ここでホーンブロワーは「艦長1名随伴の戦隊司令官」という役職に就いている。しかし、階級は経験三年以上の勅任艦長であり、軍服もその規定に沿ったものである。すなわち、燕尾型のコートで、地、折り返し襟、立襟、袖口が青または紺。それぞれの縁と折り返し襟のボタン穴に金モールがあしらわれ、袖口の金モールは2本となる。シャツは白、胴着は白またはクリーム色、半ズボンも同色、ストッキングも白。短靴は黒で、バックルは金。このころはお金持ちなので、バックルは模造金ではなくなっているはずである。
§.近衛歩兵第1連隊、ウィッチウッド大佐
……あれは近衛連隊の軍服に違いない。軍服の着手は近衛兵にしては小造りだったが、儀礼はしかと心得ていて、舷門を通ると同時に、艦尾甲板へ向かって挙手の形をとり、やがて短い足で進んでくると、踵をかちっと合わせて、ホーンブロワーへ近衛兵の粋な敬礼をした。英国陸軍の近衛歩兵第1連隊が「グレナディア・ガーズ」と呼ばれるまで、数年を残している。すなわち、1815年のワーテルローの会戦でナポレオンの近衛擲弾兵を破ったことになるまでは「近衛歩兵第1連隊(First Foot Guards)」なのである。
「ご挨拶いたします、サー・ホレイショ・ホーンブロワー艦長でいらっしゃいますか?」
「そうです」
「自己紹介をさせていただきます。自分は近衛歩兵第1連隊のウィッチウッド大佐です」
§.近衛工兵隊、ジュセー少佐(フランス)
五人の捕虜がせっつかれてハーベイ号の甲板に上がってきた。そのうち一人はピストルの弾丸に腕を貫かれてうめいている。誰かがカンテラをつけて捕虜たちを照らした。ホーンブロワーは指揮官の腕に光る星章がレジオン=ド=ヌール勲章であると判って、ほっと安堵のため息をついた。リガに到着早々、ホーンブロワーは工兵少佐を捕虜にする。この少佐は自分の知っていることをぺらぺらと話してしまう困った人で、タルンタム公マクドナルド元帥の麾下である。ドビナ河をはさんでリガの対岸にあるガウガブグリバは海と川にはさまれた三角地帯にある村落で、ここを巡る攻防にホーンブロワーはその名誉と生命を賭けることになる。
「あなたの階級と氏名をうかがいたいが」と、ホーンブロワーはフランス語で丁寧に言った。
「皇帝陛下の近衛工兵隊、ジュセー少佐」
§.ロシア陸軍の擲弾兵
ホーンブロワーはつい今朝がた、村の防御ぶりを視察し、その地の利と、そこに駐留しているロシア軍の擲弾兵たちの頼もしい姿を目の当たりに見て、これならば組織だった包囲攻撃以外のどんな攻撃にも安全だという結論を出していた。とはいうものの、総督ほどに自信満々でいられたらと、ホーンブロワーはうらやましく思った。ロシア陸軍はプロイセン軍をモデルに編成され、訓練されている。このために、細かい作法が英国陸軍と異なっており、歩兵が着る濃緑色の軍服もプロイセン軍に準じたものである。しかし、リガ近郊においてロシア陸軍はそのプロイセン軍と対峙することになったのである。しかも、プロイセンからの亡命将校、フォン・クラウゼビッツ大佐がロシア軍の顧問となっており、ロシア軍の軍服を着て、ホーンブロワーと言葉を交わしている。歴史の皮肉とでも言えようか。
§.スペイン軍(フランス側、後に英国側)
……ホーンブロワーはここにいる部隊編成の数を確かめようと連隊旗を見渡して、危うく頼りない鞍から落ちかけたほど驚いた。あのあたりの旗はみな赤と黄で、スペインの国旗だ――そう気づいたとたんに、そのぼろぼろの軍服は、十年前、彼がフェロルで捕虜生活をしている間に、すっかり憎しみの対象にまでなった、あのブルボン王家の軍隊の白と青の軍服の名残だと思い当たった。リガ周辺を巡る激戦の中で、最前線に押し出されたことに気がついたドン・ロス・アルトス公爵麾下のスペイン軍約5000名はロシア側に投降した。スペイン軍の中心となる戦列歩兵は白い地のコートを着用し、連隊によって前襟、立襟、袖口の色が変わっている。このほか、戦列歩兵のスイス人部隊、重騎兵と砲兵が青いコートを着ているので、「白と青」は歩騎が並んで立っている図とも考えられる。ただしこの場合、竜騎兵の黄色と黒の軍服や、軽歩兵、軽騎兵と乗馬猟兵の緑色が入っていないのが不自然である。
§.ヨルク将軍(プロイセン軍)
ヨルクは目をそらし、はるか荒涼たる野面を見渡し、徐々に展開しつつあるロシヤ軍を目におさめてから、口を開いた。ハンス・ダヴィド・ルードヴィヒ・フォン・ヨルク将軍は一部でもっとも保守的な軍人であると考えられがちであったが、軽歩兵指揮官として卓越した技量を持つ人物である。特に1813年から14年(つまり、ホーンブロワーと対戦・講和した後)の対仏戦における活躍はめざましく、ベートーベンの「ヨルク公行進曲」で永遠に讃えられている(交響曲『英雄』といい、戦争交響曲『ウェリントンの勝利』といい、結構きな臭い作曲家である)。
「どうせよと言われるのかな?」