ひとりごと2001

2001年12月31日 月曜日

謹賀新年! 今年も宜しくお願いします。

 まだ2001年ですが、明日は早々に家をでて沖縄・石垣島へ向かいます。 外実元日の超割が取れたので大分倹約できました。 1週間くらい八重山の島巡りをして、3年ぶりに台湾を訪れたいと思ってます。 台湾では去年の中国で憶えた旅行中国語が通用するかどうか?楽しみです。


2001年12月10日 月曜日

 昨日、おとといと長野県の志賀高原からそれほど離れていない渋温泉に友人達と行ってきました。
98年の12月くらいにも行ったことがあったので今回で2度目ですが、いくつもある小さな共同浴場を訪れたりして楽しかったでした。 ただ、今回はみんな疲れていたのか?夕食後と次の日の午前中は部屋でまったりとしてました。
 最近、めっきり冷え込んできたので新潟・長野県境は雪景色、渋温泉は2日目の朝には雪が降ってました。 新潟市内でも今日の午前中に雪が降ってました。
 なんだかんだで帰国してから月に1回泊りがけで温泉に行っているみたいです。

 昨日、長野からのバスを降りるとなぜか体がだるくて頭がぼ〜っとしてました。 特に熱があるわけではなく、今日になって頭痛がしたのでもしかして蓄膿症の再発か?と思ったので耳鼻科で診察してもらうとただの「かぜ気味」だったそうです。
皆さん、かぜには気を付けましょう。

 早いもので、ネパールで蓄膿症になってから一年たちました。 診察していただいた先生の話しでは悪条件が重なって蓄膿症になったかもしれないそうです。 私はもともと花粉症持ちでじんましんになりやすい体質なので鼻やのどの粘膜が普通の人より弱いみたいです。
 安心して薬を処方していただいて、精算すると\4,300! びっくりしました。
 日本の薬はほとんど欧米企業の製品のライセンス生産。 日本人向けに調合してあるとはいえ値が張りますね。 タイがなつかしい。


2001年11月24日 土曜日

 一月ほど前に図書館から借りた「リー・クアンユー回顧録 ザ・シンガポール・ストーリー」をやっと読み終えました。 上下二冊で合計1,000ページなので時間がかかってしまいました。 大まかな内容はシンガポールの独立から今に到る話しと、リー・クアンユーが見た各国と首脳の話しです。
 今ではきれいに整備されたシンガポールですが、独立当時は混沌としていたこと、規制が多いのは太平洋戦争当時の日本軍占領下の統治がヒントになったこと、というのが面白いです。 第三者の目から見た他国の評価はなかなか鋭いと思います。

 今の日本社会は急激な変化を迫られてます。 それに伴う混乱が目につく今日このごろですが、参考になると思われる記述があったので引用します。 もともと、アメリカの雑誌の「西洋的価値観 対 東洋的価値観」についてのコメントです。

「一言でアジア的といえる形はないが、東アジアの儒教的社会と西洋の自由社会には根本的な違いがある。 儒教的社会において個人は、家庭・親戚・友人より広範な社会といった背景の一部として存在する。 また、政府が家庭の役割を担うことはできず、そうすべきでもない。 一方、西洋では家庭の機能が失われたとき政府がその穴を埋めることができると考える。 そのいい例がシングル・マザーだ。 この考え方は東洋人には近寄りがたい。 シンガポールでは社会の秩序や質実・勤勉・忠孝・年長者や勤労者に対する尊敬といった文化を守るのに、家族の結束、家族の個人への影響の強さといったものが大きな役割を果たしている。 これらの価値観が生産的な人間をはぐくみ、経済成長の基礎となるのである。

 自由というものは、秩序ある社会にしか存在しえない。 争いや社会混乱が続いているところにはありえないのだ。 東洋の社会が目標とするのは秩序ある社会である。 社会に秩序があるからこそだれもが最大限の自由を手に入れられると考えられる。 アメリカの現代社会には、アジア人にはどうしても受容できない部分がある。 銃や麻薬、暴力犯罪、浮浪、粗野な言動などによる市民社会の崩壊を示す部分である。 アメリカは、アメリカ文化が浸透しにくい国にまで無差別に押しつけるべきではない。

 人には善悪の区別をつける倫理観が必要だ。 世の中に悪は存在するが、社会の犠牲になっただけの人間を悪とは呼ばない。 アメリカにおける社会問題の多くは、社会を支える倫理の欠落、そして個人の責任感の低下に由来する。 アメリカのあるリベラルな学者が、アメリカ社会は十分高い水準に到達したので、だれもが自分のことだけをしているほうがうまくいく、という理論を展開した。 この理論はアメリカ国民に道徳観を捨てさせ、社会の倫理基盤を失わせた。」

