三十石船/落語

「米朝ばなし/桂米朝」から
「三十石」の船が、伏見・寺田屋の浜を離れると、川の本流へ出て、キリーッと舳先を回して、下(しも)へ向けます。
船頭が「ウントショーイ!」と漕ぎ出す。船が出ると、船頭が船唄を歌います。
「伏見中書島(ちゅうしょじま)、泥島なれどヨーエ、なぜか撞木町(しゅもくまち)や、藪の中ヨ、ヤレサヨイヨイヨーイ・・」

今回は、「竜馬がゆく/司馬遼太郎」にも出てくる伏見寺田屋の周辺の散策コースです。
★伏見・寺田屋周辺へは京阪電気鉄道の伏見桃山駅か中書島駅下車が便利です。近鉄京都線桃山御陵前駅やJR奈良線桃山駅からも徒歩圏内です。



京阪2600系

京阪スーパーカースタイルの2600系です。
この編成は三条から中書島を経由して宇治線に入るローカル列車です。このため4両編成になっています。



料亭・魚三楼

伏見区内だけでなく京都市の中でも有数の老舗が写真の魚三楼です。この料亭は伏見桃山駅の東側にあります。




月桂冠株式会社の犬矢来

無理に作ったものを除くと、これほどまでに巨大な犬矢来は見たことがありません。この大きさから「馬矢来」と言われることもあるそうです。(月桂冠株式会社の旧社名は大倉酒造でした)




大倉記念館

伏見は兵庫県の灘五郷と並ぶ日本酒の産地です。この周辺は「清酒・月桂冠」で有名な月桂冠株式会社の発祥地であることから、昔の建物群がそのまま保存されています。なお、伏見周辺には現在でも多くの日本酒メーカーがあります。




酒蔵と宇治川派流

「島の弁天さん」と呼ばれる長建寺の近くから見た酒蔵の風景です。「島の弁天さん」の島とは中書島のことです。城下町時代に脇坂中務大輔安治の邸宅があり、中務大輔の唐名が中書だったことから中書島という地名になっています。脇坂家は後の洲本城主〜龍野城主です。



 

この写真は、1970年に中書島駅で撮影したものです。車両は500形です。




伏見・寺田屋の浜

写真手前が京都と大阪を結んでいた三十石船です。昔の三十石船の船頭は、元々は小豆島の出身者が多かったそうですが、しだいに各地の言葉が入り混じったことから独特な船頭言葉になっていました。

京・大坂の三十石船は、下り船は川の流れに乗るので速く、上り船は歩くより遅かったそうです。しかし、夜行の上り船は眠っている間に伏見に着くことから人気があり、大いに繁盛したといいます。





寺田屋


坂本竜馬の宿として知られている寺田屋です。「旅篭」の看板にも江戸時代の香りが漂っています。




我が国電車発祥の地

明治28年に日本で最初の営業電車として開業したのが京都市電伏見線(開業時は私企業の京都電気鉄道)でした。写真の駿河屋本店の片隅に記念碑が建っています。(記念碑はバイクの裏です)
この市電開業時の電車には、先に走って行って信号を切り替えたり、通行人に電車が来ることを知らせたりする「先走り」という少年が乗っていたそうです。その掛け声は「あぶのおっせ〜、どいとくれやっしゃ!(危ないですから、後ろへ下がってください)」というものでした。


 

京都駅前の京都市電です。(1970年)


 

「三十石船」の旅 (おわり)


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