ 00.10.1
 時々回転寿司の店に入って寿司を食べることがある。寿司は好きだが、普通の寿司屋に入って食べるということをあまりしない。高い、という先入観念と、注文が面倒くさい、というのがある。回転寿司に入る時はほとんど一人である。状況としては、昼食が主で、時間のあまりないとき、脂っこいような食事がしたくむないとき、むろん、そして、寿司が食べたくなったときである。手軽に食べられ、値段も安いので、とても便利である。私は美食家でないので、寿司は、そんなに高級なものでなくても満足は出来るのだ。ただ、回転寿司の店のあの狭い椅子に、隣の人とふれあうばかりに座って、流れてくる寿司を見つめていると、時々むなしくなるときがあるのも確かだ。穂村弘が、「短歌朝日」のアニミズムの特集で、現代都市社会の非人間的光景を「回転寿司的リアリティ」と形容していた。今、回転寿司は、世界の主要都市に蔓延しつつある。その理由が私にはよくわかる。
 回転寿司では、流れていない寿司は、回転している機械の中にいる人に注文することができる。けっこう注文している人もいる。が、私はほとんど注文しない。回転寿司とは、流れてくる寿司を文句を言わずにただ食うところに、その意義があると思っているので、注文までして食べたいものを食べることを潔しとしないのだ。(本当は面倒くさいのだが)
 回転寿司の良さは、店が客の注文を聞かずに、客の好みそうな種類のネタを回転する機械に並べておくところにある。客は、いちいち店の側と注文という対話をせずに、値段の決まった寿司を自由に食べることができる。が、いつも、たべたいものが あるわけでもない。あるいは、誰も手をつけずに、ずっと回れ続けている古くなった寿司があるかもしれないと手をつける事をためらう時もある。
 店の側では、誰も食べないものを流せば味が落ち、客がこなくなり、ますます、誰も食べなくなる寿司が増える、というリスクが計算されている。客の数が少なければ、当然、回転寿司の店はたちまちつぶれる。新鮮さが売り物の寿司を客の誰もいない回転台に流している光景ほど、無惨なものもない。一方で大勢の客が来れば、ネタはいつも新鮮で、客の回転が速いから、利益も上がるということになる。つまり、回転寿司は、大量生産、大量消費を可能にする、効率的消費社会の論理の産物であり、ここでは、商品の生産者と消費者との直接的な関係は成立していない。言い換えれば、回転寿司とは、寿司職人と客との顔と顔をつきあわせたやりとりといったコミュニケーションを排し、大量生産の商品の送り手とその受け手の関係を回転する機械によって作り出すことによって成り立つのである。
 回転台の上を流れる寿司を見てむなしくなるのは、たぶん、自分が、ブロイラーのように機械的に食べているだけではないか、と思うからかもしれない。しかし、私が回転寿司の好きなのは、そこに自由があるからでもある。鮨屋に入って、値段も分からず、店の主人と話をしながら、あれこれ注文するのはあまり得意ではないのだ。限られた時間の中で、誰とも話をせずに、食べたいものだけをその場で自由に選んで、さっさと店を出る、というのがわりといいのだ。
 こういう私の性格は、この都市社会で生きている人なら割合多くの人が共有しているだろう。流行っている回転寿司には、人が大勢いる。けっこう一人だけで来ている。みんな無口だ。回転寿司で酒飲んでる奴はほとんどいない。食べたら、さっさと帰る。みんなじいっと寿司の流れる回転台を見つめている。回転寿司的リアリティとは、言い得て妙だなと思う。こういう光景が世界の大都市に流行っているのも、不思議ではない。

感情的であるということ  00.9.25
 女子マラソンの高橋尚子はすごかった。他の選手と次元が違っていた。自分の肉体やコースの条件、他の選手との駆け引き、全部をコントロールしきっていた。前の日のサッカーで悔しい思いをしていたので、気が晴れた思いだった。みんなそうだったろうと思う。それにしても、こういう人が世の中にはいるものなんだなあ、と感心する。100メートルをぶっちぎりで勝つアメリカの陸上選手も凄いとは思うが、高橋尚子は見た目がすごくないので、人間の能力の不思議さというものを実感させてしまう。
 どうしてか風邪が直らない。日曜(24日)に会合があって無理して出かけたが、やはり、風邪は直らない。月曜の授業は休講にした。
 福島泰樹の歌集「朔太郎感傷」の感想というか書評のようなものを10枚なんとか書き上げる。風邪が直らないのは、これを書いていたせいかも知れない。
 福島泰樹の歌を読みながら、センチメンタリズムというものを思う。福島泰樹の良さは、自分のセンチメンタリズムを抑圧しないことだ。そして、それを声として、しかも、意味にこだわるのではなく、言葉の快感というところまで徹底してしまうところに、良さがある。だれもが本当は、彼のように、声を出したいし、センチメンタリズムを肯定したいが、それができない。それをしたら、自分を超えた広い世界を閉ざしてしまうのではないかと恐れるのだ。なぜなら、センチメンタリズムは、自分に閉じることでもあるから。私は、『言葉の重力』(1999年洋々社)という本で、自分という存在の感情的なあり方をもつと肯定してもよいのではないかと書いた。岡部は、感情を肯定しすぎる、という批判があった。その批判は、感情は冷静さを欠き、普遍的な世界には障害となる、という発想があるだろう。それくらいはわかっている。が、問題なのは、どんなに冷静を装って、感情を抑制して、普遍的なことを言っているように見えて、実は、その普遍的な言葉が、かなり感情に裏打ちされているということなのだ。ただ、それを誰も認めない。むしろ、そのことが問題なのだ。感情的になれ、といっているのではなく、人は、感情なしで冷静に意見など言うことはできない、ということをまず認めろ、ということなのだ。
 意見を戦わせる場合、ある条件のもとでは、感情をセーブした意見が優位になり、ある条件では、感情を強く出した声が勝つ。けっこうみんな使い分けている。知の条件としては、感情をセーブすることが知的と見られる。が、感情を抑制したら話すことなどできない人はたくさんいる。そういう人の、例えば涙ながらの意見を、われわれはどこかでまともに聞いていない。冷静にものを語れない人は、それだけで、ものを言う資格のないような雰囲気がこの社会にはある。
 たぶんに、言葉の感情的な表情がそぎ落とされるのは、われわれの住む世界が、拡散し、一人一人が孤立したために、言葉が感情という重しをまとっていては、とても、われわれの社会を飛び交う言葉の条件としてふさわしくないとみんなが思っているからだ。感情が伝われば、そこにある共感的な世界が形作られる。が、その共感的な世界を煩わしく重荷と感じるのが、現代であろう。
 言葉が感情的になるのは、自分の伝えたいことが他者に伝わるその時間や距離感を我慢できないという、切迫感による。その切迫感は、話し手の疎外感や、社会の中での話し手の位置に由来することが多い。そういう切迫感を、冷静さを欠いた言葉として切り捨てるとき、われわれの社会はかなり歪んでしまっている。
 福島泰樹の短歌の、あの感傷的で叫ぶような言葉は、まさに、切迫感そのものだという気がする。彼の「絶叫コンサート」が、20年続いているのもよくわかる。ほとんど同じ歌をあくことなく聴くものがいるのは、切迫感に満ちた、感情的な言葉を味わいたいからだ。

 歌の力 00.9.21
 祝・日本サッカーチームの決勝T進出。それほどのサッカーファンじゃないが、あれで決勝トーナメントに出られなかったら、可哀想だった。よかったよかったというところか。
 20日締め切りの歌垣の言葉論という原稿を20枚、俳句の言葉論は4枚ほどだが何とか書き上げた。実は福島泰樹の「朔太郎感傷」という歌集の感想を10枚ほど書き上げなくてはいけないのだが、風邪を引いてしまった。
 今日、後期の授業開始。薬のせいかほとんど意識朦朧になりなが講義をしていた。来週から、本格的に授業だというのに、さきが思いやられる。
 ビデオは、ロバート・アルトマンの「クッキー・フォーチュン」を観る。渋い映画だがなかなかいい映画だった。アメリカ南部のだるい雰囲気と、ささやかな狂気のバランスがなかなかいい。
 歌垣の言葉論では、記紀歌謡の、シビ臣とオケ命との大魚(オフオ)を争う、悪口歌の掛け合いについて論じてみた。よく、歌垣の資料として利用されているところだが、よく、考えると、この掛け合いは、女をめぐる男と男との歌の掛け合いである。実際、男と男の掛け合いが、歌垣であったのかどうか。実は、今まで、あまりそのところは深く考えられていない。中国の少数民族の例でみると、モソ族では、逆に一人の男をめぐって女と女とが悪口の歌を掛け合うという(遠藤耕太郎の調査による)。
 まあ、女と女が掛け合うという例があるなら、男と男の掛け合う例があってもおかしくはないな、とは思う。歌垣の基本的な掛け合いの対立構造は、男と女であろう。そこに、女対女とか、男対男という対立の上で歌の掛け合いがあった、と考えられるとすれば、それは、人と人との様々な関わり合いを歌で行う、豊かな歌文化があるからだ、という以外にはない。
 リス族では、新婦が実家に逃げ戻ってしまつた場合、夫の側の家のものが新婦を取り戻しにいく。当然、そこで争いになり、調停裁判ということになる。その裁判を歌で行うという。遠藤耕太郎の話では、山深い所に住む白族のある村では、離婚届けを役所に出しに行く夫婦が、その道すがら歌を掛け合っていたという。
 歌ってなんなんだろう。こういう事例を聞くと、そう思うことがある。オリンピックの開会式も、歌が随所に出てくる。一人のうまい歌い手が歌い出すと、みんな黙って聞く。歌がうまいということは、例えば、裁判を歌ですれば、裁判に勝つということだ。人間は歌に弱い、ということは確かなようだ。
 それにしても、夫婦げんかを歌でやる、ということを考えると、これはなかなか楽しい。相手があまりにいい声で歌ったのて゛思わず聞き惚れてしまったらどうなるのだろう。
  8月の終わり、NHKの「地球に乾杯」という番組で、バングラディシュの、シルピーと呼ばれる放浪の歌い手の特集をしていた。たまたま、中国の昆明でこの番組を見て(いいホテルではNHKを見ることができる)感動した。シルピーは、日本で言えば放浪芸人。村から村へと渡り歩き、歌うことでお金をらう。村人は美しい声の歌い手が来ると、涙を流して聞き入る。
 歌の力とはいったいなんなんだろう、と、このところずっと考えている。

プロレスとアマレス 00.9.17
 16日は「ふ」の会。エリアーデを読んでいるのだが、レヴィ・ストロースとラカンの勉強会という趣であった。ここで、話題になったのは、シャーマンとシャーマンによって治療される病人との関係と、精神分析家と患者との関係の相違だ。それから、歴史的な視点は、例えばシャーマニズムのような呪術宗教をどう記述するか、という問題。
 前者の問題は、いずれにしろ、治癒するものと治癒されるもの(レヴィ・ストロースの言い方では意味するものと意味されるもの)との関係が、社会から閉じられることを条件とするだろう。が、シャーマンと病人は、社会に潜在する神話的世界にその関係をひらこうとする。病人の無意識は、社会の、あるいは歴史のと言っていいが、無意識につながっているというように誘導していく。いわば、病人を共同体的なもしくは社会的な存在(神話的に了解された世界であるが)に帰一させる。それが治癒である。
 精神分析家と患者は、その閉じられた関係を決してひらこうとしない。逆に、精神分析家は、患者の内的な世界を決して社会に公にしないことを条件に、患者がその内的な神話世界を自由に語るようにすすめる。その違いは何か。精神分析家に話をする患者は、二人の関係の内部だけで、社会を生き直そうとする。二人を囲う壁の外側に出ようとはしない。精神分析家は、二人の関係の内部に作られた世界で、擬似的にであれ社会性を患者が身につけたとき、治癒したとみなす。が、壁は超えられているわけではないので、本当は治癒していない。
 歴史のある段階で、個と社会とが決定的にずれてしまったとき(近代に)、言い換えれば、個の内部を公に語ってはいけないものとみなされたときに、たぶん、精神分析家と患者の関係は成立したに違いない。だから、この関係自体をどうやって壊すか、という課題を精神分析は必ず孕む。しかし、これは矛盾した行為だ。患者を囲いながらその囲いを壊すなんてそう出きることではない。ラカンの難解さは、これは私の想像だが、この無理を引き受けようとするところにある。それ以上のことは今のところ言えない。
 シャーマニズム的な世界を、歴史としてどう記述するか、という問題は、こう考えたらいいだろう。これはアマチュアレスリングとプロレスの違いなのだ。アマレスの勝負の判定は第三者に非常にわかりやすい。両肩がつけば負けというようにその勝ち負けの判断は客観的である。だが、プロレスはそうではない。むろん、両肩をつけてワンツースリーというものあるが、必殺技を決められ、マイッタマイッタと一方が降参することで勝ち負けのつく場合がある。このマイッタマイッタというのがアマレスと大きく違うところだ。なぜなら、何処でマイッタマイッタというのかは、その勝負している当事者に任されているからだ。例えば、あるプロレスラーが異常なほどの忍耐力を持っていて、必殺技をかけられても決してマイッタマイッタと言わなかったとする。客観的には、負けは明らかなのかもしれない。がルールに定められた負けの形を取っていない以上、負けと判定することはできない。その時、観客はどう考えるか。この勝負自体が、勝負という次元を超えてしまっていることに気づくのだ。これは、当事者の個人の限りない可能性もしくは死につらなるような覚悟だけがそこに顕現されいて、その成り行きを固唾を飲んで見守るしかどうしようもないのだ。アマレスは、勝敗という次元が壊されることを排除する厳密なルール、すなわち客観性によって保証されたゲームだ。だが、プロレスは、その客観性の保証を裏切って、当事者のそのはかりしれない世界(それは死そのものと言っていいかもしれない)を現出させるところにおもしろさがある。アマレスは、だから、あまりおもしろくない。
 さて、歴史家による歴史的視点というのは、アマレスのレベルで対象を扱うことである。が、シャーマニズムといった対象というのは、プロレスなのだ。勝ち負けを競う勝負でありながら、どこかでその次元を超えてしまう瞬間をいつも抱え込んでいるのだ。シャーマンの行為は、客観的にはどうとでも言えるが、ふと限りない深さをみせつけ、ただ見守るしかないという立場に観察者をたたせてしまう。そのおもしろさを無視し、アマレスのようにあつかえば、シャマニズムを論じることはたぶんできない。これは、文学という対象を論じる時にも同じく言えることである。

