2001/5/31 <直言>生活者の視点から ジャーナリスト斎藤貴男さん近著「機会不平等」

毎日新聞ニュース速報

さいとう・たかお 1958年東京都生まれ。早稲田大学商学部卒。日本工業新聞記者や週刊文春記者などを経て、90年フリーに。「カルト資本主義」「プライバシー・クライシス」「精神の瓦礫 ニッポン・バブルの爪痕」など著書多数。歴史・世界観を学ぶため93年、英バーミンガム大大学院に留学した。

●持続する意志

斎藤さんの近著「機会不平等」のあとがきを読んで、不覚にも涙ぐんでしまった。斎藤さんは、今でも長野県に住む女性からもらった手紙を大切に保管しているという。農家に生まれたその女性が12歳だったころ第二次大戦が始まり、6人の兄弟が次々と出征していった。しかし裕福な家庭の子には赤紙は来ず、絹の着物を着て“ちゃらちゃら”と村内をかっ歩していたという。日本が「国民国家」としてスタートした明治以降、中等以上の教育を受けた者に対する徴兵猶予などの特権が認められていたためだ。「この手紙に綴られた究極の機会不平等こそ、人類史を貫いてきた愚かすぎる価値観だった」と、“肉体派”を自認する斎藤さんは書く。多くの人から取材し、自分で考え、本を読み、仲間と議論する。そうした地道な営為の中から、この本は生まれた。表現は愚直なまでにストレートだ。もちろん、意見を異にする人もいるだろう。そうした人も含め、少しでも多くの方に読んでいただきたい骨太の労作である。[2001-05-31-14:15]


2001/5/31 <直言>生活者の視点から ジャーナリスト、斎藤貴男さん=

毎日新聞ニュース速報

「勝ち組」「負け組」という言葉がはんらんし、「結果の平等」が罪悪視される今の日本。「例外なき規制緩和」を掲げる市場主義派の主流経済学者らは、一様に「競争原理」の必要性を説く。しかし、気鋭のジャーナリスト、斎藤貴男さん(43)は「結果の平等はおろか、私たちは『機会の平等』すら失いつつある」と警告する。 【広瀬金四郎、写真も】

――今の社会には「平等」という言葉を口にするのがはばかられるような雰囲気があります。下から上がっていくのを許さないような気分もある。

◆私が「機会不平等」(文藝春秋)を書くに当たり、最初に考えたのは「規制緩和の陰」のようなことです。構造改革を説く市場原理主義派の学者らが、規制緩和のマイナス面について、余りにも無頓着でしたから。でも、取材すればするほど、経済だけでは済まなくなってきた。雇用や教育、社会保障問題などいろいろ出てきます。もちろん万人に効く良薬というのはあり得ない。規制緩和は痛みを伴う、しかし、それでもやるメリットがあり、痛みについてはこういう用意をする、という事がきちんとしていれば、それはそれで理屈だと思う。ところが小渕恵三首相(当時)の諮問機関「経済戦略会議」の中核メンバーだった中谷(巌・多摩大教授)さんや竹中(平蔵・慶応大教授)さんらは、そういう痛みについて、端から考えていなかったし、またそのことを隠そうともしなかった。

僕は、東京・池袋の鉄屑屋の家に生まれました。戦後民主主義の「平等」の理念をずっと信じてきた世代ですが、今の世の中だと真っ先に切り捨てられる側だと思う。親の学歴や社会的地位、収入、教育に対する意識の差などによって子供の進路が決められるという「機会不平等」の中では、将来に何の夢も紡げなかったと思います。

今の主流経済学者らの言動には、ただ切り捨てるだけではなく、エリートの、人間に対する侮蔑のまなざしすら感じる。「おまえら肉体労働者ごときが、権利がどうのこうのと言ってるんじゃない」といった視線です。

――しかし、「聖域なき構造改革」を掲げる小泉純一郎首相は、多くの国民の強い支持を受けています。

◆構造改革が進めば、失業者数は確実に増大する。国民の大半は、痛みを感じる=切り捨てられる側にいる。それでも改革を支持するというのは、どこかで「政治家や官僚、学者は優秀なのだから、分かっていて、何かはしてくれるだろう」という前提があるからです。しかし、取材するほど、彼らはそういう痛みについて、むしろ積極的に無視している現実が分かってきました。

例えば、前の教育課程審議会会長で作家の三浦朱門さんは、私の取材に「非才、無才は、実直な精神だけ養えばいい。『ゆとり教育』の本当の目的は優れたリーダーを養成することにある。エリート教育とは言いにくい時代だから、回りくどく言っただけだ」と証言しました。

「いずれは就学時に遺伝子検査を行い、それぞれの子供の遺伝情報に見合った教育をしていく形になっていくと思う」と語ったのは、教育改革国民会議座長でもあるノーベル賞受賞者の江崎玲於奈さんです。これほど人間を小馬鹿にした言葉がありますか。

