悪役のふるさと(榎本武揚)/村松友視



「歴史上、なぜか悪役にさせられた人たちがいる。これはおそらく時の権力の都合、あるいは後世の歴史の都合によって価値づけられたのであり、当時の人々の中でそのような認定をされていたのかどうかは、はなはだ疑わしい」

「安部公房氏の作品の中でも特異な位置にある『榎本武揚』が好きで私は何度か読んでいる。とくに、榎本武揚の考えが読めないで悩む土方歳三の苛立ちが面白かったし、何よりも”転向”をからめた榎本武揚像が緻密に書き込まれているのが興味深かった。一つの時代に忠誠を尽くし、新しい時代にも忠誠を尽くすと、人は”裏切り”や”転向”という言葉を向ける」(村松友視著「悪役のふるさと」から)

★榎本武揚(釜次郎)(1836−1908)
幕末・明治期の幕臣・政治家。
江戸下谷(したや)生まれ。少年時代、昌平坂学問所で学び、その後蘭学伝習生として長崎へ行き、江戸に戻って海軍操練所教授となる。文久二年(1862)オランダに留学、帰朝後、幕府海軍の副総裁となる。
しかし、明治元年(1868)、新政府軍が江戸を占領すると、徳川艦隊を率いて江戸湾を脱出、箱館(現在の函館)の五稜郭によって新政府に抗した。翌年降伏したが、明治五年(1872)から北海道開拓使四等官(現在の県知事クラスの扱い)として新政府に出仕、明治七年には海軍中将兼特命全権大使として露国公使館勤務を命ぜられ、以後いくつかの大臣を歴任して子爵に列せられるまでになった。

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