神経症にかかった縄文人  00.9.13
 三日前、用があって、近くのデパートの駐車場に車を入れた。その駐車場代はデパートで二千円以上の買い物をすればただになるので、本屋にいって、目についた新書を4冊ほど買った。「ユング オカルトの心理学」(講談社α新書)、「縄文農耕の世界」佐藤洋一郎(PHP新書)、「大学崩壊」川成洋(宝島新書)、「アイヌ歳時記」菅野茂(平凡社新書)である。「アイヌ歳時記」は今読んでいるが、他の三冊は読了した。その前に、中国から帰ってきてから二日ほどで、福田和也「甘美な人生」(ちくま学芸文庫)を読んだ。実は、20日までに短い原稿を三本書かなくてはならないのだが、なんとなく、書きたくなくて、本ばかり読んでいるのだ。
 「甘美な人生」は話題の本であったが、おすすめは柄谷行人論であろう。柄谷の方法をこれほど断定的にしかも批判的に言い切った文を初めて読んだ。柄谷に何となく違和感をもっているのだが、それをうまく説明できないでいる人には、読むことをすすめる。
 著者の思考は私とちょっと似ているところがある。それでとても読みやすかった。似ているところというのは、価値の判断基準をつきつめるとき、普遍的な「モラル」に返すことに慎重である、というところだ。あるいは、どこかで、人間の過剰性、暴力やエロス美、という領域をいったん通過させない、知の問題に惹かれない、ということろだ。
 ただし、私が著者と違うのは、それが、著者のように、「美」というところに簡単に上昇しないところだ。私は、むしろ、人間の無意識の方へ向かう。あるいは、生活している時のただの生そのものに向かう。そこにある、暴力や美やエロスに関心が向く。だから、シャーマニズムに惹かれるのだし、民俗的な心性に関心が向く。著者のような日本的「滅びの美」などどうでもよい。
 「大学崩壊」は駄本であった。「ユング オカルの心理学」と「縄文農耕の世界」それなりにおもしろかった。
 ユングはこう言う「合理主義的な考えは、神経症の徴候と同様に歪められた考え方からなり、歪められた考え方が正しい考え方に取って代わるのである。心理的に正しい考えは、心情、つまり心の奥底の主根との結びつきを保持する。なぜなら、意識が開化していようといまいと、意識の有無を問わず、自然は死の準備をするからである」。ここにユングのある徹底した確信を読んだ気がする。合理主義、あるいは意識は、それ自体ですでに病(神経症)なのだという確信。ハイデッガーは、死を排除しきれない意識に実存の根拠を置いたが、ユングに言わせれば、それは神経症、ということになる。
 さて、「縄文の農耕」で、佐藤洋一郎は、縄文時代からすでに栽培農耕ははじまっていた、と説く。栽培農耕とは何か。そこで彼はこういう、合理主義だと。確かに、野生の植物からの採集より、栽培による農耕には、合理的な判断が必要だ。ということは、すでに縄文時代から、「神経症」は始まっていたということになる。栽培を始めたとたん、人間は、穀物が実ろうが実るまいが、それは自然の摂理だとは思えなくなる。人為的な行為もしくは意識を働かせた分、その効果が無駄になることを恐れる。つまり、不安が生まれる。
 神経症にかかった縄文人はどうしたろう。当然、神にその不安を鎮めてもらったはずだ。栽培を始めたときから、人は、多くのあるいは強力な神を必要とし始めたに違いない。つまり、ユングが対象とする、無意識の心理学は、すでに縄文時代から始まっていたということになる。
 この種の神経症は、中国の少数民族にも見られる。彼らが神の声を必要とするのは、自然を耕し、そこに計画的な栽培をしているからに他ならない。
 こういう神経症は、都市社会に住むわれわれの神経症とはずいぶん違うように思えるが、たぶん、原理的にはそう違わないのではないか。死を勝手に受容していく根源の無意識と、死の受容を拒否する合理主義(意識)とのずれに神経症の原因があるとすれば、そのずれ自体は、そう変わらないだろう。ただ、われわれは、そのずれに対して、あの手この手を尽くす。実に様々な対処法を考えてきた。そこが縄文人と違うところか。だが、そのずれを埋められないから、そのずれを、暴力とか美とかエロスとか言い換えて、人間というものの本質であるかのようにみなす。私にもそういうところがあるが、福田和也の本は徹底してそうだった。

 
中国帰国報告 その2  シャーマンに会ってきた 00.9.10
 中国の農村は、実に奥が深い。特に少数民族の農村には、まだ神々が活躍している。別ないいかたをすれば、神々が必要とされている。今回は、イ族と、白族(ぺー族)の村落の調査であったが、特に、白族の村落のシャーマン、シェンポオにに会うことが目的だった。その目的は何とか達せられた。(去年村の人の発音でシェンパオと聞いていたので今までシェンパオと記していたが、正確にはシェンポオ。漢語で神婆のこと。)
 白族の村落には、イ族のように村の宗教をいっさい司る、ビモというような中心的宗教者は存在しない。本主廟という村の中心的な神社があって、そこには観音や道教の神々などがまつられている。また、道教の神や孔子をまつったお寺がある場合もある。それとは別に、土地や山神、水の神もまつられている。これらの神々を村人は必要としているが、その神々と村人の間を取り持つのは、ビモのような特定の宗教者ではなく、シェンポオと呼ばれるシャーマン、もしくは、そこまで霊的な能力がなくても、呪術的な力をもつ人である。特に、特殊な力を持つ人とは、ほとんどが村の女性であり、彼女たちは、必要があれば、村人の求めに応じて、それらの神の声を語る。また、彼女たちの中に、祖先(死者)の声を語るものもいる。
 つまり、特定の修行や世襲によって継承される宗教技術によってでなく、白族の村では、あるゆるやかな条件のもとで村人誰にでも(むろんそれなりの条件はあるが)起こり得る、神がかりを通して、神との交信をしている、ということになる。
 イ族よりは白族の村落のほうが日本の村落とよく似ている、と言えるだろう。ただ、日本の場合、カミツケにしてもイタコにしても、巫者は共同体から距離をとるが、白族の場合は、最近は迷信だとして煙たがられることはあるにしても、少なくても、村落の内部で、共同体の一員として生活している。それだけ、巫女の存在が共同体の中に溶け合っている、ということになろうか。
 神の声を語るシェンポオ達の声を聞きながら、私は、人は何故、こんなにも神の声を聞きたがるのか、と改めて思わざるを得なかった。山深い、歌垣の祭りの会場で、神の声を語る老シェンポオの声(歌)に村人は聞き入り涙すら流していた。これは、信じるとか信じない、という問題なのではない。感じる感じないという問題なのだ。近代的な解釈を加えれば、神の声を聞く村人は、自分たちの意識の奥底の闇をのぞき込み、日常の生活では把握出来ない、自分や、家族の、生の全体を、知り得たような気がしたのだ。日常の生活がもたらす苦痛など、瞬時につまらないものに変えてしまう、超越的な世界を魔術的とも言える方法で味わった、と言ってもいい。
 白族の村では、どうやら、神の声はいつでも聞くことができる、ということであるようだ。その声を媒介するものたちが、たぶんに身近なところにいつでもいるのである。神の声が共同体全体の所有になっている、ということである。神の言葉がビモという特定の宗教者の所有になっているイ族とは、そこが違うところだ。
 が、そうだからこそ、その神の声は、文化的表象として公的に引き出してくることが困難なのである。その声は、あくまでも、いかがわしいものらの私的な詐術に過ぎない、と解されても、それには反論できないのである。だから、白族では、表向きには、そういう巫者の存在を外部の人達に隠す。それを、人間の普遍的な宗教文化の問題として考えようとする視線はない。
 たぶん、この傾向は健全ではない。神の声を聞きたがる必要性は、高度に近代化しても簡単にはなくならない。なくならないのに、それを消すことが近代化だと押し進めれば、神の声は、人間の心に隠され、歪んだ状態で伝承され、時々社会の歪みそのものとして社会の表に噴出する、ということになる。現代の日本のようにだ。白族の神の声がそうなるのも、おそらくは、時間の問題である。
 
中国帰国報告 その1 民俗調査の難しさ 2000.9.5
 中国から帰ってきた。25日間に渡る滞在で、二つの村と二つの歌垣の祭りと、それから、雲南大学での「中日比較民俗文化シンポジウム」なるものに参加した。調査は、とても満足のいくものだった。ただ、トラブルも多かった。車が川を渡ろうとして川にはまり、動けなくなることもあった。
 今回は、中国での調査の難しさを思い知らされた。そのことは後で書いていくつもりだが、一つは、民族問題。少数民族の調査は、この中国側の民族問題の政治的力学に影響されることがある。今のところ、われわれはにはそういうことはないが、民族問題を抱えている少数民族の調査にかかわれば、調査自体が政治的な行為に見られてしまう。これはいつも肝に銘じて置かなければならないことである。実際、この問題で、公安に調べられた日本の学者の話を聞いた。
 それから、何故「民俗」を調査するのか、という問題。実は、このことが今回われわれにひっかかってきた。白族の村に入って、シェンポオ(神婆)というシャーマンの取材をしたとき、調査に入った村の書記や村長が、われわれが迷信を調査していることに難色を示している、ということを知り、その村での調査を断念せざるをえない、ということがあった。もし続けたら公安に連絡され、取材のフィルムは没収ということになりかねなかった。
 中国では、経済開放前は、村の民俗宗教に関する調査は禁止されていた。それらは迷信であり、遅れているものの象徴であったのである。特にシャーマンに関しては、いまでも迷信だとする考え方が、役人にはある。開放後は、調査出来るようにはなったが、役人レベルではまだ抵抗感がある。特に、民俗調査というものを彼らは、自分達の文化を対外的に宣伝することだと位置づけている。だから、歌垣のような文化は観光に役立ち取材を歓迎するが、シャーマンについては、迷信調査であり、自分たちの遅れている部分を宣伝されることになり、警戒するのである。
 雲南大学での「中日比較民俗文化シンポジウム大会」で、最初に、雲南大学の書記が挨拶をした(ちなみに、書記は雲南大学での党組織の長、学長より実質的に権力をもっている。)。彼は、柳田国男の言葉を引いた。その言葉は「何故、農民は貧なるや」であった。つまり、民俗学は、貧しい農民の救済のためだという柳田の言葉を強調することで、中国における「民俗学」を位置づけたのである。むろん、柳田の考えは、もっと深く、「貧なる農民が」自分を知らなくてはその貧から開放されない、そのために、民俗学という学問の必要を説いたのであって、より直接的に貧の救済を説いたわけではない。が、書記にとっては、問題は、貧の救済という政治的にも受けのいい言葉が必要だったのである。柳田の真のねらいなど彼にはたぶん知る必要などなかったろう。
 書記の姿勢は、村落の村長や書記にも一貫して貫かれている。従って、われわれの調査が、彼らの貧からの脱却に差し障りがあるとみなすや、彼らはわれわれの調査を警戒する。今回、われわれはこのような背景のもとで、警戒された。
 われわれは、彼らに、たとえば、レビィ・ストロースのように、やがてあなた方も近代化し自らの文化を失う、その時のその文化はわれわれの調査記録の中にしかない、と言えばよいのであろうか。これは難しい問題である。
 ただ、実際、村の人達は、われわれに親切に付き合ってくれる。その親切な彼らと付き合いながら、彼らが、彼ら自身の文化を保持しながら、豊かになればいいなといつも思う。しかし、近代化は、時に、ドラスチックに、ブルドーザーが緑地を切り開くようになされることは歴史が教えている。シャーマンの文化を今のところ彼らは必要としているが、近代化は、たぶん、彼らに、それは残すべき文化ではないことを突きつけるだろう。その時、彼らはどうするのか。それは、彼らが決めるべき問題である。その判断に一役買おうなどというおせっかいなことを考えてはいない。
 ただ、われわれが彼らに影響をあたえてしまうとするなら、その時は、あなた方の文化は、日本の一部の人達にとって、とても大事な文化として話題になり、記憶にとどめられていますよ、ということを、言うだけだ。もし、それに刺激されて、彼らの誰かが、自分たちの文化を自らの手で知ろうとしたとき、われわれは、われわれの調査も、悪いことばかりではないと、少しは慰めることができそうな気がする。


何故「死者」の声を生者は聞くのか。  00.8.7
 何とか8月に書かなくてはいけない原稿を書き上げ、ようやく、明日出発できるところまでこぎつけた。出発の準備も一段落して、ビデオ「シックスセンス」を観る。結末を人に言うな、と最初に字幕が出る。見終わって、なるほど、こりゃ、人に言ったら、その人は、この映画を観てもつまんなくなっちゃうな、という気がした。だから、まだ観ていない人のために、この映画について語るのは止めておきます。それにしても、久しぶりに脚本のうまさに脱帽した映画でした。この見事さは、「ユージュアルサスペクト」以来かな。
 このシックスセンスとは、死者と話が出来る少年の話なのだが(これくらいはみんな知っている)、実は、こんど調査に行く、白族の村には、シェンパオというシャーマンがやってきて、死んだ人の霊を呼び、その人が誰に生まれ変わったのか、言い当てることが出来るという。日本のイタコみたいな巫女と考えればいいだろう(むろん、イタコは生まれ変わりの人を言い当てることはしないが。
 それにしても、何故わざわざ死者を呼び出すのか。授業で、イタコのことを話すとき、何故、死者と話をする必要があるのか、と語ることがある。私は、それを未練という言葉で語ることにしている。死者は、この世に未練がある。その未練とは、家族や、共同体の中で、その死者がうまく生きられなかった、ということではないか、と思う。イタコの語る話を聞いたり読んだりすると、結局、死者はうまく生きられなかった事を、その家族や共同体の人達にくどくのである。
 死者の話を聞く生者もまた家や共同体でうまく生きられないでいる。家や共同体で生きることが、世代間でそれほどの変化のない時には、死者の語るくどきは、生者の直面する困難とほとんど重なるから、生者の心の奥に届いてしまう。生者は、死者が今の自分をどこかで見ているのだと思ってしまう。
 このことは、われわれが今うまく生きられないでいることそのものは、われわれが死者という外側の存在になってからしか、それれに向き合うように自分に語ることのできないことを教えている。これほど、今の自分のうまく生きられなさというのを知ることは大変なことなのだ。人々は、この解決を死者に託す。正確に言えば、死者の声を語るシャーマンに託す。
 考えてみれば「シックスセンス」もまた死者の声を聞くシャーマンの物語であった。少年は死者の無念話を聞く。おっと危ない、これ以上話すとやばい。
 別に選択しているわけではないのだが、どうして、こうも、私は、シャーマン関係の本や映画に行き当たってしまうのだろう。いや、これは、時代の問題なのかも知れない。本当は、世代間の生活が激しく変化する時代では、死者のくどきは、生者の心に届かないはずだ。なぜなら、その死者のうまく生きられないという事態は、新しい世代には、解決されたか、古くさいものになってしまってたいるから。生者の悩みを解決するのは、生者でしかない。これが、現代的なのだとすれば、われわれは、死者を必要としない。
 が、本当にそうか。それにしては、何故、現代には、こんなに死者が満ちあふれているのか。
 改めて、人は、何故、死者の声を聞こうとするのだろう。こういう問を抱えて、死者の声を語る少数民族のシャーマンに会ってきます。でも別に約束しているわけじゃないので、会えるかどうかはわかりません。運が良ければ、ということです。
 それでは、9月に、中国の報告をします。しばらく、この時評も休みです。
 
