§.騎兵


重騎兵 (heavy cavalry)

 胸甲騎兵や騎銃兵など、騎兵の重兵種で、集団での突撃と白兵戦を主眼とする。重騎兵が用いる馬はその用途に合わせて大型で足が長く、速力と打撃力に秀でるヨーロッパ種のものである。
軽騎兵 (light cavalry)
 日本語で「軽騎兵」と訳されるものには広義の軽騎兵(light cavalry)と狭義の軽騎兵(hussards)がある。広義の軽騎兵は偵察、連絡、護衛、散兵線の構成、そして敵軍の後方攪乱などを主眼とし、用いる馬は小型で足が短く、持久力に秀でたアジア系のものである。槍騎兵の他、猟騎兵(マスケット銃装備)、乗馬猟兵(ライフル銃装備)、軽竜騎兵、狭義の軽騎兵(Hussars)が含まれる。


胸甲騎兵(キュラシエ、Cuirassiers)

 胸甲騎兵は重騎兵に類別される。このため、使用する馬は大型で足が長く、瞬発力と速力に秀でている。胸甲騎兵の名の由来となっている胸甲は鉄製で、将兵の胸と背面を保護し、重騎兵の特色である密集隊形での打撃力をさらに強調する役割を負っている。胸甲はそれほど厚いものではなく、マスケット銃の直撃や銃剣の突きには耐えられない。胸甲騎兵は突撃と白兵戦に主眼をおいているために、編成当初は長銃身の小銃を支給されていない。代わりにピストル2丁が支給されている。しかし、後に比較的銃身が短い騎兵用のマスケット銃(musketoon, 騎兵銃)が装備された。
 1802年、ナポレオンの要求で重騎兵20個連隊が創設されることになる。そのうち18個連隊が胸甲騎兵として、2個連隊が騎銃兵とされた。実際に編成された胸甲騎兵は14個連隊にとどまり、編成当初から胸甲を支給されたのは7個連隊にすぎなかった。それ以外の連隊は順次、支給を受けていった。
 こうして形作られたフランス陸軍の重騎兵は「でっかい兄貴」と信頼と親しみを込めて呼ばれた。


騎銃兵 (カラビニエ、Carabiniers, Carabiniers a Cheval)
 

 騎銃兵は騎兵銃とサーベル双方を用いる重騎兵である。当初は胸甲をつけなかったが、胸甲騎兵の活躍から胸甲が見直され、1810年に胸甲を支給されている。


竜騎兵 (ドラゴンDragons)

 竜騎兵は中騎兵に類別される。竜騎兵は重騎兵でも軽騎兵でもなく、本来は馬に乗った歩兵であった。このために竜騎兵は騎兵刀とマスケット銃、双方の訓練に重点を置き、状況に応じて下馬し、歩兵として戦ったのである。
 これは英仏両国に共通した特徴であるが、特にフランスでは馬匹の不足に対応して優先的に竜騎兵を下馬させ、他の騎兵隊に回していたようである。そういった状況下であるために、フランス陸軍の下馬竜騎兵は特に士気が低かったようである。
 竜騎兵の乗馬歩兵としての側面を強調するのが工兵(sapeur)の存在である。工兵は1個連隊に伍長1名と兵卒8名が配属され、軍旗の警護やバリケードの構築、行軍路上の障害物除去などに当たったが、本来は歩兵連隊にのみ配属されるものである。
 旧体制(アンシャン・レジーム)下のフランスでは62個連隊の騎兵隊があったが、そのうち18個連隊が竜騎兵であった。1791年の再編成で竜騎兵連隊は20個、後に21個とされたが、1803年にはナポレオン・ボナパルト第1執政が30個連隊とした。新たな9個連隊は6個が旧来の騎兵連隊、3個が軽騎兵連隊を名称のみ変更したもので、当初は軍服や装備が元のままであった。本来の竜騎兵としての装備は順次支給されていったのである。


槍騎兵 (ランシエ、Lanciers, Chevau-Legers Lanciers)

 槍騎兵は槍を主装備とする軽騎兵である。特にプロイセンやオーストリア、ロシアなどは精強な槍騎兵(ユラン)やコサック騎兵を揃えていた。槍騎兵はフランス陸軍では廃止されて久しい兵科であったが、外国軍槍騎兵部隊の活躍がナポレオンに槍騎兵連隊設立を強く促した。
 1811年6月にポーランドの騎兵連隊とフランスの第30猟騎兵連隊を3個の近衛槍騎兵連隊とし、同時に第1、第3、第8、第9、第10、第29竜騎兵連隊が、それぞれ第1?第6槍騎兵連隊として再編された。
 これらの槍騎兵連隊はすぐさま1812年のロシア遠征に参加させられ、長くのびた隊列の護衛などに用いられた。しかし、急編成のフランス槍騎兵は、槍騎兵の運用に長けたロシア軍の前に無力であった。


猟騎兵 (シャスール、Chasseurs, Chasseurs a cheval)

 猟騎兵はフランス固有の軽騎兵で、偵察と散兵線の構成を主眼とし、主に散開して馬上からの銃撃戦を演じた。集団での突撃は、より専門的な重騎兵に任されるべきであったものの、猟騎兵もその任務を負うことがあった。また、敗走する敵軍の追撃も重要な任務の1つである。
 革命前に12個連隊しかなかった猟騎兵は24個連隊に増やされた。これには猟騎兵の装備が比較的単純で、訓練も容易であったことがあげられる。


軽騎兵 (ユサール、Hussards)

 軽騎兵(狭義の軽騎兵)はハンガリー騎兵とも訳される、広義の軽騎兵の粋である。その源流をたどるとオスマン帝国の騎兵隊に達し、遠くチンギス=ハンのモンゴル帝国にたどり着く。
 フランス陸軍の軽騎兵は猟騎兵(最終的に30個前後にまで膨れ上がった)と違って、わずか14個連隊が編成されたのみである。うち6個連隊が革命前から存在し、1791年から95年にかけて7個連隊、1814年に1個連隊が編成されている。
 軽騎兵の軍服はハンガリーの騎兵を模したもので、独特の円筒形の帽子、きらびやかな肋骨飾りなどは軽騎兵の象徴であるとともに、騎兵以外でも軽兵種(軽歩兵や乗馬砲兵など)の象徴として軍服のデザインに取り入れられた。また、18世紀後半にヨーロッパの上流階級を席巻した東洋趣味とも相まって、そのデザインは民間でも取り入れられて、服飾史に足跡を残している。

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