2001/8/23<経済観測>医療保険と年金制度の二つの改革  毎日新聞ニュース速報

不況の深化に対して、どのように国のかじ取りをするのか悩みは深い。しかしその切実感が広く一般に共有されているかと言えばどうだろうか。盛んな海外旅行、はやっている高級レストラン、何十万枚というアイドルのCDの売れ行きなどの向こうには、それほど切羽つまってはいない一人ひとりの現状が浮かんでくる。

海外での日本に関する報道で、日本の経済はどれほどひどいか、と想像して来日した外国人の多くは、日本の暮らし向きの豊かさに驚くという。リストラ、失業の増大も、その緊迫感はまだ全体のそれではない。これをどう受け止めたらよいのだろうか。

ずばり、今の日本ほど誰もがハッピーと感じている時代はない、と言う人もある。だから改革に切実になれていないという意味である。本当は危機的な八方ふさがりであるのに、そう感じられないとすれば、それこそが問題だろう。実態は個人の生活水準を守るために企業が蓄積を吐き出し、衰弱しつつある、ということではないか。

振り返ってみれば、日本は経済成長の成果を未来のための投資に使うよりも、個人の生活の豊かさや快適さを確保するために使うことに重点をシフトしてきたのではないか。それでも初めは余力があったが、低成長が続くに従って、その負担が過重になっている。

その典型的な例が医療保険であり、年金制度だろう。それは金の卵を生む鶏が衰弱しつつある、ということである。放置すれば公平を欠くだけでなく、国民の豊かさの土台を掘り崩す。また危機を等身大に受け止めれば緊張感と集中力によって事態に挑戦するエネルギーはあるのに、その機会を奪うことにもなる。

ならば改革の重点を絞り、この二つだけでも思い切って改革すれば、全体の空気は大きく変わることになりはしないか。 (猷)[2001-08-23-00:20]


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