 「文学」はどうなるのだろう? 00.7.31
 暑い。暑い。8日には、中国に出発しなくてはてけないので、それまでに書かなくてはいけない原稿があって、また暑い。そうだ、前期の成績をつけなくてはいけない。仕事に夏休みはないのだ。勤め先の委員会だって、出発前にちゃんとあるのだ。
 最近、新しい学科案や学部案を考える機会が多い。特に、今の短大の将来や、日本文学科の行く末を考えると、何らかの改革はやらざるを得ないのだ。そういう話になると、決まって、もう「文学」はだめだ、というような声が出てくる。客観的に見れば、「文学」の需要は、少子化による影響以上に確かに減っている。だから、「文学」という名の、学科や学部が消えていくのは、需要と供給の関係からいって当然なのであるが、ただ、そこに競争原理や資本主義の原理が少しは働いているなら、努力次第では、需要は掘り起こせる。問題は、そういう努力が可能なのかどうかなのだと、だいたいの議論は向かう。
 考えてみれば、大学の国文科はほとんど、作品論か作家論のための研究講座だった。だから、時代区分ごとに専門わけされ、教員と学生が振り分けられてきた。だが、今、国文科を悩ます最大の問題はこの時代別の分け方なのだ。
 まず、文学というものに対する、人々の関心の示し方が、作家、作品というものだけではなくなってきた。本屋に行けば分かるが、作家論、作品論の国文関係の棚は、時代区分もできないほど小さくなっている。これを見るだけで、大学の国文科がそのうち消えていくのは何となく分かる。
 これからの文学部は、時代別も作品別ではなく、「文学」というおおざっぱな枠の中で、教員の個別的なテーマに即した分け方になっていくだろう。ある教員は「文学における死生観」がテーマだったら、別の教員は「文学における貧乏について」とか、宗教観とか恋愛観とか、そういう分け方に応じて、講座の種類が分けられて行くようにならざるを得ないだろう。
 つまり、いままでのような時代別、ジャンル別、作家別の専門性とは、ある限られたパイを効率よく配分するための分け方であり、その分け方が研究者にとって必要とされたからでは決してなかった、ということが、研究者にとって重くのしかかってきたのである。文学の研究者とは、見られ方としては、自分の専門性についてただ詳しい人、という以外の何者でもない。自分に割り当てられた研究ジャンルについてただ人より詳しく知っているだけ、というように見られているのだ。
 テーマ別というのは、研究者の、自分が属す世界もしくは人間への関心のあり方によって分けられていくことである。割り当てられた分野を通して、そういう関心を、どれだけ普遍化させてきたか。旧いシステムの中に育った研究者は、今、その努力の結果が問われている。
 人よりたくさんのことを知っている型の教養から、ようやく、現在的な課題への問題解決型の教養へと、文学という領域も変化し始めたということだ。それに応じて、大学の文学部もしくは文学科も変わらざるを得ないのだ。
 おそらく、「文学」は、一方で、創作や表現と、社会の文化資産もしくは商品化された言語表現の、プレゼンテーション、あるいは、体系付け、整理といった、編集、メディアにおける表現方法や書誌学的な分野、そして、基礎的な読解、実証的研究、というように、多様化されるだろう。言い換えれば、解釈研究、というだけの従来の「文学」は大学から消えていくのだ。
 文学は決して廃れているわけではない。むしろ、言語文化としては、その価値を増しつつある。例えば、インターネットなどで膨大に流通する言葉の文化は、文学的な表現を基礎としているものが多い。文学的表現が、われわれにとって特別な教養ではなく、それを使って、生活を楽しみ、コミュニケーションするものへと一般化されたのだ。とすれば、その質を落とさないための、基礎的な教養としての文学表現、創作、知識への需要は高まるだろう。各大学に表現学科なるものが出来つつあるのは、それを物語る。一方で、「文学」という対象は、社会科学と違う方法での、世界の解読であり、思索である。世界を人間をより深く解読したい欲求への直接的な解決として「文学」は有効である。そのためには、人よりたくさん知っている型の「文学」教員は必要ない。
 さて、文学研究者の御同輩、この時代に耐えられますか。私は、今まで、いい加減な文学研究者で、人より知っている型の論文がうまく書けなかった。だから、そういう型の人の時代じゃなくなったというのは、少しほっとはするのだが、だからといって、自分が、どれだけ、テーマをもっているかは、心もとない。ひょっとすると、今までも、これからも私は必要とされないかもしれない。が、なんとかうまくやってはいくだろう。今までだってなんとかやってきたのだから。
 ただ、最近、学部、学科改組の計画などを練りながら、つくづく、文学も競争原理から逃れられないということを思い知った。私のテーマでは、「文学」は、競争原理が作り出す価値観に抗する文化であると思っているのだが、その「文学」を教える側も、教えられる側も、結局は、競争原理の対象として「文学」にかかわるのだ。
 が、このパラドックスは、社会を生きることの本質的なパラドックスだ。そう思うしかない。文学の価値とは、人との競争をもたらしながら、その競争がもたらすマイナスを全部消してしまう瞬間があることだ、と思うしかいない。私は、結構勘だけは鋭いので、今、私が関心を抱いているテーマは、だいたいそういう瞬間を味わう分野に向いているはずである。
  
自分探しの果てに現れる神
      田口ランディ「コンセント」を読む
  00.7.27
書評と読書案内のコーナーへ移しました。

境界領域に立てこもるという戦略 00.7.24
 椎名林檎とCOCCOの歌詞を取り上げたら、岡部先生が二人の歌を聴いているなんて驚きだとか、岡部先生は若いとかという反応がいくつかあった(見た目よりは一応若いつもりですので)。おもしろいと思ったのは、二人の歌はよく聴いているという反応が複数あって、どうやら椎名林檎が好きな人はCOCCOも好きらしいということだ。
 何となくわかる気はする。私の言い方で言えば境界領域的感性に立てこもるような歌い方は二人とも共通していて、その境界領域に引き込まれることを願望するものが多いということだ。たぶん、私もその一人と見られているらしい。が、同世代の女の子達が二人を好きなのと私が二人を好きなのとはたぶん違うだろう。はっきりいって、私は境界領域に引き込まれるような感性をあまり持ち合わせていない。それほど繊細ではないのだ。ただ、好奇心によって、そのような雰囲気を理解はできる。
 ただ、私には、この現代を生きていることの逼塞感、そこからの抜け出し方への切実な願望や、もうどうでもよくなって境界領域の中にたてこもって「死」を考えてみる、というような危なさが、少しばかりある。これは、私の若さというより、「もろさ」といったものだろう。
 が、この「もろさ」は、実は、われわれのある面での共通の心の具合ではないのか、とも思う。自立し個として生きることは、われわれの当然の目標だったし、価値観として色あせているわけではない。しかし、どうやら、現代のわれわれの感性は、なるべくなら自立したくないし、個として生きたくもない。それはかなり面倒で、そこまでして生きるならいっそ病気になって、自立する条件を自分から奪ってしまった方が楽でいい、とどこかで思っているのではないか。
 たぶん、自分にもそう思うところがあるし、知人の中には、それを実践している奴もいる。
 不幸な考え方だと言えばそうかも知れないが、そうしなければ身を守れないという「弱さ」をわれわれは抱えているのも確かである。特に、今の時代は、「私」というあいまいな存在を許さない。いつも明瞭な何かの役割の中に存在することを強制され、その役割を巧みにこなせなければこの世に生きる資格のないような気分をペナルティとして与えられる。五十歳になってもそうなのだから、十代、二十代のプレッシャーはそうとうなものだろう。
 人間の社会は、弱者、病者を排除しないで面倒見る、ということで、社会というものの基本的なシステムを作り上げた。助け合いを家族という最小単位にしか置かない動物の社会とそこが違うところだ。われわれが社会的な存在としての人間であり得る最低の条件は、弱者をほうっておけない、ということであるはずだ。今、多くのものが、自ら弱者や病者になって、この社会的存在である人間の最低条件が、存在しているのかどうか試している気がする。というより、この社会のシステムが壊れてしまったのかもしれないことの確認かもしれない。
 あるいは、弱者、病者を排除する社会では、実は、誰も生きられる筈はないのだ、ということをリアルにまざまざと見せつけ、あるいはそれを演じて見せる、という無意識の戦略が、われわれの一部にはある、とも言える。いずれにしろ、それはとても危険な戦略だ。それこそ、みんなが「狂気」であり、「弱者」であり「病者」になってしまうかも知れないからだ。
 が、これらの心の具合が、戦略として機能しているうちは、まだわれわれは健全なのだ。そこには、社会に対するメッセージがあるからだ。このメッセージがなくなって、本当の独り言になつてしまったときが、われわれの終わりということだろう。
 とにかく、椎名林檎とCOCCOの歌を聴いて、そこまで考えてしまったのである。

こっこの歌詞は……… 00.7.18
例えば、こっこの新しいアルバム「ラプンツェル」の歌詞は、ほとんど「傷」の歌だ。自分が傷ついてしまう、傷つけられてしまう、傷つけてしまう、というように。

手を伸ばせば
その髪に
爪を磨けば
届きそう

ねじるように
捕まえて
飛び散るまで
目をあけて

誰かわかる?
わかるでしょう?

……………
……………
傷には雨を
花には毒を
わたしには刃を

嘘には罰を
月には牙を
あなたには報いを
    (「けもの道」より)

 こんなすさまじい詩をよく書くもんだ。これは、ほとんど、うまく生きられない少女の、自殺願望の歌である。このような、病者の叫びのような言葉は、沖縄のカミダーリ(巫病)を思わせる。自分が叫んでいるのか、寄りついた何かの霊が叫んでいるのか、判然としないのである。ただ、確かなのは、これらの言葉を発する声の主体が、作詞者であるこっこであるということだけであって、その声がどこから出され、何処へ向かうのか、作詞者自身にも把握出来ていないような言葉になっているということだ。

あなたの歌が
きこえないように耳をふさいだ
あなたの指が しみついたままで 遠くへ
からまる舌を
切り落としたのはあなたじゃなくて
もつれた腕に 爪を立てたのは
今さら 水面に歪む影

さぁ 私は何処へ?
      (「水鏡」より)

 この歌詞のあなたは人間でなくてもいい。つまり、こっこは、他者(同じ境遇にある人間)に向かって言葉を発していない。自分に向かっているわけでもない。無意識とでも神とでもいうしかないものへと向いているのだ。
  たぶん、この何かに「向いている」という感覚だけを歌いたくて、このようなすさまじい詩を歌っているのではないか。その意味では、詩は、過剰なほどにエロス性を湛えているが、むろん、このエロス性が発するのは「死」である。それにしても、何で、最近の少女は(とりあえずこっこを少女として扱っておきます)、「死」という向こうに「向いている」言葉が好きなのだろう。
 椎名林檎の歌詞は、孤立した情緒と考え、それ故に、言葉が不揃いの積み木のようになってしまうと考えた。こっこの言葉は刃物である。それ自体暴力性を帯びて、「死」へ傾斜しかねない危うさを抱えている。
 言葉によって「境界」領域に立とうとしているといったらよいか。

暖炉に火を入れて
あなたを飾る 銀色の釘 打ち付けて

骨も皮も剥ぎ取って 甘く甘く滴れば
骨も皮も剥ぎ取って 毎日見つめて接吻を

白く白くどこまでも 深く深く愛している
白く白くどこまでも 毎日こうして祈っている
             (「白い狂気」より)

 ちょっと間違えば、アメリカ映画によく出てくる連続殺人犯である異常人格者の歌になってしまう。ここまで、病や狂気を装わなければ表現できない世界を抱え込んでいる、ということであろう。
 それにしても、こういう歌が女の子達に支持されている、ということにあらためて驚かされる。彼女達の感性はもうここまできちゃっているのだ。つまり、「境界」に立とうとしているのだ。そういう位置に立たなければ、現在の生のある実感は掴めないのだ。こっこの歌は、そのことをよく伝えているように思う。

椎名林檎の歌詞がおもしろい 00.7.16
最近、歌詞がおもしろい。例えば椎名林檎。『無罪モラトリアム』の「丸の内サディスティック」の歌詞の一部

最近は銀座で警官ごっこ
国境は越えても盛者必衰
領収書を書いて頂戴
税理士なんて就いて居ない 後楽園
将来僧になって結婚して欲しい
毎晩寝具で遊技するだけ
ピザ屋の彼女になってみたい
そしたらベンジー、あたしをグレッチで殴って

言葉がおもしろい。異種の言葉が次々と投げ出されるのだが、興味深いのは、それぞれのセンテンスが孤立していることだ。
サディスティック」なイメージを作り上げようと言葉が奉仕していない。かといって、サディスティックなノリを言葉ははずしていない。なんていうのか、これは、言葉の積み木遊びのようなものだ。同じCDに「積み木遊び」という曲がある。

嗚呼 しくじった しくじった まただわ
 YOU KNOW HOW MUCH I LOVE IT
嗚呼 くやしけり くやしけり ようやく
友好 傍若孫婦人

問題は、この言葉の積み木遊びが、「遊び」じゃなく、せっぱつまったような声で歌われてしまうことだ。この声には、いわゆるラブソングのような物語などない。言葉自身の身を切るような自己主張しかない。このせっぱつまったような言葉の積み木遊びの歌を聴いていると、椎名林檎の言葉にある隙間というものを思わずにはいられない。

言葉で穴を埋めても 満たされる筈など無い
日の出を待ち切れぬまま 鋏を探し出す
あなたは全てをあたしが切っちゃっても効かない… (「警告」より)

言葉で、隙間を埋めようとするのだが、隙間は埋められない。それは、椎名林檎の言葉が隙間を生み出す言葉であるからだ。椎名林檎の言葉は、不揃いな積み木であって、あるまとまりのもとに並べられていたとしても、その全体の構築物よりも、隙間によって際だつ個々の積み木の自己主張が勝ってしまうのである。例えばこんな歌。

飛び交う人の批評に自己実現を図り戸惑うこれの根源に尋ねる行為を忘れ
此の日々が訪れた窓の外には誤魔化しの無い夏 描かれている(「同じ夜」より)

