メモ

シリアル番号 表題 日付

1092

ペロポネソス戦争

2006/12/07

ペロポンネス戦争ともいう。

紀元前431年から27年間に渡ってスパルタとアテネ間で戦われた内戦。アテネの降伏で終結。その契機は紀元前415年のシチリア遠征軍の壊滅であった。

ツキジデスの戦史によれば出兵に至った原因はアテネ市民の無知と政治家の野心であったとされる。出兵前の民会ではニアキスが慎重論を展開、ソクラテスの弟子で恋人であり、名門出身、若さ、美貌、才気で人気の高いアルキビアデスの積極論が圧倒した。そうしてシチリア遠征軍は「定からぬ未来に絶大なる希望を賭して」出港したと記す。

共同指揮官に選ばれた主戦派のアルキビアデスとラマコス、慎重派のニアキスの三人は意思統一を欠いていた。アルキビアデスは召還命令を不服としてスパルタに亡命し、情報を提供、ラマコスは戦死、ニアキスは尻込みして戦機を逸しシラクサイの迎撃で遠征軍は壊滅した。

アリストテレスはペリクレス病死後の若い政治家が無鉄砲なやり口で民衆を腐敗させ混迷を深めたと指摘している。

2006/12/4日経経済教室、歴史の教訓、香西泰


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