 今の日本にそぐわない部分もあります。 しかし、最後の5行の「アメリカ」を「日本」に置き換えると今の日本の社会問題の原因の一つが見えてきます。 我々日本人は明治以来、西洋に追いつけ追い越せで西洋化を進めてきました。 まだ西洋から学ぶことがあるかもしれませんが、本来我々が持っていたものを見直すことも必要なのでは?と思いました。


2001年11月17日 土曜日

 昨日、運転免許の更新に新潟県の免許センターまで行ってきました。
ここ数年、免許の更新は最寄りの警察署で済ませましたがさすがに免許センターは専門の施設だけに処理がスムーズで手続きを始めてから新しい免許証をもらうまで1時間かかりませんでした。 もっとも私はペーパードライバーでして書類上、無事故無違反の「優良」の扱いだったので安全講習時間が30分ほどだったということもありますが・・・。 優良扱いだと講習時間だけでなく、講習料にも\1,000差がつくんですね?

 写りが良くないといわれる免許証の写真ですが、今回は表情はまあまあだったのですが、帽子をかぶっていたので髪の毛が頭にはりついて変な髪型で写ってました。 流れ作業で次から次へと処理されていたので注意する暇がありませんでした。

 前回がちょうど、免許証が小型化される直前だったので今まで大きめのものだったのでしたが、やっとクレジットカードくらいの大きさのものになりました。 どうでもいいことですが、ちょっと物足りない感じです。


2001年11月8日

 今日は新潟市から南南西へ70km、高速バスで1時間ちょっとの長岡市にある県立歴史博物館へ行きました。 特別展示で上杉謙信に関するものがあったので通常\400のところ、\700と割高でしたが、山形県米沢市にある上杉家の展示品も展示されていて、なかなか面白かったでした。 実は歴史がイマイチなので、戦国時代の本でも読みたいなぁと思いました。 しかし、中国物でも古代、中世、近代、現代と底無しなので読みたい本が〜! というほどあります。 ちなみに、今は県立図書館から借りたシンガポール上級相(名誉総理大臣にあたる?)のリー・クアンユーの回顧録を読んでます。 上下合わせて1,000ページありますが、面白いですよ。 しまった!そう言えば司馬遼太郎の本で購入したものの、読んでないものがたくさんあったんだった!

 さて、新潟県立歴史博物館に話しを戻しますが、常設展示の方は時間が無かったので全部じっくり見れませんでしたがなかなかでした。 新潟県オリジナルの縄文時代の火焔土器がこれだけ見れるのはここだけなのでは? あと、縄文時代の生活の展示は人形がかなりリアルでした。 40年くらい前の雪に覆われた町の展示も新潟ならではでしょう。 長岡へ立ち寄ることがあれば是非行ってみて下さい。 おすすめですよ。(ただ、県外の人で長岡に立ち寄ってのんびりする人なんかいないでしょうね。(^_^;)


2001年11月7日

 英語版ホームページを作成しました。

 でも、一部しか英訳せずに、ほとんどが工事中状態です。(^_^;)
まぁ、少しずつ作っていくつもりなので最初はこんなもんでしょうね。


2001年11月5日

ユーラシア大陸横断旅行記完了しました!

 やっと旅行記を書き終えました。 何人いるかわかりませんが、つきあってもらった皆さん、ありがとうございました。m(_ _)m

 しかし、私には画像取り込みをして、短縮版旅行記を書き上げ、それを英文化するという新たな任務?があります。 いつになるか分りませんが、お楽しみに!


2001年10月30日

新潟でダラダラしてます(^_^;)
I stay my hometown Niigata,Japan.

