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駅伝について


●駅伝のルーツ

駅伝とは長距離リレーの事。
元々は飛脚からきたと言われます。
江戸時代の参勤交代の制度がもたらした日本の街道。関所や宿場町、宿本陣などが整備され、日本の交通の原点となりました。その街道文化の中で早急に伝えなければならない情報を素早く届ける「飛脚」と呼ばれるシステムが存在したのです。手紙・金銭・貨物を入れた柄の付いた木箱を宿駅ごとに常駐している韋駄天(いてん)たちによってリレーしていくのである。それが「駅伝」の原点です。

●駅伝競争のはじまり

駅伝競争の始まりは大正6年にさかのぼります。当時の読売新聞社の企画した東京遷都50周年記念京都〜東京間大駅伝大会競争が「駅伝競争」の発祥だと言われています。
その3年後(大正9年)に大学対抗箱根駅伝が誕生することになります。

●高校駅伝のはじまり

京の冬の風物詩、「冬の甲子園」とも言われる全国高校駅伝。しかし、実は発祥の地は大阪だったのです。1950年(昭和25年)に大阪で生まれ、第一回が開催されました。山梨と米軍政下にあった沖縄を除く45校の第1走者が毎日新聞の旧大阪本社をスタートしたのです。
この全国高校駅伝の誕生のきっかけとなったのは学制改革で新制高校が発足する1年前の1947年(昭和22年)冬に行われた「復活第一回中学駅伝継走大会」です。太平洋戦争で中断していた「中学駅伝」が復活し、大阪朝日新聞社本社前を出発。区間30kmでした。1925年から行われていた同中学駅伝が見事復活した訳ですが、諸事情で現毎日新聞社が主催となり、改めて1948年に「全国中学校対抗駅伝競走大会」として開催されます。同年4月に新高校制がスタートしたのを機に、翌年1949年(昭和24年)1月、全国高校駅伝として引き継がれ、翌年の1950年(昭和25年)現形式の全国高校駅伝の記念すべき第一回が開催されるのです。
しかし、現行の区間、距離である7区間42.195kmとなるのは第3回大会からで、それまでは6区間32kmで争われました。その頃学校教育に大きな発言力を持っていたGHQ(連合軍総司令部)から「内臓が未発達である高校生に5km以上を走らせていけない」と通達を受けたからです。そういった理由により5kmを中心に距離設定がなされました。
このような経緯で始まった全国高校駅伝ですが、1966年(昭和41年)の第17回大会から現在の冬の都大路に熱戦の舞台が移されるのです。

●駅伝の区間、距離

全国高校駅伝のコースは西京極陸上競技場付設マラソンコースを使用しています。




区間 距離 起点〜終点
1区 10km (西京極陸上競技場〜烏丸鞍馬口)
2区 3km (烏丸鞍馬口〜丸太町河原町)
3区 8.1075km (丸太町河原町〜国際会館前)
4区 8.0875km (国際会館前〜丸太町寺町)
5区 3km (丸太町寺町〜烏丸紫明)
6区 5km (烏丸紫明〜西大路下立売)
7区 5km (西大路下立売〜西京極陸上競技場)


※この物語は著者の体験を一部取り入れたフィクションであり、
実在の人物、団体等とは無関係です。


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