ドイツ紀行その3 

2001年4月25日〜5月7日  新日本トラベル

4月30日ミュンヘンの観光のあと中華料理の昼食をすませ、アウグスブルクを訪れる。

 アウグスブルクは15世紀末、銅・香料の売買で利益を上げ、金融業を営みヨ−ロッパの政治にも影響を及ぼしたフッガ−家と16世紀の宗教改革の時代結ばれたアウグスブルクの和議で有名である。市庁舎の黄金の間を見学。天井や壁には金細工が輝くばかりに施されている。夕刻4時ごろネルトリンゲンに入る。
 
 ロマンティック街道はヴュルツブルクから南はオ−ストラリアに近いフュッセンまで延びる全長約350kmの中世にタイムスリップしたような小さな街が点在する街道である。

 ネルトリンゲンでは、聖ゲオルク教会の鐘塔ダニエル塔に登り、市壁に囲まれた街を眺望する。城壁は全長3kmあり14世紀半ばのものである。Y先生と市壁を歩き、市内を散策する。ロテンブルクと異なり、観光客は少なく落ち着いた雰囲気があった。約3kmの壁は戦禍を免れほぼ完全な形を残しており、美しい楕円形を呈している。人々は隕石が落ちて出来た街と信じており、アメリカのNASAに土地の石を届けている。また、NASAからも調査隊がきたという。市壁内のアストンホテルに宿泊。
 

 翌5月1日は予定に組まれていなかったディンケルスピュ−ルに寄る。ディンケルスピュ−ルは水濠と市壁に囲まれた小さな街で、中世の街並みが保存されている。毎年7月には三十年戦争の史実に基づいた子供祭りが行われる。聖ゲオルク教会を見学したあと、15世紀〜16世紀の木組みの家が立ち並ぶ街並みを見学。とりわけ,15世紀のルネッサンス様式のドイチェハウスが有名である。

 そのあと、ロマンチック街道のハイライトである、ロ−テンブルクに昼過ぎ到着。ホテル・ベ−レンに荷物をおいて、早速街中の見学に出かける。

 
アウグスブルク市庁舎 アウグスブルク像 アウグスブルク市庁舎黄金の間 ネルトリンゲンの広場
ネルトリンゲン
ダニエルの塔より
子供祭りの絵を描いた建物 ディンケルスビュ−ル
聖ゲオルグ教会
ディンケルスビュ−ルの街並
  
ロ−テンブルクはドイツでも有数の観光地で、中世の面影をそのまま残した博物館ともいうべき小さな街で日本からも多くの観光客が訪れている。中世ドイツは、神聖ロ−マ帝国下にあったが、皇帝の実質支配はなく、封建諸侯は殆ど独立国のようになっており、その間に商業や手工業の発展で力を付けた都市は諸侯の支配をはねのけ、名目的には皇帝に直属すると言う形で実質的には独立の地位を得た。これが帝国自由都市でロ−テンブルクはその好例である。市壁は三次に亘って拡張されている。石畳の街を散策する。緑濃いブルク庭園、仕掛け時計と大道芸人のマルクト広場、木組みの切妻のヘルン・ガッセ。市民の寄付で建設された聖ヤコブ教会でリ−メンシュナイダ−の傑作「最後の晩餐」を見る。緊迫感に満ちた見事な構成。そのあと中世犯罪博物館を見学する。展示品の多さと多様性に引きずられ2時間余の時を過ごす。見学後シュピタル門から反時計周りにレ−ダ−門まで市壁を歩く。ドイツ敗戦2日前に米軍の空爆があり、市壁の修復に日本企業の寄付が行われている。市壁に多数のプレ−トが貼られており、巨泉のハウマッチのプレ−トもある。
 宴会場の壁にある仕掛け時計が一日8回三十年戦争の史実に基づいた市長ヌッシュの一気飲みが再現される。午後8時には照明が照らされ、また夜警人ナハトビジタ−が説明していた。
 
 5月2日ロマンチック街道の北の起点ヴュルツブルクに行く。

 ヴュルツブルクは8世紀には、司教座が置かれ,神聖ロ−マ帝国議会も開かれている。16世紀初、ルタ−の影響を受けた農民と司教の対立した農民戦争に市の参時会員リ−メンシュナイダ−は農民側に付き捕虜となった。マリエンベルク要塞庭園でフランケンワインの葡萄園を見学する。葡萄の木は低い。旧マイン橋を渡り市庁舎(戦争の被害が如何に大きかったかの説明を受けた)、ド−ム、レジデンツ付属教会(ノイマンの建築)を見学。マルクト広場でマリア礼拝堂、ファルケンハウスを見る。

 市内で昼食のあと、世界遺産の街バンベルクに向かう。
ロ−テンブルク・マルクト広場 ロ−テンブルク・ブルク公園 ロ−テンブルク・城壁 ザンクト・ヤコブ教会 聖血祭壇
ロ−テンブルク中世犯罪博物館 ザンクト・ヤコブ教会 ヴュルツブルク・レジデンツ ヴュルツブルク・レジデンツ庭園
        
1:ケルン・ラインかわ・ハイデルベルク・バ−デンバ−デン 2:ボ−デン湖・マイナウ島
4:バンベルグ・ゲ−テ街道 5:ポッダム・ベルリン
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