 お役所仕事や保険の請求を終え、実家でダラダラしてます。(^_^;)

 社会復帰!と勢い込んで旅人引退宣言をしましたが、なかなか進路が決まらずという情けない状況です。 今のところ、昔の仕事(プログラミング)をするか?心機一転して新たな資格をとるか?というところです。 新たな資格というのは、最近話題になっている治安の悪化に対応する関係で、防犯設備関係のことです。
 前々から思っていたことですが、日本の建物は簡単にドロボーできるようです。 海外で感じたのですが、日本人の防犯意識は「モラル」を前提にしているのでかなり甘いと言わざるをえないと思います。 日本人の社会自体、昔の「モラル」にかなり依存しているので、「モラル」が違う外国人、躾の悪いまま成長した一部の日本人には無防備です。


 私が前の旅行に出る前にはプリンターがデジカメに対応しきれてなかったのですが、最近はフィルムカメラのプリントに追いついたみたいですね? デジカメのプリントアウトしたものがフィルムカメラのプリントを追い越すのは時間の問題ですね。 そこで、そろそろカメラをデジカメに替えようかと考えてます。

 なんでそんなことを思い付いたかと言うと、このページに画像をのせる要求があるからです。 画像があれば見やすいでしょう? 98年の南西諸島縦断旅行、99年の東南アジア、2000年から始まって3週間前に終えたアジア横断旅行の写真をすべてCD-ROM化するつもりです。 それをもとに旅行記を短縮化して画像付きのものを新たに加えたいです。 あと、韓国人、中国人の友人からも画像がみたい、旅行記を読みたいという要求があるので英語版の編集もしたいです。
 ただ、これを実践するには今のリブレットだけでは不十分なので(パワーとHDの容量、バックアップ体勢が不十分)新たにデスクトップタイプのPCが欲しいところです。 最新のPCを駆使しても、管理人の能力に限界があるのでかなり時間がかかると思います。(^_^;) でも、最大の問題はお金ですね。 PCはともかく、ネガからのCD-ROM化にはフィルム5本につきだいたい\3,100かかるそうです。 今日、数えたらフィルムにして50本を越えそうです。 ということは、CD-ROMが10枚くらいになり、\31,000かかるということです。(^_^;) しかし、将来のことを考えるとある程度いい状態で保存したほうがいいかもしれません。


2001年10月12日

無事故郷の新潟に着きました!
I came back my hometown Niigata,Japan without probrem.

 昨日(10月11日)に北海道、小樽からのフェリーで無事、故郷新潟に到着しました。
昨夜は低気圧の通過で結構、船が揺れました。 冬の航海もこんな感じでしょう。(^_^;)

 着いた早々、手紙の整理をしました。 ほとんどがカード会社からのものですが、年賀状や旅先からの絵葉書が多いです。 前の旅行で知り合った人が結婚したり、旅行以外の友人からは子供の写真の年賀状が多く届いていて独身のわびしさを感じます。(^_^;) まあ普通に生活しているとこんなもんでしょう。

 整理はまだまだ続きます。 旅の途中で送った不要品の小包はまだ、未開封ですから。 あと、お役所仕事、保険会社へ医療費の請求などなど・・・。 でも最大の問題はやはり就職! とりあえず、1週間ほど家でのんびりしながら旅の後片付けでもしています。(^_^)

 今日(10月12日)は市役所で転入手続きをしました。 前回の東南アジア旅行の後の手続きはそれほどうるさくなかったのですが、今回は「どこに行ったか?」とか「入国してから時間がたっているが、どうしてだ?」などいろいろ聞かれました。 この御時世ですからねぇ。(-_-;)
 転入手続きが終わってから住民票の写しを作ってもらったのですが、前住所が帰国前にいたトルコ共和国になってました。 まあ、中国よりマシでしょうが・・・。(^_^;)

掲示板開設!

 待望の掲示板ができました! みなさん、是非ご利用を!(常識の範囲でね!(^_^))


2001年10月3日

無事帰国しました!
I came back Japan without probrem.

 9月21日の朝に無事、成田に到着しました。

 イスタンブールからマレーシア航空で飛びました。 機内のサービスはまずまずだったのですが、スケジュール(大体(^_^;))が以下のものだったので大変疲れました・・・。

9月19日 イスタンブール13:00発クアラルンプール着翌6:30の便に搭乗。 途中UAE、ドバイに立ち寄る。

9月20日 クアラルンプールの空港で1日中滞在。 大抵の航空会社はホテルを用意するが、マレーシア航空で
      はやってない。 20ドル払ってシャワー、食事付きのビジネスセンターを利用。
      クアラルンプール23:30発成田翌8:00の便に搭乗。

9月21日 成田着。 2晩ほとんど寝てない。

 経費節減のため、新潟か直江津(新潟県上越市)からフェリーに乗ることも考えましたが、疲れていたので挫折しました。(^_^;) さらに羽田まで行って千歳行き全日空に搭乗して札幌入りしました。
 札幌で2日滞在して体調を整えてから稚内へ向かって10月1日に今シーズンの営業を終え、閉所を迎えるユースホステル桃岩荘がある礼文島へ渡りました。

旅人引退宣言!

