インターフェイス
展覧会「インターフェイス」は、1992年長野市ネオンホールにて行われたインスタレーションアートである。作品は、石膏や砂といった素朴な素材を用いて作られたオブジェと音響設置で構成された。会場には手痕の残る石膏で作られた一畳大の板が何枚か釣り下げられ、薄暗い照明の中で無言の主張を続けている。空中に浮いた石膏板は、回転運動をしているので、観客の正確な空間認知を妨げ歪んだ空間を仮想させる。そして、数台のシンセサイザーから同時に発生した振動音は、この板によって反射、撹拌させることとなる。音響の発生源であるスピーカーにはアルミ箔が取り付けられていて、奇妙な音響を会場内に満たしていた。
 この展覧会の企画者は、百瀬 登である。彼は、展覧会「インターフェイス」について次のように言明している。
 インターフェイスとは、異種なものどうしをつなげる接点のデザインである。我々の日常には数々のインターフェイスが存在していて、あらゆる行為を発現させる基礎となっている。だが、産業的に洗練されたインターフェイスは、生活の便利さをもたらすと同時に複雑さを生み出す原因となっている。複雑なインターフェイスは、機能の実行を拒絶させたりエラーを生じさせるもととなる。この弊害は美術領域でも言える。”作品”は、鑑賞者と作者の意識の同調を助けるインターフェイスとも言える。歴史的に数々のインターフェイス改良が試みられたが、現代美術は複雑さの点では最高度に達してしまったものであろう。これが招いたエラーの結果、多くの鑑賞者は、”意識の同調”よりもインターフェイスそのものに価値を見出してしまっている。デュシャンの便器に言及するまでもなく、鉄やアルミの塊に何百万も出すのはいやだ。インターフェイスは、多くの場面で物質としての貨幣価値によって交換され、美意識同調への変化は起きていない。これは美術作品というインターフェイスが産業社会の発想方法に準じて作られているかぎりしかたがない。しかし、デジタルメディア台頭の今日、既存の発想方法を越えた様々なインターフェイスの異種混在が予想される。美術作品を媒介とするシナプスの結合を再検討しなければならない。この展覧会は、鑑賞者、作品、作者の関係制を再確認し、破壊し、再構成する一つの試みである。ここで鑑賞者がどのようなインターフェイスを見つけ、また新たに意識化するか、これが問題なのである。

百瀬 登
1970年、長野県に生まれる。電子機器を用い音楽やインスタレーション作品などを制作し、潜在意識の解放に挑んでいる。




1992年 長野市ネオンホール 石膏、砂、シンセサイザー
協力
MIT record, Hyper Art Laboratory, Neonhall



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