疲れた心に慈雨のように

書評『雪のひとひら』と『スノーグース』

ポール・ギャリコ 矢川澄子訳

新潮文庫 1997年

雪のひとひら

清水 満

 毎日、毎日ルーティン・ワークが続くと息づまる思いがしてきます。同じ道を歩き、同じような仕事をし、同じようにあいそ笑いをし、同じようにタメ息をつきつつ帰る。心が惰性でひからび、雨を忘れた大地がひびわれ、砂漠のようにカサカサになっていくのがわかります。

 こんなとき、すべてを忘れて通りゆくスコールの激しい雨粒に打たれるがままにしたいという思いに捉われます。乾ききった心に爽快な慈雨がしみとおり、だんだんとしっとりした潤いが体に行きわたるあの心地。ひととおり降りしきったあとに来るものはご存知のとおり、美しい虹なのです。

 忙しい日々における良書との出会いはこんな慈雨にも似たものがあります。それは実際の天候と同様に僥倖ともいうべきめぐり逢いで、いつでもできるというものではありません。しかし、同時にめぐりめぐってさりげなく訪れるものでもあり、ここでみなさんに私の好きな本を紹介できるというのも、そうした幸運のあらわれの一つと考えたく思います。

 そこで、お勧めするものが、ポール・ギャリコのファンタジー『雪のひとひら』と『スノーグース』です。

 ギャリコのことは大学時代の教養部の英語の教科書で知りましたが、退屈なあの講読授業がもたらした幸運でもありました。ふだんはそんなことをしないのに、話の面白さについ引き込まれ、授業とは無関係に自分で辞書を引き引き最後まで読んだのが『スノーグース』でした。

 これは障害をもつ孤独な画家ラヤダーと、傷ついたスノーグース(白雁)を抱えた少女の物語で、愛と勇気のファンタジーです。ラヤダーは人目をさけて引きこもるように燈台小屋に暮らしていましたが、ある日、動物を愛する彼に傷ついたスノーグースを治してもらいに来た少女フリスとのあいだに心の交流が生まれ、最後は戦争で苦しむ兵士のためにみずから命をかけて救援に旅立つのです。筋立てとしても面白く、読書が苦手だという中学生などにもピッタリです。

 『雪のひとひら』は、たぶんギャリコのいちばんの傑作ではないかと思います。はるかな空から舞いおりたひとひらの雪の誕生から死にいたるまでの旅と生き様とを、純粋に、じつにこまやかに描いたもので、それがある平凡な女性の一生の象徴となっている物語です。

 これを子どもさんだけに「教育的読書」として読ませるのはもったいない。大人こそが生へのいとおしさをかみしめつつ、宝物のようにしてページをめくるような「珠玉の篇」でもあります。文庫版に新たに添えられた挿し絵もそれに応える美しいものです。

 物語は、空の高みで生まれた〈雪のひとひら〉が山の村に降りて子どもたちの遊びに使われる場面からはじまります。

 春がきて水の一滴となって川を下り、〈雨のしずく〉という伴侶と出会い、子どもたちを育み、さまざまな苦難を互いに励ましあってのりこえたり、あるいは美しい景色などに出会う歓びを分かち合いながら、海へ向かってすすんでいきます。

 夫を喪い、子どもたちも旅立ったのち、いまわのきわに、孤独と不安の中でおのれの生きた意味を問わずにいられない〈雪のひとひら〉...。そして、つつましく誠実に生きてきた自分の一生がささやかながら人々の役に立ち、何ひとつ無意味なものはなかったことに彼女が気づくという最後のくだりに、心を揺さぶられない人はいないでしょう。

 読書も人との出会いと同じでいろんな出会いがあります。人が道に迷ったとき、困難に面し人間への信頼を失いかけそうになったとき、あるいはすべてに飽きて生きる意味を見いだせなくなったときなど、小さなキャンドルのように行く手を照らし、乾ききった大地にしみ込む慈雨のような本との出会いもあるのです。

 私にとってギャリコの作品はそういうかけがえのないものでしたし、きっとみなさんやお子さん方にとってもそうなるのではないかという〈真実〉を彼の作品はもっていると思います。

以上の書評は生活クラブ生協の『本の花束』に依頼されて掲載したものです。