穀物の摂取形態を大きくわけると,粒食と粉食になる。粒食の代表はごはんである。米をそのまま加熱(煮たり、蒸したり)して食べる。なんだか“芸”がないといえば芸のない食べ方だ。それに比べ、粉食は、穀物をいったん粉にひいてさまざまに加工して食べる方法である。穀物をひとたび粉にする。よくもまぁ、4000年も前の中国人はこんな凝った調理法を開発したもんだなと驚いた。
 穀物、たとえば麦を粉にしたことで、人類の食は大いに豊かになった。中国からアジアにかけての麺、パオズ、それがヨーロッパに伝わる過程で各地に生まれたそれぞれの特色のあるパン類やヌードル類。まさに粉あっての、この食文化というところだろうか。
 そうした数ある粉食類のなかでも、私のいち押しは、どうしてもお好み焼きとなる。それは、私が粉食文化のメッカ(一日たりともお好み焼き、たこ焼き、イカ焼き、チョポ焼き、はたまたうどんを食べなければ気色が悪い、はたまたそれらの匂いをかげば、たとえ満幅でも「ちょっと食べてこか」となる悲しいサガを持つ)大阪で幼少年期を過ごしたことと無関係ではない。
 そのお好み焼きのなかでも、私は関西風を頑なに支持する一人だ。私にいわせれば、広島風など野菜イタメである。関東風のお好み焼きなど、ただの粉焼きではないかッ! もんじゃ焼きに至っては、あれは中華料理(カタ焼きそばのアンに似てるでしょ。美味しいけど)だッ、というのが持論である。
 その関西風のお好み焼き屋を開店するのが、私の長年の夢だった。しかも、場所は沖縄八重山の石垣島がいい。石垣島で、たゆたうように流れる南のノンビリとした時間のなかでお好みを焼きながら、年に何本かのルポルタジューを書く。これが私の理想の暮しなのである。
 その夢が実現できたとき、私は私のお好み焼き屋に、粉食への畏敬を込めて「粉家」という看板を掲げようと思っているのだ。粉家は、私の大切なブランドなのでありますね。


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