クラウゼヴィッツの『戦争論』



 「日本海開戦以来の大勝利」と宣伝された1941年12月7日(ワシントン特別区)の真珠湾攻撃であるが、英国の海軍関連の博物館では全く言及されていなかった。これに疑問を感じていたのであるが、この本を読んでその理由が判った気がする。
 「戦争は別の手段による外交の継続である」というフレーズがあまりにも有名なこの本は戦争というものを丸ごと定義した、野心的な論文である。国際関係論の古典としての名声と権威は、執筆から200年近く経た現在でも、輝きを増すばかりである。その無機的なまでに緻密な論理は、しかし現実離れした象牙の塔の論理ではない。実際にナポレオンと対峙し、戦場の運不運にあるいは歯を食いしばり、あるいは笑みを浮かべた様子が行間からにじみ出てくるのが、当時の戦争を知る上で貴重な一次資料でもある。
 戦闘について定義された第4編を見てみよう。
 「敵戦闘力の撃滅が即ち戦闘の目的である」。しかし、「おおかたの勝利は、戦闘で既に勝敗の決したのちに初めて具体的な形をとる」。これはつまり、2つの軍隊が衝突し、一方が勝利を収めたとしても、その後の残敵掃討などの戦果拡大を図らなければ、本当の勝利――敵戦闘力の撃滅――は達成できない、ということである。
 ナポレオン戦争では会戦後の残敵掃討による消耗のほうが会戦での損害を上回っていた。撤退する歩兵や砲兵を軽騎兵が追い回し、斬り刻む。そして、放棄された火砲や火薬、その他の装備を捕獲する。道に迷った歩兵連隊が包囲され、そっくり降伏する。こうしうた捕虜と戦利品が勝敗を量るめやすとなった。まだ産業革命が十分に進行していない時代である。特に火薬や火器などの工業製品は非常に貴重かつ有用な(つまり再利用できる)戦利品であった。
 また、ここには言及されていないが、敵が撤退したあとの地域に勝者が進出すると、その軍は農村をも物理的・社会的に破壊していた。穀物倉庫を拿捕し、教会を略奪し、農家を焼き、男性は捕虜とされ、その捕虜も徴兵の対象となる。そして女性は……それを正当化するつもりは毛頭ないが、こうしてその地域の農業生産力は激減する。仮に勝者が撤退しても、敗者の被害はその後に残るのである。
 これを20世紀風に解釈するなら、破壊するべき対象は敵軍だけではない。港湾設備は石油備蓄基地、軍需工場などの戦略拠点のみならず、軍隊の背後にある国民生活さえ破壊して農業・工業生産力を奪い、国民全体の戦闘継続の意志をくじかなければならないのである。
 真珠湾攻撃において日本海軍は敵艦隊のみを破壊し、港湾設備などの戦略拠点には手を触れなかった。まして農業地帯は完全に無視された。さらに外務省の手落ちもあって開戦時期を誤り、合衆国国民をむしろ奮い立たせてしまった。アメリカ本土の生産力を知っていれば当然、打つべき策、戦闘の勝者の権利と義務を全て放棄して、自己満足のうちに撤退してしまったのである。戦場を去ったのは日本軍、戦場に残ったのはアメリカ軍。これだけ見ても、戦闘における勝者は日本軍ではない。そして、戦略的にも、政略的にも、外交的にも成果があったのはアメリカである。戦術的に見ても、航空機の集中利用という手の内を明かしてしまっている。要するに、真珠湾攻撃は日本軍の一方的な敗北に終わったのである。残敵掃討に遭わなかったのは幸運としか言いようがない。
 それ以外の海戦においては、アメリカ海軍は徹底して残敵掃討を行っている。日本海軍の沈没艦艇は海戦によるものより、その後の追い討ちのほうが多いのである。
 クラウゼヴィッツの理論は20世紀半ばの太平洋においても証明されている。


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