§.歩兵



 18世期末の英国陸軍の歩兵隊は3個の近衛歩兵連隊のほか、135個の歩兵連隊、数個の(スコットランドの)防衛軍、常備国民軍、地方国民軍、義勇軍などからなっていた。この他にフランスの亡命貴族(エミグレ)やドイツのハノーヴァー家の軍隊、さらにドイツ人部隊などがあった。
 

通常の歩兵連隊(Regular Regiment)

 大部分の歩兵連隊はこの通常の歩兵連隊である。平時には1個大隊のみが所属する連隊が大半であるが、必要に応じて第2大隊以下が編成された。エリートである擲弾兵(Grenadier)、軽歩兵(Light Infantry)と通常の歩兵、工兵(pioneer)からなる。英国陸軍の代名詞である「赤い長上着(red coat)」を着用した。
連隊(regiment)
 1個連隊は連隊司令部と、1?3個大隊からなる。1個大隊のみの連隊もあった。同じ連隊の大隊が別々の方面に派遣されることも当たり前に存在した。基本的には2個大隊で、1個大隊が前線にあるあいだ、もう1方が募兵と訓練に当たっていたようである。
大隊(battalion)
 実質的な戦術単位。1個大隊は大隊司令部の他、側防中隊(flank company)2個および中央中隊(centre company)8個からなる。大隊司令部は中佐1名以下、少佐2名(一方が先任少佐Senior Majorと呼ばれた)、副官1名、軍医1名、軍医助手2名、曹長(sergeant major)1名、主計掛兵曹(staff sergeant paymaster)1名、武器掛兵曹(sergeant armorer)1名、鼓笛隊長(drum major)1名、工兵伍長1名、工兵(pioneer)10名から成る。
中隊(company)
 1個中隊は大尉1名の指揮下に中尉または少尉(subaltern)2名、兵曹2名、伍長3名、鼓手(drummer)1名、兵85〜100名から成った。連隊によっ て、このほかに横笛手(fifer)1名を加えた。
側防中隊(flank company)
 左翼中隊または軽歩兵中隊(light infantry company)と右翼中隊または擲弾兵中隊(grenadier company)を指す。
戦闘中隊中隊(centre company / battalion company)
 左右両翼を固める側防中隊の間を埋める歩兵大隊の主力。右から左へ、第1から第8までの番号で呼ばれた。
擲弾兵中隊(grenadier company)
 歩兵大隊の中で特に身長が高く、身体頑健な者を集めて編成したエリート中隊。会戦時には擲弾兵中隊を集めて擲弾兵大隊に再編し、予備兵力として重要局面で投入された。士官の肩章には擲弾の刺繍がある。
軽歩兵中隊(light infantry company)
 散兵線を構成し、狙撃により敵戦列の漸減をはかるほか、偵察や兵站破壊などに用いられる歩兵。機能的には後出のライフル銃兵(Riflemen)と同じで、独立した行動をとり、また狙撃を行うため、高度な訓練が施されていたことも共通する。ただし、軽歩兵はマスケット銃を装備していた。シャコーの帽子紋章はラッパで、士官の肩章にもラッパを象った刺繍がある。
工兵(pioneer)
手斧とピストルを装備した歩兵。民家を陣地に仕立てるなどの任務を負った。各大隊に10名がおり、縦隊では先頭に位置し、横隊展開時には横隊の中央、後列の9歩後に位置した。


軽歩兵連隊(Light Infantries)