こういった言葉の存在感に、モノ化した感情を感じる。椎名林檎の歌はきわめて情緒的だが、その情緒の特徴は、モノ的ということだ。時々、椎名林檎の歌は、なんとなくだが、中島みゆきと似ている、と思うことがある。それは、その憑かれたような情緒性に、似ていると思ってしまうのだが、決定的に違うのは、椎名林檎の情緒が、孤立しているということだ。つまり、感情が、誰かに向かい、その誰かに受け止めてもらうようなものではなく、ただ、モノのように積み上げられるばかりの印象なのだ。
 10代の女の子達が椎名林檎を好きなのもよくわかる気がする。彼女たちもまた、自分の感情を、モノのように投げ出している。その感情を受け止める誰もいない。感情は、時に、彼女たちの周りに積み木のように転がっているだけだ。
 が、それでも感情を自分の外側に押し出すことが出来ている。受け手がいないとしてもだ。それはそれでうまくやっているのだと思う。今話題の、17歳の少年の方は、感情を外に押し出すことすら出来ない。鬱屈の果て、最後に自分を壊してしまう。が、女の子達は、壊れてしまいそうな自分を、言葉にして、歌ってしまう。その違いは大きい。
 

誰もその言葉を聞いてくれないシャーマン 00.7.8
 8日「ふ」の会。「ふ」の会とはシャーマニズム研究会のこと。最近、シャーマニズムにこっている。何故なのだろう。別に、神秘的な世界が好きというわけでもない。あるいは、最近流行のチャネリングの必要性を自分に感じているわけでもない。結局、うまく説明出来ないでいるのだが、境界的表象に惹かれるところがあるということかも知れない。
 境界的表象の世界とは、うまく言葉で言い表せない世界そのもののことだ。考えてみれば、昔からそういうことばかりを考えたきた。そういう嗜好が、今、シャーマニズムという表象に突き当たってしまったのだ。シャーマンは、うまく言葉で言い表せないという「病」そのものの存在のことだ。だが、シャーマンは豊穣な言葉を発する。この矛盾。言葉を失うべきところにいるものが何故、豊穣な言葉を発するのか。しかも、その言葉はちゃんと聞いてくれる人がいるのだ。豊穣な独り言ではないのだ。
 現代は、豊穣な独り言の氾濫する時代だ。おそらく、言葉を失っているのに、豊穣な独り言がとめどなくあふれ、そして、たまらずに、ぷっつん切れちまって、周囲から沈黙させられる時代なのだ。
 母親をバットで殴り殺した少年は自転車にのって1000キロを走った。きちんとメモを書いていた。たぶん、ずっと独り言を言いながら旅をしていたに違いない。捕まって独り言を禁じられた。
 誰も自分の言葉を聞いてくれないシャーマン。そのシャーマンは、独り言をつぶやきながら旅をする。それは神の独り言だ。誰もその言葉を聞いてくれない神。そういえば、あのナキイサチル神スサノオの言葉を、誰か聞いてあげただろうか。大きな声を出して泣いた神。誰も聞いてあげなかったから、世界は、暗闇になり災いに満ちたのだ。
 われわれは、今、言葉を持たないのに、豊穣な独り言をつぶやくしかないという「病」なのだ。でも、みんなじっと大声で喚かないでいる。だから、誰も、自分を追放しないし、沈黙も強いることはない。
 かつて「ほとんどビョーキ」という言葉が流行った。軽いのりの病気だった。今、「ほとんど病気」になった。こっちは軽くはないぞ。「病」の代償に神の声を語るシャーマンには、その言葉を聞いてくれる人がいる。言葉の受け手のない言葉を発する病気は、われわれを孤独で寂しいシャーマンにしたのだ。
 この賑やかな社会に多くの孤独なシャーマンがそれぞれ独り言を言いながら歩いている。それぞれが鬱屈したスサノオなのだ。
 だが、こう考えればいい。独り言は独り言同士の共鳴しあう共同体を作っているに違いない。だから、聞いていなくても、どこかで聞かれているのに違いない。つまりだ、この現代の孤立したシャーマンは、その特別な能力で、自分の言葉を聞いてしまっている別の独り言の存在を感知し、そっと近づけばいいのだ。そうすれば、少なくとも、お互い聞いているふりを相手に見せることは出来る。それだけで救われることもある。寂しい話だが。
  
隙間だらけの言葉 007.3
 30日に、歌誌「月光」の時評脱稿。共立の研究ファイルの原稿と、併せて22枚ほどを二日で書いた。その前に、古代文学会叢書の通信文を書いたから、3日で30枚ほど書いたことになる。自分を褒めてやりたい、というより、もういいかげんにしろ、と言いたい。1日は、古代文学会の例会、2日は、日本文学協会の研究発表大会で、大阪日帰り。この間、ベルンハルト・シュリンク「朗読者」(新潮)を読む。話題になっている小説で、通勤途中で読んだ本だが、前評判通り、久しぶりにおもしろかった。ドイツ人による、ホロコースト問題をどう見つめるか、という問題を、年上との女性との恋愛を通して描くという、この設定の意外さがよかった、ということになろうか。ドイツ人がドイツ人の戦争責任を論じることのむずかしさがよく伝わってくる小説でもあった。作者は、私より年上だが、ほぼ同年代。悪を描くにしろ、それを人間というものの普遍的な問題にまで踏み込めば、それについての思考は迷路に踏み込む。特に、責任もないのにその悪の側に立たざるを得ないものが、その悪を描くとしたら、迷路はもっと複雑だ。戦争における悪とは何か。ここまで徹底して迷路に踏み込んだのは、日本では遠藤周作の小説くらいか。

 古代文学会叢書は「古代からの言葉論―あわいの言葉の生態学―」という題でいこうと思っている。6月の例会の日に、執筆予定者が集まって、いろいろとは話をした。何故、言葉の問題なのか。その時に話し合われた内容をもとに、この叢書の問題意識の一部を紹介する。この文は、執筆予定者に送った通信文の一部でもある。テーマは、隙間だらけの言葉、ということになろうか。隙間だらけだから、言霊などという幻想が成立するのだろう。それは、われわれの言説すらどこかで規制しているものだ。

 6月3日に、岡部研究室で、古代文学会叢書「古代からの言葉論」の執筆予定者が集まり、論集のイメージを語り合いました。話は、それぞれが、今われわれに問われている課題、特に、言葉の問題に関するそれぞれの考えを述べる、というように展開し、それなりに問題意識を共有出来たのではないかと思います。
 丸山氏は、レジュメを用意し、言葉論に対するイメージを語りました。彼の話は、まず、今、吉本隆明にインタヴューするとしたら何を聞くか、という形で始まり、「言語にとって美とは何か」の中の、「ウミ」という言葉に対し、その言葉が誰かに向けられたものだったとしたらどうなのか、というようにまず尋ねる、と語り出しました。
 つまり、後に自己表出として析出される「さわり」を含んだこの言葉を、人は人に言葉を伝えられるのか、という問い方において再検討してみようということかと思われます。 この問題意識は、私も共有しています。西欧の言語理論において、ある意味が伝達されないとしたら、それは、病の問題として処理されます。ラングとパロールという言語の定義は、それが伝達されないことがあり得る、という想定を含んでいません。たぶんに、それは、言葉が意味それ自体としての「普遍」性に由来し、個別的な言語行為であるパロールによって完成するものだからで、伝達されないとすれば、個別的な存在の身体もしくは心に欠陥があるということになるからでしょう。だから、西欧の言語理論は、一方で病の分析をかねた精神分析の理論とともに発達したようなところがあります。
 私は、日本の言語理論を読みながら、どうも、日本の言語理論は、相手にうまく伝達出来ないことを、言語そのものの本質として見ようとしているのではないか、というように感じていました。例えば、それは時枝言語学がそうだと言ってもいいでしょうし、その流れを受けた、三浦つとむや、吉本隆明もそうだと思われます。時枝の言語過程説は、ある意味では、言葉は相手に届くまでにつっかえつっかえする。そのつっかえする過程に、言語の本質を見ようとする理論であるような気がしたのです。
 言い換えれば、言葉は相手には届かないものだ、という思い込みがわれわれの中のどこかにあるのではないか。
 この思いこみを今改めて大事にしたいと思います。吉本の言う「自己表出」はこの思いこみの別の言い方だったかも知れませんが、吉本は、それを言語の属性として、誰にでもわかり得るものとして抽出してしまった結果、最初の「伝わらないのではないか」という不安はその理論から抜け落ちた気がします。
 さて、何で、こんな言葉の考え方にこだわるのかといいますと、古代文学の研究タームとしてわれわれがよく使う「神の言葉」というのは、結局、このわれわれの、伝わらないのではないかという「思い込み」によって可能となっている気がするからです。
 神の言葉、呪言、神ガタリ、ヨゴト、様式、このような言葉をわれわれは何故何の疑いもなく分かった気で了解してしまうのでしょう。仮に、外国の文学研究者だったら、神の言葉の厳密な定義をしなければ恐くて使えない言葉であろうと思います。
 たぶん、われわれが疑わないのは、言葉は、伝わらないものだという思い込みが、いわゆる神の言葉のイメージを保証してしまっているからだと思うのです。まさに、神の言葉とは、伝わらないことにその本質があります。神の言葉は、意味である以前にモノであり霊であると幻想されている言葉ですが、結局は、その幻想自体が、伝わらないものだ、というこちらの思い込みの所産かもしれないのです。
 日本語は隙間だらけだと言ったのは多和田葉子だったと思いますが、隙間だらけの言葉は、誰かが神の言葉だ言ってしまえば、何となくそうかもしれないと了解してしまう、というような言葉であるということです。意味の部分でなく、意味と意味の隙間に否応なく触れてしまう言葉なのかもしれません。
 古代の言語表現を研究してきたわれわれは、今、改めて、このわれわれの、隙間だらけの言葉の生態を観察してみるべきではないのか。われわれの「思い込み」の由来を探求してみるべきではないのか。そのように考えるのです。
 吉本は、「言語にとつて美とは何か」で、口語による表出から文字による表出の段階までには「千里の径庭」があると断じました。その論理は、神の言葉と人の言葉との間には「千里の径庭」があるというようにも言い換えられます。しかし、どうやら今、吉本はその「千里の径庭」を語りだしているようにも思えます。彼がアジア的段階からアフリカ的段階に踏み込んだのも、母性論で言葉の母音を語りだしたのも、私には「千里の径庭」の論理化だというように思えます。
 われわれは、神と人との「あわい」を、呪言とか様式とかいうようなタームで論理化しました。厳密に言えば、そういう簡単なタームで「あわい」を象徴させ、それ以上を論じない、という態度でした。
 われわれが扱う言語表現は、多かれ少なかれ「あわい」の言葉の様相を示すものです。とするなら、それを簡単なタームで処理するのではなく、それを、まさに、伝わらないのではないかというわれわれの「思い込み」に満ちた隙間だらけの言葉の生態の問題として、例示しかつ論じるべきなのではないでしょうか。
 例えば、それは、シャーマンの言葉論としてより積極的に展開できるでしょう。あるいは、歌だって「あわい」の言葉のはずです

関係の自給自足 00.6.27
 26日、「歌垣の言葉論」脱稿。15枚程度の文章だったが、少数民族の歌垣の言葉を論じる手がかりは少しつかめた気はしている。森朝男さんから『中国少数民族歌垣調査全記録1998』の礼状が来ていて、そこに、歌垣について大陸をふまえないと何も語れなくなりました、と書いてくれている。ありがたい言葉だ。森さんにそう言っていただけると心強い。
 ああ、今週中に短いやつを2本書かなくては(一本は『歌誌月光』の原稿。締め切りは15日。、そして後一本あるの忘れていた)。もうどうでもいい。なるようになれ。
 25日の選挙では、もう一人の森さんの顔を見た。この村長さんは相変わらず脳天気で、なんとなくうらやましい人だなあ、という印象。もう一人のほとんど脳溢血で切れかかっているような野中さんと一緒にいるとほのぼのとしてていい。日本村は、何とか、村長さんの信任をえたわけだが、この村長さん、あまり長く持たないと言われている。まあ、早く止めた方がいいのかも知れない。何せ、税金を払いすぎていて、どう考えても、払った税金が、村長さんの地元に流れている気がしてしょうがないからだ。
 この選挙で、聞こえてきたのは、公共事業という薬の中毒になってしまった農村の悲鳴だ。竹下登の地元島根県の投票率は全国で一位だとか。公共事業がなくなったら、この神の国は、悲惨な状態になるということを地元はよく知っているということだ。都市社会の住民は、税の不公平感に腹を立てているが、実は、だからといって、税金の不公平や公平さが、直接生活に響くことはない。が、島根は違うのだ。税の使われ方が公平になったら、たちまち生活に響く。そういう悲鳴が、あの投票率だつたわけだ。
 それにしても、島根のほとんどは、農村であり、その生活における給与労働の割合は、東京の都市生活者より低いはずだ。言い換えれば、自給自足的生活経済のしめる割合が、都市生活者より多いということだ。少なくとも、酒のつまみや野菜類、米の一部などは、自分で供給できる家が多いだろう。それなのに、給与労働の機会を与えてくれる公共事業が無くなることに危機感を持つというのは、少し不思議な気がする。 
 おそらく、そこまで、今の農村が危機的なのだということだろう。いつのまにか、給与労働なしでは、生活それ自体を支えきれなくなってしまったということがうかがえる。自給自足的経済など何の足しにも成らないほど、彼らの生活スタイルが変化したのである。だが、悲惨なのは、給与労働の機会を与える産業のないところで、そのような生活スタイルを持ってしまったということだ。産業構造の変化に合わせて生活スタイルを変化させたのではなく、都市生活者の豊かさへの幻影によって先に生活スタイルを変化させ、その生活スタイルを支えるために、政治力を用いて公共事業、つまり税金でその生活を支えた、というわけだ。
 これを促したのは、自給自足的経済を貧しさとみなし、都市社会の生活を貧しさからの脱却とみなすイメージと、人はみな平等に豊かに生きる権利があるという思想である。この思想が、地方に、膨大な税金をつぎ込む根拠になっている。近代化というのは、このような平等主義を原則とする。この平等主義は、それ自体悪いとは思わないが、20世紀の歴史が教えたことは、この平等主義は、効率性を無視すると結果として平等をもたらさないということだった。残念ながら、この教訓はいかされず、今の日本にもあてはまっている。
 公共事業で、箱物ばかりを作ってしまった田舎の自治体は、その箱物の維持と、借金によって、膨大な赤字を抱えている。いずれ、公共事業はなくなり、福祉の予算も削られるだろう。税金をぶんどって豊かになろうなどという了見が通るほど世の中甘くないということだ。
 島根は、もう一度、自給自足経済の良さを見直すべきだろう。ただし、ここでいう自給自足経済というのは、単に、食料の自給自足を言うのではない。これはコミュニティの問題である。
 都市生活者が、経済の危機の中でも何とか生き延びられるのは、生活水準さえ落とす覚悟さえあれば何とか仕事にありつけるからだが、実は、仕事を回し合うコミュニティが無数に存在していることも忘れてはならない。都市生活者は、孤立しさえしなければ、それなりに支え合う関係のどこかに属すことができる。土地に縛られない分だけ、助け合う関係を作りやすい。こういう関係もまた自給自足経済なのだ。
 ところが、農村にそういうコミュニティが今あるのだろうか。ひょっとすると、今、農村のほうが都市生活者よりも孤立していると言えるのかもれない。都市に浮動票が多いのは、政治と関係なく、自分たちの生活のイメージを描ける人が多いからだ。農村に浮動票が少ないのは、実は、それだけ、政治と関係ない生活のイメージが描けないということだ。それは、自分たちの生活のを公的なものに譲り渡しているからである。
 公共事業に頼りすぎて、かつての自給自足的経済を失った農村が目指すべきは、新しい自給自足的関係の創出である。食料の自給自足は出来なくても、関係の自給自足は出来るはずだ。われわれの人間関係は、仕事と友人とは別、というようには実は、截然と割り切れているものではない。隣人であろうと友人であろうと、仕事上のつきあいであろうと、その関係の大事なところでは、生活にかかわる関係なのである。ただし、それを表面に出して付き合えば、それは、ただの互助会だが、しかし、人間の関係というものは、潜在的には、常に、互助会的なのである。
 だからこそ、自給自足的関係は成立する。どういうイメージの関係なのかはよく解らないが、たとえば、神戸の地震で、被災者の中でたくさん自然発生的に生まれたコミュニティのようなものが、日常の関係の中で形になる、ということであってもいい。そういうコミュニティが農村において生まれるべきなのだろう。むろん、都市に住むわれわれにとっても同じ事だ。

