99/11/29 <私の見方>ノック知事のセクハラ疑惑 大阪社会部・磯崎由 毎日新聞ニュース速報

11月11日付朝刊「記者の目」で書いた横山ノック(山田勇)大阪府知事の強制わいせつ疑惑に関する記事に対し、約30通の反響をいただいた。うち3割は「辞任して府民に信を問え」との私の主張に対し、「やった証拠もないのに信を問う必要があるのか」と反論するものや、「女子学生の主張には政治的意図を感じる」という決めつけなどだった。

繰り返すが、いま問われているのは横山知事がわいせつ行為を「やったかどうか」ではない。民事裁判の法廷で一切答弁しない「不戦敗」戦術を取りながら、記者会見など原告のいない所で「真っ赤なうそ」と主張することの是非だ。

自治体の最高権力者であるのだから、横山知事には疑いを持たれれば真相を明らかにする「説明責任」があった。法廷という公の場で相手と向き合わず敗訴し、賠償金を支払った後で、横山知事は「それでも、知事を続けていいか」と改めて問う必要があると考える。

問題は今や、当事者だけでなく、市民生活にも深刻な影響を及ぼし始めている。横山知事に辞職を求めている市民団体のメンバー宅には「これ以上騒ぐと、家族も危ないぞ」との脅迫電話があった。府の男女協働社会づくりの審議会は、委員から知事の対応を問題視する声が相次ぎ、政策に関する審議が中断している。

しかし、知事の進退を問う動きを批判する意見もある。大阪本社発行の紙面で随時掲載している「アクション・ライン」には、原告の女子学生やセクハラ被害者全般を「自分が悪い」などと人間的にひぼう中傷する声も目立ってきた。そうした意見のなかには、「男女同権運動」へのアレルギーから「セクハラ」と聞いただけで、うさんくさがる雰囲気が感じられる。

とりわけ、女性による女性批判は深刻だ。「身内にレイプされた傷を克服するのに20年かかった」という大阪の女性は、講演会で自分の体験を語り、参加した女性から「気持ち悪くなった」と言われショックを受けた経験があると打ち明けるといい、女性の間で性暴力への理解が進んでいない現状を訴えた。

だが、こうした無理解は性被害だけではない。福祉施設での利用者への虐待問題を追及している東京の女性は、「密室」での疑惑に対する市民の反応にセクハラとの共通点があると指摘する虐待の存在を知ると、多くの人は「被害者意識が強い話は信じられない」と拒否反応を示し、後になって虐待行為を告発した職員の人間性を否定する人もいるという。

「性」や「暴力」を直視しない社会の陰で、犯罪が横行する。声をあげた被害者が世間に叩かれれば、次に声をあげる人はいなくなり、「密室」はさらに閉ざされていく。被害者を責める言動が「セクハラや虐待行為を行った側に加担することになる」との女性の指摘に賛成だ。私たちすべてが、いつどんな「密室」で、人権侵害を受けるか、分からないのだ。

作家の曽野綾子氏が本紙11月7日付朝刊「時代の風」で、「その時騒ぐのが一番適切」「後で裁判を起こすのは女の甘え」と、原告の大学生が翌日に告訴したことを批判した。読者のこの文章への賛否は大きく分かれた。私は曽野氏の「自己責任」の考え方を今回のケースに持ち込むことに違和感を覚えた。感じ方や痛みの違いを尊重できず、「自分にできることをできない人間はおかしい」という発想が、不幸やトラブルを抱えた人を孤立させる社会を作っているように思えてならない。

知事の疑惑から派生した一連の問題はさまざまなテーマに共通する、一人ひとりの人権意識を問うていると思う。「マスコミはくだらないことで騒ぎ過ぎ」という批判も受けた。しかし、問題の背景を考えると、どうしても「くだらないこと」とは思えない。「知事にはこんなことより景気対策に尽力してほしい」と訴えた人もいたが、そろそろカネや経済より大事なものがあることに気づかなければならないのではないだろうか。[1999-11-29-23:40]


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