ケベックの怪


 ケベックはカナダ東部の州で旧名Lower Canada。州都も同名のQuebecまたはQuebec City……ではあるが、ここでいう「ケベック」はその土地とは何の関係もない。北アフリカは地中海沿岸で用いられた帆船である。全長24〜40メートルほどで、著しく突き出した船首と船尾を備えていた。海賊船として用いられるために、船底の平たい部分は非常に細長く作られ、速力を得やすくしている。しかし横幅は兵員や砲をのせるために広くとられている。そして、他の地中海の帆船と同じように、装帆は大三角帆が中心。さらに大櫂を備えて無風時の機動性を確保していた……この船は、英語ではxebecと呼ばれる。カタカナで表記するなら「ジーベック」が適当であろう。
 英語でxは強い摩擦音(だったっけ? 英語音声学の講義を受けたのはずいぶん前だからなぁ)を示す文字で、基本的には[s]や[z]、[ks]で発音される。しかし[k]や[g]の単独の子音は表さない。
 この語の語源をたどると古い綴りがchebecで、専門書を読むと現代でも使われているようである。これはフランス語シェベックを借入したもので、イタリア語ではシアベッコ、スペイン語ではジャベッコ、そして現地語であるアラブ語はサバーク(サムブークとは別物)である。どの語も語頭は摩擦音であって、[k]ではない。
 では、「ケベック」の語源は何だろうか?
 どうやら帆船模型やその資料に「ケベック」の表記が多いように見えるため、アラビア語から直接というのが考えにくい。とすれば、ヨーロッパ語のどれかである。ヨーロッパでジーベックを軍艦として用いていたのはスペイン海軍と、フランス海軍。であるならば、フランス語、または英語の古い綴りのchebecを誤読したと考えるのが妥当なようである。
 因みに、研究社の『英和大辞典第5版』にはchebecは帆船の一種としての説明がない。せめて参照項目として入れておいて欲しいところである。辞典の不備と言えなくもないものの、現代の軍事にも海運にも造船にも経済にも関係がなく、歴史学も欧米中心で動いてきた経過があるだけに、しかたがないと言えばしかたがない。しかし、いつまでも「オリエント」――ナポレオンは東方へのあこがれも込めて、その名を持つ戦列艦をエジプト遠征時の旗艦とした――を放っておくわけにもいかないだろう。


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