 10月1日の礼文島の宿、桃岩荘閉所に合わせて無職の旅人生活を終了することにしました。
旅人としての私は礼文島に置いてきました。

旅行の予定

 実家の新潟に戻ってから就職活動を開始して社会復帰を目指します。

 北海道にはあと、1週間くらい滞在予定です。(引退宣言と矛盾しますが・・・。(^_^;)) ちなみに今は十勝地方の池田町にいます。 あとはリンク集にのっているニセコの民宿アンビシャスにでも寄ってから小樽から新潟行きフェリーで帰る予定です。


2001年9月9日

トルコの地中海地方、港町のアンタルヤにいます!
Now I stay Antalya、Turkey.

 シリアから戻り、再びトルコを旅行中です。

 日本は既に開きの気配と思われますがいかがでしょうか? 北上したせいか?9月も半ばに向かっているせいか?最初は蒸し暑く感じたアンタルヤも次第に涼しくなっていく感じがします。

 トルコも西までいくと人の服装がヨーロッパに近づいている感じがします。 今までお目にかかれなかった現地女性の短パン姿や水着姿が拝めるようになりました。 ただ、肥満が多いのが難点ですが・・・。(^^;)
 服装だけでなく、最近は毎日ビールを飲んでいます。 ここ、アンタルヤは海鮮も楽しめますが、他の食べ物に比べて高いので遠慮してます。 日本に帰ったら寿司や焼き魚でも食べたいですねぇ。

 今回の旅行ではこれが旅先では最後の更新になるかと思います。 あとは帰国後に編集・更新作業をするかと思います。 皆様、こうご期待!

旅行の予定

 去年、2000年4月から始まった今回の旅行もゴールが見えてきました。 あとは、エーゲ海側にある古代ギリシャ遺跡のエフェスを訪れて、ゴールのイスタンブールへ向かいます。

 9月20日くらいにトルコ・イスタンブールから一気に日本まで飛びたいですが、この時期は学生さんも帰国するので混雑が予想されます。 
 さらに北海道・礼文島の桃岩荘閉所式で旅を終わらせます。(ただしあくまでも予定(^_^;))
 果たして桃岩閉所に間に合うか? それが今の課題です。(--;)


2001年8月13日

トルコ最南端、シリア国境に近いアンタクヤにいます!
Now I stay Antakya、Turkey.

 大変長らくお持たせしました。m(_ _)m
3ヶ月半ぶりの更新です。 今まで相部屋が多かったのでなかなか更新できませんでした。

 インドからパキスタン入りしてイランビザ取得後に体調を崩して北パキスタンのフンザ、ギルギットでのんびりしてました。 でも、2ヶ月もパキスタンでダラダラしていたのは予想外でした。

 その後、6月末にイラン入りして8月まで旅行してました。 イランはインターネットの普及がこれからという所なので更新は難しかったでした。
 そして8月からトルコです。 パキスタンは物価が安かったものの、イラン、トルコとヨーロッパに近づくに連れて町がきれいになり、物価も上がってきてます。

旅行の予定

 最後の第三ステージ・中東をゆっくり廻りたかったのですが、先の事情で時間がなくなってきました。
 そんなわけで以下のものに変更です。

 明日にでも国際バスでシリアのアレッポへ向かいます。 シリアには2週間くらい滞在予定です。
できればレバノン、ヨルダン、イスラエルも行ってみたいのですが、時間があまりないので無理かもしれません。

9月半ばにトルコ・イスタンブールから一気に日本まで飛びます。 さらに北海道・礼文島の桃岩荘閉所式で旅を終わらせます。(ただしあくまでも予定(^_^;))


2001年3月29日 木曜日

南インドから一気に北上! インドの首都、ニューデリーにいます。
Now I stay New Delhi、India.

 南インド、バンガロールからボンベイを経て首都ニューデリーまで北上しました。

 前回は寝たきりだったデリーですが、今回も着いた翌日に体調を崩して寝込んでしまいました。 空気が悪いのでのどの調子が悪いです。

 まもなくインドの旅行シーズンは終わりを迎えようとしています。 日本人旅行者は学生は帰国、その他は私同様西へ向かう人など様々です。
 27日にパキスタン大使館でビザを取ってきました。 これから進路を西に変え、トルコ・イスタンブールへ向かいます。

旅行の予定

 今回の旅行は第一ステージ・東アジアに6ヶ月、第二ステージ・南アジア(タイを含む)に6ヶ月を費やしました。 そしてもうすぐ最後の第三ステージ・中東へ舞台を移します。