 パラパラと少数民族的文化 00.6.21
  20日、「俳句の言葉論」脱稿。毎月21日締め切りの短い文章だが、これがけっこう疲れる。なにせ、俳句の素人だから。でも、何となく、親近感があるのは、どうも自分は短歌より俳句的なのかも知れないなあ、などと思ったりする。
 今週中に、実は後二本書かなくてはならないのだが、一本は後回しにして、歌誌「相聞」への、歌垣の言葉についての文章だけは書かなくてはならない。ここで、こんな文章書いている暇などないのだが。
 『中国少数民族歌垣調査全記録1998』の評判がいい。当然だろう。授業で使えるようにビデオ付きにしてあるし、少数民族の歌垣の初めての実況中継の書なのだから。
 18日の東京新聞の書評欄、この書についての工藤さんへのインタビュー記事が出ている。そこでの工藤隆の言葉から。

 「漢民族の中国で民衆レベルでの歌の掛け合いというと、詩経などにわずかに痕跡をとどめるだけで、宮廷社会では男の官僚同士で詩のやりとりをする文化になってしまう。ところが、日本では遊女が貴族と対等な立場で歌の交換をしたりしていて、それが中世、近世を生き抜き、現在も膨大な短歌や俳句の愛好者がいる。先端的な近代国家を築いたリアリズムと、物質主義から割合自由なロマンティシズムやセンチメンタリズムが一つになっている。この文化の独自性に目を向けてほしいですね。」 

 宣伝はこれくらいしておこう。ただ、恋歌の文化を、独自性としてとらえる視点は、検討されてもいいのかなと思う。百川敬仁は、「もののあはれ」は、江戸時代以降の日本人の共有感情と断定するが、確かに、共同体を失った都市社会の共有感情であるという指摘はうなづけるものがあるが、一方で、「もののあはれ」形成条件として恋歌文化というものの想定もあっていいと思う。
 結局、われわれの文化的感性の特徴は、こわれわれが生きている社会のリアリズムを、柄谷的言い方をするならまさにかっこに括る事が出来るという点だ。社会のリアリズムをかっこに括ることが出来るから、恋歌の世界が成立する。この、かっこに括ることの実に巧みに文化をわれわれはたくさん持っている気がしてならない。神話解釈の知識人も社会をかっこに括ったわけだし、これは、平安時代もそうだし、近代でもそうだ。
 それをセンチメンタリズムと工藤隆は言うが、確かにそうだろう。その起源を、少数民族的文化におくというのも納得出来るところがある。むろん、問題は、少数民族文化云々が問題ではなく、近代化の中で、そういった、つまり、少数民族文化的な恋歌文化を、個人の内面の中に解消できなかつた、別の言い方をすれば、解体できなかった点だ。これは、恋歌文化だけではなく、呪術文化といっても同じことだ。
 これらの共同体的文化を解体できないでいるのは、われわれがこの近代化の中での孤立、つまり、共有感情の喪失に耐え得ないからだ。共同体を失った江戸の都市社会の感性は、もう一歩進んで、こんどは、その都市社会での共有感情すら失おうとしている、というのが、現代といっていいのだろう。そういうとき、少数民族的文化を、われわれは、自分たちのどこからでも引っ張り出してくる。それが必要とされるからだ。
 私は、少数民族文化というのは、先頭を目指すという目的などどうでもよく走っていたのに、いつのまにか何周か遅れたトップランナーになってしまったみたいなところがある、と考えているのだが、ある面では、確かにトップになりかかっているところがある。
 最近、パラパラなるディスコダンスが流行っている。かなり難しいふりを、全員で間違いないように一緒に踊るダンスである。夢中になっているギャルの発言によれば、みんなと一緒のふりで踊れるのがいい、何か一体感があっていいのであると。何だ、新しい盆踊りではないか、と思ったのであるが、一人一人が個性を出すのではなく、競い合いながら、みんなで一緒に踊れるダンスを踊る。これはまさに孤立した時代の少数民族文化ではないか。
 つまりだ、社会のリアリズムをかっこに括ることの巧みな文化を、未だにわれわれは持っている。それが、少数民族文化の現代における働きの一つだ、ということだ。だから、それが一方では、「いやし」になるということだ。ただし、その「いやし」にまゆをひそめるものもいるだろう。
 が、だからといって、誰も、自分の人生すべてをかっこに括ってしまうわけではない。少数民族文化の良さは、社会のリアリズムに疲れないための装置であるという点であって、そこから逃れないための工夫でもある。パラパラを踊るおねえちゃんは、けっこうシビアな社会をたくましく生きている。切れた17歳のように、人生すべてをかっこに括ってしまうのは、先進国的文化現象であって、先頭をめざして走りすぎたために、ゴール前でどうでもよくなって、ゲームを止めてしまうランナーのようなものだ。
 かっこに括ることは、時に、社会に対する無責任のようにも映るが、今の時代では、病にならないためのバランス装置だとでも思えばいいのではないか。
 これだけ厳しい時代に、日本はまだまだ病が少ない、といっていいのだと思う。アメリカの病み方を見ているとそう思う。インディアンの少数民族文化を殺してしまったつけがまわってきているのだ。われわれはどうなのか。恋歌文化や呪術文化が生きていれば、多少はましだろう。ちなみに、オウムは少数民族文化ではない。あれは、近代国家になりたがった、呪術文化だ。所詮無理があったのだ。


人はどういう姿勢で働くべきか 00.6.16
 『中国少数民族歌垣調査全記録1998』の本とビデオがようやく刊行。これからの反応が楽しみ。「寺山修司の土俗性」について書いた文章の載っている『短歌朝日』7.8号が送られてくる。日高堯子著「黒髪考、そして女歌のために」の書評脱稿。さてさて、今月も後三本の原稿を書かなくては。それにしても6月は疲れる。休みがほしい。
 私の個人的な話題について。昨日、今年度の俸給表というのをもらった。たまたま、平均本棒の資料があったので比較してみると、私の給料(月給)というのは、私の勤め先での同年代同地位の平均本棒(月給額)より8万円低いということがわかった。これはあんまりではないかと問い合わせたところ、前歴換算でいくと、こうなると言う。つまり、私の場合、就職したのが遅く(44歳)ここに就職するまでの職歴(教育歴)がないので、低い額から出発している。従って、どうしてもずっと低いままなのだそうだ。
 まあ、こういうシステムのところへ来てしまったのだから、仕方がないとあきらめたが、実は、この前歴換算の不公平が、今、組合でも問題になっている。60歳で昇級停止とか、賃金の一部カットということが現実的な問題になってきているのに、給与が不公平なまま実施されるのはたまらないという不満があるのである。
 確かに、このままの低い額で昇級停止になったらたまらん。だいたい、俺より明らかに仕事していない奴が、何で俺より給料が高いのだ、と、私だってこの程度の不満はないわけではない。
 が、ことは、案外面倒なのだ。前歴換算の見直しによる、平等な給与体系の確立は当然だが、平等とはどういうことか、という問題に行き当たる。競争原理が働くシステムの中での平等とは、年齢給ではなく能力給に行き着く。前歴換算見直しの問題は、今、教員がどの程度の能力を持ってどの程度の成果をあげているかを評価してその年俸を決める、という年俸制の呼び水になるだろう。が、これは、私の望むところではない。
 私は十年近く予備校で仕事をしてきて、能力給の良さと辛さを味わってきている。それなりの稼ぎのある講師ではあったが、生徒のアンケートによって報酬がきまってしまうそこでの何年かは、快適な生き方とはとても言えなかった。生徒との関係は楽しかったが、講師同士の関係は最悪だった。能力によって評価される職場で、快適な人間関係を作れるほど、われわれは成熟していない、というのがそこでの私の結論。
 大学で、人より能力を発揮する自信がないわけではない。むしろ、競争原理のなかでそういうように能力を発揮させられることがいやなのだ。どこでの職場でも同じだが、効率性が要求され、みんなたくさんの仕事を抱えている。結果的に、仕事の出来る奴が、仕事の出来ない奴の分をせざるを得なくなる。とすると、仕事の出来ない奴への風当たりが強くなり、小さな職場の人間関係の中で、仕事弱者に対するいじめが起こってくる。仕事を出来ない奴を雇っておく余裕はないという雰囲気が、職場の雰囲気としていつのまにか作られているのである。
 私はこういう職場の雰囲気がいやだ。能力がないと見られている人に対してあからさまにいやな顔をする人たちの中にいるのがいやだ。こういう雰囲気は、やはり、私の勤め先にもある。確かに、仕事も出来ないのに、他人に迷惑をかける奴はいる。そういう人への悪口を言うなということではない。どんな場であれ、人と人とが付き合っていくなかで、一線を越えてはならない言葉や態度というものがあるはずだ。現代は、それをたやすく越えさせてしまう雰囲気を持っている。せめて、そういうことに注意深くありながら、人と付き合ったり、仕事をしたりするということがなければ、むなしいではないか。
 現代は、能力を正当に評価されない不満こそが、最大の力になりえる。給与に対する私の不満もそうだ。しかし、それを強調しすぎることは、私が快適に生きていこうと思っている、私なりの生き方とぶつかるところがある。だから、この問題は、私にとって、難問なのだ。ただし、他の大学で良い給料で働く条件があれば、喜んで私はそこへ行く。結局、そういう転職の機会がなかなかないということが、一番の問題なのかもしれないなあ。


「自由に生きる」とはどういうことなのか
 00.6.10
 最近、私は勤め先の短大で、いくつかの何々委員会の委員になっている。この委員会というのが実に多い。特にこのところ委員会の会議が多くて、週に三回出席しなくてはならない時がある。委員を引き受け易い私の年齢の問題もあるが、断るのが面倒で安請け合いする性癖も災いして、こんなにも委員会に忙殺されるようになってしまった。
 形式だけの委員会ならただ出席して聞いているふりをしているだけでいいのだが、少子化のあおりと、きちんとした経営をしてこなかったつけがまわってきて、大学の先行きがあやしくなってきた今、どの委員会も、それなりの難しい問題をかかえているので、居眠りしているというわけにもいかず、何とも気が重い日々である。
 今、一番問題になっているのが、定年の見直しである。どこの大学でもだいたい70歳定年だが、それを65歳に引き下げる動きが起きている。人件費の抑制ということが一番のねらいであるが、この見直しを私の勤め先でも真剣に検討しているのである。それから、もう一つは、60歳を過ぎたら、いったん退職して、特任教授として再雇用するという案である。これも、割合多くの大学で検討されている。再雇用の条件として、雑用を免除するかわりに給料を下げようというものである。給料は下がっても、教育と研究だけに専念したい人にとってはありがたい制度となるだろう。
 一般の会社のようにリストラの出来ない大学にとって、人件費の抑制は頭の痛い問題である。新規事業で利益を上げるということの出来ない大学は、経費の削減を、人件費の削減で断行せざるをえない面がある。かといって、人件費を切りつめすぎれば、教員の質を落とし、大学の質の低下ということに直接に響く。
 さらに問題を厄介にしているのは、大学には教授会という意志決定機関があって、この機関が、経営にも、教育にも、そして、給与をもらう労働者の利益代表的な面も、少しずつ併せ持つ曖昧な性格を持っていて、その性格上、一部に対して何らかの不利益をもたらすような改革的施策に対しては、大体において拒否反応を起こすということである。教授会は、何かを決めるという意志決定機関としては有効に機能しないが、何かの決定を拒否する機関としては絶大な力を発揮する。
 つまり、大学には、株式会社のような、わかりやすい、経営意志決定機関がない。拒絶機関としての教授会を懐柔し、経営についての何らかの意志を統一するためには、学内への政治力を持つ権力意志の強い人物に頼る、ということになってしまう。つまり、合理的でないから賛成・反対するのではなく、賛成・反対しなければ自分の立場が悪くなるから、という雰囲気を作るのである。このように、建前は民主主義だが、実質は、特定の人間関係にしばられる政治支配という、わかりにくい意志決定システムが、大体どこの大学でも存在している。それは、たぶんに、私の属する職場においてもそうである。
 問題は、こういう世界に、この私がどれだけ関わるのか、あるいは関わるべきなのか、である。別な言い方をすればこういうことだ。何らかの意志決定を迫られ、その意志決定次第では、自分の立場を危うくするというような場合、特定の人間関係に左右されずに、自分の主義主張をどこまで貫けるか、ということと、そもそも、こういう場に、積極的に参加することに意義があるのか、ということである。
 一人の、自由な生き方を負うべき(あえてこういう言い方をすれば)存在としては、大学にとって必要とされる人物にあえてなりきる必要はない。それは一種の契約の問題であって、少なくても、職場における行動が、雇用契約上の常識的勤務条件にはずれない以上、どうふるまってもいいのである。それは、雇用契約を越えた人間としての基本的権利である、と言ってもいい。
 だが、会社であれ、大学であれ、耐えざる競争の中に置かれ、その中で安定もしくは発展を図るには、その目的のために努力する意志を表明し、そのために能力を発揮するものを必要とし、そういう意志を表明しないもの、あるいは能力をもたないものを、おのずと冷遇せざるを得ない。
 自分の自由に生きるという選択が、そういった意志の表明ならいいが、そうでない場合は、面倒なことになる。ただし、だいたい、自由というのは、自分の属す制度から逃れるように働くのだから、ほとんどは面倒なことになる。私の場合もそうである。だが、やっかいなのは、私自身も競争社会を生きてきたせいか、自分の能力が認められない(それが通じない)、ということに腹を立てる、というところがあることだ。こういう、染みついた競争意識は何とか抑制したい。
 私の職場がどうなってもいいなどとは少しも思っていない。潰れないためにはどうするのか、ということの極めて合理的な考えを、特定の関係に影響されずに、いかに言えるか、が大事なのはわかっている。が、そうあるためには、極端に孤立せず、特定の人間関係につきあいながら、そこから距離を取り、発言のタイミングを計るなどの何とも面倒な手続きが必要である。そういいう手続きの俗っぽさを軽蔑したとき、たぶんに、私の言葉の重さも消える、ということもわかっている。
 が、それでも、あえてそういうことにかかわらないで、勝手にやりたいことをやる、ということを大事にしたい。現実は、そうはいかないだろう。私も、たくさんの委員会からそう簡単には抜け出せないだろう。それなりに、自分の能力を発揮しようとするだろう。それでも、それは、勝手に生きている、というスタンスをひどく裏切るものではない、と言う了解はつけておきたいのだ。それが、私にとっての当面の「自由に生きる」というイメージである。何とも中途半端なイメージであるが、ここをクリアできないと、この時代を、私は快適に生きられない、と思っている。
 
