東京農工大シンポジウム

100年先から見てみよう

2003

 

2003年11月15日ビッグサイトで「100年先から見てみよう」というシンポジウムに参加して大変良い勉強をさせてもらった。100年先から見てみる会とは東京農工大の先生方が中心となっている会である。100年先の化石燃料が枯渇した時、人類が頼らねばならないバイオマスエネルギーのあるべき姿を想像してみようという誠に結構な企画である。

初めに中央官庁の政策の説明と地方自治体の長を代表して増田岩手県知事の講演があった。次に地方自治体の町・村長を中心とするパネルディスカッション、NPOを中心とするディスカッションで朝10時から午後6時までかかった。

エネ庁長官(代読)と農水省局長の講演が言っていることはいかに彼らが財務省を説得して補助金を分捕ってくることに精魂を傾けているかということである。そして折角確保した予算だからといって、これを消化するために、地方自治体の参加者に彼らが作った仕組みに参加するように嬉々として呼びかけている場でもあった。特にカーボンニュートラルなバイオマス利用に関しては農水省と通産省が珍しく縦割り行政の壁を取り払って協力しあう政策が紹介された。

増田岩手県知事は地方行政府は長い間、徴税権もなく、中央官庁が用意する補助金をどう分捕ってくるかに力をそそがざるを得ず、全国一律の、どこかで見かけた温泉、どこかでみかけたコスモスなど、地方の特色を持たない箱物行政に陥って、観光客にもそっぽをむかれ、ジリ貧となっている。いまのままでは、地方はますます衰退するばかりである。はやく彼らに徴税権を与えてその使途はみずから考えるようにしむけるべきであると講演された。岩手県は北海道に次ぐ面積を持つ県であるが、補助金制度の外で成功を収めた葛巻町の事例を午後のパネルディスカッションで中村葛巻町長みじからに紹介させると紹介された。

日本グラウンドワーク協会の福井隆事務局次長をまとめ役とする午後の地方自治体の町・村長を中心とするパネルディスカッションはまさに増田知事のおっしゃる中央官庁が用意する補助金の犠牲者を見る思いがした。彼らの発言を聞いていると経営トップから無理難題を吹きかけられた中間管理職が、ハイ!ガンバリマスと言って嵐が過ぎ去るのをじっと耐えている姿とダブった。「どうせうまく行かないだろうが、やむを得ない」と内心思っていることが顔に出ている。これでは上手く行かないなと感じる。

しかしそのなかで中村葛巻町長はちがった。民間経営者の感覚をもち、補助金の悪弊にそまらないすがすがしい話をされた。戦後、軍馬の生産牧場を葛巻町の民間有志が買取り、牧場経営にのりだし、その後1000メートルの山林を買い増して牧場の拡張に取り組んでいたところ、風力発電会社が適地と判断し、600kWの風力発電機を3基据付け、その後、電源開発が1700kW級の世界最大級の発電機を20基ここに設置することになり、その固定資産税で町は豊かになったとのこと。またここには木質チップ生産を継続している日本唯一の会社があるのでこれを中心にペレットストーブとして、ストーブは補助金で安く普及させるゼロックス商法で広めたいとの構想を語った。ちなみに現時点において日本には570基の風車があり、46万kWの発電能力をもっている。ソーラーせるは64万kWであるとのこと。

林業だけが産業という静岡県水窪町長の天野勝郎氏がおっしゃった「40樹齢年のヒノキつきの山林は20年前に1町歩の山林は700万円したのが10年前は300万円、今は30万円」の一言はやはりインパクトがあった。戦後の針葉樹の植林政策は破綻したなによりの証拠であろう。カーボンニュートラルのバイオマス利用といって針葉樹林の間伐材の分散発電利用に補助金を出すそうであるが、これなど地球温暖化防止に悪乗りする破綻した植林政策の延命策ではないのかと思う。

もし本当に地球の温暖化防止をしたいなら、手間隙かかる針葉樹の植林⇒間伐⇒伐採⇒植林の高コスト政策を放棄し、ただ放置しておいても自然に再生する広葉樹発電に予算をつけたらよいのにと思うのに誰も言及しない。中央官庁の総花的施策から見事に欠落しているのはなぜか不思議におもう。本件に関しては「中央集権から地方自治への狭間で」に詳しく考察してみた。

すがすがしい風をもたらした東京農工大の柏木教授の話はよかった。珍しく日本の議員立法でエネルギー基本法ができ、その精神は:

1.安定供給
2.環境に配慮したエネルギー
3.市場原理

の3つでまことに結構なことだが、英国は一歩進んでいて、

4.Affordability for poor

が加わっていてさすが先進国と感服したとおっしゃっていた。自由化すれば貧富の差は増す。これは必要悪だが、政治は弱者救済が大切な任務でちゃんと毒消しの仕掛けを用意しているとのこと。分散発電とマイクログリッド構想の話もイマジネーションをかき立てられるものであった。

NHKの斎藤宏保解説主幹をまとめ役とするNPO中心のパネルディスカッションは斎藤主幹の軽妙な采配で大いに楽しめた。同じ産業界に生きてきた元日本ゼオンの佐伯康治氏は長らく化学工場の閉ループ化に取り組んでこられた方だが、この方の100年後の世界観には同じ経験を有するものとして共感した。氏は中国・南アジアなど巨大な人口を擁する国家が先進国並な物質文明を享受しようとすれば、資源不足に陥るのは目に見えてあきらかで、そのような時代には

「リサイクル」⇒「リユース(繰り返し利用)」

「買い替え」⇒「修理(システムの再構築)」

「購買」⇒「リース(機能の利用)」

が再発見されるであろうと予言された。これは戦前・戦中・戦争直後の日本の状態であり、資源不足で必然そうなると予想される。氏が100年後も資本主義が経済原理であるかぎり、コストは無視できないといわれたことは正しいとおもう。ただ需給バランスが変われば許容できるコストも変わるだけなのだ。現時点で不可能なことが可能になる。石油資源が底をつけば価格は上昇し、バイオマス・エネルギー、ソーラーセル、燃料電池、水素燃料などみな採算ラインにはいることだろう。

グリーンウッド氏が付け加えるとすれば100年後のエネルギーの主体はバイオマスではなく、ソーラーセルになっているだろうということだ。理由は簡単である。ソーラーセルも生物と同じく自己増殖性はあってしかも生物よりエネルギー転換率が高いからである。生物による太陽エネルギーの回収効率は1%以下に対し、ソーラーセルは今でも10-20%で、まだ向上する可能性を秘めている。生物はエネルギーとして使うよりも生命の維持に使われるべきであろう。

November 16, 2003

Rev. May 30, 2010


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