海辺のアルバム

長間浜 筆者が宮古島にやってきたのは、特に深い理由があってのことではない。単純に、「お休みをとって、南の島でのんびりと」というくらいでツアーを探していたら、ANAのスカイホリデーで宮古島が引っかかった、と言うくらいの話なのである。沖縄本島にしなかったのは、島としては大きすぎると思ったからである。石垣島にしなかったのは、えーっと、よく覚えていないのだが、たぶん妻の気持ちの中では石垣島の方が観光化が進んでいたせいである。もしかしたら、クラブメッドがあるのがいけないのかもしれない。西表島にしなかったのは、行くのが面倒くさいからだったと思う。
ホテルブリーズベイマリーナ(海側) ホテルは宮国地区にある、ホテルブリーズベイマリーナである。プロ野球オリックスバファローズが宮古島でキャンプを行うときの宿舎がここだそうである。運営会社は南西楽園という不思議な名前の会社であるが、これはオフィスに置き薬ならぬ置きコーヒーを売っているユニマットの、グループ会社である。
南西楽園はここ以外に小浜島と西表島でホテルを経営している。西表島のホテルは自然保護団体とモメていて、ホテルの前の浜には「海を返してください」というような看板が立っているそうである。宮古島ではそういうもめ事は、少なくとも表向きにはないようである。とにかくそういうわけで、自然保護派の方にはこのホテルはおすすめしない。
客室 部屋の大きさはまぁまぁ普通である。隣の部屋との仕切壁は、両方とも石膏ボードかなにかで出来ている。ちょっとなかなかお目にかかれない安普請である。ただし、ホテルの名誉のために言っておくと、従業員の方は丁寧で親切である。つまり、客の良識が十分にあるのであれば、快適なホテルと言って良いと思う。もちろん、最近なかなか期待しにくいことではあるけれども。
レンタサイクル 宮古島で観光レジャーと言えば、なんと言ってもダイビングであるが、残念ながら?筆者にダイビングの趣味はない。そこで、ホテルのレンタサイクルを借りて、来間大橋を渡ってみることにした。事前にホテルに聞いたところでは、レンタサイクルは世間で言うところのママチャリだということだった。ママチャリというのは便利な言葉ではあるが、自転車のグレードとしては底辺級(別名粗大ゴミ)から超高級まであって、どれが出てきても運次第というようなところがある。ので、底辺級が出てきたらどうしようと少々おそれていたが、実際に出てきたのはブリヂストンのスーパーライトであり、少なくとも中の上くらいのグレードではあったのでほっとした。しかも、1台だけあった3段変速付きのモデルを借りられたのは、思わぬボーナスだった。
ドイツ文化村 ホテルのすぐ隣に、洋風の城と洋館が建っている。うえのドイツ文化村である。宮古島(のこの地区)とドイツとの関わりは明治時代まで遡るから、ここにドイツ風の城を建てたことについて批判するつもりは全くない。しかし、珊瑚礁の島にドイツの城はあまりに唐突で、どこから見てもふるさと創生の頃の思いつきか、バブルの頃の広告代理店の営業の成果としか思えない。全国各地に似たような施設があるが、たいていは廃墟になるか、身売りしたかで、お金の無駄遣いで終わってしまった。そういう意味では、ここはまだ無駄遣いと確定はしていないようである。
道路風景 交通量と比較して道路は十分広いので、自転車でも非常に走りやすい。
みやこまもる君 その、交通量の少ない道路の安全を守るのが、みやこまもる君である。
たばこ 島の中には畑が多い。主な作物はたばことサトウキビのようである。サトウキビは予期していたが、たばこは意外だった。
サトウキビ サトウキビにしろたばこにしろ、やはり灌漑が必要なようである。ホテルでテレビを見ていたら、地元チャンネルで「今日までの無降雨日数○日、必要灌漑量×ミリ」というような放送をやっていた。そもそも宮古島には山がないから普通のダムで水を貯めるわけにはいかないし、島そのものはスポンジ状の石灰岩で出来ているから地下水も溜まらない。なので、地下にダムを造って灌漑用水を貯めているそうである。
来間大橋 来間大橋を、来間島へ渡る。例によって、クルマはほとんど走っていない。
ブリヂストン スーパーライト 来間大橋から前浜ビーチ・宮古島東急リゾートを望む。
長間浜 来間島の西側の長間浜である。1人だけシュノーケリングをしている人がいた。
来間泉(くりまがー) 来間泉。井戸の遺跡である。とはいうものの、昭和50年に宮古島からの送水による水道が出来るまで現役だったというから、ずいぶん新しい遺跡である。これが来間島唯一の水源であったという。が、この井戸はほとんど海面と同じような高さにあり、集落はここから断崖絶壁を20メートル?も登った上にある。つまり、ピンクレディーの全盛期の頃まで、この島の人はここで水をくんで、ガケの上の家まで運んでいたということである。
井戸の水は少し濁っていたが、周囲の草取りや清掃などはかなりまめに行われているようであった。この井戸の恵みは、まだ人々に強く記憶されているのであろう。
アナ井(あながー) 来間泉と比較すると、こちらはやや記憶が薄れてきているようである。ここはアナ井と言う井戸の遺跡で、実はホテルブリーズベイマリーナ、あるいはうえのドイツ文化村から、100メートルほどの場所にある。手入れされていないとは言わないが、写真でわかるとおり、ずいぶんと下草が茂っている。
ここも集落から少し坂を下った場所なのだが、来間泉と来間集落ほどの高低差はない。そのせいで記憶が薄れるのが早いのか、あるいは隣のドイツ村(これも旧上野村が関わっているらしい)を宣伝するのに忙しいのか、そのあたりはよくわからない。ドイツ村はどんな観光案内にも載っているが、アナ井が載っている観光案内はほとんどない。このあたり、筆者には不思議に思えて仕方がない。もちろんそういうことは、地元の方の価値観で決めるべきことなのであって、筆者ごときがとやかく言う問題ではない。

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