「神話」解釈と「死」への誘惑  00.6.4
 今日、千葉大で口承文芸学会大会の発表。題は「生きられている神話。中国雲南省少数民族神話を読む」。川田順造がおもしろかったと言ってくれたから、少しは受けたようだ。ほっとした。とにかく、疲れた。金曜日は、「中国少数民族歌垣調査全記録1988」の本とビデオができあがったので、夜は工藤さんと大修館の玉輝さんと三人でささやかな祝杯。土曜は、古代文学会の例会と合評会に飲み会、そして、今日の大会発表。こう続くと50を越えた体にはこたえる。
 口承文芸学会のシンポジウムは、ほとんど居眠りしていたが、コメンテーターをしていた藤井貞和のコメントで目が覚めた。といっても、いつもの語り口で、現代の日本でいかに神話がわれわれを支配しているかを説く。特に、大嘗祭を天孫降臨に結びつける解釈にかなり怒っていた。ホノニニギも決して稲の意味ではないのに、近代になって学者どもがそういう解釈をして、国家神話に寄与していると怒っていた。つまり、いかに、近代になって、古事記が国家神話として解釈されたか、そのお先棒を担ぐ研究者を批判していたということだ。
 それを聞いていて、まてよ、藤井さんは、神話というのは、決してある方向で解釈されてはならないものだ、と本気で思っているのだろうかと考えた。藤井さんのことだから、神話にこれが正解というような解釈がないことくらいわかっているだろうに、神話が、その伝承過程で、常に可変的であり得ることだつてわかっているだろう。とすれば、近代になって、大嘗祭が天孫降臨と結びつけられ、ホノニニギが稲の神だとする解釈だって、神話というものの本来のあり方の問題にすぎないだろう。藤井さんの言い方だと、神話の解釈はこうあるべきだ、という解釈の正義を唱えている気がしてならない。
 津田君によれば、平安の日本紀講などは、もっと荒唐無稽な解釈が出てきて、それをごりおしする学者がいる。近代の神話受容を批判する藤井さんは、そういう学者といったいどこが違うのだろう。
 つまり、こういう解釈がよくないと言ってしまった時には、解釈を競うことによって、神話テキストの生存を許してきた人たちと、結局は同じになるのではないか。藤井さんが、神話というものの持っている危険性を、何とか回避しようとしているのはよくわかる。そのためには、神話というもののあり方を、常に、その時代の中で冷静に見つめ、相対化していくしかない。が、藤井さんの興奮した方法では、神話の解釈を巡る論争に取り込まれるだけで、結局は、本来の神話はこうあるべきだ、という別の神話幻想を強固なものにしてしまうだけだ。それは、藤井さんの本意ではないだろうに。
 というようなことを思った。そこで、もう一つ思ったこと。同じ少数民族の神話は、地域ごと、村ごとでそれぞれ少しずつ違う。それが取材して確認したことの一つだ。そこで、解釈論争なるものが果たして起きるのか。村どうしで、あるいは、同じ村の中で、神話のある解釈をめぐってあらそうということが起きるのか。どうも起きないのではないか、と思う。それぞれがそれぞ固有の、あるいは一回性の(といっても大筋は同じだろうが)を、勝手に語り始めるというのが、実態に近い気がする。とすれば、解釈をめぐる論争は、どういう次元で成立するものなのか。あるいは、解釈論争を必然とする神話というのは、どういう性格のものなのか。少なくとも、口承のレベルではあまりなさそうだ。書かれた神話、もしくは、神話と個の結びつきが強まる、というレベルで成立することか。この問題は、おもしろそうだ。ある当事者にとって、神話が共同幻想以上の意味を持ち始めた、ということかも知れない。個の幻想としての神話、共同幻想としての神話、その境界すれすれのところで、解釈論争はどうも行われている、と言えないか。

 「名前のない場所」の書き込みに。「現実」とは、それを定義しようとしたら、その言葉の意味を失ってしまう、非常に感覚的な言葉だ。だから、その言葉の定義をめぐって論争しても、うまく言えないものの同士の言い合いにしかならないと思う。それから、「幸福」について。私はこの世に「幸福」だと思って生きている奴は一人もいないのではないかと思う。だから、不用意な言葉だったと認めるが、言いたかったことはこういうことだ。「陰陽師ブーム」の私の評価は一言で言えば「死への誘惑」だ。私は、その誘惑に誰かがかなり引きずられていることを認めることがあるし、女子大生にもふと感じることがある。誰にもあるかも知れないが、その強さの度合いが違うだろう。そのやや心配なくらいの惹かれ方は、何かをかっこに括ることによって生じる。そのかっこに括った何かをとりあえず「現実」と言っただけだ。「死への誘惑」に惹かれることが不健全だと言うつもりはない。だが、一人の人間の生のバランスで言えば、それは、かなりバランスを失った現象であり、もし、そういうように感じていないのだとしたら、周囲の誰かがそう気づかないように支えているか、別の言い方をすれば迷惑をこうむっているからだ。そういう関係のあり方を含めて、幸福ではない、と言ったつもり。(これは特定の人を思い浮かべて言っているのではありません。)

陰陽道は好きですか   00.5.31
 斉藤英喜に挑発されたので(名前のない場所の書き込み)陰陽道について少しばかり考えた。ただし、私の陰陽道についての知識は、ほとんど岡野玲子のコミックによっているので、あまり信用しないでほしい。
 最近、テクノロジーと非テクノロジーという言い方を使っているのだが、陰陽道の世界は、どうもこの両方がある。つまり、高度なテクノロジー(たとえば天文学、風水、宗教、古典への知識等)を駆使する一方で、異界と人との非テクノロジー的関係が、その全体を覆っている。高度なテクノロジー(最高の知)が、非テクノロジー(呪術)そのものとして顕現する。この背理でない背理こそが、陰陽道の世界の魅力であるような気がする。
 現代の複雑な情報機器も、ある意味では呪術的な機器に違いなく、その受容が、テクノクラートの特権的な道具ではなく、ただ消費という特権だけをもたされたわれわれの、人との関係を切実に欲したり呪ったりする道具として機能しているのを見れば、ある意味ではパソコンが陰陽師かもしれないのだ。
 陰陽師が高度なテクノクラートだったかどうかはさておいて、平安時代の陰陽道の受容は、たぶんにわれわれの時代の、テクノロジーの受容に似ているだろう。それは、高度なテクノロジーを、非テクノロジーそのものとして受容すること。高度なテクノロジーを非テクノロジーに転換する秘密に、あまりこだわらないこと。ここにこだわるか、こだわらないかが、たとえば、陰陽道ファンをともに標榜する斉藤英喜と女子大生との差ということになろうか。
 京極夏彦のシリーズは、高度なテクノロジーを主人公の探偵だけに任せ、その他は、それを非テクノロジーとして受容する構図によって成立する物語だ。この長すぎる小説を読み通せるのは、主人公のテクノロジーの長々とした解説を、どこかで、非テクノロジーとして聞き流せるからだ。呪術には、きわめて緻密で合理的な解説が必要だということ。それだけがわかればいい。あとは、異界とこちら側との非テクノロジー的関係がもたらす超常的なモノガタリ世界に、いやされればいいのだ。
 テクノロジーがつきつける、徹底した孤独。非テクノロジーがつきつける、死の匂いのする異界(自然)。この陰陽道の世界が抱え込んだ両極は、現代を生きる人間の不安とエロスを物語る、必要かつ十分条件だ。だから、うけないわけがないのだ。
 だが、注意しなくてはいけないのは、陰陽道の世界は、あまりに、われわれの、社会的生の実感をかっこに括りすぎてしまうということだ。テクノクラートと宗教者(宗教愛好家と言ったほうがいいか)と享楽的消費者に共通するのは、現実をかっこに括って、その括った内側の世界から抜け出せなくなる資質を持っているということだが、これらの人たちは、ほとんど陰陽道の世界の愛好者であろうと考える。
 こういう人たち、つまり、現実をかっこに括りすぎてしまうことに鈍感か、むしろそれを快適と感じる人(私だって多少そうだが)は、心が不安定であるのは確かだ。社会を生きるバランスが悪いということ。病気ではないが、幸福でないことは確かだ。だから、私は、陰陽道が好きかととわれれば、嫌いではないと答えるが、陰陽道マニアが好きかと問われると、答えるのに躊躇するところがある。

テクノロジーと非テクノロジー  2000年5月28日  
 5月27日と28日、上代文学会大会に出席。場所は、長野市の長野県立短大で、長野市にも久しぶりに訪れた。駅前周辺の変貌には驚かされた。オリンピックの後遺症だろう(こういう近代化をあえて後遺症と呼んでおきます)。
 27日は、古橋さんの講演があった。万葉の巻16から平安の物語への文学史の話。自分は一貫して発生論から文体の問題を追求していたのだという説明に、納得。私としては、発生論を、言葉論としてやり直してみたいと思っているので、文学史にこだわる古橋さんとは、興味の対象が違ってしまったなあ、という思いで聞いていたが、書くということは、言語の違う他者を結びつけるという理解によって、書くという行為が必然的に持つ権力性という問題にあまりしばられなくて済むようになった、という話に、共感は持った。ただし、書くということは、他者を結びつけるが、同時に、個々を孤立させる。コミュニケーションと疎外とが同時に成立するのも「書く」ということが引き受けるものだ。書くことにこだわるなら、必然的に、そういった問題に突き当たるだろうと、というのが感想。
 現代は、テクノロジーと非テクノロジーとの、競合の時代だという気がする。書くことは、ますます先鋭化し高度化していくテクノロジーの領域。口承は、非テクノロジーだ。こういう分類は昔からあるが、今の問題は、この両極は対立項ではなく、バランスを前提とした、競合する関係だということだ。テクノロジーへの反発や救済として非テクノロジーがあるのではなく、非テクノロジーがテクノロジーを抱え込めるという幻想と、テクノロジーは、非テクノロジーと切り離せないという幻想とが、それぞれ競い合っているといった関係だ。
 テクノロジーは、人と人とを否応なく結びつけ、その結果として、人を孤立化させ壊していく。非テクノロジーは、最初から人と人とは自然を介した関係しか作れないと説き、そこに「いやし」の幻想を抱かせる。この二つは対立ではない。だからどちらを選択する、ということでもない。現代を生きるためのどん欲な条件とは、両方を抱え込もうと生きることなのだ。
 ただ、どちらにウエイトを置くかで、その人の、社会における足の位置の置き方はわかる。28日の朝、古橋さんと話をしていて、古橋さんはテクノロジーの側に、私が非テクノロジーの側に、重心を置こうとしているのはわかった。古橋さんは、口承よりは文字に、村落よりは都市に、発生論よりは、文学史にと興味を移行させ、私は、都市よりは村落に、文字よりは口承にと関心を移行させている。
 むろん、これは対立ではない。ただ、私には、どこか文字的な普遍性に対する自己嫌悪が強い。これは、ポストモダン的な刷り込みでは決してなく、生来的な資質の問題だと思っている。書くことしか能のない人間が、言葉もわからない少数民族の調査(特に口承文化の調査)をするのは、この自己嫌悪がかなり作用している。つまり、この現代を生きるための、私なりの精一杯のバランスの取り方なのである。
 その意味では、私は、赤坂憲雄が「東北学」にこだわり、非テクノロジーをどん欲に追求する気持ちがよく分かる。これは彼とのつきあいの中で得た私の印象だが、非テクノロジーにおいて生のバランスをとろうとする資質は、とても似ていると感じた(彼はそう思っていないにしても)。
 たとえば、村上龍、村上春樹を比べると、龍がテクノロジー、春樹が非テクノロジーだといえるだろう。龍は、テクノロジーのなかで、壊れていく人間を描き、春樹は、非テクノロジーでしか生きていけそうにない人間を描く。むろん、私は、村上春樹の方が好きだが、龍の小説もとても気になる。私もテクノロジーにどっぷりと浸っているからだ。ここでこんな文章を書いているのも、私自身テクノロジーの病にかかっている証拠なのである。
 非テクノロジーを「甘い」とか、幻想に過ぎないと今だれも言う資格はない。これは、知的な生き方の選択なのではなく、今では、誰もがどこかでせまられる一つの生き方なのである。ただ、それを思想の言葉で語ると、陳腐になるというところに、思想の貧困という問題、というより、テクノロジーの反対概念として語られてきたことや、いつも思想は現実に遅れてやってくる、という問題がある。
 その意味で、現代の非テクノロジーは思想としてまだまだ語られていないのだ。


