99/03/26 ハンセン病隔離政策で国家賠償提訴  読売新聞ニュース速報

長年の強制隔離政策で差別を固定化されたとして、群馬県草津町の国立療養所「栗生楽泉園」(くりゅうらくせんえん)の入所者ら東日本のハンセン病患者21人が国を相手取り、1人当たり1億1500万円の国家賠償と謝罪広告を求める訴訟を26日、東京地裁に起こした。謝罪広告では「ハンセン病は危険な病気ではなく、国の政策は医学的に誤った非人道的なものだった」と認めるよう求めている。ハンセン病をめぐっては、熊本、鹿児島両県内の国立療養所の入所者ら計45人が3次にわたって熊本地裁に提訴しているが、東日本での提訴は初めて。

提訴したのは、同園のほか東日本の3つの療養所に入所する患者らで、年齢は50―80歳代。訴状では、1953年に制定されたらい予防法(96年廃止)が「患者の社会復帰を阻み、社会に疾病をまき散らす危険な存在という偏見を植え付けた」とし、国には違憲の立法を行った責任があると主張している。

提訴後、会見した原告の1人、浅井あいさん(78)は「1日も早く謝罪を勝ち取り、治療らしい治療を受けられずに死んでいった多くの患者の魂を慰めたい」と話した。

厚生省の中谷比呂樹・エイズ疾病対策課長の話「訴状をよく拝見して、適切に対応していきたい」[1999-03-26-20:42]


個人的なコメント

ハンセン病の歴史とハンセン病がきびしい隔離を強いられた経過をみると、一人の解放に努力した医師と、それに反対して勝利し隔離した権威ある医師がいた。まるで、エイズの安部英と同じ構図です。これによって治療法が確立され感染の危険性がなくなっても、解放への転機を逸してしまった。そして、その後も長い間、らい予防法が施行されつづけ隔離政策がつづく元凶となったのです。1996年にやっと廃止となった。その根底には、自分の学説や権威を守ろうという権力欲の強い者が上に立ち、人間への憐憫や哀れみなどの感情とは無縁な、優秀な医学者であるという自負が偏見と隔離をつくりあげていった。行政は、権威者の味方につき医学専門家という影に隠れたことなかれ主義を貫いたため、一生をハンセン病施設で親子・肉親・親戚の縁を切られ・断種手術を受けさせられ閉じこめられた歴史をつくったのです。権威者・専門家という者の言葉は疑うべきです。


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