脚線美考



 どうにも困ったもので、男性の脚線美を肯定的に受け取る人がいると、つい、その人をソドミストか、「やおい」ファンか、さもなければ国家社会主義者(ファシスト)かと疑ってしまう。私にとって「脚線美」とは女性のそれであって、男性のものではない。
 とはいえ、所と時代が変われば価値観も変わるもので、18世紀後半〜19世紀初頭の欧米諸国、特にその中・上流階級社会では男性の脚線美がもてはやされていた。肉付きの悪い足は見向きもされず、バーンとした腿やふくらはぎ、引き締まった足首が垂涎の的。紳士服もそれを強調するために逆三角形のシルエットが基本となる。
 上着は比較的緩やかながら、ズボンはタイトを極め、膝から下はブーツやゲードル(革脚絆や布脚絆)で引き締められていた。胸板の厚さと広さを強調するために腹部をコルセットで締め上げたり、下半身の肉付きの悪い者がパットを入れたりしたのは、現在の女性が下着にこだわるのと同じ理由であろう。
 その一方で、女性が身体の線を衆目に曝すことはタブーとされた。露出した首と肩から下、特に下半身は幾重にもペチコートとパニエで覆われ、仮に転倒したところで、パンツをはいていない下半身が露出することはなかった。売春婦が自分を売り込む際でさえ、椅子か何かに足をのせて、ふくらはぎと足首を見せる程度だったのである。
 もっとも、その反動からか、アンピール時代(1800年〜1814年)には古代ローマ風の露出度の高い婦人服、シュミーズ・ドレスが流行した。「身体の線が出る」どころか、肌が透けて見えるほど生地の薄さが競われ、全裸で舞踏会に出かける猛者もあった。しかし、流行の元となったナポレオンが没落すると、フランス革命以前のファッションが復活し、より慎ましく女性の身体を覆い隠してしまったのである。既婚の男性陣はほっとすると共に、一抹の寂しさを覚えたかも知れない。
 しかし未確認ながら、フランスではアンピール時代以前から独身女性が男装して参加する舞踏会があったようである。これは女性らしい身体の線や動きを強調するために異性装を行ったもので、かなり性的な魅力を強調するものであった。もっとも、英国では……英国のその手の風俗を挙げ始めると際限なく脱線するので止めておく。
 さて。
 男装の女性という存在は革命後も性的趣味として残っていたようである。ナポレオンがエジプト遠征時、愛人ポーリーヌに軽騎兵士官や師団長の服装をさせて行為に及んだとの記述がある(もちろん、女性であることを隠すための男装も行われ、当のポーリーヌもそうしてエジプトまで行ったのである)。困ったことに現代でもその影響は拭いきれないようで、Yahoo! USAではUniform(制服・軍服)の項がFashionではなくFetishに分類されている。結局の所、脚線美は性的な意味あるいは趣味から逃れることのできない存在なのであろうか。

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