99/6/7 ◇格差と階層 不平等へ向かう:6―どんな社会を選ぶのか◇朝日新聞ニュース速報

「国際比較の上からも、わが国の平等神話はもう存在しない。日本の所得分配は不平等に向かっている」

橘木俊詔京大教授は、昨年秋出版した「日本の経済格差」(岩波新書)の中でそう警告して反響を呼んだ。市場経済をリードする米国を追って、日本はいま規制緩和、市場化の道を歩む。

だが、当の米国では、経済拡大の副作用ともいえる貧富の格差が大きな問題になっている。競争の強化と、それに伴う不平等の進行とをどう考えればいいのか。それは、あすの日本社会を展望したとき、避けて通れない問題である。

▼忍び寄る二分化の影

経済企画庁は、秋に出す「国民生活白書」で格差問題を取り上げる。

その前提として、所得格差の推移を調べた(図A)。ジニ係数は、所得が完全に均等に分配されていればゼロ、一〇〇%に近いほど不平等度が高いことを示す。

高度成長時代に縮小して平準化が進んだ所得格差が、一九七〇年代半ばすぎから反転し、拡大している傾向がわかる。

この拡大は、所得のばらつきの大きい高齢者が増えた年齢構成の変化による面が大きい、と同庁は分析する。主要七カ国(G7)や北欧諸国などとの比較では日本の平等度は「中程度」だった。

平等イメージの強い日本社会にも、格差拡大の影は忍び寄っているのではないか。

目を階層に広げてみよう。

社会学者たちが協力して、十年ごとに社会階層と社会移動を調べている「SSM調査」の九五年分がまとまった。メンバーの一人、原純輔東北大教授に、その結果から、いまの日本の階層像を描いてもらったのが、図Bである。

社会的資源の不平等分配を見る指標として、教育(学歴)、所得、職業威信を選び、1から5までランクをつける。全国約二千人の調査対象者について、この三つの指標の高低の組み合わせが似た人々を分類すると、六つのグループに分かれた。

1は、学歴も所得も職業威信も高い「上層一貫」、2は逆に「下層一貫」の人々だ。A〜Dは三つの指標のレベルがジグザグな「非一貫」といわれるグループで、例えばAは、学歴は低いが所得は高く、職業威信はやや低い、といった層である。

人数比では、「上層一貫」が二三%、「下層一貫」が一五%、「非一貫」の四グループが合わせて六二%を占めた。

日本の階層構造は非一貫タイプの層が厚い。それが不平等の相殺効果を持ち、「総中流意識」を生んできた。

しかし、この階層構造にも時代的な変化が見られる。拡大を続けてきた「非一貫」の人数の比率が減少に転じ、上、下層の一貫タイプが増え始めたのだ。原教授は、収入や学歴が大幅に底上げされた上での新たな階層変容の兆候だ、と指摘する。

九五年調査の代表、盛山和夫東大教授は「日本の近代化は一定の達成を遂げ、平準化は横ばいに変わった。七五年ごろを転機に新しい段階に入っている」と語る。

日本は、どんな社会へ向かうのか。

以上の事例を見ると、「貧富の二分化」や階層がはっきりした社会に向かう可能性を否定できないそうなれば、社会の連帯や安定は損なわれるだろう。

他面、平等を重視し過ぎれば、効率や「やる気」がそがれる。激化する国際的な経済競争の中では、日本だけが沈下していくような事態になりかねない。要は効率と平等を、どう調和させるかだ。大きな判断基準として、私たちは次の四点を押さえておきたいと考える。

第一は、「健康で文化的な生活」をすべての人々に保障することだ。「下層社会」はつくらないとの合意である。

第二は、そのうえで自由な競争を保障する。努力した者が報われるのは正当なことだ。その意味の格差は許容される。

第三は、競争はすべての人に開かれたものでなければならない。「機会の平等」を追求することは、多くの人の参加を可能とし、社会の活性化に役立つ。

第四は、社会の連帯感の基盤を崩すほどの無制限な格差までは認められない、との「上限」の存在だ。税などの所得再配分機能の役割が依然として重要である。

▼先を見越した発想を

いくつかのことが言えるだろう。

「機会の平等」の点では、日本は男女の賃金格差が大きい。雇用機会均等法の実質化を進めるほか、パートの増大などが事実上の男女格差を広げないよう、時間賃金の均等化を議論する必要がある。

人生の出発点での不平等の一つは、相続だろう。ここ十余年の減税で、相続税負担はモデル比較で五分の一以下になった所得税の累進を緩和するなら、資産やキャピタルゲインへの課税を強化すべきだ

最大の課題は教育である。階層間移動の「はしご」とも、階層再生産の道具ともなる。親の所得が進学の有利さにつながったり、学歴が人生を決めてしまったりする状態は変えていかなければならない

米国では格差拡大への反省が芽生えた。欧州は、かつてと同じではないものの、社会民主主義に回帰した。

競争社会へ走る日本も、もう少し先まで見通して、あるべき社会像を考えることが、いま求められているのではないか。[1999-06-07-00:20]


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