99/8/21 <時代の風>国家への過剰期待抑えよ−−寺島実郎・三井物産 毎日新聞ニュース速報

社会学の古典ともいえる「孤独な群集」の著者D・リースマンに自伝的著書「二十世紀と私」(1982年)という作品があり、その中でハーバード大学時代の思い出として「生涯で最初の政治行動」について語っている。それは、真珠湾攻撃直後、アメリカ西海岸地域から日本人を強制移住させようとする動きに抗議することだった。またリースマンは、第二次大戦中、ドイツと日本の諸都市に対する大量無差別爆撃に反対行動を起こした。極端な少数派であった。

20世紀を生きた知性の誠実さに胸打たれる。周囲の熱狂のなかで、冷静でバランスのとれた判断を保つことは至難である。時代の空気を感じとって多くの人が奏でる音楽に合わせるほうが楽だからである。

あらがい難い時代の空気というものがある。99年夏、時代の空気として何となく我々を取り巻いているのは「総保守化」である。日米防衛指針(ガイドライン)関連法、国旗・国歌法、通信傍受法、憲法調査会設置法、改正住民基本台帳法などが春から夏への207日にわたる通常国会で成立した。「右傾化」を嘆く論調もあるが、「右へ」という強い意志があって形成された潮流ではない。90年代日本の混迷に対する「疲れ」のようなものがたまって、安定と秩序を志向する傾向が醸成され、「保守化を容認する」雰囲気が作り出されているということだろう。

問題は、大部分の国民は今何が選択されているのかを意識もしていないということである。

この10年、興奮して議論してきた「改革・変革」の空虚さを感じ取り、自らに忍び寄る「市場主義の徹底のもたらす厳しさ」を痛感する者にとって、政治は「期待しても仕方が無いこと」になりつつある。そして、混迷への苛立(いらだ)ちの中で「国はもっとしっかりしろ=国権の強化の容認」という選好に帰結していく。

政治の上部構造を構成する職業政治家の意識と、政治の下部造を構成する国民意識の乖離(かいり)は深刻である。政権基盤を安定させようとする本能が合従連衡を呼び、昨年の参院選比例区で25%の得票率を得たにすぎない自民党を中心とする政権が、その後の連立を経て、「自自公連立」となれば衆議院の71%、参議院の56%の議席を占めようとしている。国民意識からすれば、遠い落雷を聞くように意識の外で何かが決められているというのが実感である。「代議制民主主義の空洞化」に思いが至る瞬間である。

99年夏への物悲しい思い出の象徴として歴史に残るのが「地域振興券」であろう。総額7000億円の国家予算を計上したこの景気刺激策は「GDPを0・1%押し上げる効果」を持ったという。「元禄時代の生類憐(あわれ)みの令以来の愚策」とからかうのも大人げないが、「地域振興券」が物悲しいのはこの構想に未来がないからである。「景気浮揚のためなら何でもやったほうがいい」という議論もありうるが、政権基盤安定のために「野党立案の構想でも受け入れて連携の基盤を作る」という上部構造の判断と「もらえるものなら文句はない」的な国民意識がもたらした産物であり、日本の現状を象徴する出来事だった。

経済政策担当者の構想力は、かくも貧困ではないはずだ。同じ7000億円を投入するにしても、「全国の学校教育におけるパソコン・ネットワーク整備などへの投資」など、高度情報化社会を迎え撃つための先行投資であれば、徒花(あだばな)の消費支出拡大ではなく未来への戦略になったであろう。少なくとも、この国が未来に何を布陣すべきかを考える機会となったと思う。

日本の不幸は「総保守化」の空気の中で選択肢が極端に貧困だということである。かつて「保守対革新」といっていた時代、革新の基軸はー応「反安保、護憲、社会主義」であった。90年代になって、社会主義圏の崩壊、イデオロギーの終焉(しゅうえん)という事態を迎え、保革の境界は融解し、対立軸を提示することは難しくなった。野党および保守化に疑念を抱く側に、現状変革の基軸を提示する責任があるが、保守と一線を画す基軸は見失われたままである。

核心をいえば、この国にとって「リベラル政策軸」をいかに構築するかが重要である。それは、保守政権にとっても、政策論を深める知的緊張の契機となる。小渕政権は、「オーケストラの指揮者型」として多くの人達の知恵を招き寄せる形で運営され、偏狭なカリスマに自己陶酔する型の指導力よりも、日本的曖昧(あいまい)さを漂わせながらも強靭(きょうじん)である。だからこそ、国民が政策を熟慮するための選択肢の提示が必要なのである。

改めて、現代日本における「リベラル政策軸」とは何であろうか。おそらく3点についての議論を深めることから、リベラル軸は見えてくるであろう。

一は、市場主義の行き過ぎに対する社会政策の充実である。グローバルな市場化の中で、市場競争至上主義の影が顕在化している。市場経済を重視にするにせよ、分配の公正、雇用の安定、福祉の充実などの社会政策でバランスをとる必要がある。それは、社会的弱者への目配りにも通じる。

二は、外交における米国との関係の再設計である。戦後半世紀の対米過剰依存を脱し、反米でも嫌米でもなく、米国との建設的関係を大切にしながら、自律と自尊に立った日米関係を再構築することである。特に、「ガイドライン見直し」以降の防衛関係の再設計が重要で、在日米軍基地の地位協定の見直し、思いやり予算の圧縮などが俎上(そじょう)に載せられるべきである。冷戦後の極東安全保障について、日米両国民の納得のいく構想が求められることは間違いない。

三は、国家権力の拡大志向に対する民主的制約である。そのためには国家への過剰期待を抑えることである。「規制緩和」といいながら、実体として進行していることは政府への役割期特の拡大である。公共と国家とは同義語ではない。国家の過剰な役割を排除するには、国民が主体的に公的問題を解決していく意思と仕組みを確立せねばならない。国民参加型で公共問題を解決していく方向づけこそ、新しいリベラルの課題である。日本の次なる時代選択に向けての沈思黙考の夏としたい。[1999-08-21-23:22]


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