経済界の考え方はもっと露骨で、企業には「正社員、アルバイト、派遣社員」といった厳然たるヒエラルキーがある。日本は企業中心の社会ですから、これがそのまま社会における身分階層になってしまう。人間を生まれた時から格付けし階層化しようとする時代がすでに始まっています。

――階層社会になってきたと感じたのは、いつごろからですか。

◆1994年秋、留学先の英国から帰国したころからだと思います。以前と空気が違うなというか、全体にざらついたものを感じた。みんないらいらして、荒れている。「ロンドンは東京より治安が悪い。日本に帰ったらホッとできる」と思っていたが、そうではなかったですね。電車に乗る時も、瞬間的に当たりを見回し、どういう人がいるのか気にするようになった。地下鉄サリン事件が起きたのはその半年後でした。不景気が荒廃を招いたとか普通は言うんでしょうが、僕の皮膚感覚ではちょっと違っていた。

米国主導のグローバリゼーションと歩調を合わせるようにして、97年ごろから「『結果の平等』主義が日本をダメにした」という論調がやけに目立つようになった。99年には、国民総背番号制の導入部とも言える「改正住民基本台帳法」が成立した。支配層は市民を労働力・消費者としか見ておらず、階層化・管理化が進んでいます。

――少年による凶悪犯罪や、「車内暴力」など20歳台の無職の若者による事件が最近、目だっています。

教育を例にとると、学者や教育者は「学校選択の自由」のようなことをよく言いますよね。でも、それを謳歌できるのは、ほんの一握りの人だけです。学歴なり財力なりを持っていない大方の層は無視されている。子供が将来を選択する自由は、「画一教育」と批判されていた時代より、今のほうが狭いのが現実です。

今の指導者層にとって、渋谷のガングロ少女たちは“理想的な存在”だと思う。彼女らは、携帯電話代を捻出するためには売春すら辞さない。フリーターの若者たちは、自分の支払い能力以上に消費してくれる。しかもガングロの彼女らを矢面に立たせれば、支配層は何だってできる。奉仕活動義務化にしても、道徳教育にしてもです。自らは終戦前年の生まれのくせに、「若者たちの通過儀礼として、昔は軍隊があった」と発言した文相もいましたね。

経済財政担当相の竹中さんは雑誌などのインタビューで「みんなで平等に貧しくなるか、頑張れる人に引っ張ってもらって少しでも底上げを狙うか、道は後者しかないのです」と答えている。貧しい人間の尊厳を無視することでしか成立しない思想が、果たして学問なのでしょうか。

――階層化が進む中で、「小泉ブーム」に沸く今の状況は、「ええじゃないか」の集団乱舞が起きた江戸末期と似ているという指摘もあります。

◆同感ですね。直木賞作家の出久根達郎さんが99年に小説「えじゃないか」(中央公論)を発表した時、私は月刊誌に書評エッセイを書いた。そこでも指摘したんですが、1860年代の幕末と、今の時代は実によく似ている。騒動の背景には混乱の一途をたどる当時の政治情勢と第二次長州征伐の中止に伴う物価下落があった。日本に開国を迫ってくる外圧や、デフレで「出口なし」の状態なのに、それでもどこか楽天的な民衆意識、という共通点もある。

「ええじゃないか」の時に天から降ってきたという金札に当たるのが、小説の発表と同じ年に配られた「地域振興券」でしょう。地域にもよりますが、振興券はパチンコ店はもちろん、キャバクラやソープランドの支払いにもあてられた。一方では、阪神淡路大震災の被災者たちの窮状を放っておきながら、です。財政破たんの中で、時の政権は消費奨励のため、国民の血税を使って商品券をばらまいたのです。

――現状を打破するには、何が必要ですか。

経済が右肩上がりの時には、誰もに取り分があった。しかし、長期不況でパイが小さくなり、持てる者が「富を独り占めしたい、大衆ごときにくれてやるものか」という本音を強権的に達成しようとしているのが、この閉塞(へいそく)感の本質だと思う。

規制緩和や競争原理を貫かせる分野というのは確かにある。しかし、少なくとも義務教育はその対極になければならない。なぜなら対象が自己決定能力のない子供で、親が全てを決めている。不公平にならない仕組みを社会が作っていくことが絶対に必要なのです。

規制緩和一辺倒の人たちが最も憎むのは、平等や公平の思想です。「結果の平等」と「機会の平等」を分けて考えることは、彼らにはできない。理想を投げ捨て、不平等の現実をそのまま肯定してしまえば、「強者の論理」しか残らない。それでもって日本経済の指標が多少上向いたところで、そんな社会に何の意味があるのですか。

現代の指導者層に決定的に不足しているのは、各審議会答申に出てくる「創造力」でも「独創性」でもなく、他者の心や境遇に対するごく常識的な「想像力」と、人間としての最低限の優しさであるはずです。[2001-05-31-14:15]


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