「神の国」発言と「古事記」  2000.5.23
 森首相の、天皇を中心とした「神の国」という発言は、古事記の講義をする身にとっては、避けて通れない話題だ。まさに、古事記編纂の一つの意図は、天皇の神としての起源を語ることにあるだろうから。
 が、たぶんに、その(古事記)意図は、国家のアイデンティティというような近代的な思惑に基づくというより、神との連続を何とか確保しようとする、それこそ古代的な意図が勝っていたはすだ。現代の「神の国」発言は政治的な言葉であり、空疎だが、古事記の、神話叙述の言葉は、神と交流可能なテキストであったかもしれない(なんか斉藤英喜になってきたぞ)。
 本当に神と交流したかどうかはともかく、当時の社会に、神と交流するためのテキスト(むろん口承だろうが)はみちみちていたはずで(たとえば東北のイタコが伝えるオシラ祭文のように)、古事記が、そういったテキストと無縁であったというように断言はできまい。
 そのように考えると、実は、古事記は分裂した書物であることに気づく。律令国家による書物として登場したことから考えれば、その普遍的な性格からして、神は、書物の中だけに閉じこめられたあの世の話となり、古事記は、この世そのものの人間や社会の規範を映し出すものとなろう。が、一方で、神と交流するテキストなら、神はこの世にいつでも顕れ得るものとなる。とすれば、古事記は、特定の人々にとってのあの世と接触するための教科書となり、この世からは閉じられることで、秘儀的な性格のものとなる。たぶん、古事記は、両方の性格を持っていた。あるいは、分裂していた。
 古事記の近代以前における歴史的な位置づけについてはよく知らない。ただ、日本書紀と比べてあまり歴史に登場しないのは、どこか、引きこもり的性格だったからではないか。引きこもり的というのは、小さな共同体レベルで語られていた、神との交流テキストと似たところがあるということだ。それは、体系化され、シンボライズされた古事記の神々も、ひっくるめて、柳田国男の言う薮神のたぐいと同じだということだ。
 さて、そう考えれば「神の国」の神とは、そこいらに潜む有象無象の神のことである。古事記という書物は、こういう藪神の神々との連続のうえで成立していると考えれば、「神の国」のイメージもだいぶ変わってくる。天皇中心というなら天皇と藪神とが交錯するところで「神の国」はやはり考えられるべきだ。
 むろん、そう考えると、国家のアイデンティティどころの話ではなくなる。巫女を通して、神の声を聞いたり、たたらないように祭りをしたり、占いをしたりと、神とのつきあいが大変になる。経済的には浪費だし、非効率の極みそのものだ。だから、そういう神々をいだくところは、ずっと小さな共同体のままであって、これからもずっとそうなのだ。
 森首相が、日本も、このような藪神と共生しているような小さな共同体のままでいたほうがいいという意味で「神の国」発言をしたのだとでも言ってくれたら、めったに選挙に行かないわたしは、今回選挙に行って、自民党に投票してもいい。
 が、本当はそういう意図だったのかも知れない。森首相は、どう見ても、首相というより村の村長のほうが似つかわしい。彼にとって天皇は、村の神主程度の認識だったのかもしれない。「神の国」とは、この村は神頼みしないとやっていけないということかもしれない。(そんなわけないだろうな)。
 いずれにしろ、「神の国」も、「古事記」も、拡大した国家に合わせて読解されている。あえて同じ立場にたって反論しても何も生まれないだろう。結局、かつてのイデオロギー論争をまた繰り返すだけだ。むろん、戦争や植民地化の歴史認識の問題は避けて通れないが、徹底して神の国だと言ってしまう手はある。ただし、その神には、妖怪も、トイレの花子さんも、幽霊も、ヤマンバギャルも(ちょっと違うかなあ)、イタコも、ユタも、新興宗教の生き神様も(足裏診断の奴は違うな)含む。ほんとうにそこまで言ってくれたら、わたしは選挙に行く。

 
映画「ワンダフルライフ」とバスジャックの少年   00.5.15
 
是枝裕和監督の映画「ワンダフルライフ」は、最近見た日本映画の中では秀逸だ(ビデオで観ました)。若い小田エリカ・寺島進の二人もなかなかいい。古い学校のような建物。そこで、死んだ人間達が訪れ、彼らの聞き取り調査が始まる。人生で一つだけの思い出を選択し、それを映画にする。その映画を見ながら死者はその思い出だけを抱いてあの世に旅立つ。聞き取り調査の場面がとてもいい。これは、フィールドワークそのものだ。語り手は本当に演じているのかどうかわからない。町で出会った人を連れてきて本当に自分の過去を語らせているのではないか、と思うくらい、ここはリアルである。
 それぞれ、あの世に持っていく思い出を一つだけ選べといわれると迷う。当然、これを観ながら、自分も自分の思い出なるものを一つ選べるのかどうか考え始めている。これ観ながら、自分には選べないな、なぜなら、まだ明日があるから、まだいいことがあるかも知れないなどと、どっかで都合のいいことを考えてしまうから、などとも思ってしまう。明日がないということは、結局、死者になることなのだ、ということに改めて気づいた。つまり、死者の思想というものは、明日を想定しなくてもいい思想だということだ。危ない。時々そんな風に自分を考えることがある。
 24の若者が、俺は思い出を選ばない、とがんばっていた。選ばない形で責任をとると言っていた。つまり、死を認めないということだ。結局、彼は、あの世に行くことが出来ず、この聞き取りの調査チームで働くことになった。
 死んでも死を認めない奴。これは、フィールドワークの調査者なのだ。僕もその一人だ。そんなことに思いいたった。
 それにしても、最近、この手の、死者と生者の二つの世界を並立的に描く映画のなんと多いことか。死者の世界に対するアンテナを人は張り始めているということなのか。それとも、死者の世界を比喩とするしか、この世が描けなくなったということなのか。物語とは、どこかでシンプルな寓意を必要とする。現実のこの世をそのまま描くには、寓意は成立しがたいということなのかも知れない。

 バスジャック少年についての感想追加。町沢静夫が出てきて、少年を精神病院に送りこんだいきさつを語り始めた。この人は、精神科医としてはだめな人だ、というのが感想。彼の言葉には、少年の病状に対する医学的な見解が一言もなかった。ただ、人を傷つけるおそれがあるから入院の必要があるというだけだ。この事件の教訓。人を傷つけるおそれを抱かせる子どもが親のいうことを聞かず、自分の部屋にこもった場合、本当に病気かどうかにかかわらず精神病院に強制的に入院させる事が出来るということ。そして、現在のところ、この日本の社会では、精神病院に入院させる以外に、こういう子どもに対して親はどんな方法も思いつくことができないということ。親を責めるつもりはない。ただただ、ここまで追いつめられるまでに、彼らを救うことの出来ないわれわれの社会の無力さに暗澹とするばかりである。
 吉本隆明が朝日新聞(00.5.14)に、豊川の少年とこの少年を、精神異常と正常との境界領域にあると述べ、現代では決して他人事ではないことを指摘していた。わかりやすい見解。その通りだと思う。こういう少年が、死んで、「ワンダフルライフ」の映画に出演したらどうなるのか。たぶん、この映画は成立しなくなる。死者に精神異常はいないと思うからだ。でも本当にそうだろうか。「ワンダフルライフ」に甘さがあるとしたら、そういうところだろう。徹底して死者の世界にこだわるのは、現実のこのような少年を登場させないためなのだ。


人間の壊れやすい時代 
2000.5.8(5.10加筆)
 この連休は最悪だった。風邪をこじらせほとんど寝たきり状態で連休を過ごした。熱が出、咳は止まらず、鼻水は出る。天気がいいのに体はだるい。何かにたたられてもいるのか。こうなりゃずっと直らないでいりゃいいものを、連休が明ける頃になると、やっぱり、何とか立ち直ってくる。が、今回はさすがに連休が明けても回復はしなかった。もう年だな。以前とは違う。
 なにもすることがないので、連休中はずっとテレビを見て過ごしたが、テレビでは、「人を殺す体験がしたかった」17歳の少年が、本当に人を殺してしまった事件と、同じ17歳の少年のバスジャック事件のことばかりを繰り返し放送していた。おまけに、あの、小学生の首を校門にさらした少年Aも、今17歳だという解説までついて、この連休中に、17歳はわけのわからん恐るべき年齢となった。世の中は、わたし以上に病気らしい。
 バスジャックの方は、要するに「切れた」人間のやけくそ的行動だろうから、その説明にそんなに悩むことはないが、やはり、「人を殺す体験がしたかった」と供述したという少年の方は、結構考えさせるものがあった。
 かつて文学的な「毒」にいかれていた連中は、みんなこういうことを言っていた。だから、この言葉は妙に懐かしい言葉として私には響いたのだ。そうだ、カミュの不条理というのを思い出す。人を殺す体験がしたかったと言って、人を殺す、そうこれは、文学的な不条理の出来事であり、人間のある本質の暴露そのものであった。
 そういうように考えれば、この少年のやったことは、それほど衝撃的なことではない。近代の生み出した自意識が必然的に抱え込む悪夢のような妄想を、ただ実行しただけなのだから。たぶんそういう奴は、数は少ないだろうが、今までにも何人かはいただろう。ただ、これだけあざやかに目立ってやった奴はいないだろうが。こういっちゃ、殺されたおばあさんにまったく気の毒なのだが、三島由紀夫が生きていたら、寺山修司が生きていたら、この少年を妬みさえしたろう。
 ただ、私が感じた違和感は、何故、今の時代に、こんな少年が出てきたのか、ということであった。自意識が抱えた妄想に、形を与えなければならないような切実さを、現代はそれほど与えていないはずだ。自意識を肥大化させなければならないほど、今のわれわれの時代は貧しくはない。あるいは、自意識に過度の要求を課していない。
 現代はヴァーチャルの時代で、ゲームと現実の区別が失われ、ゲームで人を殺す感覚と実際に人を殺す感覚とが無くなっている、といった通説を私はあまり信じない。人は、関係や身体的なわずらわしさがいやだから、ゲームに逃避する。子どもがゲームに夢中になるのは、ゲームで世界を疑似体験できるからではなく、ゲームは、現実社会のわずらわしさをかっこに括ってくれるからだ。煩わしさをかっこに括ることの蔓延した時代。それが現代なのだ。ヴァーチャルな時代は、現実がわずらわしくやっかいだからこそ成立する。だとすれば、この少年は、このかっこに括ることにある意味で逆らったのだ。が、この少年には、現実のわずらわしさのそのやっかいさへの想像力があまりに欠如していた。これが致命的だった。
 人を殺すことは、たぶんに現実が人におしつける最もやっかいな事態である。人はそうなることを恐れ、そうならない様々な仕組みの上で生きている。だからこそ人は現実の上ではなくゲームの上で人を殺す。
 子どもだから、このやっかいさがわからないというはずはない。こどもが大人になりたくないのは十分に大人の抱え込むやっかいさがわかっているからだ。だが、おそらく、この少年には、このやっかいさがわかっていなかったのだと思われる。それは、現実の関係や身体のやっかいさをかっこに括ること自体に快感を認めないことである。この少年はゲームを夢中になってやっていたと言われているが、彼の生きる感覚の中では、現実を生きることと同時に、ゲームもまた十分に面倒くさくなっていった可能性がある。つまり、彼は現実をかっこに括ってゲームに夢中になる必然性をどこかでなくしてしまったのではないか。かっこに括るほどの現実を持たなかったということだ。それは、ある意味で、すべてがヴァーチャルな世界と同じになることだ。むろんそれはヴァーチャルな世界にひたり過ぎて現実と区別がつかなくなったのとは違う。ただ生きること自体の根拠を、その存在の仕方において見失ったということだ。生きる感覚になんとかメリハリをつける。それが、この少年にとってのとりあえずの生きる根拠の実感的回復だったろう。
 人を殺すという究極のやっかいさを実行することで、生きる感覚にメリハリをつけたかった可能性はある。そう考えたとしたら、この少年は、人を殺すという事態が招き寄せるやっかいさへの感覚が最初から欠如していたということを物語る。欠如しているからこそ、人を殺すというとてつもないことを、生きる感覚のメリハリを回復する程度のこととして、実行できたのだ。
 何故、人を殺すことへのやっかいさへの想像力が欠如しているのだろう。殺す相手への痛みも、殺した自分が引き受ける重荷に対しても「どうでもいい」という感覚がそこにあるからだろう。言い換えれば、そこに惜しむべき自分もしくは他者が存在していない、ということだ。この感覚は少しだがわかる気はする。
 自分(あるいは人間)など別にどうだっていい、という感覚からみえる世界には、たぶん、生きるためのやっかいさなど存在しようがない。そういうぼろぼろにもろい生の上で、自分の何かを確かめようとしたら、自分は壊れてしまうだけだ。自分という人間が壊れてしまう。
 バスをハイジャックした少年は、家庭で暴れ、親と警察に精神病院に強制入院させられていた。親が悪いというわけでもなく、入院が悪いというわけではないだろう。が、病の人間を直すのではなく、壊してしまう社会が現にあるということだ。
 人間は壊れやすいものだとつくづく思う。テレビの「伝説の教師」なる番組で、教師役のダウンタウンの松本が、いじめは良くないというスマップの仲居の正論に対して、いじめから抜け出すには、いじめられることに快感を感じるか、それを笑って受け止めるしかないといじめられている生徒に語っていた。つまり、壊れる寸前のところまで行くしかないということだ。残念ながら、この時代に、いじめに対して、真っ向から「止めろ」と言える論理をわれわれは見いだしていない。こういう時代を、壊れやすい子ども達が生きていくのは本当に大変だな、と思う。