 軽歩兵は散兵線を構成し、狙撃により敵戦列の漸減をはかるほか、偵察や兵站破壊などに用いられる歩兵である。軽歩兵連隊はこの軽歩兵のみで構成される。
 7年戦争以来、軽歩兵の必要性が注目され、1770年に各歩兵大隊にエリート部隊として軽歩兵中隊が設置された。 アメリカ独立戦争では軽歩兵中隊のみを統合し、エリート部隊として軽歩兵大隊を臨時に編成することがあった。この当時の軽歩兵は、ほかの通常(戦列)歩兵と異なり、鼓手に換えてラッパ手を導入し、戦斧(トマホーク)、ナイフ、パウダーホーン(角製の火薬入れ)を携行し、独立した行動をとることができた。目立たない緑色の、スカートの短い上着を着用していたのも、際だった特徴である。
 そこで1794年にスコットランドの国防軍(fencible)からの応募兵を中心に第90連隊(パースシャー義勇兵連隊 Perthshire Volunteers)が正式の軽歩兵連隊として編成された。さらに歩兵第43連隊、歩兵第52連隊を軽歩兵連隊として再編されている。
 英国陸軍の軽歩兵連隊の軍服も通常連隊の軽歩兵中隊のものと同じ、赤い短上着(ジャケット)である。帽子紋章と士官の肩章の刺繍も同じようにラッパを象ったものが使われ、それとわかるようになっている。


ライフル銃兵連隊(the Rifles)

 その名の通り、ベーカー・ライフルを装備していた、軽歩兵のエリート連隊である。ナポレオン戦争当時は第95連隊のみがこの名を戴いている。
 1800年春にコート・マニンガム大佐とウィリアム・スチュワート中佐の指導でライフル銃兵実験隊(The Experimental Corps of Riflemen)が編成された。この2人は西インド諸島で軽歩兵部隊を指揮して昇進し、新大陸の軽歩兵戦術を吸収していた。
 士官・下士官および兵士は既存の歩兵連隊やスコットランドの国防軍(fencible)から集められ、ブラチントン駐屯地で訓練を受けた。そして同年8月にはフェロル襲撃に参加している。このライフル銃兵実験隊が1802年に歩兵第95連隊(ライフル銃兵連隊)に再編されている。
 同じようにライフルを装備していた歩兵部隊はこのほかに第60連隊(王党派アメリカ人連隊)の第5大隊がある。1797年にワイト島カウズでデ=ロッテンバーグ男爵(大佐)を指揮官としてホンペッシュ乗馬ライフル銃兵隊の兵士を中心に編成された。この大隊も第95連隊と共に濃緑色の短上着を着用して、共に「グリーン・ジャケッツ」と呼ばれた。
 1799年には第60連隊第6・第7大隊がドイツ人兵士、捕虜からの志願兵などを中心に編成され、ライフル銃兵部隊を形成した。続いて1813年にはリスボンで第8大隊が編成されている。


ハイランド兵連隊(Highlanders)

 スコットランド、ハイランド地方を本拠とする通常歩兵連隊。外見の一大特徴となるキルトは巻きスカートなのだが、下着をつけない。風通しがよく、気持ち良いということである。また、キルトは胸元まであるので、スコットランドの厳しい寒さから内臓を守るのに適している。しかし動きにくく、馬にも乗れず、派遣された先の気候とも適さないなどから、ナポレオン戦争中にタータンチェックの長ズボンが着用されるようになった。


ヒュージリア連隊(Fusiliers)

 原義は「火打ち石銃兵」連隊。伝統ある歩兵連隊で、通常歩兵ながら、軽歩兵連隊と同じ形の肩章をつけている。火打ち石銃兵は火縄銃ではなく、火打ち石(fusil)で着火・発砲する小銃を装備した歩兵で、後の歩兵の元祖となったものである。


国民軍(Militia)、国防軍(Fencible)

 どちらも英国の防衛軍である。国民軍、国防軍ともに海外へ派兵されないのが原則だが、予備兵力の供給源として機能していた。
 国民軍は主にイングランドの防衛にあたった。常備国民軍(Regular Millitia)と地方国民軍(Local Millitia)があり、前者は後者を統括する形になっている。地方国民軍は多くは地元民を郷紳(ジェントリー)が下級士官の階級をもって統制し、訓練をほどこしていた。
 国防軍(Fencible)はスコットランドにおいて国民軍に相当するものである。

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