ある画学生の決意に際して
わたしの祖父は外では厳しい人として知られていたが、家の中では孫のことを一言一言聞いてくれる「聞き入れてくれるの意ではない」人だった。その祖父が伝えようとしたのはおおよそ次のようなことだと思う。 人間には誰でもその人独自の進む道があり、進むスピードがある。それは自分で見つけて切り開いて行くものであり、周りの人間が「友人や教師はもとより親や兄弟のような身近な人でも」コントロールすることができる種類のものではない。周りの人間にできることはせいぜい、見守ることである。 人によって大学に入る時期に自分の人生の歩む道を決める人もいれば、30近くになってようやく決める人もいる。また、早くから決めていても意に反してその道に進めずに夢を持ちつづけている人もいれば、早くから夢を実現するために行動に移す人もいる。どちらがいいとか悪いとかいった価値判断は、できない。大切なのは、自分でいつも考えて、行動することだと思う。 ジュゼッペ・シノポリという世界的な指揮者がいる。ダイナミックなオーケストレーションで登場以来他に類を見ないタイプの演奏をする。彼のデビューはそれほど早くなくて、30前後だったように聞いている。その理由は彼は当初脳外科医として勉強し研鑚を積んでいたからである。これは父親のたっての希望だったということである。それでも彼は自分の夢を捨てられずに、脳外科医をやめて指揮者としての勉強をしなおして、ついにはその夢を実現するのである。 このような話を聞くと、では彼はもっと早い時期に指揮者としての勉強をするべきだったのかとか、かれは脳外科医としては大成しなかった可能性があるのかとかいった疑問を持つ人もいるかもしれない。しかし、それはわからないことである。一旦脳外科医となったことが彼の芸術活動にプラスになっている可能性は十分にあるし、だからといって最初から指揮者として活動していれば、それだけ長い時間をかけて何かを産み出していたかもしれない。またいまだに外科医をしていたとしても、優秀な仕事をしてたかもしれない。そのようなことは考えても結論が出る種類のことではない。大切なのは、彼が常に自分がやりたいことを見つめて、そのために努力しようとしたに違いないということである。 いつどんな環境にあってもそれを忘れなければ、誰しも大成する可能性を秘めている。もちろん大成しなかったからといって、別に悪いわけではない。価値判断は別の所にある。人生の価値は誰にも決められない。あるいは人生の価値は誰しも等価である。 祖父がこういったことを明言したわけではない。しかし、彼の価値観を総合すればこういったことになるかと思う。 2000/4/4 筒井愛知 |