寺山修司とアニミズム 
 今日(12日)、何とか「短歌朝日」の原稿を書き上げ、FAXで送った。「今日、寺山修司の土俗性を受け継ぐ者は誰か」という問いに答える文章を依頼されていて、今日が締め切り。
 短い文章だが、けっこう疲れた。最近、短歌や俳句関係から短い文章の依頼が多くなっていて、月に3本くらいは書くはめになっている。なるべく自分の楽しみとして書くように心がけてはいるが、さすがに疲れる。このあと、短歌誌「月光」に短歌の時評を書いて送らなくては。本当は締め切りが過ぎているのだが。21日には、俳句誌「童子」に連載している、俳句の言葉論の締め切りだ。来週からは、新学期の授業が始まるというのに。しかも、22日には、少数民族文化研究会の公開研究発表会があり、その準備もしなくては。好きで忙しくしているのはわかっているのだが、第二の小渕さんにならないように気をつけなくては。
 寺山の土俗性は、実は今までまともに論じられてはいない。言葉の錬金術師である寺山の想像力が生み出したものだという評価がおおかたで、土俗性と呼ばれる何かの側に立って、論じられてはいない。だから、問いには答えられない、というのが私の結論。
 ただ、この文章で、少し言いたかったことは、アニミズムの論じ方の問題である。寺山の作品にアニミズム(寺山流の脚色を経てはいるが)を見いだすのはたやすい。だが、それを、寺山の言葉の魔術といってしまうと、アニミズムは、寺山のモダニティそのものに過ぎなくなる。
 この問題は、古代を論じる時にいつもつきまとう問題だ。古代を歴史の中に取り込める範囲で扱うなら、丹念に文字資料や、考古学の資料の検証の上に、ある方法化された歴史のパラダイムの中に閉じこめればよい。が、私は、どうしても、歴史というパラダイムの及ばない領域を見たくなってしまう。最初から見えるものはつまらないという固定観念が私の中にあるのだ。 私が、古代文学研究をやりながら、一方で、文芸評論をやっているのは(できるのは)、たぶんそういう固定観念のせいだ。
 だから、私は、アニミズムを、われわれの歴史を越えた、ある普遍の相として見たいと思っている。「普遍」というのは、論理的に見たいということだ。見えないからみたい。われわれと断層があるから見たいのだ。
 この私の願望は、現在の私の幻想に過ぎないなどとは思わない。幻想なら、この世界すべてが幻想だ。すべてが幻想だとして、そのすべての中で、なぜ、アニミズムを見たいとあえて思うのか。その全原因を自分に帰すことはしない。自分は、自分の中からすべてが始まると思うほど大した存在ではない。
 アニミズムをもっと限定的に用いるなら、神の側とこちら側との境界領域の現象、ということだ。この境界領域の現象を、たとえば、言葉の問題として語るなら、それは、シャーマンの言葉になる。
 寺山は、寺山なりの感性でシャーマンを幻想した。彼は言葉によってシャーマンになれなかったので(もしなれていたら彼は短歌をやめたりはしなかった)、演劇的装置によって、境界領域を視覚化しようとした。彼の禍々しい演劇空間は、シャーマンが位置したであろう境界領域への、寺山なりのイメージである。
 境界領域という現象がまずある。日本の土俗性は、このまずある境界領域を、生活文化の隅々に組みこんで、それを畏れ忌みした。 このかなり根強い、境界領域的文化に、寺山は触れ、かなわないとどこかで思ったのだ。そこでは、聖と俗が、死と生が混じり合い反転し、清らかで毒々しい。その土俗性の圧倒的なエネルギーは、アングラ演劇や舞踏のテーマになった。アニミズムをさらに普遍化してしまえば、「生命力」みたいなものだ。過ぎたる生命力は暴力やエロスになる。その過ぎたる生命力も境界領域の現象である。
 寺山が活躍した70年代は、この過剰なる生命力が、一つの表現文化として機能した時代だった。その禍々しい力のイメージは、反乱の時代、全共闘の時代には、若者のエネルギーの代弁だったし、戦後の硬直した時代にノンをつきけつる象徴になりえた。寺山の土俗性とは一方でそういうものだった。
 が、90年代になって、アニミズム的様相は一変した。その過剰な生命力は、表現としてのあらわれを失った。それが、社会や人間を通して表に登場したとき、そこにわれわれは社会が人間がどこかで壊れてしまった姿を見た。たとえば、それは、小学生の首を校門にさらし、その行為を神話的に表現した少年Aの行為として実感した。禍々しさが、豊穣な表現の言葉になる幸福な時代は終わってしまったのだ。今、われわれの社会の境界的表象とは、壊れた人間の姿をさらすものでしかない。
 こういう時代にたとえば、シャーマンの言葉は、われわれの表現の問題としてどう受け止められるべきなのか。
 それは、境界領域においてシャーマンの言葉が持っている、自律的様相であるだろう。シャーマンの言葉は、実は、醒めている言葉でもある。その醒めている様相、つまり、一方での禍々しい向こう側の領域を抑制する様相、それがなければシャーマンにはなれない。 それを自律的とここでは呼ぶが、その自律的様相において、境界領域はわれわれに意味あるあらわれを持つ。たとえば、それを「自然」と置き換えても同じことだ。今もとめられているのは「自然」の自律的あらわれであって、「自然」の禍々しさではない。
 その意味では、寺山の時代は確実に終わった。だが、寺山が「触れて」しまった、アニミズム的境界領域は終わったわけではない。触れたものをどう表現していくかというところでの試行錯誤は未だ続いている。その点では、寺山は終わっていないのである。(4・12、更新4・14)


認識することとふるまうこと  4.2
   柄谷行人 『倫理21』(2000.2.23 平凡社)を読む
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人間を優しく肯定する村上春樹
   村上春樹『神の子どもたちはみな踊る』(新潮社 2000.2.15)を読む
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公的な生き方と私的な生き方 

 毎日新聞(3月19日)に、中西輝政が、「公」と「建前」の復権を、という文章を書いていた。彼がそのように主張する理由は、私的な生き方が蔓延してしまった結果、日本人は、危機感を持たないきわめて危うい社会を作り上げてしまったということらしい。たとえば、台湾総統の選挙で独立派が勝利したとき、戦争の危機を心配した世界は新聞のトップで扱ったが、日本の新聞は、若乃花引退のニュースの扱いの方が大きく、それは、日本人の関心が台湾と中国との戦争への危機よりも、相撲の方に関心があったからだと言う。そうなつた理由として、日本人が、公的な生き方を排除し、私的な世界に閉じこもっているからだと述べる。公的な生き方とは、自らを、国家や社会に帰属すると強く意識し、国家や社会の危機に我がことのように反応するか、国家や社会のあるべき姿を前提に自分の生き方を律する生き方と考えるモラリスティックな生き方のことだろう。
 このような主張は、最近よく目に付く。たとえば、柄谷行人なども、人間の公的な生き方に向けた思想の再構築に向かっている(「倫理21」)。
 こういう主張はわからないではない。が、なんとなく、まともにうなづきたくないことも確かだ。女子高生の援助交際にしても、保険金殺人にしても、あるいは、そこまでではないにしても、利己的である社会の人間の多さに、これでいいのか、といいたくなることはある。だが、そのことに対する解決として、今まで持ち出された意見は、道徳の復活であり、あるいは父性の復権であったり、あるいは国家的な公の復権であったりした。しかし、そういう保守的な主張は、どうして、日本人が公的な規範を軽んじ私的な世界に閉じこもり、あるいは利己的に見えるような生き方を選んだのか、そのことの理由も原因も深く追求して出てきたものではなかった。
 道徳も公の尊重も、無条件に私的な個人の上位に立つ権威だからこそ、ただそういうものの復権を唱えただけだった。だから、誰もそういう意見をまともに聞かなかったし、言う方だって、ただ言ってみるだけというものでしかなかった。
 中西の主張は、本当の意味での公の復権をというものであるが、本当のというのは、当然、今まで保守のおじさん達が唱えてきた道徳や公の主張のようではなく、たとえば、欧米の個人主義の社会を律しているような、公的なモラルの復権というようなものなのであろう。
 確かに、欧米の公的なものへの信頼は、日本のように屈折はしていない。人権・自由という概念を守るために戦争を辞さない姿勢に、それが建前だとしても、その建前すらもてないでいるわれわれからはとてもかなわないという気がする。が、そのことを、われわれがそうなるべきだという主張に簡単に結びつけるべきではない。
 結局は、公私をわきまえ、公的な存在としての自己を優先し得る個人の確立を唱えているのだろうが、それが、夏目漱石以来何度も繰り返し知識人によって言われながら、いまだに言われ続けることの意味をやはり考えるべきだろう。日本人には個人主義は無理だというのではない。実は、われわれは、明治以来公的なものをずっと優先させてきた。その公的なものを、普遍的な個人という存在の内面的な問題にいったん帰して、そこから、たとえば天皇制のようなものではない、公共的なものという意味での公的なものを優先させろというのは、たぶん無理だ。何故なら、そのような言い方がいつも、管理する側からの命令もしくは啓蒙でしかないからだ。
 現代の私的な個人は、この啓蒙や命令のうさんくささを誰もが知っている。だから道徳や説教を嫌う。自分が、とりあえず勝手に生きてみて、これはまずいと思う中で、私的な生き方を超えた公共的なものに気付いていく、そういう以外に、モラルなど身に付きようがないことを、直感的にわかっている。が、そういう気付き方は、時間がかかるし、見えにくい。だから、啓蒙的なものの言い方が身についているものには、現代の私的な個人は、どうしようもない人間に見えて仕方がないのだ。
 中西の主張の欠点はこの啓蒙的なものの言い方にある。と同時に、その公的なものというときの、公的なイメージがやや古いということにある。私的な世界と公的な世界の区別は、実は、現代にあってそれほど明確ではない。この私自身を考えても、どこまでが公的でどこまでが私的なのか、よくわからない。仮に、国家のあり方や、あるいは、社会的な公正やモラルの問題を真剣に考えたり行動したりする事が公的な生き方であり、自分の経済活動や生活のことのみを考える時が私的だとするなら、結局それは、普遍的なものへのまなざしやそういう存在へなろうとするものを公的な存在といい、そういう存在に無知であるか背を向けているものを私的ということになるだろう。
 が、この分け方はたぶんに19世紀的だし発展途上国的分け方である。つまり、生活の活動や経済活動と、それらを管理する活動とが分離され、管理する活動そのものが公的な権威とモラルを強制する側にある、そういう社会や時代の分け方であるということだ。
 今のわれわれの社会はすでに管理する側と管理される側との境界は見えなくなりつつあるし、あるとしても、管理する側の公的な権威自体ほとんど無くなっている。言い換えれば、グローバル化した経済活動と、NGOのようなボランティア活動は表裏一体なのであって、私的な利害追求の経済活動と、十分モラリスティックな公共的活動が、対立的でなく相互補完的になってきているのが現在の状況である。これはわれわれの公共性が、管理するものと管理されるものとの対立項から生まれるのではなく、個々人の生活や経済活動のその展開の中に孕まれる問題として浮上してきていることを意味している。旧来は、これを特権的な人々の慈善活動という捉え方をしていたが、これも19世紀的な見方だ。
 現在の公共性は、われわれが、その生活の範囲や経済活動を多様化させ、急速に拡大していかざるをえない時に、必然的にかかえこまざるをえないものなのだ。エコロジーに配慮しない企業が、経済の競争に負けるような事態がそれを象徴していよう。
 とすれば、今われわれにとっての公の復権とは、われわれのの生活や経済活動の中から生み出されていくものである、という認識が必要だろう。つまり、私的なものから、公的なものが生まれると考えるべきだ。少なくとも、それらを私的なものとみなし、それを抑制することで公的な復権を唱える考え方は、どんなに、保守のおじさんの主張とは違うといったところで、たいして違わなくなってしまうのである。
 むろん、われわれの生活や経済活動が、そううまくわれわれの公共的な生き方の道筋をつけるとは思っていない。その前に、極めて利己的で、私の中にに閉じこもってしまうわれわれの私的な生き方が何故生じるのか、その探求が必要だろう。閉じていてはだめだというのはたやすいのだ。
 それから、公的な権威へのわれわれの警戒感は、歴史的なものである。これを無視してはならないだろう。戦後の日本人が、公的な主張の権威性に対して距離をとったのは、そこに、戦前の国家主義を、あるいはスターリニズムの匂いを敏感に感じ取ったからで、その感覚は間違ってはいない。戦後の日本の管理する側(知識人を含めて)は、この、公的なものへの嫌悪を克服する努力を何らしてこなかった。
 公的な権威性のいかがわしさを一度知ってしまったわれわれ日本人に、たぶん、公的な世界の復権を唱えてもむなしいだけだろう。問題は、新たな公的な思想の構築なのではなく、私的な世界に閉じこもるだけでは、われわれは快適にあるいは安心して生きていけない、という事柄を、いかがわしくない言葉としてどう届かせるか、ということなのだ。
 この努力なしに、いきなり、公的な世界の復権と言ったって、このおじさんなにとちくるっちゃったの、と女子高生あたりに言われるのがおちなのだ。
 つまり、今、われわれにとっての最大の問題は、思想というようなものを語る言葉をどう届かせるか、ということであって、そのことへ探求もしくは試行錯誤こそが、思想を作っていく、ということにあるのだ。そして、その言葉は、たぶんにわれわれの生活や経済活動の中から生まれてくるものだ、ということだ。むろん、哲学や思想などの普遍的な知が無効だと言っているのではない。それらをどういかすか、あるいはどういう言葉で語るか、という問題として言っているのだ。(3月29日大幅改稿) 


閉じられることと、開かれること

 私は、他者と、強制されるようなものによってでなく、うまくコミュニケーションできないような何かを共有するようなかたちで、他者に開かれたいという願望が強い。そのような願望を実現する前に、他者と出会うことを強制されると、拒否したくなる屈折を抱え込んでいる。私はそういうやっかいな感性をかなりかかえこんでいるが、それを否定はしたくない。
  そういうやっかいさを、今のところ、「私的」という言い方でしか言い表せないのは、人間を表現する言葉が貧しいせいだ。閉じられている自分を肯定すること、そのことを否定せずに、もっと気楽に人と出会えること、簡単に言えばそれが私のテーマである。今の時代、私的に生きていることは(利己的ということではなく、自分以外の世界に手が回らないような生き方)決してわがままなのではない。これだけ、情報が発達し、移動手段が発達し、利益のために人と人との出会いを強制する資本主義が発達すると、うまく自分を他人に開いていくための手続きや速度や許容量などが最初から無視され、濁流に翻弄されるように他人と出会い(その出会いには競争という意味合いもある)、その無理矢理の他人を通してしかしか自分を確保できないのだ。これでは身が持たない。私的に閉じられて生きることは、今の時代では、賢明な防御なのだ。
 人と人とのコミュニケーションが盛んになり、出会いを邪魔する障壁がだんだんと取り除かれつつある現代社会を生きる人間が、何故、孤独になりつつあるのか。人とたくさん出会うことが何故人を孤立させるのか。
 今、文学に意味があるとすれば、とりあえず閉じられて生きられるからだ。閉じられて、そして、そこで他者と出会う方法が書かれているように見えるからだ。それは、宗教ではないかと言えば、そういう点だけとらえれば宗教と似ている。(むろん、まったく違うものだが。)
 今、(私にとってだが)少数民族の文化に意味があるのは、彼らは、他者と出会うことを強制しない文化を持っているからだ。他者を情報と言い換えれば、彼らは情報から閉ざされている。だから、貧しいのだが、しかし、彼らも決して他者を排除しているわけではない。他者と出会うのはそれぞれの速度と順序というものがあって、その流儀を変えない文化をもっているといいうことだ。むろん、今、急激な近代化の波に翻弄されて彼らもその流儀を変えなければならなくなっている。今、彼らの存在そのものが文学だが、そのうち、彼らも文学を必要とするようになるかもしれない。
 さて私は、実際には、社会的な存在として十分に公的な立場をわきまえ、そんなにひねくれたあるいは閉じこもった生活をしているわけではない。ただ、そういう公的な生き方はつまらないし、そういうところに生き甲斐を見いだすようにはなりたくない。それだけである。(3月25日)
 

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