赤色葡萄酒艦隊版「雑兵物語」



 火縄銃の実演や武者行列の演出等で知られる「獅子の会」会長にお話を伺う機会があったので、その時の雑談をまとめてみました。友人の住職が主催した「現代版寺子屋」でご一緒したのですが、とても研究熱心な方で、ナポレオニックの武器にも通じておられ、私の頓珍漢な質問にも快くおこたえいただきました。
 戦国時代の鉄砲足軽と19世紀初頭の戦列歩兵を比較するなど、学術的には全く無意味です。しかし、戦国時代の日本よりナポレオン戦争に通じている「幸いなる少数」のためにこの企画をお送りいたします。もっとも、「逆もまた真なり」ということで、戦国時代に通じている人のお役にもたつかも知れません。
 しかし、「雑兵物語」を標榜するなら、図版をもっと入れなくては。


1. マスケット銃と火縄銃の違い
 ナポレオン戦争でも用いられたフリントロック式マスケット銃と戦国時代後期に用いられた火縄銃には大きく分けて2つの違いがある。着火方式と銃床の形の違いである。
 フリントロック式マスケット銃は着火する際に火打ち石で生じた火花を火皿で受けるが、火縄銃では火のついた火縄を火皿に押しつける。
 火皿さえ保護してあれば、降雨時でも発砲できるのは同じである。火縄の火のついた部分は手のひらの下において保護してあれば大丈夫なのである。これは実験の結果、証明されている。ただ、「獅子の会」の参加するイベントはここ20年以上にわたって雨に見舞われたことが無く、雨の中での発砲をアピールする機会がないそうである。
 また、火縄銃の銃床はマスケット銃のそれに比して非常に短い。日本(及び東南アジア)の火縄銃を撃つ際、射手は銃床を頬に当てて狙い、発射する。発射の反動で後退する銃床は頬をこすって逸らされ、射手の握力と腕力が吸収することになる。これは火門が広いために発射の衝撃がマスケット銃に比べて少ないことにもよる。これは火縄銃の射程を短くするとともに命中時の破壊力も小さくしている。しかし銃床が短く、重心が前にあるために、発砲時の安定性が良く、命中率を高くしている。
 本物の火縄銃(復元ではなく、江戸時代中期のもの)を構えてみた。非常に重く、筒先を安定させるのも一苦労であったが、銃床が頬にぴたりと吸い付き、狙いをつけやすそうであった。銃床はひんやりとして滑らか。とても気持ちいい感触で、ついつい誰かに向けて撃ちたくなったものである(アブないって)。業物(わざもの)、とはこのようなもののことなのであろうか。
2. 戦列歩兵と鉄砲足軽の違い
 鉄砲足軽は鉄砲を発射することのみに特化した兵で、基本的には白兵戦に参加しない。また、鉄砲隊の補助として長弓隊も用いられていた。白兵戦には槍兵が投入され、もし味方槍兵が破られれば、敵槍兵に抗う術はない。仮に火縄銃に銃剣がついていても、長槍とのリーチの差は覆いようがない。騎馬武者は馬上筒(騎兵銃)ではなく、弓矢と短槍を主な装備としていたので、これも銃剣は有効な対抗手段ではない。以上のことから、銃剣を筒先につけるという発想は起こらなかった。むしろ、鉄砲足軽には徒歩戦闘用の打刀(うちがたな)が支給されて、白兵戦への備えとしたのである。ただし、この刀は悪名高い帝国陸軍の「ゴボウ刀」に勝るとも劣らないナマクラで、鎧の隙間を狙って正確に斬らないといけなかった。
 一方、ナポレオン戦争時の英国陸軍の戦列歩兵はサーベルは支給されず、銃剣のみである。パイク(矛槍)兵や長弓兵、弩弓兵は既に過去のものとなり、兵科は歩騎砲工に大別できるようになっていた。歩兵に対しては横陣、騎兵に対しては方陣で対抗した。横陣は前列が立て膝、後列が立ったまま射撃した。方陣を組んだ場合、騎兵が接近すると銃剣を並べて対応した。フランス軍の騎兵は主に騎兵銃とサーベルを用い、歩兵に対しては後者が用いられたので、銃剣に対応することができなかった。
 英国陸軍の一般的な戦列歩兵の発射速度は1分間に4発。鉄砲足軽の熟練者はそれ以下の間隔で撃つことができた。しかし問題は射程距離で、マスケット銃の有効射程約73メートルに対して、火縄銃のそれは約50メートル。槍兵をくい止められるかどうかは、この約20メートルにかかっていたようである。因みに、ベーカー・ライフルは正式の手順で装填した場合、1分間に2発、有効射程は200メートルである。
3. 射撃法の違い
 英国陸軍の戦列歩兵は立ったまま、もしくは立て膝の姿勢で射撃した。また、ライフル銃兵は仰向けに寝て狙撃する場合もあった。鉄砲足軽は立ったまま、もしくは座って撃った。
 座って撃つ場合、立て膝に比べて敵射手にさらされる面積が小さく、しかし草や稲に邪魔されずに撃つことができた。一方、立て膝で撃つ場合は半身になるために、これも敵射手にさらされる面積が小さく、次の行動に移るのも容易である。どちらが有利とはあまり断言できそうにない。
 なお、どちらがより目立たないか、意味を成さない。一方は原色ばりばりの上着と羽根飾りのついた円筒帽を着用し、他方は目にも鮮やかに家紋を染めぬいた旗指物を立てているのである。
4. 軍服の違い
 根本的に違うので比較のしようがないが、敢えて違いを見いだすなら足まわりに対する考え方がある。
 英国陸軍の戦列歩兵は靴が支給されていた。ヨーロッパでは棘のある草や砕石、ガラス片、陶器片など、足を傷つける危険が多かった。このため、ウェリントン将軍は全ての兵士に予備の靴2足と予備の靴底1組が支給されたのを確認して、フランスへ向けて進撃を開始している。
 一方、戦国時代の日本では足を傷つける心配がほとんどなかった。砕石による舗装道路は存在せず、ガラスや陶磁器は大切にされたためにその破片が地面に散乱することがなく、地面は火山灰や土に覆われて柔らかかった。このために足軽は裸足か半草鞋をはく程度で、足袋や草鞋は余程高位のものの独占物であった。
番外・甲冑をめぐる誤解
 兜(かぶと)は上級の指揮官がかぶるもので、そうした人は、たいていは馬に乗っている。一方で、上空からの脅威は存在しないので、上を見る必要が無い。このため、兜の目庇(まびさし)が目の上を完全に覆ってしまうようにかぶるのが正しい。目より下に広がる兵士達が見渡せれば十分な上、あまり顔が露出しているのは良くないからである。故に、普段、私が描くように眉毛の上まで見えてしまうのは良くないのだそうである。そういわれてみればナポレオン戦争の騎兵ヘルメットも、同じようにかなり目深(まぶか)にかぶっている。現代でも、英国陸軍の近衛騎兵はそうしている。これにも同じ意味があるのであろう。反省。
 一方、五月飾りの甲冑は大鎧(おおよろい)から当世具足(とうせいぐそく)までの「かっこよさげ」なところを寄せ集めた史実に基づかないものが多い。仮に基づいていても、江戸時代の非実用的な具足や、大名、侍大将用のものであるために、家紋を入れるのはおかしいそうである。というのは、お腹や胸のところに家紋を入れた甲冑は主人から貸し与えられるもので、足軽用なのだそうである。