* 音楽の国ドイツとフラメンコ *
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* ドイツ在住中のれぽ〜と 98年11月 *
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レナーテのレッスンの初日に、身長が180cmはある大柄な女性が話しかけてきた。 この日以来、パトリシアがいる時は彼女の車でフランクフルトに帰れることになった。その当時、私はドイツ語がほとんどしゃべれなかったので、よって会話は英語となった。だからといって、お互い流ちょうに英語が操れるわけでもなかったので、コミュニケーションをはかるのに、かなり苦労をした。自己紹介や簡単な日常会話くらいはしゃべれても、それ以上のことを語ることが出来ない。そのせいもあってか、
レッスンの後に「お茶でも飲みにいかない?」と誘っても、きっぱりと断られ、ひどく落ち込んだこともあった。 本題がそれてしまった。元に戻ろう。 |
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そんなある時、レナーテのスタジオでティモという“ブレリアス”(お祭りには欠かせない最もジプシー的な踊り)で有名なスペイン人のワークショップ(短期間に1曲の振付を教える講座)があり私も含めて多くのドイツ人が受講した。レナ | ||||||
ワークショップ | ||||||
ーテのスタジオは、定期的にスペイン人のワークショップがあるので(しかもかなり安い) ドイツならではの特典だろう。 ワークショップ中級クラス3日目の、まだほとんどの人が振付を覚えていない時に、 ティモが突然クワドロ形式で一人づつ踊ろうと言い出した。《クワドロ形式とは、
舞台の後ろにグループ全員が並んで立ってパルマ(手拍子)を叩きながら、一人づつ舞台の中央に出てきて自分の踊りを披露すること》 音楽の国ドイツに大きな夢を膨らませて来てみれば、最初は期待していたそれとはかなり違っていた。そのような印象があまりにも強烈だったので、ドイツ人の多くはリズム感が悪いと勝手に勘違いしていた。確かに、振付を覚えるのにはかなり時間が
かかるが、本当は、それはフラメンコのリズムを覚える為の重要なレッスンであったのだ。そんなことにずっと気付かなかった自分を情けなく感じる。 オレ、フラメンコ! 後日附記(日本帰国後) |
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