感傷日記: 2CV とオレ


その夜, オレと 2CV は筑波山にいた.
空冷水平対向二気筒エンジンは, しかし, 泣いていなかった.

2CV がオレのところへやって来たのは, 結婚式の三日前だった.

その頃オレは車雑誌の熱心な読者だった. そして, そこで 40年間 同じデザインで作られ続けている, フランス車があることを知った.
それがシトロエン 2CV だった.

2CV のエンジンは空冷の水平対向二気筒 602cc. 28馬力だっただろうか. 車 体は当時の軽自動車より一回り大きいが, 重さはそれほど違わない. 巻き上 げ機構を持たない窓, ハンモック式のシート, 前後連携式のサスペンションな どなど, 全ての面において「単純」に作られていた. 「安物」という意味では ない. 「深い洞察」に裏打ちされた「単純」である.

結婚式の一ヶ月前のある日, オレは結婚後に住むことになっていた場所の近く に, 西武自販の代理店があることを知った. 当時, 西武自販はシトロエンの正 規ディーラーだった.

その店に婚約者と一緒に行った. そして, 奴に会った. 昔からそこに居たかの ような風情で, 侘んでいた. 奴を見たとたん, オレの理性はどこかへ消えた.

理性が戻って来たのは, 試乗を終えた後だった. 結婚式で金がかかり,引っ越 しで金がかかり, 家具を買うのに金がかかるのに, 今ここでこんな高額商品を 買って良いのだろうか. 一瞬凝固したオレに, 婚約者は言った.

「...買えば?」
そして一ヶ月後, 2CV はオレのアパートにやって来た.
その三日後, オレ達は結婚式を挙げた.

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オレは幸せだった.

2CV はオレに, 柔らかい車とは何なのかを教えた. 時速 40キロでの走行が楽 しいことを教えた. 車とはつまり移動するための道具であることを教えた. エ アコンもカーステもない車が快適であることを教えた.

オレは引っ越し荷物の一部を 2CV で運んだ. ホームセンターで 4メーターの 物干し竿を買って, 屋根に「差し」て持ち帰った. 転職希望先の会社へ, 常磐 道を使って行ったこともあった. 妻とドライブもした. ベンチシートは, 妻と オレの距離を確実に短かくした. 奴はオレの要求を寡黙にこなしていった.


もちろん, 2CV は壊れることもあったし, オレが壊すこともあった.

クラッチワイヤが切れてクラッチが繋がりっぱなしになったこともあった. ちょ うど会社から帰宅する時だったので, とりあえずクラッチ無しで家まで帰るこ とにした. さすがにシフトダウンは出来なかったが, 信号待ちごとにエンジン を切りながら, どうにか家に帰りついた. 昔バイクで練習しておいたのが役に 立った.

穴に落ちてホイールがひしゃげたこともあった. この時は会社の昼休みにちょっ と用足しに出た帰りで, もうじき昼休みが終わるので急いでいた. と,

ごん... がん... しゅぅぅ...
左前輪はホイールがひしゃげて空気漏れ, 左後輪は, その時は気付かなかった が, ハブがいかれてアライメントぐしゃぐしゃ, タイヤが削れて一ヶ月後にカー カスが出た. ホイールは町のタイヤ屋が叩いて直し, ハブは町の修理屋が直し てくれた.
修理屋はサービスでリアブレーキの分解整備をしようとし, 整備手順を代理店 (オレが買った店) に訊いたのだが, わかるエンジニアはいないと言われたそ うだ.


2CV を買って半年経ったある日の朝, オレはいつものように会社に行こうと車 に乗った. 雨が降っていた.

エンジンが掛からなかった.

オレは必死にスターターを回した. だが, エンジンは断固として始動すること を拒んだ. そのうちにバッテリーが心配になったオレは,車載ジャッキのハン ドルが, クランク軸を手で回してエンジンを掛ける時のハンドルとしても利用 できることを思い出した. オレは雨の中車を降り, ボンネットを開けてジャッ キのハンドルをクランク軸に付けた.

クランク軸は重かった. そして, エンジンは掛からなかった.
始業時間はとっくに過ぎていた.

オレはあきらめて, 2キロ先のタクシー会社まで歩いていき, そこからタクシー に乗って会社へ行くことにした. タクシー会社の手前にバイク屋があった. そ こでオレはオレが絶対的に信頼できる乗り物, ホンダのスーパーカブを注文し た.

タクシー代は 3,500円だった.


スーパーカブを買ってから, オレは 2CV に乗らなくなった. 妻は仕事先を替 え, オレ達は通勤に便利な場所に引っ越しを考えるようになった. だが, 引っ 越し先に選ばれたアパートには 1台分の駐車場しかなく, そして妻には車が必 要だった. オレには乗らない車を持つ, 心のゆとりは無かった.

オレは 2CV を売ることにした.

奴を売ることを決めた夜, オレは眠れなかった. オレは奴と筑波山へ行った.

くやしかった.

自分が許せなかった.

最後のお別れに, オレは自分の持つ運転技術の全てをつぎ込んで,奴と筑波山 を駆け降りた. オレは泣いていたが, 奴は泣いてはいなかった. 奴は, 自分の 運命を知っていた. オレを, オレの心を, 奴はシートとサスペンションとで受 け止めていた. あくまでも柔らかく.

一ヶ月後, オレは奴を売った.

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