私は、大阪の下町、十三で育った。私たちの町では、お好み焼きのことをまだ「洋食」と呼んでいた。これは明治以来の伝統的な呼び名の継承である。明治期、日本で誕生した“ソース”と粉食の出会いがお好み焼きを生んだわけだが(お好み焼きの歴史は[お品書き]のイカ玉で系統的にやる予定です)、そのソースが醸し出す西洋の香りを、一銭玉を握りしめてお好み焼きを買にいった子どもたちが「洋食みたいや」と呼んだのだろう。
 かつてお好み焼きは、子どもたちにとって遥か西洋の食文化を想像させるハイカラな食べ物だったのだ。


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