芸備線・野馳(若山牧水歌集)



若山牧水歌集

若山牧水の作品や経歴についての知識は、私にはほとんど無い。中学校の国語の教科書に載っていた「白鳥は・ ・ ・ 」と「幾山河・ ・ ・ 」の二首ぐらいを覚えている程度である。
ここで紹介するのは後者の「幾山河越えさり行かば寂しさのはてなむ國ぞ今日も旅ゆく」のほうで、若山牧水の作品への憧れではなく「寂しさのはてなむ國」とはどのような所なのかという興味が、このときの旅の動機になっている。
「寂しさのはてなむ國」の地は、広島県との県境に近い岡山県の野馳駅から15分ほどの場所にある。今では鉄道よりも中国自動車道で行ったほうが早い。
以下に哲西町教育委員会の説明文を引用する
若山牧水の「幾山河・ ・」の歌は、「中国を巡りて」と題し歌集「海の声」「別離」などに発表され、多くの人々に愛誦されてきた。
明治四十年七月、早稲田大学の学生であった牧水は、夏休みに郷里日向(宮崎県)への帰途、同学の学友であり、同じ尾上柴舟の門下で、特に親しかった有本芳水にすすめられ、岡山、高梁、新見、宮島、山口と中国を旅した。
このとき備中から備後へ越えようとして、峠にゆき暮れ、茶店に泊り、「けふもまたこころの鉦をうち鳴らし、うち鳴らしつつあくがれて行く」の歌と「幾山河・ ・」の歌二首をしたためて、芳水に宛て送ったという。
牧水が泊った峠の茶店が、ここ二本松峠の熊谷屋(安達氏)であることが、倉敷天文台の本田実氏によって確かめられた。
昭和三十八年哲西町に建設委員会を設け、全国有志の協力を得て、翌年十一月、熊谷屋々敷跡へこの歌碑を建設した。
石材は尼子氏の富田城址月山のある出雲(島根県)広瀬町の花こう岩、文字は牧水が大正十年伊豆で書いたもの。

この峠道は、昔は人馬の往来がしげく、熊谷屋はよい休憩所であった。江戸時代には、国境の御番所がおかれていた。
昭和五年芸備線が開通し、旧道はさびれ、茶店はなくなった。

哲西町教育委員会
哲西町自然と文化の保護協議会
(原文のママ)