鎌足の地名由来

鎌  足  村  誌
第 一 章 総 論
第一節 名    称

 鎌足はカマタリと訓ず 今その村名の由來を尋ねるに,大字矢那の内通稱高倉に一つの寺がある。平野山高蔵寺と称える。今を去る一千二百有余年前人皇卅一代用明天皇の御宇に徳義と云う僧の開基する所である。本尊観世音菩薩は尊体四寸霊験著しく、伝る所によれば昔時大織冠鎌足公の祖父猪野長官なるものが此地に住んでいた。当時長官四十才に及ぶも子がないのを憂え夫婦共に当山に参籠して、祈願をこめること一百日に及んだ頃に、果して霊験があつた。爾来信仰いよいよ厚く、鎌足公の時に至つてますます信仰の度を加え、遂に孝徳天皇白雉年聞伽藍を建立して寄進され、其後聖武天皇天平中僧行基、観音の像を彫刻して堂宇を再建したが、後属々欒革があつて、清和天皇貞観年中藤原時重が現在の堂宇を再延したと云うことである。
 なか旧村役場附近の地を猪台と称え、古昔猪野と稀する連綿たる一旧家があつた。前記猪野長官がかつて住んでいたと云う。村民は古来鎌足公を信奉すること厚く、その信念は終に諒を以て村名とするに至つたと云う。即ち明治二十年町村制度施行に当たって旧矢那村。草敷村を合わせって鎌足村と称えることになったのである。以上は高蔵寺縁起及び口碑伝説による。



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鎌足村誌より(昭和30年発行)


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