 まず進路を西に変えてパキスタンへ向かいます。 今回、パキスタンではイランビザの取得に時間を費やしそうです。 滞在予定は2週間、ビザがとれたら更に西へ! イランへと向かいます。 それ以降の予定は・・・。
・イラン 4月半ばから5月半ば
・トルコ 5月半ばから6月半ば
・エジプト 6月半ばから7月半ば
・イエメン 7月半ばから8月半ば
・ヨルダン 8月半ばから9月
・シリア 9月半ばまで
9月半ばにトルコ・イスタンブールから一気に日本まで飛びます。 さらに北海道・礼文島の桃岩荘閉所式で旅を終わらせます。(ただしあくまでも予定(^_^;))


2001年2月26日 月曜日

インド南西部、ケーララ州コーチンにいます。
Now I stay Cochin,Kerala、India.

 バンコクの病院で先生からOkをもらい、1月17日にバングラデシュのダッカ経由でインド、カルカッタ入りしました。 23日に鉄道で南東部にあるインド第四の都市マドラスへ移動して南インドの旅を始めました。 当地は北インドと比べて気温が高く暑いです。 食事は米が主体なので普段から米を食べている私にはありがたいです。

 1月26日にインド西部のグジャラート州で大きな地震がありました。 1,000km以上離れているタミルナドゥでは全く揺れを感じる事はなかったので友人のメールで知りました。 テレビが無い宿にいたので報道の様子は分らないですが、しばらくして新聞の一面や雑誌の表紙に惨事の様子が伝えられてました。
 あまり外国人旅行者が訪れないところらしいですが、殺生関係に厳しいジャイナ教の寺院が多くできれば訪れたいと思っていたところでした。 復興に時間がかかると思われるので当分、現地では観光客を受け入れられないでしょう。

 インドは所によってはISDNを敷いたインターネットカフェもあるのですが、地方では理解ある人材不足か?V4.0と古いインターネットエクスプローラがインストールされているPCがまだある状態なのでFTPのことを聞いても理解できないと思いホームページの更新を怠けてました。 ここ、コーチンはインドではリッチな町なのでPCにくわしい人がいるネット屋を見つけてそこからFTPで更新しました。

旅行の予定

 ケーララ州の次は北隣のカルナータカ州に入り、ハイテクの町バンガロールを訪れます。 次にボンベイへ向かい、4月前にデリーでパキスタン入りの準備をします。
 4月頃に再びパキスタンに入りイランへ。 中近東の旅に入ります。(ただしあくまでも予定(^_^;))


2001年1月9日 火曜日

謹賀新年。 明けましておめでとうございます。 タイ・バンコクで一休みしてます。
A happy new year! Now I stay Bangkok,Thailand for rest.

 中国内のシルクロードを南へ外れてカラコルム・ハイウェイを通ってフンジュラーブ峠を越えてパキスタン、インド、ネパールと南アジアを旅行してました。 ところが、ネパールで寒さのために蓄膿症になりタイ・バンコクで休憩を兼ねて治療中です。
 バンコクでは南アジアで減った体重をなるべく戻すために「食」に走ってます。

 ホーム・ページの更新は今回からインターネット・カフェからFTPで行うことにしました。 プロバイダーが去年から規制を緩和してできるようになりましたが、様子を見てました。
 フロッピー・ディスクを通してインターネット・カフェから更新すると1分42Bと1US$くらいで所要5分で200Bくらいかかったのが1時間使っても30Bと大幅に低減できる上、電話回線を探し回る手間が省けます。 とても楽になりました。

 約3ヶ月ぶりに更新しました。 中国で最後にいた町で挑戦しようとしたのですが、その町ではPCに接続できる電話回線が無かったので諦めました。 また、パキスタン、インドでは相部屋ばかりだったのでPCが使えませんでした。 ネパールでは少し作業をしましたが、寒さで止めてしまいました。 やっとバンコクで作業を始められました。 約3ヶ月分の旅行記を10日くらいで書き上げました。 不備な点があるかと思いますがご了承を。 また、できれば気が付いたことがあればメールで知らせてください。m(_ _)m

旅行の予定

 バンコクからカルカッタへ飛び南インドを中心に再びインドを旅し、4月頃に再びパキスタンに入りイランへ。 中近東の旅に入ります。(ただしあくまでも予定(^_^;))

計画を立て直している所なので手紙を受け取る所が確定してません。 しばらく手紙を受けることが出来ませんのでご了承を。m(_ _)m



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