Sail Osaka '97に行って来ました!


 パレード全体について

 午後早いうちに行われた帆船パレードは逆光×モヤ+高曇りと、最悪に近い撮影状況でした。しかも柴崎は海でカメラを振り回すのが実に数年ぶり。三六枚撮りのフィルムを三本使って、「見れる」写真はわずかに二〇枚足らずという、惨憺たる成績に終わりました。とはいえ、実際に帆船をこんなにたくさん見るのは初めての経験で、大阪まで行った甲斐は十分にありました。

 なお、日本のスループ「エスケープ・ワン」の南波誠艇長がレース中に落水、行方不明となっております。氏は前回のアメリカス・カップで日本艇の艇長をつとめていました。 やはり、次回のアメリカスカップでの日本艇艇長はピーター・ギルモア氏なのでしょうか……。彼でピーター卿(チーム・ニュージーランド代表、ピーター・ブレイク氏は叙勲されました)に勝つことができるのでしょうか? 南波艇長がいなければ、彼ぬきでは勝てそうもないけど。


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大阪のトプスル・スクーナー、あこがれ

あこがれは前回の「大阪帆船まつり」を期に高まった関心を背景に大阪市が建造しました。東京都にも是非に…と思っていたところ「海星」の母港が横浜になるとのこと。はたして柴崎の都への陳情第一号はあっさり消えました。 

デンマークのケッチ、イエンス・クロー

イエンス・クローはセイル・トレーニングシップです。ケッチという装帆自体が漁船として発達したもので、元漁船というのもうなずけます。いささかほのぼのとした外観にもかかわらず、鹿児島〜大阪間の第二レースではC1/C2クラスで第三位と健闘しました。 
 

コロンビアのバーク、グロリア

グロリアはスペインで建造されました。スペインはポーランドと並んで帆船建造の盛んな国ですが、このグロリアはその嚆矢となった船です。ただし、その味も素っ気もない船体は「遠洋マグロ漁船」と評され、実際、このとおり写真と撮った奴の腕が悪いと、その評判を裏付けることになります。アングルによっては、とてもパワフルに見える船です。メキシコ海軍のバーク、クォウテモックやエクアドル海軍のグアヤス、ベネズエラ海軍のシモン・ボリバルも同じASTACE造船所の産です。 

インドネシア海軍のバーケンチン、「デワルチ」

「デワルチ」は戦後ドイツ生まれ。ドイツは戦前の帆船建造国で、これはヴェルサイユ条約体勢下でも十分な数の海員をプールしておくためでした。そういえば、第一次大戦中に帆船で通商破壊をしたのも、ドイツでしたね。第二次大戦を生き抜いた帆船たちは賠償として連合国側に引き渡されていきましたが、現在でも活躍しています。「デワルチ」は第一レースでクラス三位となっています。 

 オマーン海軍のバーケンチン、「シャバブ・オマーン」 

 「シャバブ・オマーン」は英国のスコットランドで建造されました。大型帆船の英国での建造はこのところほとんどなく、寂しいかぎりですが、現王室ヨット「ブリタニア」の後継に帆船を建造するという計画もあり、期待が高まります。「ブリタニア」自体、とても綺麗な船ですが、やはり帆船となると話は違ってきますからね。 

ポーランドの全装帆船(フル・リグド・シップ)、「ダル・モジェジー」 

 「ダル・モジェジー」は柴崎のお目当てその2。ポーランドのグダニスク造船所で建造されました。ポーランドも戦後の帆船建造国の一つで、とても垢抜けて粋な船を作っています。そのデザインにクリヴァク級やウダロイ級のようなソ連海軍艦(どうも「ロシア海軍艦」といいたくないらしい)のイメージがだぶるのは私だけでしょうか? 香港から大阪までのレースで総合優勝はこの「ダル・モジェジー」でした。

ロシアの全装帆船、「パラダ」 /ロシアのスループ、「コマンドール・ベーリング」

 「パラダ」は「ダル・モジェジー」とそっくりの船。それもそのはず、同じグダニスク造船所でダル・モジェジーとパラダのほか、ミール、ドラツバ、ケルソネス、ナデツダの6姉妹が建造されたのでした。なかでも、砲門塗装も凛々しい彼女は柴崎一番のお気に入り。会えて良かった! 本当に綺麗な船です。そして、今回のパレードで一番近寄ってきてくれたのも「パラダ」でした。もう写真とるやら、手を振るやら、フィルムは切れるやらで大変でした。手前のスループはロシアの「コマンドール・ベーリング」。大阪がゴールの第二レースはこの「パラダ」が一位、二位は「ダル・モジェジー」で、ポーランド製の二隻がワンツーでした。 

スペインのトプスル・スクーナー「ファン・セバスチャン・ド・エルカノ」 

さてどん尻に控えしは…スペインのトプスル・スクーナー「ファン・セバスチャン・ド・エルカノ」。この船は一番遠くを通りました。パレードのみの参加だったものの、縦帆船ですから、レースに参加していれば優勝は間違いなしでした。というのも、レース期間中はどの船も逆風に苦しめられ、特に横帆船ばかりだったクラスAは苦戦を強いられたようです。なお、レースの総合優勝は「ダル・モジェジー」でした。 

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